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第4回 近代日本の対朝鮮外交 (その3)

  • 2005/04/30(土) 18:40:06

 前回で、やや詳しくみたように明治時代の日本のすぐ隣には、鎖国政策を維持し、古代律令国家がそのまま保存されたような李朝朝鮮王国が存在していた。

そして近代的な陸海軍を保有しない朝鮮が、欧米帝国主義列強の本格的な侵略を受ければひとたまりも無い状況であった。

特にロシアが朝鮮を植民地とし、半島に一年を通して流氷に閉ざされない不凍港を確保して日本海の制海権を握れば、ロシアは日本列島に陸軍を上陸させ、それに継続的に補給することが可能となる。

日本の安全と自主独立が危うくなる、このような事態の発生は絶対に受け入れられない。

このような地政学的な背景から、日本にとって対朝鮮外交をどうするか、さらに言えば、いかに欧米列強による朝鮮の植民地化を防ぐかという問題が死活的に重要であった。


 さて、アメリカはペリー艦隊を派遣して、武力をちらつかせながら日本を開国させたが、これをきっかけに日本は、当時の国際社会に参加し西欧文明をとりいれ自主独立の道を模索し始めた。

その経験から江戸幕府は、李朝朝鮮の独立保持のため、朝鮮自身の開国と国際社会への参加の必要性を痛感していた。

そのために幕府は、1858年(安政5年)欧米に不平等条約(安政の五カ国条約)を結ばされたことを朝鮮に通告し、その後幕府は朝鮮の開国と日本との国交樹立を求めた。

しかし朝鮮側はあくまでも鎖国政策の維持を主張し、日本側の大政奉還と戊辰戦争の混乱でこの話は立ち消えとなった。

 1868年(明治元年)明治新政府が発足すると、再び日本は朝鮮に対して開国をうながし、日本と国交を開くよう明治天皇の国書を送った。

当時の朝鮮は国王・高宗が幼少であるという理由で、実父の大院君が執政となり国政を担っていたが、大院君は鎖国攘夷を唱える最強硬派であり、1866年にはフランス人宣教師9人を含む約8千人のキリスト教徒を虐殺する事件(丙寅教難)を起こしていた。

日本の開国と国交樹立の求めに対して、朝鮮側は案の定「中国皇帝にしか使用が許されない漢字を、日王が使用した」という理由をつけて、開国を拒否した。(いわゆる書契問題)

日本側は朝鮮側が不服とした”皇””勅”といった漢字の使用をとりやめ、再度国書を提出して開国を要請したが、朝鮮側は応じなかった。

このあと八年にも及ぶ、日本側の粘り強い働きかけにもかかわらず、朝鮮側の頑迷とも言える態度は変わりなかった。

しかも朝鮮側は1873年(明治6年)公式な告示に、西欧人と交流し彼らの文化をとりいれた日本を非難して「日本は天下の笑い者であり恥を知らない」と記し、明治維新と明治新政府を物笑いの種としたのである。

(このことからも李朝朝鮮が、いわゆる”華夷秩序”を盲信し、欧米諸国が世界の主導権を握っていたという当時の現実を正当に評価できていなかったことがみてとれる。

よって、韓国側がしばしば主張する「韓国は日本に併合さえされなければ独自に近代化の道を歩めた」というものが、いかに空理空論であるかがわかる。もちろん「日韓併合は正しかったかどうか」ということは別の問題である)

 これに対して、「日本を侮辱した朝鮮に軍事攻撃などの懲罰を与えるべきだ」という声が官民の一部から湧き上がったが、(征韓論)

大久保利通を中心とする明治政府首脳の考えは、

「日本が朝鮮に対して本格的に侵攻すれば、宗主国の清が黙っていない。近代国家としてよちよち歩きを始めたばかりの日本にとって清と本格的な戦争をする余力は無いし、仮に清に勝って、朝鮮を支配下においたとしても、国力が疲弊した日本は欧米列強の格好のえじきになってしまう。だからまず朝鮮の開国をうながすのが先決である」

というものであり、あくまでも朝鮮を交渉で開国させる方針であった。

(事実1874年の台湾出兵という小規模な軍事衝突の戦費負担でさえ、明治政府の財政をかなり悪化させた)

 同じ年、朝鮮国王・高宗が親政を宣言し、鎖国政策の最強硬派であった大院君は執政職をとかれた。事実上の失脚である。

その翌年におこった日本の台湾出兵をみた高宗は開国もやむなしという考えに傾きつつあったが、宮廷官僚達の意見の大勢は鎖国維持であり、日朝交渉は頓挫したままであった。

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第1回 南北統一はあるのか?

  • 2005/04/27(水) 23:17:41

 シリーズ「日本外交と北朝鮮」編と「日本外交と韓国」編では、当分南北統一はないという想定のもとに話を進めてきた。

しかし、近い将来において南北統一の可能性が全く無いわけでは無い。そこで今シリーズからは朝鮮半島が南北統一した場合、どういったシナリオが考えられるか、そして日本としては外交・安全保障政策上、どう対処すべきかについて考えてゆく。

それでは南北が統一する場合に考えられるシナリオをあげてみよう。

1.南北どちらかの軍が相手国に侵攻し政権を打倒(あるいはアメリカが軍事力を行使して北朝鮮の金正日政権を打倒して)、軍事力で南北の統一が達成されるシナリオ。

2.北朝鮮で市民あるいは軍による革命が勃発して金正日独裁政権が崩壊し、韓国が北朝鮮を吸収するかたちで統一が達成されるシナリオ。

3.北朝鮮と韓国がそれぞれの共産主義独裁体制、資本主義体制を維持しながら、ゆるやかな連邦制国家として統一するシナリオ。

以上の3つが現時点で考えられる南北統一のシナリオである。それでは3つのシナリオについて個別に考察をくわえてみる。

 まず第1のシナリオ、南北のどちらかが軍事力で相手を打倒し統一を達成する可能性であるが、これは現時点でほとんど0に近い。

北朝鮮の旧式兵器を中心とした通常戦力で韓国軍を打ち破るのは不可能に近いし、韓国に核の抑止力を提供しているアメリカの政策が変わらないかぎり、北朝鮮が韓国を核兵器で脅迫したとしても韓国が屈服する事はないだろう。

逆にノ・ムヒョン政権の宥和的な対北政策のもとでは韓国軍の北進は考えられないし、もし北進が現実のものとなったとしたら両国に多大な犠牲が予想される点から考慮しても可能性は低い。

アメリカが軍事力で北朝鮮を打倒する可能性は、北の核開発のからみもあり、いくぶんか考えられるが、その場合韓国が(少なくともノ・ムヒョン政権が存続するかぎりでは)強硬に反対するだろうし、イラク戦争の戦後統治のやっかいさを経験したアメリカも慎重にならざるを得ないだろう。

よって第1のシナリオの可能性は現在は、かなり低いといえる。

 第2のシナリオについては、資本主義的要素をとりいれた北朝鮮版改革開放政策がスタートし、中国や韓国が北を熱心に援助している現状況では、可能性としてさほど高くないのではないか。

