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日本人はどこから来たか?

  • 2009/12/25(金) 20:19:33

 それでは日本人はどこから来たのだろうか?

数万年前の日本列島には旧石器人が住んでいた。

そのあと新石器人に区分される縄文人がやってくるがそのルーツはよくわかっていない。

縄文人というと単一の文化・言語を持つ”縄文民族”みたいなものがいたかのように考える人もいるだろうが、私は縄文人がルーツの異なる複数の民族からなっていたと推測している。

ある者は北アジアから樺太や朝鮮半島を経由して日本列島にやって来たり、またある者は南西諸島をつたって九州南部に上陸した者もいたことだろう。

このようにルーツの異なる諸民族が長い年月をかけて融合しつつ縄文諸族を形成していったのではないだろうか。

 続いて問題になるのが、弥生人はどこから来たかということである。

私は、弥生人は中国の長江下流域からやってきたのではないかと考えている。

こういう風に言うと、ギョーザを食ってニーハオ言っている中国人が日本列島に来たかのようなイメージを思い浮かべる人もいるかもしれないがそうではない。

中国・漢民族のコアを形成しているいわゆる”華夏族”は、黄河流域で粟や黍を畑作し羊や豚を食べる文化圏(黄河文明)から育った。

一方、現在の上海や蘇州がある長江下流域は日本の弥生時代開始期にあたる春秋・戦国時代、百越(越人)と呼ばれる人達が住んでいた。

彼らは水田で稲作を行い魚を食べ、航海と潜水漁が得意で入墨の習慣があった。高床式の建物に住み鳥を信仰の対象とし、装飾品として羽を尊重する文化を持っていた。こうした文化は弥生文化とかなり共通する。

黄河流域の中原を支配する華夏族は、百越の諸族を周礼が及ばない野蛮人と見下していたが、稲作を基盤とするその経済力は絶大で、越人は華夏族の文化を取り入れながら呉(句呉)といった強国をうち建て、ついには華夏族の国々を従えて中原に覇をとなえた。(春秋五覇といわれる越王・勾践、呉王・夫差がその代表)

呉は紀元前5世紀ごろ滅亡するが、弥生時代の開始はちょうどその前後にあたる。

ここから次のように推理できそうである。

春秋・戦国時代のうちつづく戦乱のなか、長江下流域にいた百越族の一部は故郷を捨てて移住する決心をした。

中国大陸を南下した越人はベトナム人やタイ人の祖先となった。(百越族はタイ語系民族といわれる)

船で海上に逃れた者は、海流にも乗って九州北部に流れ着いて稲作を開始した。
いわゆる弥生人である。

(一度に来たのではなく、何波にも分かれて来た可能性がある)

朝鮮半島に流れ着いた越人はそこの原住民と融合して数百年後に韓人となる。

その後韓人は馬韓人・弁韓人・辰韓人に分かれた。

(韓人は現代韓国人の祖先の一部ではあるが韓人は韓国人と同一民族ではない。現代アメリカ人にイタリア移民の子孫がいるが、アメリカ人≠イタリア人であるのと同様)

越人のある者は半島からその後日本へ渡り、またある者は日本から半島へ渡った。

弥生時代初めから西でキリストが生まれた紀元前後ごろに至るまで、九州北部と半島南部の文化はかなり似通っているが、それはこうしたことが原因ではないか。

ちなみに長江下流域に留まった越人たちは秦の始皇帝による天下統一によって華夏族と同化し、現在の漢民族を形成することになる。

このように、稲作文化を日本列島に持ちこんだ弥生人とは長江下流域からやってきた越人の一派だったのではないだろうか。

百越


魏略によれば、弥生時代の倭人は自らを呉王朝の伝説的始祖・太白の末裔だと自称していたというが、それが事実なら弥生人=越人説を裏づけるものとなりそうだ。

漢字を読む時、日本には呉音と漢音があるのはご存知だろう。

”日”をニチと読むのが呉音であり、ジツと読むのが漢音だ。

7~8世紀ごろ遣唐使が伝えたのが漢音といわれ、それ以前に日本に存在したものを呉音という。

呉音については諸説あり、よく中国の南朝から半島の百済を経由して日本にもたらされたといわれるが、日本に伝わった呉音のなかには秦の始皇帝が中国を統一する前の古いものが混じっていると主張する学者がいる。

