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トルコの真似をしろ?
- 2007/10/30(火) 00:31:34
10月10日にアメリカ下院外交委員会が、1915年に起こったとされるオスマントルコ帝国による”アルメニア人虐殺”を非難する決議案を可決したことは、知っておられる方も多いだろう。
産経新聞が、これと慰安婦決議とを比較して、「トルコは毅然として立派だが、日本はダメだ」といった内容の論説というかコラムを掲載した。
私は、産経の報道姿勢を評価しているが、これはいただけないと思う。
日本とトルコでは、それぞれが置かれている国際環境も手にしている対米カードも、まったく違うからである。
トルコの安全保障上の脅威は、国内ではクルド人反政府ゲリラであり、国外では宿敵ギリシャとアルメニアである。
だが、キプロスでにらみ合いが続いているものの、ギリシャとはだいぶ関係が改善してきたし、アルメニアも含めてトルコを属国にするような力は無い。
トルコは、イスラム国家でありながら政教分離を国是とし、自身を”欧州国家”と認識して、これまでEU加盟を国家目標にしてきた。
もしトルコがヨーロッパ・キリスト教社会からつまはじきにされたとしても、まだイスラム社会という帰る場所が残されている。
近年、イスラムへの回帰という流れがトルコでも大きくなりつつあるし、現在のエルドアン政権はイスラム色が強いと見られている。
トルコは、長年に渡って国内のクルド人反政府ゲリラと戦って犠牲者を出してきたから、国民に非武装中立を理想化するような空想的平和主義は無い。
周辺国と戦力比較してみても、トルコ軍は質・量ともに充分な抑止力を備えていると言えよう。
他方、日本は、核戦力を有し、膨張主義・覇権主義を隠そうともしない中国と隣あっている。
アメリカ製兵器を中心とした、自衛隊の質の高さで、現時点では何とか軍事バランスをとっている状態だが、それは甚だ心もとない。
国内には中国の利害を代弁することに熱心な政治家・官僚だらけで、国民でも、中国や南北朝鮮とつながる左翼勢力の”非武装平和主義”あるいは”憲法九条教”の集団催眠術にかかっている者が依然として少なくない。
特定アジア側は、常に日米離反を狙っており、日本がアメリカやEUなど自由主義陣営から離れたら、もう行くべき場所が無い。
安倍政権が熱心だったASEANやインドを味方につける動きは、いったん頓挫したかっこうになった。
そうなれば、熟した柿が落ちるように、日本は中国の属国となってしまう可能性が高くなる。
”東アジア共同体”が、それをうまくカモフラージュすることになるかもしれない。
このようにトルコと日本が置かれている国際環境は全く違う。
また、トルコと日本が持つ対米カードも違う。
特にトルコが持つ地政学カードは、強力かつ誰の目にもわかりやすい。
イラク問題は、アメリカの国益上、優先度が上から一・二番目にくる問題であるが、そのイラク問題において、トルコは重要なプレーヤーである。
トルコが、国内のクルド人反政府ゲリラ掃討作戦を、国境を超えてイラク領内まで拡大させると、イラク情勢が複雑化し、それが治安を悪化させれば、イラク問題を早く片付けたいアメリカは、さらに泥沼にハマっていくことになる。
イラクで作戦を行うアメリカ軍にとって、トルコ基地の存在も重要だ。
トルコには、アゼルバイジャンからグルジアを経由した原油パイプラインが通っているが、このパイプラインは、ロシアとその勢力圏を通過せず、アゼルバイジャン原油を地中海へと運び出せるので、その重要性はアメリカにとってケタ違いである。
アメリカにとって、コーカサスの最重要戦略拠点は、トルコ系の産油国・アゼルバイジャンであり、単に石油が欲しいというだけでなく、もしイランの核開発に対し”外科手術”が行われるとすれば、アゼルバイジャンの基地は、最重要出撃拠点のひとつとなるだろう。
イラン北部には多数のアゼリ人が居住し、ペルシャ人から差別を受けてきた歴史があることも見逃せない。
しかし、トルコを失ってしまえば、アメリカの最重要戦略拠点であるアゼルバイジャンは孤立する。
トルコは、アメリカに強く出られるカードを何枚も持っていると言える。
日本の場合だが、もしアメリカが日本という同盟国を失えば、東アジアの権益はほとんど中国の手に落ちると思うし、アメリカ国債を買っている二大国家である日中が、中国共産党のコントロール下に置かれることは、アメリカの国益に重大な影響を与えると思うのだが、その危険性に気づいているアメリカ人は少ないようだ。
中間選挙での勝利以後、勢力を強めてきた民主党には、ヒラリー・クリントン大統領候補も含め、どういうわけか親中派が多く、それは日本無視か日本蔑視と同じコインの裏表となっている。
中国は「太平洋を東西で分割し、西半分を中国によこせ」とアメリカに要求したようだが、制服組は別としても、ホワイトハウスの主や議会多数派が民主党となれば、それが荒唐無稽な話とも言えなくなってくる。
日本の持っているカードは、石油や戦争といった誰の目にも分かりやすいものではなく、トルコが持っているカードに比べると、やや弱い。
だから「トルコの真似をして日本も」と安直に考えるのは、危険だと思う。
こういうことを言うと、100%か0%か、快感か不快かというゼロサム論に陥りがちな攘夷派は腹を立てるのかもしれないが、自分の気に食わないことを片っ端から「攘夷!攘夷!」でやっつけていくと、すべてを失うことになるだろう。
アメリカは決して単一の勢力による陰謀で動いてるわけではない。
北朝鮮へのテロ支援国家指定を安易に解除するなとブッシュ大統領に強く言ってくれた、シーファー駐日大使のような方もおられる。
(シーファー大使には、この場を借りて深く感謝したい)
参考記事
もちろん、慰安婦問題で何もするなと言っているわけではない。
日本がどうすべきかは、既に述べた通りだ。
関連記事・特アの反日プロパガンダに対抗するには...
関連記事・特アの反日プロパガンダに対抗するには... (最終回)
慰安婦決議やアルメニア虐殺決議を通過させて、アメリカにとって重要な同盟国を怒らせて国益を失うような愚かなことを平気でやるのだから、民主党の外交オンチも相変わらずである。
ライス国務長官も、民主党・元大統領のカーター・クリントン両氏にアドバイスを受けているようじゃあね...
北京五輪が無事終わり、次期アメリカ大統領に外交オンチの民主党候補がなるようだと、世界はめちゃめちゃになるのではないかと危惧する。
「民主党はブッシュと違い、平和的」と思ったら大間違いである。
国連決議なしでユーゴスラビアに空爆を行ったのは誰か?
”世界の警察官”を自称してソマリア内戦にアメリカ軍を介入させたのは誰か?
ついこの間のことなのにお忘れだろうか? いずれもクリントン民主党政権である。
”ブラックホークダウン”で有名になったソマリア内戦介入で、世界の警察官をきどったクリントン大統領は、武装ゲリラの予想外の反撃に真っ青になり、あわてて撤退命令を出した。
軽歩兵中心のアメリカ軍は、パキスタン軍戦車部隊の援護射撃を受けて、命からがらソマリアから撤退したのだった。
東アジアにおいても、ホワイトハウスと議会が中国以外に関心を失った結果、軍部が暴発して中国が台湾を侵略したり、南北朝鮮が中国の勢力圏に飲み込まれる、といった、しっちゃかめっちゃかの事態も想定しなければいけないのかもしれない。
それに備えて、日本をハリネズミのように武装させ、エネルギーの補給ルートをしっかりと確保して、対ショック防御姿勢を構築しておきたかった。
そのためには、教育やマスコミから左翼イデオロギーを排除し、本当の意味で不偏不党の状態にすることや、官邸主導で、急ピッチに外交・安保政策をすすめていく必要があったのだが、
「安倍が戦争をおっぱじめる」というデンパを飛ばす、アカい公務員・マスコミに加え、保守の攘夷派までが安倍政権を叩き潰してしまった。
さて、どうしたものやら...。
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攘夷派VS開国派
- 2007/10/27(土) 01:24:07
私は、日本の文化が好きだし、当然誇りを持っている。
だが、世界情勢にアンテナをはり、外国の良いところを日本に取り入れることが恥ずかしいことだとは思わない。
しかし、間違った方向へ愛国心を発揮し、敵性用語がどうの言いながら、ブラジャーを”乳バンド”と言いかえるような人がいるのも事実である。
さて、日本の歴史、特に近・現代史を振り返ってみると、自分達がこもっているタコツボの内側でしか通用しないようなデンパに近い感情論・観念論で、日本を動かそうとする人たち(とりあえず攘夷派と呼んでおく)と、
ある程度日本の外側で起こっていることが理解できていて、外の情報もとりいれながら現実的な方策によって日本を動かそうとする人たち(こっちは開国派と呼んでおく)との争いという一面が見えてくる。
19世紀、欧米帝国主義列強によるアジア侵略の波が日本にも押し寄せた。
江戸時代の日本は長らく鎖国を国是としてきたが、薩英戦争や下関戦争の敗戦によって、軍事力で欧米列強を追い払い鎖国を維持する、いわゆる”攘夷”がとうてい不可能なことがわかると、薩摩や長州・土佐などを中心に開国派が増え、彼らの影響力が強くなっていた。
それが明治維新につながり、開国して欧米文明を積極的に取り入れることで経済力をつけ、外国の侵略から国を守れるだけの軍事力を養おうとする、富国強兵策となって実現した。
開国派による富国強兵策の正しさは、日本よりも国家予算や兵力・戦艦の数で上回るロシアとの戦い、つまり日露戦争における”勝利”によって証明された。
第一ラウンドは開国派の勝利と言えよう。
だが、日露戦争の9年後に起こった、第一次世界大戦が日本に次の課題をつきつけた。
第一次世界大戦は、それまでの戦争とは一変し、軍事力・経済力・科学技術力など国家のあらゆる資源をつぎこむ、総力戦・科学戦となった。
近代化に成功したとはいえ、列強の中では経済的に貧しく科学技術力のすそ野も狭い日本は、第一次大戦のような総力戦にとても対応できる状態とはいえなかった。
日本の軍部でも当然危機意識が生まれてくる。
そこで出てきた考えが、軍でリストラを行い、人員を削減して浮いた予算で性能の高い兵器を装備して、量から質への転換をはかり、日本の持つ軍事力・経済力・外交力・資源を総力戦のために戦略的に集中できる体制をつくろうというものであった。
観戦武官として史上初の総力戦である第一次世界大戦をつぶさに見てきた永田鉄山を陸軍省動員課長に据えた宇垣一成陸軍大臣は、陸軍の4個師団・約9万人の兵力削減を断行した。
このリストラ(宇垣軍縮)は当然の事ながら、師団が消滅した分だけ軍人官僚の昇進ポストの削減を意味した。
これを快く思わない一派、いわゆる皇道派は、日露戦争期の軍を理想化し、早くその状態に復帰させることを望んだ。
