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第1回 外交官のための歴史教科書

  • 2005/03/16(水) 00:27:15

 このシリーズでは、現代の外交・安保の話題から少し離れて主に歴史について、それも近代日本の朝鮮・中国を含めた大陸政策・外交の歴史について、明治維新から第二次世界大戦の日本の敗戦までを振り返ってみたい。

なぜなら日本のこの分野における歴史教育の現状は大変おそまつであり、政治家・外交官から広く国民レベルに至るまでこの時代の基本的な知識の不足が、現代の対朝鮮半島、対中国の外交に悪影響を及ぼしていると考えられるからである。

近代日本の大陸政策というテーマは非常に敏感なものとされるせいか、感情的な議論が先行して歴史として客観的かつ詳細に論じられることが極めて少ない。

「日本は朝鮮や中国に対して悪い事をしたんでしょ」「朝鮮や中国の人達はカワイソウな人達・正義の味方で日本人はすべて悪者」という”知識”だけが近代日本の外交史のすべてであり、これさえ知っていれば歴史をすべて知っている事になり、

逆に、この考え方にちょっとでも異議をとなえれば「歴史を知らない奴」というレッテルを貼られるという極めて乱暴で粗雑なやりかたが、これまで日本でまかり通ってきた。

 少したとえ話をしよう。
ある街には19○×年に大火事がおこったという歴史があった。
しかしその街の人の歴史認識は、○×年に大火事が起こったということだけがすべてであって、クローズアップされたのは「何千人もの人がくろこげになってカワイソウ」「赤ちゃんが逃げ遅れてカワイソウ」というカワイソウ第一主義にたった視点からみた問題だけであった。

その結果、歴史の教訓として人々が出した答えは「火事に反対します!」という単なる言葉、おまじない以上でも以下でもない、まったくからっぽなものだった。「火事に反対します」と宣言すれば火事が起こらなくなるのであれば誰も苦労する必要は無いだろう。

 そして街の人が起こした行動とは、「火事は火があるから起きるのだ」といって火を使う事を禁止する条例を制定するという一時の感情に基づいたものだった。

しかし、火が使えないので三度のご飯が作れない、ごみが処分できない、暖房が使えない、自動車も動かなくなるといった事態を引き起こし、人々は生きていくことができなくなった。

そこで人々は火事を起こす火とご飯を作る火は別ものだというごまかしの論理で火を使い始め、それでも「火事が起こらないのは『火の使用を禁止する』という世界でたった一つのすばらしい条例があるからだ。」といった、わけのわからない自己満足にひたっていた。

 しかし、となり町で起きた火事が燃え広がってこの街の一部が焼け、ヨコタさん家やハスイケさん家に被害が出てしまった。それでも多くの人は「火の使用を禁止する条例が火事を防ぐのに大変効果がある」と固く信じている、いや妄想しているといったこっけいな状態が続いていた。

 本来歴史の教訓に学ぶということはこういう感情に基づいた幼稚な行動ではなく、その事件がなぜ起こったのか原因をつきとめ、それがどういう結果をもたらしたかを学び、悪いできごとはどうすれば再発を防止することができるか綿密に研究することであろう。

しかしこの街の人達は感情に基づいてカワイソウで問題のすべてを解決したため、そのような作業を怠ったのみならず、「なぜ火事が起こるのか」や「火の習性・特徴」を研究していた消防署の人達を、「おまえ達は火事が好きだから火事を研究しているのだろう?」と非難して、あげくの果てに「消防署があるから火事が起こるのだ」といったわけのわからない主張まで出る始末であった。

 たとえ話はここらへんにしておくが、あなたはどう思っただろうか? 「なんとマヌケな住民達だ」と思った人がほとんどだと思うが、このマヌケな人達こそ戦後の多くの日本人にほかならない。
火事を戦争、火を軍隊、火の使用を禁止した条例を日本国憲法第九条、消防署を安全保障の専門家と置きかえれば、マヌケなその街の実態は戦後の日本のそのままの姿
であったのだ。

 このような不毛な議論では本当の意味で歴史の教訓を得る事は不可能である。
このような無意味な議論は繰り返さないということを常に念頭におきながら、この歴史教科書では明治日本の対朝鮮外交の開始から日露戦争までを第一部、日露戦争後から第2次大戦の敗戦までを第二部とし、基本をおさえつつ、かけ足ではあるが歴史上のできごとをふりかえり、その原因・結果を分析しながら将来の外交・安保政策につながる教訓を導き出すといったことにチャレンジしてみたい。

 重要なポイントとして、この教科書では「歴史の事実」と「歴史事件の評価」を別にする。
わかりやすく言えば、「○×年に太陽が東からのぼった」という事実を述べた部分と「太陽は東からのぼることは正しかった、あるいは間違っていた」と歴史事件の評価を述べる部分は分離させるということである。

 極めて感情的な韓国・北朝鮮や中国の教科書は、歴史の主観的な評価と歴史上の事件の客観的記述がごちゃまぜであり、そのために、歴史の記述が不正確になったり、意図的に歪曲してしまうような間違いをおかしている。

たとえば、「○×年に太陽が東からのぼるのはけしからん」といって「太陽が西からのぼった」と書きかえたり、東からのぼった事実を記述しなかったりするのである。

それは「歴史教科書という科学書」というよりストーリー性のある「創作物語」であり、それぞれの国民にそのストーリーを単一の教科書として押しつけ、それ以外の真実は無いとしている。

たとえば韓国の歴史教科書は、歴史上の事実をたんたんと積み上げるのではなく、「もともと先進国であった古代朝鮮は、原始社会に等しい日本を文明国にしてやったが、日本は近代において朝鮮を侵略して悪事の限りを尽くし恩を仇で返した。そのため先進国であった朝鮮は後進国へ転落したのだ。」といった荒唐無稽なストーリー仕立てとなっており、そのストーリーにあうように事件を取捨選択し、あるいは事実を歪曲・捏造するのである。

 そのような愚をこの教科書ではくりかえさないため、それぞれの歴史に対するクロフネの評価をカッコ内に表記することにした。
筆者が未熟であるゆえ、「太陽が東からのぼった」と書いた部分について誤りがあれば、その部分については訂正するつもりだ。

しかし「太陽が東からのぼることに賛成か反対か」については、抗議を受けても基本的には撤回しない。
その部分は各人がそれぞれで考えて欲しいし、さまざまな解釈があってもよいだろう。

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  • From: シドニーで国際人になろう! 国際派日本人のススメ |
  • 2005/04/26(火) 06:30:20

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