初めていらっしゃった方へ

北朝鮮包囲網の構築を急げ!

  • 2006/04/29(土) 23:12:01

 北朝鮮による日本人拉致事件の被害者である、横田めぐみさんの母・早紀江さんと弟・拓也さんが日本時間の29日、ブッシュ大統領と面会した。

面会で大統領は、「国の指導者が拉致を奨励するのは心がない」と北朝鮮の金正日総書記を批判。そのうえで、「(拉致問題解決への)働き掛けを強めたい」と述べた。

 面会は三十分間で、加藤良三日本大使が仲介役として同席した。早紀江さんらは北朝鮮側が提供してきた、拉致された直後とみられるめぐみさんの写真や他の拉致被害者の写真、早紀江さんら家族が英文でメッセージをかいた手紙、拉致被害者救出の象徴である「ブルーリボンバッジ」などを大統領に手渡し拉致問題解決への協力を訴えた。

 ブッシュ大統領は神妙な表情で早紀江さんの訴えを聞き、早紀江さんもブッシュ大統領の話をひざの上で手を組んで真剣に耳を傾けた。拓也さんは大統領の方に身を傾けて、一言も聞き漏らさないような表情だった。
 面会で大統領は、「最も心を動かされた面会の一つだ。お母さん(早紀江さん)がほしいのは再会だけだ。信じがたいのは、国家として拉致を許したことだ。指導者が拉致を奨励することは心がない」と指摘。

 さらに、被害者家族たちが拉致問題解決に向けさまざまな運動を展開していることに、「人権を尊重しない人に発言するのは勇気のいることだ。お母さんたちの行動を誇りに思う。人権を尊重することを私たちは守る」と語った。
(産経新聞) - 4月29日3時1分更新



引用記事 

また、横田早紀江さんらを招いて行われた米下院公聴会を主催した国際人権小委員会のスミス委員長(共和党出身)は、拉致問題を7月のサンクトペテルブルク・サミット(主要国首脳会議)の議題として提起するよう、ブッシュ大統領に働きかけていく意向を表明している。

 横田早紀江さん親子の行動力には、本当に頭が下がる。

横田さんらの活動をバックアップするためにも、サミットの正式メンバーである日本政府が率先して、サンクトペテルブルク・サミットの議題として北朝鮮による拉致問題を取り上げるよう、関係各国に働きかけるべきだ。

これまでの日本政府には、北朝鮮に対するネガティブ・キャンペーンを世界中で展開することについて消極的な人が多かったが、相手が血も涙も無い”ならず者国家”である以上、日本が手段を選ばず積極的に北朝鮮の実態と拉致問題に関する真実を世界に宣伝し、日本以外に国民を北朝鮮に拉致されたタイやルーマニアなどを含む国際世論を広く味方につけ、一刻も早く北朝鮮包囲網を構築する必要があることについては、これまで何度も言ってきた。

その意味では、なぜもっと早くこういうことが出来なかったのかという思いがぬぐえないが、今からでも遅くは無い。 どんどんやるべきである。

 ところで、拉致被害者のご家族への注目が集まるにつれ、彼らやその支持者への脅迫や嫌がらせが増加している。

横浜市で5月3から7日まで、横田めぐみさん拉致事件をテーマにした舞台公演を予定している”劇団てんびん座”に「何が起きても知らないぞ」などといった内容の脅迫電話やメールが20件近く届いているという。

一方、札幌市で予定していた、めぐみさんの父・横田滋さんの写真展が「開催すれば客や取引先、従業員に危害を加える」という脅迫状が届いたために、会場の変更を余儀なくされるという事態が発生している。

おそらく北朝鮮と利害の一致する者の犯行なのだろうが、言論の自由を暴力で奪おうという、ひきょう極まりないやり方は、北朝鮮のような地上最悪の独裁国家と全く同じ手口と言え、激しい怒りを感じる。

引用記事 

 こうした、拉致被害者のご家族や支援者への脅迫は、まぎれもない”テロ予告”なのであって、絶対に許してはいけないと思う。

警察や公安関係者は、テロを予告した犯人逮捕のための行動に一刻も早くとりかかって欲しい。 また、テロ予告の犯人がどういった人間なのか、本名・所属する団体などを国民にもハッキリと知らせるべきだと思う。

 こうした事件が起こるたびに思うのは、対内諜報機関の拡充と、盗聴などによる日頃からの情報収集(当然、関連法の整備も)の必要性だ。

これからは、日本国内に侵入・潜伏している北朝鮮などテロ支援国家の組織・個人がテロを実行する危険性は、ますます高まる。

テロ組織の活動を未然に防ぐためには、対内諜報機関による盗聴のような日頃からの情報収集が欠かせない。

日本には”犯罪捜査のための通信傍受に関する法律”というのがあるが、この法律ではこうしたことが許されていないはずである。

こういうことを言うと、すぐ「戦前の特高警察の再来だ」とか批判する人が出てくるが、テロが起こって何百何千という犠牲者が出てからでは遅すぎる。 テロ事件を防げなかった場合、反対した人は責任が取れるのだろうか?

政府も勇気を持って「北朝鮮によるテロを防ぐために、盗聴活動が必要だ」と国民を説得すべきだ。

どうせ社民・共産など左翼・リベラル勢力あたりが反対するのだろうが、私が彼らを完膚なきまでに叩き潰す記事を書いてバックアップする!

 ただ、諜報機関の権力乱用を防ぐためにも、何らかのブレーキが必要なのは当然だ。

対内諜報機関がテロを未然に防ぐための情報収集として盗聴などを行う場合には、必ず首相が法律に違反しない範囲で許可を出し、

盗聴の結果は一定期間後に、衆議院などに設けた、守秘義務を負った超党派の議員からなるチェック機関が必ず目を通し、盗聴の対象とその内容が関連法に違反していなかったかどうか、監視すると良いと思う。

もし違反が見つかれば、関係者に対する処罰をどうするかも法によって定めておく。

テロ支援国家へミサイルなどの報復手段も持たない、経済制裁もしない、対内諜報機関によるテロ防止策も講じないでは、日本の安全がどうやって守れるというのだろうか?

 世界でそして日本国内で、史上最悪のテロ支援国家・北朝鮮に対する包囲網構築を急ぐべきである。



banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

関連記事・北朝鮮が対日報復措置を発動

関連記事・北朝鮮、またもや見苦しい言い逃れ

日韓の綱引き

  • 2006/04/28(金) 00:32:25

 ノ・ムヒョンが「竹島問題をこれ以上”静かな外交”で管理することはできなくなった。物理的な挑発に対しては、強力かつ断固とした対応を取っていく」という内容の特別談話を発表したことは、もう皆さんご存知だろう。

引用記事 

今韓国では、政府・民間の別なく「”静かな対日外交”からの決別」といったような事が盛んに言われている。

クロフネは、日本から経済援助・技術援助をさんざん受けておきながら、日本の領土・竹島を強奪しただけでは飽き足らず、歴史教育や参政権から戦没者慰霊問題まで、日本の主権を侵しズカズカと土足で入り込んでくるような、帝国主義のやり方そのものといっていい、これまでの韓国の対日外交のどこが”静か”だったのかと、あきれて物が言えない。

だが、韓国の官民に「これまでの対日外交が”静かな外交”だった」という認識が広く根付いているのだとすれば、ここにこそ、これまでの日本の対韓外交の失敗が凝縮されていると言える。

(そして、これまでの対韓外交を主導してきた自民党宏池会(宮澤派)の有力議員や外交官たちがその失敗者である。)

今日はここに切りこんでみよう。

 韓国が「これまでの対日外交は”静かな外交”だった」と考えているということは、裏返せば「韓国はこれまで日本に対して本気を出していなかった。本気を出したら韓国はもっとスゴイぞ」という事を意味している。

しかも、”漢江の奇跡”の原動力となった経済援助や、97年のアジア通貨危機の時に国家破産に直面した韓国を救った日本の債務繰り延べなど、これまでの日本から韓国へと差し伸べられた救いの手に対して、韓国が感謝の念を抱いたり恩を感じているといったようなことが、これっぽっちもないことが良くわかる。

なんという思い上がったカンチガイだろうか。中国の古典に出てくる野郎国のようだ。

 さらに韓国のネット版新聞各紙を読んでみると、これまで韓国が竹島占領を続けてこられた理由の分析が、非常におもしろい。

「力こそ正義」のパワーポリティックスが支配する国際社会で、国力で日本の10分の1程度の韓国が、日本から竹島を強奪し占領を継続させることなど、本来は不可能なことである。

にもかかわらずそれが今まで成功していることは、パワーポリティックスを信じる多くの韓国人にとってもナゾであろう。

(私が日本文化を全く知らない外国人だったとしたら、やっぱりナゾだったろうと思う)

だから韓国側は竹島占領維持が成功した理由として「米韓同盟があったからだ」などとワケのわからないことを言っているが、そうではない。

パワーポリティックスが支配するこの国際社会で、日本だけがパワーを行使せず、韓国への配慮で自重していたからだ。

それは「韓国に配慮して、竹島問題で日本は自重すべき」と主張する日本人外交官や政治家などが、「韓国に譲歩して経済援助もしてやって日本側の誠意をみせれば、韓国も日本に好意を寄せて、冷静になった韓国も譲り合いの精神で竹島を返してくれるだろう」と考えた結果なのであろうが、肝心の韓国側に「日本の韓国への配慮」など、この60年間これっぽっちも通じていなかったのだからジョークだ。1回だけでたくさんだが。

それはノ・ムヒョンが「日本が竹島領有権を主張する限り日韓間の友好関係は決して成立しない。 どのような経済的な利害関係も、文化的交流も、この(両国に横たわる歴史認識問題の)壁を溶かすことはできない」と演説したことからもよくわかる。

 むしろ韓国人の多くは、「アメリカの力も利用しつつ、韓国の国力が日本の国力と釣り合っていたから竹島を占拠しつづけることが出来たのであって、これもみな韓国自身の実力のおかげだ。」と考えているのである。

そうしたカンチガイが「これまでの対日外交は日本に遠慮した”静かな外交”だった。 韓国がもっと本気を出せば、日本はとんでもないことになるぞ」という更なるカンチガイを生み出したというワケである。

これで「日本が先に譲歩すれば韓国人が冷静になる」うんぬんといった、宏池会の連中やこれまでの対韓外交を主導してきた外交官の主張が、とんだお笑い草であった事がおわかりいただけるだろう。

このブログで「外交で、自分がこうだから相手の外国人もそうだろうと考えると、多くの間違いを犯す」と繰り返し言ってきたが、外交のプロである外交官がまんまとこの落とし穴にひっかかったのである。

