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初めていらっしゃった方へ

中国最大のガン

  • 2008/05/30(金) 22:51:39

 今月発生した四川大地震に日本がすみやかに大量の救援物資と国際緊急援助隊を派遣したことが、中国国民の対日イメージを大きく変えたと報道されている。

中国・清華大学がネット上で実施したアンケートによると、94.8%の人が「日本の人道支援に非常に感謝する」と回答し、80.6%が「中国人の日本に対する印象が明らかに好転した」と答えたという。

参考記事 


 何しろ相手は独裁国家だから、このアンケートがどこまで信頼できるものかはわからないが、もしアンケート結果が事実を反映しているのであれば非常に興味深い。

日本の国際緊急援助隊が命がけで余震が続く中国の被災地において救援活動に従事する姿を、多くの中国国民が報道を通じて見た瞬間というのは、一度も日本人と深く付き合った事の無い圧倒的多数の中国国民が、南京虐殺記念館の日本人ロウ人形や中国人の脳内に形成されたイメージとしての日本人ではなく、正真正銘・生身のフツーの日本人を見た瞬間でもあったと言えるだろう。

ありのままの日本人の姿を中国国民が知ってしまうと反日感情が大幅に減少するということか。

何にせよ中国国民の対日感情なんて中国共産党独裁政権による国営TV・新聞を通じたプロパガンダ政策によって、どうとでもなるということである。

始めから「日本の首相が靖国神社へ参拝することは正しいこと」と中国官製マスコミが中国国民を洗脳していれば、小泉元首相への攻撃も無かったであろう。

 同じ特定アジアと言っても、中国世論と韓国世論を対比してみると面白い。

四川大地震という中国の国難に日本は救いの手を差し伸べたわけだが、97年のアジア通貨危機において国家破産という国難に直面した韓国に救いの手を差し伸べたのも日本だった。

97年12月時点における韓国の外貨準備240億ドルに対し、対外純債務が555億ドル。
そのうち短期外債が320億ドルで、沈没しかかった船から逃げるように外資が韓国から逃げ出していた。

日本は韓国に対し約120億ドルの債権を持っており、欧州全体の対韓債権とほぼ同額。一ヶ国としては最大であった。

韓国は日本政府に泣きつき、日本政府は各銀行を説得して韓国の債務返済繰り延べが実現した。

これがきっかけとなって98年1月、日・欧・米銀行団と韓国による債務返済繰り延べ合意がまとまり、韓国は国家破産を免れた。

さらに外貨がすっからかんになった韓国政府に対し、石油・天然ガス代金決済用の10億ドルを含む34億ドルの援助も日本は与えたが、中国とは違い、民主国家で報道の自由があるはずの韓国民の対日感情はさして好転しなかった。

”IMF通貨危機”は韓国自身の努力で切りぬけたことにされ、挙句の果てには、現代財閥のチョン・ムンジュンから一韓国市民にいたるまで、まるで韓国が国家破産ぎりぎりまでいったのは日本のせいであるかのような声が一斉にあがった。

今でも、日本の援助・債務返済繰り延べに感謝する韓国人というのを見たことが無い。

朱子学は儒教のなかでも原理主義的性格が強いのではないかと思うのだが、朝鮮王朝時代いらい朱子学を国教としてきた韓国らしいと言えば韓国らしい。

反日に関しても原理主義のようである。

 さて日本の緊急援助隊の活動を見た中国国民の対日感情は好転したようだが、それを快く思わない中国人もいるようだ。

人民解放軍が救出できなかった被災現場で日本の緊急援助隊が生存者を見つけ出すと人民解放軍のメンツが立たないため、緊急援助隊が力を発揮できないような現場ばかり割り当てられたり、「日本隊、早く帰れよ」と後ろ指さされたりしていたようだ。

参考記事 

人民解放軍の存在の正当制というのは、事実かどうかは別として「日本人をやっつけて中国から追い払った」というところにある。

だから人民解放軍が助けられなかった被災者が日本の援助隊に救われようものなら「俺たちのメンツと国民からの支持が失われる」と焦る。

 結局、日中関係における最大のガンは中国共産党独裁政権であり、共産党の専制支配を保証する暴力装置である人民解放軍なのである。

中国共産党が独裁政治と独占的資本支配という、人様にはおおっぴらに言えないようなことをやっているから、秘密を守るために国民への情報をコントロールせねばならず、国民の不満をそらす的(マト)としての”外敵”、つまり「今も侵略をたくらむ日本人」という虚像が必要不可欠なのだ。

中国を民主化して言論・思想・表現の自由が認められた社会にすること、外の世界と中国自身のありのままの姿を中国国民がいつでも見られるようにすることが、世界と東アジアの安定につながるだろう。

 以前、共産党政権が倒れて民主化したら、もっと悪質の軍国主義政権が中国で誕生するかも知れず、独裁政権だからといって胡錦涛政権を叩くのはいかがなものか、というコメントを頂いたことがあった。

小平も「中国が内政不安に陥ると日本に何億人もの難民が行きますよ。(だから日本が中国共産党政権を支援しなさい)」と日本側を恫喝したことがあったと聞くが、軍国主義政権が誕生するかもしれないから、日本に難民が来るかもしれないから日本は共産党独裁政権を支持し続けねばならないと言うのであれば、慎重を通り越してチキンにも程があると言わざるを得ない。

