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KなんてYめなくていい。(その2)

  • 2007/10/18(木) 23:02:44

前回のつづき

 だが、文化・言語・宗教が違う人が集まる国際社会では、「空気を読め」と言われても、そんなことはまず不可能である。

場の空気とはその社会の常識と言いかえられるのではないかと思うのだが、簡単な話、アラブ社会の空気とユダヤ社会の空気が違うのは、当たり前のことで、アラブとユダヤに単一の空気なんぞあって、お互いそれが読めるのであれば、悲惨な戦争やテロは起こっていないだろう。

岩のドームと嘆きの壁がある聖地エルサレムは、アラブの空気では「アラブのものであるのは自明の理」だが、ユダヤの空気では「ユダヤのものであるのが自明の理」だ。

日本と中国・韓国の空気も当然違う。

 いろんな空気(=常識)が混在する国際社会では、そもそも相手の空気があまり読めないので、コミュニケーションを言語という手段に頼らざるを得ず、言語が非常に重要視されるし、自己主張がうまい民族が有利になる。

そして、相手が言ったことをそのまま受け止める方向へ文化が発達し、日本のように、言葉が表していること以上の意味を、あれこれと推理しようとする文化が逆に希薄になる。

空気を読まない文化圏では、あいまいな言い方では相手に通じない。
はっきりとした言葉で、文字通りの意味を相手に伝えようとするようになる。

 さらに、こちらの言いたいことを一方的に垂れ流しても、相手が同意してくれるとは限らない。

相手を納得させるには、二つ以上の文化や言語・宗教に共通する普遍的な価値観を見つけ出して、それを言語化して相手に伝えなければ、相手は動いてくれないのである。

「私の国ではAはBだが、あなたの国でもAはBでしょ。だから私の意見に同意してくれますね?」といった具合にだ。

そこで重要になるのが、論理的思考力である。

論理的思考力を鍛えるには、自己の内面に、自分なりの哲学や価値観を構築する努力をしなければならない。

 ところが、空気を読むことを重要視する文化は、先ほども言ったように、空気に逆らってでも強く自己主張するよりは、場の空気を優先させて善悪の判定をその空気に任せがちになるから、なかなか自己の内面にそうしたものを構築するようにはならない。

少なくとも日本国内では「言わなくても相手の考えがある程度読めてしまう」ので、言語をコミュニケーション手段として重要視しないし、スピーチのように、違う考え方・文化を持つ人たちにもわかるように、論理的に考え、論理的に話すという訓練を積むチャンスが少ない。

よって自己の内面に、自分なりの哲学や価値観を構築しなくても、あまり不便さを感じない。

空気さえ読めれば、自己主張しなくてもそこそこ生活できてしまう。

「言わなくてもわかる」「以心伝心」「一を聞いて十を知る」ことが尊いとされるようになる。

 中には自分で考える能力がある人もいるが、そうした人たちが少数派となりがちだ。

単一の空気が形成されている日本で、それに逆らって強く自己主張するような人は、えてして「空気を読めない悪い人・協調性が無いワガママな人」とみなされがちで、「出る杭は打たれる」とばかりにみんなから叩かれ、それがいっそう場の空気を純化していく。

だから空気を読むことを重要視する文化は、異文化・異民族の人たちと話し合うことにあまり向いていない。

 外国人に「お前、空気読めていないよ」と言っても、「空気って何?」と言われるのがオチだろうし、「言わなくてもわかるよね」とか「それはあれだよね」と言っても、「何言ってるかわからないんだけど」で話は終わってしまうだろう。

日本人同士ならいざ知らず、元モンゴル人の朝青竜に”横綱の品格”をいくら説いたところで、どうして土俵上でガッツポーズをしてはいけないのか、ということを、日本人の側から論理的に、相手が理解できるように話さなければ、永久にわかってもらえないだろう。

ブラジルの大会で惨敗した日本の柔道チームが、いくら国際柔道連盟の審判員の判定に抗議したところで、「投げられて勝負が決まった後に返し技を決めても無効だ」ということを、外国人にも納得できるように論理的に説明できなければ、無駄だろう。

