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行く年来る年

  • 2009/12/31(木) 16:22:59

 本年も残すところ今日31日だけとなりました。

今年最大のできごとと言えば、やはり民主党を中心とした連立与党への政権交代でしょう。

(念を押しておきますが、彼らがいう「史上初めての民主的な政権交代」というのはウソです)

民主党連立政権とその支持者というのは、

1.自分の国を破壊することに無上の喜びを感じる確信犯的な左翼日本人

2.権力と利権にありつけるなら国を売ることもへっちゃらの旧自民党竹下派経世会の連中

3.その両者が権力を手にするべく世論の支持を得るために流したアメリカ陰謀論というディスインフォメーションに乗せられた、「アメリカへ復讐できるなら、皇室やこの日本が特定アジアに乗っ取られ破壊されようとたいした問題ではない」と意識的・無意識的に考える、たいへん愚かな自称”保守”

とから成っています。

多くのマスコミもまた、「健全な民主主義を支えるための公平中立な報道」という社会的使命から大きく逸脱し、「ホッケの煮付け」「カップラーメン400円」などと重箱の隅をつつき、まさに火の無いところからスキャンダルの煙をあげさせ視聴者をあおりました。

その結果、夏の解散総選挙で民主党が圧勝し、民主・社民・国民新党連立政権が誕生したわけですが、期待に胸をふくらます国民の前にベールをはがされた民主連立政権の真の姿はどうだったでしょうか。

たとえば首相個人の”スキャンダル”に的をしぼって見てみましょう



 鳩山首相                     麻生前首相


 違法献金問題                 「ホッケの煮付け」発言        

 秘書起訴                   「カップラーメン400円」発言 

母親から年150万しか               高級バー通い
もらっていないというウソの釈明
                           漢字の読み間違い
ぜんぶ自己資金だというウソの釈明

個人からの献金だというウソの釈明

時効による1億円の実質的な贈与税のがれ

「恵まれた家庭に育ったから」発言

銀座・赤坂・高級ホテルの料理店通い




どっちが悪質かは一目瞭然。

麻生前首相の方は「だからどうした」程度のもので、果たしてスキャンダルと言えるのかさえ疑問です。当時のマスコミがいかに低俗な報道に終始していたかの動かぬ証拠といえるでしょう。

政権からひきずりおろしたかったが叩くネタがないので無理矢理にでもこしらえた感がアリアリです。

福田元首相・安倍元首相についても、スキャンダルらしいスキャンダルは無かったと思います。

自民党政権にもかなり問題はありましたが、日本郵政への官僚天下り・小沢幹事長の度重なる金銭スキャンダルや象徴天皇の違憲的政治利用、経済・財政政策の大混乱といった問題もあわせて考慮すれば、民主党連立政権は自民党政権よりひどいです。

堕落しきった民主党・社民・国民新党に、もはや何の大義もありません。

吉永某をはじめTVの政治ワイドショーに出ているコメンテーターという応援団が大失策をフォローしてくれるおかげで、なんとか命脈を保っている始末です。

外交を見れば、民主党連立政権があれほど土下座外交をやってもなお、竹島をめぐってまたもや韓国では反日バッシングの大合唱、中国・南京では台湾を特定アジアに引きこむ狙いで国共合作をたたえる新たな抗日民族博物館がオープンするそうです。

結局、韓国・中国・北朝鮮の特定アジア三カ国は、自分達の利益になるから頭を下げてきた日本をさらに叩くわけで、何をしたってどのみち日本を許す気はないのだということを再認識させられます。

世界が特定アジア三カ国だけで成り立っているわけではあるまいし、日本人の特定アジアコンプレックスはいつになったら治るのでしょうか。

自分達の国が無くなる前に完治して欲しいのですが。

 しかし「夜明け前が一番暗くなる」という言葉があるように、今、日本がまっとうな独立国になるための「生みの苦しみ」の時期であると私は考えています。

後ろを振り返らず前のみを見て、来年が日本と日本を愛する人々にとって再出発となる良い年になることを祈っています。

読者の皆さん、良いお年を。


                      管理人 クロフネ




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反日勢力のラスボス(第6回)

  • 2009/12/30(水) 03:24:24

 民主党政権の皇室利用や鳩山首相のスキャンダルなどで中断してしまったが、連載中である”反日勢力のラスボス”というシリーズを再開したい。

ところでこの連載だが、法学というとっつきにくい分野を取り扱っているせいか、シリーズの3・4・5回を連続してアップしたところ人気ブログランキングの順位が50位を切ってしまった。

法学の世界はもともと難解かつ抽象的だし、それを読者の皆さんに面白くお伝えできないのはひとえに管理人の力不足とも言える。

だが初回で指摘した通り、今の日本のどこかが狂っているとすれば、国家の設計図である憲法やそれを解釈・運用する法曹界の人々に問題があるということである。

法学という難解でマスターするのに相当に忍耐のいる学問を乗り越えた者が
”エリート”となって、裁判官や高級官僚・政治家となり国家を動かしているということは否定できない事実である。

外国人参政権付与や主権の委譲といった問題が日本を脅かしているが、法学の問題を修正しないかぎり日本がまっとうな独立国になることはできないのであり、裁判官や弁護士といった法曹界や政界・官界の人々に保守思想の理解者を増やしていくことは急務である。

学習指導要領から竹島が削除されるといった他の問題は保守系ブログの同志の皆さんが取り組んでくださっているし、法学の問題を深く掘り下げて取り扱っているのはたぶんウチぐらいではないかと思うので、もしどうしても興味がもてないという場合でも管理人を信頼下さって、当ブログの存在を社会に示す広告がわりに利用しているブログランキングのボタンだけでも押していただけるよう、是非ご協力をお願いいたしたく存ずる。

すべての保守ブログがおんなじことを取り上げるのではなく、保守系ブログが手分けをして様々な分野を網羅することも大事だと思う。


 ◆     ◇      ◆      ◇      ◆        ◇


<日本が世界の民主主義をリードせよ>

 前回は、現代日本の民主主義システムを担う法曹界・法学会に強い影響力を持っている”左翼的立憲主義”が、「絶対に憲法を改正させない」と考える人々の”正当性の根拠”となっていること、そして左翼的立憲主義の矛盾点についてさまざまな角度から指摘した。

現代日本の民主主義システムを批判して代案を出さないのはフェアではないので、今回はあるべき民主主義システムのカタチについて考えてみたい。

 左翼的立憲主義の思想は国民によるレファレンダム(多数決投票)を敵視し、「多数決で決めるのは国会まで(立法までの民主主義)で十分であり、裁判所(司法)が国会の判断結果を否定してもかまわない」と考える傾向が非常に強いことは前回指摘した通りだ。

だが多くの欧米先進国において、レファレンダムが敵視され一切禁止されるなんてことは起こっていない。

フランスやイタリアは違憲立法審査が実施され国民による命令的委任が禁止(フランス憲法第27条・イタリア憲法第67条)されているにもかかわらず人民主権をとっている。

実際、欧州連合(EU)関連条約の批准には、主権の委譲に伴う憲法改正を必要とするため、フランスのみならずオランダ・デンマークなど欧州各国でレファレンダム(国民投票)が盛んに行われている。

さらに欧米先進国では、民主的な選挙で選ばれたわけでもない裁判官が、主権を持つ国民の意志の反映ともいえる国会を否定することが、いかなる理由で許されるのかということが問題とされている。

いわば「司法までの民主主義」を求める声である。

最近日本で始まったばかりの、国民の代表が裁判に直接参加する裁判員制度も「司法までの民主主義」を求める声に応じた結果できたものと言えるだろう。

また最高裁判所裁判官の国民審査という制度もある。

だがそれでは「司法までの民主主義」を達成するには不十分であり、もっと根本的な改善が必要だ。

日本の民主主義システムがかかえる問題の第一は「司法までの民主主義」が確立されていないことである。

問題の第二は、日本においては民主的正当性に問題をかかえる司法が行政や立法に対して違憲立法審査権という強い権限を与えられすぎていて三権分立のバランスが崩れていることだと私は考えている。

それではどうすべきか。

私は「立法までの民主主義で十分」とする考え方にくみしないが、立法・行政・司法がお互いをしっかり牽制し合う三権分立は民主主義国家に必要不可欠という考え方に異論はない。

レファレンダムは民主主義の基本だが、三権のうちのいずれかが暴走するのは好ましくないからである。

そこで第一の案は、違憲立法審査を行う最高裁裁判官を任期を定め(たとえば4年とか)、国民の選挙によって選出するように制度を変更する。

その裁判官が過去にどういう判断を下してきたかの情報も有権者に与えその是非を問う。

こうすれば違憲立法審査権を行使して立法や行政の判断を否定したり、最高裁裁判官が誤審をおかした場合でも民主的正当性の欠如という問題は一応クリアされる。

第二の案としては、司法制度を今のままにしておくなら、たとえ最高裁が違憲と判断しても民主的な手続きで選ばれた立法や行政にその決定を拒否する権限を与える。(もちろん拒否権を行使しないという選択もありうる)

司法の違憲判断に立法や行政が拒否権を発動したこと(あるいは発動しなかったこと)が正しかったのかどうかは、次回の国政選挙において主権を持つ国民が判断する。

第四の権力であるマスコミは、立法や行政が司法の違憲判断に拒否権を行使しても「憲法違反」と批判することはできない。(拒否権行使の是非を論じることは許される)

私としては第一の案の方が理想的だと思うが、他により良い案もあるかもしれない。

どういう手段を取るにしろ「司法までの民主主義」の確立は、日本の民主主義システムをより良いものにしていく上で欠かせないものと考える。

しかも他の欧米先進国において「司法までの民主主義」を確立しているところはまだ存在しないはずだ。

「司法までの民主主義」という考え方を支持してくれるか否かは別としても、日本の法学会・法曹界は欧米先進国をお手本として、ひたすら模倣することに終始してきたと言っていいだろう。

だが、イギリスにしろアメリカにしろドイツにしろ、欧米先進国といえども民主主義をより良いものとするためには試行錯誤の連続だったのであり、その積み重ねと言える各国の憲法を見てみても多くの問題や矛盾点を依然としてかかえていて決して理想的なものとは言えない。

自分達の前に民主主義国家が存在しなかったイギリスなどは未だに三権分立が確立されておらず、議会主権のもと違憲立法審査制度さえ拒んでいる。

それを英米法と一つにくくって我流に解釈し、日本のお手本とするのは顰に倣う(ひそみにならう)というものだろう。

日本の法学会に「日本こそがより理想的な民主主義制度を生み出し世界の民主主義をリードするのだ」という発想が欲しい。

もちろんその結果、民主主義の基本がおろそかになってはいけない。

主権を持つ国民は致命的な判断ミスを犯さないよう常に民度の向上を心がけなければならないし、国民から権力を委ねられた政治家は「多数決で選ばれたから何をやっても良い」ではなく、誠実さと謙虚さをもって国政にあたらなければならない。

私は、日本の民主主義をより良いものにするために「司法までの民主主義」を確立する必要があると思うし、そのためならば遠慮なく憲法を改正すべきだと考える。

これでこのシリーズの法学理論の山場は越えた。

次回からは外国人参政権付与・東アジア共同体への主権の委譲といった個別の問題を、法学の側面から考えてみたい。

 最後に時事問題に触れておきたいが、民主党政権とくに小沢幹事長は自らの行動を正当化するのに”民主主義”という言葉を盛んに使う。

天皇陛下の政治利用問題で批判が集中した小沢幹事長は、「天皇陛下は自分の意見に同意してくれる」などと言いながら、民主主義の多数決で選ばれた内閣だから、内閣の意を受け陛下が行動するのは当然のことだと述べた。

民主党の天皇陛下利用が象徴天皇を定めた憲法に反するものであることは別の立場から考えてみればよくわかる。

たとえば、ある内閣が「天皇陛下だって賛成してくれると思うよ」と言いながら、内閣の判断のもとに陛下を動かして国民に愛国心を持つことを強制したりしたらどうなるだろうか。

日本中のマスコミや弁護士・法学者が目をむいて青筋をたてながら「憲法違反だ!軍国主義の再来だ!」と一斉に批判したことだろう。

民主党政権による天皇陛下の政治利用は明らかな憲法違反だと思うし、私は日本の法学会が「ファシズムを防ぐため」とその存在理由を説明してきた
”日本的立憲主義”がちゃんと機能するのか注意深く観察していた。


だが、小沢幹事長が民主党政権の違憲的行動を「民主主義の多数決で選ばれた内閣だから」というプレビシットで正当化したにもかかわらず、法学会・法曹界からほとんど批判の声があがらないのは不可解としか言いようが無い。

菅副総理も「憲法のどこにも書いてない」と言いながら、三権分立を否定する珍説を披露した。

だが今のところ日本の司法は、民主党政権の暴走に何らブレーキをかけられていない。

マスコミに登場した法学者の中にはおおっぴらに小沢幹事長を擁護する者さえいた。
「今回だけは例外として認めて良い」という主張に至っては呆れて開いた口がふさがらない。

自民党の、特に小泉政権はレファレンダムではなく軽薄なポピュリズムにもとづくプレビシットで誕生した独裁政権という批判が、左翼イデオロギーを信奉する勢力から盛んにあがっていた。

だが、自分達が応援する民主党政権ならばプレビシットが清く正しいレファレンダムになるというのであれば、公正・平等を何よりも大事にしなければならない法学者・弁護士・裁判官を名乗る資格すらない恥知らずの汚名から免れない。

「天皇陛下を”右翼政権”が政治利用するのは許されないが、自分達が応援する左翼の民主党政権なら許される」という論理。私が日本の法学会・法曹界を”反日勢力のラスボス”と呼ぶ理由が痛いほどご理解いただけると思う。

次回へつづく



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脱税は犯罪です!