そして、宇垣陸相ら”軍閥”など”君側の奸”を討ち、天皇親政を実現すべし、そのためには勝算を度外視してもクーデタやテロのような猪突猛進策をいとわず、やった後どうするか具対策もはっきりしないという、極めて感情的・観念論的な考えに取りつかれていた。
そもそも彼らに世界全体を見渡して、日本の国家戦略を策定するといったようなことは期待すべくもなかったように思う。
荒木貞夫・真崎甚三郎らが皇道派の代表と言えるが、彼らに対して永田鉄山や東条英機らを統制派といった。だが、統制派は一つの派閥というよりは、「皇道派以外」と言えるのかもしれない。
この統制派(開国派)と皇道派(攘夷派)の争いは、実質的に後者の勝利に終わったように思える。
永田鉄山中将は、省内の自室に踏み込んできた皇道派の相沢三郎中佐に、軍刀で斬りつけられて殺されてしまった。
このテロで、統制派は回復不可能なダメージを負った。
2.26事件で皇道派は失脚するが、永田中将の後を継ぐ人間が日本には残っていなかった。残念ながら東条英機首相には、永田ほどの戦略構想力がなかったように思う。
その意味で、第二ラウンドは皇道派の辛勝だったと言えるのではないか。
結局、日本が来るべき総力戦にどう対処するかという問題の解決は、永田がテロに倒れたことによって、中途半端になってしまった。
いかに総力戦への備えをするか、あるいは総力戦になる前に短期決戦で勝負をつけてしまうか、その問題がうやむやとなったまま、米英との総力戦にずるずると突入していき、生産力・補給能力の脆弱さから、日本は負けた。
統制派が当初抱いていた不安が現実となったと言えよう。
「能否ヲ超越シ、国運ヲ賭シテ断行スベシ」(やれるかどうかなんてぶっ飛ばせ、国の運命を賭けてやってみろ)という皇道派にありがちな精神論・観念論は、アメリカの総力戦・物量戦の前に敗れ去り、日本は現実から重い罰を受けた。
第二ラウンドでの攘夷派の勝利は、日本を敗北へと導いてしまった。
戦後の日本は、アメリカによって自由主義陣営に組み込まれ、軍事や外交・諜報のような手の汚れる仕事はアメリカにやってもらい、日本は経済発展にだけ専念することになった。
「日本の外交は、対米・対韓・対中外交しかない」と言われるぐらいで、米・韓・中あるいはソ連からやってくる刺激に対して右往左往することが、日本外交のすべてだった。
だが、1980年代後半から90年代前半にかけて、日本が経済発展に専念した副産物としての政・官・財の癒着と数々の汚職事件、偏狭な民族主義にかられた中国や韓国の要求を受け入れて、ひたすら右往左往した結果としての外交の失態(教科書問題・慰安婦問題)など、戦後日本の矛盾が誰の目にも明らかとなる。
それが「失われた十年」だった。(実際、十年じゃ済まないかもしれない)
戦後から50年近くたって、日本は新しい経済・社会システムを構築し、自分の頭で考えた外交を行い、手を汚してでも自分で情報を集め自分で国を守る必要が出てきた。
それを行おうとした開国派が、小泉政権であり安倍政権だったのではないだろうか。
しかし、攘夷派が強烈な反撃に出て、安倍政権は倒れた。
その攘夷派とは、国益より、自省の予算拡大と増税による大きな政府を優先させる官僚、公務員の組織票に支援された左翼政党、新規参入が困難で再販制度に守られた勝ち組の既得権益集団・マスコミ、ユダヤ陰謀論を固く信じる反米保守などがあげられる。
彼らは、国際情勢をしっかり把握したうえで日本の国家戦略を考えていたとはとうてい思えないし、自分がこもっているタコツボ内でしか通用しない感情論・観念論でしか動いてないと思う。
攘夷派は左右に関係無く、「小泉・安倍が戦争をおっぱじめる、ユダヤ・アメリカに日本を売り渡す」などと、感情論というかハッキリ言えばデンパを飛ばしていたことも共通している。
官からのスキャンダル情報リークとそれを取り上げるマスコミの共闘クーデタが、安倍政権崩壊の原因だとすれば、平成の官僚は皇道派の軍人官僚たちと同じ失敗を繰り返したと後世の歴史家は記すのではないか。
第二ラウンドの攘夷派の勝利は、日本を亡国に追い込んだ。
第三ラウンドは、第二ラウンドに続いて攘夷派の勝利に終わってしまうのだろうか。 
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関連記事・アカと黒
関連記事・第四の権力のおそろしい腐敗
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関連記事・アメリカ国債を買えば売国奴?(その2)
さあ謝罪しろノムヒョン
- 2007/10/25(木) 00:26:16
1973年に起きた、韓国の政治家・金大中氏が東京から何者かによって拉致された事件、いわゆる”金大中事件”の真相究明を行ってきた韓国国家情報院の”過去史事件真相究明委員会”は24日、「金大中事件は国家情報院の前身である中央情報部(KCIA)の組織的犯行」と結論付けた報告書を発表した。
報告書は、金大中氏の拉致監禁が、KCIAの李厚洛・部長の指示で組織をあげて実行されたものと断定した。
当時の韓国の独裁者・朴正煕大統領の関与については、「指示の可能性と黙認があったとみられる」と述べられている。
拉致の最終目的が、金大中氏の殺害にあったかどうかは、断定を避けた。
参考記事
町村官房長官と木村外務副大臣は、韓国が工作員を使って日本にいた人間を拉致するという、卑劣な主権侵害行為・侵略行為に手を染めた事に対して遺憾の意を表明し韓国政府の謝罪を求めたが、韓国の柳明桓・駐日大使は謝罪から逃げた。
参考記事
1973年の金大中氏拉致事件は、日本の領土で外国の工作員が堂々と1人の人間を監禁し、その後国外へと拉致するという、現代史上まれに見る卑劣な人権侵害であり、国際法を無視した、絶対に許すことのできない日本の国家主権に対する侵略行為である。
さまざまな証拠から、この事件の犯人が韓国のスパイ組織・KCIA(現・国家情報院)であることは間違い無いと見られていたが、とうとう現在の韓国のスパイ組織である国家情報院におかれた”過去史事件真相究明委員会”が、韓国政府が罪を犯したと認めたわけだ。
しかもKCIAが、組織的に事件の隠蔽工作をしていたこともあばかれた。
町村官房長官と木村外務副大臣が、韓国政府の謝罪を求めたのは主権国家・法治国家として当然だ。断固支持する。
日本は、韓国政府に絶対に
公式謝罪をさせなければならない。
韓国側はこれまでさんざん「遺憾は謝罪の言葉では無い」と日本へ言ってきた。
ならば、韓国側も国際法に違反して日本の主権を踏みにじった行為を反省し、遺憾より踏み込んだ表現で、率直に日本に対し謝罪するべきである。
また、拉致に関与した工作員の日本引渡しを韓国側に要求し、日本で容疑者を裁判にかける必要がある。
警視庁の捜査はまだ継続しており、犯行に関わったと見られる在日韓国大使館の金東雲1等書記官が韓国に逃亡していらい時効が停止している。
日本の法で犯罪者を適正に裁かなければならない。
さらに、拉致され船で韓国へ連行される金大中氏を救うため、日本は航空機や船舶を派遣したとされている。
それも含めて、この事件に要した費用などは、賠償金として韓国が日本に支払わねばならない。
そして、韓国スパイ組織による悪逆非道の侵略行為を、韓国の歴史教科書に明確に記述することを要求し、韓国の子供たちに、韓国が二度と過ちを犯さぬよう良く学ばせ、しっかりと反省させるべきである。
金大中事件の完全解決を、日本がうやむやにしてしまえば、日本の国益に計り知れない損害を与えるだけでなく、国際法を尊重する法治国家であるはずの日本が、土台から崩壊することになる。
韓国のスパイ組織による日本国内からの金大中氏拉致は、北朝鮮スパイによる日本人拉致・殺害とも密接にリンクしている。
日本の国内法そして国際法が踏みにじられ、外国のスパイ組織によって日本から人間が連れ去られるという侵略行為が堂々と行われたというのに、日本が国家として何もしないというならば、こんな国家のためにどうして国民が「納税の義務を果たそう」「国のために協力しよう」「日本の法を守ろう」などと考えるだろうか。
国民がそう考えるようになれば、法治国家・日本は崩壊する。
この後に及んで韓国政府の一部には、「(KCIAの犯行を認めた報告書は)政府の公式見解ではない」などといった、過去史を歪曲した妄言を吐く人間もいるし、そもそもあの報告書の中でも、「事件の究明がはかどらなかったのは日本のせい」という、たわけた日本への責任転嫁が行われている。
ノムヒョン政権は、日本への侵略行為を認め、潔く韓国国家として公式に
日本へ謝罪すべきである。
謝罪して謝罪して謝罪しぬき、賠償金を払って払って払いぬいて、過去をしっかりと清算すべきである。
韓国政府による公式謝罪・容疑者引渡し・賠償金支払い・韓国歴史教科書への記載など、日本への卑劣な主権侵害行為・悪辣な侵略行為を清算するための行動を起こさないならば、韓国からの外交団引き上げや、首脳・外相・政府高官会談の停止など、日本は断固とした制裁措置をとらないければならない。
福田政権に国民を守る気があるのかどうか、法治国家として原理原則があるのかどうかが今問われている。
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関連記事・◆やはり金大中事件の犯人は韓国政府情報機関KCIAだった
関連記事・韓国を甘やかす懲りない人たち
謝罪バカが日本を滅ぼす
- 2007/10/22(月) 23:42:03
福岡県沖の海底で見つかった日本軍の遺棄化学兵器処理事業に関し、平成15年に当時の防衛庁が採用しようとしていた化学兵器処理方法に、当時の矢野哲朗・外務副大臣が強硬に反対をとなえたため、トラブルが起きていたという。
参考記事
矢野外務副大臣は、たびたび防衛庁に電話し、「中国での遺棄化学兵器処理に採用することが決まった処理方法を防衛庁が採用しないのはおかしい」と反対していたという。
ここで重大な問題になってくるのが、化学兵器の処理方法の違いによって、コストも変わってくるという点だ。
外務省の主導で、内閣府に中国の”遺棄化学兵器”処理事業の担当室が置かれ、外務省の外郭財団である”日本国際問題研究所”もそれに大きく関わっている。
そこでは外務省主導で中国の”遺棄化学兵器”処理技術の調査研究に170億円の巨費が投じられた。
一方、国内の遺棄化学兵器の処理のため、外務省が決定したのとは別の技術を調査研究した防衛庁が要した経費は5000万円。
これが世間一般に知られればスキャンダルであろう。
矢野外務副大臣は、外務省が決定したのよりも安くあがる化学兵器処理技術の存在が世間に知られるのを恐れ、防衛庁も中国での処理事業に採用されたコストがかかる方法に決めるよう圧力をかけるために、防衛庁に電話をかけたのだろうか?