 前述の「パワーポリティックスが支配する国際社会」というのが、イマイチわかりにくいという人は、二国間の外交を運動会の綱引きだと考えれば良いだろう。

綱引きの綱の真中に結んである赤いリボン(外交交渉の結果)がどちらへ行くかは、綱を引っ張る二つの国のパワーで決まる。

両者が力いっぱい綱を引けば、パワーのある国がパワーの無い相手国よりも、リボンを自分の近い方へ(自分の有利な方へ)と引っ張れるのは当たり前のことだし、二つの国のパワーが同じなら、リボンは二者のちょうど中間に来るだろう。

それが国際政治の力学であり、外交交渉の結果は多くの場合それで決まるというのが常識である。

しかし、その国際常識に当てはまらない国がある。日本だ。

 これまで外務省の大物外交官と言われる人でも「外交はゼロサムゲームではない」「外交は相手を力でねじ伏せるゲームではない」が口グセだった。

ゼロサムゲームとは、綱引きのように一方が勝って得をすれば、もう一方は必ず負けて損をするゲームのことだ。

日本の外交官がそういう理想を追いかけるのはかまわないが、だからといって世界のすべての政治家・外交官がそれを理想として目指しているわけではないし、外交交渉にゼロサムゲーム的な分野があるのも、エゴむき出しで力ずくで相手をねじ伏せようと交渉に挑んでくる外国があるのも厳然とした事実だ。

その現実から目をそらし、対策を講じなければ日本の国益に重大な損失を与えることになる。

だが決して少なくないケースで、自らの理想によって頭デッカチになった日本の外交官は目をそらし、机上の空論を振りかざしてしまった。

 全ての人がそうではないと信じたいが、日本の外交官には「外交とはゼロサムゲームではない」のだから「外交交渉の落しどころ(妥結点)は日本と相手国の主張を足して二で割ったぐらいがちょうど良い。 そこを目指すべきだ。」と考えるクセがあるようだ。

どうも日本の外交官には、自己主張すること=ワガママ=悪という、極めて日本人的な、つまらない先入観・偏見があるように思える。

綱引きの例で言えば、「綱引きの綱を力いっぱい引っ張らないで、日本が相手に配慮して力をゆるめてやれば、相手もこちらに好意を抱いて必ず力をゆるめてくれる。 そうすれば、赤いリボンは日本と相手国の真中ぐらいとなって、譲り合いの精神で万事丸く収まるじゃないか。」と考えるのである。

まず「赤いリボンは日本と相手国のちょうど中間」ありきというワケだ。

(「今度の外交交渉の落しどころは○○だ」などとマスコミにリークする政府関係者もいるようだが、オークションのライバルに自分の希望落札価格をバラスようなもので、自分のやっていることがどれほどアホなことか気づかないのだろうか)

確かにきれいな理想論だが、国際社会はそんなきれいごとだけで動いているわけではない。

それは極めてドメスティックな日本人同士でしか通用しない価値観でしかないし、それを外国人相手に通用すると思って持ち出すことなどもってのほかだ。

 韓国も含めて世界のほとんどの国は自らの国益をなるべく極大化するために、それぞれの国力に応じて綱引きの綱を力いっぱい引っ張る。

そして両者の力関係に応じて、赤いリボンの行き先、つまり交渉の妥結点が自然と決まってくる。


そんな国際社会に「外交の綱引きは相手に配慮してわざと手を抜いてやるのがコツ。そうすれば相手だって譲り合いの精神で手をゆるめてくれる」と考える日本がノコノコ出ていったらどうなるか?

日本と国力が同等の相手でも、赤いリボンは相手国に近い方、つまり日本に不利な条件で交渉が妥結することになるだろう。 なにしろ相手は力いっぱい引っ張っているのに、日本は「リボンが中間に来るように」と考えて、わざと手を抜いているのだから。

しかもたいていの場合、日本特有の文化など持ち合わせていない相手が、日本に感謝するという事はない。

むしろ「自分達は日本よりパワーで勝っていたから、赤いリボンは自分達に近いところで釣り合ったのだ。これは自分達の実力である。」と言って、自国のパワーに自信を深めるだけである。

 綱引きの相手が竹島問題でもめている相手、日本より国力の劣る韓国の場合を考えてみよう。

韓国は当然、力いっぱい綱を引っ張る。 日本は韓国に配慮して手を抜く。譲り合いの精神で韓国が手を抜いてくれることを期待してだ。

しかし韓国が手を抜くことは無い。日本への憎しみでアドレナリンが急上昇して120%の力を発揮してくるだろう。反日ドーピングパワーである。

その結果、赤いリボンは日韓の中間で釣り合ってしまう。

つまり韓国による竹島の不法占拠は続き、韓国漁船の密漁や武装スリ団は横行し、日本への内政干渉はおさまらない。

日韓の綱引きのこの結果について、韓国は「韓国のパワーが日本のパワーと釣り合ったからこういう結果となったのだ。 韓国は日本に匹敵するパワーを持つ大国である。実力で結果を勝ち取った我々がどうして日本に感謝する必要があろうか?」と考える。

「日本が韓国に配慮してわざと力を抜いてくれたんだね。ありがとう。今度はこちらも力を抜いて譲り合いの精神でいきましょう。」なんて韓国が考えると読んだ、日本の”エリート外交官”の甘っちょろいシナリオなどこっぱみじんだ。

日本が韓国との綱引きで、わざと力を抜いてやるのを続けていると、思い上がりをエスカレートさせた韓国はこう考えるようになる。

「これまでの韓国のやり方は、おとなしすぎた。もっとがんばって激しく綱を引っ張ってやれば、日本なんてやっつけられる。」 

これが現在の韓国にはびこる「”静かな対日外交”からの決別」論である。
今後、韓国は激しく綱を引っ張ってくることだろう。

これまで日本が綱引きの綱を精一杯引っ張らなかったことが、韓国側にとんでもない思い上がりを生みだし、それが日韓関係を暗礁に乗り上げさせてニッチもサッチも行かなくさせた大きな原因となったのである。

これまでの日本の対韓外交の失敗が凝縮されていると言ったのは、そういう意味だ。

(まあ、韓国が世界でもまれに見る妄想狂国家というのもあるが)

 それではどうすれば良いのかと言えば、相手が韓国だろうと中国だろうとどこだろうと、日本は持てるパワーを最大限発揮して、力いっぱい外交の綱を引っ張れば良いのである。

そうすれば相手国との力関係によって、赤いリボンの位置は自ずから決まってくる。それを淡々と受け入れれば良いだけだ。


日本が自らのパワーをありのままに発揮すれば、日本より力の劣る国との綱引きは、当然のことながら、赤いリボンが日本に近い方へと来る結果となろう。

そのことによって、はじめて相手国は自分と日本との力関係を正確に認識することが出来る。

そうすれば、日本と外国とのムダな争いが発生する可能性は今よりぐっと少なくなるだろう。

人は勝つチャンスがあればあるほどやる気が出るものだからだ。

はじめから勝つチャンスが無いとわかっていて、あえて勝負を挑んでくる人はいないだろう。負けた結果、自らが激しく傷つくとわかっていれば、なおさらだ。

日本が「パワーでは日本の方が上だよ。それなのに日本に突っかかってくるとケガをするのはあなただよ」と諸外国にはっきり教えてやるのが、親切というものだ。

もちろん、相手に道理があり国際法を守っているのに、日本がそれらを無視してパワーで相手をねじ伏せてはいけないけれども。

それを、わざと力を抜いてやって相手にも勝つチャンスがあるかのように見せかけるのは、相手を挑発して日本自らがトラブルのタネをまいているようなものだ。

いちいち勝負を挑まれてめんどうに巻き込まれる日本にとっても、日本との勝負で”思わぬ敗戦”を喫し傷つく相手にとっても不幸なことだ。

そのあたりを多くの日本の外交官や政治家はわかっていない。

「落しどころは日本と相手国のちょうど中間」ありきで交渉に臨んだり、どう考えても日本に道理があって韓・中の要求の方に無理があるのに、韓国や中国の外務省のジャパンスクールの面子を立てながら日本の国益も守ろうとするような、まどろっこしいことをやっているから、日本より国力で劣る韓国や中国とのトラブルが絶えず、日本の外交官は肝心の国益さえ守れないのである。

banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

関連記事・指導者としての覚悟

指導者としての覚悟

  • 2006/04/26(水) 08:00:40

 中国との東シナ海ガス田問題や韓国との竹島海底調査問題など、日本の指導者の覚悟が試される事件が相次いでいる。

両事件の途中経過を見る限り、小泉首相をはじめとする政治家と二橋官房副長官や谷内外務次官など事務方(官僚)の双方に、国家を指導していくのに必要な覚悟というものがちゃんと備わっているのか、非常に心もとなく感じる。

 「政治とは結局、利害調整である」と大学時代の政治学の教授はおっしゃっていたが、「あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たない」といった事は、政治ではよくある話だ。

知らず知らずのうちに、将棋で言えば「王手飛車取り」のような、どちらを選択しても犠牲を覚悟しなければならないという状況に、国家が追い込まれるといった事は、そう珍しいことではない。

国家の指導者にとって一番つらく難しい決断とは、「王手飛車取り」の”王”も”飛車”も、人の命がかかわっている場合に行う決断であろう。

 1977年にダッカ事件と呼ばれる大事件が発生した。

パリ発東京行の日航機が日本人極左テロリストにハイジャックされ、バングラデッシュの首都ダッカにある空港に着陸させられた。

極左テロリストは、刑務所に入っている仲間の釈放と15億円以上の身代金を要求した。

1972年のミュンヘン事件に代表されるように、当時の国際社会では「テロリストの要求に屈することは、さらなるテロを生む」という考えから、「テロリストの要求には応じず、特殊部隊による強行突入も辞さない」というのが常識となっていた。

 当時の首相は、福田康夫・元官房長官のお父様である福田赳夫氏であったが、福田首相は「人命は地球より重い」と述べて、”超法規的措置”として、獄中の極左テロリストを釈放し身代金支払いを決断。

「日本は家電や車のみならずテロまで輸出するのか」と国際社会から厳しい非難を浴びた。

残念ながら当時の福田首相には、指導者としての覚悟があったとは思えない。

 そして「テロリストの要求に屈することは、さらなるテロを生む」という言葉が現実となるのが、96年に起こったペルー日本大使公邸人質事件である。

ペルーの日本大使公邸を左翼テロリストであるツパク・アマル革命運動(MRTA)の武装メンバーが占拠し、500名近い人質をとって、仲間の刑務所からの釈放を要求した。

フジモリ・ペルー大統領はテロリストの要求をつっぱねて毅然とした姿勢をみせ、米・英・独などもこれを支持した。

しかし、当事者である日本の橋本首相は「人命最優先」を主張して、あくまでも話し合いによる平和的な解決をペルー政府に求めた。

「テロに屈するな」という欧米諸国と、「人命最優先」を主張するペルーの大口援助国である日本との板ばさみに、フジモリ大統領もかなり苦しんだことだろう。

事件の方は、フジモリ大統領がペルー特殊部隊を日本大使公邸に強行突入させて極左テロリストを射殺、ペルー人の人質1名と特殊部隊隊員2名に犠牲を出しながら、事件を解決させた。 日本人の人質は全員奇跡的に無事だった。