もしあるとすれば、北の経済政策のミスが極端な貧富の格差を生み、貧民層の不満が爆発して金正日体制打倒へと向かう、”突然死”シナリオだろう。

 3番目のシナリオであるが近い将来、南北統一があるとすれば、可能性が一番高いのは、現時点ではこれではないかと筆者は考えている。

金正日の父親である金日成元主席が、かつて”高麗民主連邦共和国構想”というものを打ち出した事がある。

金日成のもくろみはおそらく、南北の体制をそのままにしても、とりあえず”統一国家”という既成事実を作り、

「統一国家になったからには国連軍(つまり米軍)が半島に駐留する必要は無くなった」という論理のもと米軍を韓国から追い出し、その後に韓国国内に潜伏する北の工作員とそのシンパを武装蜂起させ、それに呼応する形で韓国より量的にまさる北朝鮮軍が南進、半島の赤化統一を実現させるというものだったのだろう。

1980年代に、この構想を金日成が呼びかけた時は、韓国軍事独裁政権側が拒否し実現しなかった。

 しかしキム・デジュン、ノ・ムヒョン両左翼政権の相次ぐ誕生によって、韓国内部に左翼思想を美化する風潮が濃くなり、いまや政府与党内に左翼学生運動経験者までいる始末である。

軍拡競争にも経済戦にも勝利した韓国が思想戦で完敗を喫した結果、現在韓国と北朝鮮はまさに二人三脚で内政・外交を展開しているのである。 そのありさまは、ゆるやかな統一国家の一歩手前といった感さえある。

このまま若年層の支持が厚い左翼政権が続くならば、一度は死んだ”高麗民主連邦共和国”という名の亡霊がよみがえるシナリオがあるかもしれない。

小泉首相の演説はいったい何だったのか?

  • 2005/04/25(月) 23:54:41

 中国における反日デモ騒ぎは、どうやら峠をこえたようである。

24日珠海で行われたデモは、中国公安当局が主催者数人を拘束して解散させ、
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050424-00000034-mai-int


また25日には、デモをネットで呼びかけた中国人を公安当局が逆探知して拘束した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050425-00000150-jij-int

 4月17日の中川大臣の「中国投資はリスクがある」という発言以降、日本側の抗議に一向に耳を貸さず、中国国民の暴動を黙認していた中国政府が、全力を上げて暴力デモ隊をつぶし、日本製品ボイコットの自制を国民に呼びかけ、中国の投資市場としての信頼性を保とうと必死に右往左往している状況が続いている。

中国のような独裁国家なら、本気を出せばデモ隊を鎮圧し首謀者を逮捕するぐらいは朝飯前なのは、はじめからわかりきっていたことだ。

そして単なる日本側の口先だけの抗議では、中国政府のデモ隊の野放しをやめさせられないことも、以前指摘した通りである。

 こうして”愛国無罪運動”を奨励していた中国政府が実質的に日本側に譲歩して、中国人デモ隊の暴力行為の防止が達成され、日本側が外交的な勝利を得たタイミングで出た、22日ジャカルタでの小泉首相の演説はいったい何だったのだろうか?
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050422-00000611-jij-pol


 今回の暴動騒ぎは、中国・韓国側の「日本は過去を反省し、歴史を直視せよ」というお決まりのスローガンで始まった。 それに対して、日本側はデモ隊の暴力行為に対する謝罪と賠償を求めた。

そして全世界が、日本と中国というアジアの二大大国のぶつかり合いの行方をかたずを飲んで見守った。

当然世界の国々にとっては、たとえ日本の主張に正当性があったとしても自国の利益のため、負け組に乗るわけにはいかないから、勝敗が決するまで動けない。

日本が正しいのは明白だから、世界各国の政府は黙っていても日本の味方をしてくれると考えるのは大間違いだ。 外交の世界はそんなに甘いものではない。

 そのようなタイミングで小泉首相の「謝罪演説」が出た。この演説がたとえ、特定の国に対しての謝罪ではなかったにしても、世界はどうみただろう?

私の記憶が確かなら、シンガポール政府はこれまで沈黙を守っていたはずだが、首相の演説直後に日本への強い批判声明を発表した。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050422-00000427-reu-int


華人国家のなかでシンガポールだけは、今までデモなどの強い反日運動がみられなかったはずだ。

昨年、シンガポールのリー・シェンロン首相は、台湾問題がらみで中国の逆鱗にふれて、激しい非難を受けたばかりであるが、

「日本から”敗北宣言”もでたし、ここで”戦勝国・中国”に忠誠を誓っておかなければ、あとからどのような報復がくるかわからない」とシンガポール政府が考えたとみるのは、うがち過ぎだろうか?

 結局小泉首相の「謝罪演説」とは、中国の暴力デモ隊がこてんぱんにやられて総退却をしている状況で、降伏文書にサインしてしまったようなものに思えてくる。

しかも、あれほど「謝罪と反省」を求めていた中・韓の演説に対する反応は、「口先だけでは信じられない。行動で示せ」だった。

日本が日韓基本条約で五億ドルの経済援助を韓国に与え、「行動で示した」ときも、ノ・ムヒョン大統領の言い分は「これで終わったとは思うな。もっと謝罪・賠償しろ」だった。

結局どんなことをしようと、中国も韓国も、はなから日本を許す気など無かったのである。

クロフネは「反日とは『日本人は過去を絶対反省しない』というドグマ(教義)を持つ宗教である」と断定せざるを得ない。

中・韓の反日教徒にとって、「日本人すべてが過去を反省する」ことなど、そもそもあってはならないのである。

こう考えると、ジャカルタでの小泉首相の演説は、いったい何だったのであろうか。

 一方、「謝罪演説」で日中首脳会談が実現したのだからよかったのだという意見もあるようだが、

もしそうなら、中国国内の暴動が収束し日本側の要求が達成されつつある状況で、そこまであせって日中首脳会談を開催する必要性は果たしてあったのか、そうまでしてこぎつけた今回の首脳会談の成果とは何だったのかという疑問がわいてくる。

小泉首相が胡主席に求めたことは、もう沈静化に向かっている反日デモについての適切な対処であり、それに対して、胡氏から明確な返答は無かった。

胡氏は日本側に「日中共同声明の原則遵守」と「反省を行動で示すこと」を求めた。

そして両首脳は、「日中関係は重要であるという認識で一致した」というが、そんなことははじめからわかりきっている。

別段、新しい成果があったわけではなく、日中関係が前進したとも思えない。 むしろ小泉首相の自己満足と中国側の国内むけ宣伝に利用されただけという感もある。

町村外相が中国の反日歴史教科書の是正を求めると発表したことについては強く支持するが、

「謝罪演説」までして開催しなければならなかった首脳会談とも思えないのである。

この問題に関して娘通信♪さんが鋭い考察をなさっているので、ぜひご一読をおすすめする。

東シナ海のガス田の日中共同開発に安易に乗ってはならない。

  • 2005/04/24(日) 01:56:12

 政府は東シナ海の天然ガス田開発問題で、中国が提案する共同開発の協議に応じる方針を決めたらしい。

対象海域は東シナ海全体とすることを条件とするそうだが、しかし本当に日本の国益にかなう判断なのだろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050422-00000001-yom-pol


 日本側が海底の資源探索を中国に配慮してサボっていたためにはっきりしたことはわからないらしいのだが、東シナ海全体で見ると、どうも沖縄諸島の近海の方に有望な油田・ガス田があるという説がある。

それだと、中国が沖縄近海まで中国の経済水域だと主張していることとつじつまがあう。 

しかも日本が無為無策を繰り返している内に、中国は海洋調査船を沖縄近海まで派遣して、さまざまな調査を繰り返していた。

外務省の幹部は「双方が突っ張り合うだけでは進展がない。中国側に譲歩を促すため、こちらも共同開発に正面から向き合うべきだ」と言っているらしいが、こちらが譲歩をすれば中国も譲歩にお付き合いしてくれて協議が進展するとでも考えているとしたら素人以下も同然である。

日本が海底探査を中国に配慮してとりやめ、鉱区の設定を避けるという譲歩をしたとき、中国側のリアクションはどうだったのか、その外務省幹部とやらは、わずか数年前のできごとの記憶を脳に保持する能力さえないのだろうか?

