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第19回 中国の外交テクニック(その4)
- 2005/05/31(火) 23:39:53
5.原則問題での合意への固執
中国は交渉において、ある種の”原則”を定めて、それを交渉相手国に受け入れるよう執拗に要求する。
そして一旦交渉相手国が、その”原則”を受け入れると、中国は将来にわたってそれを臨機応変に活用し、交渉相手国の外交の自由を制限しようとする。
中国がこだわる”原則”とは、あたかも交渉相手国をぐるりと取り囲む大きな”網”であり、ふだんはその網の中に相手国を泳がせておくが、ひとたび相手国が中国の国益に反する行動をとるときは、その”網”をしぼって、相手国をがんじがらめにしようとするのである。
相手国との外交の懸案ひとつひとつに小さな”網”を用意して、いちいち同意や言質をとって相手国を拘束するより、効率が良いと思われる。
そのような”原則”の代表例としては、1970年代の米中関係の正常化交渉のとき、アメリカに求めた”ひとつの中国の原則”がある。
”ひとつの中国の原則”とはもちろん、台湾は中国の不可分の領土であり、大陸の中華人民共和国が中国を代表する唯一の正統政権であるというものである。
どういう意図があったのか、はたまた北京ダックの晩餐の後で満腹だったのか定かではないが、対中交渉を担当したキッシンジャー国務長官がこの”ひとつの中国の原則”を大筋で認めてしまい、それ以降長きにわたって、アメリカの対中国外交・対台湾外交に制限を与える事になり、”キッシンジャーの呪い”と呼ばれる事になった。
中国が日本に飲ませた”原則”には、”日中共同声明の原則”というものがある。
これも1972年の日中国交正常化のときに合意されたもので、”中国はひとつ”であること、日中はお互い内政干渉をしないこと、覇権主義をとらないことが、定められた。
今年(2005年)、中国各地でおこった反日暴動によって日中関係は最悪の状態となり、それをうけて四月にジャカルタで開催された日中首脳会談で、中国側は5つの主張を発表した。
その一番目には「日中共同声明の原則を日本が尊重すること」という一文があったが、これは「反日暴動の報復として日本が中国を捨てて、台湾との政治・外交関係を復活させる」ようなことは中国は許さないという意味である。
この”原則”は他にも、台湾の政治家が日本を訪問したがっているときや、台湾が国際機関に加盟したくて日本に支援を求めてきた場合などに、中国が台湾側を妨害し、日本の対台湾外交のフリーハンドを奪うために幅広く使える。
ただ、これらの”原則”は諸刃の剣であり、使い方によっては中国外交の自由をも制限するものとなりかねないが、中国は”原則”に対して「同意した相手国は守らなくてはならないが、中国自身は守らなくても良い」という二重基準を適用しがちである。
6.道義の優位性
中国は自らを「絶対にあやまちを犯さない被害者」、交渉相手国を「間違いだらけの加害者」と位置付け、その”道義の優位性”をみずからの国民に教育して国内世論を形成するとともに、相手国の交渉担当者・国民に加害者意識を植え付け、交渉相手国の人々の理性ではなく、人間が生まれながらに持ち、コントロールが困難な感情部分に働きかけて、中国に対する強い罪悪感をいだかせようとする。
また広く国際社会に対して”被害者の中国”と”加害者の相手国”という構図をアピールして同情を誘う。
そして中国国民と中国へ同情する国際社会の交渉相手国に対する圧力を援護射撃とし、交渉相手が抱いた中国への罪悪感と孤立感を最大限に利用して相手に譲歩をせまり、それによって交渉を中国にとって有利に運ぼうとするのである。
中国政府が歴史上中国がおかした侵略をほとんど教えないか、「中国を防衛するための戦争」と歪曲して国民に教育し、中国を侵略しておいて一度も謝罪や賠償をしてこなかったイギリス・ロシア・フランス・ドイツの姿勢を見逃して問題にせず、
繰り返し謝罪を表明してきた日本だけを”加害者”として執拗に攻撃し、国際社会に絶対正義の被害者・中国と絶対悪の加害者・日本の構図を必死にアピールしてきたことは、
市民レベルではともかく、中国の外交担当者にとっては日中交渉を有利に運ぶための外交テクニックであったことを証明している。
もし純粋に”侵略という過去の歴史”が理由であるならば、侵略して一度も謝罪していないイギリスやロシア・フランスは問題なくて、何度も謝罪している日本だけを「謝罪が足りない」と攻撃する中国のやり方は、できの悪いジョークそのものである。
それでは中国の失策で道義の優位性が失われた場合、つまり中国が悪・加害者になってしまった場合はどうするか?
中国で文化大革命の嵐が吹き荒れる真っ最中だった1967年8月22日に、紅衛兵が北京のイギリス代理大使館を襲って敷地内に侵入し、駐中イギリス代理大使が紅衛兵に殴打されるという事件が起こった。
新華社通信など中国官営マスコミは、紅衛兵の暴力行為を正当化するニュースを流したが、国際社会における中国のイメージダウンは避けられなかった。
その直後の8月29日、”ポートランド街の攻防”と呼ばれる奇怪な事件がロンドンで起こる。
ポートランド街にある在英中国大使館が突如東洋人の集団に襲撃され、中国大使館を警備していたイギリスの警官と壮絶な格闘戦となったのである。
これについてサッチャー首相の外交顧問でイギリス外務省の中国専門家であったサー・パーシー・クラドックは彼の回顧録でこう述べている。
「この奇怪な事件がはじめから中国側の演出によるものであることは疑いない。
彼らはイギリスの”暴行”をデッチあげることによって自分たちの野蛮な行為(北京のイギリス大使館が襲われたこと)を正当化し、しかも彼らが最も得意とする”道義的優位性”に立とうと企図したのである。」
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ナショナリズムと理想
- 2005/05/30(月) 23:11:00
EU憲法の批准の是非をめぐって29日に行われたフランスの国民投票は、賛成45%、反対55%の大差で反対票が上回り、憲法批准は否決された。
http://dailynews.yahoo.co.jp/
fc/world/european_union/
第2次大戦以降、”ド・ゴール主義”をかかげ、大陸間弾道弾や核ミサイルを搭載した原潜などの配備による核抑止力と、空母”クレマンソー”や”シャルル・ド・ゴール”を中心とした、空母機動部隊による世界規模での通常戦力の投射能力の維持という二本柱による、自前の安全保障システムを裏づけとして、アメリカの自由世界の一極支配に反対し独自外交を貫いてきたフランス。
その国益最優先のフランスの外交姿勢は、「国益のためにフランスという国家が存在する」とまで言われた。
その意味で「あのフランスが、そしてフランス国民がEU憲法を批准するようなことがあるのだろうか?」「フランス一国の利益を犠牲にしても、EU全体の利益を優先させることがあるのだろうか?」とクロフネは注目していたが、結果は”ノン”だった。
”ノン”の理由としては、EU統合の進展に伴って、東欧から賃金の安さを苦にしない労働者がフランスに多数流入して、フランス国民の失業率を悪化させる懸念があるからだそうだが、EU統合の理想より、フランスの国益・ナショナリズムの方が今回は勝利をおさめたということだろう。
これをみると、EUのように自由民主主義・キリスト教といった価値観が非常に似通った国々の集まりでも、各国が主権を返上して共同体をつくるような事が容易でないということを痛感させられる。
今後ともEUは統合への努力を続けていくだろうが、EUの理想と一国の主権・国益・ナショナリズムのせめぎあいも続いていくのだろう。
話は変わって、例の”谷内外務事務次官の舌禍事件”であるが、韓国側は、求めていた日本政府の谷内事務次官への処罰が無かったにもかかわらず、来月の日韓首脳会談を「大局的見地に立って」予定通り行うとした。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050530-00000216-reu-int
あたかも韓国が日本にケンカを挑んだら返り討ちにあって、ボコボコにされながら「今日はこの辺にしといたるわ」と言い返すという、吉本新喜劇のべたべたのお笑いを外交の舞台で素でやって、世界の失笑を買ったかたちとなったわけだ。
だいたい日韓首脳会談自体、韓国のノ・ムヒョン大統領が何より望んでいる事だ。
”大国・日本の首相と渡り合える韓国のリーダー”を演出して支持率をあげたいのである。
日本の田舎の村長が、「小泉首相がおらが村を訪問しに来てくれたので、なんとか自分と小泉首相が握手しているツーショットの写真をマスコミに撮らせたい」「その写真を村の広報の表紙にのせて、自分のイメージアップと二選・三選をはかりたい」と考えるのと大差ない。
それはともかく、韓国側の集団ヒステリーにうろたえた町村外相が、谷内次官を注意して、谷内次官に”遺憾の意”を表明させたのは、本当にみっともなかった。
谷内次官の韓国に対する諫言は、まことに勇気ある正論であるし、それを上司である外相が、かばってやらなくていったいどうするのであろうか。
こんな事では、ただでさえ”事なかれ主義”の事務方が、ますます”事なかれ主義”になって、外国に言うべき事も言えなくなる。
この問題に対して細田官房長官までうろたえて、オフレコの話をリークするような韓国の誠実さに欠ける対応を非難するどころか、「町村外相が谷内次官を注意したから問題無い」と事なかれ・泣き寝入りと問題の先送りに終始している始末。
対韓外交で一番いけないのは、「こちらは悪くは無いけど、相手がカッカしているから、とりあえず謝っておこう」という卑屈な態度であるということがま〜〜〜〜だわかっていない。
両人とも学習能力がゼロであるらしい。
以前にも述べたが、時代も国民もこういうシャンシャン総会型の政治家は全く必要としていない。
