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第8回 近代日本の対朝鮮外交 (その7)

  • 2005/05/15(日) 23:56:03

 日清戦争の勝利によって、清の朝鮮半島における影響力を排除した日本は、朝鮮の内政に介入して改革を進めようとした。

当時朝鮮にいたイギリス人旅行家、イザベラ・バードをして「朝鮮には二つの階級しか存在しない。盗む側(王族・両班貴族)と盗まれる側(平民・奴隷)だ。」といわしめた、朝鮮の後進的な社会の改革に着手した日本だったが、

特権を守ろうとする国王・高宗と閔妃政権側の根強い抵抗に改革が思うように進まなかった。

しかも閔妃政権は駐朝ロシア公使ウェーベルに接近して、改革派高官の追放をはかった。

 これらの動きに焦った、三浦梧楼公使を中心とする在朝日本公使館の急進派は、朝鮮守旧派の中心人物・閔妃の暗殺とクーデターを企てた。

閔妃の政敵で高宗の実父・大院君もこの動きに協力し、1895年(明治28年)10月クーデターは決行され、閔妃も暗殺された。(閔妃暗殺事件)

(閔妃は朝鮮の改革にことごとく反対し、日本・清・ロシアと同盟相手をころころと変え、愚かにも清やロシアに、朝鮮半島介入のきっかけさえ与えた。

その意味で日本にとっては正に”不倶戴天の敵”であったが、暗殺という手段はいかにも短慮・拙劣ではなかっただろうか。

現代から過去を裁こうとは思わないが、もっと他にやりようが無かったのかと思うと残念でならない)

 閔妃暗殺事件のあと、ロシア軍・アメリカ軍水兵と朝鮮親露派の李範晋・元農商工部大臣が金弘集首相暗殺を企てたが、失敗に終わった。(春生門事件) 

(おそらく親露派の閔妃暗殺で影響力後退を恐れたロシア側が、親日派の金首相の暗殺を謀ったものと思われる)

 親露・守旧派の後退によって、第三次金弘集政権は一連の国政改革を断行、翌1896年(明治29年)、約1200年ぶりに朝鮮独自の元号”建陽”をたてて太陽暦を採用した。

(中国皇帝の暦の使用を停止したことは、中国からの独立を象徴する出来事であった)

 閔妃暗殺と国政改革に反発した高宗は同年2月、ロシア軍水兵の護衛のもと、密かに王宮を脱出して在朝ロシア公使館に逃れ、以後1年間にわたりそこで政務をつかさどった。これを露館播遷という。

高宗はロシア公使館から、金弘集首相をはじめとする改革派を抹殺するよう命令を出し、それに呼応した警察・民衆が暴動を起こして金首相以下改革派要人と日本人を虐殺した。

これに伴い、朝鮮を近代的な立憲君主国とするべく開始された日本の改革は、ことごとく白紙に戻され、高宗は専制君主の地位を取り戻した。

 また高宗は、朝鮮領内の鴨緑江・豆満江沿岸地域の木材伐採権と鏡城・鐘城鉱山の採掘権をロシアに与え、ロシアはそれら権益の保護と称し、ロシア軍を駐留させた。

一方、清の李鴻章とロシアのロバノフ外相は、同年6月日本を仮想敵とし、日本がロシア・清・朝鮮いずれかを攻撃した場合、露清間の相互援助を約束した、”露朝秘密協定”を締結した。

こうして露・清・朝の連携が強まることで、日本の半島における影響力は後退しつつあった。

(閔妃を暗殺された高宗には深く同情するが、だからといって朝鮮の近代化を逆行させても良いということにはならない。

そもそも日本が朝鮮を近代化させ独立を維持できるように努力してきたのも、朝鮮が欧米列強、特にロシアの植民地にされないためであった。

しかし、朝鮮国王みずからロシアのワナにかかりに行くようなこの行動は、朝鮮開国から日清戦争までの日本の苦労が、まったくの無駄となりかねないものであった。

この時、駐朝ロシア公使ウェーベルは高宗をかくまいつつ、国政改革を逆行させる彼の試みをことごとく黙認した。

近代化政策がストップし、朝鮮が後進的な専制王朝にとどまってくれた方が、保護国にするにしろ、植民地化するにしろロシアにとって何かと都合がよかったからであろう) 

 1897年(明治30年)10月改革派を一掃した高宗は王宮に戻ると、みずからを皇帝、国号を大韓帝国と改めた。

(日本が日清戦争の勝利によって得た、朝鮮の清<中国>からの独立は、ここに名実ともに実現することとなった)