でなければ、国内の問題に外務副大臣がしつこく電話をかける理由がわからない。
ここにきて、旧日本軍の遺棄化学兵器処理事業から、続々とスキャンダルが発覚している。
中国での遺棄化学兵器処理事業に関わっている、大手建設コンサルタント会社”パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル”(PCI)とそのグループ企業”遺棄化学兵器処理機構”に、不正経理の疑いで東京地検特捜部の捜査が入った。
PCIのグループ企業は、億円単位の使途不明金の存在が指摘されている。
PCIは過去のODA事業でも、水増し請求などの不正経理の前科持ちである。
参考記事
参考記事
以前にも述べたことだが、そもそも中国の遺棄化学兵器の処理は、日本に責任があるとはとうてい思えない。
太平洋戦争終戦時、中国大陸で戦っていた日本軍のほとんどは、ソビエト軍もしくは中国の国民党軍・共産党軍に降伏し、武装解除されたわけだ。
日本軍の持っていた武器は、その時ソビエト軍や中国軍に引き渡されたのであり、その中に化学兵器があって、それを日本へ持って帰ってほしかったのであれば、その時にソビエト軍なり中国軍なりが命令すれば良かったのではないか。
しかし、それを自分で引き取った以上、その後の処理責任は、中国やソビエト(ロシア)にあるはずである。
近年、研究者の熱心な努力によって、日本軍から相手側へ兵器を引き渡した記録が見つかりはじめている。
であるならば、中国軍やソビエト軍は、納得して日本軍の兵器を引き取ったのである。
特に中国側は、国民党と共産党が中国統一を目的とした内戦に勝利するため、まっさきに日本軍の兵器を押さえたかったという事実がある。
さらに言えば、蒋介石も毛沢東も、日中国交正常化のさいに、賠償請求を放棄することを自発的に約束したのである。
日中間で交わされた、三つの政治文書にもそう書いてあるはずだ。
にもかかわらず、なぜ日本が総額一兆円以上とも言われる、処理費用を負担せねばならないのだろうか。
「ODA(政府開発援助)は、外務省が海外でやる”公共事業”」とは良く言われることだが、賠償ビジネスもこれに含まれると言えるのではないか。
旧建設省や農林水産省は、国内でムダな公共事業をさんざんやってきたが、国外問題担当の外務省はそれができない。
そして、日本が謝罪も賠償する必要も無いにもかかわらず、どういわけか派手に土下座してみせる謝罪バカが現れ、財政出動の理由をムリヤリこしらえる。
次に賠償やODAという形で、巨額の税金が投入され海外で”公共事業”が行われる。
後は国内で行われる公共事業と同じ。
中国・韓国・北朝鮮の特定アジア諸国が働きもせず、どんどん水増ししてタダで日本から手に入れた巨額のカネで行われる公共事業に怪しげな日本企業が群がり、そのおこぼれを頂戴する。
日本政府内部にも、そのキックバックが得られる連中がいるのだろう。
日本軍が中国側に兵器を引き渡した記録が見つかり、それを国会で取り上げた自民党の戸井田徹議員の事務所に外務省の中国課長がすっ飛んでくるとは、いったいどういうことか。
かくして、特定アジアと日本国内の売国トライアングル(政・官・財)が、何の責任も問われず楽々カネをせしめ、汗水垂らして働いて税金を納める日本の市民が、搾取され食い物にされる。
国の内外で行われた公共事業は、日本経済の復活に大して役に立たなかったばかりか、国の借金をかつてないほどに膨張させてしまった。
責任は、日本の民主政治システムの欠陥をついて、行政に介入を続けた官にもあるのは明白だが、その責任はウヤムヤにしたまま、消費税率アップのような国民への負担押し付けで、解決をはかろうとしている。
しかも、消費税が公平な税負担を実現するというのはウソである。
逆累進性の高い消費税は、官僚のような”勝ち組”にやさしく、庶民には厳しい。
つくづく日本国民は、霞ヶ関と特定アジアの牡牛(めうし)だと思う。 しぼられるだけしぼられて、何も反撃できない。
いや、これ以上、村山富市・元首相や河野洋平氏や外務省の一部に存在する謝罪バカが土下座を続けて、特定アジアにウン兆円の賠償を続けたら、日本が本当に破産しかねない。
たとえキックバックのはした金を手に入れても、日本が国家破産してしまえば、謝罪バカ達もたいへんな損害をこうむるということがわからないのだろうか。
「ボクちゃんだけは、愚かな日本人とは違うもんね。 愚かな日本の過去の犯罪を代わりに謝罪してあげる、おりこうさんだもんね。」
謝罪バカが日本を滅ぼす。
福田政権は、事業の前提条件がきわめて怪しくなり、スキャンダルの可能性が取り沙汰されている、中国の”遺棄兵器”処理事業をいったん中断し、再検討すべきである。
サハリンの韓国系ロシア人帰還問題しかり、在日韓国・朝鮮人被爆者問題もしかりである。
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関連記事・特集 サハリン残留韓国人問題への疑問(その1)
関連記事・特集 サハリン残留韓国人問題への疑問(その2)
関連記事・格差社会と税制改革(その2)
テーマ:
- 政治・経済・時事問題 -
ジャンル:
- 政治・経済
KなんてYめなくていい。(最終回)
- 2007/10/19(金) 23:04:49
前回のつづき
こういうことを言うと怒られそうだが、私は「日本というのはお金持ちだが、世界の田舎者」だと思っている。
そして田舎者であることを自覚して行動することが大切なのではないか。
「じゃあ、中国や韓国は田舎者じゃないのか?」と言われそうだが、彼らも田舎者である。
ただ、数千年にわたって異民族を支配したり、支配されたりしてきたことが、日本と決定的に違う。(韓国の場合は、「支配されたり、支配されたり」だが)
幸か不幸かそのおかげで、中国にしろ韓国にしろアラブにしろ、異民族との付き合い方では、日本より経験を積んでいる分、有利なのである。
これは日本の空気を読む文化が、彼らの文化に劣っているとか負けたとかそういうこととは関係無い。
南京や慰安婦問題を見てもわかるとおり、たとえキチ○イじみていても強く自己主張する方と、場の空気と和を尊重して自己主張を控える方、どちらが国際社会で支持を得られるかと言えば、たいてい自己主張した方である。
最近、日本と中国に共通する巨額の対米貿易黒字とそれに対するアメリカの対応を比較して、「アメリカは中国と手を組み、中国を保護しているが、日本は徹底的に叩いてきた」という感情論がみられるようになった。
実はこの問題にも、日中の対米外交における自己主張の上手・下手がからんでいる。
日米貿易摩擦が激しかったころ、佐藤栄作首相は「腹芸で行きましょう」といって日米首脳会談にのぞんだ。
直接的な言葉のやり取りによらず、あうんの呼吸で相手の空気を読みましょう、以心伝心で行きましょうということだろう。
だが、アメリカ側には相手が話した言葉以上の意味をあれこれ深く推理して、空気を読むという文化が希薄だ。
日米貿易摩擦を解消するための交渉で、日本の政治家や官僚・外交官は「前向きに検討します」とか「善処します」といった官僚言葉を使った。
空気が読める日本人同士なら、この言葉がただのお愛想で、実際は何もしない可能性が高いことが理解できる。
しかし、言外の意味を深く読もうとするのではなく、言語を文字通り受け止める文化、空気を読まない文化のアメリカ側はそうはとらなかった。
「善処する=日本が対米貿易黒字の解消を約束した」と受け止めたのである。
だが、日本は何もしない。善処=単なるお愛想だから。
アメリカ側はそれを見て、「日本がだましやがった。あいつらは何を考えているかわからない」と激怒し、日本への不信感から「人をだますようなアンフェアな日本は、激しく叩かれてもしょうがないだろう」と感情的になっていく。
こうして不幸にも日米貿易摩擦がどんどん深刻化し、こじれていった。
参考
異民族との交流の経験が豊富な中国は、へんな誤解を招くような、あいまいな事をアメリカに言うようなことはしない。
出来ないことは出来ないときっぱり自己主張する反面、アメリカの要求を飲んで、ほんの少しずつ人民元を切り上げたり、国家主席がアメリカを訪問するときは、シアトルのボーイングフィールドを訪れて、アメリカ製旅客機をど〜んと50機ド派手に発注して、アメリカのご機嫌をとったりしてガス抜きをすることができる。
アメリカの対応が日本と中国で違うのは、アメリカの陰謀とか中国のやっていることが正しいとかいうことではなく、異文化交流のスキルにおいて中国の方が上で、日本が下ということが大きいと思う。
異文化交流の下手さ加減で言えば、日本のエリートのはずの官僚も政治家も国民レベルと大差ないのではないか。