「それは柔道じゃない、柔道の心がわかっちゃいない」と何度言ったところで、空気が違う相手には通じない。

日本人や”空気を読む文化”が、文化の違う人たちとのコミュニケーションスキルに優れているのであれば、こんな問題は起こらないはずである。
 
 スポーツならまだ良いかもしれないが、国益のかかった場面だともっと事態は深刻になる。

日本人が北朝鮮の空気を読めば、「拉致問題はウヤムヤにしたい。ビタ一文、日本に賠償金を払わずに終わりにしたいし、謝罪なんかしたくない」となる。

日本の外交官が、自己主張よりも場の空気を読むという普段の習性を優先させれば、北朝鮮との話し合いで、拉致問題の解決を要求するのを自己規制するようになる。

実際、ほんの数年前まで、北朝鮮外交官が机を叩いて部屋から出て行ってしまうのが怖くて、日本の外交官は、拉致問題をなかなか言い出せなかった。

日本人が中国の空気を読めば、「日本の首相は靖国神社へ参拝するな」と読める。

自己主張より中国の空気を優先させる日本人は、こうして靖国へ行くのを自己規制するようになる。

そして現在の日本の首相は「相手の嫌がることはしない」なんて言っている。

慰安婦問題がここまで悪化したのも、「日本人と韓国人は顔かたちが似ているから同じ空気を持っているに違いない」という日本側の潜在意識から、日本が韓国の空気を勝手に読んで、「たとえ自分が悪くなくても、慰安婦の強制連行を認めれば韓国は日本を許してくれて、それで慰安婦問題は終わりになって未来志向の日韓関係が築けるだろう。それが日本と韓国に共通の空気だ」と想像して行動した結果であろう。

しかし、日本と韓国の空気は、決して同じではない。

「とうとう日本が強制連行を認めたぞ。これをネタに日本を土下座させ永久にカネをむしりとってやる」と大喜びして、世界中に”日本の悪事”を宣伝してまわっている。

これが本当の韓国の空気である。

安部政権は”主張する外交”をかかげたが、それに批判的な外務省関係者が「今さら何を主張するのか」なんて言っていたように記憶している。

その問いは「自分は職業外交官として無能です」と告白しているに等しいと思うのだが。

いつまでも、こんなことをしていると日本が滅ぶ。本当に。

つづく


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空気を読んでいたら人生台無しです!(`´)m(__)m

拝啓、管理人さん空気を読む事を強制する輩は周囲にそれを強制する事により多大な利益を引き出せるだけです!(`´)         それだけです!(`´)(`´)(`´)m(__)m          乱文にて  草々

  • 投稿者: (^O^)風顛老人爺
  • 2007/10/19(金) 00:09:59
  • [編集]

空気は読めなくても…時代の先、相手の打つ手の先は読んで欲しいと思います。昔で言う、「天の時」を感じとることも…

  • 投稿者: 三浦介
  • 2007/10/19(金) 00:40:46
  • [編集]

国際社会におけるKをYめ!

外交とは、戦争であり、喧嘩であり、主張なのです。

言いたいことが何なのか解らない事ほど不気味なことはない・・・という国際社会のKをYまなければなりません。

害がなければ無視・・・日本に対する諸外国の対応はその程度です。係争地域で積極的に動くときはアメリカとして、そうでないときは気前の良い銀行として扱うのがスタンダードでしょう。

日本の多国籍企業や総合商社の振る舞いが日本を代表しているように思われているのが実情ではないでしょうか。

内政に関しては有能な官僚機構ですが、広い意味での外交に関しては全く役に立たないのはある意味バランスが取れていて良いかもしれませんが・・・。

  • 投稿者: クマのプータロー
  • 2007/10/19(金) 09:14:05
  • [編集]

