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皇室のナゾ・欠史八代

  • 2006/11/08(水) 00:32:32

 毎日新聞佐賀支局の在日朝鮮系記者が、皇室に対して無礼千万な態度をとったことは皆さんもよくご存知だろう。

人気ブログがこぞって毎日を批判する良い記事を書いていたので、私は”外への守り”に専念し、あえてここでは取り上げなかったのだが、某巨大掲示板で関連スレをながめてはいた。

そこでは毎日の記者への批判の書き込みとともに、皇室の歴史の長さについて今さらながら驚いたといった書き込みも目立ち、なかには世界史便覧についている図表までアップして、王朝の交代さえなかった日本の歴史の長さを強調するものもいた。

そうした書き込みのなかに、「皇室は2600年以上の歴史がある」というのがあって、それに対して「それは伝説でしょ」とか「それでも1500年以上の歴史があるよ」といったレスがついていた。

「日本という国がどうやって成立したか」とか「日本人はどこから来たか」といった話にものすごく興味があるクロフネとしては見過ごすわけにはいかないので(笑)この話題にバックリと食いついてみたい。

 日本や皇室がどのように成立したかについての歴史的資料は、8世紀に編纂された古事記や日本書紀がその代表としてあげられる。

古事記は古い日本語で書かれたのに対し、日本書紀は東アジアの国際共通語であった漢文で記された。

古事記や日本書紀あるいは中国の漢書のような王朝が編纂する歴史書”正史”は、統治者が自国を統治する正統性をアピールするために書かれるものであり、古事記は国内向けであったのに対し、日本書紀は日本人以外にも読まれることを意識して書かれたものと言われている。

もう何年も前になるが、私は以前、日本書紀を古語辞典片手に訳しながら半年かけて読んだことがあるので、日本書紀(以下、書紀と略す)をメインに日本や皇室がどのように成立したかのナゾを探っていきたい。

 まず皇室の歴史を考える上で問題になるのが、この記事のタイトルにあげた、いわゆる欠史八代である。

欠史八代とは、第二代から第九代(綏靖天皇から安寧天皇・懿徳天皇・孝昭天皇・孝安天皇・孝霊天皇・孝元天皇・開化天皇)まで、八代の天皇のことで、書紀にも家族構成や都をどこに置いたかといった、ごくわずかの記述しかないため、本当は実在せず書紀の作者がでっち上げたウソだとする説が根強く存在する。

ちなみに、”安寧”といったお名前は、亡くなられた後におくられたもの(漢風の諡号<しごう>)で、当時は”天皇”という尊称もまだ存在しなかった。

日本風の諡号は、しきつひこたまてみ・すめらみこと(磯城津彦玉手看・天皇)とおっしゃる。

しかも考昭帝113歳、孝安帝137歳、孝霊帝128歳、孝元帝116歳、開化帝115歳と、とんでもなく長寿で、でっち上げ説をとる人はこれをもって、「やはり八人の天皇は実在しなかったのだ」と主張している。

それでは欠史八代に初代の神武天皇を含めて、本当に実在しないタダのでっち上げだったのだろうか?

 この問題には、書紀の作者が歴史上の事件がいったい何年に起こったのか特定するのに非常に苦労した、ということがからんでいる。

平成とか昭和といった元号が使用されるのが大化(西暦645年)以後だし、もちろん当時の日本人は西暦なんて知らなかったが、当時の東アジアでは干支というものがあり、年を記録するのにそれが使われていた。

干支とは、子・丑・寅・・・でおなじみの十二支の十二文字と、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十文字を組み合わせて、甲子から癸亥まで六十年で一回りする暦のことである。

阪神タイガースの本拠地・甲子園球場は甲子(きのえね)の年にできたからだし、六十歳を還暦というのは、たとえば甲子の年に生まれた人が六十歳になると干支が再び甲子に帰ってくるためである。

書紀の作者は書紀を編纂するときに、昔話や書物などいろいろな資料を参考にしたと思われるが、干支さえ記されていない事件が、いったいいつ起こったのか特定するのにとても困ったのである。