呉音についての謎が解明されれば、日本がいつから漢字を使い始めたか、その最初の担い手とは誰だったのかわかるかもしれない。

日本にやってきた越人の中に漢字の読み書きができるものがいたのだろうか。

1世紀に倭の一国・奴国は漢へ使者を送ったが、少なくともその頃倭国に漢字ができる者はいたと推測される。

 話を元へ戻す。

日本列島にやってきた越人はもともと居た縄文人と融合しながら弥生文化を発展させ、弥生人は皇室を含む現代日本人の大部分の祖となった。

紀元前後ごろ日本列島にはクニが百以上あったとされる。

紀元後3~4世紀ぐらいになって皇室のご先祖様は統一事業を開始し、九州南部と東北以北をのぞく日本列島の一応の統一をなしとげ大王(おおきみ)となった。

前回述べたように4世紀後半から5世紀にかけて倭国は朝鮮半島へと積極的に進出し、半島の諸王朝との戦いなどを通じて乗馬文化が日本へ入ってきた。

三国史記にも記述があるように、倭国軍は”戦利品”として半島系住民を獲得し、諸豪族に隷属する職人集団(部曲<かきべ> 陶器をつくる陶部や馬を飼育する馬飼部など)として国内に配置された。

(現代の価値観からすれば許されないことだが、奴隷が主要な生産手段であった古代における戦争では良くあることだった)

また、中国や朝鮮半島で戦乱があるたびに日本列島に渡来人がやってきた。

身の安全と引き換えに大和朝廷への貢献を求められた彼らも、日本人の一部を形成した。

かなり遅くまで縄文人の文化を色濃く引き継いでいたと思われる九州南部にいた隼人・熊襲と呼ばれた人たちや東北・北海道にいたアイヌの人々も古代や中世の和人と同化したり、混住したりして日本人の一部となった。

「日本人はどこから来たか」という問いの答えとして、私はこう推測している。

以上のように考えると、日本人は実に様々な民族の混血からなっているということになる。


つづく




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この記事に対するコメント

日本人は本当にそんなにミックスなんですか?473

こういう説見ると何時も不思議なんですが、大昔、大陸と日本が陸続きででもあったらともかく、そう簡単に日本海をひょいひょい渡ってこれたんでしょうか?遣唐使の時代でさえ約半分は難破し行き着くことが出来ず、あまりのリスクの大きさにその後中止になっています。

百歩譲ってあなたの説が正しいとして、縄文土器を初めてして大陸のものより遙かに古い物が発見されているのはどう説明しますか?

どうも日本の歴史好きが当たり前のように言う文化はすべて大陸から渡ってきた、本当にそうなのかな?その逆と言うことも出来るのでは?

そうでなければ、日本のあちこちから出てくる優れた古代の遺物の説明がつきません。

  • 投稿者: みみ
  • 2009/12/25(金) 22:46:28
  • [編集]

日本は日本です、ルーツは複数です。m(_ _)m

拝啓 管理人さん
お久しぶりであります。

益々のご活躍慶賀致します。

仰る通りであります日本人のルーツは複数だと思います。
拍手コメントと重複しますがチャイナ南部に勢力を張った楚人の遺した言葉に
「 我は蛮夷なり、中華の礼に属さず
「 例え、三戸になろうとも秦を滅ぼすのは楚。 」
があります。

チャイナでは見られない独立独歩不羈の心構えと武を尊ぶ日本人に相通じる存在を連想します。

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  • 投稿者: (^o^)風顛老人爺
  • 2009/12/26(土) 00:49:05
  • [編集]

