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北朝鮮包囲網の構築を急げ!

  • 2006/04/29(土) 23:12:01

 北朝鮮による日本人拉致事件の被害者である、横田めぐみさんの母・早紀江さんと弟・拓也さんが日本時間の29日、ブッシュ大統領と面会した。

面会で大統領は、「国の指導者が拉致を奨励するのは心がない」と北朝鮮の金正日総書記を批判。そのうえで、「(拉致問題解決への)働き掛けを強めたい」と述べた。

 面会は三十分間で、加藤良三日本大使が仲介役として同席した。早紀江さんらは北朝鮮側が提供してきた、拉致された直後とみられるめぐみさんの写真や他の拉致被害者の写真、早紀江さんら家族が英文でメッセージをかいた手紙、拉致被害者救出の象徴である「ブルーリボンバッジ」などを大統領に手渡し拉致問題解決への協力を訴えた。

 ブッシュ大統領は神妙な表情で早紀江さんの訴えを聞き、早紀江さんもブッシュ大統領の話をひざの上で手を組んで真剣に耳を傾けた。拓也さんは大統領の方に身を傾けて、一言も聞き漏らさないような表情だった。
 面会で大統領は、「最も心を動かされた面会の一つだ。お母さん(早紀江さん)がほしいのは再会だけだ。信じがたいのは、国家として拉致を許したことだ。指導者が拉致を奨励することは心がない」と指摘。

 さらに、被害者家族たちが拉致問題解決に向けさまざまな運動を展開していることに、「人権を尊重しない人に発言するのは勇気のいることだ。お母さんたちの行動を誇りに思う。人権を尊重することを私たちは守る」と語った。
(産経新聞) - 4月29日3時1分更新



引用記事 

また、横田早紀江さんらを招いて行われた米下院公聴会を主催した国際人権小委員会のスミス委員長(共和党出身)は、拉致問題を7月のサンクトペテルブルク・サミット(主要国首脳会議)の議題として提起するよう、ブッシュ大統領に働きかけていく意向を表明している。

 横田早紀江さん親子の行動力には、本当に頭が下がる。

横田さんらの活動をバックアップするためにも、サミットの正式メンバーである日本政府が率先して、サンクトペテルブルク・サミットの議題として北朝鮮による拉致問題を取り上げるよう、関係各国に働きかけるべきだ。

これまでの日本政府には、北朝鮮に対するネガティブ・キャンペーンを世界中で展開することについて消極的な人が多かったが、相手が血も涙も無い”ならず者国家”である以上、日本が手段を選ばず積極的に北朝鮮の実態と拉致問題に関する真実を世界に宣伝し、日本以外に国民を北朝鮮に拉致されたタイやルーマニアなどを含む国際世論を広く味方につけ、一刻も早く北朝鮮包囲網を構築する必要があることについては、これまで何度も言ってきた。

その意味では、なぜもっと早くこういうことが出来なかったのかという思いがぬぐえないが、今からでも遅くは無い。 どんどんやるべきである。

 ところで、拉致被害者のご家族への注目が集まるにつれ、彼らやその支持者への脅迫や嫌がらせが増加している。

横浜市で5月3から7日まで、横田めぐみさん拉致事件をテーマにした舞台公演を予定している”劇団てんびん座”に「何が起きても知らないぞ」などといった内容の脅迫電話やメールが20件近く届いているという。

一方、札幌市で予定していた、めぐみさんの父・横田滋さんの写真展が「開催すれば客や取引先、従業員に危害を加える」という脅迫状が届いたために、会場の変更を余儀なくされるという事態が発生している。

おそらく北朝鮮と利害の一致する者の犯行なのだろうが、言論の自由を暴力で奪おうという、ひきょう極まりないやり方は、北朝鮮のような地上最悪の独裁国家と全く同じ手口と言え、激しい怒りを感じる。

引用記事 

 こうした、拉致被害者のご家族や支援者への脅迫は、まぎれもない”テロ予告”なのであって、絶対に許してはいけないと思う。

警察や公安関係者は、テロを予告した犯人逮捕のための行動に一刻も早くとりかかって欲しい。 また、テロ予告の犯人がどういった人間なのか、本名・所属する団体などを国民にもハッキリと知らせるべきだと思う。

 こうした事件が起こるたびに思うのは、対内諜報機関の拡充と、盗聴などによる日頃からの情報収集(当然、関連法の整備も)の必要性だ。

これからは、日本国内に侵入・潜伏している北朝鮮などテロ支援国家の組織・個人がテロを実行する危険性は、ますます高まる。

テロ組織の活動を未然に防ぐためには、対内諜報機関による盗聴のような日頃からの情報収集が欠かせない。

日本には”犯罪捜査のための通信傍受に関する法律”というのがあるが、この法律ではこうしたことが許されていないはずである。

こういうことを言うと、すぐ「戦前の特高警察の再来だ」とか批判する人が出てくるが、テロが起こって何百何千という犠牲者が出てからでは遅すぎる。 テロ事件を防げなかった場合、反対した人は責任が取れるのだろうか?

政府も勇気を持って「北朝鮮によるテロを防ぐために、盗聴活動が必要だ」と国民を説得すべきだ。

どうせ社民・共産など左翼・リベラル勢力あたりが反対するのだろうが、私が彼らを完膚なきまでに叩き潰す記事を書いてバックアップする!

 ただ、諜報機関の権力乱用を防ぐためにも、何らかのブレーキが必要なのは当然だ。

対内諜報機関がテロを未然に防ぐための情報収集として盗聴などを行う場合には、必ず首相が法律に違反しない範囲で許可を出し、

盗聴の結果は一定期間後に、衆議院などに設けた、守秘義務を負った超党派の議員からなるチェック機関が必ず目を通し、盗聴の対象とその内容が関連法に違反していなかったかどうか、監視すると良いと思う。

もし違反が見つかれば、関係者に対する処罰をどうするかも法によって定めておく。

テロ支援国家へミサイルなどの報復手段も持たない、経済制裁もしない、対内諜報機関によるテロ防止策も講じないでは、日本の安全がどうやって守れるというのだろうか?

 世界でそして日本国内で、史上最悪のテロ支援国家・北朝鮮に対する包囲網構築を急ぐべきである。



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日韓の綱引き

  • 2006/04/28(金) 00:32:25

 ノ・ムヒョンが「竹島問題をこれ以上”静かな外交”で管理することはできなくなった。物理的な挑発に対しては、強力かつ断固とした対応を取っていく」という内容の特別談話を発表したことは、もう皆さんご存知だろう。

引用記事 

今韓国では、政府・民間の別なく「”静かな対日外交”からの決別」といったような事が盛んに言われている。

クロフネは、日本から経済援助・技術援助をさんざん受けておきながら、日本の領土・竹島を強奪しただけでは飽き足らず、歴史教育や参政権から戦没者慰霊問題まで、日本の主権を侵しズカズカと土足で入り込んでくるような、帝国主義のやり方そのものといっていい、これまでの韓国の対日外交のどこが”静か”だったのかと、あきれて物が言えない。

だが、韓国の官民に「これまでの対日外交が”静かな外交”だった」という認識が広く根付いているのだとすれば、ここにこそ、これまでの日本の対韓外交の失敗が凝縮されていると言える。

(そして、これまでの対韓外交を主導してきた自民党宏池会(宮澤派)の有力議員や外交官たちがその失敗者である。)

今日はここに切りこんでみよう。

 韓国が「これまでの対日外交は”静かな外交”だった」と考えているということは、裏返せば「韓国はこれまで日本に対して本気を出していなかった。本気を出したら韓国はもっとスゴイぞ」という事を意味している。

しかも、”漢江の奇跡”の原動力となった経済援助や、97年のアジア通貨危機の時に国家破産に直面した韓国を救った日本の債務繰り延べなど、これまでの日本から韓国へと差し伸べられた救いの手に対して、韓国が感謝の念を抱いたり恩を感じているといったようなことが、これっぽっちもないことが良くわかる。

なんという思い上がったカンチガイだろうか。中国の古典に出てくる野郎国のようだ。

 さらに韓国のネット版新聞各紙を読んでみると、これまで韓国が竹島占領を続けてこられた理由の分析が、非常におもしろい。

「力こそ正義」のパワーポリティックスが支配する国際社会で、国力で日本の10分の1程度の韓国が、日本から竹島を強奪し占領を継続させることなど、本来は不可能なことである。

にもかかわらずそれが今まで成功していることは、パワーポリティックスを信じる多くの韓国人にとってもナゾであろう。

(私が日本文化を全く知らない外国人だったとしたら、やっぱりナゾだったろうと思う)

だから韓国側は竹島占領維持が成功した理由として「米韓同盟があったからだ」などとワケのわからないことを言っているが、そうではない。

パワーポリティックスが支配するこの国際社会で、日本だけがパワーを行使せず、韓国への配慮で自重していたからだ。

それは「韓国に配慮して、竹島問題で日本は自重すべき」と主張する日本人外交官や政治家などが、「韓国に譲歩して経済援助もしてやって日本側の誠意をみせれば、韓国も日本に好意を寄せて、冷静になった韓国も譲り合いの精神で竹島を返してくれるだろう」と考えた結果なのであろうが、肝心の韓国側に「日本の韓国への配慮」など、この60年間これっぽっちも通じていなかったのだからジョークだ。1回だけでたくさんだが。

それはノ・ムヒョンが「日本が竹島領有権を主張する限り日韓間の友好関係は決して成立しない。 どのような経済的な利害関係も、文化的交流も、この(両国に横たわる歴史認識問題の)壁を溶かすことはできない」と演説したことからもよくわかる。

 むしろ韓国人の多くは、「アメリカの力も利用しつつ、韓国の国力が日本の国力と釣り合っていたから竹島を占拠しつづけることが出来たのであって、これもみな韓国自身の実力のおかげだ。」と考えているのである。

そうしたカンチガイが「これまでの対日外交は日本に遠慮した”静かな外交”だった。 韓国がもっと本気を出せば、日本はとんでもないことになるぞ」という更なるカンチガイを生み出したというワケである。

これで「日本が先に譲歩すれば韓国人が冷静になる」うんぬんといった、宏池会の連中やこれまでの対韓外交を主導してきた外交官の主張が、とんだお笑い草であった事がおわかりいただけるだろう。

このブログで「外交で、自分がこうだから相手の外国人もそうだろうと考えると、多くの間違いを犯す」と繰り返し言ってきたが、外交のプロである外交官がまんまとこの落とし穴にひっかかったのである。

 前述の「パワーポリティックスが支配する国際社会」というのが、イマイチわかりにくいという人は、二国間の外交を運動会の綱引きだと考えれば良いだろう。

綱引きの綱の真中に結んである赤いリボン(外交交渉の結果)がどちらへ行くかは、綱を引っ張る二つの国のパワーで決まる。

両者が力いっぱい綱を引けば、パワーのある国がパワーの無い相手国よりも、リボンを自分の近い方へ(自分の有利な方へ)と引っ張れるのは当たり前のことだし、二つの国のパワーが同じなら、リボンは二者のちょうど中間に来るだろう。

それが国際政治の力学であり、外交交渉の結果は多くの場合それで決まるというのが常識である。

しかし、その国際常識に当てはまらない国がある。日本だ。

 これまで外務省の大物外交官と言われる人でも「外交はゼロサムゲームではない」「外交は相手を力でねじ伏せるゲームではない」が口グセだった。

ゼロサムゲームとは、綱引きのように一方が勝って得をすれば、もう一方は必ず負けて損をするゲームのことだ。

日本の外交官がそういう理想を追いかけるのはかまわないが、だからといって世界のすべての政治家・外交官がそれを理想として目指しているわけではないし、外交交渉にゼロサムゲーム的な分野があるのも、エゴむき出しで力ずくで相手をねじ伏せようと交渉に挑んでくる外国があるのも厳然とした事実だ。

その現実から目をそらし、対策を講じなければ日本の国益に重大な損失を与えることになる。

だが決して少なくないケースで、自らの理想によって頭デッカチになった日本の外交官は目をそらし、机上の空論を振りかざしてしまった。

 全ての人がそうではないと信じたいが、日本の外交官には「外交とはゼロサムゲームではない」のだから「外交交渉の落しどころ(妥結点)は日本と相手国の主張を足して二で割ったぐらいがちょうど良い。 そこを目指すべきだ。」と考えるクセがあるようだ。

どうも日本の外交官には、自己主張すること=ワガママ=悪という、極めて日本人的な、つまらない先入観・偏見があるように思える。

綱引きの例で言えば、「綱引きの綱を力いっぱい引っ張らないで、日本が相手に配慮して力をゆるめてやれば、相手もこちらに好意を抱いて必ず力をゆるめてくれる。 そうすれば、赤いリボンは日本と相手国の真中ぐらいとなって、譲り合いの精神で万事丸く収まるじゃないか。」と考えるのである。

まず「赤いリボンは日本と相手国のちょうど中間」ありきというワケだ。

(「今度の外交交渉の落しどころは○○だ」などとマスコミにリークする政府関係者もいるようだが、オークションのライバルに自分の希望落札価格をバラスようなもので、自分のやっていることがどれほどアホなことか気づかないのだろうか)

確かにきれいな理想論だが、国際社会はそんなきれいごとだけで動いているわけではない。

それは極めてドメスティックな日本人同士でしか通用しない価値観でしかないし、それを外国人相手に通用すると思って持ち出すことなどもってのほかだ。

 韓国も含めて世界のほとんどの国は自らの国益をなるべく極大化するために、それぞれの国力に応じて綱引きの綱を力いっぱい引っ張る。

そして両者の力関係に応じて、赤いリボンの行き先、つまり交渉の妥結点が自然と決まってくる。


そんな国際社会に「外交の綱引きは相手に配慮してわざと手を抜いてやるのがコツ。そうすれば相手だって譲り合いの精神で手をゆるめてくれる」と考える日本がノコノコ出ていったらどうなるか?