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谷内外務事務次官の発言は全く問題なし
- 2005/05/27(金) 23:56:26
日本の谷内外務事務次官が五月十一日、韓国与野党議員団との朝食会で、「日米は情報を共有しているが、米国が韓国を信じていないため、日本が入手する北朝鮮情報を韓国と共有するのが難しい」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050527-00000002-san-pol
これに対して韓国政府は、事務次官に対しての処罰を与えるよう日本政府に要求し、場合によっては来月の日韓首脳会談ボイコットを示唆している。
例によって韓国の集団ヒステリーであるが、谷内事務次官の発言はまったくの正論である。
”北東アジアのバランサー”という名の二重スパイ外交を宣言して、北朝鮮の核保有に理解を示す発言を繰り返し、台湾海峡危機に備えるアメリカに対して、明確に協力を拒否する韓国は、アメリカにとっても日本にとっても同盟国としてまったく信用できないし、機密情報を渡す事など自殺行為だ。
しかも今回の事務次官の発言は、非公式のいわば”オフレコ”であって、それがこうして表ざたになる事自体、韓国の情報管理能力がゼロであることを証明しており、事務次官の発言の正しさを裏付けている。
韓国は、日韓首脳会談がキャンセルになると日本がダメージを受けるので、”首脳会談キャンセル”が外交カードになると信じ込んでいるみたいだが、夜郎自大もいいところである。
別段、来月の日韓首脳会談がキャンセルとなっても、日本にとってまったく問題は無い。
それによって日本の国益を損ねるような事は何も無いからである。(もしあるなら是非クロフネに教えて欲しい)
キャンキャンよく吠える犬は、目立つものだが、往々にしてよく見れば体は小さいものだ。
なんならこちらから日韓首脳会談キャンセルを宣言すれば良い。
あわてた韓国は、首脳会談開催を懇願してくるから、その時に「今回のような事件は二度と許さん。 発言をリークしたものを処罰すれば首脳会談開催を考えてやらんでもない」と要求しておけば、二度とこのようなバカバカしい事件はおこらないだろう。
それさえ韓国側が拒否するなら首脳会談が流れてもいたしかたない。
第一、日本の首相は、日本が欲しい資源も無い、日本製品の大市場でもない、国際政治にたいした影響力さえ無い韓国に対して、外交日程の時間を割き過ぎである。
「大国・日本の首相が1年に何回も会ってくれる。だから韓国も世界のゆくすえを左右する重要なプレーヤーなのだ」と勘違いして、このような夜郎自大もはなはだしい”外交ゴッコ”を繰り返すのである。
日本の首相が会わなければならない外国の要人は他にいくらでもいる。
「よく吠える犬は得てして体は小さいものだ、道ですれ違ったそんな犬をいちいち相手にしていたら、いっこうに目的地につかない」ということをよく思い起こすべきである。
それよりも気になるのはこっち。
http://japanese.chosun.com/
site/data/html_dir/
2005/05/26/20050526000031.html
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<敵は同調者を求めている>
国を内部から崩壊させるための活動はスパイと新秩序のイデオロギーを信奉するものの地下組織を作ることから始まる。この組織は最も活動的で、かつ危険なメンバーを、国の政治上層部に潜り込ませようとするのである。
彼等の餌食となって利用される「革新者」や「進歩主義者」なるものは、新しいものを持つ構えだけはあるが社会生活の具体的問題の解決には不慣れな知識階級の中から目を付けられて引き入れられる...(略)
数多くの組織が、巧みに偽装して社会的進歩とか正義、全ての人々の福祉の追求、平和というような口実の元に、いわゆる「新秩序」の思想を少しづつ宣伝していく。
この「新秩序」は全ての社会的不平等に終止符をうつとか、世界を地上の楽園に変えるとか、文化的な仕事を重んじるとか、知識階級の耳に入りやすい美辞麗句を用いて...。
不満な者、欺かれた者、弱者、理解されない者、落伍した者、こういう人たちは、全てこのような美しい言葉が気に入るに違いない。
ジャーナリスト、作家、教授たちを引き入れることは、秘密組織にとって重要なことである。
彼らの言動は、せっかちに黄金時代を夢見る青年達に対して、特に効果的であり、影響力が強いから。
これらのインテリたちは、ほんとうに非合法な激しい活動は全て避けるから、ますます多くの同調者を引き付けるに違いない。彼等の活動は「表現の自由」の名のもとに行われるのだ。
<敵は我々の弱点をつく>
我々に全体主義国の宣伝報道が襲いかかる。そして我々を根拠の無い悪口と非難で覆ってしまう。(略)
彼らは特に、我々が彼らのイデオロギーに敵意を抱いていることを非難する。
<それにもかかわらず国民と政府は一致団結している>
新聞、出版物、ラジオおよびテレビはこのような心理戦の段階ではまさに決定的な役割を果たすものである。
そのために敵は編集部門の主要な個所に食い込もうとする。
我々国民はこれに警戒を怠ってはならない。
敵を擁護する新聞、国外から来たものを擁護する新聞は相手にしてはならない。我々は自分達の防衛意欲を害するあらゆる宣伝に対し、抗議しよう。
(スイス政府編纂:民間防衛)
民間防衛
第18回 中国の外交テクニック(その3)
- 2005/05/26(木) 22:25:54
3.”善玉・悪玉”チーム
中国は交渉相手に対して、あたかも中国側の交渉担当者たちが、一枚岩ではないように見せかけるときがある。
そして中国側交渉担当者たちが”善玉・悪玉”の二人一組のチームとなって一芝居うち、相手国にゆさぶりをかける。
それでは”善玉・悪玉”チーム戦術をわかりやすい例にしてあげてみよう。
例えば、交渉の妥結の条件としてA・B・C・Dの四つがあり、
Aは中国として絶対受け入れたくない、
Bは中国としては受け入れ可能だが、うまみは少ない、
Cは中国の望みどおりの満額回答、相手国にとって極めて不利、
Dは交渉相手国にとって全く不利であり、相手国として絶対受け入れられないもの、
だったと仮定しよう。
そして、中国の交渉相手がBを提案したとするが、それが中国にとって受け入れ可能であっても、あせって合意を急ぐようなことはしない。
中国側の交渉者として、まず”悪玉”役が出てきて「Bは中国として絶対受け入れられない。中国はD条件での妥結を要求する」と、相手が絶対飲めないような条件を主張して、さんざん交渉を引き伸ばす。
時には、B条件を提案した相手を激しく非難し攻撃するような、高圧的な態度さえみせる。
当然、交渉は膠着状態に入って、にっちもさっちもいかなくなってしまう。
そこで”善玉”役が登場し「まあ、そうカッカするな」とばかりに”悪玉”役をたしなめたあと、”善玉”役は交渉相手国にこう持ちかける。
「Dはあなた方としても受け入れられないだろう。そこで中国としてはDから大幅に譲歩してCを提案しよう。 ここは私の顔(メンツ)を立てて、それで手を打ってくれ。中国と一衣帯水の関係にある、あなたの国との友好のためにだ。」
ここで相手国の交渉担当者が「”善玉”が我々のために渋る”悪玉”を説得して、結果として中国は大幅に譲歩してくれたのだ。」と感激のあまり合意文書にサインしたら、もうアウトである。
思い出して欲しいが、そもそもCは中国にとって大満足・相手国には極めて不利なのであって、実は譲歩でもなんでも無い。
ここで大切なのは、中国がどのくらい譲歩したか、何回譲歩したかといった相対的なものではなくて、中国が出してきた交渉妥結の条件が、交渉相手国の国益にとってプラスとなるのかどうかという絶対的基準による判断である。
残念ながら現在の中国政府において、誰が”善玉”役で誰が”悪玉”役かはわからないが、70年代においては、黄華外相が”悪玉”役で、小平副首相が”善玉”役としてコンビを組んでいたと言われる。
4.”あなたの中国の友人が危ない”
”善玉・悪玉”チーム戦術の変形として、”あなたの中国の友人が危ない”戦術がある。
これは、中国と交渉している相手国の交渉担当者が親しくしている中国の政治家を、いわば人質にとったかたちで一芝居うち、相手国に譲歩を要求する戦術である。
わかりやすいように一例をあげると、
まず中国側から相手国の交渉者に対して、「あなたが中国との交渉で、非友好的な態度をとっているために、あなたが親しくしている中国の友人Aの立場が”悪玉”たちによって危うくなっている。」と訴える。
そして中国側は「友人Aが失脚すれば、今後中国とあなたの間の交渉は難しくなり、両国は友好関係を維持するのも困難になる。だからAを”悪玉”から救うために、交渉であなたが譲歩して欲しい」と揺さぶりをかけてくるのである。
1970年代前半の、アメリカと中国の国交正常化のための交渉時に、中国側は「アメリカに理解のある周恩来が危ない。周が失脚すれば米中交渉は難しくなる」と訴えて、ニクソン大統領に譲歩を迫ったと言う。
今年、中国各地でまきおこった反日暴動について、遺憾の意を表明した中国が一夜で反日暴動の擁護姿勢に転じ、責任は日本側にあると主張した背景に、対日最強硬派の江沢民・上海グループの影響があるという分析が一部にある。
一方、ある外交筋によれば、日本の中国の暴動に対する弱腰対応には「江沢民・上海グループとの対立に苦慮する胡主席への配慮もあった」という。
http://www.sankei.co.jp/news/
050509/kok007.htm
もし「反日暴動をあおったのは江沢民・上海グループという”悪玉”で、彼ら”悪玉”のせいで胡錦涛主席が失脚して、江沢民・上海グループが中国の指導部に復活すると、日中関係が破滅的状況になりますよ。
だから”日本の友人・胡主席”を助けるために、日本が譲歩して弱腰対応をとりなさい」と中国側から持ちかけて来たのだとしたら、