 それに、中国側のいう共同開発というのは、そもそも中国の譲歩なのか?

東シナ海全体にまんべんなく地下資源があるのであれば、それもいいかもしれないが、もし日中の中間線から日本側に多くの地下資源が眠っているのであれば、東シナ海全体の共同開発で損するのは日本である。

たとえば、中間線をはさんで中国側に5、日本側に5、資源があれば損得無しだが、中国側に3、日本側に7あった場合、これを共同開発して利益を5対5でわけるのは日本側の大損であるのは、小学生でも分かる計算である。

 もし共同開発するのであれば、日中の中間線にまたがって存在するガス田・油田に限定し、そこからあがった利益は日中で折半とせよ。これ以上は絶対譲れない。

もしその条件を中国が飲まないのであれば、決裂もやむをえないだろう。 なにも交渉の妥結をあせることはない。百年後日本の利益になっていれば良いのである。

一部でガス田は日本が独力開発しても採算性に問題があるから中国に譲歩せよという主張もある。

天然ガスは輸送コストが石油と違ってやや高いからで、長大なガス・パイプラインを建設して輸送するか、液化してタンカーで運ぶかしないといけないからである。

しかし、今はコストがかかっても百年後には、天然ガスを低コストで液化する技術が開発されるかもしれない。 あせって、中国にガス田をくれてやる必要は何も無い。

もし日本の近海にガス田ではなく、大油田がみつかってから、利益を中国と折半する協定にサインしたことを後悔しても遅いのである。

交渉が決裂したら、日本は独自で資源探査を進め、鉱区を設定せよ。
そして海保の巡視艇、必要に応じて、自衛隊の護衛艦にパトロールの任務を与えよ。

この問題で、日中の武力衝突を心配する向きもあるが、クロフネは可能性は低いと思っている。

中国が東シナ海の地下資源にこだわっているのは、エネルギーショックで中国の経済発展がストップするようなことが無いようにである。

もし今現在、日中で武力衝突といった事態になれば、株価の下落や投資の冷え込みなど経済的により多くのダメージを負うのは日本ではなく中国である。

いかにそのような事態を中国政府が恐れているかは、現在、あれほど手がつけられなった反日中国人デモ隊を、中国政府がほぼ完璧に封じ込めていることからもわかる。

中国は日本とケンカはできないのである。
そしてそのことがわかっていないのは、世界でも日本政府と外務省だけである。

というわけで、今の小泉政権と日本政府で唯一、戦略的思想・国益という思想を持つ、中川大臣と経済産業省に期待します。

お願いします、中川大臣!あなただけが頼りです。

第3回 近代日本の対朝鮮外交 (その2)

  • 2005/04/23(土) 01:13:50

 それでは次に李朝朝鮮王国の内情はどうであったかをみてみよう。

 朝鮮の最高権力者は言うまでも無く、朝鮮国王である。

しかし、実際の政務一般は両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級から試験で選抜された、科挙官僚が担っていた。 この科挙官僚に中央・地方の官職が割り当てられ、行政を担った。 

この両班貴族こそ朝鮮の支配階級の主力である。

科挙試験の内、高級官僚への道である文科に合格して政府の要職につくのは、事実上両班貴族、それもそれなりの家柄のものにしか許されなかったので、中央・地方の要職は両班貴族にほぼ独占された。

 科挙試験の武科に合格したものは武人階級となったが、文官よりも地位は軽んじられた。 その下に中人と呼ばれる技術官僚などの下級支配層がおり、実務を支えた。

 そして農業・商工業に従事する平民層を常民といった。常民のほとんどを占めるのは農民である。 ここまでがいわゆる自由民であるが、李朝朝鮮には、さらにその下に奴隷階級が存在した。

 奴隷階級は国家に所有される官奴婢と、貴族などに所有される私奴婢とに分かれる。 さらに被差別民として白丁と呼ばれる人々が存在した。

このように李朝は厳然とした身分差別に基づく社会であり、それは日本の明治時代の中ごろまで続いた。

(在日韓国・朝鮮人の人々は差別されている気の毒な人達だから、他人を差別することがあるはずないというイメージでもあるのか、李朝朝鮮に厳しい身分差別があったことにびっくりする日本人も少なくない)

 朝鮮王朝を支える土地・租税制度は、前者は科田法、後者は租庸調制である。

科田法とは、官僚などの自由民に国家が田を与え、その人が死ねば田を国家に返還する制度である。

租庸調制は、田畑からの収穫物を税として収める租、国のために決められた日数の強制労役につく庸、地方の特産品を納める調とからなる、税制である。

しかし16世紀から両班貴族による大土地所有が進んで科田法の実施が困難になり、逃亡農民が続出するようになると、租庸調制もあまりうまく機能しなくなった。 そして広大な土地を所有した貴族はさまざまな名目で農民から租税を徴収するようになった。
 
 経済面をみると、李朝は儒教に基づく極端な重農主義をとったために、また支配層が苛酷な税の取り立てや収奪を行ったために、商工業の発達が阻害された。

朝鮮の多くの地域では自給自足経済が普通であり、手工業も両班貴族のための陶磁器・文房具などをつくる官営工房が維持される程度で、民間の手工業者の活動は細々としたものだった。

このため商品経済の発達は限られ一部の都市を除くと、商業活動は褓負商と呼ばれる旅の行商人が主役であり、褓負商がいくばくかの余剰生産物を持ちよって何日かに一回開かれる市が、それぞれの町にとっての唯一の商業・交易のチャンスであった。

このため貨幣の流通も限定的であった。

明治初期の朝鮮では常平通宝と呼ばれる銅銭が使用されたが、流通していたのは漢城(ソウル)など都市部が主で、しかもソウルの貨幣が元山などの他の都市では使えないといった状況であり、そのため朝鮮全体では、まだまだ米や布を仲立ちとした物々交換経済が主流であった。

これが明治初期における、朝鮮半島の実態だったのである。

(韓国の歴史教科書では、李朝後期に商品経済の確立と貨幣の全国的な普及が述べられているが、

逆に当時の朝鮮にいた外国人の記録(朝鮮事情[シャルル・ダレ著]・ 朝鮮紀行[イザベラ・バード著])には貧弱な商品経済と、葉銭という価値が極めて低く、大量の所持が必要なために持ち運びが不便で、しかも都市部以外では流通しない貨幣の存在が記されている。

そういった証言から判断すれば、韓国の歴史教科書の記述はかなり誇張されたものといえる)