 フジモリ大統領は、「人命最優先」「平和的な解決」を求めていた日本に何も知らせず特殊部隊を突入させ、ペルー政府と極左テロリストとの話し合いによる「平和的な解決」を最後まで信じきっていた橋本首相と日本政府は予想を完全に裏切られ、赤っ恥をかいた。

大森義夫・元内閣情報調査室長によれば、MRTAは武力占拠の目標を当初から日本かスペインの公館にしぼっていたという。

つまりアメリカやフランス・ドイツなどの大使館を占拠すれば、各国が保有する特殊部隊が強行突入してくるのは目に見えているからそれらを避け、テロリストの要求をすぐ飲むと定評?のある、組しやすい日本が標的になったということだ。

ちなみに事件がおこった時、MRTAのメンバーは人質に含まれていたアメリカ人をさっさと解放した。 これによって強行突入に備えていた、アメリカの特殊部隊デルタ・フォースはひとまず撤収したという。

ダッカ事件で福田首相が国際社会からの非難にもかかわらずテロリストに屈した時点で、ペルー人質事件の発生は約束されていたと言えるだろう。

福田・橋本元首相が、不運にも「王手飛車取り」をかけられてしまった時、指導者としての覚悟がなかった彼らは、”王”ではなく”飛車”を逃がすという失敗をおかしてしまったのだった。

”飛車”とは人質の命であり、”王”とは一億数千万の日本国民の命である。

日本の国家主権を無視し、内政干渉をくりかえす中国や韓国に対して、毅然とした態度でそれを跳ね返すことができない、橋本元首相や福田元首相のお子さんである福田康夫議員の存在は暗示的である。

一方フジモリ大統領は、つらい決断ではあったが、”王”を逃がすために”飛車”を犠牲にすることもいとわない覚悟があった。 情けないことに、日本は彼の覚悟に救われたと言える。

 人質に犠牲者を出したくないのは良くわかるし、まずは”飛車”も”王”も安全に逃がすために、国家の指導者が全力を尽くすべきなのは大前提である。

だからといってテロリストの要求を易々と飲むと、テロリストに「人質事件を起こすならアメリカ・フランスなどを避けて日本相手にするのがお得ですよ」というメッセージを発することになり、結局日本と世界に散らばる一億数千万の日本国民全体を危険にさらすことになる。

以前「イラクをこの目で見たい」と言って現地に乗り込んだ若者が拉致され、殺害されるという痛ましい事件が起こった。

その時、イスラム原理主義テロリストの要求をつっぱねた小泉首相を「血も涙も無い冷酷な人間」と批判する声が上がったが、苦渋の決断だったが小泉首相は指導者として最低限の選択はしたと私は思う。

気の毒なことだけれども、無鉄砲な若者一人のために、残りの一億三千万の国民の命を危険にさらすことはできない。

 ここで竹島近海の海底調査問題に話を戻すが、交渉にあたった谷内次官も政府首脳も、海保の調査船が韓国に拿捕されたりするような事がなくなって「最悪の事態は避けられた」と一様に安堵の姿勢を示しているが、私は諸手を上げて賛成できない。

なぜなら海保の調査船拿捕が最悪の事態だとは必ずしも言えないからである。

日本が調査を見送ったことを、韓国や他の国が「日本は自国の領土を一旦奪われれば、あきらめて泣き寝入りする国だ。 自衛隊なんてハリボテの役立たずで日本は軍事力を使う勇気をまったく持ち合わせていない。」というメッセージだと勘違いした場合、日本は竹島に続いて外国からのさらなる侵略を受ける可能性が高まる。

そう、テロリストの要求を受け入れるとさらなるテロを生み出すように。

三国干渉の時のように、紛争を抱える相手が日本より圧倒的に国力が上で、対策を講じるための時間稼ぎが必要だから譲歩するというのなら、まだ話はわかる。

だが日本より国力で劣る国が日本の主権を侵しても、日本が何もしないような場合は、危険極まりない。

 もし新たな侵略を受ければ、追い詰められた日本も自衛のため最後には武力を行使せざるを得なくなる。

それでも「日本は軍事力を最後まで使わないだろう。日本は泣き寝入りするはずだから戦争にはならないだろう」と日本を甘く見た外国が軍隊派遣を強行すれば、本格的な戦争になる。

戦争になれば日本が勝ったとしても、数百あるいは数千の犠牲者が出ることは充分あり得る。

こうして誰も望んでいなかったのに戦争が起こり、犠牲者が出ることになる。

 平和憲法の”信者”に代表されるような空想的平和主義者は、「誰か戦争を起こしたくて仕方ない悪いヤツがいるから、戦争というものは起こるのだ」と思っているのだろうが、誰も望んでいないのに大戦争が起こることは、歴史上決して珍しい事例ではない。

第2次世界大戦のヨーロッパ戦線やフォークランド紛争、湾岸戦争など...

たとえ拿捕されたり銃撃を受けたりしてケガ人が出たとしても、調査船を竹島近海に派遣して「日本はいざという時、実力行使をいとわない」という姿勢を韓国を含む諸外国にみせつけておくのと、誰も望まない戦争を誘発して数百・数千の戦死者を出し国民全体を危険にさらすのと、そのどちらを指導者は選ぶべきだろうか?

どちらが”王”でどちらが”飛車”だろうか?

家族も子供もいるであろう調査船のクルーを危険にさらすというのは、真っ当な人間なら本当につらくて身を切られるような思いになる。

だが、どんなにつらくても冷徹に”飛車”を犠牲にする方を選ぶ覚悟のない人間は、国家の指導者には向いていない。 ”飛車”がかわいいばっかりに”王”を犠牲にしてゲームオーバーにするのは最低の将棋指しだ。

(「王手飛車取り」をかけられないよう、常日頃から万全の備えをしておくのが一番大切だが)

そのような覚悟のない、単に”お山の大将”になりたいだけの人には指導者になる資格が無いし、すみやかに退場するべきだと思う。

国家の指導者というものは、「慈愛あふれる冷血漢」「野蛮な高潔者」でないと務まらない。

banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

竹島海洋調査は一応決着か?

  • 2006/04/24(月) 23:55:59

 日本の海上保安庁による竹島近海の海底調査に対して、韓国側が強硬に反発していた問題は、「韓国が6月の国際会議で、竹島近海の海底地形に韓国名をつけるための申請をしない」かわりに「日本も海底調査をいったん中止する」ことで一応の決着をみたのは、皆さんご存知の通りだ。

同時に、5月にも日韓両国による排他的経済水域(EEZ)に関する交渉を開始することでも合意した。

引用記事 

 しかし韓国側は「適切な時期に(韓国名をつけるための申請を)推進する」としており、「韓国が6月の国際会議で、韓国名を申請することはない」と発表した谷内外務次官の見解と食い違いをみせている。

これに関しては、日韓両政府が持ちかえった合意文書を入手して、どういった表現になっているかを確認でもしない限り真相はわからない。

マスコミ各社も「韓国は6月の申請を断念」と報道しているところと「韓国は断念とは明言しなかった」と報道しているところがあり、情報が錯綜している。

 以前にも述べたとおり今回の問題は、よっぽど日本側がドジを踏まない限り、どう転んでも日本にとって有利な形で終わるような状況だった。

そしてソウルで行われた交渉の結果を見る限りでは、両国はそれぞれ、韓国名の申請と海洋調査の実施をとりあえず保留した形となったものの、竹島問題の紛争化に韓国を引きずり込んだという意味では、まずまずの成果があったと言えるだろう。 EEZに関する交渉が再開されるのも評価できる。

ただ、日本としては一番”もうけ”が少ないシナリオに落ち着いてしまったのも事実だ。

 日本政府が、今回の戦術的な勝利を「竹島返還」という戦略的勝利へと、どう結びつけるつもりなのか、いまいち私には見えてこない。

ソウルでの交渉に悪影響を与えないように、あえて言及を控えていたが、そもそも海保による海洋調査実施は、何の目的で策定されたのだろうか?

それが単に「韓国が6月の国際会議で、韓国名を申請するのを止めさせるため」だったとしたら、志というか目標設定が低すぎる。

また、国際世論を日本の味方につける根回しも充分だったとは言えない。

ともかく、5月に開始される予定のEEZ交渉や、6月の国際会議で韓国が本当に申請をあきらめるのかを見極めてからでないと、今回の交渉妥結による日本の”もうけ”が充分だったのか、それとも少なすぎたのかを判断するのは早い。

 最後に、竹島問題についての交渉で、これまで日本の外交官はいったいどんな事を韓国側に言ってきたのか疑問で仕方が無い。

韓国の竹島領有の根拠は近代以前の場合、鬱陵島や鬱陵島を誤認した結果である架空の島などに関して記録している古文書を「あれは竹島の事を書いたものだ」と強引にこじつけて言い張っているにすぎない。

そもそも近代以前の韓国側には竹島について正確に記述した資料も地図も皆無であり、韓国人は竹島の存在をほとんど、もしくは全く知らなかったと見てよいだろう。

だから1905年に日本が近代国家として竹島の領有を宣言したことについて、日本側に何の非も無いし、もちろん日韓併合とは全く関係の無いことだ。(念の為言っておくが、当時の大韓帝国は外交権を奪われてはいなかった)

現代以降の韓国の竹島領有の根拠は、第2次大戦が終わった時に、占領統治の便宜上GHQなどによって竹島が本土から切り離された点についてだが、これは日本の最終的な領土の範囲を決定するものではなかった。

実際、サンフランシスコ講和条約によって竹島は日本領に確定したのであって、竹島を我が物にしようとした李承晩政権の訴えは連合国側から却下されている。

 日本側に竹島領有の正当性を示す根拠がこれだけありながら、なぜ日本の外交官は議論によって韓国側をねじ伏せられないのか、不思議でならない。

韓国側のデタラメな竹島領有権の根拠など、素人でも簡単に論破できるのは前述のとおりだ。

にもかかわらず、竹島問題がここまで来てしまったのは、ちょっと勉強すればわかることにもかかわらず、日本の外交官・政治家が竹島問題の歴史的経緯に全く無知だったせいなのだろうか?

だったら、竹島問題に精通していない外交官・政治家は一切交渉からはずして欲しい。いないのなら政府が早急に育ててくれ。1ヶ月あれば充分のはずだ。

 それとも、わざと韓国側をねじ伏せようとせずに見逃して来たせいだろうか?