そして、ある外交筋の言うように「江沢民・上海グループとの対立に苦慮する胡主席への配慮」で、反日暴動の謝罪も賠償もウヤムヤにして中国新幹線へのODA投入などが決められたのだとしたら、
日本はまんまと”あなたの中国の友人が危ない”戦術に引っかかったと言える。
たとえ自分達の友人であり、優秀でもある中国の指導者が、”悪玉”に失脚させられたとしても、最終的に国益を損なうのは我々ではなく、中国自身であるということを肝に銘じて交渉にあたらなければ、何度でも同じ手に引っかかるだろう。
第17回 中国の外交テクニック(その2)
- 2005/05/25(水) 19:46:53
2.交渉の妥結をあせらない
数千年にわたる悠久の歴史を刻んできた中国は、外交交渉の妥結を決してあせって急いだりはしない。
中国の交渉に対する姿勢は「百年後、あるいは二百年後に中国の国益にとって有利なようになっていれば良い」というもので、その結果、中国との交渉は非常に時間がかかる場合が多い。
あるアメリカの中国担当外交官は「私は中国側と百回以上交渉したが、合意できたのはわずか数件の事案だった」と述べたという。
交渉が妥結しない方が中国にとって有利と見れば、交渉をダラダラと引き延ばして、時間稼ぎに使う事もしばしばである。
中国にとって交渉とは、必ずしも相手と合意するために存在するものでは無いという点に注意しなければならない。
それは、一旦交渉が始まれば「何か相手と合意しなければ成果が無かったんじゃないか」と考えて、たとえ日本の国益を損ねても、あせって交渉の妥結や合意を急ぐ、日本外交とは正反対と言える。
中国にとって、国益の確保のために交渉とその妥結があるが、日本の場合は交渉の妥結のために国益を捨てているとさえ、言えるだろう。
1970年代前後に、東シナ海における海底油田の存在が国連によって発表されると、中国は東シナ海に浮かぶ尖閣諸島を突然中国領であると宣言した事は、ご存知の方も多いはずだ。
それ以来日中間で尖閣諸島の領有権問題が発生したが、1972年の日中国交正常化交渉の際には、この問題で日中は合意できず、尖閣問題は棚上げとされた。
そして日中平和条約の批准書交換のため来日した、小平副首相(当時)は、
「尖閣諸島を我々は釣魚島と呼んでいる。その呼び方も異なれば、双方には異なる見解もある。中日国交正常化を実現したとき、我々双方はこの問題には言及しないことを決めた。
今回、中日平和友好条約について交渉したときも、双方はこの問題に言及しないことを約束した。一部の人たちはこの問題が刺激となって、中日関係の発展を妨げると思っている。
我々は両国政府がこの問題を避けるのが賢明だと思っている。このような問題は、しばらく棚上げしても構わないだろう。10年待っても構わない。次の世代は、我々より賢いだろうから、きっと互いに納得できる方法を見つけるだろう」と述べた。
これを聞いた日本の政治家のなかには、「さすが小平だ。話がわかる。」と快哉を叫んだものもいたと言うが、1970年代と言えば、中国における改革開放政策がはじまる前のことであり、中国は単なるデカイ発展途上国でしかなかった。
人口比はともかく、経済力などの純粋な国力を比較してみれば、中国は日本の10分の1以下の小国に過ぎなかっただろうし、軍事力にしてもアメリカとの同盟をバックにした日本に対して、中国は通常戦力では全くかなわない。
中国は尖閣諸島に戦闘艦艇を派遣は出来ても、当時の中国空軍の主力だった殲撃5型・6型戦闘機(ソ連製ミグ17・ミグ19のコピー)では、制空権が握れない。 仮にアメリカが空母機動部隊を派遣してくれば中国としてはお手上げとなってしまう。
しかも当時、国境紛争の激化で中ソ関係が最悪の時期を迎えていて、そのような情勢下で日米と武力衝突を起こして二方面同時作戦をはじめれば、中国の国益は大きく損なわれる。
それ以上に中国としては、アメリカそして日本との関係改善と経済・技術援助がノドから手が出るほど欲しかった。
もし国力の弱い中国が尖閣諸島問題の交渉の妥結を急げば、日本からの援助を受ける代わりに、中国は尖閣諸島の日本領有を認めざるを得なくなる。
しかし、尖閣問題交渉の妥結を先延ばしにして時間を稼いだ上で、その間に日本を含めた西側からの援助によって中国の国力を増大させ、国力の日中逆転が起こった後に、増大した軍事力・経済力を背景に再び日本と交渉をはじめれば、10年後20年後には、尖閣問題を中国の有利なように解決できる。
何のことは無い、中国への資本主義の導入と、西側からの資本・技術による中国の強国化・大国化をライフワークとし、後に”改革開放の総設計師”と呼ばれた小平の戦略に、まんまと一杯食わされたのは、日本だったのである。
現在、東シナ海の日本の経済水域内を中国の海軍艦艇・調査船が我が物顔に跋扈しているのをみれば、その小平を褒め称えた日本人もまったくおめでたい。
東シナ海といえば、排他的経済水域の日中中間線にまたがる海底ガス田を中国が一方的に開発し、日本がそれに抗議しているのは皆さんのご存知のとおりだが、日本の抗議を受けた中国側の提案によって、これまで日中間で何度も交渉が重ねられてきた。
しかし、中国側は自らの主張を繰り返すだけで、日本側が要求しているデータ開示にも応じていない。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050331-00000007-san-pol
中国は交渉を時間稼ぎに使って、その間にガス田開発の既成事実化を狙っているのは明白だ。
このような中国側の交渉態度をみて、日本外務省から「協議だけやろうと言っているのは理解に苦しむ」とか「中国から交渉を持ちかけてきたから、何か新しい提案でもあるのかと思ったが、何も無いじゃないか」といった声が漏れてくるが、
「交渉は必ず妥結・合意するためにある」という固定観念にとらわれているから理解に苦しむのである。
日中国交正常化交渉の前後から、日本外務省は30年以上にわたって中国と交渉してきたが、失敗から何も学ばなければ、これまで経験してきた中国の交渉のやりかたのデータの蓄積さえ無いようだ。
日本の政治家の発言の耐えられない軽さ
- 2005/05/24(火) 23:38:07
昨日のコラムでとりあげた、中国の副首相による小泉首相との会談ドタキャンは、やはり靖国参拝を示唆した小泉首相に対する報復であることが、明らかになった。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050524-00000023-san-int
また、訪中した武部自民党幹事長が、王家瑞中央対外連絡部長との会談で、「中国の靖国参拝中止要求は内政干渉である」と発言したこともドタキャンの理由のひとつだったようだ。
しかし武部幹事長の発言はまったくの正論である。
以前から思っていたのだが、
だいたい、中国による靖国参拝や教科書検定への介入、デモ隊による日本公館への攻撃は、1972年の日中共同声明の基本原則である「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」への明確な違反である。
であるならば、日本政府・外務省はあわてず騒がず、中国に対し「中国が”日中共同声明の基本原則”を遵守するつもりが無いなら、日本とてそれを守るつもりは無い」と相互主義の適用を宣言してやればよいのである。
共同声明が無効になれば、「日本は中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。」という基本原則も一緒に消える。
日本が台湾と政治・経済の関係を強めるのを阻んでいた国際公約もとけるというわけだ。
つまり日本は中国に対し、基本原則を守ってこれまでどおり、日本に中国とお付き合いして欲しいのか、それとも基本原則を破棄して日本が台湾とヨリを戻してもよいのか、二つに一つの踏絵を踏ませてやればよいのである。
しかしである。武部幹事長は激怒した王中央対外連絡部長に一喝されると、いとも簡単に発言を撤回したのである。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=poli&
NWID=2005052301003202
なんたる軽さであろう。自らの信念を貫徹する意志が無いなら、はじめから何も言うべきでない。
「靖国に行くな」と言う中国の指導者に面と向かっては何も言わず「お説ごもっとも」と承って帰国してから、「靖国に行く」という首相がいるかと思えば、与党幹事長は「中国は内政干渉」と言ったあと、相手が激怒したからと前言をすぐひっこめる。
彼らの発言の軽さにクロフネは耐えられません。
外交の基本ともいうべき、主張の一貫性が皆無だわ、簡単に言質を与えるようなかっこうになるかと思えば、それをいとも簡単にひっくりがえしてみせるわ。
(決して相手に言質を与えず、ミスター・ニエット<ミスターNO>と言われた旧ソ連のアンドレイ・グロムイコ外相のつめのあかでも飲ませてやりたい)
”外交のおきて破り”の連続に、中国側も日本の真意が読めないのではないだろうか。
そのせいか、今回の中国副首相のドタキャンだけでなく、暴動再発の危険があるにもかかわらず、小泉首相の靖国参拝を示唆する発言を中国マスコミが国内で報道する許可を出すなど、中国外交も迷走気味にみえる。
たまには、「よくやった日本外交」という記事をアップしたいのだが、よくもまあ、毎日毎日...。 連載が進みゃしない。
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遅いよ小泉さん。
小泉首相、会談をすっぽかされる
- 2005/05/23(月) 23:05:42
今日23日、訪日中の中国の呉儀副首相が、小泉首相との会談を取りやめて急遽帰国した。
それに対して外務省首脳から、「マナー違反」との批判が出ている。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050523-00000306-jij-pol
ところで、皆さんは”割れ窓理論”をご存知だろうか?