(以上、李朝朝鮮社会をざっと見てきたがどういった感想をお持ちだろうか? ぜひあなたの高校時代の日本史や世界史の教科書を引っ張り出してきて読み比べてほしいが、
 
科挙官僚による中央集権制度、吏・戸・礼・兵・刑・工の六曹制、所有者が死んだら田畑を国家に返却する科田法、租庸調制、国家や貴族による奴隷所有など、これらは中国の隋・唐の時代、6~7世紀に完成した古代奴隷制国家的な、律令国家の制度の特徴そのものである。

もちろん李朝は隋・唐の時代から千年以上たっているのだから、いくぶんか進歩した部分はあったのだろうが、社会の基本システムはそれほど違っていない。

 20世紀初めの時点で、産業革命を達成して近代市民社会に到達していたのは、文明の衝突で有名なハンチントンの分類にしたがえば(西欧・スラブ・ラテン文明を含めた)欧米キリスト教文明日本文明だけであった。

そして両文明だけが、狭義の封建制度を経験している。

クロフネは、厳しい競争社会であり分権的政治体制としての封建制度を経験した文明だけが、19世紀までに近代市民社会に到達できたのではなかったかと考えている。

西欧文明では封建制度のもとで貨幣経済が発達し、支配層をはるかに上回る富を蓄えた資本家が誕生、封建制度の最終段階ともいえる絶対王制にすすんだ。

つづいて社会的に力をつけた市民階級が、政治的権利を獲得して社会発展の主力の地位を築き、近代市民社会に到達した。

 一方鎌倉時代以降、封建制度が発達し、室町・戦国期に貨幣経済が進展して社会が加速度的に発展した日本は、江戸時代にその成熟期を迎えた。

しかし、中央(幕府)による統制がやや強まり、戦国期にあった地域間の社会発展の競争はゆるくなった。

また鎖国によって外国との交流も限定され社会発展のスピードはさらに落ちた。だから近代市民社会までは進むことができなかったのではないだろうか。

 しかし、突然西欧から近代化の波がやって来ても、日本文明は近代市民社会の前段階である封建制社会までは到達していた。 つまり近代文明受け入れの準備が整っていたので、比較的スムースに”文明開化”が達成されたのではないだろうか。

中国や韓国では、「日本がアジアで初めて近代化を達成したのは、運が良かっただけの偶然である」といった意見も耳にするが、アジアでほぼ唯一、成熟した封建制度を経験した日本文明だけが明治維新を達成し、近代市民社会に到達できたのは歴史の必然だと思われる。

逆から言えば、封建制度が未発達な中国を中心とした儒教文明が、西欧近代文明を取り入れて消化不良をおこしてしまったのも歴史の必然と思われる。

 その意味で言えば、20世紀の直前まで封建制度を経験せず、きびしい鎖国で古代律令制国家が純粋培養・無菌保存されてしまったような”隠者の国”・李朝朝鮮に、自力で近代市民社会に到達できるようなきざし、萌芽といったものはみられなかったし、

たとえ、そのようなものがあったとしても、朝鮮が近代化を達成して独立を維持できるような強国になるまで、欧米帝国主義列強が指をくわえて待っていてくれるといった事はありえなかった。

また、朝鮮はかたくなに鎖国を維持して、西欧から近代文明を学んで取り入れようなどという考えはさらさら無かったことも前回述べたとおりである。)

日本と中国の形勢逆転

  • 2005/04/21(木) 00:04:51

 国民の反日感情をあおって暴動を起こさせて日本を屈服させようとする、中国政府の対日外交攻勢は、日本の在中公館と日系企業を破壊し数人の日本人を負傷させた他は、めだった”戦果”をあげていない。

むしろ”戦線”をあちこちに広げすぎて、対日攻勢の限界点をむかえてしまい、手詰まりの状況にあるといえるだろう。

「町村外相が中国に対して謝罪した」という捏造報道を新華社が流したのも中国側の強いあせりがうかがえるし、

18日午後、北京で唐家セン国務委員(前外相)が町村外相に対し、
「(日本は)歴史と台湾の問題で最近態度を変えた。国交正常化以来の対中政策を転換し、強硬な態度で対抗する政策を取っているのではないか」と厳しく批判したのも、日本は簡単に中国の言いなりになるという中国側の読みが外れたことへのあせりによるイライラ感の表れだろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050418-00000774-jij-pol


 逆に17日、TVに出演した中川経済産業相は「中国リスクはある」と指摘。「世界貿易機関(WTO)新規加盟時の約束を守っていないことや、知的財産権、海賊版や模造品が横行している」などと問題点を列挙し、「(中国は)リスクが非常に大きい。投資も含めてだ」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050418-00000887-reu-int


 また、中国や香港に莫大な外貨を落としている日本人客の旅行キャンセルが相次いでいて、その数一万人を超える勢いだそうで、対中投資の落ち込みの懸念も含めて、中国経済の先行きと信用に暗い影を落としている。

例えるなら”広がりすぎた戦線”を維持するための”中国の補給部隊”がことごとく撃破されているといったところだろうか。

 こうした情勢に、中国国家統計局の鄭京平報道官は20日の記者会見で、「中国は責任ある大国として、日本を含む外国企業に引き続き良好な投資環境を提供していく」と語り、世界の対中投資不信感打ち消しに大慌てとなっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050420-00000013-yom-int


 そして投資の冷え込みを恐れた北京市や上海市などの地方政府レベルで日本に対する賠償の動きが出始め、中国政府も19日の人民大会堂で開いた会議以降、暴動をおこしているデモ隊を規制する動きを見せ、中国外交部傘下の企業が破壊された日本公館の賠償を打診してきたという。

 今回の日中の対立は、投資対象としての中国の信用に傷がつけば、先に譲歩してくるのは中国であるとクロフネは指摘したが、どうやらそのとおりになってきた。 

感情的にわめき散らす子供のような韓国の外交と違って、根っからの商業民族である中国の外交は同じ反日でも天と地の差がある。 中国人は利害・損得の読みが速く、冷徹に計算して利益にならないようなことは絶対しない。

しかも中国政府が威信をかけて行う北京五輪の成功も危機にさらされて、その点に関しても中国政府のあせりはつのっているようだ。

日中の形勢逆転である。

 こうした状況の中で、小泉政権の一部大臣に、中国の謝罪も賠償もうやむやにして、中国のメンツを立てながら水面下で手を打とうとする動きもあるという。 

また日本の財界からは、日中の対立が続けば日本経済だけが悪影響をこうむるといった、近視眼的な声も出ている。

 しかし、中国人がメンツを何よりも大切にするからこそ、国民をあおって暴動をおこさせて、それによって日本を屈服させようとするような愚かな行為をすれば、メンツが傷つくのは中国自身だということを思い知らせたほうがよい。

日本としては、中国政府が中国国内と海外マスコミの両方に対して、日本に対する謝罪と中国政府による賠償の約束の声明を発表させて、中国政府のメンツを徹底的に失わせるべきである。