例えるなら、「患者さんの余命はあと三ヶ月ですが、手術が成功すれば助かります」と医者から言われて、「手術といったって100%成功する保証は無いのでしょう?だったらこのままで良いです」と言うようなものだ。

確かに民主化すれば中国が間違いを起こすことは100%無くなるとは言わないが、今の状態が続くなら日本の安全は極めて危ない。

 また、「親日の胡錦涛を叩く日本人は浅はかであり、日本は彼を支え協力しないといけない」みたいなことを言う日本人もいる。

私は、中国外交お得意の善玉・悪玉チーム戦略、あるいは「日本の友人が危ない」戦略にまんまとやられてしまっているように思えて仕方が無い。

かつて中国から「日本の友人である胡燿邦が危ない。胡を助けるため日本が譲歩しないといけない」と言われて、中曽根首相は1985年秋の例大祭における靖国神社参拝を見送った。

だが胡燿邦は結局失脚した。

後に残ったのは日本の首相が中国の内政干渉に屈して靖国参拝を止めたという事実だけ。これが現在までつづく靖国参拝問題である。

「日本の友人・胡錦涛を助けるため、東シナ海ガス田で殺人ギョーザで日本は譲歩しなければいけない」という日本人がいたら要注意である。

 最後に、中国のある武官が非公式に「自衛隊機が中国へ救援物資を運んで欲しい」と要請し、福田政権が二つ返事で快諾したところ、中国国民の対日感情が悪化してキャンセルになったという今日のニュース。

これは、中国国民の対日感情好転を快く思わない中国の一部勢力のワナだったのではないだろうか?

自衛隊機の中国への出動を、日本の緊急援助隊すら嫌っている人民解放軍の武官が素直に望むとはちょっと考えられないし、胡政権全体でコンセンサスがとれた後に日本に来た要請でもないと聞く。

「人の嫌がることはしない」ナイーブな福田首相と、上海日本領事館員自殺事件の不始末で安倍氏に失脚させられ親中・福田政権誕生で復活した二橋官房副長官、さらに福田首相の外交アドバイザー五百旗頭真氏ら”チーム福田”が変なスケベ心を出して前つんのめりになった結果、中国国民の対日感情を悪化させたいともくろむ勢力にまんまと利用されたように見えるのだが。

中国のネット言論界でも、「日本の自衛隊機を断固拒絶した中国政府GJ!」という声があるようで、いつのまにか日本が自衛隊機受け入れを中国に強要した悪者にすり替えられているのも、相手の思惑通りになっているような。


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麻生さん、泥舟に乗ってはいけません

  • 2008/05/24(土) 00:18:09

前回のつづき

 与謝野氏は、国民の不安を無くすため消費税を10%に上げて社会保障に使います、道路整備は景気対策効果があるから”必要な分だけ”(約50兆円かけても良いという発言が以前にあった)造りますとおっしゃっている。

日本の財政をここまで悪化させたのは、エリート大蔵官僚出身の宮澤喜一元首相とアメリカに内需拡大策として630兆円分の”公共投資基本計画”を約束した小沢一郎元自民党幹事長の二人のケインジアンが原因であり、その宮澤氏は最後のケインジアンと言われたものだが、まだ生き残りがいたようだ。

官僚は、国民から与えられた、あらかじめ大きさが決まったケーキ(国民が生み出す富)を公平性などを勘案し、どう切り分け再分配するかを考えるのが仕事だが、与謝野氏もそうした考え方から抜け出せないように思われる。

国民が将来に不安を感じ、それが内需拡大を妨げているのだとすれば、その原因はケーキの大きさがこれからどんどん小さくなっていくのではないか、という不安にあると思う。

よく国内自動車各社が日給一万円で期間工員を募集しているが、低所得の若者が自動車の購入をあきらめたり、持っていた自動車を手放して自転車に乗り換えたりする例が増えていて、国内の自動車販売額が減少しているという。

休日も家でゴロゴロして旅行にも行かず、ささやかな貯金だけが生きがいという若者がマスコミに取り上げられていた。

このままではいけない。

だから日本のリーダーは、これからケーキが小さくなっていくのを防ぎ、できるだけそれを大きくしていく政策を考えなければいけない。

ところが与謝野氏は、「日本はモノづくり大国をめざすべき」と現状維持を主張なさっていて、結局のところ今の大きさのケーキをどう切り分けるかという発想しかないのではないか。

それも、これから庶民の取り分を薄くし、官僚・公務員や大企業に厚く切ろうというのである。それでは所得を削られる国民の不安感が増大し、内需はしぼんでいく一方だろう。

 与謝野氏は、消費税を10%に増税しそれを社会保障目的の財源とすべきとおっしゃっている。

消費税は逆累進性のある税で、所得の低い庶民ほど負担が重くなるという欠点があることは、このブログでも何度も取り上げてきた。

さらに、与謝野氏が会長を務める自民党の財政改革研究会は、基礎年金の全額税方式の検討をはじめたと報道されているが、「基礎年金を含む社会保障の財源として」というタテマエの消費税増税という前例が、けっきょく基礎年金の全額税方式導入とさらなる消費税増税への”露払い”となってしまうのではないか。