  • 2009/12/29(火) 00:51:08

 「万引きは犯罪です!」

警察が配っているチラシやスーパーの防犯ポスターに良く書いてある。

多くの万引き犯に犯罪をおかしているという意識が低いからで、万引きの現場をおさえられた犯人は「カネを払えばいいんだろ!」とか「商品を棚に戻せばチャラでしょ」などと開き直ることもしばしばだという。

 さて民主党・鳩山首相の偽装献金問題にからみ、24日東京地検特捜部は政治資金規正法違反罪で鳩山首相側の会計事務担当だった勝場啓二・元公設第1秘書を在宅起訴、会計責任者だった芳賀大輔・秘書を略式起訴とした。

東京簡易裁判所は同日、芳賀秘書に罰金30万円の略式命令を下した。

鳩山首相側の収支報告書における虚偽記載額は4億円近くにのぼる。

鳩山首相は、偽装献金の原資となった母親からの12億円以上のお金を”贈与”だったとし、贈与税逃れをしていた分、6億円近くを28日に納めた。

参考記事 


 現職首相の秘書が起訴されるという驚くべき事件が起こった。

鳩山首相は「献金の原資はすべて自己資金」「母からは毎年150万円の上限いっぱい献金してもらっており、それ以上はない」という説明を繰り返していた。

ところが自らの秘書が起訴されると以前の言い訳をいとも簡単にひるがえし、偽装献金の原資に母親からもらった12億円以上の”贈与金”が入っていたことを認めた。

すると贈与税の脱税問題が持ちあがってくるが、鳩山首相は「カネを払えばいいんだろ!」という捕まって開き直る万引き犯とまったく同じ論理で、約6億円の贈与税を今になって納めた。

鳩山首相の「献金の原資はすべて自己資金」というこれまでの釈明会見からすれば、「年150万円の上限」という政治資金規正法違反に問われないための姑息な小細工と見られて当然のものであり、百歩譲って本当に贈与だったとしても、事実上6億円近い巨額脱税事件が起こっているのに「カネを払えばいいんだろ」で済まされる問題ではない。

脱税は立派な犯罪である!

しかも7億円近い巨額のカネがいまだ使途不明になっている。

 だが鳩山首相は説明を放棄し、偽装献金事件の全責任は”トカゲのしっぽ”である自らの秘書にあったとして、首相や議員をやめる気はないと言明した。

これもまたおかしい話である。

多くの国民から指摘されていることだが、

2002年に自らの秘書の脱税というスキャンダルで自民党の加藤紘一議員が離党したとき、それを厳しく批判した鳩山氏は「金庫番の罪は自身の罪と受けとめるべき。監督責任のみで済まされるものではない」「もし、鳩山由紀夫の秘書が同じことを行っていたとすれば、私はすぐに国民の皆さんに謝罪をし、離党ではなく議員バッジを外します。それが普通です」と演説した。



その後、加藤紘一氏は議員辞職へと追いこまれたが、自らの秘書の不祥事で民主党離党どころか議員もやめず首相のままでいたいとぬけぬけと言い放つとは何事だろうか。

この、自分をウソで塗り固めた日本でも有数の富豪が、首相としてわれわれ国民の血税から4000万円以上の年俸をもらっていると思うとハラワタが煮えくりかえる。

失業などで数万円のお金にも苦労している国民はいっぱいいるはずだが、本当にバカバカしくなってくる。

「裕福な家庭に生まれたから」で何でも済まそうとする鳩山首相は、今度は「私腹を肥やしたわけではない」などと再びワケのわからない事を言い始めたが、本来なら贈与税の納税という国民の義務が果たされ政府に入るはずだった1億円以上のお金が時効によって回収不能になり、結果的に脱税成功という形で立派に鳩山氏の私腹が肥えることになった。

 鳩山首相に小沢幹事長と、相次ぐ金銭スキャンダル。

現職首相がらみのスキャンダルというと80年代末のリクルート事件・90年代はじめの東京佐川事件が思い起こされるが、いずれも自民党・竹下派の天下で起こった事件だ。

みんなすっかり忘れているが、鳩山首相も小沢幹事長も民主党結成の前は自民党竹下派に属していた。
今もまた自民党竹下派の天下といえる。

自民党もたいがいひどかったが、今の民主党の腐敗はもっとひどい。
それは自民党の一番腐敗していたところをそっくり引き継いで出来たのが民主党だから。

民主党政権で日本を良くする改革など不可能だ。




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ニダヤ人の反日ロビー活動

  • 2009/12/27(日) 22:44:55

 騎馬民族征服説以外にも、小沢幹事長の歴史認識は誤りだらけだ。

小沢幹事長は「通訳の記録がないから古代の日本語と朝鮮半島の言葉は同じだ」というトンデモ説を主張していた。

私は「古代の皇室は百済語を使っており、百済語が日本語の祖先であった」なんていう根拠不明の説をとなえる韓国人を嫌というほど見てきたが、まず百済語(夫余語)というものがどんなものであったのかほとんど資料が残っていない。

かつて百済記という歴史書があり残念ながら散逸してしまって現代に伝わっていないのだが、その断片が日本書紀に引用されており、そこに百済語の単語らしきものがいくつか記録されている。

(日本書紀の外交関連記事は百済記も参照して書かれているため精度が高いように思われる)

たとえば百済語で王子をセシムと言ったようだ。

日本では皇子をミコとかスメミコと言ったが、とても同じ言語とは思えない。

現代の日本語と朝鮮語では、語順は同じだが同系の言語にしては対応する語彙が少なすぎることから同系説を疑問視する見方がある。

古代東アジア各国の支配層にとって漢文は必須の教養であり、漢文が国際共通語の役割を果たしていた。

筆談を使えば通訳無しでも、ある程度コミュニケーションをとることは可能だったことだろう。

もちろん古代においても通訳はいたと思うが。

 つづいて小沢幹事長のトンデモ説「桓武天皇の生母は百済の王女だった」についてだがこれも明白な誤り。

桓武天皇の生母・高野朝臣新笠は和氏の出とされるが、和氏は百済・武寧王の子孫という記録がある。

だがあくまでも伝承であって科学的な確認は取れていない。

もし本当に武寧王の末裔だったとしても、8世紀はじめの人である新笠と6世紀になくなった武寧王とでは200年の開きがある。

その間に和人との混血がすすんでいるだろうし、ましてや新笠が百済の王女だったという事実はない。

ちなみに武寧王生誕時のエピソードが現代に伝わっている。

5世紀雄略天皇の時代、百済・蓋鹵王が弟の昆支と1人の女性を人質として倭国に送った際、その女性が産気づき筑紫の各羅嶋(かからしま)で男子を産みおとした。

その子は嶋君(セマキシ)と名づけられ本国へ送り返されたが、それが後の武寧王(斯摩)であるとされる。

 小沢幹事長の歴史認識は、”韓民族優越史観”とでも言えば良いだろうか、多くの韓国人が主張する「生まれつき劣等だった日本人を文明化してやったのは優秀な血をひく韓国人」という、非常に人種差別的なものとまるっきり同じと言って良い。

小沢幹事長が言っている「日本人は自立できない民族」というのも、2000年代始めのネット掲示板で韓国人が盛んに書きこんでいた主張とまったく同じものだ。

明治時代の日本に自由民権運動が起こり東アジアで最初に憲法を発布し議会を開設したことを一切無視して、「韓民族は3.1独立運動や光州事件で民主化を自分の手で勝ち取った。自立できない日本人はアメリカ人の手で初めて民主化してもらった」というのである。

なぜ民主党の連中が口をそろえて「民主党政権誕生によって日本で始めて政権交代が実現した。この”民主化革命”で日本はようやく韓国や台湾に追いついた」と主張するのか、その謎がすべて解けた気がする。

おそらく韓国人から繰り返し「日本人は自立できない民族」という思想を植えつけられたのだろう。

もし本当に自立できない日本人がいるとすれば、自分の意見というものを持たず声の大きい人の意見に左右されてトンデモ理論を連発する小沢幹事長のことではないだろうか。

小沢幹事長が在日韓国人という風説についてはいまいち定かではないが、まさに韓国人そのものと言っていい小沢幹事長の歴史認識は、一人の日本人が独力でたどり着いた結論と考えるには無理がありすぎる。

これは彼のかたわらにいたという韓国人秘書がそれなりの期間をかけて繰り返し彼を”洗脳”した結果によるものではないか。

鳩山首相も韓国の芸能人と盛んに会食しているが、これも小沢氏への反日ロビー活動と同様の工作がなされている可能性がある。

もちろん真の目的は日本の主権をコントロール下において在日韓国人に日本の国政選挙権を与えることであり、竹島は日本のものではないと日本の子供たちに刷り込ませるためであり、天皇陛下を韓国に呼びつけて謝罪させ”韓民族の自尊心”とやらを満足させるためだろう。

”ニダヤ人”とは良く言ったもので、イスラエルロビーはアメリカ中枢に食いこみその外交政策を振り回したが、現在の日本は韓国の反日ロビーによって国家中枢部が乗っ取られている。

日本国家を指揮統制するメインコンピューターが韓国製のウイルスにやられ、外部から遠隔操作されるという非常に危険な状態にあるばかりか、韓国製ウイルスが開けたセキュリティホールから中国製トロイの木馬も侵入してきた。

その結果が、習近平と天皇陛下との会談ごり押しだった。

韓国、この国だけは絶対に許せない。

呉越の故事にならい臥薪嘗胆することにしよう。

 かつて冷戦時代には”勝共”つながりで統一教会系の人間が秘書として自民党の政治家のもとへもぐりこんでいたとされるが、冷戦が終わると韓国人は自国の利益のために日本の権力者のふところへともぐりこんで活発にロビー活動を行っている。

在日韓国人団体が参政権欲しさに日本の政党を支援するのは憲法違反であろうし、日本の政治家が外国人を秘書やスタッフとして雇うのは一切禁止すべきだ。

今までどうして野放しであったのか、理解に苦しむ。


<了>



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関連記事・日本はどのように成立したか?

関連記事・韓国人は日本人の祖先

日本人はどこから来たか?

  • 2009/12/25(金) 20:19:33

 それでは日本人はどこから来たのだろうか?

数万年前の日本列島には旧石器人が住んでいた。

そのあと新石器人に区分される縄文人がやってくるがそのルーツはよくわかっていない。

縄文人というと単一の文化・言語を持つ”縄文民族”みたいなものがいたかのように考える人もいるだろうが、私は縄文人がルーツの異なる複数の民族からなっていたと推測している。

ある者は北アジアから樺太や朝鮮半島を経由して日本列島にやって来たり、またある者は南西諸島をつたって九州南部に上陸した者もいたことだろう。

このようにルーツの異なる諸民族が長い年月をかけて融合しつつ縄文諸族を形成していったのではないだろうか。

 続いて問題になるのが、弥生人はどこから来たかということである。

私は、弥生人は中国の長江下流域からやってきたのではないかと考えている。

こういう風に言うと、ギョーザを食ってニーハオ言っている中国人が日本列島に来たかのようなイメージを思い浮かべる人もいるかもしれないがそうではない。

中国・漢民族のコアを形成しているいわゆる”華夏族”は、黄河流域で粟や黍を畑作し羊や豚を食べる文化圏(黄河文明)から育った。

一方、現在の上海や蘇州がある長江下流域は日本の弥生時代開始期にあたる春秋・戦国時代、百越(越人)と呼ばれる人達が住んでいた。

彼らは水田で稲作を行い魚を食べ、航海と潜水漁が得意で入墨の習慣があった。高床式の建物に住み鳥を信仰の対象とし、装飾品として羽を尊重する文化を持っていた。こうした文化は弥生文化とかなり共通する。

黄河流域の中原を支配する華夏族は、百越の諸族を周礼が及ばない野蛮人と見下していたが、稲作を基盤とするその経済力は絶大で、越人は華夏族の文化を取り入れながら呉(句呉)といった強国をうち建て、ついには華夏族の国々を従えて中原に覇をとなえた。(春秋五覇といわれる越王・勾践、呉王・夫差がその代表)

呉は紀元前5世紀ごろ滅亡するが、弥生時代の開始はちょうどその前後にあたる。

ここから次のように推理できそうである。

春秋・戦国時代のうちつづく戦乱のなか、長江下流域にいた百越族の一部は故郷を捨てて移住する決心をした。

中国大陸を南下した越人はベトナム人やタイ人の祖先となった。(百越族はタイ語系民族といわれる)

船で海上に逃れた者は、海流にも乗って九州北部に流れ着いて稲作を開始した。
いわゆる弥生人である。

(一度に来たのではなく、何波にも分かれて来た可能性がある)

朝鮮半島に流れ着いた越人はそこの原住民と融合して数百年後に韓人となる。

その後韓人は馬韓人・弁韓人・辰韓人に分かれた。

(韓人は現代韓国人の祖先の一部ではあるが韓人は韓国人と同一民族ではない。現代アメリカ人にイタリア移民の子孫がいるが、アメリカ人≠イタリア人であるのと同様)

