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”左翼”を解剖する(その1)
- 2006/05/08(月) 23:57:15
今回は以前予告した通り、”左翼”を解剖してみたいと思う。
まず左翼の定義であるが、おおざっぱに言えば、「チャンスの平等ではなく結果の平等を求めるのが左翼である」と言えると思う。
(チャンスの平等・結果の平等の定義についてはこちら)
結果の平等を、暴力によって獲得した独裁権力によって達成しようとするのが共産主義者(社会主義者)で、このブログでは極左と呼ぶことにする。
他方、結果の平等を選挙で政権を獲得することによって達成しようとするのが社会民主主義者で、これは左翼リベラルあるいは狭義の左翼とでも呼んだらいいだろうか。
これらをひっくるめたものが、左翼である。
左翼の思考パターンを分析してみると、彼らは複雑な思考が大変苦手で、この複雑極まりない世界を極度に単純化して理解しようとする。
その結果、ものごとを善と悪のたった二つに分類して、レッテル貼りをするような愚かなことをはじめる。
以下は、左翼に典型的に見られる善悪二元論をチャートにしたものである。
このチャートに共感できるほど、あなたの左翼度は高いことになる。
「このチャートのどこがおかしい? 100%正しいじゃないか!」と思った人は、完全に左翼のマインドコントロールの影響下にある。
善 | 悪
―――――――――――――――
左翼 | 右翼
アジア(特ア)| アメリカ
中国・韓国・北朝鮮| 日本・アメリカ
弱者 | 強者
平等 | 格差
自由 | 抑圧
民主主義 | 独裁主義
平和(非暴力)| 戦争(暴力)
国際協調主義 | 帝国主義(侵略)
平和憲法 | 非平和憲法
反核・非核 | 核兵器
非武装 | 軍隊
地球市民 | ナショナリズム
本当はもっとあげられるのだろうが、取りあえずここらへんにしておこう。
もし左翼思想が正しいのであれば、同じカテゴリーに入ったもの同士は、一切の矛盾が無いはずである。 こんどはそれを検証していこう。
では左翼は本当に、弱者で平等主義・自由主義で非暴力だろうか?
答えはNOだ。
ソビエト・東ドイツ・ルーマニア・中国・北朝鮮・ポルポト時代のカンボジアなどの例をあげるまでも無く、左翼は暴力を行使して独裁権力を握った強者で弱者たる国民の自由と富を奪い、極度の格差社会を生みだして自ら特権階級となっていったのであって、リベラルも含めて左翼が平等な社会を実現した事など、歴史上たった一度の例も無い。
そうした事実を”プロレタリアート独裁”だの”先富論”などといった言葉でごまかし、それを批判する者を、殺人・拉致監禁・拷問・思想洗脳といった、悪徳にまみれたありとあらゆる手段を使って、迫害してきたのである。
それでは次に、中国・韓国・北朝鮮という国家は本当に、自由・平等・民主的な、平和憲法を持つ反核・非核の非武装国家で、そこに住む人達はすべてナショナリズムに反対する”地球市民”なのだろうか?
答えはNOだ。何度でも言ってやる、答えは断固NOである。
中国・北朝鮮は民主主義のカケラも無い、まぎれもない独裁国家で、特権階級である共産党の支配者たちが、国民の自由や平等を奪っている。
韓国は現在は一応民主主義システムを持っているが、80年代まではれっきとした軍国主義国家であったし、国家が教育やマスコミを支配して国民の思想をコントロールする手段としてきた。
中国は平和憲法・非核反核どころか、原爆・水爆と数百発の核ミサイルを保有する国であり、北朝鮮も最近核保有国の仲間入りを果たして近隣諸国に脅威を与えているし、冷戦時代に核武装の計画を持っていた韓国も含めて、この三国は非武装どころか経済規模に見合わないほどの軍拡を続けてきた重武装国家ばかりである。
そして中国・韓国・北朝鮮の国民が地球市民なんて、全く笑えないセンスの悪いジョークだ。
むしろ中国・韓国・北朝鮮は、もっともタチの悪い偏狭かつ排他的なナショナリズムが渦巻いている国々であって、そうした自民族優越主義を背景に、中国はチベットやウイグル・モンゴルといった”少数民族”を抑圧し、韓国も含めて領土・領海拡張主義の熱病に冒されている。
1950年の朝鮮戦争は北朝鮮による韓国侵略の結果だったし、79年の中国によるベトナム侵略や南シナ海におけるベトナム・フィリピン領の島嶼占領もそうだ。 韓国は竹島を一方的に暴力で奪い取り、日本との話し合いにも応じていない。
これのどこが国際協調主義であるのか? 19世紀から20世紀にかけて吹き荒れた、あの帝国主義そのものではないか。
左翼の頭の中で、どうしてこのような矛盾が起こるのかと言えば、左翼が、ものごとを善か悪かに振り分ける時、その判断基準として自らの感情・フィーリング・イメージを最優先にしているからである。
この複雑な世界を正確に認識するには、膨大な知識を蓄え、それを基に認識を論理的に構築していかなければならないが、大切だが骨の折れるそうした作業を、左翼が頭の中でしているとは思えない。
もしそうした作業をいとわずやっていれば、左翼チャートにみられる矛盾など起こり得ないからである。