官僚というのは前例を神のように崇拝する習性がある。

最近出された政府試算(産経新聞5月20日づけ朝刊にのっている)によれば、年金の財源を月々の保険料(プラス国費負担)でまかなう社会保険方式から全額税方式に転換すると、国民は直接保険料を支払う必要が無くなる反面、最悪消費税が18%まで増税され、財務省の悲願?である欧州並となる。

これによって現役サラリーマン家庭の負担は現在より1.5~2.8倍まで重くなる。
もちろん所得が低い人ほど負担はきつい。

これでは庶民の”ケーキの取り分”はどんどん薄くなる。

しかし政府の財政難から、これだけ増税しても今以上の高福祉は望めないだろう。

与謝野さんは、「日本は小負担・中福祉から中負担・中福祉へならないといけない」とおっしゃっていたと思うが、これでは、良くて高負担・中福祉ではないだろうか。

 一方、サラリーマンの保険料はこれまで労使折半で負担していたが、全額税方式になると企業が納める分がゼロになり、2009年度試算で3~4兆円の年金負担が、企業から国民に押し付けられることになる。

なるほど経団連の御手洗会長が全額税方式導入を熱心に主張するわけだ。

 麻生氏との対談でも、日本の法人税が高いという話題が出ていたが、日本の法人税の実効税率は40%を超え負担が重過ぎて国際競争力を弱めているという声が財界からさかんに上がっている。

私は、欧米に比べテロや暴動が少ない、韓国・中国系住民のインネンのような訴訟に負けて何十億もの賠償金を支払わなくとも良いなど、たとえ法人税が高くても日本に会社を置くメリットはあると考えている。

だが実のところ、法人税だけではなく従業員の社会保険料負担などを含めた、日本企業のトータルの負担で見れば、フランス・ドイツ・イタリアといった先進国の60~80%程度しかない。

さらに赤字企業は法人税を払わなくても良いので、法人税を払っていない日本企業は全体の2/3にも及ぶ。

「バブル崩壊の後遺症で苦しんでいる」みずほ銀行・三菱UFJなど日本の大手銀行も、年に数兆円の収益をあげながら欠損金繰越制度が適用されて今も法人税を一銭も納めていないはずだ。

こうしたことからもわかるように、日本の法人税は諸外国に比べて高く、それが日本企業の国際競争力を弱めている、このままでは日本企業がどんどん本社を海外に移すというのは悪質なデマであり、日本企業の2/3が払っていない法人税をまだ下げたい、しかもフランス・ドイツ・イタリアといった先進国企業よりも低い負担しかしていない従業員の年金保険料もすべて本人負担にさせようともくろむ、財界の世迷言でしかない。

与謝野氏は意図的なのか無意識なのかわからないが、こうした動きに少なからず荷担しており、ケーキの取り分を国民からどんどん削って、その代わり大企業や官僚・公務員に厚くしようとしている。

 与謝野氏は、地方の需要を喚起するため政府による公共投資の重視もかかげ、自民党内の道路族議員を説得して道路財源を減らすつもりは無いように見える。

過去にも約50兆円道路をつくってもよいというお話があった。

だが、与謝野氏や国交省が言うように道路特定財源から10年で50~60兆円の巨費を投じて道路をつくるカネがあるなら揮発油税を環境負課税にして一般財源化し、それを基礎年金など社会保障にまわすことで消費税増税を回避し内需を冷やさないようにして、将来自分のケーキの取り分が削られないという安心と希望を国民に与えるべきではないか。

年金がもらえないと死ぬ人がごまんと出るだろうが、熊しか住んでいないようなところに道路を通さなくても、バイパスをまったく造らなくても、それだけで人は死なない。

どちらを優先すべきであるかは火を見るより明らかである。

政府の試算を参考にすると、年金を社会保険方式のままにすれば、10年で60兆円という道路特定財源のいくらかを基礎年金の財源にまわすことで、消費税増税無しでもじゅうぶん乗り切れるはずである。

 対談では公共事業は地方と中央の格差を是正するためというお話もあった。

山陰・四国地方の各県への公共事業投入額は、公共事業が少ない神奈川・埼玉・千葉等首都圏各県の三倍もの金額になる。今でも格差是正のためできる限りの配慮がなされているのではないか。

 以上見てきた通り、与謝野氏の経済政策は、今あるケーキの大きさをどうするかは「モノづくりを大切に」という現状維持で、そのケーキを消費税増税で国民の分を薄く切り、そのぶん公共事業や・法人の負担減で大企業や大きな政府に厚く切ろうとなさっているとしか思えない。

