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日の丸・君が代について考える(その1)

  • 2005/04/02(土) 15:51:44

 外交などの国際的でフォーマルな舞台で欠かせないのが国旗・国歌であるが、毎年卒業式のシーズンになると教師や生徒による日の丸ひきずりおろし事件や、君が代演奏拒否、起立拒否事件などが新聞をにぎわせる。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050331-00000228-mailo-l34


そこで今回は外交からちょっと離れて、日の丸・君が代と国旗・国歌について考えてみる。

 日の丸・君が代がからんだ前述の事件の是非を結論から言えば、問題があるのはたいてい教師達の方である。

確かに日の丸・君が代を自分の国の国旗・国歌として認めるかどうかは各人の自由である。 だから「日の丸は国旗ではない」と考える人は心の中でそう思っていればよいし、「君が代を認めない」という人は歌わなければよいだけの話だ。

 しかし、この教師達が問題なのは、国旗・国歌を侮辱したり、君が代を歌わせないよう周囲の人に強要するという点にある。

つまり彼らは日の丸・君が代を国旗・国歌として認め、尊重している人達の心を傷つけ、君が代を歌いたいという人の権利を著しく侵害しているということだ。

たとえば君が代の演奏を拒否する音楽教師が必ずといって良いほど出てくるが、その音楽教師が演奏しなければ君が代を歌いたい人が声を揃えて歌えない。

(「君が代を歌いたい人なんてゼロに決まっている」という見苦しい言い訳は単なる問題のスリカエである。)

とりあえず君が代を演奏して、歌いたい人は歌えば良いし、歌いたくない人は黙っているというのが健全な民主主義である。

しかし、この音楽教師が君が代を歌うかどうかは本人の自由にしても、歌いたい人の自由まで奪うのはファシズムであって教師にそんな権利は無い。

そもそも公立学校の音楽教師は、生徒に国歌を教えるのも重要な仕事のひとつとして市民の税金で養われているのであって、そんなに君が代の演奏がイヤなら、国歌を演奏せずに済む私立学校でもみつけるか、他の職業につくべきである。

たとえるなら鉄道会社の運転士募集広告に応募しておいて、「電車を運転させられたから謝罪と賠償を要求する」とわめくようなものだろう。
お門違いもはなはだしい。

 また日の丸をひきずりおろしたり、破って火をつけたり、君が代の演奏中に起立しなかったりして、国旗・国歌に対して敬意を表さないどころか、侮辱するような行為をはたらく教師も過去に存在したが断じて許されないことだ。

たとえば外国の国旗が掲揚され・国歌が演奏されていたとする。
この教師達の論理からすれば、「自分の国の国旗・国歌ではないから、旗をひきずりおろして火をつけたり、起立を拒否して侮辱してもよい」ということになってしまう。

このような馬鹿げた考え方が許されるはずが無い。

日の丸・君が代についてもこれは同じで、少なからぬ人が日の丸・君が代を大切に思い敬意を表している以上、(サッカーW杯予選の埼玉スタジアムの多くの日の丸、スタジアム全体による君が代合唱を見た方も多いと思う)日の丸を認めないと心の中で思い、君が代を歌わずとも良いから、黙って起立し国旗・国歌に敬意を表するというのが健全な民主主義である。

たとえ教師であっても日の丸・君が代を侮辱して、他人に不愉快な思いをさせる権利までは無い。

これはなにも日の丸、君が代にかぎらない。
どこの国の国旗が掲揚されようと国歌が演奏されようと、起立しつつ静粛にして敬意を表するというのは国際マナー・国際常識である。

 こういう事件をおこす教師達に共通するのは「自分たちは絶対正義だからどんな非人道的な事をしても許される」といった傲慢な姿勢である。

だから他人の自由や権利を侵害し、侮辱行為で人権を損なうようなことをして平気な顔をしているのであろう。

自分の自由・権利だけを主張して、他人の人権を傷つけても何とも思わないような連中、国際化がすすむこの時代に、基本的な国際マナーさえ身についていないような連中が、子供の教育という重責をになっているのかと考えると空恐ろしくなってくる。

教師というのは知識人層であると思っていたが、こういう事件を耳目にするたびに、日本の知識人層の劣化と退廃を感じずにはおられない。

つづく

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52名の教師が処分を受ける

  日本52名教?唱?国主?歌曲?未起立遭到?分 (日本で52名の教師が軍国主義の歌の際に起立

  • From: うねり |
  • 2005/04/02(土) 19:28:40

この記事に対するコメント

>どこの国の国旗が掲揚されようと国歌が演奏されようと、起立しつつ静粛にして敬意を表するというのは国際マナー・国際常識である。

いいですねぇ。これらの教師が常識知らず、ということですね。こんな教師に何を教えてもらえるのでしょうか。

  • 投稿者: wowow
  • 2005/04/02(土) 19:15:35
  • [編集]

なるほど

>確かに日の丸・君が代を自分の国の国旗・国歌として認めるかどうかは各人の自由である。 だから「日の丸は国旗ではない」と考える人は心の中でそう思っていればよいし、「君が代を認めない」という人は歌わなければよいだけの話だ。

そうですね。まったくです。だから私は起立しないし。歌いませんもん。だれからも強要されるべきことではないですから。
歌いたいときに歌う。歌いたくないときは歌わない。民主主義国家ですから当然の権利ですね。

>日の丸・君が代がからんだ前述の事件の是非を結論から言えば、問題があるのはたいてい教師達の方である。

そうなんですか。これは知らなかった。私は教育現場とは程遠い暮らしをしているので知りませんでした。
強制的に歌うなというのはひどいですねぇ。
何か軍国主義的なものを感じて、こういう行動をとるのでしょうが、それは価値観の押し付けというものです。歌いたくないのなら自分が歌わなければいいだけなのに…。

でも東京都知事が、教師は起立しないと罰則みたいなこと言ってませんでしたっけ?
これも同じくおかしいですよねぇ。違ってたら御免なさい。

  • 投稿者: eclipse
  • 2005/04/06(水) 13:45:36
  • [編集]

はじめましてeclipseさん

>だから私は起立しないし。

>でも東京都知事が、教師は起立しないと罰則みたいなこと言ってませんでしたっけ?