韓国側は多くの場合、歴史問題などで論破されそうになると「歴史に科学を持ちこむのか?」とか「日本は大国なのだから韓国人の情緒に配慮すべきだ」と言って、「ウソを見逃してくれ」と甘えてくるのが相場となっている。

そこで日本人が「義理と人情・浪花節」のような、極めてアジア的なウエットな感情に引きずられて韓国側のウソを見逃してやると、彼らは勝ち誇ったように「竹島の領有権はやっぱり韓国にある」と大声で言いふらすのも相場となっている。

「義理と人情・浪花節」のようなアジア特有のウエットな感情は、これまで日本の対アジア外交の明らかなトラブル原因となっており、絶対にそういったものを外交に持ちこんではいけないと声を大にして言いたい。

韓国側が「歴史に科学を持ちこむのか?」と言ってきたら、「そうだ」と答えて議論に科学と論理的思考を持ちこみ、

「韓国人の情緒など知ったことではない。問題は日韓の主張のどちらに正当性があるかだ」と答えて、感情を排し冷徹に韓国側を論破して、議論によって相手を完膚なきまでにねじ伏せることで、はじめて竹島問題が根本的な解決に向けて動き出すのである。

韓国側の妄想をそのままにして、日本が議論で相手を完全にねじ伏せる事から逃げ続ける限り、竹島問題は一向に解決しない。 むしろこじれていくばかりだろう。


(「義理と人情・浪花節」のようなアジア特有のウエットな感情の外交への害は先に述べたとおりだが、それを国内政治に持ち込むと腐敗と汚職にまみれた個人・集団による独裁体制や派閥政治を生みだし、経済に持ちこむとクローニーキャピタリズムを生み出す。

「義理と人情・浪花節」を日本人がプライベートでやるのは一向にかまわないが、日本は先進国なのだから、いい加減そういうのを政治・外交・経済に持ち込むのは止めて欲しいし、そういったアジアの悪い体質から日本は距離を置くべきだと思う。 ハッキリ言って、クロフネがアジア的なもののなかで一番嫌いなのがこれだ。)


banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

関連記事・竹島近海の海底調査を実行せよ!

韓国は帝国主義国家である

  • 2006/04/20(木) 00:50:47

 竹島問題に揺れる韓国だが、あの国を見ていると「100年遅れでやって来た帝国主義国家」という言葉がぴったりだと、つくづく思う。

近代国家というのは多くの場合、産業革命によって国力が充実すると民族主義(ナショナリズム)・軍国主義の高まりを生み、そのパワーが外に向かいはじめると、領土を拡張し植民地をつくろうとする。

それが帝国主義であり、一番最初に産業革命を成功させたイギリスからフランス・ドイツ・アメリカ・ロシア・日本へと広がっていき、二度の世界大戦を経て、少なくとも西側先進国では帝国主義の時代は一応終わりを告げた。

これ以後、アジア・アフリカの植民地が解放されるとともに、「武力を使って領土を拡大することは、割に合わない」というコンセンサスが、徐々に先進国に広まっていった。

 しかし、社会の発展が先進国よりも遅れた韓国はそうではなかった。

独立後の韓国は、いきなり排他的ナショナリズム全開の帝国主義国家となった。

だが、アジアの最弱・最貧国レベルの韓国が
侵略できそうな国は無かった。
まわりの日本も中国もソビエトも韓国より強い国ばかり。

そこで目をつけたのが竹島である。

当時の日本は第2次大戦でアメリカにノックアウトされて気を失っているような状態で、竹島を盗み取るには千年に一度あるかないかのチャンスだったと言える。

そこで韓国は勝手に李ラインを設定して、そこに近づく日本の漁民を射殺し、ついには竹島に”守備隊”を置くようになった。

 1960年代後半以降、日本からの援助金と日本企業の技術によって、韓国は産業革命を達成し国力を充実させると、韓国の排他的ナショナリズムと帝国主義・軍国主義的性格はいっそうエスカレートしていった。

パク・チョンヒ、チョン・ドファンら軍人による独裁体制、排他的ナショナリズムに基づく洗脳的歴史教育、マスメディアを使った言論・思想コントロールなど...

「原始社会だった古代日本に文明を教えてやったのは韓国。だから人種的にみて韓国人の方が日本人よりも力量がある。しかし近代になって日本は韓国を併合し恩を仇で返した。そのせいで韓国は先進国から途上国へ転落した」
「韓国は経済5ヵ年計画で漢江の奇跡を実現させ、独力で世界11番目の国になれた。 サムソンはどの日本メーカーよりすぐれている」といった具合に。

近年では「昔、日本海は東海と呼ばれていた。それを日本が韓国を支配している隙に、日本海と変更したのだ。だから元に戻さなければならない」と世界に訴え、サッカー・ワールドカップで勝ったというだけで気が大きくなると、韓国は世界を動かすキープレーヤーであり、バランサーなのだと言い出す始末。

排他的ナショナリズムから発生した妄想は悪化するばかりだ。

 そして今回の、竹島近海の海底測量の問題である。

4年前から日本の抗議を無視して、韓国は力ずくで海底測量を強行し、それによって海底地形に韓国名をつけ、竹島と周辺の日本海を完全に支配下に置こうとやっきになっている。

力で相手をねじ伏せ、自らの勢力圏の拡大をめざすのは、帝国主義の考え方である。

 左翼の影響力の強い日本では、

韓国は日本に侵略されたかわいそうな国
      ↓
だから平和を愛する国
      ↓
だから正義の国 

といった”神話”が、さも事実であるかのように流布されていたが、

実際は、好戦的なナショナリズムを持ち、自らの勢力圏・領土領海の拡大にあこがれる、「100年遅れでやって来た帝国主義国家」なのである。

それが目立たなかったのは、ただ領土領海を拡大するだけの能力が無かっただけだ。

 こういった国が「しばらくほっとけば冷静になる」ということは、まずないだろう。

韓国の大多数の国民が妄想から目を覚まし、自らの愚かさを悟るのは、韓国全土が焼け野原になるぐらいでないと無理なのではないだろうか。 そんな愚かな国につきあってはいられない。

このような愚かな国は日本の友人として全くふさわしくないし、韓国とつきあっていくことで得られる利益と、韓国を日本の友好国にするためのコスト・損失を冷静に比較してみると、どう考えてもコストや損失の方が大きすぎる。

日本は残りの約200ヶ国と仲良くやっているのだから、それでよいではないか。

 戦後日本の国是だった、世界のすべての国と仲良くしようとする”友好原理主義外交”は、かえって日本を平和・友好から遠のかせるのは、皮肉なことだが真理である。

どこの国の格言だったかは忘れたが、「敵が全くいないという人物には、親友と呼べる友もいない」というのがある。

日本で言えば「八方美人」に当たる言葉だが、自ら全く主張せず、どの国に対してもヘラヘラと良い顔をしようとする”友好原理主義外交”は、短期的には敵をつくらないかもしれないが、長期的にみれば、世界各国に日本への敬意を失わせ、日本をバカにするような感情を生み出す。

その結果、友人達は日本のもとを離れ、日本をバカにしきった敵を多くつくり出すのである。

一方、敵をつくることを恐れず、自らの哲学・信念にもとづいた”主張する外交”をすれば、敵ができるかもしれないが、それに共感してくれる友人だってできる。 いざと言う時は日本のために駆けつけてくれる親友がその中から現れるかもしれない。

そのことが敵にも日本への敬意を生み、日本と和解できなくとも、ケンカを売ろうというモチベーションを失わせる。

”友好原理主義外交”が生み出すのは、
日本をバカにしきった敵と日本を哀れむ隣人。

毅然とした”主張する外交”が生み出すのは、
日本に共感してくれる親友と、競争相手として日本を恐れ、一定の敬意を払う敵である。

そのどちらが良いか?後者であるのは明々白々だろう。

 多くの日本の政治家・外交官にはそれがわかっていない。
自戒も込めて言うが、それが理解できないのは人間的に成熟しているとは言えないと強く思う。

banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

関連記事・日本は外国と、どうつきあったらよいのか?(その2)

関連記事・低信頼社会と、うまくつきあうために

竹島近海の海底調査を実行せよ!

  • 2006/04/19(水) 23:55:21

 海上保安庁が実施を計画している竹島近海の日本の排他的経済水域内での水路測量について、韓国政府は「拿捕も辞さず」と強硬に反発している。

引用記事 

しかし、過去4年間に渡って韓国は日本からの抗議を一切無視して、竹島近海の海底の測量を強行している。

そのデータを使って6月にドイツで開かれる国際会議で、竹島近海の海底地形に韓国名をつけることを狙っており、それによって竹島侵略とその占領という既成事実をさらに強固なものにしようとしているのだ。

 韓国が実力で日本をねじ伏せにかかった以上、日本もそれに対抗せざるを得ない。 日本としては、自国の経済水域での水路測量は当然の権利であるし、海保による水路測量を予定通り実施すべきである。

谷内外務次官は韓国との非公式折衝で、「6月の国際会議で、竹島近海に韓国名をつけるよう韓国が要求しなければ、海保の測量を見送る」と提案したようだが、それを韓国が飲んだとて竹島問題の解決に一切なっていない。 問題外の提案であり、即刻撤回せよ。

 そもそも、日本が韓国に対抗して測量を強行しても、竹島を不法占拠している韓国に不利なだけで、日本にとっては、何が起こっても竹島問題解決のためのさまざまなカードが手に入るチャンスと言える。

もし韓国が日本の調査船を拿捕した場合、国連海洋法条約・第279条の「平和的手段によって紛争を解決する義務」に違反することになる。

ノ・ムヒョンは「国際法なんか知ったことか」と、いつものマヌケぶり全開のようだが、

日本政府の調査船が拿捕されれば、「韓国が暴力を行使して一方的に国際法に違反した」と主張して、韓国の不当性を国際社会にアピールできるし、拿捕に対して国際海洋法裁判所もしくは国際司法裁判所に提訴することもできる。

もちろん韓国が同意しなければ、裁判は開始されないだろうが、韓国が出てこないことで、国際社会にも「韓国は自分が悪いと自覚しているから裁判から逃げた。だから日本が正しい」とアピールできるだろう。

このように竹島問題が世界や日本国内で注目を集めれば集めるほど、日本にとってカードが増えるのである。

 ところが日本の一部には「韓国が冷静になるまで、日本は自重すべき」という意見がある。だが、それは間違った考え方であり、韓国や韓国人というものを全く知らない者の主張である。

この50年近く、ずっと日本は自重してきたのだが、韓国が冷静になるなんて事は一度も無かった。


 竹島問題について、日本人は「日本にも韓国にも公平な国際法に照らして、正当な根拠を持つ方が竹島を領有することにしましょう」という、非常に冷静な考えに基づいて、対処してきた。