古代人の異文化吸収力の凄まじさ

NHKの教育テレビが話題になっていますね。
日韓交流の歴史を扱った番組です。
「四神相応」を朝鮮半島の思想の様に説明したり、私はその回を見ていませんが、ユン・ソナ嬢の「対馬はもともと韓国のものだったが、日本が奪った云々」と言った主張をそのまま垂れ流していたそうで、もう阿呆らしくて一切見なくなりました。
そこまで韓国に媚びる必要が何処に有るのか?と思ったからです。

小沢発言に関連して古墳時代についてですが、長年の洗脳によって、古墳時代そのものが小沢氏の主張されるような「騎馬民族」臭に満ちている印象を受けてしまいがちですが、「古墳」自体が、中国の「天円地方説」に基づいているのではないかと思います。
「天円地方説」は、学研?の子供向けの教材か何かにも出ていたぐらいなので、有力な説なのでしょう。
「壷型説」もありますが、その場合いずれにしても古代中国の思想に基づいている事になります。
決して「マナの壷」やら「キーホール」ではありません。
また、死者の復活を願ってお墓を不老不死の霊薬「水銀朱」で真っ赤に塗ってみたり、古墳時代は多分に中国趣味です。
これは、古代人が、貪欲に他国の文化や思想を吸収し、国力を充実させていった証であると思います。
先祖がどこから来たのかはともかくとして、日本人は昔から「他国の文化を吸収する」貪欲さに満ちていたのだと思いました。

人も文化も稲作も、何もかもが半島起源で、そこ以外のルートは無いという狭隘なプロパガンダによる洗脳はよろしく無いですね。
もっと視野を広げて、「半島プロパガンダ」から脱しないと、研究者も民間人も、思考停止してしまうと思います。
日本人は、もっと自由になるべきです。

  • 投稿者: 通りすがり 
  • 2009/12/26(土) 06:41:28
  • [編集]

日本人と言うには

大和朝廷が日本という国号を使ってから、ということになるでしょうか。蝦夷やアイヌ、琉球は征服されてから日本人とされたということになります。弥生人が呉王夫差や越王勾銭の春秋末期まで遡るというのは否定的な要素は少ないと思います。
天皇家の出自を押さえれば日本のすべてを朝鮮起源説に持ち込むことが出来るなんていう安直な考え方って、どこから出てくるんでしょうかね。

  • 投稿者: クマのプータロー
  • 2009/12/26(土) 08:12:44
  • [編集]

3・4世紀には謎がいっぱい。

こんにちは、donnatです。

前回に続いて私的に内容の濃い話です。私も歴史には興味あるものです。
楽しく読ませて頂きました。
すでに御存知かもしれませんが、私も少し書かせてもらいます。

卑弥呼が統治したという邪馬台国は、魏志倭人伝(魏書鳥丸鮮卑東夷倭人条)に記載されています。卑弥呼が登場する少し前、漢王朝の桓帝と霊帝の間(146年 -189年 二世紀後半)後漢書には、「倭国乱る」(倭国大いに乱れ、更に相攻伐して歴年主なし)と記述されており、倭国が乱世であったと推測できます。この後に女王卑弥呼を共立する国家が邪馬台国が誕生する。かの魏志倭人伝には「倭国、邪馬台国の女王として卑弥呼と台与という2人の女王がいた」と伝えていることからどんな形であれ、乱世が終ったのがこの後の時期ということです。238年(景初2年)に魏王朝が公孫氏の支配化にあった楽浪・帯方2郡を平定すると、卑弥呼はただちに大夫難升米らを帯方郡に派遣し、魏の天子に朝献を希望した。群太守の劉夏は洛陽に送り届け、男女の奴碑などを献上し、かわりに少帝から「親魏倭王」の称号と金印紫綬、「五尺刀二口」、「銅鏡百枚」などを授かった。
245年(正始6年)には、魏は狗奴国と戦闘状態であった倭国の卑弥呼に「黄幢(こうとう):軍隊の指揮や儀仗に用いる黄色の旗」を与えた。247年(正始8年)には、「黄幢」、「詔書」、「激」が使者の張政と共にもたらされたが、すでに女王卑弥呼は死んでおり、「径百余歩」の墓がつくられ、多数の奴碑の殉葬が行われたと伝えられている。この後、男王が立ったが国は治まらず、代わって卑弥呼の一族である台与(13歳?)を女王に立てた。266年(泰始2年)の『晋書』に台与の名で朝貢が行われていることから見ても疑いようなない。
では、狗奴国とはどこの国を表すのだろうか?