もちろん歌う・歌わないは自由ですけれども本文に書いたとおり、

>これはなにも日の丸、君が代にかぎらない。  どこの国の国旗が掲揚されようと国歌が演奏されようと、起立しつつ静粛にして敬意を表するというのは国際マナー・国際常識である。

のですから

>日の丸を認めないと心の中で思い、君が代を歌わずとも良いから、黙って起立し国旗・国歌に敬意を表するというのが健全な民主主義である。

だと思います。

ですから君が代の演奏中は、少なくとも起立すべきですし、処罰をあたえるかどうかはともかく石原都知事のおっしゃることは間違ってはいないのではないでしょうか。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2005/04/06(水) 19:31:13
  • [編集]

マナーですか

ちょっとぶしつけなコメントでしたかね。失礼致しました。

起立はマナーに含まれると書いてあったということは見落としていました。

まあ、たしかにマナーではあるのですが、マナーとはそれ相応の敬意を払う人に対して行うものだと信じております。
ですので敬意を払う必要がない人に対してマナーどうこうという話はおかしいのではないですか。
ちなみに敬意を払うかどうかは世間体ではなく主観によるものだと思っています。
もちろんそれで世の中うまくわたれないことは十分承知の上です。

ちなみに私、日の丸を国旗だと思ってますし、君が代を国歌だと思ってますよ。
でもそのことを国や社会に強制されるべき類のものではないと思っているだけです。
純粋に歌いたい、敬意を表したいと思ったときにだけそうしています。

>ですから君が代の演奏中は、少なくとも起立すべきですし、処罰をあたえるかどうかはともかく石原都知事のおっしゃることは間違ってはいないのではないでしょうか

マナーに反すると処罰されるのですか?
それも学校ではなくて、都に。都にそこまでの権限があるとは知りませんでした。
いつから日本には主義思想の自由が侵される国になったのでしょうか?

なんか喧嘩腰な文章になってしまいました。別にその気はないです。イライラさせたのなら御免なさい。

ただ歌う自由を侵してはいけないのと同じように歌う自由も侵してはいけないものだと思っています。

  • 投稿者: eclipse
  • 2005/04/06(水) 22:22:41
  • [編集]

>ただ歌う自由を侵してはいけないのと同じように歌う自由も侵してはいけないものだと思っています。

間違えました。

…と同じように歌わない自由も侵してはいけないものだと思っています。

です。

  • 投稿者: eclipse
  • 2005/04/06(水) 22:26:44
  • [編集]

マナーです

 まず、わたしは別に怒ってはいないということをお断りしておきます。

 もう1度本文をよくお読みいただきたいですが、私が言っているのは、国民には「君が代を歌う」か「歌わない」かの自由があるということです。

しかしあなたが求めている事は、「君が代を歌う」か、それとも「君が代を侮辱する」かです。

あなたには「君が代を歌わない自由」はあるが「侮辱する自由」までは無いと申し上げているのです。

国歌が演奏されている時に起立しないのは侮辱行為にあたります。

 たとえば韓国の国歌を演奏している時、あなたが起立しなければ韓国人の心を傷つけ、侮辱することになります。

あなたが主観的に起立の必要はないと考えたとしても、韓国人を傷つけ侮辱することに結果としてなっているのです。

あなたにそこまでやる権利がありますでしょうか? 

ちなみにタイやケニアでは国歌の演奏中に起立しなければ、たとえ外国人でも逮捕されます。

そしてあなたのように起立しない日本人が現地で逮捕され、日本大使館の人が助けに行ったという恥ずかしい事件もありました。

国歌の演奏中に起立するのは国際常識です。 それを知らないのは国際人として通用しないでしょう。

 くりかえしますが、起立するのはマナーです。起立した後、歌うか歌わないかは本人の自由だとは思いますが。

>マナーに反すると処罰されるのですか?

あなたがネットで誰かを侮辱すれば、名誉毀損で訴えられ、裁判で負ければ処罰されます。 それと同じことです。

国旗や国歌を侮辱すれば本来は処罰されます。タイやケニアのように。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2005/04/06(水) 23:43:49
  • [編集]

なるほど、丁寧に解説いただきありがとうございます。

たしかに、何かを信じている人や尊敬している人に対し、その対象を侮辱するような行動は慎むべきですね。

国歌斉唱や国旗掲揚が行われる場に積極的に赴いて、その上でわざわざマナーに反することを行うのは確かに侮辱なのかもしれないです。ただこの程度の消極的な行為で侮辱罪が適用されるといささか厳しいとは思いますが。まあ、そのように考える方が多いということは理解しておきます。

しかし卒業式の場は積極的に赴いているわけではないですよね。卒業するためには出なくてはならない式ですし、国歌を歌いたくなくても出なくては思い出も作れません。
そこで国歌を歌いたくないという意思表示をしたところで侮辱に当たるのですか。起立しない人は歌っている人を侮辱しているのではなく、歌いたくないだけです。それではすこし度量が狭くないでしょうか。
(嫌ならば私立に行けばいいとありますが、金銭的に公立に頼らざるを得ない事情もあると思います。)

私は反対意見を提示することが侮辱に当たるとは露ほども思っていませんし、この国では自分の信念を表明することを禁止した法律はないと認識しております。

>国旗や国歌を侮辱すれば本来は処罰されます。タイやケニアのように。

本来というのは、何に基づいているのですか?ここはタイやケニアではないと思います。日本の法律でそのように定められていましたでしょうか。勉強不足で申し訳ないのですが。

>あなたがネットで誰かを侮辱すれば、名誉毀損で訴えられ、裁判で負ければ処罰されます。 それと同じことです。

侮辱に当たればの話ですよね。
おそばをフォークで食べるのはマナー違反ですが、処罰はされないと認識しております。

それに、国歌を聞いたり、国旗をみたりしただけで不快に感じる人もいると思います。その人たちへの配慮はないのですか?その人たちへは侮辱に近いものなのかもしれませんよ。

まあ、このくらいにしましょう。
私は貴方を侮辱するつもりは毛頭ありません。あなたの信ずるものを汚したのならば謝ります。申し訳ありませんでした。

私はこの手の文章を拝見するときに、やたら感情的になっているように見受けられる文章が多いのが気になっていたのです。
ですが貴方の文章は、冷静で相手の立場を思いやれていると感じたのでむしろ敬意を持ってコメントしたつもりです。
しかし私が思っているつもりなだけで貴方を侮辱してしまったのなら本当に申し訳ないと思います。

貴方が何を信じ、どう行動するかは貴方の自由です。でも同時にそれは私の自由でもあります。

何か議論が平行線をたどりそうな気配なのでこれ以上はコメントしないつもりです。
私達が同じ考えを持つ必要はないわけですから、もう議論の意味はないと思うのです。
ご迷惑をおかけしました。
願わくば、私のこのアンチテーゼを一つの意見として真摯に受けてとめていただければ幸いです。

最後に、荒らしみたいに思われるの嫌なんで私のコメントは削除してくださって結構です。

それと一方的に終わらせるのもアレなんで、私に何かあれば、コメントに載せてください。誠意を持って拝見させていただきます。

  • 投稿者: eclipse
  • 2005/04/07(木) 00:42:58
  • [編集]

平行線の理由

 もちろんいろんな意見があってもよいと思いますし統一する必要もないでしょう。
別に私は議論を続けてもかまいませんよ。このブログのポリシーは「さまざまな価値観があってよい」ですから。(サイトポリシーをご覧下さい。)

ただ、私と意見が平行線になって、かみあわない理由は、eclipseさんが「国歌を歌わないという行為」と「国歌を侮辱するという行為」の 区別が出来ていないからだと思います。

あなたは「国歌を歌わないという行為」と「起立しないという行為」を絶対切り離せないセットとお考えのようですが、そこが最大の問題なのです。

私が言っているのは、「国歌を歌わないという行為」は本人の自由だが、「起立しないという行為」は人を傷つけ侮辱する行為であるから止めるべきだと言っているわけです。

どうして「国歌を歌わないという行為」と「起立しないという行為」が切り離せないのですか?

eclipse さんは、起立すると自動的に口が君が代を歌ってしまうようにできているのですか?