こういうことは外国語が堪能かどうかというスキルとはあまり関係ない。
「語学能力をとるか、異文化交流能力をとるか、どちらか一つ」と言われれば、私だったら後者を選ぶ。
日本の外務次官が北朝鮮代表と会って、相手の空気を読んだ結果、「拉致問題の解決はあきらめました。日本はウン兆円を北朝鮮に払って国交正常化します」と完璧な朝鮮語で売国するぐらいなら、
しっかりと自己主張できる外交官が、「拉致問題はお前たちに必ず償わせる。正日総書記の代で解決しないなら、後を継いだ息子を裁判にかけてでも解決してやる」といったことを、朝鮮語通訳を介して北朝鮮側にキッパリ言う方が100倍マシである。
よく小学校から英語教育を導入しろという意見があるが、まったく手付かずになっている、空気をあまり読まない国際社会で生きていくスキルの方を教えてやってほしい。
それには、日本の文化や歴史、それによって培われた哲学を教えてやらなければならないし、自分とは違う文化の人たちに理解してもらえるように、論理的に考え、それを臆することなく表現する力もつけてやらなければならない。
これがあってこそ、外国語教育が生きてくるのではないか。
(日本の文化や歴史をちゃんと教えようとすると、爬虫類脳でしか行動できない連中が「皇民化教育・軍国教育の復活だ」などと言い出すわけだが)
私は、ちゃんと教えれば日本人にも、空気をあまり読むことをしない国際社会で生きていくスキルは身につくと思う。
そして、論理的に考え、それを積極的に自己主張する能力を身につければ、日本はまだ計り知れないポテンシャルを持った国だと思う。
世界に出て勝負している日本人は、表現能力や論理的思考力の重要性、そのバックボーンとなる自分なりの哲学や価値観の構築の重要性が痛いほどわかるのではないかと思う。
世界に出て勝負している人ほど、「自分とは何か、日本人とは何か、日本文化とは何か」を知ることの必要性を痛感して、内面に自分なりの哲学を構築するようになるのではないか。
以前、サッカー選手の中田英寿氏へのインタビューが物議をかもしたことがあった。
正確なやりとりは忘れたが、まず日本人インタビュアーが、「前半は、良い試合ができていたと思います」みたいなことを言って、当時の中田選手が「はい。で?」みたいな返答をして、インタビュアーが、かわいそうなくらいパニック状態になってしまって、中田英寿氏の対応について賛否両論がまき起こった。
日本人インタビュアーが中田選手に読んでほしかった空気としては、「前半は良い試合だったので、その戦評を述べてください」ということだったのだろうが、イタリアやイングランドといった海外でのプレー生活が長く、自分とはまったく違う文化を持つ人たちと、イタリア語や英語で、言葉をその文字通りにコミュニケーションすることに慣れた中田選手は、日本の、相手の空気を読んで言外の意味をあれこれ推理するという文化に、違和感を感じるようになっていたのだと思う。
さまざまな文化的背景を持つ人たちにもまれて世界で競争していると、自然とそうなってしまうのかもしれない。
(正確なインタビュー内容がありました)
世の中にはゼロサムでしかモノを考えられず、他人もそうだろうと決めつける人がいて、私は非常に苦手なのだが、私は、空気を読む日本文化が100%ダメだと言っているわけではない。
もちろん、外国人だって相手を思いやる気持ちはある。相手の心情を推理もする。国際社会の常識だってある。
それは程度問題である。
ゼロサムでモノを言っているのではなくて、日本国内で、日本人同士では、空気を読む文化も良いだろうが、世界で、自分たちと異なる文化を持つ人たちと交流するときに限っては、空気なんて読めなくていい。
むしろ「相手がどう思うかな、場の空気を乱さないかな」なんてあれこれ気をもんで、自己主張を控えてしまうのではなく、言葉ではっきりと自分の考えを主張することが大事だと言いたいのである。
国際社会では、自己主張しなければ何も勝ち取れないと思うし、日本人がただ黙っていれば「こちらの意見に同意した」「日本人は、自分の意見を持たない能力の低い人たち」「何を考えているのかわからず不気味」と誤解されかねない。
国際化がすすんで、もはや日本の地方都市でも外国人が珍しくなくなった。
自己主張が強い中国やインド、ロシアが台頭し、日本が国際社会での厳しいサバイバルに直面している、そんなご時世なのに、今さら”KY”なんて言葉が流行語大賞候補とは、ほんとうにガックリくる。
”主張する外交”を掲げた安倍政権が倒れてから、日本文化の悪い面を濃縮したムラ社会へと復古しつつあるというか、国際化に逆行し、日本だけ脳内お花畑に引きこもることを理想化するような、きわめて日本らしい左翼文化の復活という意味で、日本社会が保守化しているように感じられる。
朝日新聞などは、おおはしゃぎで「KY・空気読め」なんて言っていたように思うが、クオリティ・ペーパーと言うよりは、「自分は世界の地方紙」つまり世界のド田舎新聞だと宣言しているようなものではなかろうか。
やだねえ、やだやだ。
<了>
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読者の皆さんは、普段このブログを読んでいて、日本語がクドく冗長で何か違和感を感じたことはないだろうか?
日本語は、主語を省略したり、あれ・それといった言葉を使ったりと、受け手の類推力・「空気を読む」能力が要求される言語ではないかと思う。
実は意識的に、そうしたことを避け、繰り返しになってもなるべく主語を明示し、あいまいな言葉、思わせぶりな言葉を使わないようにしてきた。
その理由は、記事の内容を正確に伝えたいということが一点と、読者さんが知らず知らずのうちに、空気を読まないコミュニケーション、文字をそのまま受け止めるコミュニケーションに慣れることができるようにという意図があったからである。
そして管理人の文章力のなさも...(苦笑)
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KなんてYめなくていい。(その2)
- 2007/10/18(木) 23:02:44
前回のつづき
だが、文化・言語・宗教が違う人が集まる国際社会では、「空気を読め」と言われても、そんなことはまず不可能である。
場の空気とはその社会の常識と言いかえられるのではないかと思うのだが、簡単な話、アラブ社会の空気とユダヤ社会の空気が違うのは、当たり前のことで、アラブとユダヤに単一の空気なんぞあって、お互いそれが読めるのであれば、悲惨な戦争やテロは起こっていないだろう。
岩のドームと嘆きの壁がある聖地エルサレムは、アラブの空気では「アラブのものであるのは自明の理」だが、ユダヤの空気では「ユダヤのものであるのが自明の理」だ。
日本と中国・韓国の空気も当然違う。
いろんな空気(=常識)が混在する国際社会では、そもそも相手の空気があまり読めないので、コミュニケーションを言語という手段に頼らざるを得ず、言語が非常に重要視されるし、自己主張がうまい民族が有利になる。
そして、相手が言ったことをそのまま受け止める方向へ文化が発達し、日本のように、言葉が表していること以上の意味を、あれこれと推理しようとする文化が逆に希薄になる。
空気を読まない文化圏では、あいまいな言い方では相手に通じない。
はっきりとした言葉で、文字通りの意味を相手に伝えようとするようになる。
さらに、こちらの言いたいことを一方的に垂れ流しても、相手が同意してくれるとは限らない。
相手を納得させるには、二つ以上の文化や言語・宗教に共通する普遍的な価値観を見つけ出して、それを言語化して相手に伝えなければ、相手は動いてくれないのである。
「私の国ではAはBだが、あなたの国でもAはBでしょ。だから私の意見に同意してくれますね?」といった具合にだ。
そこで重要になるのが、論理的思考力である。
論理的思考力を鍛えるには、自己の内面に、自分なりの哲学や価値観を構築する努力をしなければならない。
ところが、空気を読むことを重要視する文化は、先ほども言ったように、空気に逆らってでも強く自己主張するよりは、場の空気を優先させて善悪の判定をその空気に任せがちになるから、なかなか自己の内面にそうしたものを構築するようにはならない。
少なくとも日本国内では「言わなくても相手の考えがある程度読めてしまう」ので、言語をコミュニケーション手段として重要視しないし、スピーチのように、違う考え方・文化を持つ人たちにもわかるように、論理的に考え、論理的に話すという訓練を積むチャンスが少ない。
よって自己の内面に、自分なりの哲学や価値観を構築しなくても、あまり不便さを感じない。