魏の使者 張政を使わすくらいだから魏にとっても意味のある敵と私は考えています。つまり、呉と関係のある国ではないか?
当時の呉の資料では、魏の中原が統一されると呉にいた人間は中原に戻ってゆくのが人口分布から窺われます。10万の兵を30万に見せる努力も三国志の話の中にあるくらい呉では人口減少が進んでいました。
そこで呉王は周辺の蛮族を味方にする政策にでたという資料はあるそうです。南洋に位置する呉が台湾・沖縄・九州へと進んだとしても不思議はありまん。
倭国は黄巾の乱以降の漢は国土が荒れ、周辺国へ非難したのは史実上の事実です。その中に倭国があっても不思議はありません。その難民が齎した民と技術が倭国の乱へ、さらに狗奴国のバックに呉が付いたという仮説も考えられます。

いずれにしろ、中国・朝鮮・倭国は複雑な関係であったことは間違いありません。

  • 投稿者: donnat
  • 2009/12/26(土) 09:58:24
  • [編集]

クロフネさん


いつも楽しく拝見させていただいています。今回は考古学・日本文化論といういつもとは異なるトピックですが、核心を突いた指摘でとても興味深いですね。

クロフネさんが推理しておられる点ですが、とても説得のある指摘だと思います。
わたしの実家は福岡県宗像市にあるのですが、宗像といえば古代における日本の海上交通の要衝であり、また、古代宗像族は五木寛之氏の小説にも出てきますように日本における海女文化や水軍の礎を築いた部族といわれています。つまり、海上が主な生活の場であった部族と考えられます。
長く稲作・定住文化にあった日本人にとって、定住地を持たない騎馬民族やロマ人(ジプシー)のような生活を想像するのは難しいことですし、シナ人や南欧人のように簡単に他国に移住する感覚はよく理解できなかったりします。同様に、現代のわたしたちにはその感覚がよく理解できないのですが、海上を生活の基盤とする部族が古代の日本にはいたのでしょう。
確かに安定的(換言すれば平和的)な稲作中心の生活が日本人の文化的方向性を決め、国家統一に寄与し、経済力、軍事力を高めた。それでも水辺に生きる文化を継承した人々にとっては、対馬海峡は裏庭のようなもので、朝鮮半島にその影響力を及ぼしていくようになることは想像に難しくありません。
一般的には、海上に生きる民族(部族)は陸地から追い出された弱小民族とのレッテルが貼られますが、元々海賊であったゲルマン人が世界を制した(大英帝国)ことを考えると、大陸人に匹敵する力を持つことは十分にありえることなのです。

したがって『文化は一方的に大陸からやってきた』というのは先入観にとらわれた硬直した思考であり、歴史的事実、現況との間に矛盾が生じてしまいます。もっとも、この先入観をあえて政治的に利用しようとする者がおり、その典型が小沢氏といえるでしょう。

いつも長文となってしまい申し訳ありませんが、最後に一言。
小沢氏はいつも裏でコソコソ動き回って、たまに表に出てきたと思えばトンデモ知識を披露する。昨今の自称芸人どもよりもよっぽど面白いのですが、笑って済ませられないのがこの男の困ったところです。

  • 投稿者: 月光
  • 2009/12/26(土) 10:28:15
  • [編集]

日本人はどこからもこなかった

日本人の成り立ちは、
日本文化と日本語を持つ民族集団が地球のどこかから、日本列島に渡来し、そのまま現在日本人となったのではなく、

鍾乳洞での石筍が、一滴一滴の雫から長い年月をかけて形成されたように、日本人は日本列島にて長い歴史の積み重ねにより、日本列島にて形成されたというのが事実だと思います。

そういう意味では、日本人はどこからもこなかった。と言えるのではないでしょうか?