越人のある者は半島からその後日本へ渡り、またある者は日本から半島へ渡った。

弥生時代初めから西でキリストが生まれた紀元前後ごろに至るまで、九州北部と半島南部の文化はかなり似通っているが、それはこうしたことが原因ではないか。

ちなみに長江下流域に留まった越人たちは秦の始皇帝による天下統一によって華夏族と同化し、現在の漢民族を形成することになる。

このように、稲作文化を日本列島に持ちこんだ弥生人とは長江下流域からやってきた越人の一派だったのではないだろうか。

百越


魏略によれば、弥生時代の倭人は自らを呉王朝の伝説的始祖・太白の末裔だと自称していたというが、それが事実なら弥生人=越人説を裏づけるものとなりそうだ。

漢字を読む時、日本には呉音と漢音があるのはご存知だろう。

”日”をニチと読むのが呉音であり、ジツと読むのが漢音だ。

7~8世紀ごろ遣唐使が伝えたのが漢音といわれ、それ以前に日本に存在したものを呉音という。

呉音については諸説あり、よく中国の南朝から半島の百済を経由して日本にもたらされたといわれるが、日本に伝わった呉音のなかには秦の始皇帝が中国を統一する前の古いものが混じっていると主張する学者がいる。

呉音についての謎が解明されれば、日本がいつから漢字を使い始めたか、その最初の担い手とは誰だったのかわかるかもしれない。

日本にやってきた越人の中に漢字の読み書きができるものがいたのだろうか。

1世紀に倭の一国・奴国は漢へ使者を送ったが、少なくともその頃倭国に漢字ができる者はいたと推測される。

 話を元へ戻す。

日本列島にやってきた越人はもともと居た縄文人と融合しながら弥生文化を発展させ、弥生人は皇室を含む現代日本人の大部分の祖となった。

紀元前後ごろ日本列島にはクニが百以上あったとされる。

紀元後3~4世紀ぐらいになって皇室のご先祖様は統一事業を開始し、九州南部と東北以北をのぞく日本列島の一応の統一をなしとげ大王(おおきみ)となった。

前回述べたように4世紀後半から5世紀にかけて倭国は朝鮮半島へと積極的に進出し、半島の諸王朝との戦いなどを通じて乗馬文化が日本へ入ってきた。

三国史記にも記述があるように、倭国軍は”戦利品”として半島系住民を獲得し、諸豪族に隷属する職人集団(部曲<かきべ> 陶器をつくる陶部や馬を飼育する馬飼部など)として国内に配置された。

(現代の価値観からすれば許されないことだが、奴隷が主要な生産手段であった古代における戦争では良くあることだった)

また、中国や朝鮮半島で戦乱があるたびに日本列島に渡来人がやってきた。

身の安全と引き換えに大和朝廷への貢献を求められた彼らも、日本人の一部を形成した。

かなり遅くまで縄文人の文化を色濃く引き継いでいたと思われる九州南部にいた隼人・熊襲と呼ばれた人たちや東北・北海道にいたアイヌの人々も古代や中世の和人と同化したり、混住したりして日本人の一部となった。

「日本人はどこから来たか」という問いの答えとして、私はこう推測している。

以上のように考えると、日本人は実に様々な民族の混血からなっているということになる。


つづく




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騎馬民族は来なかった

  • 2009/12/25(金) 00:29:01

 23日で天皇陛下は76歳の御誕生日を迎えられた。

国民の1人として謹んでお祝い申し上げるとともに、陛下の御健康と末永い御治世を心から祈念いたします。

 さて皇室に関連した話題で、先に訪韓した民主党の小沢幹事長が韓国の大学における講演で、江上波夫氏の騎馬民族征服説を引用しながら「朝鮮半島南部の権力者が日本を征服し、皇室の先祖となった」という歴史認識を表明して物議をかもした。

参考記事 

これについては当ブログの読者さんからも反論があったが、私も現在までの歴史学・考古学の調査結果から見て、小沢氏の歴史認識を支持することはできない。

この話題について語り始めると10回シリーズになりそうなのであまり深入りしないが、”邪馬台国の会”さんの記事が良くまとまっているので紹介しておく。

これだけでも小沢氏への反論として十分だと思うが、あえて付け加えるなら、

1.騎馬民族が日本を征服して王朝を建てるという大事件にもかかわらず、日本・中国・朝鮮半島のいずれの歴史書にも記録が存在しない。

2.古墳時代の武人や巫女のハニワには入墨をしている者が多い。
入墨は南方アジア起源と見られ弥生人にもそうした習慣があり、弥生人と古墳時代人との間に文化の連続性が見られる。南方起源の高床式建築物も弥生時代から古墳時代さらに現代へと伝わっている。(神社建築が代表例)

北方アジアに起源を持つ騎馬民族が日本にやってくればその前後で文化にも大きな変化があるはずだがそれがない。

3.元寇の例に見られるように騎馬民族は水上戦や上陸作戦が得意ではない。

東は中国・朝鮮半島から西は東欧まで支配下におさめ陸戦では無敵を誇ったモンゴル軍も、日本やジャワといった島国への侵攻には失敗した。ベトナムとの水上戦でも敗れている。(白藤江の戦い

朝鮮半島に伝わる正史である三国史記・新羅本記でも、新羅を盛んに攻撃してくる倭国(当時の日本)を逆に攻めることはできないのかと新羅王が問うたが、「我が軍は水上戦に慣れておらず無理です」と部下に諌められるという記録が残っている。(儒礼王12年<西暦295年>条)

新羅を建てたのは、高句麗や百済を建てた夫余族とは別系統の騎馬民族であるが、朝鮮半島にいた騎馬民族がやすやすと渡海したり、日本列島の倭人との水上戦・上陸戦に勝てたとは思えない。

また江上説にあるように、4世紀に夫余族が半島南部の任那地域を征服したという事実も無い。

4.日本・中国・朝鮮半島の歴史書を見るかぎり、国力や軍事力において半島南部の諸王朝よりも倭国のほうがかなり優位にあり、実際倭国の方が盛んに半島に進出していた。

前述の新羅本記では、新羅の都である金城が何度も倭国軍に包囲されたことが記録されており、倭が攻めてくるという噂だけでパニックになった新羅人が一斉に山野に隠れたというエピソードさえ残されている。(祇摩王11年条)

さらに高句麗の広開土王碑には、4世紀末に倭国が新羅や百済に侵攻してこれを従えたと記されている。

これを裏づけるのが当時新羅が王族の未斯欣を、百済が王子・直支(のちの第18代腆支王)をそれぞれ人質として倭に差し出したとされる記録で、日本書紀・三国史記と日韓双方の歴史書に記録されていることから史実で間違いないだろう。

第三者である中国の正史にもこういう記述がある。

新羅百済皆以倭為大国多珍物、並敬仰之、恒通使往来。(隋書倭国伝)

(新羅・百済、皆倭を大国で珍しい物が多いとして、共に倭を敬まい仰いで、つねに使節を往来させている)

東アジアの諸文献を見るかぎり倭国の方が朝鮮半島南部を一時勢力圏としていたのであり、百済や新羅よりも弱小だった任那諸国が倭国を征服し、そこの権力者が皇室の祖先となったという騎馬民族征服説を裏づけるものは今のところ皆無に近い。

小沢幹事長も、せめて日本書記や三国史記それに中国歴代王朝・正史の東夷伝ぐらいは読破してから物を言わないと、無知のそしりは免れないだろう。

 ここまでくると皆さんの脳裏に「では日本人はどこから来たの?」という疑問がわいてくるのではないか。

それについては次回考察するとしよう。

つづく




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民主党ガソリン値上げ隊

  • 2009/12/23(水) 00:18:44

 ガソリン税の暫定税率廃止という公約をかかげた民主党。

だが政権獲得後の民主党はブレにブレ、最後に「私が決める」と大見得をきって見せた鳩山総理。

その決断の結果は、暫定税率という名称は廃止した上で新税を導入し、現在の1リットルあたり約25円の税率は維持するという姑息なものだった。

これでは暫定税率廃止ではなく維持だ!

「公約違反」という批判が野党や民間から一斉にあがり、鳩山総理や菅副総理は公約を破ったことを自ら認めた。

参考記事 

結局「自民党政権や官僚の無駄使いをはぶいて財源とし、増税も借金もせずに子供手当てや暫定税率廃止といった民主党の公約は実現できる。そうした政策で日本の景気を回復させる」という民主党の選挙公約は、始めからできもしないことがわかりきっていた空約束だったのだ。

暫定税率廃止には約2兆5000億円の財源が必要となる。

民主党は、国の総予算207兆円を組みかえれば10兆・20兆はすぐにでも無駄がはぶけるような口ぶりだった。

だが3兆円というたいへん控え目な目標をかかげた”事業仕分け”でさえ、あれほど国民から注目されながら本来必要な事業まで削って出てきたのは7000億円程度。

いわゆる”埋蔵金”を足しても1兆7000億円ぐらいで、暫定税率廃止の穴埋め財源にさえ足りない単なる”無駄はぶきゴッコ”の政治ショーだったわけだ。

 ガソリン税の暫定税率廃止問題で思い起こされるのが、民主党”ガソリン値下げ隊”の馬鹿騒ぎ。あれはいったいなんだったのか。

自民党政権は税収不足を懸念し、さらに温暖化対策など環境保護にも逆行するとして、暫定税率の引き下げに反対してきた。

当時の町村官房長官も2008年1月15日の会見で「地球温暖化対策でエネルギー価格は環境税を課してでも上げなければならないと世界中で言っている最中に、これを下げるという選択が国際的に認められるのか」と述べている。

だが民主党と国民新党は、あくまでも暫定税率の廃止を主張してその年の通常国会をさんざん空転させたあげく、衆参のねじれを利用して1ヶ月間の税率引き下げを実現させた。

民主党の支持者からも「『環境保護のため』だなんて税率を維持したいだけの自民党の陰謀」という声が盛んに上がった。

税率が下がったことでガソリンスタンドで値下げ合戦が始まり、体力のないスタンドを倒産に追い込むことになった。

ところが政権を取ったとたん民主党政権は手のひらを返し、無駄が見つからず財源が足りなくなったから暫定税率を維持するのだという。

内外情勢の変化で選挙公約が100%実施できないということはあるだろう。

だが民主党の場合、公約のほとんどが破られている。

景気回復後に増税をお願いするという自民党と、官僚の無駄をはぶいて増税も借金もせずに景気を回復させると約束した民主党。

前回総選挙最大の争点だったと言って良い。

その最重要公約を民主党はいとも簡単に破ってみせる。

さらに鳩山総理の見苦しい言い訳がふるっている。

「マニフェストに沿えなかったということに関しては、率直におわびを申し上げなければならないと思いますけれども、現実問題を考えていく中で、まずは地球環境を守ろうではないかという、国民の皆さんのさまざまな意思も大事にさせていただいて、暫定税率を維持したいと決めたところであります」

参考記事 

「環境保護のために暫定税率維持」

これは自民党の政策であって、それを口をきわめて批判し審議拒否までやって一度は税率を引き下げさせたのは民主党のガソリン値下げ隊だ。

で、民主党が政権をとり財源がみつからず暫定税率を維持しなくてはならなくなると、かつて民主党が批判した「環境保護のための税率維持」という自民党の政策をまるで最初から民主党の政策だったかのようにウソをつくわけだ。

だったら政権交代なんかする必要はなかったのに。

民主党のデタラメさ加減は、日本の憲政史上類を見ないものだ。

彼らは信用第一を信条とする同じ日本人とは思えない。

5兆3000億円が必要という子供手当ての財源も、増税も借金もせずにどうやって捻出するか怪しくなった。

 その子供手当てだが、鳩山総理は所得制限を設けないことに決めたという。

私は、子供手当てをやるなら所得制限を設けた上で純粋な少子化対策として実施するべきだと思う。

なぜなら民主党がかかげる政策は、配偶者控除・扶養控除を廃止して子供のいない貧しい家庭に増税して、それを子供がいる年収数千万円の裕福な家庭へと所得移転させるというケースが生じ得る、極めて不公平な税制措置だからだ。

政権公約は違反だらけ、公約を守ったら守ったで国民の格差を拡大させるようなデタラメな政策。

国民の生活と命がかかっている。

政治ゴッコしかできない素人集団が政権与党として日本の舵取りをするなぞ犯罪に近い。一刻も早く与党の座から降りるべき。




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起訴された小沢幹事長秘書の公判開始

  • 2009/12/22(火) 00:52:30

 先週金曜日(18日)、起訴されている民主党・小沢幹事長の第一秘書・大久保隆規被告の初公判が行われた。

検察側は、大久保被告がゼネコン側を恫喝して献金を繰り返し要求していたことを明らかにした。

同被告は起訴内容を否認している。

参考記事

 起訴されている民主党・小沢幹事長の第一秘書の公判が開始された。

小沢氏側が東北各県における談合にどのように影響力を強めていったのか検察が明らかにしたところによると、小沢氏側は自らの派閥の候補者を東北各県の知事選に当選させ、それによって東北地方の公共事業に絶大な影響力を持つようになり、このため誰も逆らえなくなったという。

東北地方の談合の仕切り役(”東建協”の仕切り役である鹿島建設東北支店幹部)の供述調書によると、業者が小沢氏側に公共工事の受注を陳情し小沢氏側から了解を得ると、その業者は談合の仕切り役である鹿島幹部に連絡を入れる。
鹿島幹部はそれが事実かどうか小沢事務所に確認をとった上で、それに従ったという。

ある大手ゼネコンが施工したビルの1フロアを小沢氏側が購入したいと申し入れたが断られたことから、小沢氏側は同社に「この件ではもうだめです。奥座敷には入れさせません」と談合における工事受注の了解を与えない旨を言い渡し、同社は小沢氏の地盤である岩手県発注の工事を受注できなかった。