 1900年(明治33年)清で排外主義をとなえる義和団という宗教結社が武装蜂起し、日本とドイツの外交官を殺害すると、清国政府は勝ち馬に乗れとばかり、列強に宣戦布告した。

しかしロシアを主力とする列強諸国軍にたちまち返り討ちに会い、その結果満州地方がロシア軍によって占領された。

同年3月には対馬海峡に面する朝鮮半島南部の馬山浦をロシアが租借する協定が露・韓の間で結ばれる。

(馬山浦にロシアの軍港ができれば、ウラジオストク-馬山-旅順を連携させることによって、日本海・対馬海峡・黄海はロシアの内海となりかねない。)

 ユーラシア大陸各地でロシアと勢力圏争いをしていたイギリスは、これらの動きを憂慮、ロシアの南下を恐れる日本と利害が一致し、1902年(明治35年)日英同盟協約が締結された。

日本・イギリスは、日英同盟をバックに満州占領を続けるロシアに抗議し、ロシアは清と満州からの段階的な撤兵を約束する”露清満州還付条約”を締結した。 しかし撤兵の約束は守られず、ロシアは満州占領を継続する。

さらにロシアは1903年(明治36年)朝鮮半島のつけね、鴨緑江河口にある龍岩浦を租借した。

 この間、日本の対露外交の基調となっていたものは”満韓交換”論であった。

これは、日本は朝鮮半島をロシアは満州を勢力圏とし、両国はお互いの勢力圏内での権益を認めあうという形で、日本の安全を確保しようというものであったが、

ロシアは、「満州はロシアの勢力圏、朝鮮半島は中立化すべきである」と”満韓交換”をつっぱねた。

(ロシアの”韓国中立化”提案は、実質的に「日本は朝鮮半島にいっさいの軍事基地を持ってはならないが、ロシアは半島南部の馬山浦に軍港を開き、対馬海峡の自由通航権を日本に要求する」というもので、”中立化”とは名ばかりのものであった。

つまりロシアの立場は「満州はロシアのものであり譲れない、しかし日本は朝鮮から手を引け」ということであり、日本としては到底受け入れられないものであった)

 これをみた日本は日露開戦は不可避と判断、1904年(明治37年)1月ロシアの満州からの撤兵を求める最後通牒をつきつけたが、ロシアからは回答が無く、同年2月ついに日露戦争がはじまった。

日本軍は多大な犠牲を払いながらロシア軍の拠点、旅順・奉天を陥れ、1905年(明治38年)5月日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破し、東アジアにおける軍事的優勢を確保した。

しかし日本は国力の疲弊から、ロシアは第一革命勃発によって戦争続行が困難になりつつあった。

そこで両国はアメリカの仲介で同年9月、ポーツマス講和条約を締結し、ロシアは1.日本の韓国に対する優越権 2.ロシアが保有していた南満州の権益譲渡 3.南部樺太割譲などを認めた。

日本にとって日露戦争の目的は、日清戦争と同様、日本の安全と独立を守るための緩衝地帯として朝鮮半島を確保することにあった。

一方ロシアにとっては、植民地化をめざしていた満州の確保が第一点、そして戦勝のあかつきには、朝鮮半島と日本からの割譲地が、新たにロシア植民地に加わるといったところだろうか。


もっともロシアは、まさか東洋の弱小国の”マカーキ<猿>”が”偉大なロシア”に、本当に戦いを挑んでくるとは予想していなかったことだろう。

日本とロシアの戦力を単純比較をしてみると、陸軍は日本が約20万人に対し、ロシアは約300万人、戦艦は6隻対22隻、

国力は人口4600万人 対 1億3000万人、国家歳入が2億5000万円 対 20億円であった。 

明治政府の首脳達は、負ければ日本の破滅が確実な、この日露戦争開戦の決断がよくできたものだと感服してしまう。

ロシアの後進性を見切って、勝てると踏んだ上での開戦決断だったのか、それともあの時日本はまだ若く、怖いもの知らずだったのか。

韓国側は、例によって日露戦争を「日本が韓国を植民地化するための戦争」としているが、全く説得力が無い。

単純に経済的な収奪のために朝鮮半島を征服しようとして、自らの破滅もあり得る一か八かの戦争を、日本が自分の数倍もの軍事大国・ロシアに挑むのは、日本にとって割に合わなすぎる。 まったくのハイリスク・ローリターンである。

やはりロシアによる朝鮮半島の軍事利用の可能性が、日本の安全を死活的に脅かしたからこそ、日本は日露戦争という危険な賭けに出たのである

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