しかし、文化も民族性も日本人とは正反対と言って良い韓国人の多くはそうは考えなかった。そこが多くの日本人にわかっていない。

感情をコントロールするという文化に欠ける韓国人にとって、竹島問題は「日本対韓国の勝負」なのであって、始めから善悪ぬきで「韓国の勝ち=竹島は韓国のもの」ありきなのである。

韓国の政府・学者・マスコミは「韓国の勝ち」を何としても確定したいがために、架空の島や鬱陵島、それに付属する島・竹嶼などを記述したと思われる古文書を「これは古代から竹島が韓国のものだった証拠だ」と、あとづけで強引にこじつけた。

多くの韓国民は、韓国政府やマスコミの竹島領有の根拠の正しさなど考えたこともない。 そして「韓国が正しいに決まっている。そんなの考えるまでも無い。」と言って、何十年もエキサイトし続けているわけだ。

このような文化が消滅でもしないかぎり韓国人が冷静になるワケがないし、だから「竹島問題の冷静な解決」も有り得ない。

「韓国が冷静になるまで、日本は自重すべき」という主張の前提そのものが間違っているのである。


 しかし大多数の韓国民とは違って、韓国政府は自分達の主張する竹島領有の根拠が妄想に妄想を重ねたデッチ上げであり、国際社会ではとうてい通用しないものであることをよく知っている。

それで理性的になって「竹島を日本に返そう。」とは考えずに、「竹島問題は日本対韓国の勝負」だから「日本に負けないために、何としても国際社会で裁判にならないようにしよう」と考えるのが、やはり韓国人の民族性というものである。

 韓国政府に冷静さとか公平・正義による解決を求めてもムダだろう。 もとから、彼らにそんなもののカケラも無いのだから。

だからこの際、竹島問題を徹底的に国際紛争としてクローズアップさせて、韓国側の竹島領有の根拠をこっぱみじんに論破すべきだ。

 韓国は”オオカミ”であり、日本が”東郭先生”でありつづける限り、竹島問題は解決しない。

banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

関連記事・東郭先生と中国人

関連記事・イチロー発言と韓国人の民族性

中国が航行禁止を撤回

  • 2006/04/18(火) 23:56:37

 東シナ海の日中中間線を越えた日本の経済水域内の一部海域について、先月1日から中国政府が外国船舶の航行を禁止する公示を出していた問題で、日本側の抗議を受けた中国政府は「技術的な誤りがあった」として、航行禁止の範囲を中間線の中国側に限る訂正をしたことが明らかになった。

引用記事 

 中国に公海の自由を制限する権利は無く、日本の排他的経済水域内に中国の排他的水域を設定した今回の措置は、中国による明白な侵略行為であり、その撤回は当然であった。

これによって事態はひとまず収まった形となったが、中国政府の言う「技術的な誤り」を鵜呑みにはできない。

確かに緯度の数字を単純に間違っただけという可能性は0%ではないが、中国政府海事局のプロがそんな単純なミスを犯すだろうか?

 私は、今回の中国政府の公示は、わざとやった可能性が十分あると思う。 その場合、二つの可能性が考えられる。

まず一つ目は、今回の船舶航行禁止措置公示は、軍部に代表される中国政府内部の反日強硬派が暴走した結果で、胡国家主席を含む指導部は、それを知らなかったという可能性。

もう一つは、当然指導部も知っていて、その指令のもとに公示がなされたという可能性だ。 

今回の公示がわざとなされたものだったとすると、今度はその意図が問題になってくる。 前者なら単純な話だが、後者の場合はかなり計算された狡猾な意図に基づくものであろう。

それは、中国政府が日中中間線の日本側を侵略した場合、日本がどういった反応を見せのか、それを知るための”観測気球”があの公示であった可能性が高い。

日本が実力行使を含む強硬な対応をとれば「何かの間違いでした」と言って航行禁止措置を引っ込めるが、

日本が中国の軍事力を恐れて泣き寝入りするようなら「中国が中間線を侵略しても大丈夫。既成事実さえつくってしまえば、日本は何もできないで指をくわえて見ているだけ。」というサインとなるわけだ。

もしこれが事実だったとすると、中国が航行禁止を撤回する原因となった、日本から中国への”強硬な対応”はこれではないだろうか。

引用記事 

16日に政府は中国に行っているODAのうち、無償資金協力を打ち切ることを決定した。

3月末に、対中円借款供与の決定を政府が見送った時、ヒステリックに反応したことからもわかるように、中国は円借款を停止されるのを非常に嫌がっている。

今回の無償資金協力の打ち切り決定が「円借款まで停止されたい?」というメッセージを含んだ、中国の侵略宣言に対する断固たる報復措置となり、そのことが、中国に航行禁止措置を撤回をさせる原因となったと考えられる。

ただ、今後も定期的に日中中間線の内側を海上保安庁の巡視艇に航行させるなど、日本のプレゼンスを誇示しつづける必要があるし、再び中国が「中間線の侵略」を宣言しても、やはりそれを無視し、巡視艇に航行を継続させなければならない。

 今回の中国による航行禁止公示が観測気球だったとすると、日本政府の対応はまずまずであったが、政府の一部の人間による決して見過ごせない過失があった。

各種報道を総合すると、中国海事局が、日本水域内の船舶航行禁止を3月1日に公示し、それに日本の海上保安庁が気づいたのが3月28日だった。

同日、海保は中国海事局に事実関係を問い合わせるとともに、日本外務省に外交ルートを使った中国側への照会を要請した。

ところが、外務省はこの重大な事実を首相官邸に隠して放置。中国への照会さえも行わなかった。

中国側から何の返事も無く、外務省も何もしないことにシビレをきらした海保は、4月13日に国際海事機関(IMO)の取り決めに基づき、世界九カ国に航行警報を出した。

また翌14日には、このことが海保から情報当局(おそらく内閣情報調査室<内調>)を通じて、首相官邸へと伝えられた。

秘密を隠し通せなくなったことが明白になった同日、外務省はしぶしぶ中国側に事実関係を照会した。

ところが、まだ失態のオマケがあって、情報当局から首相官邸にもたらされた報告が、どういうわけか小泉首相や安倍官房長官に伝わらなかった。

15日に水産庁から中国の航行禁止公示について問い合わせがあったためにこの問題が明るみに出て、同日深夜から16日にかけて、マスコミ各社が一斉に報道して大騒ぎとなった。

16日になって外務省はようやく首相官邸に、この事実を報告。 外務省が一番最初に情報をつかんでから半月もたった後だった。

同日、政府は中国への無償資金協力を打ち切ることに決定。

そして17日安倍官房長官が中国に抗議した。

引用記事 

 4月14日に、情報当局から首相官邸にもたらされたこの重大な報告が、小泉首相や安倍官房長官に伝わらなかったことについては、官邸までは情報が入っているのだから、官房副長官が報告を聞いて、首相や官房長官に情報を上げなかったという線が濃厚だろう。

しかも3人の官房副長官のうち長勢・鈴木の両氏は自民党出身だから、情報をもみ消した犯人だとは思えない。 すると残るのは、事務方(官僚)トップの二橋正弘氏しかいない。

 これってどこかで見たような構図だなと思ったら、上海領事館員自殺事件と全く同じ。

あの時も、自殺の発生を外務省が隠し、内調から上がってきた報告を途中で握りつぶしたのは二橋官房副長官だという報道があった。 首相や官房長官は週刊誌がすっぱ抜くまでカヤの外。

 政府も今回の事件の真相解明に動き出しているし、今はそれを見守りたいが、

外務省にしろ二橋官房副長官にしろ、中国のスパイによって日本の領事館員が自殺させられた事実や中国による日本の経済水域内の船舶航行禁止公示を、首相に黙っていて隠し通せば、自殺させられた領事館員が生き返るとか、中国が日本の経済水域に対して侵略宣言をした事実が消えてなくなって、事態が好転するなんてことがあるわけないだろうが。

大学入試や国家一種試験じゃあるまいし、外交に「難しい問題は飛ばしておいて、あとで解く時間があったら手をつけよう。」なんて”お受験テクニック”が通用するとでも思っているのだろうか?

むしろ、外務官僚や官房副長官が、重大事件の発生を首相や官房長官に黙っていることで日本政府の対応が遅れ、事態はより悪化する可能性が極めて高い。

今回の事件は、日本の対応がもっと遅れていれば、最悪日中武力衝突と戦死者の発生まで覚悟しなければならなかった。

外務省も二橋副長官もその責任が取れるのか? もう一度”ホウレンソウ”(報告・連絡・相談)から新人教育を受けたいのか?

(外務省は、最近多発する中国軍偵察機の日本接近まで隠したがっている)

というか、上海自殺事件に続いて二度目の重大な過失だし、もう情状酌量の余地はないと思う。

今回、自分の勝手な判断で情報をもみ消した人物が判明したら後任への警告のためにも退任ではなく、はっきりと懲戒免職で良いと思う。

特に情報当局から首相官邸に報告が入った時に、それが首相や官房長官に伝わらなかったというだけでも、二橋官房副長官の過失責任は重いし、谷内外務事務次官も同罪だ。

(それから、中国がガス田・白樺で生産を既に開始したという報道の確認はどうなっているのか?)


banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。


関連記事・上海自殺事件続報・官僚の情報独占を許すな!

第26回 中国の国家戦略

  • 2006/04/16(日) 04:04:13

 このシリーズの締めとして、これまで中国が取ってきた国家戦略を振り返り、日本や自由世界がどう対応したらよいのかを考えていきたい。

 中国を21世紀に突然現れた、これまでとは全く新しい経済発展モデルのように見ている人もいるかもしれないが、それは正しくない。

 東アジアの経済発展は、近代日本から始まった。

明治新政府には、それまで近代的な産業基盤をほとんど持たなかった日本に、民間企業が自然と育ってくるのを待つ余裕はなかった。

そこで明治政府は、日本に近代産業をおこし経済をテイクオフさせるために、自らの独裁権力を使って、資本・人的物的資源・技術を特定の分野に投入して、民間企業の模範となる官営工場を設立した。(いわゆる殖産興業政策)

この策が見事に当たって産業革命に成功し、日本はアジアで最初の近代国家となったのは、皆さんよくご存知の通りである。

これは”開発独裁”と呼ばれる経済発展モデルであるが、少なくともアジアで最初に、開発独裁を導入して経済発展を遂げたのが日本だったのである。

(もしかしたら、開発独裁を発明したのは日本人かもしれない)

第2次大戦に負けて日本は民主化され開発独裁モデルは放棄されたが、戦後日本の奇跡的な経済成長にもその影響は残った。

 1960年代の後半あたりから70年代はじめにかけて、台湾・香港・シンガポール・韓国のいわゆる”アジアNIES”諸国が経済発展を開始するが、これらの国や地域も輸出主導型の開発独裁モデルを導入することで、経済のテイクオフを成功させた。