その後平成15年になって小沢氏側はゼネコン側に「担当者が代わったわけだし、関係修復を図りたい」と話を持ちかけ、献金額を年間2千万円に増額するよう要求した。

要求を受け入れざるを得ないと判断したゼネコン側は献金を増額し、岩手県発注のトンネル工事を受注希望して了解をもらったという。

検察によれば、これが小沢氏側と公共事業を請け負いたい業者との癒着の仕組みだ。

参考記事

西松建設はもともと、自民党の元幹事長で小沢氏の”恩師”ともいえる故・金丸信氏に頼っていたが、同氏が汚職事件をきっかけに失脚すると工事を受注しにくくなり、しだいに小沢氏側との関係を深めていった。

西松が平成15年に落札した岩手県・簗川ダム建設工事についても、鹿島の仕切り役が大久保被告に「西松建設でよろしいですか」と聞いたら、「そういうことで結構です」と答えたので、西松建設が落札本命業者に決まったという。

西松が平成18年に受注した岩手県の胆沢ダムについて、大久保被告は工事受注後に小沢氏側への選挙応援に消極的だった西松を厳しく批判。「最近、西松は協力的じゃねえ。おたくらが取った胆沢ダムは”小沢ダム”だ」とまで言ったとされる。

もしこれらのことが事実であれば、小沢事務所側の悪質さは突出している。

私には贈収賄事件そのもののように思える。

こうした事件が見過ごされれば、権力を握っている特定の個人・カネを持った特定の業者であれば政治を好き勝手に歪めて私腹を肥やしても良いということになり、馬鹿を見るのはカネも権力も持たない弱者である一般市民だ。

政治資金規正法の趣旨である「健全な民主政治の発展」なぞ期待できるわけがない。

 さて大久保被告の供述調書によると、実態のない政治団体から小沢氏側への実質的な企業献金という違法性を同被告は明確に認識していたようだ。

小沢氏側への献金は西松建設の部長と最終的な割り振りを決めていたといい、「法律の網の目をくぐったダミー団体で、形式上あるだけ。政治活動の実体がない『トンネル(団体)』に過ぎないと思ったのです」と供述したという。

 小沢幹事長の金銭スキャンダルはこれだけではない。

陸山会の土地取引に絡む不正な経理処理問題では土地購入資金の出所が不明のままだし、準ゼネコン・水谷建設から1億円の裏献金を受けたとされる疑惑も持ちあがっている。

参考記事

 鳩山首相の相続税・脱税疑惑もそうだし天皇陛下の政治利用もそうだが、民主党政権になってから政府・与党のルール破りが日常茶飯事となった。

違憲としか思えない外国人参政権付与法案も来年の通常国会で提出されることが濃厚となっている。

企業でもコンプライアンス(法令遵守)の重要性が再認識されているが、民主党政権の「自分たちがルール違反じゃないと言えば、ルール違反ではない」という開き直りを見せられるたびに、まじめに法を守って生活し国民の義務とされる納税を行うのが本当にバカバカしくなってくる。

裁判所が権力者に法を守らせるようにできないなら、われわれ一般市民も自己救済手段に訴えたくなる誘惑にかられる。




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韓国人は日本人の祖先

  • 2009/12/18(金) 18:31:15

 民主党の小沢幹事長は13日韓国の大学で講演し、「朝鮮半島の権力者が日本を征服し、初代神武天皇となった。これは歴史的事実」と述べた。

http://japanese.joins.com/article/
article.php?aid=123896&servcode=A00


 「日本人の祖先は韓国人」という非常に差別的な主張をする人が少なからず存在する。それもどういうわけか韓国の人々に大変多い。

「日本人の祖先は韓国人」という差別思想を考え出した人は、本当に頭が悪いと思う。

だってこういうことでしょ。




       







       







       











日本人の進化



「日本人の祖先は韓国人」などと言われると「だから日本は韓国よりも先に先進国になれたのか」とか、「日本人が故郷に帰っただけだから日韓併合は正しかった。賠償金を返してもらわなければ」という主張に思わず納得させられそうになる。


それはともかく「日本人の祖先は韓国人」なんて差別的な思想に断固反対します!!




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権力維持だけが目的の赤ん坊政権

  • 2009/12/17(木) 23:39:08

 鳩山政権は15日、日米両国が2006年に沖縄県名護市沖への移設で合意していた米海兵隊・普天間基地問題を白紙化し、沖縄県以外の移設先を探すとして結論を来年に先送りした。

参考記事

連立相手の社民党が普天間基地の国外移設を強硬に主張しているためで、わずか5議席とはいえ社民党が連立政権を離脱すれば、参議院で単独過半数に満たない民主党にとって打撃となるというお家事情を第一に優先させた結果だった。

「”完璧主義”は”最善”にとって最大の敵」と言えるが、鳩山政権の先送り決定によって、普天間地区の住宅密集地の頭上を米軍機が飛んでいて危ないといわれる状況が余計に長引くことになった。

来年以降、鳩山政権が基地の国外移転という”完璧な結果”が得られなかった場合、事故の危険や騒音と隣合わせの市民生活が長引いただけという最悪の結果となる。

民主党や社民党が沖縄県民の皆さんに期待を持たせるだけ持たせて手ひどく裏切ったという、非常に罪つくりな状況だ。

沖縄県民の皆さんはどう考えておられるのかはわからないが、もし多くの人が賛成するのであれば、市民の安全を第一に考えて速やかに名護市沖の海上への基地移設を決定していた方がベターだったのかもしれない。

だが鳩山政権は、何も決められなかった。

「対等な日米同盟を!」と大見得を切ったにもかかわらず、なんたらペンタゴンに普天間基地の国外移転を堂々と主張し、それを認めさせるような外交力もない。

かといって、社民党の反米原理主義者に毅然とした態度を示す覚悟もない。

社民党との連立維持・権力の維持という政局が最優先で、沖縄県民の皆さんの安全なぞは二の次三の次というのがホンネのようだ。

 結局、民主党というのは何がしかの政策を実現するために政治を志したというのではなく、権力を握ることそれ自体が目的だったとしか思えない。

権力を握ることでありつける利権を手中に収めることが真の目的なのかもしれないが。

民主党は代案を出さずひたすら与党を批判するだけで権力を握った。

自分で初めから出来もしないことを声高に主張しながら。

権力を握った後の民主党はやることがなくなり、今までのルール・憲法・法規範といったものを全否定して、うさ晴らしのようにひたすら破壊することしかやっていない。

何か問題が起こると「与党・自民党のせいだ」という。

今の与党はお前らだろう。すべてを承知であえて政権与党の座につくことを志したのだろうが。

そして最優先するのはひたすら権力を維持することだけ。

日本をメチャクチャに破壊し続けることができるように。

「小人閑居して不善を為す」という。

民主・社民・国民新党の連中に共通しているのは、自分にとことん甘く他者にとことん厳しいという甘えの構図だ。

自分だけは約束を破っても良いだろう、
自分だけはルールを破っても許される、
政権交代したのだから何をやったって良いじゃないか。

すべて甘えである。

そんなものが許されるのは赤ん坊までであって、少なくとも人の上に立つ立場の人間に許されるものではない。

「他者に優しく、自分を厳しく律する」というのが、人の上に立つべき徳のある人間というものではないのか。

民主・社民・国民新党連立政権は「戦後最悪の政権」と言って間違いないだろう。




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国恥記念日

  • 2009/12/16(水) 00:36:21

天皇・皇后両陛下が外国の要人とお会いになり、日本と当該国との友好親善を深められるときは、国の大小・遠近にかかわらず平等にお接しになる。

ネットでいくら調べても当時の記事が出てこず、残念ながらどこの国であったかわからなくなってしまったが、南太平洋の島国から元首クラスの要人がおみえになって、今上陛下とお会いになった時のことである。

その元首は陛下の前へ進み出ると、突然あぐらをかいて拍手を始めた。

それがその国における最高尊敬をあらわす挨拶だそうで、あぐらをかいて拍手を続ける元首に戸惑われた陛下のお姿が写った写真とあわせて、非常に微笑ましいエピソードが新聞記事で紹介されていたのを覚えている。(たぶん産経新聞)

つい最近では、アメリカのオバマ大統領の両陛下に対する最敬礼が物議をかもした。

日本人の私でもあれはちょっとやりすぎかもと思ったが、少なくとも両陛下に対して礼を失するところはなかった。

むしろオバマ大統領から両陛下への真摯な敬意を感じた。

 15日午前、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会談が行われた。

参考記事 

テレビでも見たが、中国のワガママによって例外的に天皇陛下との会談が認められたにもかかわらず、習は天皇陛下に軽い会釈さえしなかった。

(巧妙なNHKのフレーミングで習が先に手を出したのかどうかはわからなかったが)

アメリカのオバマ大統領はもちろん世界のどの国も尊重してきた1ヶ月ルールを中国だけは従いたくないと日本側に強要し、そのような”不平等条約”を民主・国民新・社民党の売国連立政権が唯諾々と受け入れた。

あれほど会談はキャンセルすべきという声があがっていたにもかかわらず。

12月15日は、民主・国民新党ら売国政権が中国と組み、日本に不平等条約を飲ませた国恥記念日となった。

私はこれほどの屈辱を感じたことはない。

それでも陛下はあくまで「国民統合の象徴」として、普段どおりにご公務を果たされた。それが唯一の救いであった。

 一夜明けてもなお、小沢幹事長を筆頭とする民主党政権の連中は見苦しい言い訳に終始している。
国民新党の亀井金融相もそれに加わった。

参考記事 

鳩山首相は「世界で1番人口が多い国で隣国だ。そういう国との付き合いは非常に大事だ」と、中国への特例扱いを正当化した。

それを天皇の政治利用という。

日本政府がある特定の国との関係を深めようと考えたならば、首相や外相がその国の要人と密に会えば良いだけの話で、政府が特定の国をえこひいきして天皇陛下との会談をセッティングする必要はない。

中国の要人が天皇陛下との会談を希望するなら、1ヶ月ルールを守り他の国と同様の手続きをふめば良いだけのことだ。

皇室外交はそういう国内政治の生臭いところから離れ、外国から政治利用されないよう細心の注意を払いながら、国の大小・遠近に関わらず行っていただくべきものではないのか。

 また前原国交相は「元首相なので、自民党から要請が官邸に届いたのであって、われわれがルールを曲げたわけではないと聞いている」と述べた。

参考記事 

どうやら前原国交相は、ルールを曲げたというところだけはわかっているようだ。

この痴れ者が!

今は民主党が政権与党だろう。

たとえ野党の元首相から要請が来ても、政権を握っている民主党が毅然としてルールを曲げなければこんなことにはならなかったわけで、ルールを曲げたのはお前ら民主党以外いないだろうが。

いつまで民主党は野党をやっているつもりなんだろうか。

もう責任をなすりつけられる与党なんてお前ら以外存在しないんだよ。

この痴れ者集団は、それすらわかっていない。

 絶対に過ちを認めることができない民主党を支持する連中も、「天皇に習近平がわざわざ会いに来たのだから”ウヨ”は喜ぶべき」などというトンデモ理論で擁護している。

百歩譲ってこれが国家主席ならともかく、習はまだ序列6位であって次期国家主席に決定しているわけでもない。

中国の序列6位がゴリ押しすれば日本の”序列1位”だって自由に会談に応じさせることができると、鳩山政権が証明してみせたことが問題なのである。

 さて小沢氏の逆ギレのような放言が続いているが、「宮内庁の役人が作ったからといって、金科玉条で絶対だなんて、そんな馬鹿な話があるか。天皇陛下ご自身に聞いてみたら、『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずそうおっしゃると思うよ」という部分だけは絶対に見過ごすことはできない。

参考記事 

これはつまり、「天皇陛下のお気持ちは私が一番良く知っている。だから下々の者は小沢一郎の指示は天皇陛下からの指示だと思え」とでも言いたいのだろうか。

もしそうであれば、これほどひどい天皇陛下の政治利用はないわけで、ゾッとさせられる。




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倣岸不遜な小沢民主党

  • 2009/12/15(火) 00:43:32

 世界各国の要人が天皇陛下とお会いする場合、1ヶ月前までに文書で申請するよう求めている”1ヶ月ルール”。

今上陛下が前立腺がんの手術を受けられた平成16年の翌年から、このルールは厳格に守られてきた。

相手国と日本との関わりについての情報収集など、会談に向けて入念な準備をなされる陛下のお体のため、また人口数万の国から十数億という大国にいたるまで日本が世界各国と公平・平等にお付き合いするためのルールでもある。

その1ヶ月ルールが民主・国民新・社民党連立政権によって破られるという前代未聞の不祥事が明らかとなった。

14日来日した中国の序列6位・習近平副主席と天皇陛下との会談を、1ヶ月ルールに違反する形で鳩山政権が急きょセッティングしたのだ。

 時事通信・読売・産経などマスコミ各社が報じているが、この会談の実現を働きかけたのは小沢幹事長だという。

読売が詳報しているが、先月20日に来日した中国の楊潔チ外相が小沢幹事長や鳩山首相と国会内で会い、習近平が天皇陛下と会談できるよう協力を要請したとされる。

だが宮内庁は、世界各国を公平に扱うべき1ヶ月ルールに反する上に「陛下のご健康がすぐれない」として、外交ルートで会談は困難と中国側へ伝えた。

参考記事 

これに対し中国側は猛烈な巻き返し工作を実施し、何としても1ヶ月ルールを破棄して会談を実現させるよう民主党政権に働きかけた。

今月9日に崔天凱・駐日中国大使と会談した小沢氏は、まだ天皇陛下と習の会談がセッティングされていないことを知り、平野官房長官になんとかするよう直接働きかけ、平野長官は宮内庁の羽毛田長官に会談実現をゴリ押しした。