空気さえ読めれば、自己主張しなくてもそこそこ生活できてしまう。
「言わなくてもわかる」「以心伝心」「一を聞いて十を知る」ことが尊いとされるようになる。
中には自分で考える能力がある人もいるが、そうした人たちが少数派となりがちだ。
単一の空気が形成されている日本で、それに逆らって強く自己主張するような人は、えてして「空気を読めない悪い人・協調性が無いワガママな人」とみなされがちで、「出る杭は打たれる」とばかりにみんなから叩かれ、それがいっそう場の空気を純化していく。
だから空気を読むことを重要視する文化は、異文化・異民族の人たちと話し合うことにあまり向いていない。
外国人に「お前、空気読めていないよ」と言っても、「空気って何?」と言われるのがオチだろうし、「言わなくてもわかるよね」とか「それはあれだよね」と言っても、「何言ってるかわからないんだけど」で話は終わってしまうだろう。
日本人同士ならいざ知らず、元モンゴル人の朝青竜に”横綱の品格”をいくら説いたところで、どうして土俵上でガッツポーズをしてはいけないのか、ということを、日本人の側から論理的に、相手が理解できるように話さなければ、永久にわかってもらえないだろう。
ブラジルの大会で惨敗した日本の柔道チームが、いくら国際柔道連盟の審判員の判定に抗議したところで、「投げられて勝負が決まった後に返し技を決めても無効だ」ということを、外国人にも納得できるように論理的に説明できなければ、無駄だろう。
「それは柔道じゃない、柔道の心がわかっちゃいない」と何度言ったところで、空気が違う相手には通じない。
日本人や”空気を読む文化”が、文化の違う人たちとのコミュニケーションスキルに優れているのであれば、こんな問題は起こらないはずである。
スポーツならまだ良いかもしれないが、国益のかかった場面だともっと事態は深刻になる。
日本人が北朝鮮の空気を読めば、「拉致問題はウヤムヤにしたい。ビタ一文、日本に賠償金を払わずに終わりにしたいし、謝罪なんかしたくない」となる。
日本の外交官が、自己主張よりも場の空気を読むという普段の習性を優先させれば、北朝鮮との話し合いで、拉致問題の解決を要求するのを自己規制するようになる。
実際、ほんの数年前まで、北朝鮮外交官が机を叩いて部屋から出て行ってしまうのが怖くて、日本の外交官は、拉致問題をなかなか言い出せなかった。
日本人が中国の空気を読めば、「日本の首相は靖国神社へ参拝するな」と読める。
自己主張より中国の空気を優先させる日本人は、こうして靖国へ行くのを自己規制するようになる。
そして現在の日本の首相は「相手の嫌がることはしない」なんて言っている。
慰安婦問題がここまで悪化したのも、「日本人と韓国人は顔かたちが似ているから同じ空気を持っているに違いない」という日本側の潜在意識から、日本が韓国の空気を勝手に読んで、「たとえ自分が悪くなくても、慰安婦の強制連行を認めれば韓国は日本を許してくれて、それで慰安婦問題は終わりになって未来志向の日韓関係が築けるだろう。それが日本と韓国に共通の空気だ」と想像して行動した結果であろう。
しかし、日本と韓国の空気は、決して同じではない。
「とうとう日本が強制連行を認めたぞ。これをネタに日本を土下座させ永久にカネをむしりとってやる」と大喜びして、世界中に”日本の悪事”を宣伝してまわっている。
これが本当の韓国の空気である。
安部政権は”主張する外交”をかかげたが、それに批判的な外務省関係者が「今さら何を主張するのか」なんて言っていたように記憶している。
その問いは「自分は職業外交官として無能です」と告白しているに等しいと思うのだが。
いつまでも、こんなことをしていると日本が滅ぶ。本当に。
つづく
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KなんてYめなくていい。
- 2007/10/16(火) 23:50:34
そろそろ、今年の流行語大賞は何かということが、人々の話題にのぼる季節となった。
で、今年の流行語大賞候補に”KY”というものがあるそうだ。
その意味するところは、K(空気)Y(読めない)で、社会の空気を読めない困った人を指して使われるらしい。
このブログにも、「空気読めないコメントでごめんなさい」とか「スレを汚してすいません」と言ってコメントする方がおられる。
私は、ぜんぜんそんなことは思ったことないのだが。
むしろ私個人としては、世界全体で国際化・グローバリズムが急速に進展するこのご時世になっても、KYという言葉が生まれ、場の空気を気にする風潮が色濃く残る、現代日本社会に強い違和感を感じる。
そもそも”空気が読める社会”というのは、社会の大多数のメンバーが、ほぼ同じ考え方・価値観を持っているために単一の空気を形成することが可能で、だからこそ言語というコミュニケーション手段を使わなくても、「空気を読む」ことで他人の考え方・価値観が理解できるということが大前提になっている。
”場の空気を読む文化”に代表されるような、譲り合いや相手への思いやりの精神を持って、和を持って尊しとなす日本文化が私は好きだし、良いところもいっぱいある。
相手への気遣い・思いやりについては、以前より薄れたかもしれないが、やはり日本人が世界一だと思う。
しかし、日本社会に依然として強く残っている、”空気を読む能力を重要視する文化”というのは、日本人が世界を相手に活動する場合、かえって障害になるだろう。
なぜなら、世界というのは、さまざまな文化・宗教・言語を持つ人たちの混沌とした集まりであり、場の空気を読むことの大前提である、単一の空気が形成されっこないからである。
となれば、さまざまな文化や言語を持つ人たちの集まった社会に適合した文化の方が便利であり、単一の文化・言語の成立が前提となっている、場の空気を読む文化というのが、世界交流に役に立たないのは無理もないことであろう。
こういうことを言うと、へんなところで国粋主義を発揮したり攘夷をとなえる連中が、「外国文化にかぶれやがって」と非難するのであろうが、それは日本文化が負けたとか劣っているということでなくて、世界村という”郷”に入らば郷に従え、というだけのことである。
もし現在の世界が単一の文化・言語・宗教で成り立っていれば、空気を読む文化を奨励していたかもしれない。
それでは、否応なしに国際社会のサバイバルにのぞまなくてはいけない日本にとって、空気を読む文化にどういう不都合があるか。
”空気を読む能力を重要視する社会”においては、善悪などの判断基準を、価値観や哲学として自分の内面に構築するというよりは、社会が作り出した空気(=マニュアル)、つまり他者に任せてしまいがちになる。
そして「お前は空気が読めない」と他のメンバーから非難されるのを心配して、自分の考えを主張することを自己規制するようになる。
自分の考えよりも場の空気を優先するわけである。
また、単一の空気が形成されている社会では、みんながほぼ同じことを考えているので、いちいち言わなくても、相手の言いたいこと・考えていることがわかってしまうがゆえに、言語というコミュニケーション手段が重要視されなくなり、言外の意味をいっしょうけんめい推理しようとする文化が発達してくる。
日本では、「おーい(=○×子=奥さんの名)、あれ(=新聞とってくれ)。」で、コミュニケーションできてしまったりするのが好例だが、これも奥さんが、ダンナが言ったことにはまったく表されていない、言外の意味をいっしょうけんめい推理してくれるおかげで、コミュニケーションが成立しているのである。
日本文化が濃密な高齢世代になればなるほど、日常会話を「あれ・それ」で済まそうとする傾向があるのではないだろうか。
だが、文化・言語・宗教が違う人が集まる国際社会では、「空気を読め」と言われても、そんなことはまず不可能である。
つづく
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左翼との戦いとは、爬虫類脳との戦いである
- 2007/10/12(金) 23:53:50
前回のつづき(爬虫類脳・人間脳って何?という方はこちら)
ある仮説とは何か?
ここまでつらつら考えてきて思ったのだが、左翼というのは爬虫類脳(あるいはアニマル脳)を人間脳でしつけることが苦手な人たち、いわば爬虫類脳を野放しにしている人たちなのではないだろうか。
そして究極的に言えば、左VS右(自由民主主義者という意味での右)の戦いとは、爬虫類脳VS人間脳の戦いと言えるのではないだろうか。
これを読んでいる左翼の人がいたら、胸に手を当てて良く考えてみて欲しいのだが、”ウヨク”の書いた文章を読んでいると、心の奥底から相手に対する強烈な殺意が沸いてこないだろうか?