 2004年サッカー・アジアカップで中国人暴徒に日本大使館の公用車が襲撃されて破壊された。

しかし日本政府が中国政府の謝罪も賠償も、うやむやにして済ませて、「日本人は痛い目にあうと尻尾を巻いて逃げます」という誤ったメッセージを中国側に送ってしまった。

だからこそ中国政府が「日本人を少し痛い目にあわせて中国の思い通りに動かせよう」と考えて、今回のような大暴動にエスカレートしたことを忘れてはならない。

今回の暴動事件で中国側に”果実”を一つでも与えてはいけない。
日本のこれまでの政策を中国のために曲げてはいけないし、靖国参拝も取り止めてはならない。

もし中国側に「中国の民衆をあおって暴動を起こせば、日本は中国のいいなりになるんだ」という教訓を与えてしまえば、再び歴史は繰り返されるだろう。

日本は問題の解決を下手にあせったりせず、じっくりと腰を落ち着けて政界・財界・国民すべてが団結しなければならない。

これからが今後数年、あるいは十数年の日中関係を左右する正念場、ふんばりどころである。

中国のジェラシー

  • 2005/04/19(火) 00:24:38

 中国での日系企業や日本人に対する襲撃事件が、とどまることを知らない事態となっている。

このような暴動事件の理由として、中国政府による反日教育と共産党官僚の腐敗や貧富の格差など、中国国内の矛盾に対する国民の不満があげられている。

 クロフネは暴動の理由としてもう一点、「中国の日本に対するジェラシー・嫉妬心」をあげたいと思う。

 中国は面積も人口も日本の十倍ちかい大国である。歴史も長い。
そのような大国としてのプライドが長い間に中国人の心理面に大きく影響しているであろうことは容易に推測できる。

しかし、経済力など純粋な国力という点からみれば、中国は長い間日本の数分の一程度の小国だった。 大国意識を持つ中国人にとって、それが面白いはずが無い。

ときどきネットの世界でも、中国の人による「日本がアジアで一番最初に近代化に成功し、2次大戦後に経済大国になれたのは、単に運が良かっただけ。」といった発言をみかけるが、そうした意識のあらわれだろうと思う。

 しかし、そのような中国人にとって、日本に対して優越感を感じられるものが三つある。

一つ目は「道義性の優位」、つまり「歴史的に見て中国人は侵略などの間違いを犯したことは無いが、日本人はいつも悪いことをしているやつらである。」といった”事実”(もちろん中国人がそう考え、政府によって教育されただけのことであるが)である。

二つ目は「核兵器の保有」である。 
日本は「核兵器を作らない・持たない・持ち込ませない」が国是となっているので、中国人のこうした感情はわかりづらいかもしれないが、中国がアジアで最初に原水爆の実験に成功して、日本が保有しない核兵器を多数装備していることは、「中華民族の偉業」として歴史教科書に掲載して子供達に教えられている。

そして最後が「中国がアジアで唯一の国連の安保理常任理事国である」ということである。

中国は国連において、日本が持つことを許されない”伝家の宝刀”・拒否権を持つ”特権貴族”であるというのはシリーズ「イラク戦争とは何だったのか?」で述べたとおりだ。

そして中国が永遠に”特権貴族”でいられるよう安保理を守り、その安保理を無視しようとしたアメリカに強く反対したことも書いた。

 実は、中国外交の大きな目標のひとつが、中国が強い影響力を持つ安保理が世界の行く末を左右する力を持つ唯一の組織にしておくというものだった。

例えば、先進国首脳会議(サミット)に中国の首脳は何度も参加を要請されてきたが、そのたびに断ってきた。

つい最近になっておっかなびっくり参加するようになったが、先進国でもないのに自ら「サミットに参加したい」と言い出したロシアとはえらい違いである。

これはサミットが国連安保理に変わって、世界を動かすような強い影響力を持たないよう中国が警戒しているからだと言われている。

もしサミットが安保理に変わって世界を動かすようになれば、中国はサミットに一番最後に参加する若輩者であり、しかもサミットには拒否権が無いから中国が世界に与える影響力は大幅にダウンする。

だから中国がサミットに参加して安保理が無力化することが無いよう警戒していたというわけである。

最近ワシントンで開催されたG7(先進七カ国蔵相会議)に中国が参加を拒否した理由のひとつもここにあったのではないだろうか。
(もうひとつは人民元の切り上げ問題で袋叩きにあわないためだろうが)

次回サミットに胡主席が参加するかどうかで、現在中国が安保理とサミットをどう考えているかはっきりするだろう。

 以上のように見てくると今回の暴動のもうひとつの理由がみえてくる。

最近の日本では、感情的な自虐教育が反省され、歴史資料に忠実に基づいた教育をしようという動きが見られ、歴史問題において「中国や韓国の言うことはいつも正しいのだ」といった思い込みが日本国民のなかで急速になくなりつつある。

また国連改革における最近の世界の流れは、日本の安保理常任理事国入りを含めた安保理拡大にあった。

このような動きを見過ごせば、2番目の核兵器うんぬんはともかく、中国の日本に対する優越感がいっぺんに消え失せてしまう。

今回の暴動にこれだけ多くの中国の市民が参加している理由には、中国人が日本にもつ優越感を守るため、逆にいえば、中国人が日本人に対して持つ優越感が危機にさらされたために発生したジェラシー・嫉妬心もあるのではないかと思われる。

 そして中国政府は中国国民のこうした感情を利用しながら、今までのように”過去の歴史”という名のくさりで日本の自由を奪い、同時に日本の常任理事国入りを妨害することによって、日本の国際社会における影響力拡大と政治大国化を阻止しようとしているのではないだろうか。

その意味で暴動を起こしている市民は感情的になっているのかもしれないが、中国政府自体は冷徹な計算のもとに動いているということを日本側は忘れてはならないだろう。

第2回 近代日本の対朝鮮外交 (その1)

  • 2005/04/15(金) 19:11:35

 1868年の明治維新で近代国家としての歩みを始めた日本。

当時の日本外交にとっての最大の課題は、いかにして欧米帝国主義列強による日本の植民地化を防ぎ、独立を維持するかにあった。

 そのために日本は近代産業をおこして国を富ませ、それによって欧米に負けない軍事力を養う”富国強兵策”をとったことは周知のごとくである。

その結果、日本はなんとか独立を維持するめどをつけることに成功するが、心配の種が一つあった。日本の隣国・李朝朝鮮である。

 1854年のペリー来航から日本は鎖国政策をやめ、欧米文化を導入しはじめた。 それから約20年たった明治6年(1873年)の時点でも朝鮮は鎖国政策を維持しており、たいした産業も軍事力も持たない旧態依然とした東洋的専制王朝であった。

 日本史や世界史では明治初期の朝鮮がどのような国であったかが、ほとんど教えられないために、大半の日本人が知識の無い状態である。そこで少しくわしくみていきたい。

 まず外交面から当時を振り返ってゆくが、李朝朝鮮王国は1637年に清の太宗(ホンタイジ)に征服されていらい、中国の清帝国を宗主国とする清の属国であった。

朝鮮の公式な外交関係とは清との宗主国・属国の関係がほぼ唯一であり、それ以外の国に対しては鎖国政策をとって、交流を厳しく制限した。

時々欧米から商船などが通商を求めて来たり嵐で漂流したりして、朝鮮に近づくことがあったが、鎖国政策を理由に欧米の商船を攻撃して撃沈したり、朝鮮に入国した西洋人は死刑にするか、拉致して市民とは隔離し何年も監禁した。