 思想の自由の観点から、私は国歌を「歌う」か「歌わない」かにかかわらず、起立すれば問題ないとくり返しくり返し言っています。

しかしたとえ君が代を歌ったとしても座ったままであるならば侮辱行為にあたるのではないかと考えています。

 くりかえしますが、「国歌を歌わないという行為」と「起立しないという行為」は決してイコールではありません。

「国歌を歌わないこと」では誰も侮辱はしないでしょうが、「起立しないということ」は誰かを侮辱するということなのです。

誰かを侮辱するという行為は法律で禁止されているからやめるのではなく、相手を思いやって、自発的に止めるべきではないのですか?

ちなみにタイではほぼ毎日、朝8時・正午・夕方6時の三回国歌が流されます。

そのときは道路を歩いている人も、立ち止まって直立不動の姿勢で国歌を聞きます。

このとき歌わなくてもおそらく逮捕はされないでしょうが、座っていたり、寝転んだままのところをタイ警察にみつかればおそらく逮捕されるでしょう。

>本来というのは、何に基づいているのですか?

本来というのは、誰かを侮辱してはならないという基本的人権からです。

日本に生まれても、タイやケニアに生まれても人は平等ではないのですか?

タイやケニアでは守られている基本的人権は日本では守られなくとも良いとおっしゃるのでしょうか?

>おそばをフォークで食べるのはマナー違反ですが、処罰はされないと認識しております。

あたりまえです。おそばをフォークで食べても誰かを傷つけたり侮辱することにはならないでしょう。

しかし国旗・国歌を侮辱すれば、誰かが傷つきます。

>それに、国歌を聞いたり、国旗をみたりしただけで不快に感じる人もいると思います。その人たちへの配慮はないのですか?

国旗を見ないように目線をそらす、国歌が聞こえない様に耳をふさぐなりしたらどうでしょう?

それでも納得できないなら国旗や国歌を廃止する運動でもしたらよいでしょう。そういった意見が多数派になれば変更されるでしょうし。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2005/04/07(木) 23:47:42
  • [編集]

ではお言葉に甘えて

議論を続けてもかまわないとのことですので、またコメントさせていただきます。節操なくてすみません。

>あなたは「国歌を歌わないという行為」と「起立しないという行為」を絶対切り離せないセットとお考えのようですが、そこが最大の問題なのです。

そうですね。この辺りの認識が納得いかない原因のようです。

私は起立すると歌いだす人形じゃないので、クロフネさんの言う起立して歌わなければ…ということは実行可能です。起立しないという行為がそんなに侮辱と感じるならば、今後、そう(起立)していこうと考えています。

ですが、逆に聞きたいのですが、どうして起立しないことがそんなに侮辱されたと感じるのでしょう。私の感覚ではあまり分からないので解説をお願いします。

ちなみに私はサッカーが結構好きで試合も良く見ます。クロフネさんもサッカー御覧になるようなのでウェーブわかりますよね。ウェーブはみんなそろってやるときれいなのでできればみんなそろってやりたいところです。でもそれを面倒と感じてやらない人もいるわけです。私はそれを侮辱とは感じませんし、それはそれで一向に構わないと思います。

ウェーブと国家斉唱では重みが全然違うので比較にならないでしょうが、私の頭の中ではそのような感覚です。マスゲームじゃないんだからみんながそろう必要もないだろうぐらいの気持ちです。

起立したくないのは、歌いたくないのに立つのは疲れるし、自分は歌いたくないぞと少し意思表示をしたいだけです。そのことがそんなに侮辱行為にあたるという認識が私にはありません。

なぜそこまで譲れないものなのか教えてください。たとえば国旗を踏みにじるとか、直接罵倒するなどは頭にきて当然ですし、私でもすこし嫌な気分になります。そのくらいのことなら分かるのですが…。歌いたくないというささやかな意思表示が、なぜそこまで侮辱されたと感じるのですか?

>誰かを侮辱するという行為は法律で禁止されているからやめるのではなく、相手を思いやって、自発的に止めるべきではないのですか?

そうですね。そうあるべきだと私も思います。なんでもかんでも法律では堅苦しいですかね。私が法律を持ち出したのは、そこでは侮辱罪だとの話があったからです。それはその国の文化ではあるけど日本では違うのではないかと思ったわけです。ところが日本でもそれは侮辱だとのことなのでお聞きしている次第です。

問題は、私の側に侮辱しているという認識がないということです。意識して侮辱しているのなら批判されて当然のことだと私も思います。

この辺りの判断は難しいものだと思います。おそばをフォークで食べるのはマナー違反ではあるけど侮辱ではない。とおっしゃりますが、おそばを商売にしている職人さんの中には、そばという文化に誇りを持っている方もいます。この手の職人さんの中にはそれを侮辱だと感じる方もいるでしょう。それが外国の方で侮辱しているつもりがなくてもです。

>国旗を見ないように目線をそらす、国歌が聞こえない様に耳をふさぐなりしたらどうでしょう?

これも納得いきません。片や起立しないということでこれだけの反応をなさるのに、国歌を不快だと感じる方への配慮には乏しすぎませんか。

繰り返しますが、好き好んで国歌を歌いに行っているわけではなく、仕方なしにそういう場面に遭遇した場合の話をしているのです。

国歌を不快に感じる方というのは、なんらかの原因により国歌を嫌な記憶とセットにして考えてしまっているのだと思うのです。国歌の真の意味とか、その成り立ちというのは、彼らには全く意味を成さないと思います。個人的な体験から不快だと感じているだけでしょうから。

個人的な体験まで考慮できるか、という気持ちももっともなのですが、それが戦争とそれにまつわる記憶となると、それを引き起こしてしまった国の者としては少し気が引けます。

クロフネさんはどうお考えですか?