それが起こるのは「複雑な思考などめんどくさい」という感情を最優先させて、単純な善悪二元論に逃げたからだろう。
そしてものごとを善か悪かに振り分ける時、やっぱり自らの感情・フィーリング・イメージを最優先にした結果、左翼チャートにみられる、あの救いようが無い矛盾が発生するのである。
ここで矛盾に気づいて良心が痛むような真っ当な人間なら左翼をやめるであろうが、自らの感情をコントロールできない重度の左翼病に陥っている者は、矛盾から目をそらし、さらにタチの悪い妄想にふけるようになる。
「左翼による独裁はプロレタリアートによるものだから民主主義だ」
「左翼による平等社会の建設のための暴力は良い暴力である」
「中国のものはきれいな核兵器。アメリカのは汚い核兵器」
「中国・北朝鮮など左翼国家が独裁体制で、暴力によって国民を抑圧しているなんて右翼のデッチ上げたウソだ」
「北朝鮮が核ミサイルを開発しているとか、日本人を拉致したなんてのも、やっぱり右翼のデマだ」といった具合に。
左翼の持つ「左翼は正義だから」という感情が暴走して、妄想にふけることや他人にウソをつくことをことごとく正当化していくのである。 そもそも「左翼は正義」という主張も自らの感情だけがその根拠であるが。
1990年代のはじめに共産圏で続々と独裁政権が倒れ、左翼の総本山とも言うべきソビエトも消滅した。
これで、左翼の妄想は完全にとどめを刺されたのだが、「左翼は正義だから」という感情によって、ありとあらゆる悪徳を正当化してきたために、人間としてのモラルが破壊されてしまった彼らは、
これまで妄想にふけり、とんでもないウソを垂れ流してきたことを反省もせず、ある者は極左からリベラルへと転向したりして、21世紀の今でもしれっとした顔をして政治活動や言論活動を続けている。
おそらく「自分達が妄想にふけりウソを垂れ流してきたから、右翼だって同じ事をしているのだろう。だから自分達だけが反省する必要は無い」で、これまでの悪行の数々を片付けたのではないだろうか。
何しろ「だって左翼は正義なのだから」という感情で、殺人・暴行・拉致監禁・言論思想統制など、どんな悪いことでも正当化するのが左翼だから。
クロフネは、人間とその他のアニマルの決定的な差は「理性の存在」ではないかと考えている。
例えば、お店の店先においしそうなフルーツが並んでいたとする。
野生のアニマルなら、そのフルーツにそのまま飛びついてかじり出すだろうが、理性のある人間ならば、まずお金を払ってフルーツを自分のものにしてから、それを食べようとするだろう。
野生のアニマルは、食欲・睡眠欲・性欲など動物としての本能や感情を制御することは困難である。人間にしつけられた場合を除いては。
人間もしょせんアニマルの一種だから、動物としての本能や感情を完全にコントロールすることはできないが、理性によって本能や感情をコントロールしようと努力するところに、人間とその他のアニマルとの最大の違いがある。
太古の昔には人間も感情の多大なる影響を受けていた。
そうした感情が迷信を生みだし、天変地異を防ぐために同じ人間を殺して神へのイケニエとしたり、魔女狩りと称して人間を大量虐殺するような悲惨な事件を起こしてきた。
しかし人間の理性と論理的思考力が科学を生みだした瞬間、人間社会は進歩をはじめ、そうした感情・迷信が生み出す悲劇から人間を救うことになった。そのおかげで現代社会の繁栄がある。
以上の点から、私は左翼というものをつきつめていくと、アニマルとしての人間の本能である感情を理性でコントロールするのが苦手な人達というところに行きつくと思う。
近代社会へのスタートが遅れ、感情のコントロールが苦手な中国・韓国・北朝鮮の人達と、左翼の人達との相性が非常に良いのも同様の理由からだろう。
左翼の人達は、理性で感情をコントロールする能力がないのではなくて、ただその訓練を積んでいないだけだと信じたいが。
左翼が理性によって己の感情を制御するすべを身につけない限り、妄想にひたり続け、それを他人に向けて垂れ流しにするのをやめることは無いだろうと思う。
そして「左翼は正義」で、ありとあらゆる悪行を正当化し続けるかぎり、どんなに話し合っても左翼以外の人達と議論がかみ合うことも無いだろう。
もちろん、左翼には軽度の左翼と重症の左翼がいて、彼らの言うことがすべて間違っているわけではないことを念押ししておくとともに、私が左翼ではなくても、人が左翼思想にハマッて左翼的主張を表明する自由を擁護するものであるのは言うまでもない。
左翼にありがちな「自分は正義」という感情から、言論・思想統制を行って「左翼になる自由を奪おう」と考えるほど堕落はしていないつもりである。
つづく
-----------------------------------
二十歳までに左翼運動に傾倒しない者は情熱が足りない。
二十歳を過ぎても左翼運動に傾倒している者はオツムが足りない。
共産主義は宗教である。共産党はイエスのいないイエズス会のようなものだ。
ウインストン・チャーチル
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サヨク誕生!