これは犯罪学で「ある社会・地域が、公共施設の窓を割られたり、スプレーによって落書きされるような軽犯罪を笑って済まし、そのまま放置していると、強盗・殺人のような凶悪犯罪までエスカレートして激増してしまう」という理論で、
犯罪の多発と治安の悪化に悩むニューヨーク市が、この理論を適用して、公共施設の窓ガラスの破壊や地下鉄へのスプレーによる落書きを徹底して取り締まったところ、凶悪犯罪も劇的に減らす事ができた。
この”割れ窓理論”は、外交にも適用できるとクロフネは思う。
2002年5月に、中国・瀋陽の日本領事館に北朝鮮の難民が亡命を企てて侵入し、それを阻止しようとした中国の警察官が領事館に侵入した事件があった。
外国の公館の敷地内に、何の同意も得ず中国の警官が侵入するのは、完全なウイーン条約違反であったが、現地の日本外務省員は中国側の犯罪行為に抗議するどころか、侵入した中国警官の帽子を拾って渡してやるという能天気ぶりであった。
確かに当時の中国が犯した過ちは、窓を割られた程度の小さいものだったかもしれないが、間違いなく日本の主権が侵されたのであり、国際法に違反する行為だったが、それを外務省は”笑って済ませた”のだった。
それ以後、中国による日本の主権を無視して侵害する行為はどんどんエスカレートしたが、日本側は相変わらず”笑って済ませる”だけであった。
東シナ海の日本の排他的経済水域に中国の海底資源調査船が侵入しても、せいぜいポーズだけの抗議をするだけで、中国の犯罪行為をやめさせるための実力行使をとらず、とうとう中国海軍の潜水艦が領海侵犯をしても当たり前の謝罪さえ中国にさせられない。
2004年のサッカー・アジアカップでは、日本の公用車が中国の暴徒に襲われて破壊されたにもかかわらず、いまだに警備責任のあった中国当局から謝罪も賠償金もとれていない。
そしてとうとう今年には、中国各地の日本公館が暴徒に襲われて大破させられたにもかかわらず、中国政府から公式に謝罪も明確な賠償金も得られていない。
犯罪に例えれば、割れ窓どころか、強盗傷害さえ、日本側は”笑って済ませている”のだ。
そして謝罪も賠償も無い中国に対し、ODAを供与して新幹線を中国につくるという提案が北京で行われた外務次官級の日中総合政策対話で、日本の谷内正太郎次官から戴秉国次官にされたという。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050522-00000002-san-pol
犯罪をエスカレートさせればさせるほど、被害者が犯罪者においしいアメをやれば、もっと凶悪な犯罪をやってくださいと言っているようなものだ。
そして中国という犯罪者がのどから手が出るほど欲しいのは、日本からのカネだ。
中国各地の反日デモで日本からの投資・日本人観光客の落とす外貨が激減する可能性があった。あるいは日本からの報復としてODAの即時停止があるかもしれない。 中国が一番心配したのはそこだった。
しかし中国の副首相は訪日して、それが杞憂に終わった事がわかったのだろう。 カネの心配さえ無くなれば、あとは小泉首相と会う必要は無い。
むしろ中国に忠誠を誓う日本の政治家を手厚く保護し、中国に逆らう小泉氏のような政治家にはムチをくれてやればそれが有効なカードとなる。
日本が外交における”割れ窓理論”を無視した結果、犯罪者は日本をなめきっているようだ。
何も”割れ窓理論”のようなものは新しい理論、セオリーではない。
「相手に誤ったメッセージを送らない」というのは、政治家やプロの外交官なら当然知っておくべき基本セオリーである。
自分達をどう思っているのか知らないが、日本外交をつかさどっている人間たちは、素人集団もいいところのようだ。
だから中国の何人かいる副首相のうちのひとりが、本来ならかなり格上のはずの日本の首相との会談をドタキャンするといったふざけたことをいとも簡単に許すのである。
小泉政権と日本のツケは重い。
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愚鈍と無能に、悪知恵は無いが、罪はある。
ウインストン・チャーチル
第16回 中国の外交テクニック(その1)
- 2005/05/21(土) 22:00:31
これから数回にわたって、中国の外交テクニックをとりあげてみたい。
さすがに紀元前の昔から何千年も権謀術数のかぎりをつくして、「きったはった」をやってきた国だけのことはあって、中国の外交テクニックの多彩さ、巧妙さは世界でも際立っており、外交専門家や中国ウオッチャーの間では有名である。
それは要請、つまり相手にひたすらお願いするだけしか、レパートリーが無いと思われる日本外交とは対極にあるのではないだろうか。
もちろん中国のやる外交が理想的なものだと言うつもりは、さらさら無い。
しかし、これから何度も中国と交渉していかなければならない日本としては、中国がどのような外交テクニックを持っているのかをあらかじめ知っておくことは、非常に重要な事だと思われる。
それでは具体的に中国の外交テクニックの数々をみていこう。
1.交渉場所へのこだわり
中国は、外交交渉や首脳会談が開催される場所について、並々ならぬこだわりを持つ。
中国が最も好む外交交渉の開催地は自国、それも北京である。
その外交交渉が中国の国益にとって重要であればあるほど、北京で開催される可能性が高くなる。
その理由の第一点は、相手を呼びつけることで精神的に優位に立って交渉を有利に進め、さらに自国民や第三国に対して、交渉相手国より中国の方が力関係が上であることを誇示するためである。
普通、力関係が同じならば動物は自分のナワバリにいて精神的に優位に立っている方が勝つ。 これは人間も同じでスポーツ、特にサッカーやボクシングでは、実力が同じなら地元チーム・地元選手が勝つ確率が非常に高いことは良く知られている。
紀元前の昔から清帝国まで”華夷秩序”が存在した時代では、中国の皇帝は、みずから軍勢を率いて親征でもしない限り、外国を訪問するようなことはまず無かった。
そして”中華思想”では、中国の皇帝は黙って都にある宮城の玉座に座っていれば、”皇帝の徳”を慕って、”野蛮人のおさめる外国”から使者が貢物をささげに来るということになっていた。
もちろん現代では、中国の指導者が絶対北京から出ないなどということは無いが、それでも、特に中国の方が力関係が上であるということを思い知らせたい相手に対しては、北京に呼びつけるという手段が使われることが多々ある。
また最近行われた、ジャカルタでの日中首脳会談では、第三国での開催にもかかわらず、中国の胡錦涛国家主席が滞在するホテルを小泉首相が訪ねるという形で行われたが、これも同様のことが言えよう。
このような事は中国と同じ社会主義の同盟国である北朝鮮でもみられる。
外交の慣例を破って、小泉首相は二回連続して日朝首脳会談をピョンヤンで開催したが、このことは北朝鮮国民に「将軍さまに対して日本の首相が二回も頭を下げに来た」という印象を与える効果があった。
しかも最初の会談では、小泉首相をピョンヤンに呼びつけた上に、会談の会場の寒々しいホールで10分近くも小泉首相を立ったまま待たせ、
そのあと悠然と金正日が出てきて、握手するという場面も見られた。
こうしたことも精神的に優位に立ち、交渉を有利に運ぼうという計算があっての事と思われる。
二点目の理由は、北京などの自国で交渉を行った方が、何かと細工がしやすいということである。
交渉相手の控え室や宿舎に盗聴器をしかけるといったことは、自国でしかできない。
そして中国が好むのが会談の雰囲気の操作である。これも自国開催でなければ効果的にやるのは難しい。
これは次に詳細に述べる。
2.会談の雰囲気の操作
中国が国益上、重要な交渉を自国でやりたがる最大の理由は、会談の雰囲気を操作することが可能となるからである。
中国が重要な交渉の相手を自国に招いて細心の注意を払い、心配りがすみずみまで行き届いた接待、ぜいたくの限りを尽くした宴会を催すのは有名である。
これによって交渉相手の理性ではなく感情に訴えかけて、中国に対する深い感謝の念をおこさせる。
そして、その後の交渉の場で「あのような豪華な接待をしてもらったのだから、少しは譲歩をしなければ」といった感情を相手に生じさせることによって交渉を中国の有利な方向へと運ぶのである。
アメリカの元国務長官のヘンリー・キッシンジャーは「北京ダックの晩さんの後なら何にでも合意してしまう」と、中国政府の接待攻勢を皮肉っているし、
イギリスの元首相、マーガレット・サッチャーの外交顧問で、イギリス外務省の中国専門家だったサー・パーシー・クラドックも「彼女(サッチャーのこと)は多くの西側の政治家と違い、北京でたくさんのごちそう攻めに会うと、すぐに中国のとりこになってしまうようなタイプではなかった」と言っている。
この発言も裏を返せば、北京の豪華な接待攻勢で、いかに多くの西側政治家が篭絡されてきたかを示している。
同時に中国の接待攻勢は、「再びこのような接待を受けたい。だから中国に嫌われたくない」という依存心をも交渉相手におこさせる点で、その効果が持続的である。
中国の接待攻勢はただ単にぜいたく・豪華なだけではない。
1972年に日中国交正常化のために訪中した田中角栄元首相の北京の宿舎には、彼の好物であった”木村屋のあんぱん”が用意されていたという。
