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失策・失策また失策
- 2008/06/24(火) 22:31:06
福田政権が、外交において失策につぐ失策を続けている。
日本の防衛政策・防衛力整備の実態への理解もなく、周辺国のどこも廃棄していないクラスター爆弾を日本だけが一方的に廃棄することを決めたことに続き、
(”人権外交”をかかげたカーターもアメリカの核戦力を一方的に削減したが、カーターほどクレムリンや中南海から侮られ軽く見られたアメリカ大統領もいない。そして小泉政権以降、福田首相ほど諸外国からナメられた日本首相もいないだろう)
洞爺湖サミットを”成功”させるため、世界一省エネが進んでいる国のひとつにもかかわらず、日本にもっともっと厳しい省エネ・環境保護規制を課そうとしている。
さらに、日本の領海に侵入した台湾漁船に対応するため、公務を執行しただけの海保巡視船船長に謝罪させ、台湾側に誤ったメッセージを発信して相手のさらなる冒険主義を誘うという、第二次世界大戦を引き起こすきっかけをつくったバーミンガムのじいさんよりもみっともない宥和政策。
さらにさらに、アメリカのライス国務長官が北朝鮮のテロ国家指定解除を明言し、26日にも解除手続きにはいる見通しである。
拉致事件そのものは、直接北朝鮮の工作員によってアメリカ人が誘拐されたわけではないから、しょせんアメリカにとっては他人事である。残念ながらアメリカ外交の最優先課題ではない。
史上最低人気といわれるブッシュ政権が、何か形ある”成果”を欲しがっているというのもあるのだろうが、国務省の”超リアリスト”コンビ、ライス長官とヒル次官補が、無軌道・無原則の対北譲歩に走っているのが現状だ。
それでも日米同盟の重要性をかんがみ、北へのテロ国家指定解除をしたくてウズウズしていたのだが、拉致問題に配慮して解除を今まで先延ばしにしてきた。
ところが、よど号事件の犯人引渡しと拉致被害者の再調査という口約束だけ(高村外相談)で、今月13日、福田政権はマンギョンボン号受け入れを含む制裁の一部解除を表明してしまった。
参考記事
これも福田政権による誤ったメッセージの発信だろう。
北はアメリカからテロ国家指定を解除してもらうため、今や完全に邪魔者になったテロリスト・よど号事件の犯人を国外追放したがっていた。
そのよど号事件犯人受け入れを決め、それをもって拉致問題が前進したと福田政権は発表してしまったのである。
よど号犯人が北朝鮮で拉致問題の核心に迫る証言をしていて、それと同じ証言を日本の裁判においてもする保証がある、その証言をもとに北朝鮮を追い詰め、拉致被害者の無条件かつ即時帰国が決まったというのなら、まだ話はわからんでもない。
しかし、高村外相の発言が事実であるならば、犯人引渡しと再調査という北の口約束だけで、まだ我々は何も手にしていないにもかかわらず制裁の一部解除を表明し、北へのテロ国家指定を解除したくてウズウズしていたアメリカに、日本自らが解除への口実を与えてしまうとは、福田政権の”見上げた高等戦術”に開いた口がふさがらない。
今さら福田政権がアメリカに電話しても「えー!日本の制裁解除示唆はテロ国家指定解除OKという意味じゃなかったの?!」という答えが返ってきそうだ。
自分の首をかけてテロ国家指定解除を防げ、アメリカ議会に根回ししろ福田首相。
それができないのなら男・山村新治郎氏のように、もう福田・二橋の表ウラ首相コンビに高村外相・河野衆院議長に山崎拓氏をつけて、拉致被害者全員との捕虜交換にのぞむしか戦後最低首相・福田康夫の汚名を返上できまい。
あとは皆のお望みどおり、50年でも100年でもかけて拉致問題を北朝鮮と話し合いでじっくり解決すればよい。
国務省のライス長官もヒル次官補も、北朝鮮がシリア・イランへ核技術を拡散させている明確な証拠がありながら、さらに北朝鮮の完全かつ検証可能な核兵器とその生産能力放棄が保証されていないにもかかわらず、アメリカの憂慮を北朝鮮が理解するというたったそれだけの条件で交渉をすすめようとしているように見える。
ヒル次官補は、北朝鮮の完全な核放棄よりも、交渉を決裂させてこれまでの自分の苦労を水の泡にしたくないということの方が重要と考えているように見える。
このままだとライス長官とヒル次官補は、東アジアの核武装ドミノ倒しをはじめた者というたいへん不名誉な称号を、その名とともに外交史に刻むことになりかねない。
そうなれば日本は、自存自衛のために核かそれに匹敵する兵器をいずれ配備せざるをえない状況に追い詰められるだろう。
それが達成されるなら、国連安保理のイスなどさして重要ではない。
18日には東シナ海ガス田問題で、”翌檜”(あすなろ)の南側海域と”白樺”での日中共同開発に合意した。
参考記事
これまで私は、共同開発はEEZの日中中間線にまたがって存在するガス田だけに限り、純粋に日本のEEZ内に存在するガス田については中国に指一本触れさせてはいけないということ、
中間線のどちらにどれだけ埋蔵されているかその比率に従って、共同開発の利益を日中で折半すること、
最後に、日本のEEZにかかるガス田から既に中国に吸い取られてしまった天然ガスについては、きっちりと補償を受けることが重要であると言ってきた。
だが報道されている合意内容を見ると、交渉妥結が最優先で、まだ日本は何も手にしていないと言わざるを得ない。今後の交渉しだいでは、最悪の譲歩となりかねない危険をはらんでいる。
日本としては、共同開発合意がまとまったのであるから、できるだけ自分の力でガス田の正確な埋蔵データを入手し、それをもとに両ガス田の出資・利益受け取り配分を交渉せねばならない。
だが翌檜の南部海域は初めから5:5に決めてしまった。これでは日中中間線にまたがって5:5に分布するガス田しか開発を許すことはできない。
白樺に関してはこれから出資比率を決めるとのことだが、白樺の海底ガス分布が日中で何対何なのか、正確なデータを入手した上でそれを決定しなければならない。
白樺は中国の法にもとづいて共同開発するとのことだが、だったら中間線の日本側に食い込んでいる翌檜南部海域の共同開発は、日本の法にもとづいてやらなければならない。
中国がこれらを拒否するなら、合意をひっくり返して日本は沖縄の島々から200海里を自国のEEZと主張し日本企業に試掘を許可する、トンキン湾におけるEEZ境界画定交渉で中国が中間線論を主張し、ベトナム側の大陸棚自動延長論を否定するという矛盾を徹底的に突いて、有利に外交をすすめなければならない。
これは海底ガス田の採算がとれるとれないといった単なるカネの問題ではない。日本の国家主権の問題、日本の国土・日本の海を守れるかどうかの問題である。
今回の合意から得られた利益など、まだ何もない。福田政権が歯を見せて笑えるような収穫ではない。
対中国・対北朝鮮・対台湾・対アメリカ外交と、次から次へと失策を重ねる福田政権。
今の日本は、仮免試験の実技に落ちまくっている奴が、日本という名のF1マシンのハンドルを握り、時速300kmオーバーでぶっ飛ばしているようなものである。
これでは国民の命がいくつあっても足りない。
拉致被害者とその家族の方々が不憫でならない。
私の批判記事も福田政権の失策に追いつけない。
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外交に最も向かない者、それは...