>それでも納得できないなら国旗や国歌を廃止する運動でもしたらよいでしょう。

これも一応。そういった方はマイノリティなのではないですか。ですから当然無理でしょう。
私としては廃止運動までされると、何もソコまでしなくてもと思います。

ただマイノリティの意見だからといって「却下」では成熟した社会とは言えないと思います。最終的には多数決優先です。それが民主主義だと思います。ですが、社会が許容しうる範囲でマイノリティの意見を尊重していくことが私の考える理想です。

社会が許容できる範囲が、個人差があるところで難しいのですが、これはなるべく話し合いで溝を埋めていければとよいのではと考えます。

繰り返しになってしまいますが、私にはクロフネさんの譲れない範囲が分かっていません。これは貴方のページを隅々まで見れば分かることなのかもしれませんが、そこまで時間がありません。ここで簡単にでかまいませんのでご教示お願いします。

またクロフネさんの思う譲れない範囲もまた唯一普遍の真理ではないということは理解いただけると思います。
考え方の違う人間は一杯います。その中で何処まで譲れて、何処からが譲れないのか人によって様々です。この辺りを話し合いでお互いを知ることによって落しどころを探るのが社会人のコミュニケーションだと思っています。

コメントなのに長いですね。すみません。

  • 投稿者: eclipse
  • 2005/04/08(金) 20:29:21
  • [編集]

>ではお言葉に甘えて

>どうして起立しないことがそんなに侮辱されたと感じるのでしょう。

国歌が演奏され国旗が掲揚されているときに失礼にならないようにするには、起立をするのが必要不可欠であるというのが世界共通の儀礼であるからです。

同じように誰かに握手を求められたら、握手をしかえすのが世界共通の儀礼ですよね。手が疲れるからといって握手を拒否すれば相手を侮辱し、自分は相手に敵意を持っているという意思表示になります。

ですから相手に敬意を表し、失礼にならないようにするためには握手を拒否する自由はありません。
 
 以前にも言いましたが、人間には自由があります。しかしそれは無制限ではありません。
選択肢AとBを選ぶ自由はあっても、Cを選んだとき誰かを傷つけるのであればCを選択する自由はありません。

 国歌が演奏されるとき、
A 起立して歌う   個人の自由で問題なし
B 起立して歌わない 上と同じ
C 座ったままで歌わない 侮辱行為であり許されない
D 座ったままで歌う 侮辱行為と誤解されうる 望ましくない

原爆犠牲者のために起立と黙祷を求められた
A 起立して目をつぶる 個人の自由で問題なし
B 起立して目をつぶらない 同上
C 座ったままで目をつぶらない 犠牲者を冒涜 許されない
D 座ったままで目をつぶる 侮辱行為と誤解されうる 望ましくない

外国人から握手を求められたので相手に敬意を表したい
A ウエルカムと言いながら握手する 個人の自由で問題なし
B 黙って握手する 同上
C 握手を拒否する 侮辱行為であり許されない

道のむこうから知らない人がきた
A あいさつする 個人の自由で問題なし
B 黙ったまますれ違う 同上
C 「バーカ」と悪態をつく 侮辱行為であり許されない

国歌演奏の例で、国際儀礼の範囲内での選択の自由が許されるのは(クロフネの許容範囲も)AかBです。

しかしあなたが求めている自由はAかCの二択であるので許されないと繰り返し言っているのです。どうしてAかBかで満足できないのですか?

>起立したくないのは、歌いたくないのに立つのは疲れるし、自分は歌いたくないぞと少し意思表示をしたいだけです。

歌いたくないと意思表示したいのなら「歌わないという行動」の選択だけでなぜ充分ではないのですか?

「歌わない」ことを求めるのは正当防衛でしょうが、それプラス「起立しないこと」まで要求するのは、「歌わない自由」の過剰防衛でしょう。

たとえるなら、自分に生きる権利があることをアピールするために他人を殺すことを要求するようなものです。
生きる権利をアピールするのに「自分が生きること」だけで充分ではないですか?その人に他人の命を奪う権利がありますか?

「起立しないことで自分は歌いたくないぞと少し意思表示をしたい」「歌いたくないというささやかな意思表示」
これが問題の核心です。

ここには「自分には国歌を歌わない自由がありそれは絶対正義であるはずだ。だからこれぐらいの意思表示は許されるだろう」というある種の甘えがあり、その甘えが侮辱行為を「疲れるから」「少し」「ささやか」という言い訳をつけて正当化しているのではないですか。

ですから>私の側に侮辱しているという認識がない ということがおこるのではないでしょうか。このことにお気づきになれないのならおそらく私が何万回説明してもダメでしょう。

 民主主議論は本題ではないのでさらっとやりますが、あなたの民主主議論にはほぼ賛成です。
ただ少数派の意見を聞くことも大事ですが民主主義の根本原理は「多数派の意見は少数派より常に正しい」です。
究極的には、民主主義社会が妥協不可能な二つの意見のうちどちらかの選択を迫られれば、少数派の意見はバッサリきられます。

このとき多数派の意見が無視され、少数派の意見が採用される社会を一般にファシズム・全体主義・独裁主義といいます。

 現在の日本の国旗・国歌が不快・納得いかないとなればやはり、変更運動なり廃止運動なりやるべきだと思います。もしその意見が正しいのであればその意見が多数派となって変更なり廃止なりされるでしょう。

>私にはクロフネさんの譲れない範囲が分かっていません。
これは貴方のページを隅々まで見れば分かることなのかもしれませんが、そこまで時間がありません。

これはちょっとひどくないですか。
まず、譲れない範囲は繰り返し述べています。この投稿を読んだ後、最初の投稿から読み直してください。

私だってブログを更新する少ない貴重な時間をさいてあなたに対応しているのです。まずあなたの最初の投稿じたい、私の記事を最後までよく読んでいないようにみえますね。

君が代・日の丸についての私の意見は、あなたがコメントをつけた時事コラム、君が代・日の丸について考える(その1~4)にすでに書いてあります。

私の記事を最低限読んでから質問するのが礼儀ではないのですか。ここは子供電話相談室ではありません。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2005/04/09(土) 22:21:59
  • [編集]

一言だけ

横から失礼します。
クロフネさんとeclipseさんの議論に加わるつもりはありません。
別の角度から一言だけ。

お二人の議論の土俵を限定してはどうでしょうか。
蕎麦をフォークで食べることやサッカー場でのウェーブなどは、「強制力のない」文化的作法や習慣に従うかの問題であり、議論を広げ過ぎです。個人の趣味の領域です。

議論を「強制力のある」ルールと自由の問題に絞ってみてはどうでしょうか。

議論は、日本で国旗や国歌に対して起立を「強制」することは是か非かが主題だと思います。
①国旗や国歌に対して起立することは、ルールと認められるか。
②それを強制することは、個人の自由を奪うことになるのか。