それでは健全な民主国家を支える中流階級層が疲弊し、一握りの富裕層と大多数の貧困層に二極分解しかねない。

国益を考えれば、日本の将来をこのようにデザインすることに反対である。

消費税増税は最後の最後の最後の手段としなければいけない。
歳出のムダを省くなど政府でやれることはまだまだ沢山ある。

 高度経済成長期において、大蔵省・日銀が大企業最優先の経済政策を取り、恩恵を受けた大銀行・大企業は官僚の天下りの受け皿となった。

それで割を食ったのは、狂乱物価と大銀行の貸し渋りに苦しんだ庶民や個人商店・小企業だった。

与謝野氏の経済政策は、官と大企業最優先という高度成長期の残滓を色濃く残しているように見える。

 最後に、麻生さんの政治力の源泉である国民的人気は、与謝野さんのような手垢のついた、いわゆる保守本流・大きな政府をかかげるリベラル的政策をかかげたからではないと思う。

自由と繁栄の弧のような価値観外交、あるいは安倍さんと組んで外務省に「ケンカの仕方」を教えるような、戦後日本の呪縛にとらわれない革新的な政策である。

それまで敵対していた薩長が手を組んで維新をなしとげたような変革であった。

「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」という言葉があるが、麻生さんが良き総理総裁になるためには、吉田茂とリベラルとしての保守本流・宏池会の呪縛を乗り越えたとき、はじめてそれが可能になるのではないだろうか。

与謝野さんはじめ、人権擁護法案賛成の親中派道路族の古賀さん、これまた親中派の谷垣さん、などなど、麻生さん、ドロブネに乗ってはいけません。

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金融業に対する蔑視?それとも嫉妬?

  • 2008/05/21(水) 23:06:07

前回のつづき


 文芸春秋6月号に載っている、自民党の与謝野馨・麻生太郎両氏の政策提言”大きな政治”について、今度は与謝野氏の経済政策面について見ていきたいが、与謝野氏の経済観から垣間見えるのが、「額に汗してお金を稼ぐモノ造りは崇高だが、そうではない金融業はケシカラン」という金融業蔑視?である。

中世ヨーロッパにおける金融業蔑視が、差別されていたユダヤ人に金融業を”押し付ける”ことになったのは有名な話だが、与謝野氏によれば、サブプライム問題を世界史的に見ると、これからは金融大国ではなくモノづくり大国の時代であり、日本はモノづくり大国にならないといけないのだそうである。

 私は、サブプライム問題にからんで欧米の金融機関がやったことがすべて正しかったとも、市場原理がいついかなるときにも万能だとも言うつもりはないし、日本の製造業と高い技術力は是非今後とも大事にしていかなければならないと強く思うが、世界経済の全体像を把握する能力があれば、与謝野氏のような「木を見て森を見ず」的な金融業蔑視?には至らないと思う。
 
 2004年あるいは05年からはじまった世界全体の景気拡大をひっぱったのはアメリカの旺盛な消費力であり、その旺盛な消費力の裏付けの一つが、低所得層アメリカ人に対するノンリコースの住宅担保ローン、いわゆるサブプライムローンであった。

(つまり、多くのアメリカの低所得層の人たちが借金してまで世界からモノを買いまくったということ)

それによって、中国・日本を含む東アジア工業国がつくったモノがアメリカに飛ぶように売れ、そのおかげもあって我々日本の経済はゆるやかながらも息の長い成長を遂げることができたのである。

もちろん中国が年率10%を超える経済成長を達成できたのもアメリカへのモノの輸出があったればこそで、サブプライムローンとアメリカからの旺盛な需要が無ければ日本を含む東アジアの経済成長率はもっと低いものになって深刻なデフレ不況が続いたかもしれず、サブプライムローンという借金までしてもらって日本のモノを買ってもらっておいて、「サブプライムローンはケシカラン、金融大国アメリカはケシカラン」と言うのであれば、全くフェアではない。

消費者と自由貿易あってこそのモノづくりであり、モノづくり大国に専念し「良いモノをつくりさえすれば黙っていても世界に売れる」というものではないことは、世界史的に見て常識である。

 さらに言えば、中国や日本のようなモノづくり大国が儲けたドルで大量のアメリカ国債を買っているおかげで、アメリカの金利が巨額の経常収支赤字に比べてあまり上昇せず、それがアメリカの好景気と需要増・資産インフレを招いた一つの要因とも考えられる。

資産インフレはアメリカの中古住宅相場を上昇させ、それが担保価値を高めたために、自分の住宅を担保にお金を借りるサブプライムローンの貸し出し額を増やす結果となった。

景気拡大局面が終わりリセッションに陥るときというのは過剰生産・過剰投資が露になる瞬間であり、それは大なり小なり程度の差こそあれ”バブル崩壊”であろうし、人間が判断ミスから逃れられない生き物である以上、どこの国でも起こりうることだと思う。

オランダのチューリップ投機、日本のバブル経済と、世界の歴史がそれを証明している。

アメリカの中古住宅相場でバブルが崩壊すると、債務不履行に陥ったサブプライムローン利用者の担保で貸出金を埋め合わせられなくなり、一挙に不良債権化した。

アメリカのサブプライム問題の責任がアメリカ国債を大量に買っている日本や中国にあると言うつもりはないが、両者に密接な関係があったのは事実であり、日本や中国などモノづくり大国が、上から目線で「そーれみたことか。サブプライム問題を見れば明白なように、アメリカのような金融大国はモラルが低くてケシカラン」などと言う資格があるとは思えない。