日本と国力が同等の相手でも、赤いリボンは相手国に近い方、つまり日本に不利な条件で交渉が妥結することになるだろう。 なにしろ相手は力いっぱい引っ張っているのに、日本は「リボンが中間に来るように」と考えて、わざと手を抜いているのだから。

しかもたいていの場合、日本特有の文化など持ち合わせていない相手が、日本に感謝するという事はない。

むしろ「自分達は日本よりパワーで勝っていたから、赤いリボンは自分達に近いところで釣り合ったのだ。これは自分達の実力である。」と言って、自国のパワーに自信を深めるだけである。

 綱引きの相手が竹島問題でもめている相手、日本より国力の劣る韓国の場合を考えてみよう。

韓国は当然、力いっぱい綱を引っ張る。 日本は韓国に配慮して手を抜く。譲り合いの精神で韓国が手を抜いてくれることを期待してだ。

しかし韓国が手を抜くことは無い。日本への憎しみでアドレナリンが急上昇して120%の力を発揮してくるだろう。反日ドーピングパワーである。

その結果、赤いリボンは日韓の中間で釣り合ってしまう。

つまり韓国による竹島の不法占拠は続き、韓国漁船の密漁や武装スリ団は横行し、日本への内政干渉はおさまらない。

日韓の綱引きのこの結果について、韓国は「韓国のパワーが日本のパワーと釣り合ったからこういう結果となったのだ。 韓国は日本に匹敵するパワーを持つ大国である。実力で結果を勝ち取った我々がどうして日本に感謝する必要があろうか?」と考える。

「日本が韓国に配慮してわざと力を抜いてくれたんだね。ありがとう。今度はこちらも力を抜いて譲り合いの精神でいきましょう。」なんて韓国が考えると読んだ、日本の”エリート外交官”の甘っちょろいシナリオなどこっぱみじんだ。

日本が韓国との綱引きで、わざと力を抜いてやるのを続けていると、思い上がりをエスカレートさせた韓国はこう考えるようになる。

「これまでの韓国のやり方は、おとなしすぎた。もっとがんばって激しく綱を引っ張ってやれば、日本なんてやっつけられる。」 

これが現在の韓国にはびこる「”静かな対日外交”からの決別」論である。
今後、韓国は激しく綱を引っ張ってくることだろう。

これまで日本が綱引きの綱を精一杯引っ張らなかったことが、韓国側にとんでもない思い上がりを生みだし、それが日韓関係を暗礁に乗り上げさせてニッチもサッチも行かなくさせた大きな原因となったのである。

これまでの日本の対韓外交の失敗が凝縮されていると言ったのは、そういう意味だ。

(まあ、韓国が世界でもまれに見る妄想狂国家というのもあるが)

 それではどうすれば良いのかと言えば、相手が韓国だろうと中国だろうとどこだろうと、日本は持てるパワーを最大限発揮して、力いっぱい外交の綱を引っ張れば良いのである。

そうすれば相手国との力関係によって、赤いリボンの位置は自ずから決まってくる。それを淡々と受け入れれば良いだけだ。


日本が自らのパワーをありのままに発揮すれば、日本より力の劣る国との綱引きは、当然のことながら、赤いリボンが日本に近い方へと来る結果となろう。

そのことによって、はじめて相手国は自分と日本との力関係を正確に認識することが出来る。

そうすれば、日本と外国とのムダな争いが発生する可能性は今よりぐっと少なくなるだろう。

人は勝つチャンスがあればあるほどやる気が出るものだからだ。

はじめから勝つチャンスが無いとわかっていて、あえて勝負を挑んでくる人はいないだろう。負けた結果、自らが激しく傷つくとわかっていれば、なおさらだ。

日本が「パワーでは日本の方が上だよ。それなのに日本に突っかかってくるとケガをするのはあなただよ」と諸外国にはっきり教えてやるのが、親切というものだ。

もちろん、相手に道理があり国際法を守っているのに、日本がそれらを無視してパワーで相手をねじ伏せてはいけないけれども。

それを、わざと力を抜いてやって相手にも勝つチャンスがあるかのように見せかけるのは、相手を挑発して日本自らがトラブルのタネをまいているようなものだ。

いちいち勝負を挑まれてめんどうに巻き込まれる日本にとっても、日本との勝負で”思わぬ敗戦”を喫し傷つく相手にとっても不幸なことだ。

そのあたりを多くの日本の外交官や政治家はわかっていない。

「落しどころは日本と相手国のちょうど中間」ありきで交渉に臨んだり、どう考えても日本に道理があって韓・中の要求の方に無理があるのに、韓国や中国の外務省のジャパンスクールの面子を立てながら日本の国益も守ろうとするような、まどろっこしいことをやっているから、日本より国力で劣る韓国や中国とのトラブルが絶えず、日本の外交官は肝心の国益さえ守れないのである。

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関連記事・指導者としての覚悟

指導者としての覚悟

  • 2006/04/26(水) 08:00:40

 中国との東シナ海ガス田問題や韓国との竹島海底調査問題など、日本の指導者の覚悟が試される事件が相次いでいる。

両事件の途中経過を見る限り、小泉首相をはじめとする政治家と二橋官房副長官や谷内外務次官など事務方(官僚)の双方に、国家を指導していくのに必要な覚悟というものがちゃんと備わっているのか、非常に心もとなく感じる。

 「政治とは結局、利害調整である」と大学時代の政治学の教授はおっしゃっていたが、「あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たない」といった事は、政治ではよくある話だ。

知らず知らずのうちに、将棋で言えば「王手飛車取り」のような、どちらを選択しても犠牲を覚悟しなければならないという状況に、国家が追い込まれるといった事は、そう珍しいことではない。

国家の指導者にとって一番つらく難しい決断とは、「王手飛車取り」の”王”も”飛車”も、人の命がかかわっている場合に行う決断であろう。

 1977年にダッカ事件と呼ばれる大事件が発生した。

パリ発東京行の日航機が日本人極左テロリストにハイジャックされ、バングラデッシュの首都ダッカにある空港に着陸させられた。

極左テロリストは、刑務所に入っている仲間の釈放と15億円以上の身代金を要求した。

1972年のミュンヘン事件に代表されるように、当時の国際社会では「テロリストの要求に屈することは、さらなるテロを生む」という考えから、「テロリストの要求には応じず、特殊部隊による強行突入も辞さない」というのが常識となっていた。

 当時の首相は、福田康夫・元官房長官のお父様である福田赳夫氏であったが、福田首相は「人命は地球より重い」と述べて、”超法規的措置”として、獄中の極左テロリストを釈放し身代金支払いを決断。

「日本は家電や車のみならずテロまで輸出するのか」と国際社会から厳しい非難を浴びた。

残念ながら当時の福田首相には、指導者としての覚悟があったとは思えない。

 そして「テロリストの要求に屈することは、さらなるテロを生む」という言葉が現実となるのが、96年に起こったペルー日本大使公邸人質事件である。

ペルーの日本大使公邸を左翼テロリストであるツパク・アマル革命運動(MRTA)の武装メンバーが占拠し、500名近い人質をとって、仲間の刑務所からの釈放を要求した。

フジモリ・ペルー大統領はテロリストの要求をつっぱねて毅然とした姿勢をみせ、米・英・独などもこれを支持した。

しかし、当事者である日本の橋本首相は「人命最優先」を主張して、あくまでも話し合いによる平和的な解決をペルー政府に求めた。

「テロに屈するな」という欧米諸国と、「人命最優先」を主張するペルーの大口援助国である日本との板ばさみに、フジモリ大統領もかなり苦しんだことだろう。

事件の方は、フジモリ大統領がペルー特殊部隊を日本大使公邸に強行突入させて極左テロリストを射殺、ペルー人の人質1名と特殊部隊隊員2名に犠牲を出しながら、事件を解決させた。 日本人の人質は全員奇跡的に無事だった。

 フジモリ大統領は、「人命最優先」「平和的な解決」を求めていた日本に何も知らせず特殊部隊を突入させ、ペルー政府と極左テロリストとの話し合いによる「平和的な解決」を最後まで信じきっていた橋本首相と日本政府は予想を完全に裏切られ、赤っ恥をかいた。

大森義夫・元内閣情報調査室長によれば、MRTAは武力占拠の目標を当初から日本かスペインの公館にしぼっていたという。

つまりアメリカやフランス・ドイツなどの大使館を占拠すれば、各国が保有する特殊部隊が強行突入してくるのは目に見えているからそれらを避け、テロリストの要求をすぐ飲むと定評?のある、組しやすい日本が標的になったということだ。

ちなみに事件がおこった時、MRTAのメンバーは人質に含まれていたアメリカ人をさっさと解放した。 これによって強行突入に備えていた、アメリカの特殊部隊デルタ・フォースはひとまず撤収したという。

ダッカ事件で福田首相が国際社会からの非難にもかかわらずテロリストに屈した時点で、ペルー人質事件の発生は約束されていたと言えるだろう。

福田・橋本元首相が、不運にも「王手飛車取り」をかけられてしまった時、指導者としての覚悟がなかった彼らは、”王”ではなく”飛車”を逃がすという失敗をおかしてしまったのだった。

”飛車”とは人質の命であり、”王”とは一億数千万の日本国民の命である。

日本の国家主権を無視し、内政干渉をくりかえす中国や韓国に対して、毅然とした態度でそれを跳ね返すことができない、橋本元首相や福田元首相のお子さんである福田康夫議員の存在は暗示的である。

一方フジモリ大統領は、つらい決断ではあったが、”王”を逃がすために”飛車”を犠牲にすることもいとわない覚悟があった。 情けないことに、日本は彼の覚悟に救われたと言える。

 人質に犠牲者を出したくないのは良くわかるし、まずは”飛車”も”王”も安全に逃がすために、国家の指導者が全力を尽くすべきなのは大前提である。

だからといってテロリストの要求を易々と飲むと、テロリストに「人質事件を起こすならアメリカ・フランスなどを避けて日本相手にするのがお得ですよ」というメッセージを発することになり、結局日本と世界に散らばる一億数千万の日本国民全体を危険にさらすことになる。

以前「イラクをこの目で見たい」と言って現地に乗り込んだ若者が拉致され、殺害されるという痛ましい事件が起こった。

その時、イスラム原理主義テロリストの要求をつっぱねた小泉首相を「血も涙も無い冷酷な人間」と批判する声が上がったが、苦渋の決断だったが小泉首相は指導者として最低限の選択はしたと私は思う。

気の毒なことだけれども、無鉄砲な若者一人のために、残りの一億三千万の国民の命を危険にさらすことはできない。

 ここで竹島近海の海底調査問題に話を戻すが、交渉にあたった谷内次官も政府首脳も、海保の調査船が韓国に拿捕されたりするような事がなくなって「最悪の事態は避けられた」と一様に安堵の姿勢を示しているが、私は諸手を上げて賛成できない。

なぜなら海保の調査船拿捕が最悪の事態だとは必ずしも言えないからである。

日本が調査を見送ったことを、韓国や他の国が「日本は自国の領土を一旦奪われれば、あきらめて泣き寝入りする国だ。 自衛隊なんてハリボテの役立たずで日本は軍事力を使う勇気をまったく持ち合わせていない。」というメッセージだと勘違いした場合、日本は竹島に続いて外国からのさらなる侵略を受ける可能性が高まる。

そう、テロリストの要求を受け入れるとさらなるテロを生み出すように。

三国干渉の時のように、紛争を抱える相手が日本より圧倒的に国力が上で、対策を講じるための時間稼ぎが必要だから譲歩するというのなら、まだ話はわかる。

だが日本より国力で劣る国が日本の主権を侵しても、日本が何もしないような場合は、危険極まりない。

 もし新たな侵略を受ければ、追い詰められた日本も自衛のため最後には武力を行使せざるを得なくなる。

それでも「日本は軍事力を最後まで使わないだろう。日本は泣き寝入りするはずだから戦争にはならないだろう」と日本を甘く見た外国が軍隊派遣を強行すれば、本格的な戦争になる。

戦争になれば日本が勝ったとしても、数百あるいは数千の犠牲者が出ることは充分あり得る。

こうして誰も望んでいなかったのに戦争が起こり、犠牲者が出ることになる。

 平和憲法の”信者”に代表されるような空想的平和主義者は、「誰か戦争を起こしたくて仕方ない悪いヤツがいるから、戦争というものは起こるのだ」と思っているのだろうが、誰も望んでいないのに大戦争が起こることは、歴史上決して珍しい事例ではない。

第2次世界大戦のヨーロッパ戦線やフォークランド紛争、湾岸戦争など...

たとえ拿捕されたり銃撃を受けたりしてケガ人が出たとしても、調査船を竹島近海に派遣して「日本はいざという時、実力行使をいとわない」という姿勢を韓国を含む諸外国にみせつけておくのと、誰も望まない戦争を誘発して数百・数千の戦死者を出し国民全体を危険にさらすのと、そのどちらを指導者は選ぶべきだろうか?

どちらが”王”でどちらが”飛車”だろうか?

家族も子供もいるであろう調査船のクルーを危険にさらすというのは、真っ当な人間なら本当につらくて身を切られるような思いになる。

だが、どんなにつらくても冷徹に”飛車”を犠牲にする方を選ぶ覚悟のない人間は、国家の指導者には向いていない。 ”飛車”がかわいいばっかりに”王”を犠牲にしてゲームオーバーにするのは最低の将棋指しだ。

(「王手飛車取り」をかけられないよう、常日頃から万全の備えをしておくのが一番大切だが)

そのような覚悟のない、単に”お山の大将”になりたいだけの人には指導者になる資格が無いし、すみやかに退場するべきだと思う。

国家の指導者というものは、「慈愛あふれる冷血漢」「野蛮な高潔者」でないと務まらない。

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竹島海洋調査は一応決着か?

  • 2006/04/24(月) 23:55:59

 日本の海上保安庁による竹島近海の海底調査に対して、韓国側が強硬に反発していた問題は、「韓国が6月の国際会議で、竹島近海の海底地形に韓国名をつけるための申請をしない」かわりに「日本も海底調査をいったん中止する」ことで一応の決着をみたのは、皆さんご存知の通りだ。

同時に、5月にも日韓両国による排他的経済水域(EEZ)に関する交渉を開始することでも合意した。

引用記事 

 しかし韓国側は「適切な時期に(韓国名をつけるための申請を)推進する」としており、「韓国が6月の国際会議で、韓国名を申請することはない」と発表した谷内外務次官の見解と食い違いをみせている。

これに関しては、日韓両政府が持ちかえった合意文書を入手して、どういった表現になっているかを確認でもしない限り真相はわからない。

マスコミ各社も「韓国は6月の申請を断念」と報道しているところと「韓国は断念とは明言しなかった」と報道しているところがあり、情報が錯綜している。

 以前にも述べたとおり今回の問題は、よっぽど日本側がドジを踏まない限り、どう転んでも日本にとって有利な形で終わるような状況だった。

そしてソウルで行われた交渉の結果を見る限りでは、両国はそれぞれ、韓国名の申請と海洋調査の実施をとりあえず保留した形となったものの、竹島問題の紛争化に韓国を引きずり込んだという意味では、まずまずの成果があったと言えるだろう。 EEZに関する交渉が再開されるのも評価できる。

ただ、日本としては一番”もうけ”が少ないシナリオに落ち着いてしまったのも事実だ。

 日本政府が、今回の戦術的な勝利を「竹島返還」という戦略的勝利へと、どう結びつけるつもりなのか、いまいち私には見えてこない。

ソウルでの交渉に悪影響を与えないように、あえて言及を控えていたが、そもそも海保による海洋調査実施は、何の目的で策定されたのだろうか?

それが単に「韓国が6月の国際会議で、韓国名を申請するのを止めさせるため」だったとしたら、志というか目標設定が低すぎる。

また、国際世論を日本の味方につける根回しも充分だったとは言えない。

ともかく、5月に開始される予定のEEZ交渉や、6月の国際会議で韓国が本当に申請をあきらめるのかを見極めてからでないと、今回の交渉妥結による日本の”もうけ”が充分だったのか、それとも少なすぎたのかを判断するのは早い。

 最後に、竹島問題についての交渉で、これまで日本の外交官はいったいどんな事を韓国側に言ってきたのか疑問で仕方が無い。

韓国の竹島領有の根拠は近代以前の場合、鬱陵島や鬱陵島を誤認した結果である架空の島などに関して記録している古文書を「あれは竹島の事を書いたものだ」と強引にこじつけて言い張っているにすぎない。

そもそも近代以前の韓国側には竹島について正確に記述した資料も地図も皆無であり、韓国人は竹島の存在をほとんど、もしくは全く知らなかったと見てよいだろう。

だから1905年に日本が近代国家として竹島の領有を宣言したことについて、日本側に何の非も無いし、もちろん日韓併合とは全く関係の無いことだ。(念の為言っておくが、当時の大韓帝国は外交権を奪われてはいなかった)

現代以降の韓国の竹島領有の根拠は、第2次大戦が終わった時に、占領統治の便宜上GHQなどによって竹島が本土から切り離された点についてだが、これは日本の最終的な領土の範囲を決定するものではなかった。

実際、サンフランシスコ講和条約によって竹島は日本領に確定したのであって、竹島を我が物にしようとした李承晩政権の訴えは連合国側から却下されている。

 日本側に竹島領有の正当性を示す根拠がこれだけありながら、なぜ日本の外交官は議論によって韓国側をねじ伏せられないのか、不思議でならない。

韓国側のデタラメな竹島領有権の根拠など、素人でも簡単に論破できるのは前述のとおりだ。

にもかかわらず、竹島問題がここまで来てしまったのは、ちょっと勉強すればわかることにもかかわらず、日本の外交官・政治家が竹島問題の歴史的経緯に全く無知だったせいなのだろうか?

だったら、竹島問題に精通していない外交官・政治家は一切交渉からはずして欲しい。いないのなら政府が早急に育ててくれ。1ヶ月あれば充分のはずだ。

 それとも、わざと韓国側をねじ伏せようとせずに見逃して来たせいだろうか?