クロフネさんのいう“KY(空気を読めない人)”での「空気を読む」は、やはり単に「空気を読む」ではなく「空気を読んで“合わせる”」と考えてるように思います。そしてその“合わせる”も自分の考え方まで合わせてしまう“合わせる”と考えてるようです。また、合わせる“空気”をその場の考え・意見だと捉えてるようです。
よって“KY”で嫌われてるのは「周りに考えを合わせない人」で、つまり求められてるのは「周りに考えを合わせる人」で、求められてるのは「周りに考えを合わせること」だと捉えてるのでしょう。

この理解でクロフネさんのエントリを読めば言いたいことはわかるし納得も出来ます。がしかし、これは日本に元々ある「空気が読めない」とは違います。日本社会にある日本文化の「空気を読む」とは全然違います。
“KY(空気を読めない人)”に関してはものが新しい流行言葉の“KY(空気を読めない人)”なのでこの捉え方が間違いだとは言いません。実際そのような意味での使われ方をされてるように私も思わないではありませんから。しかしこれは元々の「空気が読めない」とは
違います。“KY”から話を展開させて日本文化の、日本人の「空気を読む」を否定することには異を唱えます。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/19(金) 17:30:21
  • [編集]

(つづき)空気を読んでその空気に合わせて変えるのは考えではありません。意見でもありません。やり方です。意見であればその表現の方法です。自分の意見は意見として持ちつつそれをどう表に現すかの部分で周りの空気に合わせて変えることです。これが求められてる「空気に合わせる」です。意見や考えを変えることまで求めるものではありません。
そう拘るようなことでないならウダウダ言わずに皆に合わせろってのはあります。この程度の意見の変更を求めることはあります。でもこれにしたって言い方次第。場の空気を壊さない言い方が出来れば合わせなくても周りは許します。空気が読めないと非難したりはしません。

本来の「空気が読めない」とは、かしこまった場で砕けた口調で下卑た冗談交えて話すとか、逆に和んでる場で妙にお堅い事を堅苦しい口調で話すとかいうものです。その場に合ったやり方をしろというのが「空気を読め」ということです。その場に合ったやり方をするのが空気を読むことであればこれは世界のどの国に行っても通用します。空気が読めた方が良いということになります。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/19(金) 17:31:48
  • [編集]

(^O^)風顛老人爺さん

空気を読む社会は、多用な価値観(=空気)が共存するというよりは、どうしても単一の価値観へと純化していく力を持っていると思います。

それはある意味怖いことです。


三浦介さん

強く同意します。 国家戦略は大事です。

ところが中国の空気、韓国の空気、アメリカの空気ばかり気にして、あっちへフラフラ、こっちへフラフラやっていてはいけません。


クマのプータロー さん

>言いたいことが何なのか解らない事ほど不気味なことはない・・・という国際社会のKをYまなければなりません。

日本人は自己主張が下手なのか、変な誤解を受けますよね。


sadatajpさん

>“KY”から話を展開させて日本文化の、日本人の「空気を読む」を否定することには異を唱えます。

最後まで論点がずれっぱなしでしたね。残念です。

とりあえず、sadatajpさんが相手の空気を読む前に、私の文章が読めていないことはわかりました。

いったい私のエントリーのどこに、「日本人の「空気を読む」を否定」が書いてあるのでしょうか。

私は空気を読む文化は、異文化交流には向いていないと言っただけです。

>日本社会にある日本文化の「空気を読む」とは全然違います。

これもsadatajpさんの理想論ですよね。

実際、朝日新聞は「安倍政権はKY」と大々的に言っていたのですから。

これは「安倍首相が場に応じた言い方をしろ」ではまったく無くて、「安倍首相が国民の空気を読んで、自分の考えを変えてさっさと辞任しろ」ということを言っていたわけで、場の空気を強制するパワーは日本社会に現実として存在していたわけです。

私はそういう現実問題を論じているわけです。

それから同意するにしろ批判するにしろ、相手の主張の論理展開の途中で、あれこれ決めつけて慌ててコメントするのではなくて、結論部分を読んでからするのがマナーだと思います。

それがあなたが言っている空気を読むことじゃないのですか。

とりあえず自分の主張すべきことはしましたので、そろそろ議論を打ち切りたいと思います。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2007/10/20(土) 00:18:29
  • [編集]