そこで書紀の作者が参考にしたのが、中国や朝鮮半島の諸王朝の歴史書で、それらに書かれている事件と日本側の記録とを照らし合わせることで、年代を特定しようとした。

実際、日本書紀には、”百済記””百済本記””百済新撰”といった、現在では失われてしまった貴重な歴史書の記録が一部であるが残っており、中国の歴史書とあわせて、年代特定のために参考としているということは、みなさんご存知無いのではないだろうか。

 たとえば、第15代応神天皇の母君とされる神功皇后(和風のお名前は、おきながたらしひめのみこと)という方がおられる。

日本書紀における神功皇后の時代の記録は、4世紀の後半にあった事件が書いてあるのだが、書紀の作者は、神功皇后と邪馬台国の女王・卑弥呼もしくは壱与は同一人物ではないかと考えていたようで、

書紀の神功皇后66年の記録として、倭の女王が中国の年号で泰初二年(西暦266年)に使節を中国に送ったという中国の歴史書の記述が併記されている。

つまり神功皇后66年は西暦でいうと266年に当たると書紀の作者は考えたのだが、本当は干支を二周り(120年)遅らせた386年が、ほぼ正確な年代ということになる。

ちなみに神功皇后65年には、百済の枕流王が死去したとの記述があり、枕流王の没年は385年とはっきりしているので、ドンピシャである。

さらに詳しく言うと、神功皇后時代の記述にその時代には無かった事件や新旧がひっくり返って記録されているものが含まれていたりするのだが、それについて述べ始めると十回シリーズになりそうなのでやめとく。

 さて、書紀の作者がいちばん困ったのが、初代・神武天皇が即位した年で、こんな重要な事件がいつ起こったのかわからないのでは、日本書紀の歴史書としての権威がガタガタになってしまう。

それでは書紀の作者がどうやって神武天皇の即位年を決定したか、欠史八代は本当にでっち上げなのかの結論については、次回に続く。

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この記事に対するコメント

興味あります

私が小学生5年生のときに、124代(現125代)天皇の名前を全部覚えたことがありました。懐かしい天皇の名前を目にし、うれしいです。欠史八代の話、初めて知りました。続き楽しみにしています。

  • 投稿者: 縁起だるま
  • 2006/11/08(水) 01:05:57
  • [編集]

古代の天皇の年齢が高いのは、暦の考え方が違うかったからでしょう? たしか2倍年暦といって、春~秋、秋~春で一年づつ計算している。これを考慮すると中国の史書との一致がある。応神天皇~雄略天皇と、中国の史書の倭の五王と重なる。

古代の天皇で年齢が異常に高いのは、欠史八代だけではない。継体天皇くらいまで高いから、その近くで仏教とかが伝わったように思うので、その頃に暦を訂正したように思う。

また、最初の天皇の話である神武東征だが、どう考えても東征というのは大げさな表現で、日向(鹿児島・宮崎)の神武天皇が近畿地方の王の婿養子に入った程度の話だと思う。だからこそ、彼の東征のお供は20人程度だし、また、日向~瀬戸内海~近畿まで、陸地を通らずに海路主体で旅をしている。ここで興味深いのは、北九州や中国地方の名称があまり出てこないことであり、ここは神武天皇にとって危険な地域だったのか?

そして、その神武天皇から崇神天皇までの間(欠史八代)の話は近畿地方の話に限定しており、崇神天皇の時代になって初めて、四道を置いたとか、日本全国規模の話になる。出雲や吉備を倒したのもこの頃。つまり、神武~崇神天皇までの間では、北九州や中国地方は、天皇家の支配下になっていなかったことを表している。この崇神天皇は、初めて天皇らしい天皇ということになっている。魏志倭人伝の卑弥呼の頃と崇神天皇の時期は比較的に近かったように思う。

  • 投稿者: 無名戦士
  • 2006/11/08(水) 03:03:18
  • [編集]

連名で失礼します

縁起だるま さん

>私が小学生5年生のときに、124代(現125代)天皇の名前を全部覚えたことがありました。

すごいですね~。縁起だるまさんは、なかなかシブイ小学生だったんですね。


無名戦士さん

推理小説を読んでいる途中の人に、犯人を教えてまわるのは、あまりよい趣味とは言えませんね(笑)

もっとも、あなたの考える犯人と私のそれとは、ちょっと違うようですが...