韓国側は多くの場合、歴史問題などで論破されそうになると「歴史に科学を持ちこむのか?」とか「日本は大国なのだから韓国人の情緒に配慮すべきだ」と言って、「ウソを見逃してくれ」と甘えてくるのが相場となっている。

そこで日本人が「義理と人情・浪花節」のような、極めてアジア的なウエットな感情に引きずられて韓国側のウソを見逃してやると、彼らは勝ち誇ったように「竹島の領有権はやっぱり韓国にある」と大声で言いふらすのも相場となっている。

「義理と人情・浪花節」のようなアジア特有のウエットな感情は、これまで日本の対アジア外交の明らかなトラブル原因となっており、絶対にそういったものを外交に持ちこんではいけないと声を大にして言いたい。

韓国側が「歴史に科学を持ちこむのか?」と言ってきたら、「そうだ」と答えて議論に科学と論理的思考を持ちこみ、

「韓国人の情緒など知ったことではない。問題は日韓の主張のどちらに正当性があるかだ」と答えて、感情を排し冷徹に韓国側を論破して、議論によって相手を完膚なきまでにねじ伏せることで、はじめて竹島問題が根本的な解決に向けて動き出すのである。

韓国側の妄想をそのままにして、日本が議論で相手を完全にねじ伏せる事から逃げ続ける限り、竹島問題は一向に解決しない。 むしろこじれていくばかりだろう。


(「義理と人情・浪花節」のようなアジア特有のウエットな感情の外交への害は先に述べたとおりだが、それを国内政治に持ち込むと腐敗と汚職にまみれた個人・集団による独裁体制や派閥政治を生みだし、経済に持ちこむとクローニーキャピタリズムを生み出す。

「義理と人情・浪花節」を日本人がプライベートでやるのは一向にかまわないが、日本は先進国なのだから、いい加減そういうのを政治・外交・経済に持ち込むのは止めて欲しいし、そういったアジアの悪い体質から日本は距離を置くべきだと思う。 ハッキリ言って、クロフネがアジア的なもののなかで一番嫌いなのがこれだ。)


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関連記事・竹島近海の海底調査を実行せよ!

韓国は帝国主義国家である

  • 2006/04/20(木) 00:50:47

 竹島問題に揺れる韓国だが、あの国を見ていると「100年遅れでやって来た帝国主義国家」という言葉がぴったりだと、つくづく思う。

近代国家というのは多くの場合、産業革命によって国力が充実すると民族主義(ナショナリズム)・軍国主義の高まりを生み、そのパワーが外に向かいはじめると、領土を拡張し植民地をつくろうとする。

それが帝国主義であり、一番最初に産業革命を成功させたイギリスからフランス・ドイツ・アメリカ・ロシア・日本へと広がっていき、二度の世界大戦を経て、少なくとも西側先進国では帝国主義の時代は一応終わりを告げた。

これ以後、アジア・アフリカの植民地が解放されるとともに、「武力を使って領土を拡大することは、割に合わない」というコンセンサスが、徐々に先進国に広まっていった。

 しかし、社会の発展が先進国よりも遅れた韓国はそうではなかった。

独立後の韓国は、いきなり排他的ナショナリズム全開の帝国主義国家となった。

だが、アジアの最弱・最貧国レベルの韓国が
侵略できそうな国は無かった。
まわりの日本も中国もソビエトも韓国より強い国ばかり。

そこで目をつけたのが竹島である。

当時の日本は第2次大戦でアメリカにノックアウトされて気を失っているような状態で、竹島を盗み取るには千年に一度あるかないかのチャンスだったと言える。

そこで韓国は勝手に李ラインを設定して、そこに近づく日本の漁民を射殺し、ついには竹島に”守備隊”を置くようになった。

 1960年代後半以降、日本からの援助金と日本企業の技術によって、韓国は産業革命を達成し国力を充実させると、韓国の排他的ナショナリズムと帝国主義・軍国主義的性格はいっそうエスカレートしていった。

パク・チョンヒ、チョン・ドファンら軍人による独裁体制、排他的ナショナリズムに基づく洗脳的歴史教育、マスメディアを使った言論・思想コントロールなど...

「原始社会だった古代日本に文明を教えてやったのは韓国。だから人種的にみて韓国人の方が日本人よりも力量がある。しかし近代になって日本は韓国を併合し恩を仇で返した。そのせいで韓国は先進国から途上国へ転落した」
「韓国は経済5ヵ年計画で漢江の奇跡を実現させ、独力で世界11番目の国になれた。 サムソンはどの日本メーカーよりすぐれている」といった具合に。

近年では「昔、日本海は東海と呼ばれていた。それを日本が韓国を支配している隙に、日本海と変更したのだ。だから元に戻さなければならない」と世界に訴え、サッカー・ワールドカップで勝ったというだけで気が大きくなると、韓国は世界を動かすキープレーヤーであり、バランサーなのだと言い出す始末。

排他的ナショナリズムから発生した妄想は悪化するばかりだ。

 そして今回の、竹島近海の海底測量の問題である。

4年前から日本の抗議を無視して、韓国は力ずくで海底測量を強行し、それによって海底地形に韓国名をつけ、竹島と周辺の日本海を完全に支配下に置こうとやっきになっている。

力で相手をねじ伏せ、自らの勢力圏の拡大をめざすのは、帝国主義の考え方である。

 左翼の影響力の強い日本では、

韓国は日本に侵略されたかわいそうな国
      ↓
だから平和を愛する国
      ↓
だから正義の国 

といった”神話”が、さも事実であるかのように流布されていたが、

実際は、好戦的なナショナリズムを持ち、自らの勢力圏・領土領海の拡大にあこがれる、「100年遅れでやって来た帝国主義国家」なのである。

それが目立たなかったのは、ただ領土領海を拡大するだけの能力が無かっただけだ。

 こういった国が「しばらくほっとけば冷静になる」ということは、まずないだろう。

韓国の大多数の国民が妄想から目を覚まし、自らの愚かさを悟るのは、韓国全土が焼け野原になるぐらいでないと無理なのではないだろうか。 そんな愚かな国につきあってはいられない。

このような愚かな国は日本の友人として全くふさわしくないし、韓国とつきあっていくことで得られる利益と、韓国を日本の友好国にするためのコスト・損失を冷静に比較してみると、どう考えてもコストや損失の方が大きすぎる。

日本は残りの約200ヶ国と仲良くやっているのだから、それでよいではないか。

 戦後日本の国是だった、世界のすべての国と仲良くしようとする”友好原理主義外交”は、かえって日本を平和・友好から遠のかせるのは、皮肉なことだが真理である。

どこの国の格言だったかは忘れたが、「敵が全くいないという人物には、親友と呼べる友もいない」というのがある。

日本で言えば「八方美人」に当たる言葉だが、自ら全く主張せず、どの国に対してもヘラヘラと良い顔をしようとする”友好原理主義外交”は、短期的には敵をつくらないかもしれないが、長期的にみれば、世界各国に日本への敬意を失わせ、日本をバカにするような感情を生み出す。

その結果、友人達は日本のもとを離れ、日本をバカにしきった敵を多くつくり出すのである。

一方、敵をつくることを恐れず、自らの哲学・信念にもとづいた”主張する外交”をすれば、敵ができるかもしれないが、それに共感してくれる友人だってできる。 いざと言う時は日本のために駆けつけてくれる親友がその中から現れるかもしれない。

そのことが敵にも日本への敬意を生み、日本と和解できなくとも、ケンカを売ろうというモチベーションを失わせる。

”友好原理主義外交”が生み出すのは、
日本をバカにしきった敵と日本を哀れむ隣人。

毅然とした”主張する外交”が生み出すのは、
日本に共感してくれる親友と、競争相手として日本を恐れ、一定の敬意を払う敵である。

そのどちらが良いか?後者であるのは明々白々だろう。

 多くの日本の政治家・外交官にはそれがわかっていない。
自戒も込めて言うが、それが理解できないのは人間的に成熟しているとは言えないと強く思う。

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関連記事・日本は外国と、どうつきあったらよいのか?(その2)

関連記事・低信頼社会と、うまくつきあうために

竹島近海の海底調査を実行せよ!

  • 2006/04/19(水) 23:55:21

 海上保安庁が実施を計画している竹島近海の日本の排他的経済水域内での水路測量について、韓国政府は「拿捕も辞さず」と強硬に反発している。

引用記事 

しかし、過去4年間に渡って韓国は日本からの抗議を一切無視して、竹島近海の海底の測量を強行している。

そのデータを使って6月にドイツで開かれる国際会議で、竹島近海の海底地形に韓国名をつけることを狙っており、それによって竹島侵略とその占領という既成事実をさらに強固なものにしようとしているのだ。

 韓国が実力で日本をねじ伏せにかかった以上、日本もそれに対抗せざるを得ない。 日本としては、自国の経済水域での水路測量は当然の権利であるし、海保による水路測量を予定通り実施すべきである。

谷内外務次官は韓国との非公式折衝で、「6月の国際会議で、竹島近海に韓国名をつけるよう韓国が要求しなければ、海保の測量を見送る」と提案したようだが、それを韓国が飲んだとて竹島問題の解決に一切なっていない。 問題外の提案であり、即刻撤回せよ。

 そもそも、日本が韓国に対抗して測量を強行しても、竹島を不法占拠している韓国に不利なだけで、日本にとっては、何が起こっても竹島問題解決のためのさまざまなカードが手に入るチャンスと言える。

もし韓国が日本の調査船を拿捕した場合、国連海洋法条約・第279条の「平和的手段によって紛争を解決する義務」に違反することになる。

ノ・ムヒョンは「国際法なんか知ったことか」と、いつものマヌケぶり全開のようだが、

日本政府の調査船が拿捕されれば、「韓国が暴力を行使して一方的に国際法に違反した」と主張して、韓国の不当性を国際社会にアピールできるし、拿捕に対して国際海洋法裁判所もしくは国際司法裁判所に提訴することもできる。

もちろん韓国が同意しなければ、裁判は開始されないだろうが、韓国が出てこないことで、国際社会にも「韓国は自分が悪いと自覚しているから裁判から逃げた。だから日本が正しい」とアピールできるだろう。

このように竹島問題が世界や日本国内で注目を集めれば集めるほど、日本にとってカードが増えるのである。

 ところが日本の一部には「韓国が冷静になるまで、日本は自重すべき」という意見がある。だが、それは間違った考え方であり、韓国や韓国人というものを全く知らない者の主張である。

この50年近く、ずっと日本は自重してきたのだが、韓国が冷静になるなんて事は一度も無かった。


 竹島問題について、日本人は「日本にも韓国にも公平な国際法に照らして、正当な根拠を持つ方が竹島を領有することにしましょう」という、非常に冷静な考えに基づいて、対処してきた。

しかし、文化も民族性も日本人とは正反対と言って良い韓国人の多くはそうは考えなかった。そこが多くの日本人にわかっていない。

感情をコントロールするという文化に欠ける韓国人にとって、竹島問題は「日本対韓国の勝負」なのであって、始めから善悪ぬきで「韓国の勝ち=竹島は韓国のもの」ありきなのである。

韓国の政府・学者・マスコミは「韓国の勝ち」を何としても確定したいがために、架空の島や鬱陵島、それに付属する島・竹嶼などを記述したと思われる古文書を「これは古代から竹島が韓国のものだった証拠だ」と、あとづけで強引にこじつけた。

多くの韓国民は、韓国政府やマスコミの竹島領有の根拠の正しさなど考えたこともない。 そして「韓国が正しいに決まっている。そんなの考えるまでも無い。」と言って、何十年もエキサイトし続けているわけだ。

このような文化が消滅でもしないかぎり韓国人が冷静になるワケがないし、だから「竹島問題の冷静な解決」も有り得ない。

「韓国が冷静になるまで、日本は自重すべき」という主張の前提そのものが間違っているのである。


 しかし大多数の韓国民とは違って、韓国政府は自分達の主張する竹島領有の根拠が妄想に妄想を重ねたデッチ上げであり、国際社会ではとうてい通用しないものであることをよく知っている。

それで理性的になって「竹島を日本に返そう。」とは考えずに、「竹島問題は日本対韓国の勝負」だから「日本に負けないために、何としても国際社会で裁判にならないようにしよう」と考えるのが、やはり韓国人の民族性というものである。

 韓国政府に冷静さとか公平・正義による解決を求めてもムダだろう。 もとから、彼らにそんなもののカケラも無いのだから。

だからこの際、竹島問題を徹底的に国際紛争としてクローズアップさせて、韓国側の竹島領有の根拠をこっぱみじんに論破すべきだ。

 韓国は”オオカミ”であり、日本が”東郭先生”でありつづける限り、竹島問題は解決しない。

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関連記事・東郭先生と中国人

関連記事・イチロー発言と韓国人の民族性

中国が航行禁止を撤回

  • 2006/04/18(火) 23:56:37

 東シナ海の日中中間線を越えた日本の経済水域内の一部海域について、先月1日から中国政府が外国船舶の航行を禁止する公示を出していた問題で、日本側の抗議を受けた中国政府は「技術的な誤りがあった」として、航行禁止の範囲を中間線の中国側に限る訂正をしたことが明らかになった。

引用記事 

 中国に公海の自由を制限する権利は無く、日本の排他的経済水域内に中国の排他的水域を設定した今回の措置は、中国による明白な侵略行為であり、その撤回は当然であった。

これによって事態はひとまず収まった形となったが、中国政府の言う「技術的な誤り」を鵜呑みにはできない。

確かに緯度の数字を単純に間違っただけという可能性は0%ではないが、中国政府海事局のプロがそんな単純なミスを犯すだろうか?

 私は、今回の中国政府の公示は、わざとやった可能性が十分あると思う。 その場合、二つの可能性が考えられる。

まず一つ目は、今回の船舶航行禁止措置公示は、軍部に代表される中国政府内部の反日強硬派が暴走した結果で、胡国家主席を含む指導部は、それを知らなかったという可能性。

もう一つは、当然指導部も知っていて、その指令のもとに公示がなされたという可能性だ。 

今回の公示がわざとなされたものだったとすると、今度はその意図が問題になってくる。 前者なら単純な話だが、後者の場合はかなり計算された狡猾な意図に基づくものであろう。

それは、中国政府が日中中間線の日本側を侵略した場合、日本がどういった反応を見せのか、それを知るための”観測気球”があの公示であった可能性が高い。

日本が実力行使を含む強硬な対応をとれば「何かの間違いでした」と言って航行禁止措置を引っ込めるが、

日本が中国の軍事力を恐れて泣き寝入りするようなら「中国が中間線を侵略しても大丈夫。既成事実さえつくってしまえば、日本は何もできないで指をくわえて見ているだけ。」というサインとなるわけだ。

もしこれが事実だったとすると、中国が航行禁止を撤回する原因となった、日本から中国への”強硬な対応”はこれではないだろうか。

引用記事 

16日に政府は中国に行っているODAのうち、無償資金協力を打ち切ることを決定した。

3月末に、対中円借款供与の決定を政府が見送った時、ヒステリックに反応したことからもわかるように、中国は円借款を停止されるのを非常に嫌がっている。

今回の無償資金協力の打ち切り決定が「円借款まで停止されたい?」というメッセージを含んだ、中国の侵略宣言に対する断固たる報復措置となり、そのことが、中国に航行禁止措置を撤回をさせる原因となったと考えられる。

ただ、今後も定期的に日中中間線の内側を海上保安庁の巡視艇に航行させるなど、日本のプレゼンスを誇示しつづける必要があるし、再び中国が「中間線の侵略」を宣言しても、やはりそれを無視し、巡視艇に航行を継続させなければならない。

 今回の中国による航行禁止公示が観測気球だったとすると、日本政府の対応はまずまずであったが、政府の一部の人間による決して見過ごせない過失があった。

各種報道を総合すると、中国海事局が、日本水域内の船舶航行禁止を3月1日に公示し、それに日本の海上保安庁が気づいたのが3月28日だった。

同日、海保は中国海事局に事実関係を問い合わせるとともに、日本外務省に外交ルートを使った中国側への照会を要請した。

ところが、外務省はこの重大な事実を首相官邸に隠して放置。中国への照会さえも行わなかった。

中国側から何の返事も無く、外務省も何もしないことにシビレをきらした海保は、4月13日に国際海事機関(IMO)の取り決めに基づき、世界九カ国に航行警報を出した。

また翌14日には、このことが海保から情報当局(おそらく内閣情報調査室<内調>)を通じて、首相官邸へと伝えられた。

秘密を隠し通せなくなったことが明白になった同日、外務省はしぶしぶ中国側に事実関係を照会した。

ところが、まだ失態のオマケがあって、情報当局から首相官邸にもたらされた報告が、どういうわけか小泉首相や安倍官房長官に伝わらなかった。

15日に水産庁から中国の航行禁止公示について問い合わせがあったためにこの問題が明るみに出て、同日深夜から16日にかけて、マスコミ各社が一斉に報道して大騒ぎとなった。

16日になって外務省はようやく首相官邸に、この事実を報告。 外務省が一番最初に情報をつかんでから半月もたった後だった。

同日、政府は中国への無償資金協力を打ち切ることに決定。

そして17日安倍官房長官が中国に抗議した。

引用記事 

 4月14日に、情報当局から首相官邸にもたらされたこの重大な報告が、小泉首相や安倍官房長官に伝わらなかったことについては、官邸までは情報が入っているのだから、官房副長官が報告を聞いて、首相や官房長官に情報を上げなかったという線が濃厚だろう。

しかも3人の官房副長官のうち長勢・鈴木の両氏は自民党出身だから、情報をもみ消した犯人だとは思えない。 すると残るのは、事務方(官僚)トップの二橋正弘氏しかいない。

 これってどこかで見たような構図だなと思ったら、上海領事館員自殺事件と全く同じ。

あの時も、自殺の発生を外務省が隠し、内調から上がってきた報告を途中で握りつぶしたのは二橋官房副長官だという報道があった。 首相や官房長官は週刊誌がすっぱ抜くまでカヤの外。

 政府も今回の事件の真相解明に動き出しているし、今はそれを見守りたいが、

外務省にしろ二橋官房副長官にしろ、中国のスパイによって日本の領事館員が自殺させられた事実や中国による日本の経済水域内の船舶航行禁止公示を、首相に黙っていて隠し通せば、自殺させられた領事館員が生き返るとか、中国が日本の経済水域に対して侵略宣言をした事実が消えてなくなって、事態が好転するなんてことがあるわけないだろうが。

大学入試や国家一種試験じゃあるまいし、外交に「難しい問題は飛ばしておいて、あとで解く時間があったら手をつけよう。」なんて”お受験テクニック”が通用するとでも思っているのだろうか?