日本とは細々とした関係があったが、日本人は決められた場所にしか入国を許されず、朝鮮を自由に旅行して漢城(ソウル)に出かけるようなことはなかった。

(韓国の歴史教科書では、朝鮮が清の属国であったことは、かくされている。

中国の属国となる場合、中国の暦を受け取りそれを使用することを強制されるため、中国の属国が独自の元号をたてる事は無い。[中国皇帝は領土と時間の両方を支配すると考えられたため]

李朝は建国以来独自元号がなく、1896年に朝鮮独自の元号”建陽”をたてるまでのおよそ500年間、中国の暦を使っていた。

このことからも李朝が中国の属国であったことが分かる。ちなみに1896年は日清戦争で日本が勝利した翌年である。これが何を意味するかは、あとで述べる。

また属国の君主が中国の君主にのみ許される”皇”や”天子”を名乗ったり、公式文書に”勅”といった文字を使用することは禁じられる。

もちろん李朝が中国の属国であった期間は、朝鮮の君主が”皇帝”を名乗ったり、国書に”勅”の字を使うことなど、到底許されなかった。)

 文化面においても、朝鮮は中華思想の影響を強く受け、中華文明こそ世界唯一の文明として崇拝し、それ以外の文明、たとえば西洋近代文明を国の基礎として導入したりすることは無かった。

※中華思想とは、「中国は世界の中心かつ唯一の文明であり、その周囲の民族・文明はすべて野蛮である」という思想である。

それでは当時の朝鮮のエリートが世界をどのようにみていたかを紹介しよう。

50ページ 「中華帝国は、なんと壮大で光栄なことか!中華帝国は世界最大で一番豊かである。世界の最も偉大な人物は全て中華帝国の出身であった。」

52ページ 「ヨーロッパは文明の中心地、つまり中華帝国からあまりにも遠い。 したがってロシア人、イギリス人、フランス人、ドイツ人とベルギー人は人間というよりもずっと鳥や獣のように見える。彼らの言語は鳥がちゅうちゅう鳴くように聞こえる。」

(朝鮮学部大臣 申箕善編集 「儒教徒の緯度と経度便覧」1896年 <イザベラ・バード著 ”朝鮮紀行”に収録>)

この例からもわかるように、李朝朝鮮の指導者も民衆も、アヘン戦争・アロー号戦争の敗北以後、中国が欧米帝国主義列強の侵略と領土分割に苦しめられていたという当時の世界情勢がまったく見えていなかった。

※参考 清帝国第6代皇帝・乾隆帝からイギリス国王ジョージ三世への手紙

「王よ(ジョージ三世のこと)あなたは心から文明を求めているようだ。あなたは使節を送って深く頭をたれ、朕(乾隆帝のこと)の誕生日に際し、国書を差し出し祝辞を述べた。またイギリスの産物を献上することで、良く誠意を示してくれた。」

「汝の大使が自分の目で確かめたように、朕は全てを所有して余すところが無い。」

(この手紙のわずか5、60年後には、”野蛮なイギリス”が”文明国・清”をアヘン戦争で屈服させることになる。)

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chosenkiko.jpg

朝鮮紀行

◆イギリス人女性旅行家がみた、日本ではまったくと言って良いほど知られていない、日韓併合以前の李朝朝鮮の真の姿をうつした旅行記。これを熟読すれば、日韓併合前後の真の朝鮮の姿が理解できるだろう。

小泉政権の限界

  • 2005/04/14(木) 00:24:38

 ドイツを訪問した韓国のノ・ムヒョン大統領は、独フランクフルター・アルゲマイネ紙に「根本的な問題は、日本人が過去の侵略戦争を歪曲・美化して己を正当化せんとしていることだ」などと、自らの妄言をぶちまけている。http://japanese.joins.com/
html/2005/0408/
20050408165125200.html


 一方インドを訪問中の中国の温家宝首相は、中国人の暴動さわぎで日本人が襲撃されて負傷し、日系企業が破壊活動にあったことについて、中国人の暴力行為の責任を「アジアの人々の強い反応を受け、日本政府は深く反省するはずだ」と日本になすりつけた。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050413-00000010-scn-int


中・韓の要人が世界でせっせと反日プロパガンダの垂れ流しに狂奔している時に、日本の首脳陣はいったい何をやっているのだろうか?

 どんなに馬鹿げたウソでも反論しなければ、事実と認めたことになるというのが世界の常識だ。

ならば小泉首相や町村外相や細田官房長官が、そのつど適切に論理的に反論して相手を論破せねばならない。

 しかし、今のところ首脳達は、中・韓の日本に対する誹謗中傷に対し、笑って済ませるだけである。

いや、あまつさえ日韓外相会談で、さまざまな問題が指摘されているサハリン残留韓国人に対する経済支援を推進するとまで言った。(この問題はいつか取り上げたい)
http://www.excite.co.jp/News/
politics/20050407224800/
20050408M10.105.html


首相みずから世界に日本の立場・主張をアピールして多数派工作をするでもない。

今まで中・韓のなんら根拠の無い誹謗中傷や主権侵害行為を笑って済ませて、いつか収まるだろうと問題を先送りにしていたから、こういう事態を招いたのだということが、ま~だ分かっていない。

「学習能力」という言葉ともっともかけはなれているのが小泉政権首脳陣だ。

 たとえるなら株主総会をオンビンに済ますため、どんなばかげたインネンをつけられても、へらへら笑いながらカネを渡すようなものだ。 

そのようなシャンシャン総会型指導者は、もうたくさんだ!

 小泉首相・町村外相・細田官房長官の小泉政権は、もはや限界だろうと思う。時代が彼らを必要としていないし、このまま無為無策を続けるのは罪ですらある。

しかしながら、小泉首相は、猫の目のように変わって世界の失笑を買った自民党短命首相政権時代を終わらせ、靖国参拝をおこない、拉致被害者とその家族を幾人か取り戻すことに成功した。
その意味では日本への貢献は大であったと思う。

というわけで、小泉首相には国民のひとりとして、「ありがとう」そして「おつかれさま」を言いたい。

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・宥和政策を支持する人間とは、自分を食べるのは最後にしてくれるものと期待しつつ、ワニを育てる人間である。

・名誉を犠牲にすれば、次は命を、それも自国民の命を犠牲にしなければならなくなる。

・中国のしっぽは大きいが、それを我々に向かって振ることは無い。

・中途半端な手段による信念の無い行動は、―信念の欠如はあやまって「慎重」と呼ばれているが― 最悪の危険を冒すことにほかならず、それまでの苦労が無駄になる。

・現在が過去を裁こうとすれば、未来からの裁きに負ける。

すべて イギリス首相 ウインストン・チャーチル

中国で日本大使館が襲われる(その2)

  • 2005/04/11(月) 19:15:53

 それでは中国に対してどう実力を行使するか?