- 2008/06/18(水) 23:11:08
秋葉原無差別殺人事件についてのエントリーで、「警官はもっと早く銃を使うことができなかったのか」と書いたら、アシSを名乗る人物から「お前は外交・安保を語る資格も無い無脳だ、キチガイだ」と,断定された。
私はこの人物と面識は無いはずだし、相手にしたことも無いはずだが、顔の見えないネットならどんなことをしても許されると思っているのか、抑止力が効かず私は先制攻撃を受け侵略されてしまった(笑)
ああいう心の闇を抱えた独善的な人物こそ、侵略戦争をはじめ、自分とは異質な者を排除するためジェノサイドを起こしたりするのであろう。
このアシSなる人物の存在は外交下手の日本を考える上で我がブログに飛び込んできた”生きたモルモット”として非常に興味深いし、私と他の日本人との違いを考える上で大変参考になった。また新たな発見もあったので今回に限ってとりあげたい。
さて先方は、「トラック事故にいきなり警官が発砲しても良いと主張した」などと、私が言ってもいないようなことを議論の前提にして、ご苦労にも長い長い”反論文”を作成した上でインネンをつけてきて、こちらとしては困惑するばかりなのだが、
そのあたり、生まれてこの方一度も生身の日本人に会ったことがないくせに自分の脳内に想像上の”日本鬼子”という敵をつくり、その敵と必死に戦って一人で空回りしている反日原理主義の中国人・韓国人とそっくりなのは非常に興味深い。
前にも、この人物とうりふたつの”ネット当たり屋”に、向こうから先にぶつかって来られた経験がある。
このアシSなる人物は法的根拠を詳細に指し示しながら、こちらの「警官はもっと早く銃を使うことができなかったのか」という考えが、いかに誤ったものかを証明しようとしているようだ。
この人物からは、法や言葉の定義に対する異常なまでの執着を感じる。
おそらくアシSは日本で生まれ育ち、日本以外の文化や思考様式に濃密に触れたことが無く、弁護士や裁判官などをめざして国家試験をパスすべく、かなりの時間と強度で法律を勉強した”法律家エリート”なのではないかと推測する。
「パーレビ朝じゃなくパフレヴィー朝だ」などと病的に執着するところも”法律家”らしい。
(だったら”オマーン”をアラビア語発音に忠実にカタカナで表記してみよ、できるものならば)
その法律家さんは、いかに警官が法にのっとって犯人に対処したか、そして私の主張がいかに法に反しているかを、くどいくらいに論じている。
先方は、私が秋葉原の警官に法を犯すことを奨励しているとでも思ったのであろう、それをもとに「外交・安保を論じる資格も無い、傲慢な無脳」と言っている。
法律家さんから「お前は外交・安保を論じる資格も無い輩」と罵られることは、これまで外交問題を考え論じてきた者としたは、たいへん名誉なことである。
その理由については、このエントリーに最後までお付き合い下されば、ご理解頂けることと存ずる。
私が言ってもいないようなことを議論の前提にして向こうが”反論”していることも全て受けとめて言うのだが、誤解を恐れずに言えば、「お前は秋葉原の警官に法を犯すことを奨励するのか?」と問われれば、「ええ、その通りです」と答える。
警官が犯人に発砲することは、現在の日本の法からして悪かもしれないが、十数人が刺され死傷するという大悪を避けることができるのであれば、たとえ流れ弾の発生という危険を冒したとしても犯人へ向け銃を抜いて投降を呼びかける、発砲してナイフを振り回す犯人を無力化するという小悪を認めるべきだと私は考える。
「あなたの言いたいことはわかるが、それでは警官が法を犯すことになっちゃうでしょ」という言う人がいるなら、「だったら小悪を選択することが違法行為とならないように、日本国憲法から変えていきましょう。そのために私の考えにぜひ賛同してください。それが国民多数派の意見となるように」と主張する。
法学の日本最高権威がどう思うか、最高裁の判例はどうか、内閣法制局がどう法を解釈するかといったことは、このさい関係無い。
私がそのように考え、自らの考えを文章で発表する自由・基本的人権が認められていて、誰をそれを侵すことはできないはずである。
私がそのように考える、善悪の価値判断の基準は私の内面にあり、常に自分の頭で考え、それが構築できるよう自らを躾てきたつもりだ。
ところが、多数の日本人は自分に自信が無いのか、善悪の判断基準を自らの外側に求めようとする強い傾向があるように思う。
それはマニュアルであったり、最高権威(エライ人)や先輩がどう言ったとか前例はどうか、といったことである。
法律も日本人にとって善悪の重要な判断基準の一つと言える。
以前、「日本人は法によって定められた、やって良いことと悪いこと」と「価値観・倫理道徳からやって良いことと悪いこと」の区別がついてないという識者の話を紹介したと思うが、それはここにつながってくる。そして日本人はその両者がいつでもどんな時でも未来永劫一致していると信じているのではないだろうか。
私は、善悪の判断基準がまずあって、法というのは政府組織等がそうした価値観を実現するために動く根拠を与える道具でしかないと考えている。
では善悪の判断基準は誰が決めるかというと、その社会の多数派であり、それは投票という行為によって確認されるべきだと思う。
ところが少なくない日本人はそうではないようだ。
世界各国の憲法はいくらでも修正されているのに、日本国憲法を絶対無謬・神聖不可侵と考えている日本人が非常に多いことからもわかるように、そうした日本人にとって「法イコール神聖不可侵の善悪判断基準」で、そこから逸脱することを主張するものは「とんでもない悪者」ということになるようだ。