交渉相手を調べ尽くして丸裸にし、どうすれば一番喜ぶのか、どうすれば中国に対する深い感謝の念と依存心を相手に植え付けることができるのかを分析した上で、そのツボを的確についてくる。
そういった中国の外交テクニックがこのようなさりげない心遣いによっても、うかがえるのである。
第4回 ボタンのかけ違いを繰り返すな
- 2005/05/20(金) 23:57:22
南北朝鮮の統一は、新生国家・統一朝鮮にとっても周辺国にとっても外交上の大きな区切りとなる。
特に日韓関係において長年の懸案だった、竹島問題については特別な意味を持つことになるだろう。
日韓関係においては、本来なら竹島問題を完全に解決してから日韓の国交正常化を果たし、韓国への経済援助を開始すべきだった。
しかし、当時の国際情勢とアメリカの圧力の影響もあったが、1965年の日韓国交正常化の時には、日本が竹島問題を棚上げにして韓国への経済援助を開始してしまうというまずい外交、「ボタンの掛け違い」をしてしまった。
韓国は日本の援助を受けて、農業中心の後進国からアジアではトップクラスの工業国へと変貌した。
日本政府・外務省には、援助によって日本と韓国の友好関係を深めることができ、それによって日韓間の様々な懸案の解決が可能になるだろうという意図があったことは間違い無い。
しかし日本の援助を国民に知らせて感謝を表明し、反日政策を放棄するどころか、竹島問題に代表されるように、強まった経済力をバックに反日政策と排他的な民族主義をますます強めていったのである。
その意味で日本の対韓経済援助は、自らの手で敵を育てる、トラブルメーカーを作り出すという利敵行為以外の何物でもなかった。
この「ボタンの掛け違い」が現在までも尾を引いて、竹島問題をはじめとする様々な問題が未解決になる原因となってきたし、日本海呼称問題、つくる会の教科書問題などの新たな火種を作り出す結果となったのである。
しかし半島の南北統一という外交上の大きな区切りは、東アジア情勢に動きを与え、それが竹島を取り戻す絶好のチャンスとなる可能性がある。
たとえ統一朝鮮が経済的に困窮しようと、中国の政治的介入に苦しもうとも、日本お得意の”カワイソウ”外交で、安易に救いの手を差し伸べて、日本の敵をみずから育てるような愚をおかしてはならない。
まず、統一朝鮮が日本に助けを求めるまで、どっしりとかまえて日本は一切動かないことが求められる。
統一朝鮮が日本に助けを求める前に、日本側から「助けましょうか」などとは間違っても提案してはならない。
(日本の政府・外務省はこういう変なところは気が利いていているようだ。 そしてこれが「日本の援助は顔が見えない」と言われる原因だろうと思う)
そして統一朝鮮が何らかの援助を求めてきた場合は、そのみかえりとして竹島返還を絶対条件とする事が必要である。
つまり、経済的もしくは政治的援助を統一朝鮮に”高く売りつけてやる”わけである。
そのような最低限のしたたかさが無ければ竹島を取り戻すことなどできないであろう。
竹島の返還と反日政策の完全放棄無くして、日本は統一朝鮮に対する協力・関与政策を行なうことは絶対に許されない。
1965年の失敗は繰り返してはならないのである。
第10回 近代日本の対朝鮮外交 (最終回)
- 2005/05/19(木) 22:10:40
(全8回にわたって、朝鮮の開国から日韓併合にいたるまでの、日本の対朝鮮外交をみてきた。
その間、日本の一貫した戦略は、ロシアなど列強による朝鮮半島の植民地化を防止し、独立を維持させて、それによって日本の独立と安全を守るというものであった。
そのために、日清・日露の両戦争を日本は戦い、20万人の死傷者の血の犠牲と当時の金額で約22億円の戦費をもって、朝鮮の独立を守った。
しかし、国力を充実させ自力で独立国となれるチャンスを、朝鮮は日本から何度もプレゼントされながら、
朝鮮による、西欧近代文明とそれをとりいれ明治維新をなしとげた日本に対する蔑視、国際社会の現実への無理解、私利私欲に目がくらんで自らの利益のために朝鮮の独立と近代化を売り払う朝鮮のリーダー達が原因となって、そのチャンスをことごとくドブに捨てた。
当時は、自力で独立を維持する能力の無い国が存続して”真空地帯”を形成するようなことが許されない帝国主義の時代である点が、現代世界と決定的に違う。
そして「”真空地帯”が少しでもできれば、すぐさま他の強国が侵略して、それを埋めようとする」という力学が支配する世界であったのだ。
多くの日本人はこの理解が決定的に不足している。
もはや日本のリーダー達に残された選択肢は、あくまでも朝鮮の自主性に任せ<=それはロシアなど列強の植民地化を意味する>その結果、朝鮮とともに日本も独立を失い、帝国主義列強の植民地となって彼らに隷属するか、
日本が朝鮮の自主独立を踏みにじっても、日本の独立を守るかの二つに一つだった。
そして明治の指導者たちの決断は後者だったのだ。
安全な現代から過去を裁いて「朝鮮という他者を犠牲にして、日本が助かろうとするなんて」と非難する人がいるかもしれない。
もちろん現代の価値観からすれば、他国を併合して独立を奪うというのは許されないし、日韓併合が正しかったとは言えない。
しかし、例えば暗殺者集団につかまって「Aというヤツを暗殺して来い。もし失敗したら死ぬのはお前だ」と脅迫されて、「他人を犠牲にしてまで、自分が助かろうとは思わない」と自らの死を選ぶ勇気のある人間がこの世に何人いるだろうか?
そんな我々が、軽々しく明治日本を裁くことができるだろうか?
「歴史にifは無い」とはよく言われるし、意味の無い仮定かもしれないが、もし日本の独立が保障されるのであれば、日本が朝鮮半島情勢に介入して買わなくてもよい恨みをあえて買う必要は無かったと思われる。
その場合は”露清戦争”が勃発するかして、朝鮮はロシアの植民地になっていた可能性が高い。
ロシア領”コレーツ”では、”野蛮な漢字”は廃止されてБЖИなどのキリル文字に取って代わられ、人々は儒教からロシア正教会に改宗の上、アレクサンドル・キムとかイワン・パクのように改名していたかもしれない。
現代になっても朝鮮半島全体が、北朝鮮のような貧しい途上国レベルにとどまっていた可能性も高いだろう...。
韓国の歴史教育は、「古代より先進国で、後進国の日本に援助してきた朝鮮半島が、当初から侵略の意図を持っていた日本によって併合され、その収奪の結果、韓国は後進国になったのだ。だから日韓併合さえなかったら韓国は自力で近代化できたのだ。」という荒唐無稽なフィクションを韓国の子供たちにふきこんでいるが、
それが事実無根・夜郎自大・負け惜しみもいいところであることが、このシリーズでおわかりいただけたと思う。
さらに韓国側は、日本があたかも経済的収奪のために韓国を侵略したかのように言っているが、
1934年(昭和9年)までに”植民地統治”に要した費用は、日清・日露両戦争や韓国駐留軍の維持などに当時の金額で約60億円、
しかし、”植民地統治”で得た収益は20億円しかなく、ロシアと戦って国家滅亡もありうる一か八かの戦争をしたわりには大赤字だった。 よって韓国側の主張になんら根拠はない。
日露戦争統計
韓国がそのような歴史教育を改めない限り、歴史観を共有するなんてことは不可能だろう。
日韓併合後の日本による韓国統治であるが、産業・交通・エネルギーインフラ整備に官民の資本を投下し、韓国の近代化に尽力したことは否定できない事実である。
それはもちろん、日本の国益のためもあって行われたのであり、「だから日韓併合が正しかったのだ」とか「韓国人は感謝すべきだ」とは思わない。
しかし韓国の近代化に日本が貢献したという事実が消えるわけではない。
また、列強の中でも日本自身が後進的な貧しい工業国であったので、韓国統治に伴う失敗・悲劇はあったと思う。
それについては、1965年の日韓基本条約で、日本の半島における財産(現在の価値に換算して約17兆円)放棄と5億ドルの経済援助をもって、両国合意のもとに和解が成立している事実を忘れるべきではない。
最後に、日本の対朝鮮外交の歴史から教訓を導き出すとすれば、
自由と独立は断じて与えられるものではない。
それは絶えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守ることができないものである。
自由と独立は手に武器を持ってはじめて得られるものである。
<スイス政府編・民間防衛より>
ということであろう。
韓国ではしばしば、日本が今にも韓国侵略をはじめるかのような主張をして、集団ヒステリー状態になったり、一部の日本人もそれを真に受けて大騒ぎしたりするが、日清・日露戦争や日韓併合の正しい因果関係を理解して、歴史の教訓を正しく学んでいないからそうなるのである。
日本が再び日韓併合をおこなうようなことは、まずありえない。
それは、戦前と違って、韓国がかなりの水準の軍事力を保有しているからであり、たとえ韓国が反日国家に征服されたとしても、現代では日本の安全保障が死活的に危険にさらされるということがない。
よって日本が朝鮮半島を守るために反日国家と戦い、日韓併合を行う必要性がみじんも無いからである。)
これで第1部を終了とする。
第9回 近代日本の対朝鮮外交 (その8)
- 2005/05/19(木) 22:08:25
日露戦争になんとか”勝利”した日本は、韓国の保護国化をめざした。