日本列島には、旧石器時代(石刃文化、細石刃文化、御子柴文化)から弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、そして現在も人間が流入し続けていますが、
本格的な水田稲作農業の開始と関わりのある人間集団は、その華中文化(土壙墓、鵜飼、高床式住居、刺青、抜歯)との繋がり、
現在日本人のY染色体系統にO2b系統(漢民族はO3系統:日本では殆ど見られない)が高い比率で見られる事から、ご指摘の通り、長江文化人であると考えられます。
(言語面でも日本語は基礎語彙でマレー・ポリネシア語と同じものがあるのも、その為と推定されます)
(尚、日本に渡来した長江文化人は、列島先住者【Y染色体系統がD系統の人々】の言語【文法】を用いたようです)

但し、日本列島の渡来の時期は、炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代がBC1000年頃である事から、戦国時代の開始頃ではなく、正に呉の太白の時代でしょう。

さて、騎馬民族ですが
日向族と並び、日本建国の立役者である出雲族は、その人名(フツ、フツシ、フル)から騎馬民族の系統(モンゴル系)かもしれません。

余談ですが、出雲族の墓と考えられる四隅突出古墳が、宮崎の西都原古墳に一つ有る事からも、日向族と出雲族との間で交流があった事は間違いなさそうです。

  • 投稿者: 平凡太郎
  • 2009/12/26(土) 15:49:03
  • [編集]

みみ さん

>そう簡単に日本海をひょいひょい渡ってこれたんでしょうか?

いえ東シナ海です。

たとえばマレー・ポリネシア系の人々のルーツは中国大陸南部にあったようですが、そこから台湾を経由して東はハワイやトンガ、西はアフリカ東岸のマダガスカルにまで船で到達しました。

古代人の航海術は決して馬鹿にできたものではないと思います。

また、櫂で進む船のほうが遣唐使船のような帆船より有利な場合もあるようです。

>縄文土器を初めてして大陸のものより遙かに古い物が発見されているのはどう説明しますか?

質問の意味がよくわかりませんが、縄文人も航海は得意でした。

あと、私はいつも文化は大陸からやってくるなんてことは一言も言ってませんし、大陸の文化の方がいつも優れているとも言ってません。

まず、みみさんは”人種”と”民族”の区別がついていないと思います。


(^o^)風顛老人爺さん

>チャイナ南部に勢力を張った楚人

楚人は、越人よりも早くから中原の影響を受けていますが、それでも非常に独特の文化を持っていましたね。


通りすがり さん

>ユン・ソナ嬢の「対馬はもともと韓国のものだったが、日本が奪った云々」と言った主張をそのまま垂れ流していた

私もあのシリーズは時間の無駄なので見なくなりましたが、とうとうそんなことまでやりましたか。

”坂の上の雲”もそうですが、NHKにはもう何も期待しません。

>人も文化も稲作も、何もかもが半島起源で、そこ以外のルートは無いという狭隘なプロパガンダによる洗脳はよろしく無いですね。

強く同意します。

タチが悪いのは、過去の歴史への罪悪感からか半島における考古学調査ができなくなることを恐れているのか、日本人学者の中にも韓国人の主張を「ごもっとも」と支持する人がいるんですよね。”半島の騎馬民族に征服されたい願望”とでもいいましょうか。