それはあくまでも法律を解釈し守る立場にある法律家の論理であって、日本の最高のエリートとされているのが東大法学部卒者であることとも密接な関係があろうし、アシSなる人物がいちいち事細かに法的根拠を明示しながら、こちらの「警官はもっと早く銃を使うことができなかったのか」という考えが、いかに法的に誤ったものかを証明しようとし、こちらを完璧に論破したと確信して私が”自分の恥”を隠すためにアシSの”完全無謬のコメント”を削除するであろうという、一種病的なまでの妄想を抱く原因となっているように思われる。
(私は自分が完全無欠ではないことについて恥だと思ったことは無い。アシSがそう勘違いしたのは、アシS自身のとんでもなく尊大でガラスのようにもろいプライドのせいではあるまいか。
アシSのブログ・冥王星は小惑星といったか、そのサブタイトルに「善悪論を唾棄しと正論・独善という自己陶酔に警鐘を鳴らす」とかなんとかあったのだが、コメント欄で「善悪二元論と正論・独善という自己陶酔に陥っているのはお前だろう」と指摘したら、アシSのガラスのようにもろいプライドが崩壊したのであろう、アシSの方こそサブタイトルを削除して「ケロちゃんかわいいよ」に変更した)
だが、それは線路から絶対に逸脱して走ることが出来ない電車が、オフロードーカーに向かって「お前はどうして線路から逸脱して走るのだ、馬鹿者が」と罵るようなもので、まったく無意味なことである。
特に外交・安全保障(ひっくるめて政治と言っても良い)を論じる場合には。
外交の世界には、「外交官に最も向かないのは、狂信者・道徳家そして法律家である」という戒めがある。
X論文で有名なアメリカの外交官ジョージ・ケナンもそういっていたと思うが、ここでなぜ法律家が外交官にもっとも向かないのか、フランスの外交官ジュール・カンボン(1845-1935)の解説が大変わかりやすいので引用したい。
外交とは交渉であり交渉とは少なくとも相当分取引である。そこに外交的精神と法律的精神の違いが由来する。法律の適用と解釈は必然的にある種の理論的厳密さを内包するものであり、政治の経験主義とは相容れない。
事実を斟酌し世論を考慮し必要の前に身を屈め、ある決定のはるかな波及効果に思いを致し、より大きな害悪を避けるために小悪を許容するといったことはこれすべて理性の働きによるもので、単なるテクストの一字一句に帰することのできないものである。
わかりやすく言えば、こういうことであろう。
法律家を線路(法)から逸脱することすら想像だにできない電車だとすると、外交官に求められる資質というのは、線路どころか道無き道を転覆せずに走破する、良いオフロードカーとしての資質であり、電車がオフロードカーのマネをしようとしても不可能である。至極当たり前の話だ。
これこそ「外交官に最も向かないのは、狂信者・道徳家そして法律家である」という外交界の常識の意味するところであろう。
だからこそ、電車(法律家)がオフロードカー(外交官)に向かって、「おまえはなぜ電車のように線路(法)の上をひたすら走ろうとせんのだ、けしからん」と罵るということは、電車がオフロードカーとしてのセンス・能力を持たないことを自己申告しているも同然なのである。
私が先ほど、「法律家さんから『お前は外交・安保を論じる資格も無い輩』と罵られることは、これまで外交問題を考え論じてきた者としては、たいへん名誉なことである」と言った意味が良くご理解頂けたのではないか。
世界を見てみると、その質は別としてもアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国・インドそれに朝鮮半島のエリートは、外交官(オフロードカー)としての能力を身につけているように思えるが、ひとり日本のエリートだけが法律家(電車)であるように思える。
東大法学部卒の法律家が日本最高のエリートとされ、外務省を含む日本の各界で指導者として活躍しているが、そこに一種の日本の悲劇、日本人の外交下手の大きな原因があるのではないか。
私は、日本にタフなオフロードカーがもっともっと増えて欲しいと願ってやまない。
アシSのブログをちょっと見てみたが、私という自分と異なる価値観・異なる思想を持つ人間の主張を見つけたというだけで、あそこまで発狂したような文章を書くとは驚きである。
アシSのような日本人が少数派だと信じたいが、日本がすくなくとも平均的な外交能力を身につけ、外国人のように異なる価値観・思想を持つ異質な者に対してもパニックになることも錯乱することもなく、冷静に相手と議論できるようになるのはいつのことだろうか。
アシSのような日本の”法律家”の存在は、まったくもって悲しい限りである。
法律家というタコツボ内でしか通用しない論理を振りまわして異質な他者をまったく理解しようとせず、専門分野については詳しいのかもしれないが顕微鏡のように視野が狭い”エリート”。
「外交官に最も向かないのは、法律家・道徳家そして狂信者である」という言葉を私の肝に銘じたい。
さて、この件は当エントリーを持ってお開き、次回以降通常業務に戻ることにする。
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怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
長く深淵を覗く者を、深淵もまた等しく見返す
フリードリヒ・ニーチェ

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台湾の日本挑発と福田政権の失策