むしろ、外務官僚や官房副長官が、重大事件の発生を首相や官房長官に黙っていることで日本政府の対応が遅れ、事態はより悪化する可能性が極めて高い。

今回の事件は、日本の対応がもっと遅れていれば、最悪日中武力衝突と戦死者の発生まで覚悟しなければならなかった。

外務省も二橋副長官もその責任が取れるのか? もう一度”ホウレンソウ”(報告・連絡・相談)から新人教育を受けたいのか?

(外務省は、最近多発する中国軍偵察機の日本接近まで隠したがっている)

というか、上海自殺事件に続いて二度目の重大な過失だし、もう情状酌量の余地はないと思う。

今回、自分の勝手な判断で情報をもみ消した人物が判明したら後任への警告のためにも退任ではなく、はっきりと懲戒免職で良いと思う。

特に情報当局から首相官邸に報告が入った時に、それが首相や官房長官に伝わらなかったというだけでも、二橋官房副長官の過失責任は重いし、谷内外務事務次官も同罪だ。

(それから、中国がガス田・白樺で生産を既に開始したという報道の確認はどうなっているのか?)


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関連記事・上海自殺事件続報・官僚の情報独占を許すな!

第26回 中国の国家戦略

  • 2006/04/16(日) 04:04:13

 このシリーズの締めとして、これまで中国が取ってきた国家戦略を振り返り、日本や自由世界がどう対応したらよいのかを考えていきたい。

 中国を21世紀に突然現れた、これまでとは全く新しい経済発展モデルのように見ている人もいるかもしれないが、それは正しくない。

 東アジアの経済発展は、近代日本から始まった。

明治新政府には、それまで近代的な産業基盤をほとんど持たなかった日本に、民間企業が自然と育ってくるのを待つ余裕はなかった。

そこで明治政府は、日本に近代産業をおこし経済をテイクオフさせるために、自らの独裁権力を使って、資本・人的物的資源・技術を特定の分野に投入して、民間企業の模範となる官営工場を設立した。(いわゆる殖産興業政策)

この策が見事に当たって産業革命に成功し、日本はアジアで最初の近代国家となったのは、皆さんよくご存知の通りである。

これは”開発独裁”と呼ばれる経済発展モデルであるが、少なくともアジアで最初に、開発独裁を導入して経済発展を遂げたのが日本だったのである。

(もしかしたら、開発独裁を発明したのは日本人かもしれない)

第2次大戦に負けて日本は民主化され開発独裁モデルは放棄されたが、戦後日本の奇跡的な経済成長にもその影響は残った。

 1960年代の後半あたりから70年代はじめにかけて、台湾・香港・シンガポール・韓国のいわゆる”アジアNIES”諸国が経済発展を開始するが、これらの国や地域も輸出主導型の開発独裁モデルを導入することで、経済のテイクオフを成功させた。

90年代からは、タイ・マレーシア・インドネシア・フィリピンなどのASEAN諸国が開発独裁モデルで経済発展を開始し、「これからはアジアの時代」と言われた。

 そして中国である。

中国は1992年から”社会主義市場経済”の名のもとに、天安門事件で一旦ストップした改革開放政策を再スタートさせるが、中国がとった改革開放政策もまた、開発独裁モデルに他ならなかった。

中国の工業は、日本が満州(東北地方)に残していった重化学工業を基盤としてスタートし、それらを社会主義計画経済に組みいれて、国有企業中心に経済発展をはかろうとした。

しかし、他の社会主義国と同様に計画経済は失敗。 
中国の国有企業は資本も乏しければ技術でも世界に太刀打ちできず、豊富にあるのは人間だけといった状況であった。

 小平を中心とする中国共産党はこのような事態を打破するために、社会主義計画経済から資本主義経済へと政策を転換した。

そして、金も技術も無いが、人口だけは世界一という唯一の利点を生かし、「十億人の広大な市場」をエサに外国から資本とすぐれた技術を中国に呼び寄せた。

だが「十億人の広大な市場」という看板とは裏腹に、外国企業に対して中国市場を全面的に開放するようなことはせず、

多くの場合、外国資本と中国企業の合弁という形をとって、外資の技術や経営ノウハウによって中国企業の競争力をアップさせ、国内企業が充分育成されてから慎重に市場を外資に開放する一方、こうして力をつけた中国企業が工業製品を世界中に輸出することで持続的な経済発展を可能にする政策を取った。

これが中国の開発独裁モデル・改革開放だった。

 ただ、中国の開発独裁と、台湾や韓国など他のアジア諸国のそれとは、違う点もある。

それは、中国共産党が牛耳る中央・地方政府から権限を委譲された持ち株会社が、大銀行や巨大企業グループの株式を支配し、共産党があたかも一つの巨大な独占金融資本となっていることである。

この意味で、19世紀末から20世紀はじめにかけて出現した帝国主義段階の国にそっくりであり、「中国は100年遅れでやって来た帝国主義国家」と言えるのかもしれない。 

 しかも中国は、日本からASEANに至るまで、経済発展におけるアジアの先輩達をよく観察していた。

日本経済が発展するにつれて、1ドル=360円からスタートした円もどんどん切りあがり、85年のプラザ合意の時に1ドル=約240円、その後も年率20%でドルに対して切りあがっていき、88年には1ドル=約120円となり、円高がピークとなった95年にはとうとう1ドル=79円まで切りあがった。

現在は1ドル=約117円まで戻しているが、バブル経済の崩壊を経てすっかり日本経済は伸び悩むようになった。

また、70年代から80年代にかけて断続的に発生したオイルショックは、しばしば日本の経済成長の足を引っ張った。

97年にはアジア通貨危機が発生し、タイやインドネシア・韓国などアジア新興工業国から資金が急速に海外へ逃げて、各国経済に大打撃を与えた。

 これらのことを教訓として、中国共産党政府は永遠の経済成長を達成するために、中国の輸出競争力を下げる要素は一切排除することを決意した。

それは、通貨の切りあげ・資本の急激な移動・物価上昇・エネルギー供給不安である。


 まず中国政府は、どんなに中国経済が発展しても、あらゆる手段を使って通貨・人民元がドルに対して切りあがるのを防ごうとしている。

最初は人民元をドルに対して固定相場とし、世界からの非難が強まると通貨バスケット制として世界の目をごまかし、ドル買い介入を続けて人民元の対ドル切りあげを遅らせている。

そして人民元と外貨の交換を制限し、資本の自由な出入りを規制して、97年のような通貨危機の発生を防いだ。

中国経済の発展がエネルギーショックで止まらないように、独裁国家として非難されているイランやスーダンを含む世界中から石油や天然ガスをかき集め、
それを国際市場に通さず中国本土へ送り込むことで、国際価格より安く供給することに成功した。

石油や天然ガスのみならず、さまざまな生活必需品を政府が価格統制したり、戸籍制度を利用して労働力の自由な移動を制限することで、物価や人件費の高騰をできるだけ抑えた。

こうした一連の政策によって輸出競争力が減退しないよう中国は必死になっている。

 こうした政策は今のところ成功しているがその代償として、様々なひずみを世界へと輸出しているとも言える。

資源のがぶ飲みは、エネルギー価格を高騰させて世界各国にインフレ圧力と金利上昇懸念を与えているし、物価と人民元の対ドル相場のコントロールは、安価な中国製品を洪水のように世界に輸出する原動力となっている。

「中国が安価な商品を輸出しているおかげで、エネルギー価格の高騰とインフレを相殺しているのだ」という中国政府の主張は、全くの詭弁である。 中国が過剰投資ぎみに大量の工業製品を生産しているから、エネルギー価格が高騰しているのであって、中国の主張は言わばマッチポンプだ。

(これで一番割を食っているのがアメリカ政府だろう。 自動車が不可欠のアメリカで、ガソリン価格が上がったといっては国民の大統領支持率が下がり、中国との貿易赤字が増えたといっては議会や企業から叩かれる。)

 そして中国政府が一番恐れているのが、世界で”中国脅威論”が巻き起こる事である。

中国が経済発展を続けていくためには、外国からの資本と技術の流入、中国製品を売りこむ海外市場が不可欠だ。

もし、”中国脅威論”が巻き起こって、警戒した外国が高度な産業技術や経営ノウハウを中国に渡すのをストップし、外国市場から中国製品が締め出されれば、中国の経済発展は行き詰まる。

だから、アメリカやEUのように、中国が欲しい高度な技術を持ち中国製品の市場となっているような「自分たちより強い国」には、欲しい物が手に入るまで、ひたすら低姿勢を貫いているが、

日本や台湾・ベトナムのように、中国が「互角か自分たちより弱い。」と感じた相手が自分の思い通りにならなければ、力ずくでねじ伏せにかかる。

中国がアメリカやEUの助けを借りなくても、自力で発展できるようになった時、そして中国が政治・軍事・経済で世界一になるようなことがあれば、中国が世界に遠慮する必要はもはやなくなる。 そうなれば中国はアメリカやEUさえも力ずくでねじ伏せにかかるだろう。

その意味で「中国が世界一になるまでは”中国脅威論”が巻き起こるのを細心の注意を払って阻止する」というのが、中国にとってもっとも重要な戦略と言えるのである。

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第25回 東郭先生と中国人

  • 2006/04/14(金) 23:51:00

 皆さんは”東郭先生とオオカミ”という話をご存知だろうか?

中国に古くから伝わる昔話で、中国人によく知られた話なのだそうだ。

この昔話は、中国人の文化的特徴が見事に表されている話なので、皆さんにご紹介したいと思う。 よく知られた話であるせいか、”東郭先生とオオカミ”には、いくつかのバージョンがあるが、だいたいこんな話だ。

 むかしむかし、中国のある所に東郭先生という読書が好きな文人がいました。

ある日、東郭先生がロバに乗って出かけると、突然一匹のオオカミが現れました。

オオカミは、「私は今、猟師に追われています。 もしつかまれば、私は殺されてしまいます。どうか助けてください。」と東郭先生に懇願しました。

東郭先生は、本が入っていた袋にオオカミを入れてやり、袋の口をしばりました。

まもなく猟師がやって来て東郭先生に言いました。「こちらへオオカミが来ませんでしたか?」

「いいえ。こちらには来ませんでした。どこか別の方角へ行ったのでしょう。」と東郭先生は答えました。

猟師は東郭先生の言葉を信じて行ってしまいました。

猟師の姿が見えなくなると、東郭先生はオオカミを袋から出してやりました。

オオカミは「東郭先生は良い人ですね。」と言いました。

オオカミはさらに続けて言いました。「ところで、私は今お腹が減っていて仕方ありません。 東郭先生、あなたは良い人なのだから、食べさせてください。」

東郭先生が「私は善人だからオオカミに食べられた方が良いのだろうか?」と考え込んでしまったその隙に、オオカミが襲いかかってきました。

東郭先生は襲ってきたオオカミに抵抗しつつ、「どうしたらよいか、他の人の意見を聞いてみようじゃないか。」と言うと、とりあえずオオカミは納得しました。

そこへ1人の農民がやってきました。

そこで東郭先生は、これまでのいきさつを農民に話したのですが、オオカミは「東郭先生が私の命を助けたなんてウソだ!」と叫びました。

農民が「本をいれるための袋にオオカミが入れるわけがないじゃないか。」と言うと、オオカミは「そんなの軽い軽い。」と言って、得意になって袋に入ってみせました。

農民はすぐさま袋の口をぎゅっとしばると、持っていたクワでオオカミを叩き殺してしまいました。

びっくりした様子でこれを見ていた東郭先生に農民は言いました。

「性根が腐ったケダモノが心を入れ替えるなんて事は有り得ません。 先生、悪者に情けをかけるなんてバカのする事ですよ。

 この昔話は、中国社会で生きていくための教訓として、「他人を簡単に信じてはいけないし、悪いヤツはやさしくしたり情けをかけたりしても、心を入れ替えて善人になることは絶対に無い。 だから、悪者は絶対に許さずに完全にやっつけなければならない。」といったような事を言っている。

まさに低信頼社会型の人間の考え方である。

 この話の登場人物を東アジアに当てはめると、こうなるだろう。

命の恩人である東郭先生をウソをついてまで食べようとしたオオカミは、中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国。

たとえ相手が悪人でも、簡単に他人を信用して「オオカミに食べられるのが善人だ。」とさえ考えてしまうような、お人好しの東郭先生は日本。

そして、相手が悪人だと思ったら絶対に許さず、情け容赦なく殺してしまい、悪人を信用したり情けをかけたりした東郭先生(日本)をバカ者と考える農民も、中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国である。

 ”東郭先生とオオカミ”の話が教えてくれるように、中国人(韓国人)は自分と同じ民族・中国人(韓国人)を、まずオオカミだと思って疑いの目で見て、実際に悪いやつだと思ったら、一切情けをかけることなく徹底的に叩きつぶそうとするし、そうするのが正しいことだと多くの人が信じて行動している。 

(この場合、相手が本当に悪いかどうかは本人の判断・感情で決定する。中立的な第三者の意見はあまり関係無い。)

だから、”悪者”はたとえ死んでも許されず、墓をあばいたり、もう死んでいる”悪者”の石像を作ってそれに皆でツバをかける。 ”悪者”本人だけでなく、血のつながった親戚や子供・孫まで処刑しないと気が済まないのが儒教文明の人たちである。

まして”悪者”が外国人なら、不信と報復はいっそう激しくなるだろう。

 しかし、日本人は死んだ人間の魂の善悪など考えず寛大に取り扱い(神道)、「善人に往生をとく、いわんや悪人をや」(善人が極楽浄土へ往生できるのだから、悪人ならなおさらできる。by親鸞聖人)とさえ考えるのが、日本文化というものである。

だから、中国人や韓国人は靖国問題や日本の神道・日本文化の本質が、全く理解できないのである。

 中国人は「日本と中国は文化がよく似た一衣帯水の関係にある。」とよく言うが、完全に間違っている。

独自の文化を持つ日本と中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国は、東郭先生とオオカミ・農民ぐらい考え方が違う。文化的に正反対と言っても過言ではない。


 こんどは日本人の視点から見てみるが、同じ民族である中国人(韓国人)同士でさえ、相手をオオカミだと思って信用せず、悪いヤツは絶対に許そうとしないのに、東郭先生(日本人)は、オオカミ(悪い中国人や韓国人)をいとも簡単に信用しがちだ。

もしくは、「オオカミ(悪い中国人や韓国人)になっているのは何か理由があってのことだから、それが解消されたら、オオカミはいつか自分たちと同じ東郭先生に戻るのだ。 だから悪いオオカミをまず許してやることが大事だ。」と固く信じているのである。


 戦後の日本が中国・韓国・北朝鮮にどんなに援助しても、この三カ国は、命の恩人を食おうとしたオオカミのように、ウソをついて援助の事実を国民に隠し、今も日本の主権を侵害し損害を与え続けている。

ガス田問題・竹島問題・拉致事件しかりである。

断っておくが「過去の歴史のせいで中国は一時的にオオカミになったのであって、ちゃんと謝罪すれば東郭先生に戻る。」というのも間違っている。

だったら、過去の歴史など関係の無いベトナムやフィリピンの領土を、なぜ中国はオオカミのように奪ったのか?

