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第15回 歴史認識問題にどう対処すべきか?(その2)

  • 2005/03/07(月) 07:40:35

 中国近代史における中国の偉人といえば、まず孫文(孫中山)があげられる。

孫文は革命をおこして、清朝の専制政治を倒し、民主的な国家を建設しようとした近代中国のリーダーであり台湾・大陸を問わず尊敬されている。

 しかし孫文の革命事業は始めからうまく行ったわけではなく、何度も挫折し命を狙われたりもした。そのような困難な状況で彼を助けたのはほかでもない日本人だったのである。

映画で財をなした梅屋庄吉は、孫文に革命活動の軍資金として私財をなげうって、現在のお金で十億円以上もの援助をしたし、日本に滞在した彼を熱心に世話をした。

他にも直接革命に参加して命を落とした山田良政、あるいは中国革命同盟会結成に尽力した宮崎滔天もいる。

 東京はいわば中国近代革命のゆりかごだったのである。
実は孫文の別名で、孫中山の”中山”(中国各地に中山公園・中山路がある)も日本の中山伯爵が由来とのことである。

このことを中国国民の何割が知っているだろうか?いや日本外務省の人間でさえ知らないものがいるに違いない。

 またこういう事実もある。
1945年の太平洋戦争の日本の敗戦直後、中国東北地方の瀋陽郊外にある奉集堡飛行場に駐屯していた、林弥一郎少佐率いる関東軍第ニ航空軍第一○一教育飛行団第四練成飛行隊・約300人は、中国共産党の八路軍に降伏し武装解除された。

ところが彼らが日本軍のパイロット達だとわかると、空軍を持たないために、蒋介石の国民党空軍の攻撃に煮え湯を飲まされてきた八路軍は、有名な林彪や彭真(のちに北京市長になる)を派遣して、中国共産党が空軍を持つために、中国人パイロットや整備士を養成してくれるよう彼らを説得した。

これに応じた林弥一郎少佐は林保毅と中国名に改名し、九九式高等練習機や戦闘機”隼”など旧日本軍機をかきあつめて、実質的な校長となり”東北人民解放軍航空学校”を開校した。

これこそ、のちの”中国人民解放軍航空学校”の前身であり、中国人に飛行技術を教えていた日本人教官のうち、何人かは事故で犠牲になってもいる。

(彼らの魂は靖国にいったのだろうか?ならば中国空軍の先生が眠る靖国を中国政府が非難はできまい。)

1949年までに560人の卒業生を生み、ここから巣立った人材は人民解放軍空軍のみならず、中国の航空分野すべての基礎となったのである。

大げさに言えば、現在の人民解放軍・空軍パイロットから中国の有人ロケットの宇宙飛行士までが、当時の日本人教官の生徒の生徒といえるのである。

 日中戦争で中国人と戦ったのも日本人なら、中国革命を助けたのも中国人パイロットを生み出したのも日本人。

中国政府は歴史教育において悪い日本人しか描きたがらないが、こうした歴史の多面性をすべての中国国民が知ってこそ健全な歴史観をもつことができる。

 なぜこうした歴史的遺産を日本政府・外務省は生かさないのか?

こういった日本人がいたことを日本の閣僚が中国マスコミにアピールする、中国で大々的なイベントを行なう、TV番組や映画をつくるなど、歴史イメージ向上戦略を実施すれば、日中関係の改善に役立つかもしれない。

歴史に積極的に立ち向かう勇気を、受身で消極的な日本政府・外務省に強く求めたい。

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