自由と民主主義(多数決の原理)をどこで折り合いをつけるかは難しい問題ですね。

多数派が少数派の自由(人権)を押さえ付けることも横暴ならば、少数派がワガママを主張して多数派のルール(法律)を破るのも無茶苦茶です。
何でも自由と言ってしまえば、全てのルールは崩壊します。論議は、多数決によっても奪えない自由の領域か否かにあります。

最後に、フランス人の自由の考え方について、作家「なだ・いなだ」のエッセーの要旨を書いておきます。

あるフランス人のオヤジが横断禁止の道路を毎日のように渡っては警察官から罰金を取られている姿を見て、不思議に思ってその理由を聞いたら、
そのフランス人のオヤジは、次のように答えたそうです。
「オレはガキの頃から、この道路を何十年も横断している。
しかし、それが最近になって禁止された。
不便なんだよ、回り道は。
だから、オレは罰金を払っても道路を横断する。」

そのフランス人は民主主義に従うが、自由主義も守る。その折り合いが罰金を払うという行為です。

お二人の心温まる議論を期待します。

  • 投稿者: trip
  • 2005/04/10(日) 00:06:27
  • [編集]

クロフネさん。回答ありがとうございます。

まず一言、謝らせてください。

>私だってブログを更新する少ない貴重な時間をさいてあなたに対応しているのです。

いや、全くそのとおりです。私の最初の投稿も、この(その1)しか読んでないものでのコメントです。
クロフネさんの記事を、一瞥しただけでえらそうにコメントして、あまつさえ説明してくれというのは横柄そのものです。申し訳ありません。
もう少しじっくり読んで、しっかりとしたコメントをできるように心がけます。

ただこのまま終わってしまうのでは、せっかくの議論がもったいないので、この話題だけに絞って、今しばらく続けさせてください。

>同じように誰かに握手を求められたら、握手をしかえすのが世界共通の儀礼ですよね。

そうだと思います。
クロフネさんの言うとおり、ここで握手を拒否すれば相手は嫌な気持ちを抱くでしょう。

ですが、まさにこの部分です。

私は握手を拒否されれば、嫌な感じはしますが、侮辱されたとまで強い嫌悪感は感じません。

そういう方なのかと、それでおしまいです。握手を拒否する人と仲良くしようとまで思いませんが、糾弾しようとも思いません。

なので、なんかモヤモヤするのです。
それが私の感覚です。それは理解してください。

ただこの件に関して言えば、tripさんの言うとおりでしょう。

>議論は、日本で国旗や国歌に対して起立を「強制」することは是か非かが主題だと思います。
①国旗や国歌に対して起立することは、ルールと認められるか。
②それを強制することは、個人の自由を奪うことになるのか。

起立することが明文化されたルールかどうかまでは知りませんが、明文化されているなら当然従います。違法ですから。明文化されていなくても、許容できないほどの屈辱感を与えるということでしたら、今後控えていきますし、起立しない人を見かけたら、そう注意します。

ですから許容できない範囲なのかを聞いたつもりなんですが、許容できないとの回答だと思ってよいですか?

できれば許容できない理由を、私のような立場の人間にもわかるように指摘して欲しいと思っていたのですが、「世界共通の儀礼」と言われてもちょっと分かりません。それは握手の例での私の感覚があのようなものだからです。どれほど辛いことなのか、申し訳ないですけど分からないようです。

ですが、許容できないほど辛いとのことですので、今後は控えていきたいと思います。

私の最初の投稿で、石原都知事の話を持ち出しましたが、これはtripさんが指摘したところで私が納得いっていないから、おかしいんじゃないかと思って声を出しました。

起立することをルールとすべきか。それを規制しなくてはいけないほどの屈辱行為なのかということです。

石原都知事やクロフネさんは、ルールとして明文化すべきだとお考えなのでしょう。

ですが、私は規制するほどのことだとは考えません。それは散々、書いてきた私の感覚に基づくものです。

人間ですので、怒ったら悪態もつきます。ムスッとした態度もとると思います。悪態をつくのがひどすぎれば侮辱罪に該当するでしょう。でも、悪態をついたら駄目というルールを作ったら窮屈すぎるのではないかと思っているわけです。

この東京都の規制で特に納得がいっていないのは、都民の前でオープンな議論がなかったのに、あっという間にこの規制が決まったことです。(あったのかも知れませんが、私は決まった後、ニュースで知りました)

もちろん都には規制を作る権利があり、議会も通っているのでしょうが、反対意見を言う場もなく決まってしまったことが不満です。

議員は都民が選んでいるのですから、それが都民の声だとなるのかもしれませんが、何も議員の選挙はこのテーマだけを取り上げて行われているものではありません。総合的に判断した結果です。

次の都議会選挙があれば、この規制を撤廃してくれそうな議員に一票入れたいところです。

実際は私は東京都民ではありませんので、それは無理なわけですが…。

私は規制の対象ではないわけですし。こんなに騒ぐのもおかしな話なのですが、それは都民の無関心が許せないからです。

国政にしてもそうですが、自分達の生活です。しっかりと議論をし、国民全体がその議論を注視して政治を行ってもらいたいものです。

その結果として決まったことであるならば、当然受け入れていきます。どうしても許容できないことが日本国の法律で決まったのであれば、仕方ありません、日本を出たいと思います。そうするのが筋だと思いますので。

都民の無関心に関して言えば、クロフネさんのせいでも、石原都知事のせいでもありません。当然ですが。

そのことを文句言っているのではなく、納得いかないことがあるのならば声をあげて議論するべきだとの思いから、こうやってコメントしているのです。

ですからこの議論を少しでも多くの人が御覧になって関心を持ってくれると嬉しいです。

最後にtripさんへ

冷静中立なコメントありがとうございます。「なだ・いなだ」のエッセー、ためになります。
私もそうありたいものです。

  • 投稿者: eclipse
  • 2005/04/10(日) 14:25:23
  • [編集]

>まず一言、謝らせてください。

わかりました。以後不問にして議論を続けましょう。

>ですから許容できない範囲なのかを聞いたつもりなんですが、許容できないとの回答だと思ってよいですか?

これについては前回の投稿に書きました。十回深呼吸して心を落ち着けてからもう十回ぐらい読み直してはいかがでしょう?