爬虫類脳は、生物が生きていくために機能する部分で、爬虫類に特徴的な自分の縄張りを防衛しようとする意識を発生させると前回のべたが、
左翼の爬虫類脳が、自分たちと異質な考え方を持つ人間(ウヨ)を敵とみなし、自分の縄張り(日本)を防衛するために敵をすべて抹殺してしまおうとするのは、アニマルの本能に限ってみれば自然なことなのである。
腹が減ったりトイレに行くのを我慢したりすると、何ともいえない不快な感情がこみあげてくるのと同じことで、自分とは異質な他者の言動を見ると、爬虫類脳あるいはアニマル脳から不快な情動がこみあげてくる。
おいしいものを食べて満腹になったり、トイレへ行ってくれば、何ともいえず快い感情がこみあげてくる。
左翼系ブログが「”ウヨ”は生きる価値すらない、全員死ね」と主張したり、
左翼系ブログ・掲示板に、異質な意見が書き込まれると左翼が瞬時に削除しようとするのは、彼らの爬虫類脳が大きく関与しているものと思われる。
その瞬間、左翼は何ともいえず快い感情をかみしめていることだろう。
また、左翼の典型的な主張として、以下のようなものをしばしばみかける。
「戦争が愚かなことであるのはわかりきっているのに、なぜ無くそうとしないのか。 みんな良く話し合って、お互い理解を深めれば、戦争は簡単に無くすことができるじゃないか」
もし、この典型的左翼平和論が正しいとすれば、左翼自身が野放しにしている爬虫類脳こそ、まさに戦争の原因である。
左翼が、自分たちと考えかたの違う他者へ抱く強烈な殺意こそ、戦争が起こる最大原因のひとつであろうし、左翼ほど、意見の違う人たちとの話し合いを拒否し、相手を理解しようとしない人たちもいない。
戦争を無くしたいのであれば、左翼のように爬虫類脳を野放しにしている人間を教育によって人畜無害なレベルまで減らせば良いのではないだろうか。
関連記事・話し合わない左翼
なぜ左翼が考えの違う人たちと話し合おうとしないのかについても、彼らの爬虫類脳が大きく関係していると思われる。
腹をすかせたヘビが、カエルを見つけるとすぐさま飛びかかったり、危険を感じたトカゲが自分のしっぽを切り離したりするように、爬虫類脳は、自分の生存のために原始的な学習や記憶に基づいた、きわめてパターン化された行動を起こさせる。
爬虫類脳によるパターン化された行動は、柔軟性に乏しい非常にステレオタイプのものである。
左翼の行動もまた、非常にパターン化されたステレオタイプのものであり、柔軟性に乏しい。
左翼ジャーナリストとして有名なT・S氏は、「真実を見極めるときに重要なのは、ジャーナリストとしてのカン」といったようなことをしばしば言っているが、論理的に積み上げてくるのではなくて、「あ、こうじゃないか!」と瞬間的にひらめくのだそうだ。
これなどは典型的な爬虫類脳的行動パターンであろう。
つまり、それぞれのことがらについて常に疑問を投げかけ、自分の頭(もちろん知性や論理をつかさどる人間脳)を使って考えてみて、論理的に真偽を判定するのではなくて、カンという極めてあやふやな基準で、自動的にレッテルを貼りつけて真偽を決定していくということだからである。
マニュアル至上主義に陥りがちな日本型お受験秀才の欠点とも通じるものがあるが、いちいち頭で考えずに済むぶん、楽なのかもしれないが、そのカンとやらがいつも正しいと誰が決めたのであろうか?
カンが間違っていたり、カンに入力された情報が古くなって役に立たないときどうするか、という疑いがそもそも存在しないところに、とんでもない危うさを抱えている。
その”カン”とか”ひらめき”とやらは、爬虫類脳のことを言っているのではないだろうか?
このようにパターン化された、柔軟性に乏しい非常にステレオタイプの行動というのは、左翼の人たちに広く見られる。
例えば、自衛隊の存在を認めたり、憲法を改正すべきと言っただけで、「軍国主義者」というレッテルを貼り付ける。
中国や韓国・北朝鮮の問題を批判すると、「アジア侵略をたくらむ人種差別主義者」
今言ったような”ウヨ的言動”をしただけで、「バカで低学歴で生きている価値が無い」
こうして左翼の人たちは、”ウヨ”のように自分たちとは異質の考え方を持つ人たちに、自動的に悪者のレッテルを貼り付けて、「ウヨは悪に決まっているのだから、その主張はすべてナンセンス! よって相手の話を聞く必要も無いし、それが正しいかどうかもいちいち考える必要が無いんだ」と脳内処理してしまう。
しかし、「ナンセンス!」の論理的根拠は示されない。
左翼が、自分たちと考えの違う人たちとなかなか話し合おうとしないのはこれが原因であろう。
左翼が他者と話し合ったら話し合ったで、これまた問題で、左翼が論破されてしまった場合でも、
「ウヨは悪に決まっているのだから、正義の自分が間違いを認める必要は無い」(投射)
「私は高学歴・高偏差値なのだから、自分が間違っているはずがない」
(同一化)
あるいは自分の妄想世界に逃げ込んで「主権と軍隊を放棄して日本人全体が世界市民になれば、戦争は無くなるんだ」と言ってみたり(退行)、
コメントの削除やネット言論の規制によって、自分と違う考えを持つ人を力ずくで黙らせようとする(攻撃機制)。
攻撃機制がエスカレートすると、左翼が”革命”とか”プロレタリアート独裁”と称して、暴力で自分たちと考えの違う人たちを抹殺して自分たちの国をクレンジング(浄化)し、朝鮮戦争やハンガリー動乱のように、戦争によって「外国へ革命を輸出したり」「防衛したり」することを正当化することになる。
かく言う私にも爬虫類脳があり、間違っていると思われる意見を目にしたりすると違和感を感じて、何とかしたいという情動が起こることはある。
だが、私の人間脳が爬虫類脳にブレーキをかけて、自分と考えが違う人たちを抹殺したり相手の口を力ずくでふさぐことで、それを解決しようとは思わない。
爬虫類脳を野放しにして反射的に行動するのではなく、人間脳を使って爬虫類脳をしつけ、自分の考えの根拠を明示して、相手を議論によって説得しようとしてきたつもりである。
それでも相手から先に手を出すのであれば、やむを得ずそれに対応せざるを得ないが。
相手の主張が正しい、優れていると思えば、自分の考えに取り入れ、「相手は悪に決まっているから」というレッテルを貼って、自分の妄想に逃げ込んだりはしない。
前回述べたように、人間が生まれると、まず爬虫類脳から先に成熟が始まり、人間脳の成熟は大人になるまで遅れるそうである。
魚は口にモノを入れて、それが何であるかを判断するが、赤ちゃんが反射的に何でも口に入れてしまうのも、それと同じであるという説がある。
お腹がすいたりオシメが濡れれば、赤ちゃんは泣くが、そうしたことが我慢できないのは、人間脳がまだ発達していないからであろう。
大人になっても、いつまでも赤ちゃんのような行動をしていれば恥ずかしいように、少なくとも二十歳を過ぎて、左翼のように爬虫類脳を野放しにしているのは大人として恥ずかしいことだと思う。
もちろん、爬虫類脳は食欲や性欲をつかさどっているから、それを人間脳ですべて否定してしまえば、人間は生きていくことができないし、そもそもそんなことはできないが、物事には限度というものがある。
「大人になったら自分の顔に責任を持て」と言われるが、大人になるまでに人間脳で爬虫類脳を適度にしつける習慣を身につけて、「大人なら自分の脳みそにも責任を持つべき」ではないだろうか。
これは、大学に行った行かないとか、偏差値がどうこうといった話とは関係無いと思う。
正直に告白するならば、中学三年生ぐらいまでの私は、「自衛隊を無くして、その予算で貧しい人を救ってあげれば良いのに」と考えるような、立派な左翼少年だった。
高校以後、世界史に興味を持ち、いろいろ調べるうちに左翼思想の度しがたい矛盾に気がついたが。
左翼のように、爬虫類脳によるレッテル貼りみたいな、パターン化された行動しかできず、自分とは違う考えを持つ人に殺意を抱いてそれを抹殺しようとするなんて、人間として悲しすぎる。
最後に総括するならば、左翼と言うのは、人間というものがまったくわかっていない人たちであり、それゆえ自分の爬虫類脳を人間脳でしつけることができない人たちと言えるのではないか。
そして究極的に言えば、「左翼との戦いとは、爬虫類脳との戦い」と言えるのではないだろうか。
人類が爬虫類に負けるとすれば、それは悲しい。
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二十歳までに左翼運動に傾倒しない者は情熱が足りない。
二十歳を過ぎても左翼運動に傾倒している者はオツムが足りない。
ウインストン・チャーチル
人は生まれながらにして”左”である。
だが、努力して知性を身につけなければ、”右”になれない。
クロフネ
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左にしろ右にしろ、独裁国家が、ほぼ中国や北朝鮮のような社会の発展の遅れた途上国にだけ成立するというのは、非常に興味深い現象である。
近代国家というベクトルでの社会の発展度と、そこに住む人たちの人間脳の発展度には、正比例の関係があるのかもしれない。
掲示板などにおいて、中国や韓国の人たちと理性的な議論がほとんどできないという経験をしばしばするが、彼らの行動も極めて爬虫類脳的であり、逆に日本の左翼とは非常に相性が良いのも興味深い現象である。
儒教国家にしつけがあまり存在しないのも関係があろう。
また、左翼は容易に極右ファシストに転向しうるという事実を、付け加えておきたい。
民主主義を否定する極右ファシストもまた、爬虫類脳を野放しにしているのかもしれない。
さらに言えば、左翼が毛嫌いするネオコンも、もとは左翼リベラルだったのであり、それがやや過激な右に転向したものがネオコンであるのは、広く知られた事実である。
左翼がネオコンを激しく嫌うのは、むしろ近親憎悪であろうし、その両者とも、爬虫類脳的であると言えるのかもしれない。
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関連記事・”左翼”を解剖する(その1)
関連記事・”左翼”を解剖する(その2)
関連記事・”嫌韓派”を解剖する(その2)
関連記事・日本の右傾化
関連記事・アメリカ国債を買えば売国奴?