90年代からは、タイ・マレーシア・インドネシア・フィリピンなどのASEAN諸国が開発独裁モデルで経済発展を開始し、「これからはアジアの時代」と言われた。

 そして中国である。

中国は1992年から”社会主義市場経済”の名のもとに、天安門事件で一旦ストップした改革開放政策を再スタートさせるが、中国がとった改革開放政策もまた、開発独裁モデルに他ならなかった。

中国の工業は、日本が満州(東北地方)に残していった重化学工業を基盤としてスタートし、それらを社会主義計画経済に組みいれて、国有企業中心に経済発展をはかろうとした。

しかし、他の社会主義国と同様に計画経済は失敗。 
中国の国有企業は資本も乏しければ技術でも世界に太刀打ちできず、豊富にあるのは人間だけといった状況であった。

 小平を中心とする中国共産党はこのような事態を打破するために、社会主義計画経済から資本主義経済へと政策を転換した。

そして、金も技術も無いが、人口だけは世界一という唯一の利点を生かし、「十億人の広大な市場」をエサに外国から資本とすぐれた技術を中国に呼び寄せた。

だが「十億人の広大な市場」という看板とは裏腹に、外国企業に対して中国市場を全面的に開放するようなことはせず、

多くの場合、外国資本と中国企業の合弁という形をとって、外資の技術や経営ノウハウによって中国企業の競争力をアップさせ、国内企業が充分育成されてから慎重に市場を外資に開放する一方、こうして力をつけた中国企業が工業製品を世界中に輸出することで持続的な経済発展を可能にする政策を取った。

これが中国の開発独裁モデル・改革開放だった。

 ただ、中国の開発独裁と、台湾や韓国など他のアジア諸国のそれとは、違う点もある。

それは、中国共産党が牛耳る中央・地方政府から権限を委譲された持ち株会社が、大銀行や巨大企業グループの株式を支配し、共産党があたかも一つの巨大な独占金融資本となっていることである。

この意味で、19世紀末から20世紀はじめにかけて出現した帝国主義段階の国にそっくりであり、「中国は100年遅れでやって来た帝国主義国家」と言えるのかもしれない。 

 しかも中国は、日本からASEANに至るまで、経済発展におけるアジアの先輩達をよく観察していた。

日本経済が発展するにつれて、1ドル=360円からスタートした円もどんどん切りあがり、85年のプラザ合意の時に1ドル=約240円、その後も年率20%でドルに対して切りあがっていき、88年には1ドル=約120円となり、円高がピークとなった95年にはとうとう1ドル=79円まで切りあがった。

現在は1ドル=約117円まで戻しているが、バブル経済の崩壊を経てすっかり日本経済は伸び悩むようになった。

また、70年代から80年代にかけて断続的に発生したオイルショックは、しばしば日本の経済成長の足を引っ張った。

97年にはアジア通貨危機が発生し、タイやインドネシア・韓国などアジア新興工業国から資金が急速に海外へ逃げて、各国経済に大打撃を与えた。

 これらのことを教訓として、中国共産党政府は永遠の経済成長を達成するために、中国の輸出競争力を下げる要素は一切排除することを決意した。

それは、通貨の切りあげ・資本の急激な移動・物価上昇・エネルギー供給不安である。


 まず中国政府は、どんなに中国経済が発展しても、あらゆる手段を使って通貨・人民元がドルに対して切りあがるのを防ごうとしている。

最初は人民元をドルに対して固定相場とし、世界からの非難が強まると通貨バスケット制として世界の目をごまかし、ドル買い介入を続けて人民元の対ドル切りあげを遅らせている。

そして人民元と外貨の交換を制限し、資本の自由な出入りを規制して、97年のような通貨危機の発生を防いだ。

中国経済の発展がエネルギーショックで止まらないように、独裁国家として非難されているイランやスーダンを含む世界中から石油や天然ガスをかき集め、
それを国際市場に通さず中国本土へ送り込むことで、国際価格より安く供給することに成功した。

石油や天然ガスのみならず、さまざまな生活必需品を政府が価格統制したり、戸籍制度を利用して労働力の自由な移動を制限することで、物価や人件費の高騰をできるだけ抑えた。

こうした一連の政策によって輸出競争力が減退しないよう中国は必死になっている。

 こうした政策は今のところ成功しているがその代償として、様々なひずみを世界へと輸出しているとも言える。

資源のがぶ飲みは、エネルギー価格を高騰させて世界各国にインフレ圧力と金利上昇懸念を与えているし、物価と人民元の対ドル相場のコントロールは、安価な中国製品を洪水のように世界に輸出する原動力となっている。

「中国が安価な商品を輸出しているおかげで、エネルギー価格の高騰とインフレを相殺しているのだ」という中国政府の主張は、全くの詭弁である。 中国が過剰投資ぎみに大量の工業製品を生産しているから、エネルギー価格が高騰しているのであって、中国の主張は言わばマッチポンプだ。

(これで一番割を食っているのがアメリカ政府だろう。 自動車が不可欠のアメリカで、ガソリン価格が上がったといっては国民の大統領支持率が下がり、中国との貿易赤字が増えたといっては議会や企業から叩かれる。)

 そして中国政府が一番恐れているのが、世界で”中国脅威論”が巻き起こる事である。

中国が経済発展を続けていくためには、外国からの資本と技術の流入、中国製品を売りこむ海外市場が不可欠だ。

もし、”中国脅威論”が巻き起こって、警戒した外国が高度な産業技術や経営ノウハウを中国に渡すのをストップし、外国市場から中国製品が締め出されれば、中国の経済発展は行き詰まる。

だから、アメリカやEUのように、中国が欲しい高度な技術を持ち中国製品の市場となっているような「自分たちより強い国」には、欲しい物が手に入るまで、ひたすら低姿勢を貫いているが、

日本や台湾・ベトナムのように、中国が「互角か自分たちより弱い。」と感じた相手が自分の思い通りにならなければ、力ずくでねじ伏せにかかる。

中国がアメリカやEUの助けを借りなくても、自力で発展できるようになった時、そして中国が政治・軍事・経済で世界一になるようなことがあれば、中国が世界に遠慮する必要はもはやなくなる。 そうなれば中国はアメリカやEUさえも力ずくでねじ伏せにかかるだろう。

その意味で「中国が世界一になるまでは”中国脅威論”が巻き起こるのを細心の注意を払って阻止する」というのが、中国にとってもっとも重要な戦略と言えるのである。

banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

第25回 東郭先生と中国人

  • 2006/04/14(金) 23:51:00

 皆さんは”東郭先生とオオカミ”という話をご存知だろうか?

中国に古くから伝わる昔話で、中国人によく知られた話なのだそうだ。

この昔話は、中国人の文化的特徴が見事に表されている話なので、皆さんにご紹介したいと思う。 よく知られた話であるせいか、”東郭先生とオオカミ”には、いくつかのバージョンがあるが、だいたいこんな話だ。

 むかしむかし、中国のある所に東郭先生という読書が好きな文人がいました。

ある日、東郭先生がロバに乗って出かけると、突然一匹のオオカミが現れました。

オオカミは、「私は今、猟師に追われています。 もしつかまれば、私は殺されてしまいます。どうか助けてください。」と東郭先生に懇願しました。

東郭先生は、本が入っていた袋にオオカミを入れてやり、袋の口をしばりました。

まもなく猟師がやって来て東郭先生に言いました。「こちらへオオカミが来ませんでしたか?」

「いいえ。こちらには来ませんでした。どこか別の方角へ行ったのでしょう。」と東郭先生は答えました。

猟師は東郭先生の言葉を信じて行ってしまいました。

猟師の姿が見えなくなると、東郭先生はオオカミを袋から出してやりました。

オオカミは「東郭先生は良い人ですね。」と言いました。

オオカミはさらに続けて言いました。「ところで、私は今お腹が減っていて仕方ありません。 東郭先生、あなたは良い人なのだから、食べさせてください。」

東郭先生が「私は善人だからオオカミに食べられた方が良いのだろうか?」と考え込んでしまったその隙に、オオカミが襲いかかってきました。

東郭先生は襲ってきたオオカミに抵抗しつつ、「どうしたらよいか、他の人の意見を聞いてみようじゃないか。」と言うと、とりあえずオオカミは納得しました。

そこへ1人の農民がやってきました。

そこで東郭先生は、これまでのいきさつを農民に話したのですが、オオカミは「東郭先生が私の命を助けたなんてウソだ!」と叫びました。

農民が「本をいれるための袋にオオカミが入れるわけがないじゃないか。」と言うと、オオカミは「そんなの軽い軽い。」と言って、得意になって袋に入ってみせました。

農民はすぐさま袋の口をぎゅっとしばると、持っていたクワでオオカミを叩き殺してしまいました。

びっくりした様子でこれを見ていた東郭先生に農民は言いました。

「性根が腐ったケダモノが心を入れ替えるなんて事は有り得ません。 先生、悪者に情けをかけるなんてバカのする事ですよ。

 この昔話は、中国社会で生きていくための教訓として、「他人を簡単に信じてはいけないし、悪いヤツはやさしくしたり情けをかけたりしても、心を入れ替えて善人になることは絶対に無い。 だから、悪者は絶対に許さずに完全にやっつけなければならない。」といったような事を言っている。

まさに低信頼社会型の人間の考え方である。

 この話の登場人物を東アジアに当てはめると、こうなるだろう。

命の恩人である東郭先生をウソをついてまで食べようとしたオオカミは、中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国。

たとえ相手が悪人でも、簡単に他人を信用して「オオカミに食べられるのが善人だ。」とさえ考えてしまうような、お人好しの東郭先生は日本。

そして、相手が悪人だと思ったら絶対に許さず、情け容赦なく殺してしまい、悪人を信用したり情けをかけたりした東郭先生(日本)をバカ者と考える農民も、中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国である。

 ”東郭先生とオオカミ”の話が教えてくれるように、中国人(韓国人)は自分と同じ民族・中国人(韓国人)を、まずオオカミだと思って疑いの目で見て、実際に悪いやつだと思ったら、一切情けをかけることなく徹底的に叩きつぶそうとするし、そうするのが正しいことだと多くの人が信じて行動している。 

(この場合、相手が本当に悪いかどうかは本人の判断・感情で決定する。中立的な第三者の意見はあまり関係無い。)

だから、”悪者”はたとえ死んでも許されず、墓をあばいたり、もう死んでいる”悪者”の石像を作ってそれに皆でツバをかける。 ”悪者”本人だけでなく、血のつながった親戚や子供・孫まで処刑しないと気が済まないのが儒教文明の人たちである。

まして”悪者”が外国人なら、不信と報復はいっそう激しくなるだろう。

 しかし、日本人は死んだ人間の魂の善悪など考えず寛大に取り扱い(神道)、「善人に往生をとく、いわんや悪人をや」(善人が極楽浄土へ往生できるのだから、悪人ならなおさらできる。by親鸞聖人)とさえ考えるのが、日本文化というものである。