国歌が演奏されるとき、
A 起立して歌う→個人の自由で問題なし
B 起立して歌わない→上と同じ
C 座ったままで歌わない→侮辱行為であり許されない
D 座ったままで歌う→侮辱行為と誤解されうるので望ましくない

私の選択の自由としての許容範囲は、A~BまででありC~Dは許されない範囲と考えると書いてあります。(別の例題でも同じ。)あなたはご自分の主観から「Cでもいいじゃない」と当初のコメントでおっしゃったので私の意見と食い違いが出たのでしょう。


なぜ起立しないことが許容できないかと言えば、それが”世界の多数派の人が支持している慣習的なルール”であるからです。

なぜ起立するようになったかその起源はしりません。(あなたも調べてください)しかし、座ったり、寝転んだりして楽な姿勢のままでは国歌・国旗に敬意を表しているのかどうかわからないでしょう。 

だから立つという少し疲れる行動を起こすことによって座る・寝転ぶとは違いをきわだたせ、敬意を表明するようになったのだろうと推測します。

握手の起源は自分の利き手に武器を持っていないことを証明することで相手に敵意を持っていないことをあらわすためと言われております。

あなたが握手を拒否されても「たいしたことない」と思うのは自由ですし尊重しますが、世界の大多数の人が握手をあなたに求め、あなたがそれを拒否したら、世界の大多数の人は不快に思うという事実が無くなるわけではありません。

たとえあなたが他人から顔につばをかけられることに快感をおぼえたとしても、世界の大多数の人にとっては不快きわまりない行動であること、そしてあなたが他人の顔につばをはいても、その行為が正当化できるわけではないということです。

 もし世界の大多数の人が国歌演奏時に座って歌うということを慣習的に正しいとすれば、そうなるでしょうし、私も尊重して起立するかは問いません。

問題は世界の多数派の価値観であるかないかでしょう。「地球という名の郷にいらば郷に従え」だと思います。

こうしたことを法制化するかどうかですが、これも以前述べたとおりです。

>誰かを侮辱するという行為は法律で禁止されているからやめるのではなく、相手を思いやって、自発的に止めるべきではないのですか?

「国歌の演奏中に起立しないのは他人を傷つける行為であるというのは世界常識だ」として子供に教えて理解させ、自発的にやるようになるのが本来です。

しかし起立しないことがさも「カッコイイこと」であるかのように言うコマッタチャンの大人がいるのが日本です。

もし自発的に侮辱行為をやめられないのであれば法制化も手段のひとつでしょう。

これを実行した東京都が正しかったかどうかは次回の選挙で有権者の多数派が判断を下すでしょう。

あまり深入りしませんが、民主主義というのは「常に正しい政策が採用されるシステム」ではありません。
民主主義とは「採用した政策が失敗だったときに、スムースに正しい政策と交換する」というシステムです。交換するかどうかは多数派が決めるシステムなのです。

私の説明の持ちゴマが尽きてきました。正直、そろそろ理解していただけないとシンドイです。以前の投稿に私の持ちゴマのすべてを書きました。読み返してください。

この場を借りて、tripさん示唆に富んだお話ありがとうございました。ただ私なりの論理展開をお許しください。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2005/04/10(日) 18:13:41
  • [編集]

>これについては前回の投稿に書きました。十回深呼吸して心を落ち着けてからもう十回ぐらい読み直してはいかがでしょう?

だから、そうなのですよね?と確認を入れただけです。そんなにその事を咎めないで下さい。
断定してはまずいだろうなと思っただけのことです。他意ありません。

で、この前のコメントにも書きましたとおり、許容しがたい侮辱行為であることは理解致しましたので、以後、その点に配慮するように務めますし、私のような考えを持った人を見かけましたら、私の方から注意するよう心がけます。

私がどうして侮辱行為であるか、執拗に尋ねるか疑問に思っているかもしれませんが、それは私の中でそのように思えないので、侮辱と思う人の気持ちを理解したかったからです。

このような問題は、確かに法で規制してしまえば押さえ込めるかもしれません。少なくとも取り締まることは可能です。ですが、規制をしても、その規制の意味するところが理解できなければ、進んで規制を守ろうとは思えないと思うのです。

それに規制を守っているつもりで、文面の意味するところだけを分かったつもりになって守っても、規制の真意を理解しなくては正しく規制を守れません。

今回の都の規制で言えば、起立しては駄目だが、騒いでもいいのかとか子供地味たことを言う人もいるかもしれません。

ですから、起立しないことがどれくらい人を傷つけていることなのか、私なりに理解したかったのです。

これは私側の勝手な都合なわけですから、長いことこのわがままに付き合っていただけたクロフネさんには感謝しています。ありがとうございました。

ただ侮辱行為であることは理解しましたが、やはり納得はできませんでした。

ですが、別にもう納得できるまで説明してくれなんてわがままなことは言いませんので安心してください。

以下にクロフネさんの意見に対する、私なりの考え方を書きますが、そういうものもあるのだと受けてとめていただければ幸いです。

>なぜ起立しないことが許容できないかと言えば、それが”世界の多数派の人が支持している慣習的なルール”であるからです。

民主主義のルールであるから多数派の意見として決まったことには従います。

ですが、世界的に多数派であるかどうかは私の気持ち的にはどうでもいいことです。私は自分の意見がたとえマイノリティに属する部類であっても、それが正しいと思えば、私自身の心に従います。もちろん社会で規制されている部分は守りますが、自分の信念までは強制されることはないと思います。

自分がマイノリティであれば、マジョリティの人に対し「私はこう思うけど皆さんはどうかと」積極的に問いかけます。もちろん、その結果マジョリティの人の言い分を聞いて納得すれば、考え方を変えます。それが私なりのモノの捉えかたです。

これを持ち出すのは正しくないかもしれませんが、天動説全盛の時代に地動説を唱えたコペルニクスの勇気を私は尊敬しています。社会の常識に流されずに、自身の考えをしっかり持つことが大事だと思っています。

自分の目で見て、自分の頭で考える。そうして初めて、自分なりの意見が言えるものだと思っています。

別に皆がそうする必要はありません。そのような考え方があることは理解していただきたいと思うだけです。

>これを実行した東京都が正しかったかどうかは次回の選挙で有権者の多数派が判断を下すでしょう。

そうですね。私の考えがどうであれ、その選挙の結果には従うつもりです。私も民主主義の国で生きている人間ですので。

最後に、長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。クロフネさんの紳士な態度に感謝いたします。

(追記)
中国での抗日運動は酷いですね。ああいった問題が起こる背景には、中国政府の歪んだ歴史解釈による扇動も大いにあると思っています。クロフネさんの言うように日本政府はもっと毅然とした態度で望んで欲しいものです。

ただああいった熱くなっている人に対し、コチラが感情的になっては話が出来ません。相手が話を望まない状況ではそうもいってられないとは思いますが。この困った状況にどう対応すべきかという新記事、面白いと思います。これからも建設的なご意見をブログ上で発信してください。

大きなお世話かもしれませんが…。

  • 投稿者: eclipse
  • 2005/04/10(日) 23:23:29
  • [編集]