小沢幹事長が600人の民主党議員ら関係者を連れて北京を訪問、胡錦涛国家主席と会談している頃と前後して、会談の実現が決まったと言う。

参考記事 

羽毛田長官は、こうした経緯を説明したうえで「二度とあってほしくない」と不快感を表明したが、小沢幹事長は「辞表を書いてから言え」と羽毛田長官を一喝。

参考記事 

参考記事 

小沢幹事長は「憲法を読め」とか「1ヶ月ルールなんて誰がつくった」などと的外れな批判をしているが、仮に憲法や法律に書いていなくとも1ヶ月ルールは事実上の慣習法となっていたと考えられる。

どの国もそのルールに従って天皇陛下とお会いしていたのだから、国際慣習といっても良いだろう。

小沢幹事長は民主主義の勉強と称してイギリスを訪問するが、イギリスでは慣習・コモンローが憲法の一部にさえなっている。

天皇に助言と承認を与える立場の歴代政権が1ヶ月ルールを守る中で、民主党政権だけがルールを破り自分達だけを中国だけを特別扱いしたからこそ問題になっているのだ。

思い上がりもはなはだしい。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を詠んだ人もいたが、「小沢一郎、私こそが憲法だ」とでも言うつもりだろうか。

民主主義とは、選挙で勝てば平等主義を破っても良いということではない。
そこを履き違えている。

習近平と天皇陛下との会談は「手違いがあった」としてキャンセルすべきだ。
もちろん頭を下げるべきは鳩山首相と小沢幹事長である。

 さて習近平という人物だが、共産党幹部という”特権貴族層”の子弟・太子党の代表的人物といわれ、江沢民・前国家主席をトップする上海閥とも関係が深いとされる。

上海閥と熾烈な権力闘争を繰り広げる団派(共産党青年団派)のトップは胡錦涛・現国家主席だが、習は団派の”ホープ”李克強・副総理を出しぬいて次期国家主席に一番近いところまで来ている。

外交ルートを通じて一旦断られたにもかかわらず、世界二百数ヶ国のなかで中国だけは”1ヶ月ルール”にとらわれず習と天皇陛下との会談を認めるという特権的地位を日本側にゴリ押し要求したのは、まず次期国家主席の最右翼とされる習がポスト・胡錦涛の地位を固めるための権威付けに天皇陛下を利用したいというのが一点。

さらに日本(というか民主党政権)が属国として”宗主国・中国”からの無理難題を受け入れるか、その踏絵をふますという目的が二点目であろう。

天安門事件による世界からの制裁を打破するため、天皇陛下の訪中を政治利用した中国。
その悪夢が蘇る

 日本を属国扱いして”宗主国待遇”を求める中国も横暴だが、それを「ごもっとも」と土下座して受け入れる民主党政権の売国奴ぶりにはあきれ果てる。

近年外務省はかなりまともになってきているが、事務方がまともでも政治側がデタラメでは意味がない。

上海閥といえば曽慶紅・元国家副主席で、日本における対中ODA利権の中国側窓口が曽であり、日本側の窓口は自民党田中派であった。

この腐ったパイプのおかげで、失われた日本の国益は計り知れない。

今でこそ民主党にいるが、もともと小沢氏は自民党田中派で育った”角栄の子供たち”の一人だ。

習近平と近いとされる上海閥から小沢幹事長に天皇陛下と習との会談セッティング要請が来たとしても不思議はない。
(マスコミ報道を小沢氏本人は否定しているが)

民主党関係者600人を引き連れて北京に”参内”した小沢幹事長は、「私は人民解放軍の野戦軍司令官として(日本の解放へ)頑張っている」と語った。

参考記事 

もし報道が事実であれば、自分の鶴の一声で天皇さえ意のままに動かせることを証明した小沢幹事長はさぞご満悦だったことだろう。

続いて訪問した韓国では、来年の天皇陛下訪韓まで示唆した。

来年の日韓併合100周年を機に、韓国において「日王の訪韓と謝罪」を要求する声が一部で高まっている。

そうしたことを念頭に韓国政府が天皇陛下訪韓を要請しているさなかでの小沢発言である。

参考記事 

民主党政権の最高実力者・小沢氏は「国会議員なんだからそれくらいわかるだろ。自分で考えろ」と言う。
周囲も小沢氏の逆鱗に触れぬよう、無言の圧力を汲み取って動くという。

参考記事 

重要な宮中祭祀のお勤めも控えられている天皇陛下のお体のことをまったく考えず、まるで自分の手駒のような扱いで「急きょ誰それと会え、韓国へ行け」というのであれば、こんな傲岸不遜な人物は見たことがない。

崇峻帝の弑逆に及んだ蘇我氏専横に匹敵する日本の危機やもしれぬ。





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反日勢力のラスボス(第5回)

  • 2009/12/12(土) 00:04:04

<”左翼的立憲主義”こそラスボスの心臓>

 前回は、狭義の国民主権(ナシオン主権)と法実証主義を組み合わせて拡大解釈することで、たとえ大多数の国民が憲法改正を望んでもそれに反対する少数者が阻止できるという法学上の”トリック”についてその種明かしをし、そうしたトリックが左翼にとって大変有利なロジックとなっていることを見た。

今回は、ナシオン主権論と表裏一体の関係にある立憲主義をクリティカルシンキングの対象とすることにしよう。

立憲主義とは「国家権力は憲法によって拘束されるべきとする原理」であるが、ここで問題としたいのは「日本的解釈による立憲主義」である。

この考え方は戦後日本の左翼勢力から強い支持を受けているので、あえて「左翼的解釈による立憲主義」と名づけておく。

 以前アップした最高裁の違憲判断によって国籍法の”改正”が余儀なくされたことを批判する私の記事に対し、ある方からコメントを頂いた。

そのコメントには「左翼的解釈による立憲主義」の考え方が象徴的にあらわれているので、重要な部分を抜粋してみる。

..........................................................................................................


>1980年代末のベルリンの壁崩壊からはじまった共産国家のドミノ倒しにより、誰の目にも明らかになった左翼イデオロギーの誤り。

なんか最初から間違ってると思うけど、そういう瑣末なことはいいとして。


>国籍法

何と言うか、違憲立法審査権を全く理解していないと思われ。
仮に国民全員が賛成した法律でも違憲は違憲でしかなく、裁判所でも近代民主主義上でも認められない。
それを認めてしまったら民主主義ではなく単なる多数主義になってしまい、ナチス独裁も正当化されてしまうから。


>人権のためなら民意や国会を無視し、憲法や国籍法さえも変えてみせるという、特定のイデオロギー

いちおう法律論で言うと、民意も国会も無視していい、というか、そうすべき。
なぜかというと、近代憲法は人権保障を唯一の目的として制定されているから。
民意や国会の上に立つのが憲法(というか人権)で、それに従うのが立憲主義。

要するに人権の名で正当化できない物は否定されるのが現代の国家システム。

>裁判官の一声であっと言うまに実現

だってそのための違憲立法審査権だもの。


投稿者: 迷い込んだ名無しさん 2009/02/17(火) 07:59:00 [編集]

(太字は管理人による)
..........................................................................................................


これが典型的な「左翼的解釈による立憲主義」で、日本の法学会・法曹界では強い影響力を持っている。

こうした学説を主張する急先鋒は、今まで何度か触れている弁護士の伊藤真という方で、この人が書いた本はどこの書店に行っても並んでいる。

「左翼的解釈による立憲主義」をより詳細に分析してみる。

ここでも前回述べた”法実証主義”と左翼的解釈によるナシオン主権論がその正当性の根拠となっているようだ。

つまり、法実証主義に基づいて「日本国憲法はそれが存在するがゆえに正しい」とし、「その正しいに決まっている日本国憲法を、これまた絶対に間違いを犯さない裁判官が解釈し判断を下せば(違憲立法審査)、”人権”は絶対に守れる」とする。

そこから「たとえ国民全員が賛成した法律であっても、”人権”を守るためには最高裁が違憲判決を出してそれを葬り去ってもかまわない」という結論を導き出し、裁判官が国民から主権を奪うことを「今を生きるわれわれ国民単独では主権を持たず、よって多数決投票によって国家の政策も決めることはできない」というナシオン主権論で正当化するのである。

戦前の軍部政権を誕生させたのは国民投票のせいではなかったはずだが、彼らには「日本人はいつファシズムを誕生させるかわかったものではない邪悪な民族」という先入観でもあるのだろうか、

「日本人に多数決で物事を決めさせるとファシズム独裁政権を誕生させかねない。ファシズムほど深刻な人権侵害はない」として、国民主権(人民主権)と民主主義(多数決)を否定する「左翼的解釈による立憲主義」の正当性をいっそう高めようとした。

左翼系法曹人のなかには、まるで「(左翼的)立憲主義のみが民主主義」であるかのように主張したり、ひどい場合になると「(左翼的)立憲主義は民主主義よりも優先させなければならない」とまで言い切っている。

こうした考え方からは、裁判官や弁護士といった”法学エリート”が高所にたち、われわれ一般市民を愚民と見下すような”思い上がり”がありありとうかがえる。

 それでは「左翼的解釈による立憲主義」に対して論理的に矛盾点を指摘していこう。

「ファシズムのような人権侵害を防ぐためなら、裁判官が違憲立法審査権によって民意を無視したって許される」というこの考え方だが、百歩譲り立憲主義によって100%人権侵害を防げるなるなら民主主義を否定する大義名分も立つかもしれない。

だがそれは不可能ではないだろうか。

「日本国憲法はそれが存在するがゆえに正しい」とする法実証主義の問題点については前回見た通りだ。

次に、立憲主義が100%人権侵害を防ぐには、憲法を解釈し違憲か合憲か判断して人権侵害を防ぐ裁判官が絶対に過ちを犯さない”全知全能の神”となる必要がある。

だが、そんなことはありえない。

その良い例が足利誤審事件である。

この事件では、宇都宮地裁の裁判官が無実の国民に無期懲役の決定を下し、最高裁がそれを確定した。

国民の人権を守るはずの最高裁が結果的に17年以上も無実の国民を拘束するという深刻な人権侵害を犯したのである。
(来年3月に出る再審の結果は無罪判決が有力視されている)

しかも最高裁は罪にも問われなければ謝罪も拒否している。

最高裁は全知全能でもなければ絶対に間違いの無い神でもないし、その暴走に対する有効な歯止めすらない。

この例ひとつをとって見ても、人権を守るという大義名分のもと最高裁の法学エリートたちが民主主義を否定する正当性は失われたと思う。

もっといえば、法的な手続きを一切飛ばして独裁権力を確立してしまう軍事クーデタに対して違憲立法審査は全くの無力だ。

そもそも、民主的な選挙で選ばれたわけではない官僚の一種である裁判官が、主権を持つ国民が選挙で選んだ代表のつくった法を無効とすることのどこに民主的正当性があるのか?

「民主主義を守る」という大義名分のもとに司法が民主主義を否定するのは大いなる矛盾であり偽善ではないのかと、私は疑問でならなかった。

ところが、私と同じような疑問を抱いた人は欧米各国にはいるようで、”我が同志”を発見したときは非常に嬉しかったのを覚えている。

民主的正統性を持たない裁判官が違憲立法審査によって、主権者である国民の民意を無効にすることが許されるのか許されないのかという、「立憲主義と民主主義の対立」あるいは「立憲主義と民主主義の相克」の解決は、多かれ少なかれ民主主義をとる欧米先進各国で課題となっているようだ。

アメリカの著名な憲法学者ブルース・アッカーマン氏のように、人民主権の立場から国民の多数決(レファレンダム)による憲法改正を認める立場(レファレンダム型立憲主義)が注目されているという。(辻村みよ子氏)

日本的解釈の立憲主義では、主権を持つ国民が多数決で代表を国会へ送り出す「立法までの民主主義」で十分だとし、国民が直接選んだわけではない裁判官が違憲立法審査で民意を無効とすることは許されるとする。

だが先進民主主義各国では「立憲主義と民主主義の対立」が起こっており、「行政までの民主主義」はもちろん、民意を重視し違憲立法審査という制度を疑問視する「司法までの民主主義」を要求する意見が出ている。

よって日本の左翼系法曹人が主張しがちな、まるで(左翼的)立憲主義が世界で唯一の民主主義でありスタンダードであるかのような独特な議論は「井中の蛙、大海を知らず」というものであろう。

ましてや、「絶対に憲法を変えないのが真の民主主義」という世界でも稀に見る珍説にいたっては、その根拠も正当性も見当たらない。

第三者として見れば、欧米先進各国で問題となっているという「立憲主義と民主主義の対立」が、もし日本の法学会でさほど大きな問題とされていないのであれば、私は日本の法学会の後進性を残念に思う。

物事の本質を考え真理を追求するのではなく、既存の学説を丸暗記するのに汲々としている人たちが、日本の法学会・法曹界には多いからではないだろうか。

私は、「民主主義を守る」という美名のもと民主主義を否定する立憲主義は矛盾であり偽善だと思う。

「立法・行政までの民主主義」はもちろん「司法までの民主主義」がこの日本で実現されるよう、憲法を改正するか全く新しい憲法を用意すべきだと考える。

 さて日本的解釈による”立憲主義”とそれを支える、これまた日本的解釈による”狭義の国民主権(ナシオン主権)論”は、イギリスの議会主権がモデルになっているらしいことは前回ちょっと言及した。