やむにやまれぬとは言え、日本の長期にわたる超低金利政策も、アメリカを含む世界全体の流動性をじゃぶじゃぶにしたことと無関係ではあるまい。(だから日本のファンダメンタルズを無視して高金利政策に転換するというのは反対だが)

 さて、アムステルダム→ロンドン→ニューヨークと、世界金融の中心がある国からある国へ移動することは、モノの貿易を含めた世界のビジネスの主導権も移動することを意味した。

(もちろん、金融の中心が移動するのと国際ビジネスの主導権が移動することが、常に同時だったわけではないが)

そして金融に弱い国は、金融に強い国に食い物にされかねないのが、国際ビジネスの世界である。

政界一の政策通と言われる方に、いまさら経済学の初歩である「貨幣が持つ三つの機能」を解説する必要はないだろうが、貨幣が持つ機能の一つはモノの価値をはかる”モノサシ”としての機能であり、金融の主導権を握った国は自分の都合でそのモノサシを長くしたり短くしたりすることも可能になる。

モノづくりしかできず金融に弱い国にとって、それがどういう意味を持つかすぐさまピンとくる人ならば、「世界史的に見て金融大国は終わった」みたいなことは言わないだろう。

ピンと来ない人にヒントを出すなら、日本人が汗水たらして同じ価値のモノを作って輸出しても、円キャリートレードで円安ドル高にふれると、日本の製造業が受け取るお金が多くなり、市場のリスク許容度が減って円キャリーが巻き戻る(つまり円高ドル安にふれる)と、受け取るお金は少なくなってしまうというのも根は同じことである。

 空想的平和主義者は、平和を守るためと称して軍事に対して無知であり続けようとするが、軍事の弱い国は軍事の強い国に食い物にされかねずそれではいけない。

同じように、金融でひどい目に会いたくなければ、日本をまっとうな独立国にしたいのであれば金融に強い国にしなければいけない。

金融業を蔑視し、日本を金融から遠ざけて無知であり続けようとするならば、他の金融強国に食い物にされるだけである。

(私もまだまだ勉強が足りないが、与謝野氏のような”大きな政府”を信奉するリベラル派だけでなく、日本の保守派・民族派にも金融アレルギーが強い人が多いことは非常に残念である)

インフレ退治と通貨マルクの価値を死守することに並々ならぬ執念を見せる西ドイツのブンデスバンクが、高金利ドル高政策を転換したアメリカからのマルク利下げ圧力をのらりくらりとかわす一方、大蔵省と日銀はアメリカの要求のままに円の金利を下げすぎて、それが1980年代後半の資産インフレとバブル経済につながり、自分でバブルをふくらましておきながら今度はそれに懲罰を与えるかのような急激すぎる利上げが日本経済のクラッシュにつながった。

バブル崩壊以後の大不況の原因は、これまで日本企業がせっかく苦労して手に入れた儲けをつぎこみ、土地・株・絵画・ゴルフ会員権などそれが本来持っている価値以上の非常識とも言えるような金を出して買ったため、日本の銀行・企業がバランスシートに多額の含み損をかかえ、それをリカバリーするために本業はあまり問題は無かったのに正社員を大量にリストラしたことだった。

そしてゼロ金利・量的緩和政策が”失われた10年”からの回復が遅れた原因ではない。

与謝野氏が推す、ボトムアップと根回しの政治で「あーでもない、こーでもない」とグズグズしているのではなく、公的資金を銀行や大企業に注入してバランスシートをある程度キレイにしてやり、その代わり不振に陥った銀行や大企業の経営陣には退陣と私財処分による賠償などキッチリと責任をとらせるという策を、トップダウンでスピーディーにやらなかったからだと今にしてみれば思う。

(バーナンキFRBは、バブル期の大蔵省と日銀の失敗を良く見ていると思う)

もし日本にドイツほどの金融政策能力があれば、バブル崩壊も失われた10年も、先進国でもっともひどい国の借金も無かったかもしれない。

繰り返すが、日本を金融に強い国にしなければならない。

 与謝野氏の場合、アメリカがダメだから金融大国はダメという連想がおありで、日本の金融面を強くするために、何が何でもアメリカのマネをしなければならないという前提があるようだが、そんなことは無いのであって、「得体の知れないものには投資しない」といった日本独自のやり方があるはずである。

 与謝野氏にかぎらず、金融業に対する厳しい見方をする一部の日本人の潜在意識には、ローリスク(・ローリターン)を好む”モノづくりの民”の、(ハイリスク・)ハイリターンの道を選んだ”金融業の民”への嫉妬があるのかなと思う。

だが、ハイリターンを羨ましいと思うのであれば、高いリスクを取る覚悟をしなければならないし、それは日本人の不得意分野である。

日本が堅実に低リスクの道を選ぶのであればそれはそれで良いが、リターンも低いものになることを覚悟せねばならず、高いリスクを負う覚悟が無いのであれば、ハイリスク・ハイリターンの道を選んで成功した人を妬むのは「隣の芝は青く見える」というか、大きな筋違いである。

 管理人のパッションに火がついてしまったのでこの話をもう少し続けることにして、麻生さんへの応援メッセージは予定を変更して次回にまわすことにする。

つづく

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がっかりさせられた”大きな政治”