 東郭先生の話が教えているように、ケダモノであるオオカミは、どこまで行ってもオオカミなのであって、相手を簡単に信用せず、悪い事をしたら絶対に許さずに、断固とした対応を取ることが重要なのである。

(それで成功したのがシンガポール)

 これまで日本人の多くは、自分と姿かたちが似ているとか隣の国だからといった理由で、中国(韓国・北朝鮮)は東郭先生だと勘違いしていた。

だが、現代の中国(韓国・北朝鮮)で東郭先生や孔子のような”聖人君子”は、ほぼ絶滅したと考えた方が良いだろう。

しかし「中・韓・朝の三カ国は絶対に正しい」と考えがちな、お受験秀才出身の官僚・政治家・外交官の多くは、中国の古典の読みすぎなのか、そうではなかった。

(東大卒の官僚出身で中・韓にひたすら従えと主張する宮澤喜一・元首相は、中国古典の知識では随一と聞く)

こうした人たちが「中・朝・韓は東郭先生だから信じられる。」という妄想を抱き、それが壊れそうになると「中・朝・韓は今はオオカミかもしれないが、いずれ冷静さを取り戻して東郭先生に戻る」とさらにひどい妄想にふけり、

それさえも崩壊すると、あげくの果てに「オオカミに食べられてやるのが善人であり、東郭先生こそが日本がめざす道だ。」と言って外交を主導してきたから、さんざん日本の国益を損ない、日本国民は苦しめられ、現在のようなひどい状況に陥っているのである。

しかし、”東郭先生”の話が教えるように、多くの中国人(韓国人)は、そうした日本人のように「東郭先生を目指そう。」なんてこれっぽっちも考えておらず、抜け目無くオオカミを叩き殺した農民になる方を選ぶ。

むしろ、この話の教訓としては「悪人を簡単に信用したり、情けをかけたりした東郭先生はバカだ。ああなってはいけないよ。」ということを言っているのであり、農民ではなく東郭先生を目指す日本人を見たら、中国人の多くは、心の中でせせら笑う事だろう。

そこに、中国人(韓国人)と、彼らを理想化して疑うことを知らない中国(韓国)大好き日本人との間の、決して越えられない深いミゾがある。

 クロフネは、すべての日本人に”東郭先生とオオカミ”の教訓を知ってもらいたいと考えている。

なぜなら、”東郭先生”の話は、中国人が中国人に教える、中国人とのベストのつきあい方なのだから。

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オオカミがさっそく次の獲物を狙っている?

◆東シナ海の中間線の日本側を、中国が掘削計画 

 日本も中国と共同調査なんて、のんきなことを言ってないで、どういう理由であれ中国による中間線の日本側の調査を拒否せよ。

ましてや、日本が建造した地球深部探査船”ちきゅう”を中国に使わせるなんて、もってのほか。

これぞ命の恩人でさえ食おうとするオオカミのやり方ではないか?


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関連記事・低信頼社会と高信頼社会

関連記事・低信頼社会と、うまくつきあうために

格差社会と税制改革(最終回)

  • 2006/04/13(木) 23:58:27

前回のつづき

 それでは、どうしたら日本が”チャンスの平等を目指す社会”を維持できるのか、そのための税制や社会保障政策はどうすればよいのかについて考えてみたい。

 まず個人の勤労や企業活動は、ある程度格差がつくのはやむを得ないものとして、極力規制を緩和し自由競争を基本とすることによって、社会的に成功するチャンスが、その社会に属するメンバーに平等に与えられるようにする。

もちろん、これによって競争に勝つ人と負ける人が出現するが、その格差を放っておくと数世代を経るうちに、競争に勝つ人たちと負ける人たち、持つ者と持たざる者が固定化される階級社会となりやすい。

これでは”チャンスの平等が保障された社会”とは言えないので、税制と社会保障政策を使って”成功へのチャンス”を再分配する。

それは当然、高所得で資産を多く持つ者や儲かっている企業から、より多く税を納めてもらって、それを所得が低く資産を持たない者へと分配する形になる。

 税制については、これまでのように所得税・資産税・法人税といった直接税にウェートをおき、現在の直間比率を極力維持するよう努める。


それでも、財政再建のためにどうしても消費税率を上げなければならない場合は、例えば米・パン・肉・魚・野菜といった食料品やガソリン・灯油・ガス・電気などのエネルギー、下着やくつ下といった衣類など、大富豪から低所得者まで誰でも必要とする生活必需品やサービスは、消費税率を5%のすえ置きにする反面、

エンジン排気量3000cc以上の自家用車や高価な家具・食器・貴金属類・宝石など、生活必需品以外の高級品やぜいたく品の消費税率は10%にするなどして、消費税にもある程度累進性をもたせることで、低所得者への負担をなるべく軽減し、格差が固定されないよう配慮する。

(ただ、財政再建のために消費税率を上げる前に、政府のムダな歳出をカットする方が先であるのは、言うまでも無いし、ともかくコスト意識が低い官僚がからむと国の財政が悪化してしょうがない。 

現役官僚と民間企業に天下りした元官僚が結託するために起こる官製談合が良い例で、これのおかげで公共事業などの入札金額が下がらず、国がムダな歳出を繰り返す原因のひとつとなっている。

民間企業<トヨタ>のコスト縮減ノウハウを取り入れて完成した中部国際空港・セントレアが当初予算より1000億円近く節約できたことは、様々なヒントを与えてくれる。

ムダな官僚を減らし必要の無い特殊法人・公益法人などをつぶすとともに、官僚の出身省庁が監督している業界の民間企業・特殊法人などへの天下りを完全かつ永久に禁止にするべきである。

 税金や社会保険料として集めた富を社会に再分配する社会保障政策については、競争に負けた人全てに単純にお金をばら撒くのではなくて、そうした人たちの中で、成功へのチャンスをつかもうとする意欲があり、再び立ち上がって努力する姿勢を見せている人に、重点的に手を差し伸べるような政策が欲しい。

特に注意すべきなのは、競争に敗れて所得が低くなってしまった事それ自体、成功へのチャンスが与えられない原因となってしまうといったことが極力起こらないようにし、日本を、失敗しても何度でも立ちあがるチャンスがある社会にするという点である。

格差固定の原因の代表的なものとして、所得の低い家庭の子弟や収入の無い失業者が、大学などの高等教育や職業スキル向上のための訓練を受けるチャンスを失ってしまうことがあげられる。

 一度競争に敗れてしまった人にも成功へのチャンスを与えるためには、成績がよくても家庭の事情で学費が支払えないために、大学などの高等教育が受けられないという人には、社会保障予算を割いて国立大学の学費を無料か格安にしたり、

失業している人で技能を身につけることを望んでいる人には、国が学習の機会を与えて、その人のスキルが一定以上に達した場合には国が資格を与えて、その人のスキルが基準を満たしていることを企業など雇用者側に保証するような政策が考えられる。

 最後にもう一度、格差の発生をどう評価すべきかについてふれておくが、格差に反対して社会に完全な平等を求めるような人は、結局のところホリエモンに代表されるような「金さえあれば何でも出来るし何をやったって良い。」といった”お金万能論”の崇拝者・拝金主義者なのだろうと思う。

格差に反対する人はその前提として、人間の能力や価値あるい幸福の度合いが、お金というモノサシで数量的に比較できると考えているのだろう。 例えば、年収300万円の人より年収3000万円の人の方が、必ず幸福で能力があり価値も高いといった具合に。

格差に反対する者は、お金は人間の幸福・能力・価値のモノサシとなるという”お金万能論”の崇拝者であるがゆえに、格差の存在を許すことができず、社会に完全な平等を求めるというわけだ。

その意味で、格差の反対者はホリエモンと同じコインの裏表の関係にある。 ”お金万能論者”・”拝金主義者”という名のコインの表(勝者)がホリエモンなら、コインの裏(敗者)が格差反対論者と言える。

 もちろん、人間が生きていくにはお金が必要だから、ある程度の所得が無ければ幸せにはなれないが、ある一定の所得以上になると、その人が幸福かどうかは別の要素に左右されると私は思う。

例えば、食べ物や衣服が満足に買えないほど低所得の人と、そうでない人との間の幸福度には明らかに違いがあると思うが、衣食住や教育・余暇に不自由しない程度の所得がある人たちで、海外旅行に年1回行ける人と年2回行ける人の本来の幸福度はそんなに違いは無く、両者の幸福度は別の要素に左右されるのではないだろうか。

この仮説を、”所得と幸福度の限界効用逓減の法則”と私は名づけている。(経済学っぽい名称でしょ。もしかしたら既に誰かが発表しているかもしれないけど)

 しかし世の中にはそうは考えず、所得が増えれば増えるほど幸福量も必ず正比例で増えていくという”お金万能論”の崇拝者が少なくないのだと思う。

こうした考え方を固く信じる人がいるからこそ、あくなき経済発展への追求があるのだろうから、そうした考え方を信じることそれ自体を否定はしないが、
所得の高低でその人間の能力が必ず計れるとか、稼ぐお金の量をモノサシとして複数の人間の存在価値が必ず比較できるといった神話には明確に反対しておきたい。
(同じ職業についている人同士は、ある程度比較できるかもしれないが)

もしそうした神話が正しいのであれば、「年収1000万の銀行マンと年収300万の農家は、前者の方が人間として能力があり価値も高いのだ」となるが、銀行マンも農家の人も、社会にとってはどちらも必要なのであって、どっちが上でどっちが下ということはないだろう。

極端な話、農業をやる人が1人もいなくなって食料生産がゼロなったら、銀行マンがいくら金を積んでも餓え死ぬことになるだろう。 預金通帳や1万円札は本来はタダの紙切れであり、それを食って生きていくことはできない。

所得が低い職業についている人は、人間としての価値も能力も低いと決めつけるのは、カースト制度的な差別だと思う。

 私は、「睡眠と食事とトイレに行っている以外の時間はすべて仕事をしたい。ガンガン働いて億万長者になるのが私の幸福だ。」と考える人がいても良いし、

「私は収入が多少減っても良いから、定時で退勤して7時には帰宅して子供と一緒に夕食を取りたい。仕事と家庭の両立こそ私の幸福だ。」と考える人がいても良いと思う。

格差が開いてくるにしたがって否応なしに、人間の価値観にもそういった開きがあらわれてくるのかもしれないが、どちらか一方が自らの価値観をもう一方に押しつけて、それを受け入れない人を差別するようになると、社会全体に悪影響を及ぼすのではないだろうか。

 これに関連した話題で、パートタイム労働者の急増の問題がある。

日本は先進国でもパートタイマーの比率がオランダと並んで突出して大きい。そのことが将来の日本社会の格差をより広げる原因となることを指摘する人もいる。

パートタイム労働者急増の原因のひとつとして、長時間拘束される正社員を嫌って、収入が低くなっても良いから自分の時間を大切にしたい人たち(いわゆるフリーター)の存在があるのだと思う。

少子高齢化や人口減・税収減を心配する政府は「生涯収入が正社員とこんなに違いますよ」と言ってフリーターを減らそうとしているが、効果は薄いのではないだろうか。 何故なら、そんな事はわかっていてフリーターをやっている人は少なくないだろうから。

つまりお金より時間を選んで働きたい人たちの受け皿がパートタイム労働しかないから、そちらへと流れているのであってそれは当然のことだろう。

 もし政府が、少子高齢化の進行や人口や税収・国力の減少を食い止めるために、この問題を解決したいのなら、残業を含む正社員の労働時間の短縮(たとえば週40時間労働の厳守)か、パートタイム労働者への地位・待遇の向上と差別の撤廃のどちらか、あるいはその併用しかないのではないだろうか。

パートタイム労働者への地位・待遇の向上と差別の撤廃については、いわゆる”オランダモデル”が参考になる。

オランダは、世界初と言われる労働時間差差別の撤廃を達成し、同一労働価値であれば、パートタイム労働者と正社員との時間あたりの賃金は同じにし、社会保険・育児介護休暇等も同条件で付与するようにした。

また、フルタイム労働とパートタイム労働の転換は労働者の請求によって自由に変えられることも認めている。

日本がこれを取り入れる際には更なる研究が必要だろうが、所得が低いために結婚もしないし子供もつくらないフリーターのようなパートタイム労働者の増加をほったらかしにしておくより、

政府や企業、労働組合等がパートタイム労働者の地位向上と権利を認め、社会に参加させて労働によって所得をあげさせ、結婚を可能にして一人でも良いから子供をつくるれるようにしたほうが、日本社会の少子高齢化や人口減を多少なりとも遅らせる事が出来るし、先進国では特に多くて問題になっている自殺を防ぐ効果もあり、トータルで見れば日本社会全体の利益になると思う。

(夫婦双方がパートタイム労働者で最低1人の子供を持てるような形をモデル家族とする)

 以上、格差社会の是非と将来の日本社会・税制から雇用政策のあり方まで話がふくらんでしまったが、ある程度の格差の出現や労働を含めたライフスタイルについての価値観の多様化は避けられないと思う。

そうしたことをふまえてクロフネなりに答えを出したつもりだが、皆さんはどう考えるだろうか。


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関連記事・21世紀日本の国家戦略

格差社会と税制改革(その2)

  • 2006/04/12(水) 01:27:06

前回のつづき

 ただ、チャンスの平等が保障された社会が実現したら、レッセ・フェール(なすにまかせよ)とばかりに、後は放っておいても良いというわけにはいかない。

チャンスの平等の社会には、前述の通り、必ずチャンスをうまくつかむ人とチャンスをつかめなかった人、言いかえれば競争に勝つ人と負ける人が出現し、その社会に属するメンバーの収入や財産に格差が生じる。

その格差を放っておくと、数世代を経るうちに、競争に勝つ人たちと負ける人たち、持つ者と持たざる者が固定化される階級社会となりやすい。

社会的地位が高く資産を持つ家庭の子供は、高等教育を受け、やはり社会的地位の高い職業につき高収入を得る可能性が高くなり、

逆に収入が低い家庭の子供は、高等教育を受けるチャンスが少なく、やはり高い確率でさほど所得が高くない職業につくといった具合になる。

こうした極端な格差社会の出現は、やはり社会全体の活力を失わせる。

(私は、ヨーロッパ社会が活力を失った大きな理由のひとつは、ヨーロッパ各国に存在する階級社会のせいではないかと思っている。)

極端な格差社会では、一握りのアッパークラス(上流階級)は、下からの突き上げが無い分、自分が保有する巨額の資産を管理するだけの存在になりがちで、逆に社会の大多数である労働者階級は、社会的地位や収入の向上が困難な事から、学習や労働への意欲を失い、努力することもできなくなってしまう。