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ヘタレ韓国がテロを日本へ輸出
- 2007/10/11(木) 23:34:06
非常にゆゆしきニュースが入ってきたので、予定していた記事を差し替えたい。
横浜国大の学生・中村聡志さんとみられる日本人学生が、イラン南東部で武装組織に誘拐された。
武装組織は、イラン南東部で麻薬密輸を行っている”シャハバフシュ”であるとの見方が出ており、イラン治安当局に逮捕された仲間の釈放を要求しているとの未確認情報がある。
参考記事
この日本人誘拐事件は、「ヘタレ韓国がテロを日本へ輸出した結果だ」と言えよう。
ここ1年ぐらいの間にアフリカや中東で、武装勢力による韓国人誘拐事件が何件か起きているが、そのたびに韓国は気前良く身代金を払って事件を”解決”してきた。
その極めつけがアフガニスタンで起きた、タリバンによる韓国の新興宗教布教団の大量誘拐事件だった。
事件発生直後からノムヒョン政権は、ひたすら土下座状態で、交渉は終始タリバンペース。
タリバンは、韓国人の人質を解放する条件としてアフガンからの韓国軍撤退を要求したが、ノムヒョンはすぐさま韓国軍の年内撤退を公約。
それだけではおさまらず、巨額の身代金も支払われたという情報があちこちで漏れ出した。
国際社会から、テロリストに安々と屈した”ヘタレ韓国”に冷ややかな視線が向けられ、タリバンのスポークスマンから「韓国人拉致は成功した」と勝利宣言まで出る始末だった。
私は、”日韓談合外交の復活は許されない”のエントリーで、
とうとうタリバンのスポークスマンから「韓国人拉致は成功した」と勝利宣言が出る始末で、これは「拉致をまたやる」と言っているに等しい。
と書いたが、まさにその通りになった。
麻薬密輸武装組織”シャハバフシュ”が暗躍するイラン南東部は、アフガニスタン南部と接しており、アフガニスタン南部は、タリバンが武器購入の資金源とするために農民にケシなどを栽培させて麻薬を密造しているところである。
麻薬の密輸ルートに乗って、タリバンからシャハバフシュに「韓国人はヘタレだから、誘拐すればローリスク・ハイリターンでオイシイぞ!」という情報も流れた可能性が高い。
イラン人から見れば、日本人も韓国人も同じ東洋人、見分けがつかない。
イラン南東部の自分たちのシマを、おあつらえむきに東洋人がたった1人でうろうろしていたから、シャハバフシュは「これはこれは、ごちそうさま」と誘拐したといったところだろう。
ヘタレ韓国から日本へテロが輸出された瞬間である。
国際社会のテロ防止協力のくさりのうち、もっとも弱い部分つまり韓国が切れたので、くさり全体がバラバラとなって、テロリストへの抑止力が崩壊した瞬間である。
アジアに、中東に、日本人バックパッカーが大挙押し寄せるようになったのは、なにも昨日今日はじまったことではない。
アフガニスタンでの韓国人大量誘拐事件が”タリバン大勝利”に終わって一ヶ月もたたないうちに、アフガニスタン国境に近いイラン南東部で日本人が誘拐されたのは、偶然とは思えない。
シャハバフシュは、タリバンの模倣犯の可能性が高いと思う。
小泉政権時代にイラクで日本人が誘拐された時、テロリストに毅然とした態度を崩さなかった時の小泉首相に対し、「冷酷」だの「人でなし」だのと、彼を誹謗中傷する声が左翼勢力を中心に上がった。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験してから学ぶ」というが、目先の利益しか見えない外交・安全保障のアマチュアは、「テロは輸出される」ということが実際に起こってみないと理解できない。
”NGO政府”と揶揄されてきた韓国のノムヒョン左翼政権は、やはり筋金入りのアマチュアだった。
前述のエントリーの中で「こういうヘタレ(韓国)とだけは、同盟を結びたくないものである。」と述べたが、この機会に声を大にして言いたい。
「日本に、寄るな触るな、韓国が伝染(うつ)る!」
--------------------------------------------------
テロ特措法や国際社会のアフガニスタンにおけるテロとの戦いと、今回の誘拐事件は深く関係している。
そもそも何故アフガニスタン南部が麻薬密造地になっているかといえば、
アフガニスタンでの国政選挙でカルザイ政権が発足して、ようやく内戦が終結したのだが、タリバンなどの武装勢力が中央政府の武装解除要請に応じず、軍事活動を続けた。
そのため武装勢力が活動していて治安が悪い地域には、国際社会やアフガニスタン中央政府からの援助物資を届けることができず、貧困に苦しむ農民は、タリバンの指示に従ってケシを栽培し、麻薬密造に協力しないと食っていかれないのである。
これがタリバンが支配するアフガニスタン南部の状況であり、そこで造られた麻薬が隣国イランの南東部やパキスタンへと流れ、現地武装組織の資金源となる。
今回そうした麻薬密輸武装組織に、横浜国大生は誘拐されたというわけである。
よって、そうした負の連鎖を無くすためにも、国際社会のアフガニスタンにおける治安維持活動が重要になってくるし、インド洋における自衛隊の補給活動もアフガニスタンの治安回復に重要な役割を果たしている。
相変わらずヘンテコな陰謀論をからめて、「アメリカはアフガニスタンを侵略するな、自衛隊もインド洋から撤退しろ」といったようなヒステリックな声が日本国内から上がっているが、そういう人はいっぺん、拉致された横浜国大生と交換で人質になったらどうだろうか。
アフガニスタン情勢と自分の愚かさについて、即座に理解できると思うのだが。

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爬虫類脳・人間脳
- 2007/10/10(水) 01:07:46
アメリカの神経生理学者、ポール・マクリーンが提唱した“三位一体脳説”というものがある。
これは、人間の脳が「脳幹の部分にあたる爬虫類脳(reptilian brain)→大脳旧皮質・古皮質など大脳辺縁系と呼ばれる部分にあたる旧哺乳類脳(paleomammalian brain)→大脳新皮質にあたる新哺乳類脳<あるいは人間脳>(neomammalian brain)」の三層構造となっており、矢印の方へ向うほど新しく発達した脳であり、新しい脳が古い脳を包み込むように発展してきたこと、
爬虫類脳は、呼吸や心臓の鼓動など生きていくための基本機能や、漠然とした快感・不快感など原始的で未分化の情動を担当し、爬虫類に特徴的な自分の縄張りの防衛意識などを発生させ、自己保全の目的のために機能する部分であるとする。
旧哺乳類脳は、種の保存(生殖)のために快・不快、恐怖、怒りといった本能的感情を生み出す機能を担当し、危険から逃れようとする反応、敵を攻撃しようとする反応など、原始的な防衛本能をコントロールする部分であるとする。
大脳の一番外側に存在する人間脳は、理性・論理・学習・言語や創造的思考力など、特にヒトにおいて高度に発達した知性・知能をコントロールする部分であるとする。
ヒトはこの三つの脳のうち、人間脳が良く発達しているが、ヘビなどの爬虫類では、ほとんど見られない。
詳しい解説
マクリーンの三位一体脳説は、一部に不正確なところがあるが、おおざっぱに脳のしくみをとらえるには、わかりやすい説明ということなのでちょっと長いが紹介してみた。
この三つの脳は、どれが善でどれが悪ということではなく、誰でもそれらを持っており、それぞれが相互に協力しながら、人間が生きていくのに必要な働きをしているものなのであるが、最大の問題は、爬虫類脳+旧哺乳類脳=アニマル脳と人間脳(大脳新皮質)との間で、どうやって折り合いをつけていくかということであろう。
アニマル脳(注・管理人の造語)は、食欲・性欲・睡眠欲など、動物の一種である人間の原始的な欲望をつかさどっているが、それらがいつも満たされることは無い。
人間が生きている限り、欲求不満という状態が起こるわけで、それに対処する必要が出てくる。
そこで必要になるのが欲求不満に耐える力・耐性であり、それは意志とイコールとされる。
意志によって、まわりと問題を起こさずに障害を乗り越え、欲求不満状態を解消しようとする。 それこそ人間が他のアニマルと違うところではないだろうか。
たとえば店先にうまそうな食べ物が並んでいて、すぐさま食べたいという欲望がアニマル脳から出てきても、理性と論理をつかさどる人間脳から「お店の人にお金を払ってから食べなさい」という指示が出て、お金を払って食べ物を手に入れることで問題が処理されたり、
あるいはお金の持ち合わせが無かったら「家に帰るまで腹ぺこでも我慢しなさい」という指示が人間脳から出ることになるだろう。
これは合理的に対処できた例だが、アニマル脳と人間脳との折り合いがうまくつかなかった場合、問題が起こる。
店の人をぶん殴って食べ物を奪う(攻撃機制)、万引きしてみつかり、友達のせいにする(投射)みたいなことが例としてあげられるだろう。
魅力的な異性が目の前を通りかかった場合、愛をささやいたり、プレゼントを贈ったりして、合理的に異性からの愛情を得ようとすれば問題は無いが、異性にいきなり飛びかかって押し倒したりすると、アニマル脳的には問題でなくても、人間社会的には大問題となる。
人間において、成熟が早いのはアニマル脳の方で、理性や論理をつかさどる人間脳の成熟は時間がかかるとされる。
だから未成年者の犯罪に、大人と同じ刑罰が適用されないのであろう。
さて、マクリーンの“三位一体脳説”についていろいろと考えていくうちに、ある仮説がひらめいた。
次回へつづく
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乗り遅れた方が良いバス
- 2007/10/06(土) 01:35:03
北朝鮮を訪問したノムヒョンと金正日は4日、南北首脳会談の合意事項をまとめた”南北関係発展と平和繁栄のための宣言”に署名した。
宣言の内容をまとめると、第一回南北首脳会談における共同宣言の履行、南北相互の信頼関係の構築、朝鮮戦争終結と恒久的平和体制構築のため関係国三者または四者による終戦宣言の推進、南北経済の均衡的な発展の推進、南北間の人道協力の強化などである。
参考記事
今回行われた南北朝鮮首脳会談は、あらかじめ予想されたことだが、終始北朝鮮ペースで終わったと思う。