これをもって最後のコメントとしますが、eclipseさんが「国歌の演奏中に起立する必要は無い」と考え、その考えを発表する自由はあるとおもいます。

それが民主主義です。

ただ、私が守りたいのは「他人を侮辱することを許さない社会」です。

もし世界の多数派の価値観・マナーが「国歌の演奏中は座る」ということで、日本人が演奏中にふらふら立ちあがっていたら、私はやっぱりブログを立ち上げて、「てめえら、国歌の演奏中ぐらい座ってろ」という記事をアップしたでしょうね。

最後に、議論に参加くださいましてありがとうございました。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2005/04/11(月) 20:48:14
  • [編集]

日の丸・君が代問題の論点

すいません,どうも議論が本来の日の丸・君が代問題と大きくかけ離れたところで展開されているようです。いわゆる,教師の日の丸・君が代拒否の理由には主に以下の三点があげられます。
1.文部科学省は生徒全員に君が代の斉唱をさせるよう,全国の学校に通達(いわゆる業務命令です)を出し,それに対して,生徒や父兄に歌わない自由を説明した教師を,東京都は処分した。
2.都やいくつかの県では,式の最中に起立しなかった保護者の人数と生徒の人数を学校毎に教育委員会に報告させ,それを公文書とした。(ちなみに,一人でも立たない・歌わない生徒がいたクラスの担任はすべて処罰されました。)
3.広島・沖縄などの地域では,日の丸・君が代は,いわゆる部落差別の問題と直結している。にもかかわらず,全ての学校で日の丸・君が代を強制した。

こういった理由で,教師の日の丸・君が代「強制」への反対運動は続いています。決して,国旗掲揚しないこと,君が代を歌わないことを「強制」したから教師が処罰されたわけではありません。
文を拝見した所,どうもクロフネさんは教師が歌わないように教師が「強制」したから処罰された,と勘違いされているようでしたので書き込ませて頂きました。特に歌の内容が不味いというだけで反対運動しているわけではありません。最も,差別問題が絡んでくると,重要な論点なのですが。

  • 投稿者: けん
  • 2005/04/12(火) 18:58:49
  • [編集]

文をよくよくよくよくお読みください

>どうもクロフネさんは教師が歌わないように教師が「強制」したから処罰された,と勘違いされているようでしたので

ちがいます。私が問題にしたのは教師による

>日の丸ひきずりおろし事件や、君が代演奏拒否、起立拒否事件

です。その理由は本文記事にもエクリプスさんとのやりとりにも書きました。

国や都が国民に君が代を歌うよう強制したとしたらそれはやりすぎだと私も思います。

しかし、起立しないのであれば一般国民だろうと教師・生徒だろうと何らかの処分はやむ得ないという意見を書きました。その理由は記事にもコメントにも書いてあります。

部落問題はこの場合関係無いでしょう。学校がどこにあろうが、国際的なマナー・公衆道徳・法律は守らねばならないというのが真の平等主義です。

国歌の演奏中に立つというのは国際マナーである理由は書きました。

なお部落問題はこのブログのテーマではないのでこれ以上とりあげません。

以上、まずあなたのコメントはとんちんかんですし、本文記事ならびにコメントに私の主張とその理由はすべて書いてあります。これ以上コメントしようがないのでご了承ください。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2005/04/12(火) 21:18:14
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  • 投稿者: -
  • 2005/12/07(水) 22:45:09
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国家と国旗への敬意

ここ数年フィンランドと北ドイツで仕事をする機会が多いのでその立場から感想を述べます。

こと教育現場での出来事という観点から述べますと、儀式において国旗に敬意を表し国家を斉唱するという儀礼が強制されるのは合理的と感じます。

国旗と国家へは敬意を表すという常識がありませんと、海外では仕事になりません。いや、仕事だけではなく日常生活にもそれなりの支障があることでしょう。なぜならこの常識がない人間は、社会から教育を受けたまともな大人として扱われないからです。その結果さまざまな不利益を被ります。

eclipseさんのように育ってしまっている若い日本人をかわいそうに思います。(決して侮辱しているわけではありません)これはeclipseさんや同じような感覚を持つ若い日本人が悪い訳ではなく、彼らにその常識を教育してこなかった大人達の責任と考えます。

例え話ですが、民主主義社会ではフランス料理店で手づかみでブタ食いをする自由があります。違法ではありませんし、「手づかみでブタ食い方式」に信念を持つことも、それこそが美しい最高の様式美を備えたものであると表現する自由も保障されています。

しかしこんな食べ方をしていてはヨーロッパでは、少なくとも私が暮らしている北欧とドイツではまともな大人としては、誰からも扱われないでしょう。(日本でもどこの国でもそうかもしれませんね)

しかし、中には深い芸術的/哲学的思索の上に導き出された「人間の原始的・自然的な無作為の至高の美の表現」としてブタ食いをするような人がいるかも知れません。そのような信念を持つことも自由です。

ただし、これが単に無知により行われていたならばどうでしょうか?周りの人々に不快を与えない食事の仕方という常識を教えられなかったゆえに、「ブタ食いで不快さを感じる感覚がわかりません」「ブタ食いで不快さを感じ人がいるというなら今度からはやめようと思いますが、どうしてもその感覚だけはわかりません」このような発言をしていたらどうでしょうか?

それは単に教育を受ける機会がなかったゆえの不幸ではないでしょうか。

このサイトで議論されていた教育現場での国旗・国家の強制についてもまったく同じように感じています。 国旗と国家へ敬意を表するというのは、フランス料理店でブタ食いしてはいけないというのと同じくらい基本的で守るべき常識です。
この常識に対して自己の信念の元に「私はそうは思わない」と考えることも「敬意を表さないこと」も自由です。
しかし、だからといって正しい食事の仕方を教えなくてよいというのは間違いです。そのような教育を受けることができない人々の権利を損ねています。
大人になりブタ食い派になるにしても、まずは教育により「最低限の食事の仕方」を学ぶことは市民としての権利であり義務であると思います。その常識を踏まえた上で、被る損害を認識し、自分の信念に基づきブタ食うのであれば、それは大人としてのあるべき姿のひとつでしょう。

学校式典における国旗国歌も同様です。その重みと扱い方を実際の式典で教育する機会を与えないのは、何より生徒の権利を侵害しています。
公職の立場にありながらこのような基本的な教育を生徒に対し行わないような教師は、仕事をしていないと言わざるをえません。教育しないだけでも生徒に対する大罪であるのに、その上式典を妨害または常識とは反対のことを教えようなどとは、罰せられて当然と思います。若者の未来を奪うような行いが許されてよいはずがありません。

eclipseさんのような信念を持つのは、その重みと扱い方を学んだ上で行うべきです。さらに言えば、その重みと扱い方を知らずに「何が信念か」というのが私の実直な感想です。それは信念ではなく、単なる無知です。