こうなってしまうと、階級間の移動は少なくなり、各階級に所属する人たちが固定される。 そして、スポーツ選手や芸能人にでもならないかぎり、労働者階級の人たちが、下からはい上がる道は無くなる。

たった一回の失敗でその人自身のみならず、彼らの子供たちまで完全にノックアウトされてしまうのでは、「社会的に成功するチャンスは、その社会に属するメンバーに平等に与えられなければならない」とする”チャンスの平等が保障された社会”とは、もはや言えなくなってくる。

 よって、所得や資産の再分配という機能を持つ租税制度や社会保障政策を使って、各階級の固定化を防止し、それぞれの階級の間に人の流れを起こしてやらなければならない。
 
 ここで日本の税制と世界各国の税制を比較しておくと、自由主義経済のアメリカは、国民負担率(国民所得に対する税負担や社会保険料負担の割合)が低く約30%、消費税のような間接税よりも所得税のような直接税の比重が高い。直接税と間接税の比率である直間比率は8:2から9:1ぐらいである。

簡単に言えば、「税金は安いけど、(病気や就職など)国民1人1人のめんどうはなるべく自分自身でみてね。当然社会の中に格差もあるよ。」ということ。

一方、社会民主主義(左翼リベラル)の影響力が強い欧州だと、イギリスを除く欧州諸国は、国民負担率がだいたい50%を越える。 デンマークやスウェーデンのような北欧の高福祉国家になると70%以上だ。

税の直間比率は、アメリカより間接税の比率が高くなり、ほぼ5:5ぐらいで、消費税率も15~20%とこれまた高い。

こちらは「沢山税金は取るけれども、国民のめんどうはなるべく国がみます。格差もなるべくつくらないようにします。」ということになる。


国民負担率の世界比較 

各国の国民負担率の内訳 

各国の税金の直間比率 

 日本の場合、これまで自由主義のアメリカと社会民主主義のヨーロッパの間に位置し(ややアメリカより)、国民負担率は約36%、直間比率は7:3ぐらいで、所得税のような直接税の比率が高かった。

 しかし最近では、政府や与党自民党、財務省などの間で、財政悪化を背景とした消費税引き上げ論議が巻き起こっている。 

特に財務省は、財政再建のために消費税率を将来的には、欧州並の20%以上に引き上げたいようだ。

確かに財政再建も大切だが、財務省からは「未来の日本社会をどういうふうに設計するか」という視点が決定的に欠けているように思える。
これを抜きにして、「消費税率を何%にするか」だけの、税率ありきで議論を進めるのは、本末転倒ではないだろうか。


特に、「欧州諸国の消費税が軒並み15%以上で20%以上も少なくないから。」という理由で、単純に日本もマネをして20%ぐらいまで消費税を引き上げると、将来の日本社会に思わぬ悪影響を与える可能性があると思う。

 消費税のように国民から広く薄くとる間接税は、基本的に金持ちに有利であるのはよく言われることだ。

(直接税の代表である所得税は、所得の高低によって税率を変えられるから、その分公平と言える。 しかしサラリーマンのように所得の計算がしやすく取りやすいところは問題無いけれども、所得の正確な計算が難しい自営業者のようなところからの、納税のもれが発生しがちという欠点がある。)

例えば、日本の大人が1年間生活するのに最低限必要とされる支出が300万円だったとしよう。 現在の消費税率が5%だから、15万円が年間の消費税負担額となる。

15万円という税負担が、年収400万円の人と年収1000万円の人のどちらにとって重くなるかは、言うまでもないだろう。 それぞれの年収から、最低限必要とされる支出額300万円を差し引いた後で15万円の税負担を比較すると、よりはっきりすると思う。

単純計算で、将来の消費税率が20%となると、年間の税負担額は60万円となるから、年収400万円の人の税負担の割合は税率5%のときより一層ひどくなる。

このように、財政再建のためだけに単純に消費税率をあげていくと、将来の日本社会は格差が極端に広がって活力が失われた社会になるのではないか、そのことが国民の所得を減少させ、結果として政府の税収まで減少させるのではないかという懸念を持たざるを得ない。

 また集めた税金・保険料を国民に再分配する社会保障制度についても、失業者や低所得者などに単純にお金をばら撒くと、勤労意欲を失わせ、かえって失業率を高止まりにして、現在のヨーロッパのように、格差が固定された階級社会になってしまうおそれがあると思う。

前述のように、左翼リベラル政党の影響で高福祉政策を取る欧州諸国は、格差の少ない社会を目指して、税や社会保険料の高額負担を国民に求めているのだが、皮肉なことに高福祉諸国特有の税制や社会保障政策が、かえって社会の格差を広げ、それを固定しているように見える。

(単純に比較はできないようだが、世界各国の失業率をみてみると、高福祉の欧州では10%前後だが、アメリカやイギリスでは4~5%程度である。日本は4%ぐらいだが、実質10%を越えると主張する人もいる)

各国の失業率 

こうしたことをふまえ、どうしたら日本が”チャンスの平等を目指す社会”を維持できるのか、そのための税制や社会保障政策はどうすればよいのか考えてみたい。

つづく


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格差社会と税制改革

  • 2006/04/11(火) 00:49:47

 最近、格差社会の是非が大きな話題となっている。

かつて”一億総中流”と言われた日本社会は、所得格差の大きな社会へと変化しつつあると一部で言われている。

日本が今後どのような社会となっていくかは、社会の安定・安全や、国としての競争力の維持・向上と密接な関係がある。

また、租税制度は所得・富の再分配という機能を持つことから、どういう租税制度をしくかは、その社会のあり方に大きな影響を与える。

そこで今回は、日本社会は今後どうあるべきなのかについて考え、それを実現させるための税制についても論じてみたい。

 まず、社会のあり方についてだが、これには大きく分けて二つのモデルがあると思う。

 一つ目は、”結果の平等を目指す社会”

結果の平等とは、能力や努力の量にかかわらず、その社会に属するメンバーの収入や財産を等しくするということである。

この、結果の平等を目指す社会を、独裁権力を握った者が暴力を使って強制的に実現させようとしたのが共産主義(社会主義)で、選挙に勝つことで、民主的に実現させようとしたのが、社会民主主義(いわゆる左翼リベラリズム)である。

 もう一つは、”チャンスの平等を目指す社会”。 

チャンスの平等とは、社会的に成功するチャンスは、その社会に属するメンバーに平等に与えられなければならないが、チャンスをつかめるかどうかは、各人の能力や努力の質・量によって決まるから、必ず競争に勝つ人と負ける人が出現する。

よって、”チャンスの平等を目指す社会”は、必ずしも結果の平等は得られないのであって、格差を認める社会である。

”チャンスの平等を目指す社会”は、自由民主主義者(いわゆる右派・保守)が支持する社会と言えるだろう。

 今後、日本はどちらを目指すべきかと問われれば、自由民主主義者たるクロフネは基本的に後者だと考える。

なぜなら、人間というものは「自分にとって得である」と考える方へと、行動する習性があるからだ。

人にとって何が得かは、各人の価値観によって多少の差異があると思うが、たいていの人は楽して沢山お金がもうかる方へと行動し、その逆へと向かう人は少ないということは間違いないだろう。

格差の無い、結果の平等を目指す社会とは、能力のある人がどんなに一生懸命働いても、能力も無く努力もしない人と、収入や財産が変わらないという社会である。

このような社会では、前述の人間の習性から言えば、社会のほとんどの人が努力しなくなるのは、目に見えている。

一生懸命働いても、楽をして仕事の手を抜いても、収入や財産に差がつかないのであれば、たいていの人は楽をして仕事の手を抜く方を選ぶだろう。

 実際、共産主義国家の社会・経済システムは、これが原因でボロボロになった。

そして結果として、みんなが貧しいという意味で平等な国民と、裕福な暮らしが出来る一握りの共産党員という名の特権階級が二極分化した、極めて不公平な社会しかつくり出せなかった。 

共産党が独裁権力を握り、暴力を行使する唯一の大義名分が「平等な社会の建設のため」だったにもかかわらず。

 民主的に”結果の平等を目指す社会”を実現しようとした社会民主主義モデルも例外ではなかった。

その代表は戦後のイギリスで、国家が「揺りかごから墓場まで」国民の面倒をみる平等社会の建設を訴えた、左翼リベラル政党である労働党が政権を握った1940年代半ばから、70年代までイギリスでは断続的に産業の国有化が進められた。

石炭・鉄鋼業界から、自動車産業はローバーはおろか高級車メーカーのジャガーまでが国有化されたが、その結果、イギリス製品の品質低下を招き、産業は国際競争力を失い、英国病と呼ばれる深刻な長期不況に悩まされた。

1979年に登場した右派のサッチャー保守党政権による構造改革で、産業の再民営化をはかり、イギリス経済は持ちなおしたものの、いまやイギリス民族資本の自動車会社は皆無であり、かつて”世界の工場”と言われた国の面影は無い。

 以上から導かれる教訓は、やはり格差が生まれたとしても、社会に競争があって、能力があり努力をした人が報われるのでなければ、その社会は活力を失い、結果としてそこに属する人々すべてをダメにしてしまうということだ。

民主党は「小泉政権が格差社会を生み出した」といって批判しているが、本当に小泉政権が格差社会を生み出したのかどうかはともかく、格差の無い社会は決してバラ色ではないという事実がわかっているのだろうか?

 これで私が、”チャンスの平等を目指す社会”を支持し、左翼リベラルが主張する”結果の平等を目指す社会”を支持しない理由がおわかりいただけたと思う。


つづく

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韓国外交文書のウソ発覚

  • 2006/04/08(土) 01:17:46

【ソウル=久保田るり子】韓国政府は三十日、一九七五年度などの外交文書千二百六件(約十一万七千ページ)を公開した。日本関連では一九七〇年の日航機「よど号」ハイジャック事件が含まれている。これまで同事件をめぐっては、機長などの証言から、北朝鮮へ向かっていた「よど号」は、韓国側の誘導で金浦空港に着陸したとされてきたが、今回の公開文書では金浦着陸は機長の判断としており、真相はまさに「やぶの中」だ。
(産経新聞) - 3月31日2時58分更新



引用記事 

 1970年に発生した日本赤軍派グループによる日航機”よど号”ハイジャック事件についての外交文書を韓国政府がこのほど公開したが、韓国政府の外交文書は、当時の日航機機長・石田真二氏の、「よど号をソウル・金浦空港に着陸させたのは、韓国側の誘導に従ったからだ」という証言を真っ向から否定し、「金浦着陸は石田機長の計画的で自らの意思によるものだった」と結論づけている。

 よど号をソウルへ着陸させたのは誰なのか、36年たった今でも最大のナゾなのだそうだが、ウソをついているのは石田機長と韓国政府、そのどちらなのか、クロフネなりに推理してみたいと思う。

 と言っても、よど号の交信記録が公開されていれば簡単に結論が出る話なのだが、現在も公開されてはいないようだ。 ただ、その一部が報道されている。

(副操縦士の)江崎さんが無線で「エニイ・ステーション(どこか応答して下さい)」と呼びかけると、「ソウル・アプローチ」と即座に管制塔から応答があった。間髪を入れず、同じ管制官の声で、「スイッチ・トゥー・ピョンヤン 134・1」と今度は「平壌」を名乗りながらも、西側で使用される周波数への切り替えを求める指示が聞こえた。戦闘機は飛び去ったが、この交信で、江崎さんは韓国への誘導を確信した。



引用記事  

 ここで予備知識として、航空管制についておおまかに話しておこうと思うが、よど号のような旅客機が、機長の一存で好き勝手に飛んで空港に着陸するということは基本的に有り得ない。

まず旅客機は飛ぶ前に、目的地までのフライトプランを提出する。そして管制側から、それが許可されて離陸することになる。

(フライトプランなしに外国へ飛んでいくと、たぶん戦闘機のお出迎え<スクランブル>を受けると思う)

空には目に見えない”道”があり、大陸間を結ぶ”高速道路”があれば、その高速の入り口と各空港を結ぶ”連絡道”もある。 そして飛行機同士が衝突しないよう、管制官が飛行機を監視し、指示を出していく。

空において絶対的な権限があるのは、地上にいる管制官の方で、パイロット側は基本的に指示を受けるだけの受身である。 もしパイロットから要求があったとしても、管制官がOKした場合のみ、それを実行することが許される。

だから、ニューヨークやロンドンを飛び立って成田に向かっていた旅客機が東京の上空に来て、「やっぱり羽田に降りたくなった」からといって、管制官の許可も受けず、機長の独断で羽田に降りるなんてことは、許されない。

 よど号の副操縦士・江崎さんの証言が正しければ「エニイ・ステーション(どこか応答して下さい)」と、よど号が呼びかけて「ソウル・アプローチ」と応答があったということは、応答した相手はソウル金浦空港の管制官ということになる。

(”アプローチ”は空港への着陸機をコントロールするセクション)

金浦空港の管制官は「スイッチ・トゥー・ピョンヤン 134・1」と、よど号に指示した。

これは記事にあるようにピョンヤンを名乗ったのではなくて、「ピョンヤンの管制官と134.1メガヘルツで交信しなさい」という指示。

(134.1メガヘルツという周波数は、軍用空港で良く使われるようだ。どことはいわないけれど)

で、その後よど号は、”ピョンヤンの管制官”の指示・誘導でソウル金浦空港へと着陸することになるから、もう結論はおわかりだと思う。

つまり、ソウル金浦空港の管制官がピョンヤンの管制官を装って、よど号を金浦空港へ誘導し、よど号は指示通りに金浦へ着陸したと考えるのが自然。

もし韓国側がよど号にソウル着陸を許可したくなかったのなら、管制官が誘導しなけばよいだけのこと。

 ただ、副操縦士の江崎さんが証言しているとおり、”ピョンヤンの管制官”の指示・誘導に従いながらも、よど号のクルーは、ピョンヤンではなくソウルへと誘導されていることに、途中で感づいたと思う。

”ピョンヤンの管制官”は、よど号に指示を出すとき、高度とともに飛ぶ方角をはっきりと指定するから、北のピョンヤンではなく南へと誘導されれば、誰だっておかしいと気づく。

 よど号がソウルへ着陸するよう金浦の管制官に命令を出したのは、日米両政府の要請を受けた、韓国政府だと思う。

というわけで、ウソをついているのは、よど号の機長ではなくて韓国政府の外交文書ということでほぼキマリだろう。

当然、「石田機長の計画的で自らの意思によるソウル着陸だった」ことを石田機長のために韓国政府はこれまで黙っていたという、恩着せがましい主張も、真っ赤なウソ。


韓国は公式の外交文書でさえ、ウソに満ちあふれているようだ。

 なぜこんなウソを当時の韓国政府がついたのかは、よくわからないが、よど号をソウルへ着陸させた責任を取りたくなくて、ひきょうにも、よど号の石田機長に全責任をおっかぶせたというのが、真相ではないかと思う。

まあ、あの国にしてみればいつものことだが。

 よど号はソウルに着陸した後、人質を交換して離陸、こんどは本当にピョンヤンに向け飛び立った。

そして北朝鮮側の管制官から指示がなかったので、石田機長が肉眼で見えた”滑走路”によど号を着陸させたら、ピョンヤンの表玄関・順安空港ではなく、とっくに廃港になっていた元空港だったというから驚き。

こっちが、正真正銘の石田機長の独断。 

 しかし、ノ・ムヒョン政権は、この外交文書をどういう意図で出してきたんだろうか?

「よど号事件で悪いのは日本であって、韓国には一切責任が無いことを当時の外交文書を公表することで、暴露してやれ!」と考えて公表したのだったら、頭の悪いノ・ムヒョン政権の”自爆パート2”だと思うが。 

(”パート1”は1965年の日韓基本条約で日本の賠償責任が消滅し、個人補償は韓国政府がやらなければならないという事実が書かれた文書を公開してしまったこと)

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中国がガスの吸い上げを開始?ほか グローバル・インテリジェンス(4/7)

  • 2006/04/07(金) 04:35:12

◆中国がガスの吸い上げを開始? 