ノムヒョンは訪朝初日の首脳会談を、じらされてお預けを食らわされ、金正日と会って握手する時も、”将軍さま”が立ち止まっていて、ノムヒョンがそれに歩み寄って「握手させていだたく」感じだったようだ。
これでは金正日が皇帝で、ノムヒョンが属国の酋長である。
上機嫌のノムヒョンが、”将軍さまの万年長寿”をお祈りして乾杯までするほどだったのに、ノムヒョン主催の答礼晩餐会を金正日にすっぽかされてしまった。
ノムヒョンが泊まったのは、百花園招待所。
戦車や弾道ミサイルの軍事パレードが行われる金日成広場から、そこまでちょっとバーチャルで車を飛ばしてみる。
映像で戦車が来る方向と逆方向に、つまり北へ車を走らせると、左にブロンズ色に輝く巨大な金日成像が立つ朝鮮革命博物館がある。
さらに北上すると、右手に金日成競技場、パリより大きいと北朝鮮ご自慢の凱旋門をくぐって、ピョンヤン中国大使館の先の交差点を右折、金日成総合大学の前を通って、金日成の遺体が安置されている錦繍山記念宮殿を過ぎると、ノムヒョンが泊まった百花園招待所が右手に見える。
招待所はピョンヤンを流れる大同江に面しており、対岸には北朝鮮人民軍の高級将校や将軍さまも使うと言われている大同江招待所がある。
さて、韓国は、これまで北朝鮮が中国の経済発展を支える地下資源供給源・経済的植民地の色合いを濃くしてきたことについて、かなり焦りを感じていた。
合意内容も、ノムヒョン政権のそうした焦りが反映されているように思うし、それは北朝鮮にすっかり見透かされていたようだ。
首脳会談でも、北朝鮮の核や弾道ミサイルなど大量破壊兵器の問題や韓国人拉致問題は、気休め程度に触れられただけで、北朝鮮から何らかの譲歩が得られなかったにもかかわらず、韓国から北朝鮮への経済援助は、相当手厚いものとなった。
開城−新義州間の鉄道・開城−平壌間の高速道路の改修工事、安辺・南浦の造船所建設、海州経済特区の建設など、北朝鮮のインフラ整備案件がめじろおしである。
こうしたことは、韓国企業の対北投資を促進させ、ライバルの中国を牽制することにつながるものの、韓国側から「インフラ整備にかかる費用は50兆ウオン(およそ6兆円)以上かかるだろう」という声があがっており、韓国民への増税や国債乱発を懸念する意見もある。
またノムヒョンは、黄海にある南北の軍事境界線(NLL)付近に、南北共同の漁業水域をもうけるための協議を行うことを受け入れてしまった。
NLLをめぐっては過去に南北海軍による交戦があり、韓国軍の勝利によってそれが守られてきた経緯があるが、南北共同の漁業水域を理由にNLLを突破する北の船舶があらわれれば、NLLがなし崩し的に南へと下げられてしまうことも考えられる。
もしそうなると、NLLを設定した国連軍の主体である米軍や戦死者を出してまでそれを守ってきた韓国軍部から、強い反発が出る可能性がある。
参考記事
こうしたことは長期的に見れば、米韓同盟の弱化と在韓米軍のさらなる縮小へとつながることが避けられない。
北朝鮮としても望むところで、任期が残り少ないノムヒョンとしては、自分の後継が誰になっても、後戻りできない一本道を敷いてしまおうという強い意思と焦りがうかがえた。
逆に北朝鮮の立場から見れば、北主導で南とのゆるやかな統一を達成することを意図した”高麗民主連邦共和国”実現へと近づいたことになる。
”高麗”とはかつて朝鮮半島にあった古代王朝だが、北朝鮮の国営航空会社も”高麗航空”と言う。
北が好んで高麗という名を使うのも、高麗の首都が現在の北朝鮮領土内にあったからで、それを統一国家の名称に使うということは、北主導での統一を「名で体を表す」ことになるからだ。
北朝鮮は、北主導での統一朝鮮は、外交的に中国とは距離を置くべきだと考えているように思われる。
なぜなら今回の合意内容に、南北共同での白頭山観光開発が含まれているからだ。
中国は、東北工程・白頭山工程によって、中朝国境が走る白頭山の北側を猛烈に開発している。
今まで述べてきたように、東北工程は、統一朝鮮の誕生が中国領内の朝鮮族の分離独立運動に結びつかないようにするための工作である。
従来、北朝鮮はこうした中国の動きに沈黙を保ってきたが、今回、南北共同での白頭山観光開発に力を入れるということは、南北共同で中国の東北工程に対抗する意志の表れではないだろうか。
宣言文で、平和体制協議の当事者から中国を除くよう北朝鮮が求めたという報道もある。
参考記事
北主導での統一朝鮮連邦は、アメリカと中国を天秤にかけつつ、相互に譲歩を引き出させて国際環境を整え、息子の正哲あるいは正雲への独裁体制の世襲準備を万全にするという意図があるのだろう。
今回のノムヒョンの訪朝は、自分の任期の残り少なさも考慮に入れ、韓国世論の忍耐の限界ぎりぎりまで、”土下座”をしてしまったように思える。
在日の教授センセも「南北関係の前進で日本だけが孤立する」と必死になって主張しているようだ。
だが日本は、隣の泥舟にお付き合いする必要は全く無い。あれは乗り遅れても良い地獄行きのバスだ。
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教科書検定と剥がされた封印
- 2007/10/04(木) 23:32:32
民主党は今日4日、沖縄戦における集団自決に関して、歴史教科書の記述内容の再検討を要求する国会決議案を与党側に示した。
内容は、「沖縄戦におけるいわゆる集団自決が、日本軍による強制・誘導・関与等なしに、起こりえなかったことは紛れもない事実」と決めつけた上で、
一、平成20年度から使用される高等学校用日本史教科用図書における沖縄戦の記述に関して、その検定結果の中立・公正性に疑義が生じているため、速やかに教科用図書検定調査審議会において再度検討すること。
一、今後、教科用図書の検定に当たっては、中立性・公正性・透明性を一層高めるため、政府は省令で定める教科書検定手続(教科用図書検定規則等)の見直しを含め、その改善を図ること。
右決議する。
となっている。
参考記事
沖縄戦における住民の集団自決について、作家の曽野綾子氏らの研究によって、従来の「軍による自決の強制はあった」とする説をくつがえす調査結果が出されている。
”沖縄ノート”で「強制はあった説」をとる大江健三郎氏もこれに関連して訴えられており、来年にも判決が出るものとみられる。
歴史教科書に間違ったことは書けないわけで、その説の信憑性が大きくゆらいだ以上、少なくとも、「軍の強制はあった」という表現を教科書で使わないというのは、現時点で理にかなった判断である。
民主党は一方的に、「集団自決が、日本軍による強制なしに起こりえなかったことは紛れもない事実」と決めつけているが、どういった根拠で主張しているのだろうか。
左翼公務員など、自分たちのスポンサーの意向なのだろうか。
私には、民主党にこそ中立性・公平性・透明性が欠けていると思えるのだが。
歴史とは、事実かそうでないかの問題であって、感情が許すか許さないかの問題ではない。
また、この問題では、慰安婦問題の議論の過程で出てきたのとそっくりの、論理のすり替えがあるようだ。
「慰安婦問題で、軍が強制連行したという証拠は無い」という反論があったことに対して、それを感情面から受け入れられない勢力は、「慰安婦が存在しなかったと主張するのは、歴史歪曲だ」と論理のすり替えが行われた。
強制は無かったとする人たちの中でも、慰安婦が全くいなかったと主張する人は、ほとんど見かけないのだが。
集団自決問題においても、「住民の自決に軍の強制は無かった」という反論に対して、「自決に軍の関与が無かったと主張するのは間違っている」といったような再反論がある。
沖縄において軍と住民が行動を共にしていた以上、もちろん軍の関与はあったのだが、ここでの問題は強制があったか無かったで、無いという証言が出てきたからこそ、歴史教科書において「軍の強制があった」と断定する表現を使うのを避けたというのが、この議論の重要ポイントであろう。
慰安婦問題とそっくりと言えば、沖縄県の仲井真弘多知事が、教科書検定に”アジア諸国”に配慮する近隣諸国条項と同じように、”沖縄条項”をつくるよう、文部科学省に要求する考えを明らかにしており、まるで沖縄県知事が、中国・韓国・北朝鮮政府そっくりの振るまいを見せている。
参考記事
「はじめから強制ありき」の民主党国会決議案や沖縄県知事の姿勢は、特定思想の歴史教育への介入禁止という大原則から外れているし、中立性・公平性を大きく欠いていると言わざるを得ない。
さて、沖縄県で”プロ市民”らを動員した、この問題に関する4万人規模の集会があって、朝日・毎日新聞が11万人規模と誤報を流すオマケまでついたようだ。
先ほど言ったように、歴史とは、事実かそうでないかの問題であって、感情が許すか許さないかの問題ではない。
にもかかわらず、沖縄県の教科書検定反対集会を念頭に、渡海紀三朗・文部科学大臣が、「県民感情を考慮して、政治が介入しないで、何が出来るかを考えたい」と発言した。
これを受けて、内容の”訂正”を検討する教科書会社も出てきて、渡海文科相もこれに応じるような、うかつな姿勢を見せたため、問題が大きくこじれてしまった。
感情で歴史教科書の内容がいちいち書き換えられるなら、「太平洋戦争は存在しなかった」と主張する集会があったら、教科書の内容を書き換えるのだろうか?
渡海文科相の信念の無い言動にはまったく失望させられるし、中国・韓国のゴリ押しで日本の歴史教育が揺さぶられた1980〜90年代の政府を見せられているかのようだ。
町村官房長官の煮え切らない態度にも驚かされた。
政権が変わると、同じ人でもこうもおかしくなってしまうものだろうか。
毎日新聞はこの間、しきりとディスインフォメーションを流しているように見受けられるのだが、この報道は事実なんだろうか。
福田首相には、教科書検定への特定政治思想の介入を絶対に許して欲しくは無いし、法よりも感情で動く人治政治、最後に聞いた人の話で動く政治みたいなことだけはやめて頂きたい。
封印してあった戦後レジームの棺桶から、真っ赤な魑魅魍魎がワラワラ。
まったく、安倍政権が倒れたというだけでこの騒ぎである。

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関連記事・日本のピンチに便所のドア?
- 時事コラム
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