昨今は国旗と国歌についての常識を持たない日本人の若者達が増えてきているように感じます。彼らが早くそれを学ぶ機会を得て、国際舞台で不利益を被ることがないように願うばかりです。公立高校の教師諸氏も、願わくば若者達の未来を害するようなことはやめていただき、実績的な儀礼教育を励行していただきたい。

参考までに、北欧とドイツの友人達との交流から感じた感想を実直にいいますと、国旗と国歌は彼らの親の肖像画、または尊敬する恩師、または彼らの故郷の美しい風景画、そのような感覚をもって接しています。
eclipseさん、あなたも親御さんが侮辱されたら不快でしょう。国歌斉唱時に起立しないというのは、親御さんが侮辱されたような感覚なのです。ぜひこのことを学んでください。
ちなみに日本人でもこれらは常識ですよ。なぜだか最近の若い人達にだけこの常識がないのが増えてきている感じがしますが。

Helsinki大好きより

  • 投稿者: Helsinki大好き
  • 2006/09/22(金) 04:10:10
  • [編集]

Helsinki大好きさん

恐れ入りました。 完璧な論理展開に、ブタ食いや「国旗と国歌は彼らの親の肖像画」といった絶妙のたとえ。

Helsinki大好きさんが、国際人としてパーフェクトな常識をお持ちでいらっしゃることが理解でき、非常に勉強になりました。ありがとうございます。

特に以下の部分で、自分の修行が足りないことを悟り、頭をガツーンとやられてしまいました。

>しかし、だからといって正しい食事の仕方を教えなくてよいというのは間違いです。そのような教育を受けることができない人々の権利を損ねています。
大人になりブタ食い派になるにしても、まずは教育により「最低限の食事の仕方」を学ぶことは市民としての権利であり義務であると思います。その常識を踏まえた上で、被る損害を認識し、自分の信念に基づきブタ食うのであれば、それは大人としてのあるべき姿のひとつでしょう。

>学校式典における国旗国歌も同様です。その重みと扱い方を実際の式典で教育する機会を与えないのは、何より生徒の権利を侵害しています。
公職の立場にありながらこのような基本的な教育を生徒に対し行わないような教師は、仕事をしていないと言わざるをえません。教育しないだけでも生徒に対する大罪であるのに、その上式典を妨害または常識とは反対のことを教えようなどとは、罰せられて当然と思います。若者の未来を奪うような行いが許されてよいはずがありません。


 日本の若者・子供が国旗・国歌の常識を知らないのは、おっしゃるとおり、大人が教育を怠り、その上日の丸を引きずりおろし、君が代斉唱を座ったまま拒否することが、さも良心的でカッコイイことであるかのように教える愚か者がいるせいですね。あの裁判官のように。

 ただ、私は昔の若者のなれの果てに比べると今の若者の方に少し希望を抱いています。

それは今の日本の若者にサッカー好きが多いことと、国際サッカー連盟は国際試合の前に両チームの国歌演奏を義務付け、国旗・国歌へのリスペクトを求めているからです。

これによってスタジアムに足を運ぶ若者は、対戦相手国の国歌演奏のときでも起立し静粛にしているということを覚える良い機会になっていると思います。

実際スタジアムで辺りを見回すと、君が代のときも相手国の国歌のときも相変わらず立たない人も少数いるにはいるのですが大方マナーは守られているようです。

最後に余談ですが、フィンランド国歌のメロディは非常に好きです。
確かシベリウス作曲でしたでしょうか。

美しいフィンランドの自然が頭に思い浮かぶような素晴らしいメロディです。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2006/09/23(土) 00:54:04
  • [編集]

日の丸、君が代問題であるが、
我が国は、そんなに恥べき国家だろうか?自衛隊は創設約60年間、一人も
殺していない軍隊だ。
そんな軍隊は世界に無い。
私は、自然に国旗に頭を下げ、国歌
を歌う。それに対する政治姿勢も理屈もない。
外出中、突然雨が降って来た場合、
ずぶ濡れになっても、ゆっくり普通に歩いて目的地まで行く。
それが、他人から見ると「バカ」に
見えるかも知れないが歩く(笑)
幼い頃、祖父に「雨を逃れる為に家に駆け込む」姿を見られ、一日中、雨の中にに立たされた。
祖父の理由は「男子が雨の予感も感じず、対策も講じず、雨に濡れると、自宅に逃げ帰るとは、武士の子に非ず」
だった。
私は、これからも死ぬまで、雨の中を
歩き、国旗、国歌、を敬い続けるだろう。理由は無い、世界中を見渡しても
我が祖国は日本、そして、この国の
土になる事を・・・。

  • 投稿者: gaera
  • 2006/09/23(土) 14:58:28
  • [編集]

gaeraさん

私も、たとえ第二次大戦という歴史があったとしても、日本という国を恥とは思いません。

むしろ世界を知れば知るほど、その思いが強くなります。

>祖父の理由は「男子が雨の予感も感じず、対策も講じず、雨に濡れると、自宅に逃げ帰るとは、武士の子に非ず」だった。

「武士たるもの、あらゆる事態を想定して準備をし、覚悟を決めておけ」ということでしょうか。

良いお話をありがとうございました。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2006/09/23(土) 23:39:39
  • [編集]

はじめまして

お互いにお互いが尊重しあえたら、世界は平和になりそうな予感がします。

  • 投稿者: かくら
  • 2006/09/24(日) 00:22:14
  • [編集]

かくらさん

>お互いにお互いが尊重しあえたら、世界は平和になりそうな予感がします。

それが重要ですよね。

ただ、人間は無知無理解・羨望や嫉妬から逃れられないために、国際問題が発生するのでしょう。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2006/09/26(火) 00:39:13
  • [編集]

立ち上がれない人間は?

上の方のコメントで座ったまま国旗掲揚を見るのはダメというけど、
足が不自由で立ち上がれない人間はどうしたらいいですか?

  • 投稿者: てしを
  • 2008/02/08(金) 01:40:03
  • [編集]

てしを さん


車イスの方などは着席したままでもしょうがないでしょう。

もし帽子などをかぶっているなら、それをとるのがマナーですが。


  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2008/02/08(金) 23:32:33
  • [編集]

良い論議を読まさせて頂きました。
 議論とはかくあるべきかと感心しています。
  ありがとう。

  • 投稿者: gogo
  • 2009/09/15(火) 06:22:39
  • [編集]

gogoさん

>良い論議を読まさせて頂きました。議論とはかくあるべきかと感心しています。ありがとう。

どういたしまして。

どうも国旗・国歌問題は、特に世界の実情を知らない左の方が感情的になってしまって冷静な議論が成り立ちません。

残念なことです。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2009/09/15(火) 11:54:26
  • [編集]

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