サヨクがどういう人達かについては、クロフネさんのサイトがとっても分かりやすい。で、naplessも一言。嫌なことは、何でも他人のせいにする、環境のせいにする、制度のせいにする、政治のせいにする。すると、サヨクが誕生する。ある意味、マインド・コントロール論もこう
- From: 右向け右! |
- 2006/05/21(日) 12:21:02
三輪のレッドアラート氏が、クロフネに突撃、撃破…(笑)。
「多数派による強行採決こそ民主主義である・・・」という珍説を披露して、小泉独裁政権の強行爆走政治を擁護している「クロフネ・ブログ」http://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-301.htmlがある。たぶん、その論調から見て、バリバリの「小泉・安倍マ
- From: 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 |
- 2006/05/25(木) 13:11:09
米国・西欧左翼と国内サヨク
JapanKnowledge移民流入制限 (いみんりゅうにゅうせいげん) -国際関係 -2004年7月28日 2004年5月に25か国体制となった拡大EUにおいて、大きな問題となっている事項。EU経済統合の要件の一つに、域内における労働力
- From: 【ネット右翼】或る団塊Jr.の徒然日記 |
- 2007/06/26(火) 18:54:24
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この記事に対するコメント
共産主義国家は
「私有財産、資産の没収」
「虚偽密告だらけの恐怖政治」
「平等=国民の総貧乏化」
と聞いたことがあります。
これではとても生きていけません。
左翼は馬鹿也
拝啓 左翼は馬鹿なんですね。 うーむ 盲点でした。 草々
もう一つ定義を:
「常に敵を見出し、非難、攻撃をする集団」、「敵の存在無しには存在・存続が困難な集団」
新しい見解でした
結果の平等を求める=左翼というのは
今まで考えたこともありませんでしたが、
そう定義づけると色々と説明できることが
多いのに驚きました。
ただ、「自分を正義だと信じる左翼」
には納得するのですが、
左寄りの方で機会の平等を唱える人や
右と自認する人で結果の平等を求める人も
中にはいるとも思いますし、
9条を死守しようとしている方々は、
武力=戦争=悪という図式を信じて
武力を持たせないよう声を挙げているので
思考が単純であるとは思いますが、
「結果の平等」精神とは違う気がします。
そういう方々はどう説明すればよいのか
ちょっと考えてみようと思いました。
連名で失礼します2
東京さん
共産主義は科学ではなく宗教で、共産主義者は現実のみえない狂信家ですから、共産国家はどこも経済が破綻し、国民が食って行かれなくなります。
九段の上さん
>「常に敵を見出し、非難、攻撃をする集団」、「敵の存在無しには存在・存続が困難な集団」
基本的に「左翼は絶対正義、非左翼は悪だからどんなことをしてもよい」と考えるのが左翼ですから、そうなりますね。
紅葉さん
>左寄りの方で機会の平等を唱える人や右と自認する人で結果の平等を求める人も中にはいるとも思いますし、
そうなると、どう自認しているかはともかく、厳密な意味での右・左とは言えなくなるのではないでしょうか。
もちろん、右にも左にも例外は存在するでしょうし、右派的な政策を多く取り入れた中道左派のような”軽い左翼”もいます。
また極左は容易に極右に転向します。それについては第2回で。
まあ左翼思想自体が感情やフィーリングから成り立っていて多くの矛盾を抱えていますから、完璧にカテゴライズするのは無理でしょう。
結果の平等をタテマエとしながら権力を取ったら左翼自身が特権階級となってしまうのですから。
>9条を死守しようとしている方々は、
武力=戦争=悪という図式を信じて
武力を持たせないよう声を挙げているので思考が単純であるとは思いますが、「結果の平等」精神とは違う気がします。
左翼がものごとを善悪に振り分ける時は、すべてのケースで「結果の平等」精神を基準としているのではなく、あくまでも彼らが持つ感情・フィーリング・イメージです。矛盾があっても彼らにとっては問題がないのです。
左翼思想を矛盾が無い思想体系という前提でみてしまうと、混乱してしまうと思います。
緊急情報です!