中国の経済発展というのは日本や欧米といった先進国からの技術・資本に決定的に依存している。

天津汽車(汽車=自動車)がダイハツシャレード・トヨタビッツ、広州汽車がホンダアコード・オデッセイ、上海汽車がフォルクスワーゲンサンタナのコピーをせっせと生産していることからもわかろう。

 だから中国にとって「中国は投資する国としてふさわしくない」という評判が立って、投資対象としての中国が信用を失うことは致命的と言える。 資本主義経済の根本原理のひとつは信用である。

そのような評判がたって投資が冷え込めば、雇用情勢が悪化して失業率があがり、そのために消費が冷え込めば、さらなる外国からの投資が減らされるという、景気縮小スパイラルに落ち込み、中国の高度成長なんぞ簡単に消し飛ぶだろう。

 今回の暴動に関連して中国商務省の魏建国次官が「日中経済関係は問題無い」と発言し、深せん市の副市長が「日本企業の権益をまもる」と言っているのはそのためだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050411-00000096-kyodo-int


 だから中国にいる日本人の命と財産を守るために、日本の首相がなすべきことは、へのつっぱりにもならないような口先だけの抗議ではない。

まず「日本政府は、中国国内にいる限り邦人の安全を保障できない」として一時避難勧告を出すべきである。

そして中国に進出した日系企業の引き上げを勧告しつつ、東南アジアやインドなどに投資の代替地を確保できるよう努力せよ。

(日本企業が投資を引き上げられないよう中国が規制するのであれば、「中国はいざとなったとき投資を引き上げられない危険な国だ」といってみるのも有効だろう)

そして首相自らがロイターやAFPなどの世界のメディアに向かって、「中国に投資している日本企業が民衆暴動のおかげで大変な損失をこうむっている。 中国政府は我々の投資を守るために何ら有効な手段を講じていない。中国はもはや安全な投資対象国ではない。」と声明を発表せよ。

日本の首相の発言で上海や深せんの株価が下落でもすれば、中国首脳は「中国が安全な投資対象であること」を証明するために、大慌てで右往左往を始めるだろう。 そして日本の首相の発言を必死になって否定してくるはずだ。

そこでもう一度首相が「ならば二度と暴動を発生させるな。再び発生すれば中国の信用はゼロとなろう」とたたみかければよい。 これで当分は暴動が防がれるだろう。

 そんなことをしたら「中国に進出した日本企業が損失を受けるし日中貿易にも悪影響が」などという人もいるだろうが、今のままの状況を放置して日本人に死者がでたらどうするのか? 

実際日本人留学生が鈍器(ビールジョッキ)で殴られた。
一歩間違えば殺人事件になっていただろう。もしそうなったら取り返しがつかない。たとえ首相が腹を切ったとしても、亡くなった日本人が生き返るわけではない。

 日中貿易のおちこみなど一時の日本の経済的な損失は覚悟しても、中国に資本主義経済における信用と日本との協調の大切さを体でわからせ、それによって中国が将来にわたって安定して投資できる国になれば、日本にとってより大きな利益になる。

つまり損して得取れである。

しかし目先の利益に惑わされて、現在の小さな痛みから逃げるなら、将来もっと大きな苦しみが招かれよう。目先の利益に簡単に目がくらみ、自分のカネで自分のおそるべき敵を育ててしまうというのが、戦後の日本人の最大の弱点である。

日本はすでに経済大国であり、資本も技術もある。
しかし中国が真の経済大国になるには、まだ資本も技術も足りない。

日本からの資本と技術、そして中国で生産した財・サービスの市場としての日本が無ければ、「21世紀は中国の時代」などというものは絵に描いた餅に過ぎないのだ。

たとえ日中が報復合戦になったとしても、先に切れるカードが無くなって譲歩するのは中国である。

これまでの日本政府・外務省の外交政策は大きく分けて二つだった。

一つ目は外国になにかを要請する、つまり単なるお願い政策だ。これには抗議や相手の自制を促すといった行動が含まれる。そして二つ目は事態を静観する、つまり痛みを伴うことを実行することから逃げ、なにもしないで問題を先送りする敵前逃亡政策だ。

そしてどちらとも本質は、相手がこちらの希望どうりに動いてくれることをただひたすら待つだけという手抜き政策であって、それしかできないというのなら、別段高い給料を支払って首相や外相、外交官を国民が養う必要はない。

「何もするな」と命じて時給700円で素人を雇ったほうがまだマシである。

今回も日本政府が実力行使に裏打ちされた断固たる措置をとらないのであれば、近い将来ふたたびこのような馬鹿げた事件がおこるであろう。

中国で日本大使館が襲われる(その1)

  • 2005/04/10(日) 15:31:39

 中国の地方都市で日本の国連安保理常任理事国入りへの反対から日系企業を中国人デモ隊が襲撃するという事件が起こったが、その蛮行は繰り返され、とうとう首都・北京にまで拡大して、日本大使館までが襲われた。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050410-00000003-yom-pol


中国政府は例によって、デモは自発的なものとして責任逃れに終始しているが、中国共産党に対する民主化要求デモが起こったら、即座に人民解放軍を送ってデモ隊を鎮圧するのであるから、このデモ隊の襲撃事件は事実上中国政府公認のものである。

 これに対して日本政府・外務省は、これも例によって抗議した。例によってというのは口先だけの抗議という意味だ。

この抗議とは中国に「日本人を襲わないように」という努力目標を設定して、それを守ってくださいとお願いするというのが実体である。

では、その努力目標が守られない場合、日本政府はどうするつもりなのだろうか? いや、なにもしないのである。

「事態を静観する」という名の「日本政府・外務省はなにもしません。いやできません。その能力すらありません」という告白を内外に発表するか、再び抗議という名のお願いをして、「抗議→日本人襲撃→抗議→日本人襲撃」という無限ループにハマルのがせいぜいだろう。(もうハマリつつあるが)

 なぜこのような馬鹿げたことが起こるかと言えば、日本政府・外務省が抗議をしてそれが受け入れられない場合に、力の裏づけがある実力行使をしないから無限ループにハマルのである。

日本政府の抗議とは、泥棒に「泥棒しないように努力してください」といっているようなものだ。しかし泥棒が盗みをやめなくても、なにもせずに再び「泥棒しないように努力してください」と言うだけだから、泥棒が再び盗みを働くのである。

泥棒が盗みを働いたらそれを捕まえて、ろう屋にぶち込むという実力行使をしなければ、盗みをやめさせられるわけがない。

 それでは中国に対してどう実力を行使するか?

日の丸・君が代について考える(その4)

  • 2005/04/07(木) 19:11:50

 それでも「天皇制は嫌い、共和制をしく国が好き」という人のために、いくつか国歌を紹介したい。

共和制革命発祥の地・フランスの国歌”ラ・マルセイエーズ”は有名だが、こんな歌詞だ。

”♪(たおした)敵のけがれた血でフランスの畑をうるおせ”

アメリカの国歌「星条旗」は、アメリカ独立戦争のときに、イギリス軍の猛攻撃にびくともしなかったアメリカ独立軍のマックヘンリー要塞にひるがえっていた星条旗をみて感動したアメリカ人、フランシス・キイによって作詞された。

”♪ロケットが赤い閃光をひき、爆弾が炸裂する夜を徹して、おお!我々の星条旗は揺らぐ事無く、いまだそこにはためいていた”

2次大戦で日本の同盟国だったイタリアの国歌”マルメの賛歌”は
”♪隊列を組め、我らは死を恐れない。この身をイタリアのためにささげよう”といった具合に、これから戦場に向かう情景がテーマとなっている。 

アイルランドの国歌はその名も”ソルジャーズ・ソング”(兵士の歌)である。
”♪命知らずの俺達は、大砲がうなり銃声がとどろくなか、アイルランドにとって吉と出ようと凶と出ようと、「兵士の歌」を歌う”といった歌詞で終わる。

中国の国歌は歌う、”♪立て奴隷になりたくない者達よ! (中略) 敵の砲火をついて前進せよ! 前進! 前進!”