  • 2008/05/16(金) 00:03:35

 いま発売中の文芸春秋6月号に、自民党の与謝野馨・麻生太郎両氏の政策提言”大きな政治”が載っている。

詳しくは買って読んでいただきたいが、はっきりいって相当がっかりした。

政界一の政策通と定評のある与謝野氏のお考えのまとまったものが読める貴重なチャンスなので、その部分を特に楽しみにしていたのだが、与謝野氏のかかげる国家目標それ自体は納得のできるものであったが、それを実現するための具体的政策がことごとく矛盾しているように感じた。

 現在日本がこれほどの重苦しい閉塞状況に陥っているのは、「日本が欧米先進国にいかに追いつくか」というのがテーマであった高度経済成長期の政治・経済システムが今の時代に合わなくなっているにもかかわらず、いまだにそうしたシステムを色濃くひきずっていて、新しい時代に即した政治・経済システムへの改革が不十分のまま停滞しているからである。

にもかかわらず、与謝野氏がこれからの日本をつくるためとして出してきた政策が、昭和30年代を絶頂とする高度経済成長期にやっていればまず間違いの無い”ガチガチの鉄板マニュアル”とされたものばかり。

その”鉄板マニュアル”をいまだにひきずっているから、今の日本が停滞しているというのに。

 政治面について言えば、政治家がトップダウンで物事を決めていくよりも、下からの意見をまとめ与野党との話し合いと官僚を重用するボトムアップ型政治の重視と、小選挙区制度の見直しなどを与謝野氏は主張されているが、そもそも高度成長期の中選挙区制度が腐敗と利権談合政治の温床となったから小選挙区制が導入されたわけだ。

ひとつの選挙区に、同じ党から複数の候補者をたてる中選挙区制度のもとで、各候補者は地元の会合に必死に参加して顔を売り、いかに地元に利権をひっぱってくるかを競った。

それが地元企業との癒着と利権談合政治を生み出しただけでなく、地元まわりに忙しく、政策をまったく勉強しない政治家を多く生み出した。

(中選挙区制では、ひとつの選挙区で与野党複数の候補者が当選できたから、与党のやることに何でも反対のかつての日本社会党のような無責任野党が跋扈し、ついにドイツのSPDやイギリスの労働党のようなまともな政策をかかげる野党が日本に誕生しなかった)

そうした政治家が当選回数を重ねて出世し大臣や首相になっても、勉強不足で自分の政策に自信が無く、失政と選挙落選が怖いから官僚に政策立案・実行を丸投げする。

政策面で官僚に頼り、彼らに頭が上がらないから各省も大臣ではなく官のトップである次官が実質的に動かすようになる。

首相と各大臣を中心とした閣議ではなく官僚の最高職である官房副長官と各省庁の次官が集まる会議が日本を動かす。

 しかしそれでは日本の主権が選挙の洗礼を浴びない官僚にあることになってしまい、主権在民を原則とする民主国家としてはルール違反である。

こうして官僚が日本の政策を決定するが失敗してもその責任を問われない、だから自浄能力を失った官僚・公務員が同じような失敗を何度も繰り返し、そのツケだけは本来の主権者である国民に押し付けるというモラルハザードが生まれた。

これが戦後日本型の政治システムであり、社会保険庁の年金問題にしろ、バブル崩壊以後の財務省・日銀による経済政策の失敗やそれに伴う巨額の国家債務累積問題にしろ、問題の根底にはこうした政治システムの欠陥がある。

そうしたモラルハザードに陥った政治システムを、与謝野氏はこのまま続け強化せよとおっしゃるのだから、正気の沙汰とは思えない。

 こういう政治システムのもとで、与党も野党も官僚も各種利権団体も、
”仲間はずれ”をつくって誰かの恨みを買うようなことがないように、みんなで仲良く一緒に「なあなあで決めましょう」という日本特有の談合型意思決定システムができた。

(談合政治は日本と中・韓・朝のいわゆる特定アジアとの間でも行われた。特アが反日で騒ぎ、「しょうがないなあ<嬉>)」と言いながら日本がカネを出しつづける構図である)

談合型意思決定システムでは、たとえ反対する人がいても明確なビジョン・政策をかかげて皆をぐいぐいと引っ張っていくトップダウン型のリーダーは嫌われ、時間が長くかかっても”仲間はずれ”をつくらないように、みんなの意見を調整するボトムアップを重視する”利害調整型のリーダー”が好まれる。

この”利害調整型リーダー”には、しっかりとした政治哲学を持っているかや政策立案・実行能力の高低は問われない。

ともかく組織内で仲間割れや大きな失敗を起こさず、”ことなかれ”で任期をやりすごせばそれで大成功とされるのが、これまでの調整型リーダーだった。


 その典型は、誰にかけているのか知らんが携帯電話片手に「これで決めて良いの?それともあれが良いの?」とグズグズ聞いてまわっている福田康夫首相である。

じゃあ調整型リーダーである福田さんを有権者は「現在の日本にふさわしい指導者」として支持しているのか、政界一の政策通・与謝野さんに聞くまでもあるまい。どの支持率調査を見てもわかるとおり答えはNOである。