千葉の自民党県連が継続審議中の「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例案」
について、修正を条件に条例案に賛成する方針を固めました!
ソース http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/chiba/html/kiji01.html
しかし、この条例は元々多数の問題点をはらんでおり、今回の修正でも
1.「障害のある人」の「障害」の定義があいまいで、何でも該当する
2.条例の基本理念が道徳・秩序・公共の利益と衝突する
3.条例案の羅列する「なくすべき差別」が広範に渡り、正当で合理的な「区別」でさえ差別と告発されうる
4.差別の通報→知事→指定機関の調査→差別加害者の出頭
これでは、指定機関の構成員に国籍制限もなく、政治的中立性の保証もありません
5.指定機関が判断する「正当な理由」なくして拒否できない事
およそこれだけの問題が解決されていません!
県議会でこの条例に反対に回った自民党千葉県連が今回修正に応じることで賛成にまわったのは、
先だっての千葉7区補選で武部幹事長の肝いりで公明党の選挙協力を得る為に、
自民党が積極的に障害者政策に取り組むことを確認した覚え書きの存在が影響を及ぼしたのではないかとの話もあります!
どうかこの条例案の不透明な委員会採決に反対の声を上げてください!
□自民党千葉県連 http://www.chiba-jimin.jp/ jimin@chiba-jimin.jp
Coologさん
メルアドをいれないと、コメントがはじかれてしまうようなので、こちらにコメントします。
TBありがとうございました。
こちらから逆TBさせて頂きました。
ホント、左翼思想ってのはろくなもんじゃありませんね。
チャーチルの発言とされる言葉は典型的なデマです。ぐぐればすぐわかることをぐぐらないのはなぜですか?そもそもチャーチルは晩年リベラルだったはずですが、そういう史実もご存じないで、チャーチルの言葉をひくのは感心しません。
無名戦士さん
チャーチルの言葉は、以下の本に収録されたものから、引用しています。
チャーチルの強運に学ぶ(断じて絶望するなかれ)ジェームズ・ヒュームズ/渡部昇一・下谷和幸 訳 PHP出版
デマとおっしゃるならジェームズ・ヒュームズ氏に抗議なさったらどうですか。
何点か指摘を
初めまして。なかなか興味深い論評でしたので、拝見させていただきました。そこで、「おや?」と思った点を何点か指摘させていただきます。
まず、クロフネ氏は、左翼を「チャンスの平等ではなく結果の平等を求めるのが左翼である」と定義されています。そのなかで、「結果の平等を、暴力によって獲得した独裁権力によって達成しようとする」者を極左、と分類されています。
そこで問題なのが、その後の記述なのですが、「ソビエト・東ドイツ・ルーマニア・中国・北朝鮮・ポルポト時代のカンボジアなどの例をあげるまでも無く、左翼は暴力を行使して独裁権力を握った強者で弱者たる国民の自由と富を奪い、極度の格差社会を生みだして自ら特権階級となっていった」と述べられていますが、ここに挙げられた国々というのは、おそらく「結果の平等」を掲げる左翼に分類されるのでしょうが、一方で暴力も用いているので、先の定義に従えば、左翼の中の特に極左に含まれる、ということになります。ところが、クロフネ氏は、「左翼は暴力を行使して独裁権力を握った強者で弱者たる国民の自由と富を奪い、極度の格差社会を生みだして自ら特権階級となっていった」と述べられています。これでは先の定義と矛盾をきたし、極左の話なのか左翼の話なのかがわからなくなります。少なくとも、「暴力を用いた」国家を例に挙げるならば、それらの国家の行いは、極左の行動として帰納されるものであり、左翼の行動としては帰納されません。「左翼=極左」であるならば、上記のような問題は生じないのですが、「結果の平等を求める」政党や政治勢力としては、西ドイツ社会民主党(SPD)やスウェーデン社会民主労働党のような左派政党のほかにも、「福祉元年」の頃の自民党や、メディケア・メディケイドを制定した頃のアメリカの民主党なども含まれるかもしれません。これらの政党は、暴力を用いることなく、選挙を通じて政権を維持してきたのですから、左翼であっても極左ではないことになります。ゆえに、ソ連や北朝鮮などの例示のみで「左翼は・・・」と左翼の一般的な行動について語ることは、論理的には誤っている、と言えます。