私はどこがどうずれてるのかを書いてますよ。

クロフネさんの考える「空気を読む」の空気はその場を支配する“考え”ですよね。或いは相手の考えですよね。そして「空気を読む」というのは考えを読むことで、「空気を読め」というのは「その考えに合わせろ」なわけですよね。「その考えを受け入れてその考えに合わせろ」というのが「空気を読め」だと思ってるのですよね。その上でクロフネさんは「KなんてYめなくていい」という言い方で考えを合わせなくていいと言ってるのですよね。そして相手に考えを合わせてしまうから自己主張が出来ないと展開し、色々な考えがある世界では通用しないとまとめ、相手の考えに合わせなくていいという意味で「KなんてYめなくていい」と主張してるのですよね。

これが合ってるなら私はあなたの文章を読めてるということです。合ってますか?私はクロフネさんの趣旨は読めてるつもりなのですがどうでしょう。違ってますか?

上記のように理解した上で私は「空気」は“考え”ではなく“やり方”なのだと言ってます。流行り言葉の”KY”の「空気」が“考え”なのだろうと認めもした上で、でも本来の「空気を読む」の「空気」は“考え”でなく“やり方”なのだと言ってるのです。この捉え方の違いがクロフネさんの感じてるズレなのでしょ。クロフネさんとは違う「空気」の解釈で書いてるのだからズレは当然です。ズレてるからこその異議です。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/20(土) 16:44:22
  • [編集]

この空気が“やり方”だというのは私の理想論でなく観察の結果です。「空気を読めない」がどういう時に使われるかを思い浮かべて分析した結果です。ただし朝日のKYの使い方はあまり参考にはしていません。捻じ曲げとか意味のすり替えとか平然とやってしまうあそこの言葉の使い方は出鱈目ですから。


>相手の主張の論理展開の途中で、・・・

「空気」が示すものが何かという理論展開以前の前提の部分への異議ですので理論展開を待つ必要はありません。理論展開がどの方向に進み、どこに行き着くにしろ、その展開で前提となってるものが変わることはありませんので。実社会でも前提が違ってる場合は「ちょっと待った」と言って割り込むのが通常です。

>自分の主張すべきことはしましたので、・・・

議論は主張した後に始まるものです。でもまあ打ち切ってもいいのですけど私の方は言い足りてませんので自分とこでやらせてもらいます。

ちなみに私はクロフネさんのブログを頷きながら読ませてもらってる者です。この一連のエントリー以外のものには異議はありませんのでその辺誤解なきようお願いします。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/20(土) 16:45:27
  • [編集]

sadatajpさん

>>“KY”から話を展開させて日本文化の、日本人の「空気を読む」を否定することには異を唱えます。

>いったい私のエントリーのどこに、「日本人の「空気を読む」を否定」が書いてあるのでしょうか。

文章が読めていない、ずれていると申し上げたのは、この点ですよ。

否定もしていないことに異議をとなえられても私は困ってしまうということです。

これについてお返事していただけないならば、これ以上の議論は無駄です。

>でも本来の「空気を読む」の「空気」は“考え”でなく“やり方”なのだと言ってるのです。

これで二度申し上げますが、sadatajpさんのそのお考えはこちらで理解できていますし、そうお考えになるのも自由ですが、朝日が安倍政権を”KY”で叩いていたように、日本の現実問題として「KY=場の考えに合わせられない困った人」という意味で使われているのです。

sadatajpさんが「それは本来と違う。認めない」といくらおっしゃったところで、日本で「KY=場の考えに合わせられない困った人」という意味で使われているという事実まで消えてなくなってしまうわけではありません。

その現実問題を私は取り上げて論じているわけです。

私のブログにも、ここでの主流の考えとは違うコメントをつけた人が「空気が読めなくてごめんなさい」と言ってきますが、それは場のふるまい~じゃなくて、「考えが合わせられなくてごめんなさい」という意味です。