- 2008/06/16(月) 23:32:08
急を要することなので、記事を当初の予定から差し替えたい。
10日早朝、日本の尖閣諸島付近の領海内に侵入した台湾の”遊漁船”に対応するため、海保の巡視船”こしき”が急行したが、両船が接触して遊漁船が沈没した。
遊漁船の乗員全員は”こしき”に救助された。
参考記事
尖閣諸島近海の日本の領海内に不法侵入した台湾遊漁船と日本の巡視船が衝突した事件について各種報道を見てきたが、国家主権や国益の護持・外交・安全保障あらゆる点を考慮しても、福田政権のやることなすことすべて間違っている。
もう怒り心頭・忍耐の限界である。
最初の大きな誤りは、14日に第11管区海上保安本部が、業務上過失往来危険などの容疑で、巡視船”こしき”の堤信行船長と台湾遊漁船の船長を那覇地検石垣支部に書類送検し、これをうけて第11管区海上保安本部の那須秀雄本部長が台湾側に謝罪したことだ。
しかも書類送検する前に、事なかれ第一とばかりに台湾遊漁船の船長もさっさと帰してしまった。
参考記事
秋葉原の無差別殺人事件で警察がさっさと発砲していれば、事態があれほど深刻にはならなかったのと構図は全く同じだが、
そもそもの間違いは、戦後左翼・憲法九条教団による非武装平和原理主義にあり、海保の巡視船は、たとえ日本の領海内に日本人拉致工作船や密漁船が侵入してきても威嚇発砲すら許されず、巡視船を日本の主権を侵した外国船に接近させ、海上に投げ出される命の危険をおかしてでも、丸腰の海上保安官が相手の船に飛び乗って、犯罪者を確保するなんてムチャなことを繰り返してきた。
日本の巡視船に追いかけられた韓国密漁船の漁師が、巡視船に向かって包丁を投げてくることさえあるにもかかわらずだ。
これが逆の立場で日本の漁師が包丁を投げつけたら、中国・韓国・台湾・ロシアの国境警備艇は射殺も辞さずすぐさま発砲するだろう。
しかし、日本の巡視船だけはそれが禁じられているも同然なので、日本の主権を守るため領海内に侵入した外国船に危険を承知で接近しなければならない状況に追い込まれたのである。外国船に接近すれば、当たり前すぎることだが軽い衝突など日常茶飯事である。
今回の事件でも、海保の巡視船は日本の主権を守るために最低限度の義務を果たしたまでであり、はじめから台湾の遊漁船が日本の領海内に不法侵入しなければ、このようなことは起こらなかった。
遊漁船が巡視船の指導に従わず、危険な逃走行為に及んだことも事故の大きな原因だ。
よって日本政府が台湾側に謝罪や賠償するなど論外。
福田政権スポークスマンが「台湾遊漁船の沈没は、当局は主権を守るため必要な措置を講じた過程で起こった遺憾な事故」と発表すればそれで済む話である。
台湾の首相が「戦争も辞さず」と挑発してきているが、こちらもそれ相応の準備をして冷静に相手の出方を見ていれば良い。
にもかかわらず「人の嫌がることはせず、話し合いが最重要」の福田政権は、自分で海保の手足をしばり続け、海保巡視船と外国船の衝突の可能性を高めておきながら、いざ衝突すると巡視船の船長を書類送検して11管区本部長に台湾側に謝罪させるとは、開いた口がふさがらない。
巡視船と外国船が衝突したことで”ケンカ両成敗”みたいな決定を下すとは、本当に福田政権らしい幼稚で馬鹿げた判断だが、これでは衝突を恐れて巡視船が外国船に接近して海上保安官が相手の船に飛び乗ることもできなくなる。
福田政権と海保の本当に愚かな判断で、今後外国船が日本領海に侵入しても巡視船は遠巻きに指をくわえて見ているだけになりかねない。それでは日本の主権・領土領海は守れない。
官邸と海保幹部が国を守ろうとした”末端兵士”を見捨てて、どうしてこの国が守れようか。
しかも、台湾の遊漁船の船長をちゃんと取り調べて、ジグザグに逃走したことも含めて自らの不法行為を認める証言を取ってから釈放するのが鉄則なのに、北朝鮮の金正男がディズニーランドに来たときと一緒で「面倒に巻き込まれるのはごめん」とばかりに、とっとと釈放してしまった。
その福田政権の愚かな行為がもっと面倒を引き起こすにもかかわらず。
それはすぐさま現実となる。
親中反日政策をあらわにした台湾の馬・新政権は、どこまで強硬策に出ても大丈夫か日本の出方をじっくり観察していたが、日本の海保が不法に領海侵犯した台湾側に謝罪するという愚かな行為、間違ったメッセージを見て、もっと強硬策に出ても大丈夫だと判断したのであろう、14日夜、台湾の”駐日大使”にあたる台北駐日経済文化代表処の許世楷代表を召還すると発表した。
当初、馬政権は日本が船長を即刻帰国させなければ”駐日大使”を召還させると言っていたが、けっきょく日本が船長を帰国させても召還させたのだ。
参考記事
また台湾の海上保安庁に当たる行政院・海岸巡防署も15日、巡視船”こしき”の堤信行船長だけを、傷害などの容疑で台湾・宜蘭地方検察署に書類送検している。
福田首相の「お互い譲り合って、みんな仲良くケンカ両成敗」なんて、おめでたい発想が外国人に通じるわけがない。
事態はますます悪い方向へエスカレート、16日早朝には台湾の反日活動家抗議船”全家福6号”が尖閣諸島近海の日本領海に侵入、抗議船を護衛するために台湾の巡視船9隻が続々と日本の領海を侵犯した。
このような事態は前代未聞という。
「事なかれ第一」で国家指導者に求められる勇気・胆力に全く欠けた福田首相の最初の間違った決断、ボタンの掛け違いが台湾の一部反日勢力の冒険主義を誘い、さらなる事態の悪化を招いたのだ。
参考記事
未確認情報だが、戦争も辞さずと叫ぶ馬政権内部には数日中にも駆逐艦を尖閣諸島海域へ派遣する動きがあるという。