 中国が東シナ海のガス田・白樺での天然ガス吸い上げを既に開始したと、アジア版ウォールストリート・ジャーナル紙が伝えた。

 これが事実であるならば、何らかの報復手段をとって「日本は中国の傍若無人な振る舞いを許さない」という明確なメッセージを絶対に出すべきだ。
特に円借款の供与を含む、あらゆる対中援助は即刻打ち切りとすべきである。

中国が日本の海底資源を強奪しているのに、その日本が中国への援助を行うというのは、「日本は中国の行動を認める」という誤った意思表示に他ならない。

 最近、中国の温家宝首相は大洋州諸国を歴訪して、450億円の援助を表明したそうだが、外国を援助する余裕のある国に、なぜ日本が援助しなければならないのか、全くもって理解できない。

中国は他国を援助する余裕があるなら、その金を円借款が当てられる予定の中国国内の環境保護対策などに、回せば良かろう。

そして日本が大洋州諸国に、中国にやるはずだった援助金を回すのが、道理と言うものだ。


日本の政治家でも官僚でもいいから、私を納得させられる反論のできる人間はいるか?

いないんだったら、とっとと全ての対中援助を打ち切れ。

関連記事・中国への円借款決定へ

関連記事・話にならない中国の”新提案”



◆日本、独自の国連安保理改革案を撤回 

 ちょっと古いニュースになるが取り上げるチャンスがなかったので、ふれておく。

これまで再三アメリカから表明された「日本の常任理事国入りを歓迎する」という言葉が単なる社交辞令で、どうやら本心は安保理の現状維持を望んでいるらしいことがわかってきた。

また現在の国連は、事務局改革などリストラ問題へと関心が移ってしまい、安保理改革どころではなくなってしまった。

 こうした情勢では、戦略の練り直しもやむなしだろう。

なにしろ国連内部の情報にアクセスできないので、今後どうすべきかを言うのは難しいが、日本の常任理事国入りを可能にするためには、今現在一番確率の高い方法は何かということと、社交辞令ではない本当の支持を得るために、アメリカをどう説得すべきかを改めて考え、実行していくことが大切になるだろう。

(もっと交渉能力の高い人をアメリカに送り込みたい)

 また、国連における日本の権利と義務をバランスのとれたものにするために、粘り強く「代表無くして課税なし」を訴え、それでも国際社会が日本を無視するようであれば、日本の国連分担金支払いを意図的に遅らせサボタージュすることによって、日本のこれまでの貢献度を国際社会に”理解”させる必要がある。

中国やロシアといった国連の”無銭飲食組”の分担金引き上げについても、アメリカなどと共闘して実現させねばならない。

新国連事務総長選びについても、日本の常任理事国入りに賛成してくれる人がなるように、全力をつくさなければならないし、間違っても、日本に反対している中・韓の息のかかった人物が次の事務総長になるような事だけは避けねばならない。

最後に、日本の常任理事国入り問題を最初に取り上げた時にも言ったが、サミットなど安保理以外の国際的な枠組を活用したり、新たに構築することも、選択肢に入れても良いのではないかと思われる。

関連記事・クロフネの国連改革私案

関連記事・頓挫した日本の安保理常任理事国入り(その2)


◆イランが軍事力を誇示 

 最近イランが、多弾頭ミサイルや水中ミサイルなど新型の国産兵器の実験に成功したと続けざまに発表するなど、軍事力の誇示に努めている。

以前に、ウクライナからイランへ旧ソ連製の巡航ミサイルKh55(射程3000km)が売却されたという報道もあった。

 アメリカやEUから核開発を止めるよう圧力をかけられているイランだが、それに対して譲歩するようなそぶりは全くみせていない。

アメリカやイスラエルによる”外科手術”(イラン核施設への空爆)があるのではないかというウワサもあるが、イランもそれを恐れているのだろう。

外科手術が現実のものとならないために、イランの軍事力を世界にアピールしようと懸命になっている。

関連記事・◆限界がみえる国連安保理

関連記事・深刻化する東アジアのミサイル軍拡


◆バチカンが中国と国交回復へ動く? 

 バチカン(ローマ法王庁)のラヨロ外務局長は、香港メディアに対し、中国との国交回復に向けた対話の「機は熟した」と述べ、大使館を外交関係のある台湾から北京に移す用意があるとも言明したという。

前ローマ法王・ヨハネ・パウロ2世猊下はポーランドのご出身で、祖国が有無を言わさず共産主義の独裁国家ソビエトの衛星国家にされたこともあり、熱心な反共・反独裁主義、民主主義擁護の方であった。

これまでカトリックの総本山と言うべきバチカンも、信教の自由を保証しない中国ではなく台湾と国交を保っていたのだが、ローマ法王がドイツ出身のベネディクト16世猊下になってから、微妙に風向きが変わってきたようである。

台湾のみならず、思想・信教の自由を保証している世界中の民主国家にとっても、懸念される動きだ。


◆タイのタクシン首相辞任 

 タクシン首相一族による不正蓄財の疑いに端を発したタイの政治混乱は、タクシン首相が退陣を表明したことで、収束に向かい始めた。

野党勢力による大規模な反タクシン・デモに対して、タクシン首相は国会を解散し総選挙に打って出たが、野党は選挙をボイコット。 選挙は事実上タクシン首相の”信任投票”となった。

総選挙の結果、「60%の国民が私を信任した」として勝利宣言したタクシン首相だったが、野党側は納得せず、都市部の中産階級を中心に少なくない”不信任票”が投じられたこともあって、退陣を決断したようだ。

ただ、タクシン首相は退陣後も後継首相に対して影響力を行使する”院政”をしくのではないかという分析もあるようだ。

関連記事・◆タイで反政府デモ広がる



◆日本外務省の内部文書が韓国へ漏れた? 

 5日付の韓国紙・中央日報が、日本の外務省・北東アジア課調査班が作成したとする、朝鮮半島情勢に関する内部文書を入手したと報じた。

「ノ・ムヒョン政権はすべての局面で意図的に”悪者”を作り、この悪者との対立を通じて自分の正当性を訴える政治手法を使っている」 「韓国では反日政策が政権支持率を高める効果があり、レイムダック化して支持率が下がっているノ・ムヒョン大統領は残る任期中も反日強硬論を放棄しないだろう」というこの文書の内容について、韓国政府は日本への反発を強めている。

韓国政府は、その文書を引き渡すよう日本政府に要求し、日本の対応次第では駐日大使を召還すると表明したという報道もある。

 毎度毎度のことだが、論評するのもアホらしい。 韓国の要求などつっぱねればよいし、大使を召還するなら「どうぞご自由に」ぐらい言ってやったほうがよい。 どうせノ・ムヒョンなど国民はおろか、官僚にまで無視されているのだから。

 内部文書とやらがホンモノかどうかは知らんが、書いてあることはズバリその通りで反論の余地すらない。 (ホンモノだとしたら日本政府内部に、韓国のスパイでもいるのか?) これまで何十年も韓国の指導者が使ってきた手で、今日日、外務省でなくても民間の韓国ウオッチャーでさえ常識となっていることばかりだ。

 毎年恒例の竹島騒動が良い例。

日本政府は、これまで定期的に竹島問題について韓国政府に抗議しているし、事あるごとに竹島の領有権を主張している。

にもかかわらず、そうした日本側からのアクションがあるたびに、韓国の政府とマスコミはいちいち驚いてみせて「これまで百年間何にも言わなかったのに、今日初めて日本が竹島の領有権を主張した」かのように大騒ぎし、韓国民の日本への敵意を必死になってあおっているのが良い証拠だ。

これがわざとではないのだったら、韓国人は3歩歩くと、以前に日本が竹島の領有権を主張したことをすっかり忘れる程度の脳みそしか持っていないかの、どちらかである。

(この問題についての詳細は、おすすめリンクの”竹島問題”さんを参照していただくとするが、韓国があげている竹島領有権の根拠は、架空の島だったり鬱陵島かそれに付属する島の記述を強引にねじ曲げた妄想ばかり。 日本もただ領有権を主張するのではなくて、専門家に協力を要請して完膚なきまでに韓国の妄想を粉砕すべき。 でないとこの問題は無限ループにおちいる)

 今回の内部文書とやらも、韓国の諜報機関などが入手したホンモノであれ、でっち上げたものであれ、おおかた意図的に韓国マスコミにリークしたんだろう。 今年の竹島問題が韓国民の盛り上がりに欠けて、ノ・ムヒョンの支持率が回復しなかったから。

つまり、今回の騒動こそ「ノ・ムヒョン政権はすべての局面で意図的に”悪者”を作り、この悪者との対立を通じて自分の正当さを訴える政治手法を使っている」 「韓国では反日政策が政権支持率を高める効果があり、レイムダック化して支持率が下がっているノ・ムヒョン大統領は残る任期中も反日強硬論を放棄しないだろう」ということの証明になっている。

それは、WBCのイチロー発言で、韓国が日本への敵意をつのらせて一致団結したのと構図はまったく同じ。

 で、これも言い飽きた事だが、こうやってあること無いことでっち上げて、日本にケンカを吹っかけてくる韓国とは”円満離婚”すべき。

それでも日本人で「韓国の『売り言葉に買い言葉』では永久に敵同士になっちゃうよ。だから日本が冷静になって辛抱しなくちゃ」と考える人は、政府首脳陣から一般国民まで多いのだろうが、はっきりいって”韓国人”や”韓国人の反日運動”というものを全く理解していない。

農耕民族の日本人にとって、いったん「外国とケンカする」と決心したら、もう後には戻れない”永遠の絶交”だと考えるのだろうし、戦うと決めたら、たとえ相手が自分より強かろうと、中国だろうがロシアだろうがアメリカだろうが、やむにやまれず突っ込んでいってしまう。(それにも困ったものだが)

 ところが騎馬民族の末裔である韓国人の、特に日本に対する恨みとか敵意というのはそれとは明確に違う。

三国志だったか後漢書だったかは忘れたが、中国の正史(中国の王朝が編纂させた歴史書)の匈奴伝に、「騎馬民族は勝てると見れば、かさにかかって攻めてくるが、負け戦とみればすぐに逃げるし、それを恥としない」といった内容の記述がある。

また、たぶん「日本人の祖先の多くは韓国人」という荒唐無稽な民間信仰が存在していることが原因で、韓国は日本を「自分が困ったら助けてくれるのが当然の遠い親戚」ぐらいに考えている。

だから、韓国人の日本に対する恨みとかケンカというものは、「日本に勝てると見れば、かさにかかって攻めてくるが、日本の方が強くて負け戦になるとみれば、すぐ逃げるしそれを恥とは全く考えない。そして日本人は遠い親戚なのだから、戦いに負けた韓国の面倒は強者である日本がみなきゃいけない。」といった、極めて馴れ馴れしく甘ったれた考えが前提になっている、いわば”じゃれあい”なわけ。

言いかえれば、韓国が日本に打ち勝って日本人に痛みを与えることだけがリアル(現実)で、韓国が日本に負けて痛めつけられるというのは有り得ない、バーチャル(非現実)だということ。

さらに言いかえれば、「韓国人は日本人を力一杯殴りつけるが、韓国人が日本人に殴られそうになったら、日本人は力を抜いて手加減してやらなければならないというのが日韓間のケンカのルール」だと、韓国人は勝手に思い込んでいる。

つまり韓国にとって反日運動とは、究極のノーリスク・ハイリターンということになる。

それを理解できずに「韓国の『売り言葉に買い言葉』では永久に敵同士になっちゃうよ。だから日本が辛抱しなくちゃ」と考えて、日本が辛抱し続けるから、韓国が日本に永久にケンカを売りつづけることになる。

 もし日本が真剣に韓国の反日をやめさせたいと思うなら(日本の国益のためにも絶対にやめさせるべきだが)、自分より強い外国にケンカを売るということは、韓国人の血も当然流れるし下手をすると自国が滅亡しかねないハイリスクな行動・痛みを伴うリアルな行動だということを、言葉だけでなく体でわからせなくてはダメ。


つまり、韓国に”殴られたら”、日本も力いっぱい殴りかえさなければ、このような不毛な関係は、ずっと繰り返されるだろう。

 だからといって戦争しろと言っているわけではなく、何度も言うように、韓国が反日を一切止めない限り、日本から韓国への援助となるものは一切打ち切って、日本が得をする取引以外は韓国との関わりあいを絶つべき。

また日本から韓国に「お前たち韓国人は、日本人とはアカの他人なのだから今後馴れ馴れしくするな。気安く助けも求めてくるな。」とハッキリ言ってやると、こちらの意図がよく伝わると思う。

 こうやって日本がいったん韓国を突き放した後で、日本と仲良くやっていくことを政策とする大統領を選ぶか、あくまでも反日政策をとる大統領を選ぶかは、韓国民の問題であって、我々日本人がとやかく言うことではない。

それを日本の指導者が「何が何でも日韓友好でなければ」と無理に固執するから、様々な悪影響を日本国家に与えることになる。


 そういえば、最近NHKで放映された北朝鮮ものの特集番組で、朝鮮問題の専門家で、旧ソビエト共産党中央委員会のメンバーだったワジム・トカチェンコがこんなことを言っていた。

「北朝鮮は、ソビエトにとって常に頭痛の種でした。彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためならどんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。

自分の国のためなら、何をしても許されるのです。

私は時折思います。このような人々と、全く関わりを持たないほうがいいと。不用意に関わると、こちらが病気になり、傷付くことになるのです。

北朝鮮を韓国、ソビエトを日本と置き換えると、戦後の日韓関係にズバリ当てはまる。

さすがトカチェンコ同志。Ура !!(ウラー=ロシア語で万歳)

トカチェンコ同志の写真 


関連記事・イチロー発言と韓国人の民族性

関連記事・韓国を甘やかす懲りない人たち

関連記事・日本は韓国と円満離婚を!