もう一点
「何しろ「だって左翼は正義なのだから」という感情で、殺人・暴行・拉致監禁・言論思想統制など、どんな悪いことでも正当化するのが左翼だから。」つまり、自己を正義(善)とすることで自己の行為を正当化してきた勢力が、すなわち左翼(極左?)であると。
しかし、この論証過程も少々問題があるように思えます。クロフネ氏はこの上の記述で、左翼(極左?)が「自己を正当化」してきた例をいくつか挙げられていますが、この論証過程からは、左翼に一般的に見られる思考様式が善悪二元論的なものなのではなく、例示された勢力がたまたま善悪二元論を用いただけ、ということも可能になってしまいます。実際、善悪二元論は、「結果の平等」を求める勢力にのみ見られるものではなく、例えばソ連を「悪の帝国」と名指しで批判したアメリカのレーガン政権などは、典型的な善悪二元論に基づいた判断をしていますが、一方では極端に「小さな政府」を志向していました。ゆえに、善悪二元論をとるか否か、自己を「正義」によって正当化するか否かは、左翼の必要条件としては不適切、といえるのではないでしょうか。
>何点か指摘を
>これでは先の定義と矛盾をきたし、極左の話なのか左翼の話なのかがわからなくなります。
最初に左翼には、共産主義者などの極左と社会民主主義者(左翼リベラル)の二つに分類できると前提条件をあげました。
特に後者を”狭義の左翼”と書きましたよね。
ですから、左翼の中に極左は含まれるのですから、全然矛盾していません。
それに
>左翼は暴力を行使して独裁権力を握った強者で弱者たる国民の自由と富を奪い、極度の格差社会を生みだして自ら特権階級となっていったのであって、リベラルも含めて左翼が平等な社会を実現した事など、歴史上たった一度の例も無い。
「リベラルも含めて」と言っているのですから、この文章の主語はリベラル以外の左翼、つまり極左(共産主義者)のことを言っているのは明白です。
>左翼に一般的に見られる思考様式が善悪二元論的なものなのではなく、例示された勢力がたまたま善悪二元論を用いただけ、ということも可能になってしまいます。
私は左翼のもつ善悪二元論の例として左翼チャートという左翼に典型的にみられる思考パターンを示したわけですが、「それがたまたまそうだっただけで、左翼一般が普段はそうではないのだ」とおっしゃるなら、あなたがそういう証拠を見せなければならない。
左翼にも例外はいるでしょうが、日本の一般的に左翼といわれる人たちで、アメリカとの同盟強化や9条廃止をふくむ憲法改正、自衛隊増強を主張している人を私は知りません。
それと、アメリカうんぬんについては、アメリカは独裁体制としてのソビエトに反対しただけで、リベラルの民主党を非合法にしたわけではないでしょう。
逆にソビエトや中国では共産党独裁体制で、”悪”である自由民主主義政党が活動したり政権交代するようなことは一切許されていませんでした。
また西側のリベラルも共産主義者(極左)のそうした犯罪行為をしばしば擁護していましたね。
反論
>「リベラルも含めて」と言っているのですから、この文章の主語はリベラル
>以外の左翼、つまり極左(共産主義者)のことを言っているのは明白です。
であるならば、文章の主語は「極左」なり「狭義の左翼」とすべきであり、「選挙で政権を獲得することによって達成しようとする」リベラルを含む広義の左翼が、「暴力を行使して独裁権力を握った強者」であると述べられていると誤解しうる表現は、改められねばなりません。
>「それがたまたまそうだっただけで、左翼一般が普段はそうではないのだ」
>とおっしゃるなら、あなたがそういう証拠を見せなければならない。
広義の左翼がそうではない、という証拠は、先に示したとおりです。
>左翼にも例外はいるでしょうが、日本の一般的に左翼といわれる人たちで、