どれもこれも、外交・安全保障のド素人福田康夫氏が招いた災厄である。
ところで中国・台湾問題の識者が、台湾人(本省人)である民進党・陳水扁氏率いる民進党政権から香港生まれの中国人・馬英九総統率いる国民党政権にかわったことで、馬政権が尖閣問題をダシに台湾国民の反日感情をあおり、日台関係の破壊と台中接近を謀る可能性があることを以前から指摘していたのだが、本当にその通りになってしまった。
日中等距離外交のオーストラリア・ハワード保守党政権から、豪・外務省チャイナスクール出身の親中派ラッド首相ひきいる左翼リベラル政権に切り替わったとたん、捕鯨問題をネタにして日豪関係が悪化したのとまったく同じ構図である。
ちょっと外交を勉強した人なら、まったくもってわかりやすい話だ。
馬政権や国民党内の反日勢力は、おそらく中国人民解放軍や上海閥の反日原理主義グループとつながっているのだろう。
四川地震に日本が緊急援助隊を派遣したことで中国国民の対日感情が劇的に好転したことを苦々しく思ったのか、人民解放軍が自衛隊機の中国出動を要請し、それに日本が応じた結果として中国国民の対日感情が再び悪化したのと同じ文脈で、今回の事件が仕掛けられたのではないか。
もしかしたら、水面下で続けられている日中東シナ海ガス田交渉の頓挫も狙っているのかもしれないが、そもそも最初に日本の領海に侵入してきた”遊漁船”からして、日本を挑発する道具だったのではあるまいか。
尖閣問題で日本を挑発し、”遊漁船”を日本の巡視艇に意図的にぶつけて自爆させ、「日本の武装警備艇が台湾の丸腰の民間船を沈めたぞ!」と大騒ぎして台湾国民の反日感情をあおる。
台湾のメディアは、戦後台湾に渡ってきた中国人(外省人)が支配しており、プロパガンダ戦を仕掛けるには絶好の環境がそろっている。
日台関係にヒビが入れば、馬政権の対中接近外交にも元来親日派が多かった台湾国民からのお墨付きが得られる。
もし日台間で武力衝突ともなれば、「日本から中国不可分の領土を保護する」という大義名分をかかげ、中国軍が台湾に侵攻して占領、馬国民党政権も積極的に中国軍を台湾内部へと手引きする。
たとえ台湾軍部がそれを望まなくても、対日戦で手一杯の状況では、中国軍の台湾侵攻は防げまい。
その後は、”中台連合軍”を結成して対日戦を継続する、というシナリオも考えられる。
日本・台湾双方と安全保障条約を結び、台湾軍に武器を供給してきたアメリカの仲裁があれば、そもそも台湾が日本と戦争をすることなど不可能だと思う。
馬政権の冒険主義によって、日台戦争から中国の台湾侵攻を誘うことは、アメリカの国益をいちじるしく損ねるから、アメリカとしても何らかのアクションを起こさざるを得ない。
それに私は、台湾政府内の良識派や台湾国民を信じているけれども、それでも馬政権が先に日本に戦争を仕掛けるというのであれば、日本の主権・領土領海を守るため、当然のことながら自衛権の発動はやむを得ないと考える。
最悪台湾が中国軍に占領される危険性があるが、これを奇貨として台湾国民が外省人に支配されたメディアに対するリテラシーを身につけ、二度と外省人率いる中国国民党に政権と議会多数派を渡すようなことがなくなれば幸いである。
平和ボケした外交・安保オンチの我が国民にとっても、それが台湾軍であれ中国軍であれ、向こうが最初の一発を撃ってくれるなら、悪いことばかりではあるまい。
みずからの能力の無さも省みず、首相となることそのものが目的だった福田首相は当然のことながら失政を重ね、「救いようの無い支持率の低下を何とかするため”外交成果”が欲しい」という個人利益の実現のため、交渉をまとめるためなら日本国民の利益をいくらでも外国に売り渡している。
私は、もし日本が武力衝突に巻き込まれるとすれば、島嶼をめぐる局地紛争だと言ったが、福田政権が日本防衛のカギであるクラスター爆弾全廃を決定したとたん、今回の事件が起こった。
国家指導者として諸外国に侮られるような言動をするから外国に挑発され、1億3000万日本国民を戦争の危機にさらすことになる。
拉致問題でも、「北朝鮮に交渉のテーブルについてもらう」ということだけのために北朝鮮への経済制裁を解除し、マンギョンボン号の日本受け入れを認めた疑いがある。
あれだけ北朝鮮が嫌がっていた、日本最強のカードの一つにもかかわらず。
東シナ海ガス田交渉でも、秘密裏にどんなとんでもない条件を飲んでいるかわかったものではない。
(共同開発地域に尖閣周辺は絶対に含めてはならない)
洞爺湖サミットを”成功”させるため、世界一省エネが進んでいるにもかかわらず、日本にもっともっと厳しい省エネ・環境保護規制を課そうとしている。
良くもまあ、次から次へと自虐的な外交失策ばかり。
福田氏よ、自民党総裁職を国家指導者としての能力ある人に譲って、もう辞めてくれ。”便所のドア”も良いところだ。
福田政権を擁立した自民党の長老たち、野中・古賀・森の各氏なども国民を戦争の危機にさらした責任を取って引退し、今後一切国政に口を挟むな。
「実務派の福田」「外交の福田」とさも福田氏が仕事が出来るように吹聴してまわり、国民を誤った道に誘導しようとした多くの売文マスコミも万死に値する。
日本の将来を真剣に憂える、力ある政治家がいるなら、勇気を持って前へ一歩踏み出して欲しい。
私も微力ながら全力で応援するし、一歩前へ踏み出せばきっと何かがつかめるはずだ。
リスクをかけて戦わなければ何も手にいれることはできない。
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愚鈍と無能に悪知恵は無いが、罪はある。