だから、中国人や韓国人は靖国問題や日本の神道・日本文化の本質が、全く理解できないのである。

 中国人は「日本と中国は文化がよく似た一衣帯水の関係にある。」とよく言うが、完全に間違っている。

独自の文化を持つ日本と中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国は、東郭先生とオオカミ・農民ぐらい考え方が違う。文化的に正反対と言っても過言ではない。


 こんどは日本人の視点から見てみるが、同じ民族である中国人(韓国人)同士でさえ、相手をオオカミだと思って信用せず、悪いヤツは絶対に許そうとしないのに、東郭先生(日本人)は、オオカミ(悪い中国人や韓国人)をいとも簡単に信用しがちだ。

もしくは、「オオカミ(悪い中国人や韓国人)になっているのは何か理由があってのことだから、それが解消されたら、オオカミはいつか自分たちと同じ東郭先生に戻るのだ。 だから悪いオオカミをまず許してやることが大事だ。」と固く信じているのである。


 戦後の日本が中国・韓国・北朝鮮にどんなに援助しても、この三カ国は、命の恩人を食おうとしたオオカミのように、ウソをついて援助の事実を国民に隠し、今も日本の主権を侵害し損害を与え続けている。

ガス田問題・竹島問題・拉致事件しかりである。

断っておくが「過去の歴史のせいで中国は一時的にオオカミになったのであって、ちゃんと謝罪すれば東郭先生に戻る。」というのも間違っている。

だったら、過去の歴史など関係の無いベトナムやフィリピンの領土を、なぜ中国はオオカミのように奪ったのか?

 東郭先生の話が教えているように、ケダモノであるオオカミは、どこまで行ってもオオカミなのであって、相手を簡単に信用せず、悪い事をしたら絶対に許さずに、断固とした対応を取ることが重要なのである。

(それで成功したのがシンガポール)

 これまで日本人の多くは、自分と姿かたちが似ているとか隣の国だからといった理由で、中国(韓国・北朝鮮)は東郭先生だと勘違いしていた。

だが、現代の中国(韓国・北朝鮮)で東郭先生や孔子のような”聖人君子”は、ほぼ絶滅したと考えた方が良いだろう。

しかし「中・韓・朝の三カ国は絶対に正しい」と考えがちな、お受験秀才出身の官僚・政治家・外交官の多くは、中国の古典の読みすぎなのか、そうではなかった。

(東大卒の官僚出身で中・韓にひたすら従えと主張する宮澤喜一・元首相は、中国古典の知識では随一と聞く)

こうした人たちが「中・朝・韓は東郭先生だから信じられる。」という妄想を抱き、それが壊れそうになると「中・朝・韓は今はオオカミかもしれないが、いずれ冷静さを取り戻して東郭先生に戻る」とさらにひどい妄想にふけり、

それさえも崩壊すると、あげくの果てに「オオカミに食べられてやるのが善人であり、東郭先生こそが日本がめざす道だ。」と言って外交を主導してきたから、さんざん日本の国益を損ない、日本国民は苦しめられ、現在のようなひどい状況に陥っているのである。

しかし、”東郭先生”の話が教えるように、多くの中国人(韓国人)は、そうした日本人のように「東郭先生を目指そう。」なんてこれっぽっちも考えておらず、抜け目無くオオカミを叩き殺した農民になる方を選ぶ。

むしろ、この話の教訓としては「悪人を簡単に信用したり、情けをかけたりした東郭先生はバカだ。ああなってはいけないよ。」ということを言っているのであり、農民ではなく東郭先生を目指す日本人を見たら、中国人の多くは、心の中でせせら笑う事だろう。

そこに、中国人(韓国人)と、彼らを理想化して疑うことを知らない中国(韓国)大好き日本人との間の、決して越えられない深いミゾがある。

 クロフネは、すべての日本人に”東郭先生とオオカミ”の教訓を知ってもらいたいと考えている。

なぜなら、”東郭先生”の話は、中国人が中国人に教える、中国人とのベストのつきあい方なのだから。

-------------------------------------------

オオカミがさっそく次の獲物を狙っている?

◆東シナ海の中間線の日本側を、中国が掘削計画 

 日本も中国と共同調査なんて、のんきなことを言ってないで、どういう理由であれ中国による中間線の日本側の調査を拒否せよ。

ましてや、日本が建造した地球深部探査船”ちきゅう”を中国に使わせるなんて、もってのほか。

これぞ命の恩人でさえ食おうとするオオカミのやり方ではないか?


banner_04.gif

↑ひとりでも多くの日本人に”東郭先生”の話を知って欲しいと思ったらポチッとしてください。

関連記事・低信頼社会と高信頼社会

関連記事・低信頼社会と、うまくつきあうために

格差社会と税制改革(最終回)

  • 2006/04/13(木) 23:58:27

前回のつづき

 それでは、どうしたら日本が”チャンスの平等を目指す社会”を維持できるのか、そのための税制や社会保障政策はどうすればよいのかについて考えてみたい。

 まず個人の勤労や企業活動は、ある程度格差がつくのはやむを得ないものとして、極力規制を緩和し自由競争を基本とすることによって、社会的に成功するチャンスが、その社会に属するメンバーに平等に与えられるようにする。

もちろん、これによって競争に勝つ人と負ける人が出現するが、その格差を放っておくと数世代を経るうちに、競争に勝つ人たちと負ける人たち、持つ者と持たざる者が固定化される階級社会となりやすい。

これでは”チャンスの平等が保障された社会”とは言えないので、税制と社会保障政策を使って”成功へのチャンス”を再分配する。

それは当然、高所得で資産を多く持つ者や儲かっている企業から、より多く税を納めてもらって、それを所得が低く資産を持たない者へと分配する形になる。

 税制については、これまでのように所得税・資産税・法人税といった直接税にウェートをおき、現在の直間比率を極力維持するよう努める。


それでも、財政再建のためにどうしても消費税率を上げなければならない場合は、例えば米・パン・肉・魚・野菜といった食料品やガソリン・灯油・ガス・電気などのエネルギー、下着やくつ下といった衣類など、大富豪から低所得者まで誰でも必要とする生活必需品やサービスは、消費税率を5%のすえ置きにする反面、

エンジン排気量3000cc以上の自家用車や高価な家具・食器・貴金属類・宝石など、生活必需品以外の高級品やぜいたく品の消費税率は10%にするなどして、消費税にもある程度累進性をもたせることで、低所得者への負担をなるべく軽減し、格差が固定されないよう配慮する。

(ただ、財政再建のために消費税率を上げる前に、政府のムダな歳出をカットする方が先であるのは、言うまでも無いし、ともかくコスト意識が低い官僚がからむと国の財政が悪化してしょうがない。 

現役官僚と民間企業に天下りした元官僚が結託するために起こる官製談合が良い例で、これのおかげで公共事業などの入札金額が下がらず、国がムダな歳出を繰り返す原因のひとつとなっている。

民間企業<トヨタ>のコスト縮減ノウハウを取り入れて完成した中部国際空港・セントレアが当初予算より1000億円近く節約できたことは、様々なヒントを与えてくれる。

ムダな官僚を減らし必要の無い特殊法人・公益法人などをつぶすとともに、官僚の出身省庁が監督している業界の民間企業・特殊法人などへの天下りを完全かつ永久に禁止にするべきである。

 税金や社会保険料として集めた富を社会に再分配する社会保障政策については、競争に負けた人全てに単純にお金をばら撒くのではなくて、そうした人たちの中で、成功へのチャンスをつかもうとする意欲があり、再び立ち上がって努力する姿勢を見せている人に、重点的に手を差し伸べるような政策が欲しい。

特に注意すべきなのは、競争に敗れて所得が低くなってしまった事それ自体、成功へのチャンスが与えられない原因となってしまうといったことが極力起こらないようにし、日本を、失敗しても何度でも立ちあがるチャンスがある社会にするという点である。

格差固定の原因の代表的なものとして、所得の低い家庭の子弟や収入の無い失業者が、大学などの高等教育や職業スキル向上のための訓練を受けるチャンスを失ってしまうことがあげられる。

 一度競争に敗れてしまった人にも成功へのチャンスを与えるためには、成績がよくても家庭の事情で学費が支払えないために、大学などの高等教育が受けられないという人には、社会保障予算を割いて国立大学の学費を無料か格安にしたり、

失業している人で技能を身につけることを望んでいる人には、国が学習の機会を与えて、その人のスキルが一定以上に達した場合には国が資格を与えて、その人のスキルが基準を満たしていることを企業など雇用者側に保証するような政策が考えられる。

 最後にもう一度、格差の発生をどう評価すべきかについてふれておくが、格差に反対して社会に完全な平等を求めるような人は、結局のところホリエモンに代表されるような「金さえあれば何でも出来るし何をやったって良い。」といった”お金万能論”の崇拝者・拝金主義者なのだろうと思う。

格差に反対する人はその前提として、人間の能力や価値あるい幸福の度合いが、お金というモノサシで数量的に比較できると考えているのだろう。 例えば、年収300万円の人より年収3000万円の人の方が、必ず幸福で能力があり価値も高いといった具合に。

格差に反対する者は、お金は人間の幸福・能力・価値のモノサシとなるという”お金万能論”の崇拝者であるがゆえに、格差の存在を許すことができず、社会に完全な平等を求めるというわけだ。

その意味で、格差の反対者はホリエモンと同じコインの裏表の関係にある。 ”お金万能論者”・”拝金主義者”という名のコインの表(勝者)がホリエモンなら、コインの裏(敗者)が格差反対論者と言える。

 もちろん、人間が生きていくにはお金が必要だから、ある程度の所得が無ければ幸せにはなれないが、ある一定の所得以上になると、その人が幸福かどうかは別の要素に左右されると私は思う。

例えば、食べ物や衣服が満足に買えないほど低所得の人と、そうでない人との間の幸福度には明らかに違いがあると思うが、衣食住や教育・余暇に不自由しない程度の所得がある人たちで、海外旅行に年1回行ける人と年2回行ける人の本来の幸福度はそんなに違いは無く、両者の幸福度は別の要素に左右されるのではないだろうか。

この仮説を、”所得と幸福度の限界効用逓減の法則”と私は名づけている。(経済学っぽい名称でしょ。もしかしたら既に誰かが発表しているかもしれないけど)

 しかし世の中にはそうは考えず、所得が増えれば増えるほど幸福量も必ず正比例で増えていくという”お金万能論”の崇拝者が少なくないのだと思う。

こうした考え方を固く信じる人がいるからこそ、あくなき経済発展への追求があるのだろうから、そうした考え方を信じることそれ自体を否定はしないが、
所得の高低でその人間の能力が必ず計れるとか、稼ぐお金の量をモノサシとして複数の人間の存在価値が必ず比較できるといった神話には明確に反対しておきたい。
(同じ職業についている人同士は、ある程度比較できるかもしれないが)