>アメリカとの同盟強化や9条廃止をふくむ憲法改正、自衛隊増強を主張して
>いる人を私は知りません。
一般的に言われる左翼を「平和主義者」と定義するならば、上記の文章は循環論法になってしまいますから、「結果の平等」を志向する人々を左翼と定義した上でお話しいたします。
例えば、社会党右派やそこから独立した民社党などは、労組を支持基盤とし、「結果の平等」を志向する典型的な左翼政党でしたが、外交、安保については自民党とほぼ同じ政策を採っていました。民社党は、第37回総選挙では、衆議院で38議席と、公明党に次ぐ議席を確保していました(Wikipediaより)から、「例外」というにはあまりも大きな勢力であるように思います。
>アメリカうんぬんについては、アメリカは独裁体制としてのソビエトに反対
>しただけで、リベラルの民主党を非合法にしたわけではないでしょう。
流石に民主党の非合法化には至りませんでしたが、1950年台のアメリカでは、共産党は非合法組織でしたし、「共産主義的」と目された人物や団体は、数人の民主党員も含め、大勢が政府の監視下に置かれ、職を失うことになりました。このようなアメリカのマッカーシズム、反共ヒステリーは、「“悪”である・・・政党が活動したり政権交代するようなことは一切許され」ないソ連や中国の状況と瓜二つであるように思います。
>西側のリベラルも共産主義者(極左)のそうした犯罪行為をしばしば擁護
>していました
例示が無いため、説得性に欠けるように思います。
クロフネ氏が「リベラル」と仰る民主党は、カーター政権時には「人権外交」を展開し、ソ連や中国の強権支配を強く批判しています。
また、ドイツ社民党は、バートゴーデスベルク綱領において、暴力革命やプロレタリア独裁を完全に否定しています。
このような反対例ならば、提示することが可能であります。
>反論
>結果の平等を、暴力によって獲得した独裁権力によって達成しようとするのが共産主義者(社会主義者)で、このブログでは極左と呼ぶことにする。
>他方、結果の平等を選挙で政権を獲得することによって達成しようとするのが社会民主主義者で、これは左翼リベラルあるいは狭義の左翼とでも呼んだらいいだろうか。
まず極左とリベラルをこう定義し、
「それらをひっくるめたものが左翼だ」と前置きしているわけですから、何度も言いますが矛盾はしていません。
極左と左翼がぜんぜん別のものであれば問題でしょうが極左は左翼の中に含まれているわけですから。
もちろん、その主語を極左にすればよりわかりやすくなるとは思いますしご忠告には感謝しますが、「リベラルも含めて」という表現をいれてあるので、記事をアップしたとき筆者はそれで問題ないと判断しました。
>文章の主語は「極左」なり「狭義の左翼」とすべきであり
いえ、狭義の左翼とはここではリベラルのことであって極左のことではありません。記事に書いたとおりです。 左翼(広義の左翼)は、極左とリベラル(狭義の左翼)から成ると言っているのです。
>広義の左翼がそうではない、という証拠は、先に示したとおりです。
どこでしょうか?具体的な指摘はひとつもありませんでした。
NISSHAさんの主張は、「クロフネはコカコーラが甘いといっているが、コカコーラが甘いのはたまたまだ。 なぜならペプシコーラだって甘いじゃないか。」というようなものです。
確かにペプシコーラは甘いかもしれませんが、コカコーラが甘いという事実が消えてなくなるわけではありません。
あなたは甘くないコカコーラというものが一般的に存在する証拠をあげなければならない。
つまり、一般的な左翼で私の左翼チャートに当てはまらないという例です。
あなたの主張は、どうも言葉遊びのようで、率直に申し上げて、実のない議論に私は興味がありません。 こういったことが続くようですと大変失礼ですが、あなたのご意見は承ることとして、議論を打ち切らせていただきます。
また、民社党はむしろ中道政党と呼ぶべきだし、少なくとも私は純然たる左翼政党だとは考えていません。 それに社会党右派を出すなら、なぜ社会党左派や共産党といった代表的な左翼政党の人達の存在から目をそらすのですか。
>流石に民主党の非合法化には至りませんでしたが、1950年台のアメリカでは...