もっともやっかいなのは有能な敵ではなく、味方の勤勉なバカである。
どちらもウインストン・チャーチル
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テーマ:
- 政治・経済・時事問題 -
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- 政治・経済
秋葉原の惨劇と兵隊の使い捨て
- 2008/06/14(土) 01:28:23
今月8日午後、東京・秋葉原で無差別殺人事件が発生、7人もの尊い命が奪われるという悲しい事態となってしまった。
どうしてここまで犠牲者が増えてしまったのかということと、なぜ日本社会からあのような犯罪者が生まれてしまったのかという二点について述べたい。
現場に居合わせたわけではないから軽率なことは言えないが、日本の安全保障という点から見ると、まず現場にかけつけた警察官は現状を把握し、次にトラックではねて3人もの犠牲者を出した脅威の源を第一に排除すべきではなかっただろうか。
具体的には、犯人の太ももあたりを狙って発砲し、相手の動きを封じることはできなかったのかと思う。(犯人が激しく動いて結果的に射殺してしまってもやむをえない。市民の安全が第一である)
だがそうはならず、警官に追いかけられた犯人は8人もの人を刺し2人が死亡したという。
結局、警官が銃を構えて「発砲するぞ」と警告すると、犯人は武器を捨てて投降した。
どうしてもっと早く銃を使えなかったのだろうか。
愛知県長久手町で起こった人質立てこもり事件で、警官(SAT隊員)1人が撃たれて殉職、もう1人が重傷を負った事件のときにも思ったのだが、憲法九条の非武装平和原理主義が人を殺した瞬間だと言えよう。
何かの事件で警官が発砲すると、事件そっちのけで「警官が発砲したことについて、警察庁は何も問題は無かったと釈明しました」と、まるで犯人より警察の方が悪いかのように報道するのが日本マスコミの特徴であるが、
社民党や九条ネットのような政治団体、それに大半のマスコミや”人権団体”など左翼勢力が崇拝する憲法九条原理主義が、警察による日本社会の安全保障に必要な発砲まで躊躇させ、凶悪な犯人のダガーナイフによって何の罪も無い市民が次々と命を落とす結果となったのである。
戦後、憲法九条原理主義者から強い圧力を受けてきたことに同情はするが、「治安の維持には銃の使用は不可欠だ」と国民に勇気を持って説明せず、まずは事勿れで臭いものにフタをしてきた警察側にも問題はある。
長野で行われた北京五輪聖火リレーで、警官の目の前で中国人が日本人へ暴力をふるっても警官が見て見ぬ振りをしていた件で、「あの時中国人を取り締まって暴徒化したら警官だけでは押さえ込めないと思った」というコメントを某巨大掲示板か何かで見たが、
もしそれが警察の本音だと言うなら、「たいてい暴徒より治安部隊の方が数が少ないものだ。そのために武装しているのだろうが。国民が買ってやったお前達の腰にぶら下がっている”ニューナンブ”は一体なんなんだ、眺めて楽しむ趣味の世界のものか」と言いたい。
ともかく今回の惨劇は、憲法九条原理主義者による非武装平和主義がトラックで3人をなぎ倒しナイフで4人を刺し殺した犯人に全くの無力であり、結果として何の罪も無い多くの人の命を奪う一因となった。非武装平和主義では日本国内の治安さえ守れないし、外国の軍隊が攻めてきたら尚更日本は悲惨なことになるということの、誰の目にも見える明らかな証拠となった。
戦後日本の警察も裁判所も法律も、本来の目的である「何の罪もない市民の安全と生活を守り、犯罪の犠牲となることを防ぐこと。犯罪への強力な抑止力となること」など二の次三の次で、犯罪被害者の人権より何より、「まず一番大切なのは犯罪を起こした者の人権であり、犯罪者を更正させることこそ最高に価値あること」なのである。
無辜の市民の命を守り、犯罪を未然に防ぐことこそ最高に価値あることであり、それができればわざわざ犯罪者を更正させる必要も無くなるのに、まったくもって本末転倒と言わざるを得ない。
このように看板倒れの”人権派”によって歪められた日本の法治制度・治安維持制度を正常化させねばならない。
次に、どうしてあのような人間が日本社会から生まれてきたのかということについて考えたい。
もちろん「秋葉原の無差別殺人犯は加害者ではなく歪んだ日本社会の犠牲者なのであり、彼は無罪だ」とか、「この事件をきっかけに死刑のハードルを下げてはならない」などといった馬鹿げた世迷言を言うつもりは毛頭無い。
だが、イラクやパレスチナで次々と自爆テロリストが生まれてくる背景には宗教のほかに、破綻した社会に明日への希望が見出せないということも大きいと思うが、遅かれ早かれ現在の日本にも似たような人間が出てくるのではないかと考えていた。
今までは日本人の民度の高さ、別の言い方をすれば「人の良さ」がそれを防止する役目を果たしていた。
私が戦時中の日本の軍部指導者に腹立たしさを覚えるのは、兵隊を大事にしない使い捨て主義のようなところがあった点だ。
それでも「靖国で会おう」を合言葉に文句一つ言わず戦場へ向かった兵隊さんの話を見聞きすると涙が出そうになるし、アメリカ軍のロバート・アイケルバーガー中将は「日本兵一個大隊を率いて戦いたいものだ」と言ったそうだが、日本人は末端の兵士や下士官クラスでは世界最高レベル(ウラを返せば、兵を使い捨てにするような将官はレベルが低いということか)だったと敵からも認められていたと言えよう。
それは戦後の”日本株式会社”時代になると強い愛社精神を持つ企業戦士へと引き継がれた。