ところがまったく不可解なことに、違憲立法審査制度を金科玉条とする日本流の立憲主義やナシオン主権論は、そのモデルとされるイギリスの議会主権とは似ても似つかないもののように思える。

確かにイギリスの議会主権においては「イギリス人の古来からの権利」が言われ、過去に生きた人も含めた国民全体に主権があるとする日本流のナシオン主権論と一見似ているよう思われる。

だがイギリスの議会主権でいう議会とは、国王(女王)・貴族院・庶民院の三者である。

しかも慣習によって「君臨すれども統治せず」とされる国王が、名目上は議会の可決した法案を拒否する権限を持つ。
(国王の拒否権は一度だけ行使されたことがある)

さらに貴族院には世襲貴族が議席を有しており、貴族院より庶民院に優越性があるとはいえ、民主的正当性に問題をかかえている。

日本国憲法は第14条で貴族制度そのものを禁止している。

そして一番重要なことは、イギリスの議会主権が俗に「男を女に、女を男にする以外は何でもできる」と言われるように、議会の立法を無効化するいかなる組織も個人も存在しないことを意味することだ。

つまり違憲立法審査という制度はもともとイギリスには存在しないのであり、それは「もっとも非イギリス的なもの」と言える。

実は立法・行政・司法の三権分立さえはっきりとしていなかった。

その議会主権が、どうして違憲立法審査を金科玉条とする日本流・立憲主義のモデルとされたのか、まったく不可解である。

「過去に生きた人も含めた国民の総体に主権がある」という日本的ナシオン主権論の虚構も、いったいぜんたいどこから出てきたのだろう。


興味深いのは、違憲立法審査を拒む議会主権をとるイギリスがEUに加盟し、大陸法をとる国々と一緒になったことで混乱が生じたことだ。

イギリスは欧州人権条約を批准し、個人申し立て権を承認した。

すると何が起こったかというと、イギリス国民が欧州人権裁判所にイギリス政府を訴え、1990年代前半までに申し立て件数でも敗訴件数でもイギリス政府がワースト1位という現象を生み出した。

(日本の左翼勢力も政府に対し、日本国民に「人権規約委員会など国連機関への個人申し立て権」を認めるよう運動してきたことに強く留意すべきである)

このためイギリスでは憲法改革が進められたが、依然として議会主権は残されておりイギリスは苦心している。

(議会主権は実質的になくなっているという学説も存在するようだ)

ますますイギリスの議会主権を、日本流立憲主義のモデルとする理由がわからない。

もともとイギリスの議会主権や”法の支配”によって支配されるべきは「国王の横暴」だった。

それを「国王が国家の主人」であった絶対王政のイギリスから、既に「国民が国家の主人」である民主主義になっている日本に持ってきたときに、議会主権や”法の支配”によって支配されるべきは「国民の横暴」にすり替えられてしまったのではないか。

だからこそ違憲立法審査で民意を無視してよいという発想が生まれたのだろうが、日本の法学会は大変混乱しているように思われる。

 これで反日勢力のラスボスの心臓ともいえる「左翼的解釈による立憲主義」の急所(矛盾点・問題点)を一通り衝いてみた。

左翼的立憲主義の恐ろしいところは、「民主主義や人権を守る」という美名のもと、われわれ国民の主権や民主主義を否定してもよいのだという矛盾と、法学エリートの傲慢さを内包しているところにある。

日本の民主主義をより良いものに、より完成度の高いものにするためには、日本の法学会・法曹界に根強く存在する「(左翼的)立憲主義のみが民主主義というに値する」という偏狭な考え方、様々な意見の共存を尊重するという民主主義の根本理念に反する、左翼法曹勢力の「立憲主義ファシズム」を一刻も早く打破していかなくてはならない。


次回につづく 





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反日勢力のラスボス(第4回)

  • 2009/12/09(水) 22:30:41

<ナシオン主権+法実証主義=憲法9条死守?>

前回は、主権を持つ国民とは何ぞやという問いの答えとして、”人民主権”説と”狭義の国民主権”説(ナシオン主権説)について述べその違いも説明した。

読者の皆さん、予習・復習はしっかりとやっていただけたであろうか。

それではいよいよこの問題の核心部分を衝いていきたい。

 どうやらわが国の法学会・法曹界では”狭義の国民主権”説(以下ナシオン主権で統一)が優勢のようだが、ナシオン主権を唱えるのは左翼イデオロギーを信奉する人たちに多いという傾向があるように思える。

実際、ナシオン主権は左翼勢力にとって非常に都合の良い学説である。

特定の時点に生きている有権者のみならず、過去に生きた人やこれから生まれるはずの未来の人々も含めた総体を「主権を持つ国民」とみなすナシオン主権は、裏を返せば「今を生きるわれわれ国民単独では主権を持たない」と解釈することもできる。

その結果、「間接民主制のもとでは、国民が多数決投票によって国家の政策を決めることはできない」と主張する人が出現した。

日本国憲法56条は「両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し...」と定めているが、戦後日本の左翼勢力は多数決に強い敵意を向けてきた。

なぜなら、日本における社会主義革命や”天皇制”の廃止などといった政策を実現させようとしてきた彼らは一部の例外を除けば常に少数派であり、多数決をとり続けるかぎり彼らが望む政策は実現されないからであろう。

だが、「今を生きるわれわれ国民単独では主権を持たず、よって多数決投票によって国家の政策も決めることはできない」とするナシオン主権説を悪用・拡大解釈すれば、少数派が多数派を抑え堂々と我を通す大義名分として使える。

つまり「人権や民主主義を守れ!」という美名のもと、われわれ国民から主権を奪い、主権を持つ国民の代理人たる議員が多数決で何かを決めることを否定してもそれは正しいとする理論に”根拠”を与えるのである。

(けっきょく彼らは自分たちが多数派だろうが少数派だろうが、自分の意見を何が何でも相手に押しつけたいだけというのがホンネなのだと言える。民主・社民連立の左翼政権が権力を握るやいなや、嬉々として”強行採決”を連発していることがそれを確固に裏づける)

(これについては次回、深く掘り下げて論じる)

 また、左翼勢力は”法実証主義”という考え方の影響が非常に強いように思われる。

”法実証主義”についてはさまざまな議論があり横道にそれたくないので深入りはしないが、ここで定義しておくなら「正義や道徳・自然法といった、実定法より上位の存在を認めない立場」であり、もっと簡単に言えば「法がなぜ正しいかと言えば、その法が現実に存在するから」とするのが、ここで問題にする法実証主義としておく。

法学特有のヘンテコ理論と思われるかもしれないが、おつきあい願いたい。

左翼勢力は、思想・表現の自由にもとづいて憲法改正を主張する国民を敵視し、「9条死守!」を叫んできたことは良くご存知のはずだ。

この法実証主義とナシオン主権論を組み合わせて拡大解釈すれば、「われわれ国民は9条を含む日本国憲法を絶対に変えてはいけない。それが正しい」という考え方に”正当性”を与えることもできる。

たとえば、法実証主義を利用して「憲法9条がなぜ正しいかと言えば、それは9条が存在するから」とし、ナシオン主権説を利用して「その正しいに決まっている日本国憲法を、9条を、主権を持たない今を生きる国民が多数決で変更するのは絶対に許されない」と主張するわけである。

「ナシオン主権+法実証主義=憲法を絶対に変えてはいけない」

「9条死守!」を叫ぶ左翼勢力の言動を見ていると、こうした思想が背後にちらついてしょうがない。

そして日本国憲法はできてから60年以上もたつのに一度も改正・修正されていないという現実は、他の欧米民主国家と比べても異質だ。


先進民主主義各国の憲法改・修正

アメリカ 27回

ドイツ  52回

フランス 19回

イタリア 14回

日本   0回

(2005年時点)

またスイスは、憲法の部分改正ではなく全面改正が行われた。(1999年)



 だが法学を勉強なさった方なら法実証主義が厳しい批判にさらされてきたことはご存知だろう。

まず「法がなぜ正しいかと言えば、その法が現実に存在するから」というのでは、どうしてその法が正しいかという本質に一切答えていない。

さらに法実証主義をとると、「奴隷の所有を認める憲法は存在するがゆえに正しい」となり、そうした人権侵害を認める憲法を変えることが不可能になりかねない。

実際アメリカの憲法には当初、日本の憲法にあるような”人権のカタログ”が無く、奴隷所有が暗黙のうちに認められていた。

アメリカ憲法が制定された1788年から77年もたった1865年になりようやく成立したアメリカ憲法第13修正によって、奴隷は合衆国のいずれの地域にも存在してはならないと定められたのである。

女性参政権が認められたのは1920年成立の憲法第19修正によってであった。

自由と民主主義の国アメリカとて憲法が完璧ではなかったのであり、常にふさわしいものになるよう何度も修正してきたわけだ。

よって、もし法実証主義を根拠にして「憲法を絶対変えてはいけない」と主張するのであれば、それは間違いだと私は思う。

(ならば自然法の存在を認めるのかという話になるのだろうが、自然法というか共同体の人々が持つ価値観が法に存在する根拠を与えても良いのではないか。横道にそれるので深入りしないが余裕があったらどこかで触れたい)

 次にクリティカル・シンキングの対象にしたいのは、ナシオン主権を根拠にした「憲法を絶対に変えてはいけない」とする主張だ。

今を生きる国民だけではなく、過去の人も含めた総体としての国民に主権があるとするナシオン主権をとった場合、「憲法を絶対に変えてはいけない」どころか、逆にこの日本では、陸海空軍いっさいの軍事力の放棄や”天皇制”の廃止を実行するのは法に反することになりはしないだろうか。

天皇や皇室という制度がこの日本に生まれて少なくとも1700年ぐらいはたっている。その途方もなく長い時間を生きた過去の日本人たちは、天皇や皇室という制度を一貫して守ってきたわけだ。

さらにどの時代の日本人も、自らの生存権を守るために常に軍事力を保持してきた。2000年近い日本の歴史の中で憲法9条が存在した60年は例外中の例外といえ、しかも左翼勢力が想定するような非武装平和主義を日本がとったことは一度もない。

日本流のナシオン主権論はイギリスにおける議会主権という考え方に影響されていると思われるが、イギリスの議会主権的に言えば「皇室制度の維持や身を守るための軍事力の保持は、日本人の古来からの権利」ということになり、今を生きるわれわれ国民だけでそれを勝手に変更し、”天皇制”の廃止や軍事力の放棄を実行すれば、それは法に反するということなりかねない。

日本流のナシオン主権論を根拠にして「憲法を絶対に変えてはいけない」と主張すればブーメランが帰ってきて、彼らの意図に反するこうした深刻な矛盾をかかえてしまうことになるだろう。

 以上、左翼勢力が理論武装するのに利用していると思われる、ナシオン主権と法実証主義を組み合わせて「憲法を絶対に変えてはいけない」とする主張の間違いや矛盾点を指摘した。

時代や社会情勢の変化にともなって日本の憲法も適宜改正していく必要があるはずだが、こうした学説が日本の法学会・法曹界で主流になっている限りそれは非常に困難なのではないだろうか。

いわば「護憲派の正当性を支える最後の牙城」と言える。

自分たちが信じるイデオロギーを憲法に反映させたいとは思わないが、今の状態がずっと続くと日本社会のあちこちに問題がでてくるわけで、保守勢力も法学会・法曹界に多数進出し理解者を増やしてそうした学説の矛盾や問題点を指摘し、左翼イデオロギー的法学説を突き崩していくことが必要だ。

次回は、左翼流ナシオン主権論と密接な関係にある”立憲主義”について考察をくわえる。

さーて、面白くなってきやがった♪

次回につづく



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反日勢力のラスボス(第3回)

  • 2009/12/09(水) 00:22:30

前回のつづき


<主権は誰のものか>

 「日本において主権を持つのは誰か?」と問われれば、多くの人は「国民にきまっているじゃないか」と答えるに違いない。

だが、法学の世界ではそう単純な話ではない。

民主主義体制において主権を持つのはもちろん国民であるが(国民主権)、その国民とはいったい何ぞやということをめぐる学説には大きく分けて二つある。

一つは”人民主権”(プープル主権)というもので、特定の時点における有権者に主権があるという考え方である。

(このブログでは”人民主権”で統一する)

もう一つは”狭義の国民主権”(ナシオン主権)と呼ばれるもので、特定の時点に生きている人のみならず、過去に生きた人やこれから生まれるはずの未来の人々も含めた総体を「主権を持つ国民」とみなす考え方だ。

(同じく”ナシオン主権”で統一する)

ちょっと難しいかもしれないが、人民主権とナシオン主権という二つの考え方は非常に重要なので、がんばって理解して欲しい。

 管理人クロフネはどちらを支持するかと言えば、人民主権説を取る。

主権とは、自分と自分が属する社会の将来を選択する権利と言い換えても良いと思うが、現実社会を直視すれば、もう亡くなった人やこれから生まれる予定の人も主権を保持しているというのは、机上の空論・虚構も良いところではないだろうか。

第一、もう亡くなった人が現在生きている人々に意思表明を行うことなど絶対に不可能であり、これから生まれる予定の未来の人は、生まれて大人になり有権者としての資格を得てはじめて主権を持てば何の問題もないと思われる。

よってナシオン主権という考え方には無理がありすぎる。

さらに現在生きている人々は、もう亡くなった人およびこれから生まれる未来の人におうかがいをたてないと自分達の社会のことを何も決められないというのでは、システムとして問題がありすぎる。