あなた自身がレーガン政権が善悪二元論だと言って墓穴を掘ったら、今度は50年代ですか。
50年代のアメリカは確かに民主主義が後退し、寛容さを失っていました。
しかしそれは左にいったのではなくて右に行き過ぎたと見るべきでしょう。
それは左翼の本質とは何の関係もありません。 「ペプシコーラが甘いからといってそれだけでコカコーラが甘くない証拠にはならない」と先ほど言ったのといっしょです。
>例示が無いため、説得性に欠けるように思います。
共産党の畑中政春氏が、のちに金日成が北朝鮮特殊部隊がやったと自白した青瓦台襲撃事件を、こともあろうに「朴正熙の自作自演なのは一目瞭然じゃないかね」と断言し、 それが朝日新聞に載ったことがありました。
http://blog4.fc2.com/gaikoanzenhosyo/blog-entry-129.html
社会党は、日本人を拉致・殺害した朝鮮労働党とこともあろうに友党関係にありましたよね。
日本の民主党は独裁国家・中国と主権を共有しろだなんてバカなことを言う。
カーターの人権外交については、ソ連や中共を過度に信頼し、一方的にアメリカの核戦力を削減したところ、ソ連軍によるアフガニスタン侵攻を招くという大失敗を犯し、それによってやっと自らの愚かさを悟ってソ連批判をはじめたのでしょう。
どうして前半のほうから目をそらすのでしょうか。
トルーマン民主党政権もソ連を信頼しすぎて東欧に侵攻されひどい目にあっています。チャーチルに警告されたにもかかわらず。
ドイツ社民党はリベラルの中ではマシなほうですが、シュレーダー前政権は中共とべったりで私は誉められたものではないと思っています。
再反論
「狭義の左翼」については私が勘違いをしていたようですので、その点はお詫び申し上げます。
>まず極左とリベラルをこう定義し、
>「それらをひっくるめたものが左翼だ」と前置きしているわけですから、
>何度も言いますが矛盾はしていません。
>
>極左と左翼がぜんぜん別のものであれば問題でしょうが極左は左翼の中に
>含まれているわけですから。
ですから何度も申し上げているように、左翼の中に含まれる極左を分類する基準として、暴力の有無を挙げている以上、定義上暴力を用いないはずのリベラルまでもが「暴力を行使して独裁権力を握った強者」であるとしたら、矛盾をきたしますね、ということなのです。
「言葉遊び」かもしれませんが、定義の問題は議論の根本に関する問題ですし、その点からして齟齬をきたしているような論には意味がないと私は考えます。ただ、ナマの議論と違って、書き込みでは上手く意思が伝わらないとは思います。管理人氏が不快であれば、無視してくださっても結構です。
>民社党はむしろ中道政党と呼ぶべきだし
「結果の平等」を追求する、という意味での左翼でなく、民社党が「中道」であるならば、その根拠は何でしょうか?「そう考え」ておられるならば、その根拠もあるはずですね?
>それに社会党右派を出すなら、なぜ社会党左派や共産党といった代表的な
>左翼政党の人達の存在から目をそらすのですか。
「日本の一般的に左翼といわれる人たちで、アメリカとの同盟強化や9条廃止をふくむ憲法改正、自衛隊増強を主張している人を私は知りません。」とクロフネ氏が仰ったことに対する返答として、「アメリカとの同盟強化や9条廃止をふくむ憲法改正、自衛隊増強を主張」しつつ、「結果の平等」を追求する左翼に含まれる政党として、社会党右派や民社党を例に挙げたまでです。ここでの論点は、「どの政党が改憲や自衛隊増強に反対しているか」ではありません。
>あなた自身がレーガン政権が善悪二元論だと言って墓穴を掘ったら、今度
>は50年代ですか。
>
>50年代のアメリカは確かに民主主義が後退し、寛容さを失っていました。
>しかしそれは左にいったのではなくて右に行き過ぎたと見るべきでしょう。
「どんな悪いことでも正当化するのが左翼」というクロフネ氏の主張に対して、左翼でなくても、「右に行き過ぎた」り、「寛容さを失」えばどのような政党であろうとも、善悪二元論に陥り、自己の行為を正当化する場合がある、と申し上げているのです。
>カーターの人権外交については、ソ連や中共を過度に信頼し、一方的にア
>メリカの核戦力を削減したところ、ソ連軍によるアフガニスタン侵攻を招
>くという大失敗を犯し、それによってやっと自らの愚かさを悟ってソ連批
>判をはじめたのでしょう。
確かにカーター外交は政権途中で変容しましたが、変容以前も以後も、カーター政権は、クロフネ氏の仰るところの「リベラルの民主党」であることに違いはありません。ですから、リベラルもソ連を批判している例になると、私は申し上げているのです。
コーラの比喩がお好きなようですが、私の反論は、コーラに例えるならば、「ペプシコーラが甘いからといってそれだけでコカコーラが甘くない証拠にはならない」というものではなく、「ペプシコーラが甘いからといって、××コーラのように甘くないコーラも存在するのだから、普遍的にコーラが甘いという証拠にはならない」ということになります。