ところで、以前から気になっていたのですが、

>たしか2倍年暦といって、春~秋、秋~春で一年づつ計算している。

二倍年暦が実際に日本で使われていたという証拠となる一次資料ってあるのでしょうか?

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2006/11/08(水) 22:16:19
  • [編集]

どうもこんにちは!
いろんなブログを応援させていただいています。
応援ポチッ!

  • 投稿者: ポルコ
  • 2007/06/02(土) 16:57:15
  • [編集]

 古事記、日本書紀が参考にした種本がありますね。をして文献を研究されると、欠史としたところが、欠けていないとわかりますよ。
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page2.htm

  • 投稿者: アマガツ
  • 2007/06/02(土) 17:37:21
  • [編集]

私のPCだけかもしれませんが、
数日前から「人気ブログランキング」のバナーが消え、投票ができないブログがあります。こちらも、バナーも消えてしまい、投票もできません。
なぜですか?
同じようにバナーが消えて完全に投票できない他のブログは、「今日の韓流通信」など。
バナーは消えても、文字の部分にクリック投票できる場所を作っていてそこで投票できるものは「イプサム」「やじざむらい・・・」「ある浪人の手記」などで、
他のブログでは問題なく、バナーもあり、投票もできます。

こういうことは初めてなので、理由が知りたいのですが。管理人さんには問題なく表示されていること思いますから、一部のユーザーに投票ができないことをご認識いただければ幸いです。

  • 投稿者: てんま
  • 2007/06/03(日) 21:42:45
  • [編集]

ポルコさん

応援ありがとうございます。


アマガツさん

ヲシテというのは初めて知りました。
ちょっと調べてみようと思いますが、ホツマ文字ってちょっとアヤシイと言われていたような気がするのですが...

”ン”が使われるようになったのは比較的新しいのではないかとか、言われていたような気がします。


てんま さん

ご報告ありがとうございます。

バナーをjpgに変えたりといろいろと手を打ってはいるのですがダメみたいですね。

別の対策を講じてみます。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2007/06/04(月) 21:01:18
  • [編集]

記紀の全肯定と全否定

私は終戦時、小学校(当時は国民学校)5年生でした-といえばお分かりでしょうが、あの時を境に歴史教育の内容がひっくり返るのを経験した世代です。
 ここ何年か歴史作家、関裕二氏等の著書を読みました。それらの説の当否は別として、神話などの荒唐無稽と見える記述であっても、何かしらの下敷きとなった伝承や史実が存在する可能性を全く否定できないであろうと感じさせられます。
 戦前の記紀の内容をそのまま信用させられるのも、戦後の全否定の扱いも共に不適当であると思われます。イデオロギーにとらわれない、着実な研究が望まれます。
 ちょっと舌足らずのコメントで恐縮です。

  • 投稿者: がいた
  • 2007/06/09(土) 09:15:31
  • [編集]

がいた さん

>戦前の記紀の内容をそのまま信用させられるのも、戦後の全否定の扱いも共に不適当であると思われます。イデオロギーにとらわれない、着実な研究が望まれます。

強く同意します。まず結論ありきでは、真の歴史研究・考古学研究とは言えませんですし。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2007/06/09(土) 21:40:07
  • [編集]

NAME訂正

先ほどのコメントのNAME「がいた」はがいたん子」でした。入力脱落で失礼しました。

  • 投稿者: がいたん子
  • 2007/06/10(日) 09:00:25
  • [編集]

>NAME訂正

がいたん子さんでしたか。了解しました。 いつもコメントありがとうございます。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2007/06/10(日) 14:02:25
  • [編集]

私説公開

「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

  • 投稿者: 石垣眞人
  • 2008/08/16(土) 16:04:22
  • [編集]

石垣眞人さん

残念ながら、何をおっしゃっているのか良くわかりませんでした。

  • 投稿者: クロフネ@管理人
  • 2008/08/16(土) 21:23:31
  • [編集]

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