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サハリン残留韓国人問題への疑問(その2)

  • 2006/04/04(火) 23:52:25

 前回で、戦前に樺太(現サハリン)に渡った約2万人の韓国人のうち、正式に徴用された人たちは多くても数百人程度であり、残りの大部分は、高賃金など当時の樺太の経済的メリットに魅力を感じ、企業の募集・官斡旋に応じて渡航した人が大部分であったことを述べた。

また、彼らがサハリンに取り残されたのも、米ソ冷戦の開始という日本一国ではどうしようもない国際情勢の変化に大きな原因があったことも指摘した。

 さて、韓国側や日本国内の左翼勢力の言う”強制連行”の具体例とされる徴用について、ここで考えておかなければならない。

これはサハリン残留韓国人問題に限った事ではなく、すべての”強制連行”の問題と密接に関係する話だが、徴用とは、1938年(昭和13年)に国家総動員法第4条をもとに翌年施行された国民徴用令に基づき、政府が管理する工場や事業所で日本国民を労働させたことを指す。

国民徴用令(昭和14年勅令第451号) 

当然、日本国内の住民だけでなく、当時日本の統治下にあった台湾や朝鮮の住民も日本国民の一部として徴用され、国民が徴用された場合、給与が支払われる事はもちろん現地までの旅費も、政府や企業によって支給されることが定められている。

事の善悪は別としても、徴用とは、納税や徴兵と同じように当時のすべての日本国民の義務であり、日本人のみならず、朝鮮半島や台湾の住民にも等しく課されたというだけにすぎない。

(それでも、朝鮮半島の住民の徴用がはじまったのは相当遅かった)

それを無理やり連行してタダ働きさせたかのように印象を操作する”強制連行”という言葉で、問題をすり替えようとするのは全くひきょうだ。

韓国の”被害者団体”や日本の左翼勢力がやってきたことは、日本にも韓国にも存在する納税という国民の義務を、60年以上経ってから”強制収奪”と言い換えて、政府に納付した金銭の返還を求めるようなものである。それがどれほど愚かなことか。

誰だって税金を払うのはイヤだし、税金というものは国家によって国民が強制的に納めさせられているものだ。 しかし、そうしないと、政府が国民に提供している様々なサービスが受けられなくなってしまう。

国民の権利と義務は必ず一対のものであって、どちらか一方だけ求めてもう片方は拒否するということは許されない。

 もし、それでも徴用の賠償を求めるというなら、当時の大日本帝国政府から受けたサービスの費用を返還するのが、フェアというものだろう。 権利だけ主張して義務を放棄するのは、ひきょう千万な行為である。

朝鮮系にかぎらず全ての日本国民は、大日本帝国政府から軍や警察による治安維持、消防署による火災防止、道路や橋・水道など社会インフラの整備など、生活していくのに欠かせない、さまざまなサービスを受けていた。

言うまでもないが、このサービスは日本国民の税負担で賄われていたのである。

であるなら、徴用された朝鮮半島の住民も、当時日本国民の一部だったのであり、そのサービスにかかった費用をいくらか返還すべきなのは道理であろう。

 以上見てきたとおり、サハリン残留韓国人問題で日本政府に何らかの義務があるとすれば、数百人程度の徴用者の帰国を実現することであって、人道的支援は必要だったにしても、それ以外の義務はない。

にもかかわらず、韓国側や国内左翼勢力によってバラ撒かれた「日帝は韓国人43000人を強制連行してサハリンに置き去りにしてきた。」というデマが一人歩きし、平成2年に国会での答弁で、当時の中山太郎外相がサハリン韓国人問題で韓国に謝罪。

(前回で指摘したように、43000人という数字は、戦後ソビエトの政策で中央アジアなどからサハリンに移住してきた朝鮮人を含んでいる。とんでもないウソだ

平成7年には、特定アジア諸国への謝罪熱・賠償熱にのぼせていた村山富市内閣のもとで、サハリンから韓国へ永住帰国する人達のための500戸のアパートや仁川療養院の建設などに、約33億円の巨費が投入されたのである。

 この他にも、日本政府によるサハリン残留韓国人への支援策には疑問点が多い。

例えば、申請が通ったサハリン在住韓国人の一時帰国に際しては、往復の渡航費・滞在費は日本側の負担となっている。

しかも60歳以上の一時帰国者については、付き添い人を一人同行させる事が認められているが、これがクセ者で、付き添いでやってくるサハリン韓国人二世・三世が日本や韓国をタダで旅行したいがために、一時帰国を申請するケースが少なくなかったという。

前述の新井氏は、80歳を超える一世の韓国人老人から、「一度一時帰国したので、もう十分なのだが、子供たちが韓国へ行きたがるので二度目の申請をした」と言われたという。

実際、日本や韓国に来ても、本来の目的である離散家族との再会などそっちのけで、秋葉原の電気街などに「買い物に行きたい」とせがむ人もおり、新井氏は、彼らの一時帰国の目的は「買い物八割・家族との再会二割といった感じだった。」と証言している。

 このようなデタラメな事が起こるのは、日本政府が支援対象者を厳格に限定せず、韓国まかせにしているからだ。

実質的に日本政府がつくった”在サハリン韓国人支援共同事業体”が定めた支援対象者の条件は「1945(昭和20)年8月15日以前にサハリンに移住し、引き続き居住している者」というだけ。

一時帰国支援に至っては、支援対象者を選ぶのは韓国側に任されていて、日本側にはチェックする手段もない。 下手をすると、中央アジアなどから戦後サハリンにやって来た韓国人の渡航費・滞在費まで、日本の税金が投入されている可能性だってある。

「韓国人は全てかわいそうな被害者→被害者は正義→正義だから絶対にウソをつかない→だから韓国人の言うことは絶対に正しい。」
左翼リベラルのデッチあげたこうした”マニュアル”を何の疑いも無く丸のみする、日本のお受験秀才出身の官僚・政治家たちという、いつもの構図である。

こうして「自分がすべて悪いわけでは無いけれども相手も怒っているし、とりあえず謝ってお金を払っておこう。」という、これまた日本政府のいつもの悪いクセで、現在までにズルズルと64億円以上の税金がサハリン残留韓国人問題に投入されてきた。

しかも最近の靖国問題に端を発した日韓関係の悪化で、「靖国で韓国が怒ってる分、サハリンで罪滅ぼししなければ」とでも言うのだろうか、政府・外務省は、ロシア残留韓国人への援助を増やそうとしている。

(サハリンだけでなくロシア本土に居住する韓国人にも支援対象を広げようという動きがあるらしい)

 確かに、徴用でサハリンに渡った韓国人は存在したし、彼らについては日本政府に何らかの責任があると思う。

しかし、その数は現在のサハリン在住の韓国・朝鮮人の人口・4万人と比較して、わずか数百人程度であり、しかも徴用されたサハリン韓国人一世の大部分は、戦後60年たった今、ほとんど残っていない。

居住地がロシア領サハリンであれ、韓国であれ、人が生活していくために、自分で働いて収入を得るのは当然のことだ。

ならば、韓国人徴用者の二世・三世や、高給を求めてサハリンに渡った韓国人やその子孫を、日本政府が税金を投入してまで養っていかなければならない理由があるとは思えない。

日本によるサハリン残留韓国人への支援事業にも、いつかは区切りをつけなければならないのである。


 そこで、日本政府が今なすべきなのは、期限を区切って「1945(昭和20)年8月15日以前にサハリンに移住し、引き続き居住している者」を対象に、韓国への帰国を望むかサハリン残留を望むかの意思表示を求めることだと思う。

韓国への帰国を望む者には、本人と家族の分を含む旅費を日本政府が支給する。 そして韓国へ帰国するにしろサハリンに残留するにしろ、それは本人の自由意志なのであるから、生活費は自らの財産と収入で賄うこととする。

もちろん居住地を自らの意志で決めたのだから、たとえ親族同士が韓国とサハリンの間でバラバラになったとしても、親族交流にかかる旅費は自己負担とする。

韓国へ移住した人達は、韓国国民となったのであるから、彼らの保護責任は当然韓国政府が負う。 韓国内にある永住帰国者向けの安山アパートや仁川療養院の運営も韓国政府が全面的に責任を持つ。

サハリンに残ってロシア国民となることを選択した韓国人の保護責任は、ロシア政府が負う。

そして支援対象者の全員が意志表示を行い、韓国行きを望む人たちの帰国が完了した時点で、日本によるサハリン残留韓国人への支援事業は全て打ち切りとする。

 こうでもしないと、ずるずると未来永劫、日本はムダ金を払い続けるはめになりかねない。

韓国という国は、額に汗することもなく、何も無いところから利権と飯のタネをひねり出すことにかけては天才的な才能を持っている国だ。 特に謝罪ビジネス・賠償ビジネスは彼らが最も得意とする戦術のうちの一つである。

 現在、日本の財政事情は決して良い状態とは言えず、国の借金を、赤ちゃんから老人までまんべんなくならしたとすると、国民一人当たり約637万円を背負っていることになる。

これまでサハリン残留韓国人支援に64億円を費やしたが、もうこれ以上、払う理由も無いムダ金をくれてやる余裕など、日本国民には無い。


☆参考資料-これまで日本が行ったサハリン残留韓国人支援(合計 約64億円)

1.永住帰国支援

・仁川療養院(収容能力100人)・安山アパート(約500世帯)の建設費と運営費及び、サハリンから韓国への渡航費・移転費

平成16年3月までに約1500人が永住帰国

・永住帰国者のサハリン訪問支援
韓国~サハリン間の往復航空運賃提供

平成16年3月までに1577人がサハリン訪問

2.サハリン在住者の一時帰国支援
サハリン~韓国間の往復航空運賃・滞在費および付き添い人への補助金(昭和63年当時で、付き添い1人に約4万円)提供

平成16年3月までに、のべ14678人が一時帰国
(現在、同じ人が3回目の一時帰国を実施中)

3.サハリン残留者への支援
”文化センター”の建設(総工費5億円)およびマイクロバス提供

(文化センターって何? 日本の賠償責任とどういう関係が?)

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泥沼にはまってゆく中国

  • 2006/04/03(月) 23:55:50

 昨年末、王毅駐日大使が1ヶ月以上という異例の長きにわたって帰国して以来、中国問題専門家の間から「近く中国は、対日外交政策を変更するのではないか?」という見方があがっていた。

そのために、先月末からはじまった橋本元首相らが率いる日本の親中派7団体の訪中時に、胡錦涛主席から日本に向けてどのようなメッセージがあるのか注目されたわけだが、

胡主席はそこでも靖国問題を提起し、「日本の指導者が靖国参拝を繰り返しており、これが日中関係を損なった原因だ。一般の人の参拝と指導者の参拝は別だ。政府の代表者が行くのは政府の政策をあらわしていると考える」と改めて日本を批判した上で、小泉首相のみならず、次期首相以降も靖国参拝を継続する限り首脳会談を拒否することを示唆した。

引用記事 

 中国はもうちょっと外交がうまい国で、胡主席が靖国問題にはあえて言及せず”名誉の撤退”を選ぶことで、対日外交の泥沼にはまる愚をおかすのを避けるような知恵があるのではないかと、クロフネは考えていたのだが、どうも彼らは泥沼の方を選んだようである。

20世紀前半の日本は、対中政策で泥沼にはまっていったが、21世紀の中国は対日政策で泥沼にはまっている。

胡政権としても、国民や軍部などに存在する、世界がまるで見えていない反日・反米原理主義者を無視できないという、お家事情がその原因のひとつなのかもしれない。

 しかも中国側は「日中関係の悪化は、中国のせいでも日本国民のせいでもなく、日本の指導者にその原因がある。」と、奇妙な事を言いはじめた。

中国共産党政府は、日本を力ずくで正面からねじ伏せるのは無理だから、中国に同情的な日本の親中派政治家・”友好人士”や左翼マスコミを使って、日本国民の頭に中国共産党のプロパガンダを流し込み、それによって中国に言われるがままになる政治家が日本の首相になるよう、日本国民自身に選ばせようという、民主主義システムのぜい弱性を狙う戦術に変更したようだ。
 
日本国民としても充分気をつけねばならない。 

 しかしこのような小賢しい(こざかしい)戦術を使ったところで、大元の戦略が間違っているのだから、どうしようもない。 戦術面で少々の勝利をおさめたところで、戦略次元での敗北は挽回できない。

その戦略とは、中国共産党が独裁権力を握り、大企業の株式も支配して、中国の政治・経済を支配しつづけることである。

こうした戦略を成功させるために、共産党が国民の言論・思想・信教の自由を制限し、共産党に都合の良い情報だけを国民に与えて、「中国共産党は神であり、その主張は絶対に正しい。」という神話をつくりあげるという戦術がある。

江沢民政権はそれを利用して、間違った情報を与えることで中国国民の日本人への敵意をあおり、その裏返しとして、国民の共産党への忠誠心を高めてきたのだった。

このように過ちに過ちを上塗りするような政策の結果、反日国民の暴走を共産党でさえコントロールできなくなってしまった。 それがあらわになったのが昨年の反日大暴動である。

それでも共産党政府は自らの過ちを認めず、長年自分たちが中国国民に対してやってきたのと同様に、日本を力ずくでねじ伏せることで問題の解決をはかろうとしたのだが、中国自身が恐れていた”中国脅威論”を世界に広めるだけに終わった。

ここでようやく中国も対日政策変更の必要性を感じたのだが、それが今回の胡主席による日本へのメッセージだったというわけだ。

 それでは、どうすれば日中関係を好転させることができるのか? 

それは、中国共産党がとっている間違った戦術、つまり「共産党自身が神になろうとする」なんて愚かな試みを放棄することが最低限必要である。

中国共産党が、現在の日本や歴史についての正しい情報を知る権利と、多様な意見を持つ自由を中国国民に与えれば、反日原理主義に陥いるような中国国民は減り、共産党が彼らのご機嫌をとる必要も無くなるだろう。

そして中国共産党が、日本国民の信仰の自由を認めて靖国問題への介入を止め、相互内政不干渉の大原則を守れば、日本国民の怒りも収まる。

日本国民や日本政府が多様な価値観を認め、中国人の信教・思想の自由を尊重しているにもかかわらず、中国共産党だけが多様な価値観を許容できず、中国国内のキリスト教徒やムスリム・チベット仏教徒に対してやったのと同じことを、国境を越えて日本においてもやろうとするから、日中間で外交摩擦となるのである。

これが中国による日本の属国化、つまり覇権主義以外の何物でもないことは明白である。 中国共産党がいかなる戦術を弄しようとも、日本国民がそれを受け入れるわけにはいかない。

日中関係の正常化は、中国が自らの過ちを認める勇気を持つ事それ以外に道はない。


 最後に、中国が今年1月、東シナ海の日中中間線を越えて複数回にわたり航空機を使った調査活動を行ったことが明らかになった。

引用記事 

中国は事前に日本政府に通告したようだが、日本政府が調査の目的を尋ねたところ、それを無視して中国が調査を強行したようである。

中国の真意は、中国が中間線を越えてガス田リグを建設したら日本がどう出るか、さぐっていると見るべきだろう。 つまり、日本がいつものように泣き寝入りするかどうか試しているのである。

これは、中国の海洋調査船が日本の経済水域内で活動したのと同じパターンだが、調査が終わってから抗議するなど、日本政府は後手後手をふむクセが治っていない。

中国から通告があった時点で、「日本はいかなる理由であっても調査を認めない。」と返答すべき。そして中間線の日本側で試掘するなど既成事実をつくるべきだろう。

どうせ中間線の中国側で日本が同様の調査をさせろといっても中国は拒否するのだから、おあいこである。

 それに武力衝突が発生してリスクを負うのは日本側だけではない。

もし日中間で武力衝突が発生すれば、日中国交断絶と、日台国交回復は避けられまい。 そして世界の人々に「中国の脅威」をくどくど説明しなくても、一目瞭然で理解させられる。

たとえ軍事力で日本をねじ伏せて東シナ海でいくばくかの天然ガスが得るのに成功したとしても、中国のダメージは計り知れない。

日本は勇気を持って、中国の膨張主義に立ち向かうべきである。


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<敵は同調者を求めている>

国を内部から崩壊させるための活動はスパイと新秩序のイデオロギーを信奉するものの地下組織を作ることから始まる。この組織は最も活動的で、かつ危険なメンバーを、国の政治上層部に潜り込ませようとするのである。

彼等の餌食となって利用される「革新者」や「進歩主義者」なるものは、新しいものを持つ構えだけはあるが社会生活の具体的問題の解決には不慣れな知識階級の中から目を付けられて引き入れられる...(略)

数多くの組織が、巧みに偽装して社会的進歩とか正義、全ての人々の福祉の追求、平和というような口実の元に、いわゆる「新秩序」の思想を少しづつ宣伝していく。 
この「新秩序」は全ての社会的不平等に終止符をうつとか、世界を地上の楽園に変えるとか、文化的な仕事を重んじるとか、知識階級の耳に入りやすい美辞麗句を用いて...。

不満な者、欺かれた者、弱者、理解されない者、落伍した者、こういう人たちは、全てこのような美しい言葉が気に入るに違いない。

ジャーナリスト、作家、教授たちを引き入れることは、秘密組織にとって重要なことである。彼らの言動は、せっかちに黄金時代を夢見る青年達に対して、特に効果的であり、影響力が強いから。
これらのインテリたちは、ほんとうに非合法な激しい活動は全て避けるから、ますます多くの同調者を引き付けるに違いない。彼等の活動は「表現の自由」の名のもとに行われるのだ。

<敵は我々の弱点をつく>

我々に全体主義国の宣伝報道が襲いかかる。そして我々を根拠の無い悪口と非難で覆ってしまう。(略)
彼らは特に、我々が彼らのイデオロギーに敵意を抱いていることを非難する。

<危機に瀕しているわが国に人々をまどわす女神の甘い誘いの声が届く>

全体主義の新聞・テレビ・ラジオは毎日我々に、忠告や激励や脅迫を繰り返す。
例えばもしも我々が全体主義国に味方すれば彼らは何の不自由も無く我々を助けてくれるだろうと言ったり、我々が彼らと同盟を結べば、その日から状態は改善されるだろうと約束したり、そうかと思うと、もしも我々が先方の申し入れを黙殺すれば最悪の災難がふりかかるだろうと脅迫したりする。

スイス政府編・民間防衛より

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