日露戦争中の1904年(明治37年)8月、日本は韓国と第一次日韓協約を締結し、外交顧問スチーブンスと財政顧問の目賀田を送り込んだ。 同時に韓国が外国と条約を締結するときは、日本と相談することも定められた。
(韓国皇帝・高宗が、ロシアのような帝国主義列強に韓国の領土の租借を認め、森林や鉱山の利権を譲渡したことによって、韓国および日本の安全が脅かされた。
また高宗が、韓国の財政が逼迫しているにもかかわらず、王室費の無駄使いを改めなかったことも、韓国の自立を妨げていた。
だから日本としては、外交・財政顧問を派遣して韓国を保護国とし、これらの愚行を止めさせる必要があった。)
しかし、スチーブンスら顧問に高宗や韓国政府は従わず、しかも高宗が、日本が戦争をしている当の相手のロシアに密使を送っていたことが発覚した。
日露戦争中の1905年(明治38年)3月に発覚した、上海にいたデシノ・ロシア軍少将に届けられた密書には、高宗がロシア皇帝に日本軍を駆逐するよう懇願する内容が書かれていた。
日本側は高宗を問い詰めたが、「密使はニセモノである」と否定した。
(これ以後、高宗は米・仏・英にも密使を派遣し、発覚するたびに平然とシラをきり、あるいは他者に責任を押し付けた。)
高宗の”密使外交”と改革拒否に不信感を抱いた日本は、韓国の外交権を制限することを決断した。
1905年(明治38年)11月伊藤博文大使を韓国に派遣し、閣議を開催して韓国側を説得させ、第二次日韓協約を締結した。
(韓国皇帝が”外交”と称して自国を切り売りする”権利”、行財政改革を拒否する”権利”を日本によって奪われると、高宗は密使を列強に派遣して、それらの”権利”を取り戻そうとした。だから日本は韓国の外交権を奪う必要があったのである。
第二次日韓協約締結時の閣議で、李完用学部大臣も「従来わが国の外交なるものは変幻極まりなく、その結果日本は前後二回の大戦争<日清・日露戦争のこと>に従事し、多大の犠牲を供して、ようやく今日における韓国の地位を保全したるもの...」と認めた上で、
「韓国の外交によって東洋の平和を危機に陥れてはならない」として、韓国の外交を日本が監督することについて同意している。
ただ、韓国に派遣された伊藤は、「韓国の外交については日本が監督する。 そうすることによって、韓国政府は内政への専念とそれによる強国化が可能になる。 そのようにすれば、日本と同じように、韓国が自分の力で独立を維持できるようになるだろう。」と述べている。
韓国では日韓併合の張本人のように誤解されている伊藤博文だが、彼は日露戦争で賠償金も取れず、あまりにも多額の戦費がかかったため、「日本に半島統治の余力なし」として日韓併合には反対だったのは有名である。
このとき、いわゆる”義兵闘争”が勃発するが、韓国の歴史教科書の記述のように「民衆が日本の侵略に対して立ちあがった」というより、「皇帝の民衆を搾取する権利を日本から取り戻すために、民衆自身が日本や韓国政府の改革派閣僚を攻撃した」と言ったほうが正確である。
その意味で当時の韓国民衆の無知蒙昧さは度し難い。
また、韓国の歴史教育で「列強の侵略に立ち向かった」と教えられる、徐載弼の”独立協会”を弾圧したのは、ほかならぬ高宗であった。
みずからの絶対王政の維持をもくろんでいた高宗は、近代的な立憲君主制による韓国の独立をめざしていた”独立協会”を危険な存在とみなし、そのメンバーを抹殺し、言論・思想の自由を奪ったのだった。
私利私欲に目がくらんだ暗愚な指導者の存在。 この事一つとってみても、韓国が独立を失った原因がわかろうというものだ。)
1907年(明治40年)6月、高宗はまたもや”密使外交”を復活させ、第二回ハーグ平和会議において、日本の韓国に対する干渉に抗議した。しかし、その抗議は他の国々に全く相手にされなかった。(ハーグ密使事件)
高宗に対して、忍耐の限界に達した伊藤博文統監と韓国の内閣は、高宗を退位させ、実子の純宗を即位させた。
そして7月に第三次日韓協約を締結して、日本は韓国の内政に強く介入するようになった。
一方、日本による韓国の保護国化と平行して、日露戦争中の1905年(明治38年)の日英同盟協約改定、アメリカのタフト陸軍長官と交わした覚書、いわゆる桂−タフト協定をかわきりに、その2年後に締結された、日仏協約・日露協約などで、日本は韓国を保護国とすることについて国際社会からの同意をとりつけた。
日本による韓国の保護国化がすすむにつれて、山県有朋や寺内正毅ら軍部は日韓併合を主張したが、伊藤博文や曽禰荒助など歴代統監はあくまでも併合に反対であった。
しかし韓国側の無理解で遅々として進まない改革にお手上げの状態となった伊藤は、1909年(明治42年)6月に韓国統監を辞して帰国後、桂太郎首相や山県の「日韓併合やむなし」という説得を受け入れた。 それでも日韓併合実施は「今後5〜6年様子を見て」ということになった。
ところが同年10月ハルビンで伊藤博文が安重根に暗殺された。
皮肉にも韓国人によって日韓併合慎重派の重鎮が倒されたことで、1910年(明治43年)8月日韓併合が行われた。
(「伊藤が日韓併合推進の張本人」という安重根の単なる妄想から、明治日本は偉大な政治家を失った。
第二次日韓協約の時の”義兵”といい、安重根といい、彼らの無知蒙昧さは全く度しがたい)
遅いよ小泉さん。
- 2005/05/16(月) 23:42:23
小泉首相は、今日16日午前の衆議院予算委員会の集中審議で、靖国参拝の意向を示すとともに、
「戦没者の追悼でどのような仕方がいいかは、他の国が干渉すべきでない。靖国神社に参拝してはいけないという理由が分からない」
「中国側は『戦争の反省』を行動に示せというが、日本は戦後60年間、国際社会と協調し、二度と戦争をしないという、その言葉通りの行動によって、戦争の反省を示してきた」
と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050516-00000064-kyodo-pol
その主張は、いちいちごもっともだが、何故それをもっと早く国際社会なり、中国の胡錦涛主席や韓国のノムヒョン大統領との首脳会談や会談後の記者会見の席で訴えなかったのか、なぜ中国や韓国での反日デモがエスカレートする前にアピールしなかったのかとあきれ果てて声も出ない。
一国の指導者として言説に一貫性がまったくみられず、今のタイミングでこの発言は最悪のものと言える。
そもそも今回の反日暴動事件の経過はこうだった。
韓国、ついで中国が、つくる会の教科書をろくに読みもせず「日本は過去を直視しないし反省もしない。軍国主義の復活だ。」と騒ぎ立てた。
↓
中国で、日本人や日本大使館・日系企業を襲う暴動が発生。
↓
小泉首相は、暴動の賠償や謝罪は求めても、”靖国”や”歴史教科書”で何の反論もせず。中国は賠償・謝罪を拒否。
↓
投資対象・観光地としての中国の信用が失墜し、中国政府が強権を発動してデモ隊を封じ込めた。
↓
暴動が収束したにもかかわらず、ジャカルタで小泉首相の”謝罪演説”。
↓
日中首脳会談で、胡主席が小泉首相に中国側の主張を一方的にまくし立てるが、暴動の謝罪も賠償もなし。小泉首相歴史問題で反論せず。これを中国内メディアは、”小泉屈服”と報道。
↓
中国に遺棄化学兵器処理の援助金増額、韓国にサハリン在住韓国人支援や韓国人の訪日ビザ廃止でアメ玉を与える。
この間小泉首相は、歴史問題・靖国問題で一切反論せず、ジャカルタで”謝罪演説”をして”降伏文書”にサインしてしまったがために、「日本はまたもや過去を直視せず歴史教科書を歪曲したが、ジャカルタでそのあやまちを認めた」という間違ったイメージを中国や韓国、それに東アジア各国に与えてしまった。
残りの世界、例えば欧米のメディアも「中国の反日暴動は間違い」という論陣を張ってくれたところもあったが、それらメディアでさえ、「日本が過去を反省しないのも問題だが」という前提つきの場合が多く、その誤った前提が欧米でも一人歩きしてしまった感がある。
そういった状況下でおこった、今回の小泉首相の靖国・歴史問題での中・韓に対する反論と靖国参拝の示唆は、日本のリーダーとして言動に一貫性が全く見られない。
そのような一貫性の無さは、世界に「日本は過去を歪曲したが、ジャカルタでそれを謝罪した。なのにまた過去を歪曲しようとしている」という誤解を与えかねないものだ。
中・韓も「だまされた・裏切られた」と感じるだろう。
そしてそれは、「ひきょうな日本人・汚い日本人」という虚像を作り出し、「日本人だけを狙い撃ちにした暴動」という名の差別を新たに生み出しかねない。
(私は今回の中国での暴動や「ドイツ人は過去を反省しているが、日本人は絶対過去を反省しない」という韓国の主張は、明確な人種差別だと思っている)
小泉首相といい町村外相といい、何故こうも簡単に相手に言質を与え、すぐそれをひっくり返すようなことをするのか。
以前にも言ったが、外交問題の原因が読めない、適切な対策が立てられない、対策を立てても適切なタイミングで実行できないという三重苦の小泉政権には本当に限界を感じる。
小泉さんに町村さん。外務省にいないのなら民間からでもいい、外交のやり方がわからないのなら”軍師”を雇ってくれ。頼む...
関連記事
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小泉政権の限界
日本と中国の形勢逆転
小泉首相の演説はいったい何だったのか?