現在生きている人の自由権を侵し、平等主義にも反するおそれがある。

ある時点において生きている有権者(人民)が主権を持ち、主権を持つ有権者が有権者たる資格を決める。

労働の義務を果たして独立した生計を立てられない子供は大人(両親)の指導・監督を受ける必要があるから、法が定めた大人の年齢になるまで有権者としての権利を与えられなくてもやむをえないと人民が考えれば、子供は大人になるまで有権者からは外れる。

そうした意味での人民主権が、私にはしっくりくる。

 人民主権となれば、人民が直接政治に参加する直接民主制でなくてはならない、そうでなくても人民が選んだ代理人に命令(命令的委任)を与えて社会を統治させ、代理人が命令に反する行動をとった場合はすぐさま辞めさせる権利(リコール権)を人民が持たなければいけない、という主張がある。

これはいささか硬直的な考え方のように思われる。

人民主権であったとしても、バスを運転したり会社で企画書をつくったりと普段の仕事が忙しくて首都まで行っていちいち話し合いや採決に参加してはいられない、政治のことは良くわからないから職業政治家という「政治のプロ」に任せたいといった理由から、人民が代理人に統治をゆだねる間接民主制を選択しても問題は無いはずである。

また主権を持つ人民の合意にもとづいて、いったん統治を代理人(議員)に任せたら人民が彼らに直接命令を出すのを控える、その代理人(議員)の任期が終了し次の代理人を決める選挙のときに、人民にとって代理人が満足に働いたら再選させ、人民の希望あるいは命令に反した行動を取る方が多かったと判断すれば落選させるというふうに、選挙をリコールを行う国民投票的なものと位置づける形の人民主権があっても良いのではないだろうか。

実際、フランスやイタリアは人民主権をとりながら命令的委任が憲法によって禁じられている。
(フランス憲法第27条・イタリア憲法第67条)

 それでは日本国憲法では人民主権をとっているのか、はたまたナシオン主権だろうか。

結論から言えば、憲法を素直に読む限りその二つがごちゃ混ぜになってしまっている。

たとえば憲法11条では、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」として、ナシオン主権を取っているかと思えば、

憲法96条では、憲法改正の承認のために「特別の国民投票」の実施を求めており、また憲法79条には先の総選挙で話題になった最高裁裁判官の国民審査制度(リコール)が定められている。

国民投票やリコールといった制度は、どちらも人民主権を前提にしていると考えられている。

日本国憲法が出来たいきさつを振り返ると、マッカーサーがGHQ民生局に憲法草案の作成を指示し、指示を受けた民生局はソビエト連邦やフィンランドなどの憲法を参考にしながらたったの10日かそこいらで草案を完成させた。

この憲法草案を敗戦直後の日本政府に受け入れさせ、それをもとにして憲法はつくられたという。

憲法草案を作成したGHQのメンバーに弁護士は何人かいたが憲法学者はおらず、ベアテ・シロタ・ゴードン女史にいたっては、当時たった22年間しか人生経験のない法の素人であった。

鼻クソもたまれば屁も垂れるGHQの生身の人間が集まって、たった10日かそこいらのやっつけ仕事で出来たのが日本国憲法の草案だったわけだ。

憲法の専門家もいなかったから、世界各国の憲法を参考につぎはぎして。

そういういきさつで出来た憲法が、人民主権とナシオン主権がゴチャ混ぜになるような矛盾を含んでいることは無理もないことだろう。

 それでは日本の法学会では、どういう議論が行われているか。

片や「日本国憲法はナシオン主権を取っているというのが通説だ」と主張すれば、他方では「いーや、日本国憲法は人民主権を取っているというのが通説」という風に真っ二つに分かれている。

いや、私の見たところナシオン(狭義の国民)主権説の方が優勢だろうか。

こういうことを言うと叱られるかもしれないが、こうした論争はちょっと滑稽(こっけい)に思える。

前述のように日本国憲法は、しょっちゅう間違いをやらかす生身の人間によって、それも22才のアメリカのお嬢ちゃんまでがまざってつくられたものだ。

にもかかわらず、まるで日本国憲法が全知全能の神が私たち日本人に与えたもうた、一点の矛盾もケガレもない”完全無欠の神聖なる大典”であるかのような前提にたって、良い年を召された日本のオジサンたちが、「ナシオン主権だ」「いーや人民主権だ」とやっているのである。

どうやら多くの日本人は、憲法や国連が相手になると途端にウブウブになってしまうようだ。

女性との交際経験の少ない男性は女性を過剰に神聖視し、自らの恋愛対象が
”純潔な処女”であるかどうかに非常に強い執着を持つ傾向にあるようだが、それとどこか似ているように思える。

 さて今回のお話はどうだったであろうか。

ちょっと難しかったかもしれないが、人民主権とナシオン主権という二つの考え方の理解は非常に重要なので、がんばってついてきて欲しい。

次回、いよいよこの問題の核心部分を衝いていこう。


次回につづく




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37分間の民主主義

  • 2009/12/08(火) 01:03:59

 先週金曜日、第173臨時国会が閉幕した。

今国会の特徴はなんといっても連立与党側の”革命的”な国会運営だ。
日本のこれまでの民主主義システムが根底からひっくり返されたと言って良い。

民主・社民・国民新党連立政権が、中小企業等金融円滑化法案いわゆるモラトリアム法案を、たった7時間の審議で強行採決を行ったことについては以前述べたとおりだ。

(読者さんから審議時間は7時間とご指摘がありましたので訂正します)

その後も与党連立政権は、あらゆる批判を無視して強行採決を連発し、郵政株式売却凍結法案は審議時間たったの1時間30分、新型インフルエンザワクチン被害救済法案に至っては、衆議院委員会の審議時間37分という輝かしい記録を打ち立てた。

自民党が与党だった時代、一法案あたりの平均審議時間の相場は50時間と言われた。

”組織犯罪処罰法改正案”の審議にも40時間以上かけたのに、「審議が尽くされていない、強行採決だ!数の横暴だ!」と言って批判した民主党が、政権を取るやいなや少数派の意見を無視し、たった37分の審議時間で採決を強行するわけだ。

民主・社民・国民新党連立政権の倫理・道徳観の無さは、それにあてはまる形容詞が見当たらないほどひどい。

しかも、衆参両院本会議における質疑は連立与党の要求によってほとんど省略されてしまった。

だが民主党の山岡賢次・国会対策委員長は「十分な審議時間を取った」とあくまでも言い張っている。

参考記事 

山岡国対委員長は、11月はじめの衆参予算委員会を38時間開催したから「十分時間を取った」と言いたいようだが、政府提出法案だけで12本あったわけで、1本あたりの審議時間はあまりにも短かすぎる。

新型インフル法案にいたっては、たったの37分で強行採決だ。

鳩山政権によって、日本の国会は単なる採決マシーン・多数決マシーンとなった。

「37分は充分な審議時間」

「それで採決に応じないなら野党の審議拒否で強行採決ではない」

民主・社民・国民新党による「理想の民主主義」の定義はよーく分かった。

それならそれで良いだろう。

実際、審議日程や採決日をいつにするかといった議事運営を与野党の合意で決めていたのは、日本の議会における慣習であって、議事運営は衆参本会議なら議長、各委員会なら委員長の職権であると法規では定められている。

イギリスでは、議会や内閣における各種ルールを強い強制力を持つ慣習法が定めている。

日本の国会でも審議を何日、採決日をいつにするかといったことを与野党の話合いで決めることが慣習法として定着していたと言えるのかもしれないが、そうした慣習法も今年の臨時国会でこっぱみじんにぶっ壊されたわけだ。

他ならぬ民主・社民・国民新党によって。

「37分は充分な審議時間」「それで採決に応じないなら野党の審議拒否であって強行採決ではない」

1億3000万日本国民は、絶対に忘れてはいけない。

民主・社民・国民新党とその支持者、お前らもな。

 そもそも国会を開く時間なぞ、いくらであったのだ。

だが、鳩山首相の献金疑惑が持ちあがったために解散・総選挙が行われてから臨時国会が開かれるまで2ヶ月もかかった。

その間、間(ま)が持たないので大向こうがウケそうな鳩山首相の外遊ショーが催された。

オバマ大統領ごひいきのパンケーキ屋さん訪問といったパフォーマンスつきで。

ようやく国会が開かれたかと思ったら、鳩山首相の脱税疑惑・小沢幹事長の西松・水谷スキャンダルを野党から追求されたくないのだろう、民主党は自分が通したい法案をさっさと強行採決して、国会を短時間で閉じようとした。

民主党ら連立与党は、野党側に対し政府提出法案10本の本会議質疑を省略するよう繰り返し要求した。

衆参本会議は国民やマスコミの注目度も高くなるから、国民が注視する前で野党の追及に鳩山首相がしどろもどろの火だるまになるのを防ぐためだったのだろう。

その結果、ほとんどの法案の本会議質疑は省略ということで民主連立政権側が野党を押し切った。

鳩山首相は野党の要請した党首討論からもことごとく逃亡した。

もともと党首討論は、民主党の小沢幹事長の肝いりで導入されたにもかかわらずだ。

その間鳩山首相は、「司法判断にゆだねたい」といって自らの金銭スキャンダルには何の説明責任も果たさず、反面、鳩山首相の同意がなければ鳩山首相を訴追できないという憲法第75条の規定を”悪用”した”鳩山システム”で、疑惑はウヤムヤのまま。

自らの金銭スキャンダル疑惑を追及されたくないがために、可能な限り国会会期や審議時間を短縮し、強行採決・質疑省略・党首討論拒否を連発するというのでは、国会や日本の民主主義システムを愚弄するにもほどがある。

今やこの国では、社会の根本を支える倫理・道徳や法規範といったものが死に絶えようとしているようだ。

小沢幹事長は二言目には「真の民主主義」と言うが、それが聞いて呆れる。

 日本に民主党政権が誕生した時、民主支持のある元官僚が「政権交代で、やっと日本も韓国や台湾なみなった」と快哉を叫んだそうだ。

ああ、その通り。

この日本も、”腐敗共和国”の二つ名を持ち国会でチェーンソーを持った人間が暴れまくる韓国に、あるいは三権分立さえ確立できていない人治主義の独裁国家・中国なみになったということだ。

この場合「日本は先進国からすべり落ち、アジアの発展途上国なみに退化した」と言ったほうが正確だが。

 榊原英資・元財務官や森永卓郎経済アナリストといった”識者”たち、あるいは毎日新聞やテレビ朝日が待ちに待った”夢の民主党政権”はいかがだろうか。

民主・社民・国民新党連立政権はもちろん、諸君らにも心底うんざりさせられる。




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関連記事・鳩山政権の金字塔

関連記事・歴史の書き換えが不気味に進行中

民主、ぶざまな方針転換

  • 2009/12/04(金) 23:55:46

 ちょうど1ヶ月前にアップした”デフレの原因”という記事のなかで、私が日銀に「量的緩和政策の復活」を提案したのを覚えておられるだろうか。

大人の事情で真意をぼかして書いたのだが、私が提案した「量的緩和政策の復活」は、実はデフレ対策というよりも為替に影響を与えることを主に意図したものであった。

当ブログでは、「内需主導にせよ」あるいは「外需主導せよ」といった単純なゼロサム理論に陥るのではなく、「内需と外需でバランス良く経済を成長させることこそ日本に必要なのである」と言ってきた。

当ブログ記事・民主党の経済政策で国民は安心できるか?

ところがこの記事にもあるように、民主党が自分達の経済政策の柱としてかかげたのは「日本を内需主導型にする」というものだった。

民主党の極端な”内需主導原理主義”をあおったのは藤井財務相である。

民主党政権の経済アドバイザーはかねてから民主支持を公言してきた榊原英資・元財務官と言われ、榊原氏も内需主導・円高誘導論者である。

藤井財相は、

「内需主導では円高のメリットは大きい

「円安によって輸出を伸ばす政策は間違い」

と口先介入で為替を円高へと誘導し、
マーケットから懸念の声が上がっても、

「異常ではない」

「一時的な現象」

などと、あくまでも円高トレンドを黙認する姿勢を貫いた。

当ブログ記事・360°全方位土下座外交(その3)

中国はサブプライム危機いらい、輸出産業を助けるためにずっと人民元を1ドル6.82元に固定して、人民元安政策を敷いている。

自分だけ不況から助かれば周りの国はどうなったって良いという、いわゆる近隣窮乏化政策というやつだ。

ドル/元 

韓国もウオンを安く維持するため盛んにドル買い・ウオン売り介入を行っている。
台湾もそうだ。

長期にわたる低金利政策が見込まれるドルの下落という側面もあるが、東アジアの工業国で日本だけが突出して自国通貨高を容認しているという状況だった。

日本株の時価総額の約40%が輸出関連株だそうで、世界経済の回復に伴って輸出が増えると株価も上がる、「日本株は世界の景気敏感株」という見方も海外投資家から出ていた。

参考記事 

参考記事 

にもかかわらず、民主党政権が内需主導原理主義に陥り、輸出産業を苦しめるようなことばかりしてきたのだから、日本株の出遅れどころか、景気も株価も底割れする危険性が高まったのは当然のなりゆきだった。

もちろん円高は日本のデフレをより悪化させる方へと働く。

基本的にモノより貨幣の価値があがるデフレ国の通貨は買いだから、なおのこと円高に拍車がかかる。(他国との金利差の問題がからむとまた違ってくるが)

 日本に不況の二番底を招いたとあっては政権が持たないと焦燥感をつのらせたのだろう、さすがの民主党政権も妄想の殻に閉じこもってはいられなくなった。

ぶざまにも、「内需主導のために円高は有利」という従来の経済・金融・通貨政策を転換し、日銀にプレッシャーをかけはじめた。

日銀も日銀で、量的緩和政策の実施には消極的な姿勢を見せていたが、突然12月1日に臨時の金融政策決定会合を開催し、白川総裁が「広い意味で量的緩和」と指摘する新しい資金供給手段によって約10兆円を供給すると発表した。

私がこのブログで「量的緩和政策の復活」を提案してからほぼ1ヶ月後のことである。

参考記事 

これで一時は1ドル=84円台をつけていたドル円相場も一気に89円台まで円安が進み、円安トレンドへの転換となれば日本株は買いということで、9000円台を割る懸念も出ていた日経平均も1万円台を回復した。

ドル/円 

日経平均 

菅副総理は「もう少し円安が進んでくれるといい」などと言い出す始末

おいおい、民主マニフェストにある内需主導型経済への転換に「円高は有利」という主張はどうなった?