クマのプータローさん

>日本人と言うには大和朝廷が日本という国号を使ってから、ということになるでしょうか。

”人種”とは”民族”をおさめる器と考えれば、日本民族が成立したのは大和朝廷が全国を統一したころでしょう。

越人や縄文人の人種(血)は引き継ぎましたが、民族(文化)はそのころと変化してしまっています。

>安直な考え方って、どこから出てくるんでしょうかね。

まあ、半島の人々のやることですから。


donnatさん

>いずれにしろ、中国・朝鮮・倭国は複雑な関係であったことは間違いありません。

魏が邪馬台国と外交関係を深めたがったのは、やはり呉と対抗する必要があったからだと私も考えています。

ただ、邪馬台国から大和朝廷へと発展したのか、それとも狗奴国が実は大和朝廷だったのか、このあたりは謎ですね。


月光さん

>宗像といえば古代における日本の海上交通の要衝であり、また、古代宗像族は五木寛之氏の小説にも出てきますように日本における海女文化や水軍の礎を築いた部族といわれています。

日本書紀にも宗像にまつわる話は良く出てきますね。

神武天皇も東征の途上に立ち寄ったのではなかったでしょうか。

また半島南部を平定したといわれる神功皇后も宗像と非常に関係が深いです。

海女や鵜飼といった水の文化も、長江下流域と共通するのではないでしょうか。


平凡太郎さん

>日本文化と日本語を持つ民族集団が地球のどこかから、日本列島に渡来し、そのまま現在日本人となったのではなく...

その通りです。

日本文化のもととなった文化を持つ複数の民族が日本列島にやってきて融合した結果、日本人(日本民族)となったというのが正確でしょう。

>日本列島の渡来の時期は、炭素14年代にもとづく弥生時代の開始年代がBC1000年頃である事から、戦国時代の開始頃ではなく、正に呉の太白の時代でしょう。

私は、炭素14年代法を支持していません。

判定結果の誤差がかなり大きいようで、出土する土器や鉄器との整合性も取れないように思われます。

ちなみに韓国の学者も炭素14年代法を使っていますが、半島の農耕開始がオリエントより早いという結果を発表していたような...(笑)

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2009/12/26(土) 18:28:24
  • [編集]

楚の気風はガッツは素晴らしいです![i:63906]m(_ _)m

拝復、管理人さん
仰る通りです、かなり早くから中原 黄河文明の文化侵略、間接侵略を受け乍も独立独歩の姿勢を最後迄保とうした姿勢は素晴らしいものです今の日本も見習いましょう。

ましてや日本とチャイナの間には海と云う防壁があります、日本は負けません。

日本が二枚腰、三枚腰でしぶとく強かに粘り強く戦い抜けばチャイナの人民元はどうにもこうにも何の裏付けもなく中央銀行を通さずにただただ輪転機で印刷しているだけです、秋葉原、新宿、池袋、銀座で傍若無人に買い物観光三昧しているチャイニーズ観光客の使うキャッシュカードやデビッドカードの尻拭いも日本政府が我等の血税を使い行っている模様です。
即ち
チャイナバブルの繁栄は裏付けのない人民元が
更にバーチャルで米国債を購入しているインチキにインチキを重ねた虚構を世界中の投資家が信じ込んでいるか信じているふりをしているので成り立っている
油上の楼閣ならぬ紙上の楼閣です。それだけです。

中韓を知りすぎた男 さんのブログからの引用です。

閑話休題、話題を戻しますと戦後の左翼一派の捏造に基づいた洗脳教育宣伝によりお人好しの日本人の大多数がなんとなく都市伝説風に

「日本と日本人のルーツはチャイナと朝鮮」

「日本は侵略犯罪国家であり、文化文明の導き手であり本家本元であるチャイナや朝鮮に謝罪し土下座し

償いにお金を、技術を、人手を貢ぎ続けなければならない。
貢ぐのが人として正しく反対や異議を唱える人達は軍国主義に凝り固まった差別大好きの危ない輩である!」、と。
怒りを通り越して大笑いです。(爆)
九割九分根拠無しの大嘘に過ぎませんが信じ込んでしまい狂信的な反日教徒になってしまっている輩は沢山おります。
厄介な事にこの狂信的な反日教徒も選挙権及び被選挙権を持ち、最近 ネットの普及や世代交代により少しずつ影響力を低下させておりますがまだまだその勢力は侮れません。