第8回 近代日本の対朝鮮外交 (その7)
- 2005/05/15(日) 23:56:03
日清戦争の勝利によって、清の朝鮮半島における影響力を排除した日本は、朝鮮の内政に介入して改革を進めようとした。
当時朝鮮にいたイギリス人旅行家、イザベラ・バードをして「朝鮮には二つの階級しか存在しない。盗む側(王族・両班貴族)と盗まれる側(平民・奴隷)だ。」といわしめた、朝鮮の後進的な社会の改革に着手した日本だったが、
特権を守ろうとする国王・高宗と閔妃政権側の根強い抵抗に改革が思うように進まなかった。
しかも閔妃政権は駐朝ロシア公使ウェーベルに接近して、改革派高官の追放をはかった。
これらの動きに焦った、三浦梧楼公使を中心とする在朝日本公使館の急進派は、朝鮮守旧派の中心人物・閔妃の暗殺とクーデターを企てた。
閔妃の政敵で高宗の実父・大院君もこの動きに協力し、1895年(明治28年)10月クーデターは決行され、閔妃も暗殺された。(閔妃暗殺事件)
(閔妃は朝鮮の改革にことごとく反対し、日本・清・ロシアと同盟相手をころころと変え、愚かにも清やロシアに、朝鮮半島介入のきっかけさえ与えた。
その意味で日本にとっては正に”不倶戴天の敵”であったが、暗殺という手段はいかにも短慮・拙劣ではなかっただろうか。
現代から過去を裁こうとは思わないが、もっと他にやりようが無かったのかと思うと残念でならない)
閔妃暗殺事件のあと、ロシア軍・アメリカ軍水兵と朝鮮親露派の李範晋・元農商工部大臣が金弘集首相暗殺を企てたが、失敗に終わった。(春生門事件)
(おそらく親露派の閔妃暗殺で影響力後退を恐れたロシア側が、親日派の金首相の暗殺を謀ったものと思われる)
親露・守旧派の後退によって、第三次金弘集政権は一連の国政改革を断行、翌1896年(明治29年)、約1200年ぶりに朝鮮独自の元号”建陽”をたてて太陽暦を採用した。
(中国皇帝の暦の使用を停止したことは、中国からの独立を象徴する出来事であった)
閔妃暗殺と国政改革に反発した高宗は同年2月、ロシア軍水兵の護衛のもと、密かに王宮を脱出して在朝ロシア公使館に逃れ、以後1年間にわたりそこで政務をつかさどった。これを露館播遷という。
高宗はロシア公使館から、金弘集首相をはじめとする改革派を抹殺するよう命令を出し、それに呼応した警察・民衆が暴動を起こして金首相以下改革派要人と日本人を虐殺した。
これに伴い、朝鮮を近代的な立憲君主国とするべく開始された日本の改革は、ことごとく白紙に戻され、高宗は専制君主の地位を取り戻した。
また高宗は、朝鮮領内の鴨緑江・豆満江沿岸地域の木材伐採権と鏡城・鐘城鉱山の採掘権をロシアに与え、ロシアはそれら権益の保護と称し、ロシア軍を駐留させた。
一方、清の李鴻章とロシアのロバノフ外相は、同年6月日本を仮想敵とし、日本がロシア・清・朝鮮いずれかを攻撃した場合、露清間の相互援助を約束した、”露朝秘密協定”を締結した。
こうして露・清・朝の連携が強まることで、日本の半島における影響力は後退しつつあった。
(閔妃を暗殺された高宗には深く同情するが、だからといって朝鮮の近代化を逆行させても良いということにはならない。
そもそも日本が朝鮮を近代化させ独立を維持できるように努力してきたのも、朝鮮が欧米列強、特にロシアの植民地にされないためであった。
しかし、朝鮮国王みずからロシアのワナにかかりに行くようなこの行動は、朝鮮開国から日清戦争までの日本の苦労が、まったくの無駄となりかねないものであった。
この時、駐朝ロシア公使ウェーベルは高宗をかくまいつつ、国政改革を逆行させる彼の試みをことごとく黙認した。
近代化政策がストップし、朝鮮が後進的な専制王朝にとどまってくれた方が、保護国にするにしろ、植民地化するにしろロシアにとって何かと都合がよかったからであろう)
1897年(明治30年)10月改革派を一掃した高宗は王宮に戻ると、みずからを皇帝、国号を大韓帝国と改めた。
(日本が日清戦争の勝利によって得た、朝鮮の清<中国>からの独立は、ここに名実ともに実現することとなった)
1900年(明治33年)清で排外主義をとなえる義和団という宗教結社が武装蜂起し、日本とドイツの外交官を殺害すると、清国政府は勝ち馬に乗れとばかり、列強に宣戦布告した。
しかしロシアを主力とする列強諸国軍にたちまち返り討ちに会い、その結果満州地方がロシア軍によって占領された。
同年3月には対馬海峡に面する朝鮮半島南部の馬山浦をロシアが租借する協定が露・韓の間で結ばれる。
(馬山浦にロシアの軍港ができれば、ウラジオストク−馬山−旅順を連携させることによって、日本海・対馬海峡・黄海はロシアの内海となりかねない。)
ユーラシア大陸各地でロシアと勢力圏争いをしていたイギリスは、これらの動きを憂慮、ロシアの南下を恐れる日本と利害が一致し、1902年(明治35年)日英同盟協約が締結された。
日本・イギリスは、日英同盟をバックに満州占領を続けるロシアに抗議し、ロシアは清と満州からの段階的な撤兵を約束する”露清満州還付条約”を締結した。 しかし撤兵の約束は守られず、ロシアは満州占領を継続する。
さらにロシアは1903年(明治36年)朝鮮半島のつけね、鴨緑江河口にある龍岩浦を租借した。
この間、日本の対露外交の基調となっていたものは”満韓交換”論であった。
これは、日本は朝鮮半島をロシアは満州を勢力圏とし、両国はお互いの勢力圏内での権益を認めあうという形で、日本の安全を確保しようというものであったが、
ロシアは、「満州はロシアの勢力圏、朝鮮半島は中立化すべきである」と”満韓交換”をつっぱねた。
(ロシアの”韓国中立化”提案は、実質的に「日本は朝鮮半島にいっさいの軍事基地を持ってはならないが、ロシアは半島南部の馬山浦に軍港を開き、対馬海峡の自由通航権を日本に要求する」というもので、”中立化”とは名ばかりのものであった。
つまりロシアの立場は「満州はロシアのものであり譲れない、しかし日本は朝鮮から手を引け」ということであり、日本としては到底受け入れられないものであった)
これをみた日本は日露開戦は不可避と判断、1904年(明治37年)1月ロシアの満州からの撤兵を求める最後通牒をつきつけたが、ロシアからは回答が無く、同年2月ついに日露戦争がはじまった。
日本軍は多大な犠牲を払いながらロシア軍の拠点、旅順・奉天を陥れ、1905年(明治38年)5月日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破し、東アジアにおける軍事的優勢を確保した。
しかし日本は国力の疲弊から、ロシアは第一革命勃発によって戦争続行が困難になりつつあった。
そこで両国はアメリカの仲介で同年9月、ポーツマス講和条約を締結し、ロシアは1.日本の韓国に対する優越権 2.ロシアが保有していた南満州の権益譲渡 3.南部樺太割譲などを認めた。
(日本にとって日露戦争の目的は、日清戦争と同様、日本の安全と独立を守るための緩衝地帯として朝鮮半島を確保することにあった。
一方ロシアにとっては、植民地化をめざしていた満州の確保が第一点、そして戦勝のあかつきには、朝鮮半島と日本からの割譲地が、新たにロシア植民地に加わるといったところだろうか。
もっともロシアは、まさか東洋の弱小国の”マカーキ<猿>”が”偉大なロシア”に、本当に戦いを挑んでくるとは予想していなかったことだろう。
日本とロシアの戦力を単純比較をしてみると、陸軍は日本が約20万人に対し、ロシアは約300万人、戦艦は6隻対22隻、
国力は人口4600万人 対 1億3000万人、国家歳入が2億5000万円 対 20億円であった。
明治政府の首脳達は、負ければ日本の破滅が確実な、この日露戦争開戦の決断がよくできたものだと感服してしまう。
ロシアの後進性を見切って、勝てると踏んだ上での開戦決断だったのか、それともあの時日本はまだ若く、怖いもの知らずだったのか。
韓国側は、例によって日露戦争を「日本が韓国を植民地化するための戦争」としているが、全く説得力が無い。
単純に経済的な収奪のために朝鮮半島を征服しようとして、自らの破滅もあり得る一か八かの戦争を、日本が自分の数倍もの軍事大国・ロシアに挑むのは、日本にとって割に合わなすぎる。 まったくのハイリスク・ローリターンである。
やはりロシアによる朝鮮半島の軍事利用の可能性が、日本の安全を死活的に脅かしたからこそ、日本は日露戦争という危険な賭けに出たのである)
危うくなってきた、世界の核兵器拡散防止の試み
- 2005/05/13(金) 23:55:15
「北朝鮮による核実験が間近ではないか?」と噂されるなか、11日に北朝鮮政府は公式に「原子炉から八千本の使用済み核燃料棒を取り出す作業を終了した」と発表した。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050512-00000001-san-int
一方イランでは、欧州諸国との交渉が不調に終わり、「自主的に中断してきたウラン濃縮の前段階であるウラン転換の再開を決定した」とイラン側は12日に明言した。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050513-00000010-san-int
イラン政府は平和利用を強調しているが、アメリカやイスラエルは核兵器への転用の疑いを強く持っている。
東の北朝鮮と西のイラン、両国の核開発に対して、アメリカによる国連安保理への付託の可能性が高まっている。
それが実現すると、両国に対する経済制裁といった強硬手段がとられることも充分考えられるだろう。
あるいは、国連が機能不全に陥り、安保理に見切りをつけたアメリカやイスラエルが、第二・第三の”バビロン作戦”(”オシラク原子力発電所”で核開発を秘密裏にすすめていたイラクに対し、イスラエルが同発電所を奇襲攻撃で破壊した事件)の発動を決断しないだろうかという懸念もある。
(もしイスラエルが日本の立場だったら、北朝鮮の核施設がまだ小さいうちに空爆したかもしれない。 またイスラエルが核武装しているというのは公然の秘密でもある。
そのことをもろ手で賛成するわけではないが、日本は事実上、北朝鮮に対して自衛のための先制攻撃ができない、自前の核抑止力を持つことが許されないなどの”禁じ手”が多く、安全保障には苦労させられる)
筆者は以前、「六カ国協議は、北朝鮮の核開発のための時間稼ぎのチャンスを与えるだけだ」と述べたが、どうやら予測はあたりつつあるように思える。
そこで、日本国民にとって大きな懸念材料となってくるのが、アメリカの”バビロン作戦”発動に対して、六カ国協議での解決を前提として動いていた日本政府は、充分な備えができているのか?ということである。
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第3回 統一朝鮮の出現に対し、どう対応すべきか?