>再反論
>「狭義の左翼」については私が勘違いをしていたようですので、その点はお詫び申し上げます。
言語という、誤解しやすく頼りないコミュニケーション手段をお互い使っているわけですから、お気になさらないでください。
>ですから何度も申し上げているように、左翼の中に含まれる極左を分類する基準として、暴力の有無を挙げている以上、定義上暴力を用いないはずのリベラルまでもが「暴力を行使して独裁権力を握った強者」であるとしたら、矛盾をきたしますね、ということなのです。
「リベラルが暴力を行使して独裁権力を握った」と私が書けば、明らかな間違いですが、左翼には極左と狭義の左翼(リベラル)が含まれると前置きした上で、「左翼が暴力を行使して独裁権力を握った」と書いてあるのですから、筆者の判断で問題なしとしました。
その後の部分で、「リベラルも含めて」と書いたように、文脈から主語は極左であるのは容易に類推できるでしょうし。
それにリベラルを「結果の平等を選挙で政権を獲得することによって達成しようとする」と前もって明確に定義してあるので、この部分において、暴力で権力を握ったのが極左以外にありえないのは明白です。
よってこの話題はこれでおしまいにします。
>私の反論は、コーラに例えるならば、「ペプシコーラが甘いからといってそれだけでコカコーラが甘くない証拠にはならない」というものではなく、「ペプシコーラが甘いからといって、××コーラのように甘くないコーラも存在するのだから、普遍的にコーラが甘いという証拠にはならない」ということになります。
それは当初の論点からずれていると思います。
私は、左翼に特徴的に見られる善悪二元論を”左翼チャート”として示し、それに当てはまれば当てはまるほど、左翼度が高いと定義しました。
わかりやすく例えるなら「コカコーラは甘い」と定義づけたわけです。
ところが、あなたは左翼が”左翼チャート”のような善悪二元論に陥るのは「たまたまだ」とおっしゃった。
その証拠として、「レーガン政権時代・50年代のアメリカが善悪二元論だから」とおっしゃった。
わかりやすく言えば、「コカコーラが甘いのはたまたまだ。 ペプシ・コーラだって甘いじゃないか」ということです。
しかし、いくらアメリカにも善悪二元論があることを証明してみせたところで、”左翼チャート”のような善悪二元論に陥っていない左翼の例を示したことにはならない。
つまり、「ペプシ・コーラが甘いことをいくら証明したところで、コカコーラが甘くないという根拠にはならない」ということです。
何度も言っているように、コカコーラは甘いと定義した私に「それはたまたまだ」と反論したのだから、あなたは甘くないコカコーラが存在する証拠を提示しなければなりません。
すると今度は
>「ペプシコーラが甘いからといって、××コーラのように甘くないコーラも存在するのだから、普遍的にコーラが甘いという証拠にはならない」
とおっしゃる。
これは話のスリカエでしょう。
甘くない麦茶を持ち出して、「これで普遍的に飲み物が甘いという証拠にはならない。だから私の主張が正しい」と言うようなものです。
私はコカコーラに的を絞って議論しているのであって、飲み物一般について話しているわけではありません。
コカコーラは甘いと定義した私に「それはたまたまだ」と反論したのだから、あなたは飲み物一般についてではなく、「甘くないコカコーラが存在する証拠」を提示しなければならなりません。
左翼政党の主流派以外の勢力、つまり民社党や社会党右派・アメリカの例をいくら持ち出したところで、社会党左派や共産党など平和憲法死守・自衛隊違憲・日米同盟破棄などを叫び、それを政策としてかかげてきた左翼主流派が私の左翼チャートにあてはまらないということにはならない、ということです。
>>広義の左翼がそうではない、という証拠は、先に示したとおりです。
>どこでしょうか?具体的な指摘はひとつもありませんでした。
話のスリカエばかりで、これに対するお返事がとうとうありませんでしたね。
率直に申し上げて、あなたの議論の中身は政治論についてというよりは、言葉遊びや詭弁術のたぐいです。
前回で申し上げたとおり、私はそういったたぐいの話については全く興味がありませんから、失礼ながらこれで議論を打ち切ります。
終息
私の表現力の無さによるのかもしれませんが、私の論理が上手くクロフネ氏に伝わらなかったようです。
クロフネ氏のブログですので、私もこの件に関してはこの書き込みを最後にしたいと思います。
議論にお付き合いいただき、ありがとうございました。
面白く読みました
左翼の定義にもう一つ付け加えるならば、
自分にとって不利な言論があるときには、全く違う話にすり替えようとする。そこまで言って委員会の田嶋陽子を見ていると、よくわかります。