彼らの中から過労死するまで働いてしまう人たちも出てくるのだが、戦前同様、企業のリーダー達が彼らとその家族の献身に充分報いたと言えるか甚だ疑問である。
日本国民が北朝鮮のテロリストに拉致・殺害されても、本来ならばそれがわかった時点で日本が一丸となって北朝鮮と戦ってでも、彼らを取り返さなければならなかったのに、与野党の別無くこれまで日本のリーダー達は本当に冷淡で、彼らを見捨てたも同然だった
戦時中の軍部のリーダー達も戦後の政界・財界のリーダー達も、”末端兵士”である日本国民の高い忠誠心や自己犠牲に甘えきっていたところがあったと思う。それがいつまでもいつまでも永遠に続くと思って。
福田首相の外交アドバイザーにして防衛大学校長の五百旗頭真氏は、これまで「日本が中国や韓国と話合うときは、まず日本人が犯した過去の過ちについて必ず一度頭を下げてしかるべき」「首相が靖国神社に参拝するなんてもってのほか」「拉致問題などという小さなことで日朝関係を損ねてはならない」などと言ってきたと聞き及んでいるが、国民を使い捨てにし、外国に拉致されても自分達を見捨てるような国家・そして指導者のために自己犠牲を払って協力しようなんて「人の良い国民」がどんどん少なくなっていくのは当たり前のことである。
官僚は自らの失政の結果としての膨大な政府の借金を国民への増税で返済しようとし、財界のリーダー達も法人税を安くし従業員の社会保険料を負担したくないがために、日本企業の国際競争力強化の美名のもと、年金の基礎部分を国民へ課す税金でまかなうことを主張し、消費税増税に賛成している。
(私は麻生太郎という政治家を尊敬しているが、「年金を全額税方式にすれば、保険料負担をしなくて良い分、企業は従業員の給与をあげるだろう」というお考えには、いささか論理の飛躍があるように思われる。 特に日本の経営者の内部留保極大化主義を見ると)
これも”将官”による”末端兵士”・国民の使い捨てである。
福田首相の外交アドバイザーに代表される、低レベル指導者が政財界の要職についているから、もともと高信頼社会であった日本の低信頼社会化が起こる。自分の利害しか眼中に無い人間が増えてくる。
こうして良くも悪くも日本人がお人よしでは無くなってくると、希望の見えない破綻した生活に追い込まれた者の中から、自暴自棄になってあのような凄惨な事件を起こす者も出てくるだろう。決して正当化はしないが。
それではどうしたら良いか。
次回へつづく
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日本の守りはがんじがらめ
- 2008/06/07(土) 00:33:19
クラスター爆弾の禁止を目指す”オスロ・プロセス”は5月30日、一部を除きクラスター爆弾を全面禁止する議長案を採択して閉幕した。
日本政府も同日になってクラスター爆弾禁止受け入れを表明。
8年以内に日本が保有する同爆弾を数百億円かけて全廃することになった。
それまで態度を保留していた日本政府が一転して条約案に同意したのは、福田康夫首相の決断が大きかった。
日本として、人道上の観点から国際的に孤立するのは望ましくないとの判断が背景にあり、首相は記者団に対し、「関係者が話し合った結果そうなったから、よかったと思う」と述べた。
参考記事
私は、公開情報でわかる範囲内で、日本と周辺諸国がどういう兵器をどれくらい持っているか、その性能の優劣はどうかをふまえ、実際に武力衝突が起こったらどういう結果になる可能性が高いか、だいたいの予想がつく。
その点からすれば、中国・韓国・北朝鮮・ロシアと日本を取り囲む周辺国がクラスター爆弾保有禁止を拒否するなかで、日本政府・外務省だけが受け入れを決めたという今回の福田首相の決断は、日本の国防と国民の安全に深刻な打撃を与える愚行と言わざるを得ない。
「砲兵は戦場の神」と言ったのは確かソビエト陸軍だったと思うが、陸上自衛隊の砲兵部隊(陸自では特科隊と言い直す)が持ってるFH70榴弾砲や、99式自走砲は性能的にはまずまずだと思うが、いかんせん周辺諸国の砲兵部隊と比べて数が少なすぎる。
その数的不利を補うのに、陸自が装備しているアメリカ製の自走・地対地ロケット砲”MLRS”と対戦車ヘリコプターの二つは、重要すぎるぐらい重要だと考えていた。
MLRSは、イラクのクウェート侵略によって始まった湾岸戦争においてアメリカが使用し、湾岸地域に派兵されたアメリカ軍より数で勝るイラク陸軍の戦意を喪失させたのは有名な話だ。
だが陸自が保有する”MLRS”がクラスター爆弾全面禁止ということで今後使えなくなる。
対戦車ヘリの方も、百機弱保有する老朽化したAH-1”コブラ”の代替として、アメリカ製のAH-64”アパッチ・ロングボウ”の導入が決まり、富士重工にライセンス生産用のラインまでつくりながら、たった13機で調達を打ち切ってしまった。
アメリカで生産中止が決まったからというのがタテマエだが、本当のところは”アパッチ”一機当たりの”高さ”が財務省主計局から標的とされたのではないだろうか。
しかし、兵器は費用対効果で高いか安いかが決まるのであって、40機いや35機ぐらいに調達数をしぼってでも陸自が装備する価値はあったと思う。
これで陸自の砲兵部隊や戦車・装甲車の数的不利をかなりばん回できたはずである。
ボーイングも日本向けに部品の生産だけは続けることはできなかったのか。
ともかく、”MLRS”は使えなくなるし、新型の対戦車ヘリも足りない。