- 2005/05/12(木) 23:56:51
それでは、もし南北朝鮮の統一が達成されたならば、日本としてはどのように対応すべきだろうか。
将来、統一朝鮮がどういった国になって、どのような外交政策をとるかは、まだ誰にもわからない。
崩壊した北朝鮮を吸収して、日本やアメリカといった自由主義陣営と共同歩調をとる、穏健な民主国家となるかもしれないし、
統一によって刺激された”朝鮮民族原理主義”の大義を周辺国に振りかざし、中国東北地方のいわゆる”間島”やロシア沿海州、はては対馬までを”失われた朝鮮”と宣言して奪還を目指すとともに、
国内を挙国一致体制とするために思想・言論統制をしく、超民族主義的全体国家となるかもしれない。
あるいは、対中国貿易が生命線となっている韓国とエネルギー・投資を中国に依存する北朝鮮とが、南北でゆるやかな連邦国家を形成するかたちで統一し、
中国や北朝鮮に対して何も言えなくなった韓国が、反対世論を圧殺しながら在韓米軍を撤退させて、日米の自由主義陣営と決別し、統一朝鮮が中国の衛星国家、”中国の23番目の省”(つまり台湾をのぞいて)となるというシナリオがあるかもしれない。
しかし統一朝鮮に対しては、いずれの場合でも韓国編で述べた”対韓外交のガイドライン”が有効であるように思う。
対韓外交のガイドラインとは、
1.日本の国益を常に冷静に考慮しながら、半島情勢に積極的に介入する関与政策と、半島への関わりを断つ不干渉政策をうまく使い分ける。
2.「日本は許せない敵であって反日政策はやる。だけど韓国が困ったら日本に助けてもらう」という韓国特有の幼稚な依存思想、”国益のツマミ食い”を日本は絶対に許さない。
の二本柱であった。
将来、統一朝鮮がどういった国になって、どのような外交政策をとるか、それは統一朝鮮の国民が決めれば良い事であって、日本がとやかく言う筋合いのものでは無い。(できれば穏健な民主国家となって欲しいが)
しかし、「統一のために日本にお金を出してもらい助けてもらう。だけど統一朝鮮の国家運営が軌道に乗ったら、反日政策を開始する」といった、いつものパターンは絶対に許してはならない。
”統一という平和運動のため”とか”日韓友情”といった空虚なスローガンにおどらされてしまえば、
半島の非核化や拉致問題の賠償などといった問題の解決をうやむやにされるにもかかわらず、アメリカも中国も嫌がる南北統一の費用負担という”不良債権処理”を負わされて、
日本だけが煮え湯を飲まされるパターンにはまりかねない。
(日本人が弱いのは、まさに”平和”とか”友好”といったお題目。たとえ実体のない空虚な掛け声・おまじないであってもだ。)
日本としては、統一朝鮮が日本海の名称の変更運動といった一切の反日政策をやめることを確約して、竹島を日本へ返還、また日本人拉致被害者を無条件で帰国させて賠償金を払うかわりに、日本の協力を得られる親日国となるか、
日本からの一切の協力を拒否して、反日国家となる道を歩むのかの踏絵を、統一朝鮮にも絶対に踏ませなければならない。
くりかえすが、一切の反日政策の放棄を確約させること無くして、日本は統一朝鮮に対する協力・関与政策を行なうことは許されないのである。
第7回 近代日本の対朝鮮外交 (その6)
- 2005/05/10(火) 21:37:35
壬午軍乱と甲申事変の失敗で、政治・経済改革のチャンスをつぶされ、停滞をつづける李朝朝鮮。
ロシアやイギリスなど帝国主義列強の朝鮮半島に対する影響力も日増しに強まっていた。
朝鮮の改革がいきづまりをみせるなか、閔妃と事大党政権による搾取圧政と貧困、開国に伴う外国商人との競争の敗北を原因として民衆は不満を爆発させた。
彼らは東学という新興宗教の指導者、全(王+奉)準らにひきいられ、1894年(明治27年)国政改革を要求して大反乱をおこした。
これを甲午農民戦争あるいは東学党の乱という。
東学党による民衆蜂起を独力で鎮圧する力のなかった閔妃と事大党政権は清に援軍を要請したが、これに呼応して日本も朝鮮に出兵し、
両国は半島を舞台に、朝鮮の地位(独立国を主張する日本と、あくまでも自分の属国であると主張する清)や政治改革の方針の食い違いから対立を深めていった。
日本はついに実力で清の朝鮮に対する影響力を排除する決断を下し、同年8月清に対し宣戦を布告して日清戦争が開始された。
陸海軍の近代化を徹底してすすめていた日本に対し、”中体西用論”をかかげ中途半端な改革にとどまった清軍は、陸・海で敗退をつづけた。
(規律の無い清軍は朝鮮への行軍の途中、奉天<現・瀋陽>や遼陽といった自国内の都市でさえ略奪のかぎりをつくした。これでは勝てる戦争も勝てまい)
旅順要塞につづき、威海衛も陥落し、日本軍によって北京のノド元にナイフをつきつけられる形となった清は降伏。 1895年(明治28年)4月17日、下関で講和条約が結ばれた。
(両国にとって日清戦争の目的は大きく異なっていた。
このころ、清は”属国”・”朝貢国”を欧米列強に次々と奪われていた。
1876年にコーカンド・ハン国が併合されたのを最後に西トルキスタンをロシアに制圧され、1885年に清仏戦争に敗れてベトナムの宗主権を失い、1886年までの3度に及ぶ戦争でイギリスがビルマを手中にした。
清にとって日清戦争とは、約250年続いてきた属国・朝鮮に対する宗主権を守るための戦争であり、それは同時に”ナマイキな蛮族”である日本人を叩きのめし、二千年以上続いた”華夷秩序”を守るための戦いであった。朝鮮はその最後の牙城ともいえるものだったのだ。
そのために、清は朝鮮の近代化自体には関心が低く、むしろ清自身が近代化失敗のため欧米列強に独立を脅かされているありさまだった。
清の朝鮮支配がそのまま続いていれば、欧米による侵略で共倒れの可能性が高かったといえよう。
中国の国定歴史教科書は日清戦争を『日本の中国に対する侵略戦争』と決めつけているが、ウソもいいところで、
日清戦争の時代背景をろくに説明もせずに、いきなり中国艦隊を日本側が攻撃したところから子供達に教える中国の歴史教育のやり方は、卑怯千万である。
一方、日本にとってこの戦争の目的は、清の朝鮮に対する影響力を排除して、その意思も能力も無い朝鮮に代わって日本が主導権を握って朝鮮半島の近代化と独立保持を達成し、欧米列強<特にロシア>から日本の独立を守るために半島を緩衝地帯とすることであった。
中国政府は「1950年の朝鮮戦争は、アメリカの中国に対する侵略戦争である」と子供達に教えているが、その根拠は「中国の緩衝地帯である北朝鮮がアメリカに脅かされたため」としている。
その論理で戦争が正当化できるならば、中国は日清戦争における日本を批判できまい。中国お得意のダブルスタンダードである)
この”下関条約”では、1.朝鮮の清からの独立 2.清は賠償として2億両を日本へ支払うこと(当時の日本円に換算して3億1千万円) 3.遼東半島と台湾などを日本へ割譲すること などが定められた。
しかし遼東半島の利権を狙っていたロシアがドイツ・フランスをさそって同半島の返還を日本に迫った。(三国干渉)
「列強三カ国を敵にまわしては勝ち目が無い」とみた日本は、遼東半島を清に返還したが、すぐさまロシアが同半島を租借し、日本国民の間に激しい反露感情がわきあがった。
清の影響力が半島から排除された日清戦争中の1895年1月、さっそく駐朝鮮公使・井上馨の主導により朝鮮の内政・外交改革が着手された。
改革案は、朝鮮は公式に清からの独立を宣言すること、官僚の腐敗をとりしまり、奴隷制度を廃止して公正な社会をつくること、国王や王妃が国政に介入するのを禁止し、議会(中枢院)を設置して近代的な立憲君主制を目指す第一歩とすることなどを骨子としていた。
しかし国王・高宗は特権が奪われることを嫌って、仮病を使って公務を休み、改革を事実上拒否した。
それでも井上は嫌がる高宗に、朝鮮歴代国王の宗廟前で朝鮮の独立と内政改革を誓うよう断固要求し、ついに高宗は北漢山の宗廟前で、王族と百官をしたがえて、朝鮮の改革をうたった国政改革のための”洪範14ヶ条”の実施を誓った。 これを乙未改革という。
(韓国の歴史教科書では乙未改革は、朝鮮が自力で行ったように記述されているが、まったくのウソである。
朝鮮が自力でなしとげられなかった中国からの独立、官僚腐敗の撲滅、奴隷制度の廃止などが日本によって達成されたのが、よほどくやしいのだろうか。
また高宗が宗廟前で百官をしたがえて国政改革を誓うというのは、明治天皇が百官をしたがえて神々に近代日本の施政方針を誓った、五箇条の御誓文と同じ形式である。
このような日本の朝鮮内政への介入を、韓国側は