もしそうした神話が正しいのであれば、「年収1000万の銀行マンと年収300万の農家は、前者の方が人間として能力があり価値も高いのだ」となるが、銀行マンも農家の人も、社会にとってはどちらも必要なのであって、どっちが上でどっちが下ということはないだろう。

極端な話、農業をやる人が1人もいなくなって食料生産がゼロなったら、銀行マンがいくら金を積んでも餓え死ぬことになるだろう。 預金通帳や1万円札は本来はタダの紙切れであり、それを食って生きていくことはできない。

所得が低い職業についている人は、人間としての価値も能力も低いと決めつけるのは、カースト制度的な差別だと思う。

 私は、「睡眠と食事とトイレに行っている以外の時間はすべて仕事をしたい。ガンガン働いて億万長者になるのが私の幸福だ。」と考える人がいても良いし、

「私は収入が多少減っても良いから、定時で退勤して7時には帰宅して子供と一緒に夕食を取りたい。仕事と家庭の両立こそ私の幸福だ。」と考える人がいても良いと思う。

格差が開いてくるにしたがって否応なしに、人間の価値観にもそういった開きがあらわれてくるのかもしれないが、どちらか一方が自らの価値観をもう一方に押しつけて、それを受け入れない人を差別するようになると、社会全体に悪影響を及ぼすのではないだろうか。

 これに関連した話題で、パートタイム労働者の急増の問題がある。

日本は先進国でもパートタイマーの比率がオランダと並んで突出して大きい。そのことが将来の日本社会の格差をより広げる原因となることを指摘する人もいる。

パートタイム労働者急増の原因のひとつとして、長時間拘束される正社員を嫌って、収入が低くなっても良いから自分の時間を大切にしたい人たち(いわゆるフリーター)の存在があるのだと思う。

少子高齢化や人口減・税収減を心配する政府は「生涯収入が正社員とこんなに違いますよ」と言ってフリーターを減らそうとしているが、効果は薄いのではないだろうか。 何故なら、そんな事はわかっていてフリーターをやっている人は少なくないだろうから。

つまりお金より時間を選んで働きたい人たちの受け皿がパートタイム労働しかないから、そちらへと流れているのであってそれは当然のことだろう。

 もし政府が、少子高齢化の進行や人口や税収・国力の減少を食い止めるために、この問題を解決したいのなら、残業を含む正社員の労働時間の短縮(たとえば週40時間労働の厳守)か、パートタイム労働者への地位・待遇の向上と差別の撤廃のどちらか、あるいはその併用しかないのではないだろうか。

パートタイム労働者への地位・待遇の向上と差別の撤廃については、いわゆる”オランダモデル”が参考になる。

オランダは、世界初と言われる労働時間差差別の撤廃を達成し、同一労働価値であれば、パートタイム労働者と正社員との時間あたりの賃金は同じにし、社会保険・育児介護休暇等も同条件で付与するようにした。

また、フルタイム労働とパートタイム労働の転換は労働者の請求によって自由に変えられることも認めている。

日本がこれを取り入れる際には更なる研究が必要だろうが、所得が低いために結婚もしないし子供もつくらないフリーターのようなパートタイム労働者の増加をほったらかしにしておくより、

政府や企業、労働組合等がパートタイム労働者の地位向上と権利を認め、社会に参加させて労働によって所得をあげさせ、結婚を可能にして一人でも良いから子供をつくるれるようにしたほうが、日本社会の少子高齢化や人口減を多少なりとも遅らせる事が出来るし、先進国では特に多くて問題になっている自殺を防ぐ効果もあり、トータルで見れば日本社会全体の利益になると思う。

(夫婦双方がパートタイム労働者で最低1人の子供を持てるような形をモデル家族とする)

 以上、格差社会の是非と将来の日本社会・税制から雇用政策のあり方まで話がふくらんでしまったが、ある程度の格差の出現や労働を含めたライフスタイルについての価値観の多様化は避けられないと思う。

そうしたことをふまえてクロフネなりに答えを出したつもりだが、皆さんはどう考えるだろうか。


banner_04.gif

↑あなたのワン・クリックがこの国を変えます。

関連記事・21世紀日本の国家戦略

格差社会と税制改革(その2)

  • 2006/04/12(水) 01:27:06

前回のつづき

 ただ、チャンスの平等が保障された社会が実現したら、レッセ・フェール(なすにまかせよ)とばかりに、後は放っておいても良いというわけにはいかない。

チャンスの平等の社会には、前述の通り、必ずチャンスをうまくつかむ人とチャンスをつかめなかった人、言いかえれば競争に勝つ人と負ける人が出現し、その社会に属するメンバーの収入や財産に格差が生じる。

その格差を放っておくと、数世代を経るうちに、競争に勝つ人たちと負ける人たち、持つ者と持たざる者が固定化される階級社会となりやすい。

社会的地位が高く資産を持つ家庭の子供は、高等教育を受け、やはり社会的地位の高い職業につき高収入を得る可能性が高くなり、

逆に収入が低い家庭の子供は、高等教育を受けるチャンスが少なく、やはり高い確率でさほど所得が高くない職業につくといった具合になる。

こうした極端な格差社会の出現は、やはり社会全体の活力を失わせる。

(私は、ヨーロッパ社会が活力を失った大きな理由のひとつは、ヨーロッパ各国に存在する階級社会のせいではないかと思っている。)

極端な格差社会では、一握りのアッパークラス(上流階級)は、下からの突き上げが無い分、自分が保有する巨額の資産を管理するだけの存在になりがちで、逆に社会の大多数である労働者階級は、社会的地位や収入の向上が困難な事から、学習や労働への意欲を失い、努力することもできなくなってしまう。

こうなってしまうと、階級間の移動は少なくなり、各階級に所属する人たちが固定される。 そして、スポーツ選手や芸能人にでもならないかぎり、労働者階級の人たちが、下からはい上がる道は無くなる。

たった一回の失敗でその人自身のみならず、彼らの子供たちまで完全にノックアウトされてしまうのでは、「社会的に成功するチャンスは、その社会に属するメンバーに平等に与えられなければならない」とする”チャンスの平等が保障された社会”とは、もはや言えなくなってくる。

 よって、所得や資産の再分配という機能を持つ租税制度や社会保障政策を使って、各階級の固定化を防止し、それぞれの階級の間に人の流れを起こしてやらなければならない。
 
 ここで日本の税制と世界各国の税制を比較しておくと、自由主義経済のアメリカは、国民負担率(国民所得に対する税負担や社会保険料負担の割合)が低く約30%、消費税のような間接税よりも所得税のような直接税の比重が高い。直接税と間接税の比率である直間比率は8:2から9:1ぐらいである。

簡単に言えば、「税金は安いけど、(病気や就職など)国民1人1人のめんどうはなるべく自分自身でみてね。当然社会の中に格差もあるよ。」ということ。

一方、社会民主主義(左翼リベラル)の影響力が強い欧州だと、イギリスを除く欧州諸国は、国民負担率がだいたい50%を越える。 デンマークやスウェーデンのような北欧の高福祉国家になると70%以上だ。

税の直間比率は、アメリカより間接税の比率が高くなり、ほぼ5:5ぐらいで、消費税率も15〜20%とこれまた高い。

こちらは「沢山税金は取るけれども、国民のめんどうはなるべく国がみます。格差もなるべくつくらないようにします。」ということになる。


国民負担率の世界比較 

各国の国民負担率の内訳 

各国の税金の直間比率 

 日本の場合、これまで自由主義のアメリカと社会民主主義のヨーロッパの間に位置し(ややアメリカより)、国民負担率は約36%、直間比率は7:3ぐらいで、所得税のような直接税の比率が高かった。

 しかし最近では、政府や与党自民党、財務省などの間で、財政悪化を背景とした消費税引き上げ論議が巻き起こっている。 

特に財務省は、財政再建のために消費税率を将来的には、欧州並の20%以上に引き上げたいようだ。

確かに財政再建も大切だが、財務省からは「未来の日本社会をどういうふうに設計するか」という視点が決定的に欠けているように思える。
これを抜きにして、「消費税率を何%にするか」だけの、税率ありきで議論を進めるのは、本末転倒ではないだろうか。


特に、「欧州諸国の消費税が軒並み15%以上で20%以上も少なくないから。」という理由で、単純に日本もマネをして20%ぐらいまで消費税を引き上げると、将来の日本社会に思わぬ悪影響を与える可能性があると思う。

 消費税のように国民から広く薄くとる間接税は、基本的に金持ちに有利であるのはよく言われることだ。

(直接税の代表である所得税は、所得の高低によって税率を変えられるから、その分公平と言える。 しかしサラリーマンのように所得の計算がしやすく取りやすいところは問題無いけれども、所得の正確な計算が難しい自営業者のようなところからの、納税のもれが発生しがちという欠点がある。)

例えば、日本の大人が1年間生活するのに最低限必要とされる支出が300万円だったとしよう。 現在の消費税率が5%だから、15万円が年間の消費税負担額となる。

15万円という税負担が、年収400万円の人と年収1000万円の人のどちらにとって重くなるかは、言うまでもないだろう。 それぞれの年収から、最低限必要とされる支出額300万円を差し引いた後で15万円の税負担を比較すると、よりはっきりすると思う。

単純計算で、将来の消費税率が20%となると、年間の税負担額は60万円となるから、年収400万円の人の税負担の割合は税率5%のときより一層ひどくなる。

このように、財政再建のためだけに単純に消費税率をあげていくと、将来の日本社会は格差が極端に広がって活力が失われた社会になるのではないか、そのことが国民の所得を減少させ、結果として政府の税収まで減少させるのではないかという懸念を持たざるを得ない。

 また集めた税金・保険料を国民に再分配する社会保障制度についても、失業者や低所得者などに単純にお金をばら撒くと、勤労意欲を失わせ、かえって失業率を高止まりにして、現在のヨーロッパのように、格差が固定された階級社会になってしまうおそれがあると思う。

前述のように、左翼リベラル政党の影響で高福祉政策を取る欧州諸国は、格差の少ない社会を目指して、税や社会保険料の高額負担を国民に求めているのだが、皮肉なことに高福祉諸国特有の税制や社会保障政策が、かえって社会の格差を広げ、それを固定しているように見える。

(単純に比較はできないようだが、世界各国の失業率をみてみると、高福祉の欧州では10%前後だが、アメリカやイギリスでは4〜5%程度である。日本は4%ぐらいだが、実質10%を越えると主張する人もいる)

各国の失業率 

こうしたことをふまえ、どうしたら日本が”チャンスの平等を目指す社会”を維持できるのか、そのための税制や社会保障政策はど