朝日の例とあわせて、これは目をつぶったって現実に存在する事実です。

それを「KYの本来の意味と違う」とおっしゃて無かったことにしてしまうのであれば、それは理想論であり観念論ではないでしょうか。

 私とsadatajpさんのこれまでのやり取りで一番重要な点を指摘します。

私は、日本人にしては変わり者なのかもしれませんが、日本で生まれたので日本文化もわかるし外国文化もある程度理解できるつもりです。両刀使いというかハイブリッドですね。

その意味で、sadatajpさんは、日本語で文化の違う人間(=管理人)とコミュニケーションをしているようなものではないかと思います。

私の空気とsadatajpさんの空気は単一ではないということです。

そしてこれだけ誤解と不理解が生じています。

sadatajpさんは、私の心の中を誤って読んでしまい、「日本人の「空気を読む」を否定している」と誤解したわけです。

それは言外に含まれている意味を類推することに重きをおいた結果だと思います。

書いてあることを書いてあるとおりに理解できていれば、「日本人の「空気を読む」を否定している」と読めてしまうようなことは無いでしょう。

この場合、前者が日本文化であり、後者が海外の文化です。

それによって見事に、異文化コミュニケーションに失敗しているわけです。

これが本物の外国人とだったら、もっと誤解がひどかったかもしれません。

日本人は相手の心を読もうとして、特に異文化を持つ人が相手だと空回りする傾向があるということです。

そしてしゃべり下手なことが、状況をもっと悪化させてしまう。

それこそ、このエントリーの言いたいことであり、その正しさの証明になると思います。

このやり取りは良い検証例となったことでしょう。

なお、私はsadatajpさんを嫌いだとか頭にきたとか、そういうネガティブな感情は一切持っていませんので。

私は世界すべての人と理解しあえるとは思っていませんので、このあたりにしようと思いますが、このシリーズを最後まで読んでいただければ、「(異文化交流に限っては)KなんてYめなくていい。」という論旨が理解できるように書いたつもりです。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2007/10/20(土) 23:52:03
  • [編集]

>いったい私のエントリーのどこに、「日本人の「空気を読む」を否定」が書いてあるのでしょうか。

タイトルが「空気なんて読めなくていい」となってます。これは空気を読むことの否定です。空気を読むとこんな悪い事があると書き、空気を読まない方がいいと書けばどう考えても空気を読むことの否定でしょう。違いますか?

>朝日が安倍政権を”KY”で叩いていたように、

あの朝日がでしょ。朝日を筆頭にサヨの使う言葉は無茶苦茶です。サヨのプロパガンダは言葉の意味のすり替えで成り立ってます。言葉の正しい使い方してません。これもそうだと私は思ってます。それでも事実そのように使われてることは認めてます。朝日に限らず。その上でそれは本来の使い方ではありませんと言ってるのです。

>その現実問題を私は取り上げて論じているわけです。

誤った使い方に乗っからないで欲しい。その誤った使い方の定着に手を貸すことになり本来の空気を読む文化を表す言葉がなくなってしまいます。そして空気を読む文化そのものが失われてしまいます。空気を読むというのは日本の和の文化の重要な要素です。無駄な争いを避ける知恵です。考えの違う者が違うままに共存(並存)する知恵です。私が日本人に失ってもらいたくないと思うものです。誤った使い方をそのまま使って「空気なんて読めなくていい」と言われては放ってはおけません。もっともクロフネさんは誤った使い方だとは思ってないのでしょうが。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/21(日) 02:48:13
  • [編集]

>私の空気とsadatajpさんの空気は単一ではないということです。

本来の使い方ではあり得ない表現です。
私とクロフネさんが話してるのであれば、私とクロフネさんで作ってるのがこの場の空気です。空気は個人のものでなく場のものです。同じ場にいるのであればどちらもが同じ空気の中にいます。互いの話がまるっきり食い違ってようと、場の空気は一つで同じ空気の中にいます。