老朽化したF-4ファントム戦闘機の後継機もまだ決まっていないし(だからといって拙速かつ安易な妥協はして欲しくない)、次期空対艦ミサイルの開発も中断しているという記事をある軍事専門誌で見かけた。
もし日本が武力衝突に巻き込まれるとしたら、フォークランド紛争のような島嶼をめぐる局地紛争がもっとも可能性が高いと思われるが、外国軍が日本の離島を侵略してきた場合、まず空自の戦闘機が出撃して敵の上陸部隊を乗せた揚陸艦とそれを護衛する戦闘艦艇や戦闘機を排除しなくてはならない。
しかし、次期戦闘機の調達がままならず、戦闘機から発射する新しい対艦ミサイルの開発さえ滞っている。
敵の陸上部隊が日本領土に上陸してきても”MLRS”は使えない、対戦車ヘリも老朽化する一方。
日本には非核三原則があるから通常戦力に力をいれて防衛力を整備しなければならないのに、武器輸出が禁止されているから同じ性能でも諸外国のものより兵器が高価になり数が揃えられない、ならば兵器ひとつひとつの質を高めなければならないが、日本の周辺国だって保有している兵器を、やれ専守防衛だ人道主義だといって禁じてしまう。
日本の国防政策は、がんじがらめでまったく身動きできない。
「福田政権は、いったいぜんたい日本防衛戦争に勝つ気があるのか?」と思うと、私の全身からがっくりと力が抜けていく。
安倍政権崩壊から一年もたたないうちに、ここまで日本の国防がガタガタになるとは。
安倍政権を叩いていた連中の思惑通りになっている。
クラスター爆弾を禁止したがっているヨーロッパは、英仏100年戦争から二度の世界大戦を経験して21世紀を迎えた。自民族優越主義と領土拡張主義がどれだけアホらしいか、さんざん味わったはずだ。
しかし日本をとりまく東アジアは、21世紀の先進国なのは日本だけで、自民族の他民族に対する優越を絶叫し、領土領海を武力で拡張することが依然として英雄的行為とみなされる19世紀を生きている。
東シナ海ガス田交渉で「日本が言うことを聞かないなら軍艦を出す」と言い放った中国はもちろん、韓国しかり北朝鮮しかりである。
彼らは無論クラスター爆弾禁止条約を受け入れないし、はじめから国際会議に参加するつもりもない。
すっかり平和になったヨーロッパと東アジアは、そもそも安全保障環境がまったく違うのである。
日本政府・外務省も「中国・韓国・北朝鮮・ロシアなど日本の周辺国がクラスター爆弾全面禁止に同意するなら、日本も積極的に会議に参加したい」と言っておけば良いものを、それっぽっちの知恵さえ回らないのか。
外交下手の日本人には”外国恐怖症”あるいは”孤立恐怖症”とでもいうべき特徴があって、国益を確保するために外国と交渉をするという外交本来の目的から逸脱し、交渉が決裂して外国の機嫌を損ね「日本が孤立する」のを極度に恐れるがために、日本の国益を放棄して無限に譲歩してでも外交交渉決裂を回避し、相手に自分の”誠意”を見せようとする習性がある。
小泉・安倍両政権で、ようやくそうした悪弊も無くなったと思っていたのだが。
福田外交は、ボーっとしているうちにアメリカによって日英同盟を”破棄”させられ、アメリカ・イギリスにたいした理由もなく譲歩し、主力艦(いわゆる戦艦)や巡洋艦・駆逐艦といった補助艦艇の削減をどんどん飲んでいった、戦前の”協調外交””幣原外交”の亡霊を見ているようだ。
日本人の外交下手、世間知らずならぬ世界知らず、対人恐怖症ならぬ対外国恐怖症といった負のエッセンスを、ぎゅうっと濃縮したものが福田康夫その人だとさえ思える。
かつてチャーチルはこう言ったそうだ。
「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論をしない。微笑みを浮かべてこちらの要求をすんなり呑んでくれる。
しかし、それでは困る。反論する相手を説得し、ねじ伏せてこそ政治家の業績になるというものだからだ。
そこで今度はさらに無理難題を要求してみると、これもまた呑んでくれる。
こうなると議会のほうから『今まで以上の要求をしろ』と言ってくる。
無理を承知で言うと、突然日本人は全く別人のような顔になって、『これほど譲歩に譲歩を重ねたのに、そんなことを言うとはあなたは話のわからない人だ。ことここに至っては刺し違えて死ぬしかない』と言ってつっかかってくる」
これは交渉をまとめることそれ自体が目的化し、国益を度外視して相手の”ふっかけ”さえ真に受けて一方的に譲歩に譲歩を重ねた協調外交・幣原外交から、いきなり自分の二十倍もの国力を持つアメリカに対して「戦争を挑んでしまった」、下手クソにも程がある戦前の日本外交を指していると思われる。
今の日本がそのまま過去を繰り返すとは思わないが、国益を度外視した無理な外交交渉は、必ずや歪みとその調整を生み出すだろう。
最後に、福田政権が人道主義をいうなら、航空自衛隊が保有する爆弾のほとんどが、どこへ落ちるかわからない旧式の無誘導爆弾であり、それこそ自国民を誤爆の危機にさらす非人道的兵器である。
空自の保有する爆弾をすべて、誤爆の危険性が少ない誘導爆弾・誘導ミサイルにするべきであり、政府・財務省はしのごの言わず予算をつけるべきだ。
国交省が10年間で60兆円道路を作ると言っているが、現在の年間防衛費は5兆円弱。それをまわせばちょろいものである。
東アジアに防衛の真空地帯を作らないため、MLRS用の新型クラスター弾やATACMSも必要だ。
ともかく政府・財務省は、タクシー業者から金品の見かえりをもらっているヒマがあったら、債務返済と防衛力整備など優先度が高いものに予算をつけ、硬直化しきった歳出割当てを何とかしろ。

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