公約をひっこめるなら退陣すべきではないのか?

このドタバタ劇は一体なんなんだ!

 これで先月、日本経済が不況の二番底へと沈没する瀬戸際までいった原因が民主党政権にあったのは、誰の目にも明らかになった。

ギアを自分でバックに入れたのに「車が前へ進まない、後ろへ進むと言った覚えはない」と言い張る、経済ボケの藤井財務相。

我々国民の命がいくつあっても足りないので、即刻、財務相の”免許”を取り上げた方が良い。

さらに民主政権は、日本という名の車にハンドルをいくつも取りつけて、藤井が左にハンドルを切るウラで菅は右へ切り、亀井は操縦桿を押し下げる。

その結果、車は果てしなく迷走する。

 民主・国民新党連立政権のデタラメな経済政策には心底ウンザリさせられた。

民主政権がまた何かやらかしたら、せっかく1万円台に回復した株価もどうなるかわかったものではない。

日本にとって一番の景気対策は、民主党政権が崩壊して経済政策がしっかりしたところに政権交代することだと思う。

 ただ、自民党とその支持者にも「野党暮らしはまっぴらごめんだが、経済政策は鳩山連立政権を支持する」という人達が少なからずいる。

もしまだ自民党が政権を維持していて彼らの言う通りにしていたら、同じような事態を招いていた可能性がある。

自民党は、民主の経済政策の失敗を反面教師にし、それとは違う地に足をつけた経済政策を打ち出して、連立与党の失策を攻撃していくべきだろう。

経済政策で一つにまとまれないなら”身体検査”に不合格な人も含めて切って、挙党体制をつくりあげるべきだ。

しっかりとした経済政策を持つ政権交代の受け皿がないということは、日本に
とって望ましいことではない。




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反日勢力のラスボス(第2回)

  • 2009/12/02(水) 22:53:51

前回のつづき


<国家は国民の敵か>

 戦後の日本では、国民を弱者・国家を強者とする前提をもとに「国家は国民の敵」とみなす傾向が強い。

左翼政党やそれを支持する法曹界の人々など左翼勢力では特に強いように思われる。

 前回「憲法というのは国家の設計図」と言ったが、日本の法学テキストで憲法について勉強すると、絶対王政時代の国家が国民を抑圧し、18世紀にフランスで市民革命・アメリカで独立革命が起こって、人権宣言・独立宣言がそれぞれ採択されたことをまず学ぶ。

(人権宣言の萌芽的存在としてイギリスの権利の章典を取り上げる人もいる)

”弱者”である国民はそれによって「国家からの自由」=自由権を獲得し、人権の中でも最も重要なものとされる自由権を守るために、裁判所による違憲立法審査の例をあげながら、国会(立法)内閣(行政)裁判所(司法)の三権分立制が確立されたと教えられる。

三権分立によって、国民の人権保護にとって主たる脅威である国家の害は最小限に抑えられるとされる。

 私も自由権は非常に大切だと思うし、国家が個人に何らかの損害を与えたら救済や賠償をさせなくてはいけないと思う。

そのために国民に国家を相手取って裁判を起こす権利も認める必要がある。

太陽王ルイ14世は「朕は国家なり」と言ったが、そうした絶対王政の時代なら国民が頼みもしないのに気まぐれに重税を課し、王室の富の拡大を狙って戦争をおっぱじめる国家は国民の敵と言えた。

しかし戦後の日本においては、国民に損害を与えた国家(政府)は、ほかでもない国民自身が選んだのだということを忘れてはいけない。

少なくとも国民に主権がある民主主義国家においては「国家は国民の敵」という論理は通用しない。

だが「国家は国民の敵」とみなす傾向の強い戦後日本では、人権保護という国民の権利ばかりが強調され、一方で過ちを犯した政府を選んだ責任を負うという国民の義務はほとんどかえりみられることがなかった。

その結果、権利ばかりを主張して義務は放棄する、「自分さえ良ければ後は知ったことか」という自己中心主義が年々強まるばかりのようだ。

十分な所得がありながら、自分の子供が食べた給食の代金を払わない親。

低所得の非正規社員として厳しい生活を強いられる人達がたくさんいる一方で、生活保護を受けていても沖縄旅行や回転寿司に行けないと「人間らしい文化的な生活を送れない」と国に増額を求める人達。

原爆被害についても、訴えられるのは核兵器を一般市民の頭上に投下した張本人であるアメリカではなくて、日本の政府だ。ロシアによるシベリア抑留問題についても同様である。

「国民の敵」だから、何でもかんでも「悪いのは国」

韓国・中国・北朝鮮からはもちろん、多くの自国民からも日本という国は徹底的にいじめられてきた。

日本政府がすべて正しかったとは言わないが、「謝罪しろ、賠償しろ、国が何とかしろ」とツケをみんなまわされるので、政府は現在、巨額の借金を背負っているのだろう。

 戦後の日本において強まった、「国家は国民の敵」「国民の人権にとって最大の脅威は国」という考え方。

それに正当性を与える最大の根拠となってきたのは、憲法前文のこの一節ではないだろうか。

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し...」

憲法の前文に効力があるというのが通説という主張をとれば、「戦争の惨禍」を引き起こした責任は政府にあると断定しているように読めるこの一節に法規範としての効力があることになる。

(法規範=社会秩序を支えることを目的に作られたお手本)

その裏返しとして「国民は国家が引き起こした惨禍の犠牲者」であり、だから「国家は国民の敵」という論理が導き出されるのはきわめて容易なことである。

第二次世界大戦の”惨禍”について、どこの国に責任があったのか、さらに日本に何らかの責任があったとしても「すべて政府のせい」と断定するのは特定のイデオロギーにたった見方であろう。

評価が分かれるそうした歴史ものがたりを、憲法の前文に含ませることが適切であるかは大変疑問だ。

もし「政府のせい」ということであれば、国民には一切の責任はなかったことになる。

だが左翼勢力を中心に、戦後生まれの国民にまで戦争責任を”押しつけよう”とする人達はこの日本にたくさんいる。

左翼勢力が強く支持する日本国憲法の前文が正しいとすれば、日本の教師が生徒に戦争責任を負わせ、罪の意識をもとに内外に向かって謝罪するよう指導するようなことがあれば、それは深刻な人権侵害ということになろう。

憲法の前文に善悪の評価をともなった歴史ものがたりを記し、その憲法ができた正統性、その憲法を絶対に変えてはいけない正統性の裏づけとするのは、共産主義の総本山・ソビエト連邦の憲法に由来し、現在の中国憲法もそれを忠実になぞっている。

戦後日本を占領していたGHQの民生局は、ソ連や北欧諸国・ドイツのワイマール憲法などを参考にして日本国憲法の草案をつくったと言われる。

ソ連や中国の憲法前文ほど冗長ではないにしても、政府の行為によって戦争の惨禍がうんぬんという歴史ものがたりは、いったいどこでまぎれこんだのだろうか。

ちなみに同じ”敗戦国”であるドイツやイタリアの憲法は、善悪の評価をともなうような歴史ものがたりを含む前文を持たない。

特定の立場にたって過去の歴史を解釈し、善悪の評価を加えた歴史ものがたりを憲法の前文に加える必要性がまず感じられないし、国家が憲法によって特定の歴史観やイデオロギーを国民に押しつけることの害の大きさを考えれば、そうしたことに反対である。

よって、日本の憲法前文はすみやかに改正されるべきと私は考える。

 もう一度繰り返すが、日本は民主主義国家であり、民主主義国家において「国家は国民の敵」と決めつけるのは間違いである。

そうした考えの根底にある「弱者こそ正義」というのも正しくない。

「弱者というだけで正義であり、強者より尊いのだ」というのであれば、それは平等主義に反している。

犯罪に手を染めるような人間は自分のどこかに弱さをかかえているから、悪の誘惑に負けて他者を不幸におとしいれるような犯罪に手を出してしまうのではないか。

国民は「国家は国民の敵」という論理に甘え、国を含めた他者に権利ばかりを要求するのではなく、権利を手に入れたことにともなって生じる義務も果たさなくてはいけないことを常に自覚しなければならない。

それができて初めて、日本が本当の意味で成熟した民主主義国家となり、日本国民が成熟した市民となることができるのではないだろうか。

前文を含む日本国憲法は、その実現を目指すものでなくてはならないと思う。


次回へつづく




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坂の上の雲はじまる

  • 2009/12/01(火) 00:28:24

 日曜日からNHKで”スペシャルドラマ・坂の上の雲”が始まった。

何でも、3年がかりで全13回にわけて放送される超大作となるそうである。

初回の視聴率は17%台と、ウラにボクシングのお化け視聴率番組(43%)があった割には、上々の滑り出しではないだろうか。

 さて司馬遼太郎氏の小説・坂の上の雲については、いわゆる”司馬史観”についてや正確な史実に基づいているか否かについて、今でも評価が分かれる。

NHKが今後脚本をどうもっていくのかも不安があるのだが、日露戦争をあつかった本格的な歴史大河ドラマというのは初めてのはずで、広く日本人が明治日本の歴史に深い関心を持つきっかけになってくれればと、期待の入り混じった気持ちで次回を待つことにした。

 ”レキジョ”に象徴されるように近年の日本は歴史ブームと言われるがその対象は主に戦国時代であり、せいぜいいっても江戸末の新撰組あたりまでらしい。

伊達政宗や真田幸村といった定番どころが人気で、最近の五月人形は、政宗や幸村、武田信玄の兜を再現したものが売れているとか。

彼ら戦国武将は政略や戦争の天才ゆえに各地に台頭してきた軍人政治家である。

彼らが治めた領国も軍国主義国家といっていい。

信長や秀吉・家康も含めて多くの国民から今でも盛んに英雄視されているし、公共放送の大河ドラマで飽きるほどやっても、特に問題視されることはない。

しかし、これが戦国時代を過ぎて明治時代に1歩足を踏み入れたとたん「軍国主義だ!戦争の美化だ!ケシカラーン」となるのだから今の日本という国はまことに奇怪である。

(ちなみに明治以降と並んで、古墳時代も政治的に問題視されるので大河ドラマ化が非常に困難と思われる)

 その歴史ブーム・レキジョブームの対象が、幕末どまりではなく明治以降にも拡大していくのに、”スペシャルドラマ・坂の上の雲”がそのきっかけになってくれればと思うのである。

日露戦争というのはもしかしたら「真の武士による最後の戦い」と言えるものなのかもしれないので。

別に戦前の日本を100%美化してくれと言っているわけではないし、真っ黒に塗りつぶすのも間違っている。

明治以降の日本には良いところも悪いところもあったわけで、それを全てひっくるめて、いとおしいと私は感じている。

 人権なんて白人同士にしか適用されず、「劣等人種である黒人・アジア人種は優等人種である白人が植民地統治してあげて、文明化してやるのが人道主義」という考え方が常識とされた、食うか食われるかのあの時代、

貧乏なアジアの小さな国が世界で生き残るために精一杯の質素倹約と無理をして、外国から戦艦を買い近代的な陸軍を整備し、自分より面積でも人口でも国家予算でも戦艦や陸軍兵力の数でもはるかに上まわる大国に、乾坤一擲の戦いを挑んだ。

 当時は金本位制の時代で、世界覇権維持のための大金鉱を手に入れるため南アフリカでボーア戦争を戦っていたイギリスはアジアでロシアを牽制する余力がなく、それが”光栄ある孤立”を捨て日英同盟の締結へと大きくつながった。

帝政ロシアはポグロムで国際金融資本の一角を敵にまわし、それをうまく味方につけた日本は、情報と軍資金を手に入れ日露戦争を”勝利”に結びつけた、というのは一国に影響を与えるようなエスタブリッシュメントが身につけるレベルの教養なんだろうけど、歴史ブームに乗った人達にそこまで広い視野は求めない。

坂の上の雲をきっかけに、明治以降の日本の歴史について、国民的な関心が深まることを期待している。




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◆関連記事

第2回 近代日本の対朝鮮外交 (その1)

第3回 近代日本の対朝鮮外交 (その2)

第4回 近代日本の対朝鮮外交 (その3)

第5回 近代日本の対朝鮮外交 (その4)

第6回 近代日本の対朝鮮外交 (その5)

第7回 近代日本の対朝鮮外交 (その6)

第8回 近代日本の対朝鮮外交 (その7)

第9回 近代日本の対朝鮮外交 (その8)

第10回 近代日本の対朝鮮外交 (最終回)

                

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