>「(異文化交流に限っては)KなんてYめなくていい。」という論旨が理解できるように書いたつもりです。

空気を読んで合わせるものを「考え」と捉えてるからそうなるのでしょうけど、「やり方」と捉えてる私は逆の「異文化交流の時こそ空気を読め」といいたい。相手が遠慮なく主張してくるならそこは遠慮なく主張していい場と捉え遠慮なく主張しろと、非難し罵倒し挑戦的にくるなら挑戦的にやっても構わない場と捉えて挑戦的に挑めと。そういった意味で「異文化交流の時こそ空気を読み、その場に合ったやり方をしろ」と。
異文化交流の場合の問題は日本人がそのやり方に慣れてない為にその場に合ったやり方が出来ないというところにあるのです。合わせられず日本のやり方をそのままやってしまうから一方的にやられてもしまうのです。外国のやり方に合わせられるようになれば外国と渡り合うことも出来るようになります。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/21(日) 03:01:57
  • [編集]

sadatajp さん

>タイトルが「空気なんて読めなくていい」となってます。これは空気を読むことの否定です。

とうとうこの問題の核心についてお答えになりましたね。

あなたはタイトルを読んだだけで、結論まで決めつけてしまった。

だから「相手の主張の論理展開の途中で、あれこれ決めつけて慌ててコメントするのではなくて、結論部分を読んでからするのがマナーだ」と言ったでしょう。

この三回シリーズを最後まで読めば、タイトルが意味するものは何か、筆者の言いたいことは何かがわかります。

http://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-561.html

>日本国内で、日本人同士では、空気を読む文化も良いだろうが、「世界で、自分たちと異なる文化を持つ人たちと交流するときに限っては、空気なんて読めなくていい。」

>むしろ「相手がどう思うかな、場の空気を乱さないかな」なんてあれこれ気をもんで、自己主張を控えてしまうのではなく、言葉ではっきりと自分の考えを主張することが大事だと言いたいのである。


いや、シリーズの一回目全文をちゃんと読めば、「空気を読むこと」を全否定しているわけではないことがわかります。

http://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-559.html

>”場の空気を読む文化”に代表されるような、譲り合いや相手への思いやりの精神を持って、和を持って尊しとなす日本文化が私は好きだし、良いところもいっぱいある。

>相手への気遣い・思いやりについては、以前より薄れたかもしれないが、やはり日本人が世界一だと思う。

おっちょこちょいのあなたに、これ以上お付き合いはできませんので悪しからず。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2007/10/23(火) 00:36:51
  • [編集]

結論ではなく前提が違うということでの反論です。もっとも最初のコメントは反論というより再考を促すものでしたが。
私としてはクロフネさんにあのまま進めるのでなく再度考えてみて欲しいと思ってたのです。それ故に結論まで待たずに口を挟んだのです。

前提の部分に異議がある場合、通常でも結論まで待ちません。
例えばこのような感じ。
「日本は従軍慰安婦を強制連行した。だから・・・」
「ちょっと待て。従軍慰安婦なんていないし、強制連行もしていない!」
この割り込みはマナー違反でしょうか? 従軍慰安婦の強制連行があったことを前提とした話を黙って最後まで聞いてからでないと異議を唱えるべきではないのでしょうか? 前提に異議がある状態で最後まで聞いたとしてそれにどんな意味があるのでしょう。前提に異議を唱える際に最後まで聞いたことが何か意味を持つでしょうか。最後まで聞いたことで異議の内容がわずかでも変わるでしょうか。
どれだけ聞いたとしても強制連行があったことが前提ですからどこまでいっても同意出来るものになるはずがありません。
最後まで聞いたとしてもそこは聞き流して前提にまで戻ってしまうのですから聞く意味はありません。
前提に異議がある場合は最後まで聞く必要はありません。割り込むのが普通です。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/23(火) 20:39:48
  • [編集]

>いや、シリーズの一回目全文をちゃんと読めば、「空気を読むこと」を全否定しているわけではないことがわかります。

クロフネさんの捉えてる意味の「空気を読むこと」と、私の捉えてる意味での「空気を読むこと」は違うのです。
クロフネさんの捉えてる意味の「空気を読むこと」を前提にしての是非を言われても困ります。前提が異なってるとどこまで行っても互いに違うと言い合うしかありません。

  • 投稿者: sadatajp
  • 2007/10/23(火) 20:46:44
  • [編集]

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