夏の衆議院選挙の民主党の大勝利はその現れだと痛感しております。

m(_ _)m長文乍乱文にて 敬具

  • 投稿者: (^o^)風顛老人爺
  • 2009/12/27(日) 02:17:35
  • [編集]

私にとっては事実の一部ですが

小沢や在日勢力にとっては煙たいエントリーですね。
でも連中は潮目が変われば簡単に前言を撤回するので挫けず弛まず素晴らしい言論活動の継続を御願いします。

  • 投稿者: 火天大有
  • 2009/12/27(日) 21:37:12
  • [編集]

(^o^)風顛老人爺 さん

>日本が二枚腰、三枚腰でしぶとく強かに粘り強く戦い抜けば

これが今の日本にもっとも求められるものです。

ただ日本人は淡白なせいか、ネットの保守派の一部に「どうせ何をやっても無駄なんだよ」という厭戦気分というか虚無主義みたいなムードが漂っているのが非常に気になります。

あるいはわざと虚無主義を流行らそうとする工作なのかもしれませんが。


火天大有さん

>挫けず弛まず素晴らしい言論活動の継続を御願いします

ありがとうございます。

あきらめた瞬間が負けですので、できるかぎりのことはやっていこうと思っています。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2009/12/29(火) 01:15:53
  • [編集]

ネバーギブアップであります。m(_ _)m

拝復、管理人さん
ネバーギブアップであります。
台風地震などの天変地異の後の復興には淡白な性分は長所であります。

さり乍、軍学者である兵頭二十八氏の説く半永久闘争である
周辺国
チャイナ
朝鮮半島
台湾
ロシア及び敵対国敵対勢力との宣伝戦
情報戦
においては淡白な性分は短所となります。

反日活動に奔走する鳩山由紀夫民主党政権の成立と同時に
復活し跳梁跋扈し
ウィルス顔負けに蔓延する反日左翼のしぶとい強かさ粘り強さは逆説的に見習うべきです。
日本の自称
(爆)インテリ層
特に法律家に根強い左翼信仰は思想心情ではなく「 反日カルト教 」と認識しております。
閑話休題、管理人さんに御教示頂いた高信頼国家、勢力に対比する低信頼国家、勢力をネット上
現実空間を問わずに愛用させて頂いております至言であります。

日本に力を
日本が共にあらん事を。

m(_ _)m乱文にて 敬具

  • 投稿者: (^o^)風顛老人爺
  • 2010/01/01(金) 05:46:40
  • [編集]

(^o^)風顛老人爺 さん

>ウィルス顔負けに蔓延する反日左翼のしぶとい強かさ粘り強さは逆説的に見習うべきです。

同感です。

左翼に何か学ぶところがあるとすれば、たとえ子供だましのような妄言であっても、キモイぐらいの粘着質でしつこくしつこく言い続けるところでしょう。

幸い私はアッサリ淡白なしょう油系ではなく、ねっとりとくどいソース系の性格なのであまり苦になりません(笑)

本年もどうぞよろしくお願い致します。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2010/01/03(日) 15:04:17
  • [編集]

82 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2010/12/18(土) 00:32:09 0
あのさ、遺伝子調査ってのが何年か前にされててだな、沖縄と中国含む周辺は明確に異なる人種と証明されてるからな。

反面、アイヌ・マタギ含む日本本土と沖縄の人の遺伝子はは酷似しているから、、沖縄南方説とか日本人半島説とか無責任に言うなよ!


83 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2010/12/18(土) 00:37:02 0
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/920/15/N000/000/000/nihonjinxmap.jpg

ソースな。 google画像検索「日本人はどこから来たか」すれ。

  • 投稿者: ggg
  • 2010/12/18(土) 00:43:03
  • [編集]

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