「欧米をお手本に追いつけ」の昭和30年代には福田康夫首相でも通用したかもしらんが、現在においては時代錯誤もはなはだしく、首相官邸のイスに座っているだけで犯罪だと思う。

与野党との話し合いと官僚主義を重視し、小選挙区制度の見直しという与謝野さんのかかげる政策、調整型リーダーを官僚が影から動かす日本特有のボトムアップ型政治も、昭和30年代の高度経済成長期には、間違いの無い鉄板マニュアルであったかもしれないが、もはや現在の日本では制度疲労を起こしてしまって使えなくなっているのは明々白々である。

それを与謝野氏は復活させ強化させるべきだとおっしゃるのだから、その時代錯誤ぶりに驚きあきれる。

 与謝野氏は、福田首相が「民主党の誰に話を通せば政治が動くのかわからない」と嘆いていると指摘しているが、野党民主党ですら、小沢さんのトップダウンではなくボトムアップ型の政治決定システムのために、つまり指揮命令系統が複数存在するために、誰が政策決定権を持っているのかあやふやになってしまっていて、それが政治の混迷をいっそう深めている。

であるならば、与謝野氏自らボトムアップ型の政治システムを変えていかなくては駄目だと主張しなければならないのに、ボトムアップ型の政治システムが日本にとって効率が良いなどと矛盾しきったことを、麻生氏との対談でおっしゃっている。

 高度経済成長期の日本型政治システム、利害調整型の指導者とボトムアップ型国家意思決定システムに本当に限界を感じるが、それをいまだに金科玉条にしている与謝野氏のようなエリート官僚出身政治家にも限界を感じる。

現役官僚もそうであるならば、もはや日本最高の政策立案集団とは言えないだろう。

与謝野氏は対談で、今の日本を高度経済成長期の残照だとおっしゃっているが、高度成長期の残照というのは与謝野氏のお考えそのものではないだろうか。

与謝野氏は、頭の中の政治マニュアルを最新のものにアップデートされるよう、強く願う次第である。

次回は経済政策面に突っ込みを入れたい。

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はじめから期待せず

  • 2008/05/10(土) 01:06:24

 中国の胡錦涛主席が訪日した。

チベット大虐殺事件発生後、中国の元首として初の外遊であり、日中間には、東シナ海ガス田問題や中国製殺人ギョーザ事件、「聖火を防衛する」と称して日本国内で暴行の限りをつくした中国人の留学生と暴力団(中国版ヒトラーユーゲントと突撃隊)の問題など、問題が山積みであった。

日本政府・外務省としては、胡錦涛の訪日を機にそれらの問題を解決するチャンスであったが、私は福田政権にゾウリムシほども期待はしていなかった。

何か取り返しのつかないドジを踏むぐらいなら、まだ何も決まらないほうが良いくらいである。

だいたい、チベット大虐殺事件発生で世界の世論を敵にまわし、外交的にすっかり孤立した中国としては、いつものように日本を見下しふんぞり返るような態度は取りにくい。

だから、自身の大失策でアリ地獄にハマっているような状況の中国から、何か譲歩を引き出せて当たり前。

そうでないのならば、余程の無能である。

 で、日中間に横たわる外交懸案の数々がどうなったか。

私が最大の関心を向ける東シナ海ガス田問題であるが、日中両首脳から「重要な進展があった」という発言があった。

その詳細な交渉内容が明らかになっていないので今後明らかにされるであろう情報を注意深く監視するしかないが、変な譲歩をしていないよう祈るばかりである。

参考記事 

ガス田問題をどう解決すれば良いか、その原則は過去記事でふれた通りだ。

交渉妥結を焦って変な譲歩をするよりは、次の解決のチャンスを待ったほうが良い。

 中国はトンキン湾の海底油田をめぐるベトナムとの交渉で、大陸棚自動延長論によってトンキン湾のほとんどの海底油田を自分のものと主張するベトナムに対し、ベトナム側の大陸棚自動延長論を無効とし、ベトナムと中国との中間線による折半を主張している。

その同じ口で、日本の東シナ海の海底油田を中間線で折半しようという主張を、大陸棚自動延長論で無効だと主張する、矛盾しきった詐欺師が中国という国である。

こうした相手の矛盾点を日本側はどんどん突くべきだ。

 続いて殺人ギョーザ事件やチベット大虐殺事件問題であるが、論語に心酔しきった親中派の福田首相としては、世間の厳しい目もあり、涙目でいっぱいいっぱいになりながら、胡の目の前でようやく二つの問題に言及したというところだろう。

しかし、口で言えばそれで合格というものではない。

外交とはお愛想ではなく、実利を得るために存在する。

この場合の実利とは両問題の実質的な解決であるが、それがまったく実現していないにもかかわらず、省エネルギーや環境対策の援助、北京五輪への支持や日本国首相の開会式出席を前向きに検討することを表明するなど、こちらの外交カードを先にタダで切ってどうする。

パンダが日本に来る?

百万歩譲って、中国がタダでくれるというならまだしも、オスメス二頭でレンタル料金が二億円取られるなら、日本が対価を支払って借りたわけで、外交成果でも何でもない。

もっと言えば、いまだに年間8億円ぐらい日本からの対中無償援助が続いているというのに、もともとタダの野生動物をネタに日本からカネを取ろうという中国側のしみったれ根性には驚いた。

これが外貨準備を1兆5000億ドル以上ためこんでいる国のやることなのか?

本当に絶滅しかかっているなら、生まれ故郷から遠く離れた異国に無理やり移住させられるパンダこそ良い迷惑であろう。

 そのほかにも、中国の覇権主義や常識はずれの軍備拡張や、ガス田問題の交渉過程で「日本が言うことを聞かないなら軍艦を出す」と中国側が恫喝してきた問題、中国版ヒトラーユーゲントと突撃隊による日本での暴行事件など、中国の脅威も厳しく追及されるべきであったが、それをウヤムヤにしたまま、いわゆる第四の文書、日中共同声明に「(日中が)互いにパートナーであり脅威とならないことを確認」という文言が入ってしまったのはどういうことか。

 こうしたふがいない福田政権に対し、二大政党制の実現をかかげる小沢民主党は違いを見せつける絶好のチャンスだったのだが、胡と会談した小沢党首は、福田首相さえ言及したチベットのチの字まで言わずじまい。

それよりも小沢氏にとっては、胡が昨年の民主党訪中団ひとりひとりに握手してくれたことの方がよっぽど重要だったようで、小沢民主党には福田政権以上に失望させられた。

 現在ここまで日本の財政が悪化したのも、1991年当時、自民党幹事長として権勢を誇っていた小沢氏が、アメリカからの貿易黒字削減・内需拡大要求にまったく安易に譲歩してしまい、10年間で430兆円もの公共事業をすると約束してしまったからだ。

91年まで日本の国債残高はどんどん減少していたのに、92年から国の借金が激増した。

小沢さんの自民党時代を良く知らないのか、多くの反米派日本人からは希望の星とみられているし、「アメリカ、中国にもの言えぬ日本では普通の国になれない」などと普段言うことは大層ご立派なのだが、アメリカ・中国に対し小沢さんが一番何も言えてないじゃん。

結局のところ、小沢さんは米中を相手にすると、相変わらず肝心なところで何も言えなくなってしまう人なんだなということを再確認してしまった。

 これだと今の日本に何も希望が無いかと思われるかもしれないが、そうではないと思う。

日本の歴代首相と胡との会談において、安倍前首相が靖国問題における中国の対日外交やチベット・ウイグル問題について、しっかりと中国に注文をつけたのは救いだった。

参考記事 

安倍政権崩壊から一年も経たないうちに、中国版ヒトラーユーゲントが日本で暴れまわっても警察は見て見ぬふりをするような国になり、福田政権と小沢民主党はあの体たらくで、皇室をお守りする保守を自称しながら「安倍END」を叫んでいた怪しげな連中の思惑通りになってしまっているとつくづく思う。

 また東京ではチベット大虐殺に抗議する数千人規模のデモ行進があったそうで、私は大変勇気付けられた。

こういう行動は本当に重要だと思う。

参考記事 

というわけで、

(チベット人迫害を)やった、やった、またやった、胡錦涛がまたやった、近鉄電車ではよ帰れ!

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無言で抗議

  • 2008/05/02(金) 22:30:26

 長野に五星紅旗をもった中国版ヒトラーユーゲントが大量に動員され大暴れしたことは皆さんも良くご存知のことと思う。

中国国旗を持った彼らは自由に行動し、日本の治安当局もチベット国旗を持つ人間の行動を制限する一方で、中国版ヒトラーユーゲントの日本人への暴行は見て見ぬ振りをしていたという。

そうした情報を見聞きしたときにパッとひらめいたのだが、今後デモを行う際は、大きな五星紅旗を持って会場へ集合し、北京五輪の”聖火”や中国の要人に向かって、無言かつ皆で一斉に、片手を前方へかかげるナチス式の敬礼をしたらどうだろうか。(あくまでも日本国内のみ)

 これならば中国国旗を持っているだけに会場内を自由に行動できるだろうし、中国国旗を持ってナチス式の敬礼をする大量の集団がCNNやBBC、ロイターなどのカメラの前に現れたら、映像的に大変なインパクトを世界に与えるのではないだろうか。

パッと見、日本人と中国人を見分けるのは難しい。

誰かからインタビューや質問を受けたときには、「中国共産党と北京五輪を熱烈に支持する!」とか、「北京五輪とチベット人殺害に抗議するための皮肉だ」といったふうに、それぞれが自らの思想信条を”正直に”述べれば良いだろう。

少なくとも日本は民主国家であり、憲法によって思想・言論・表現の自由が認められているはずである。

 最後に長野関連の報道を見て思ったのだが、日本の治安当局もほとんど中国人の暴行を取り締まらないので、もし今後もデモに参加する人がいるなら充分に注意してほしい。

違法行為はしない、なるべく集団で行動する、暴行を受けたら正当防衛の範囲内で身を守りつつ、カメラで相手の顔写真を押さえる、といったことに注意して、情けないことに警察があまり当てにならないので、自己責任で自らの安全第一に行動されることを願うばかりである。


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