この場合「中国人を奴隷にしようとしている者」とは日本であり、どこへ前進するのかといえば日本軍へである。おそらく中国国民はこの国歌を歌うたびに敵としての日本が意識に刻み込まれていくのだろう。

 こうして見てくると世界の国々の国歌は戦争をテーマにしたり、もともと軍歌だったりするものも少なくない。

 結論としては、「日の丸・君が代が戦争を起こして人を殺した」などと言う人は、自ら「歴史から何も学んできませんでした」と告白しているようなものではないかと思う。

人類の歴史上、戦争を起こすのは常に人間であって、それを旗だの歌だのに責任を転嫁するのは、歴史への冒涜としか言いようがない。

 また、日の丸・君が代反対論者からうかがえるのは、この国際化の時代に時代錯誤的な、外の世界が全く見えておらず、極めてドメスティックで自分たちのせまい殻の内側でしか通用しないような価値観である。

愛国心の問題とも密接にからんでくるが、それは、自分の生まれた国をバカにしたり、国の象徴である国旗や国歌につばを吐くような行為を喜んでやることが、さも”おりこうさん”であるかのような病的な価値観であり、このような歪んだ価値観が戦後の日本に与えた影響は非常に大きかった。

(特に、勉強ができ先生の言う事をよく聞いて、東大を卒業するような受験秀才の”おりこうさん”への悪影響が深刻である)

 別に自分の国が嫌いな人がいても、それは自由だし一向に構わないと思うが、人間が自分が生まれ、自分を育ててくれた国に愛着をもち、自分の大好きな家族や友達の住んでいる国を好きになるのは、ごくごく自然なことではないだろうか。

そして、日本人がそういう気持ちを持ってこそ、外国の人が同じように自分の国を愛する気持ちに共感できるのではないだろうか。


クロフネは日本が好きだからこそ、世界のすべての国の人が愛国心を持つことを理解できるし、世界のすべての国を大切に思い、彼らにとって誠実な友人でありたいと願っている。

もちろん、ちょっとだけ日本びいきだが。
(ココ重要)

 最後に、”君が代反対派”の人々ために、彼等が尊敬してやまない世界の共和国の国歌をお手本にして新しい日本の国歌を考えてみた。

”♪立て!奴隷になりたくない者達よ!日本に存亡の危機迫る!
隊列を組め!我々は死を恐れない!この身を日本にささげよう!
祖国か死か! 敵の血で日本の田畑をうるおせ!
大砲がうなり、銃声がとどろくなか、日本にとって吉と出ようと凶と出ようと、我らは”兵士の歌”を歌う!”

どうですかね? クロフネは君が代のままで良いと思うけど。


余談:

世界の国歌をいろいろと聞いてみると、荘厳な中欧・北部東欧諸国の国歌、

哀調あふれるブルガリア・ルーマニアなど南部東欧諸国の国歌、底抜けに明るいブラック・アフリカ諸国の国歌、

フルコーラスで演奏すると5分ぐらいかかるような長いラテン・アメリカの国歌があるかと思えば、30秒ぐらいで終わるクウェートやサウジといったアラブ湾岸諸国の短い国歌とそれぞれの民族性が出ていてとても面白い。

クロフネが一番好きなのはやはり”君が代”だが、それ以外ではカザフスタンの国歌に惹かれる。

東洋と西洋が混じったような不思議かつ、カザフの広大な大地を連想させる雄大なメロディ。
曲は騎馬民族の末裔らしく三拍子(馬の走るリズムは”パカパッ・パカパッ・パカパッ”で三拍子だから)なのだが、曲の終わりで突然四拍子に変化するあたりもたまらなく良い。

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CD世界の国歌集

◆世界の国歌がCDで聞けます。サッカーワールドカップやオリンピックの前に聞くと楽しめます。

クロフネが大好きなカザフスタンの国歌が収録されているCDはこちら。

日の丸・君が代について考える(その3)

  • 2005/04/06(水) 23:01:03

 それでは次に”君が代”はどうであろうか。

”君が代”の歌詞は、今からおよそ千年前に成立した古今和歌集の詠み人知らずの歌から取られた。

曲は明治時代に雅楽として作曲されたものを、ドイツ人音楽家のエッケルトが西洋楽器でも演奏できるように、編曲したものらしい。

(アジアでさえ西洋風の国歌を持つ国が少なくないが、”君が代”のあくまでも東洋的でエキゾチックな旋律は、各国の国歌と聞き比べても、かなり独創的でクロフネは好きである)

”君が代”の歌詞を素直に読むならば、小石がかたまって大きな岩となり、そこにコケがびっしり生えるぐらい長く、天皇陛下が長寿でありますようにといった意味だろうと思う。

有名なイギリス国歌”神よ女王(国王)を守りたまえ”をあげるまでもなく、立憲君主国では君主をたたえ、長寿を願うような国歌は珍しくなく、”君が代”の歌詞自体に特別な問題があるとも思えない。

 君主が歌詞に登場する国歌は他にも、オランダ・ベルギー・モナコ・カンボジア・ネパール・ブルネイ・マレーシア・サウジアラビアなどがある。

 変わったところでは北欧の王国デンマークで、国歌がニ種類存在する。

国歌”うるわしき国土”とは別に、デンマーク王家の英雄クリスチャン4世をテーマにした王室歌”クリスチャン王は高き帆柱に立ちて”があって、どちらも国民によって歌われる。ここでその歌詞を紹介しよう。

”クリスチャン王は高き帆柱に立ちて”

作詞 Johannes Ewald
作曲 Friedrich Kuhlau

クリスチャン王は霧煙る高き帆柱に立ちて

きらめく彼の剣を打ち振るう時

あらゆる敵は船尾に沈み 帆柱は霧煙る中へ沈む

「逃げろ!」と敵は叫ぶ
 
「できるかぎり逃げろ! 戦場でデンマークのクリスチャン王に誰が立ち向かえようか?」

 これまで見てきたように「君主をたたえる国歌を持つ国が軍国主義」というなら世界で最高水準の民主政治を持つ、イギリス・デンマーク・オランダといった国々も軍国主義だという論理になってしまい、そんな馬鹿げた話は無い。

本当に問題なのは、「主権が国民にあるか君主にあるか」であって、日本やイギリス、デンマークのような国の君主は「君臨すれども統治せず」であり、国歌に関係無く主権が国民にある民主主義国家であるのは言うまでも無い。

つづく

日の丸・君が代について考える(その2)

  • 2005/04/05(火) 17:23:26

 前回は国旗・国歌に対する国際常識について考えてみたが、今回は純粋に日の丸・君が代が日本の国旗・国歌としてふさわしいのかという問題を考えてみる。

 日の丸・君が代に反対する人達は決まって「日の丸・君が代は戦争と軍国主義を象徴しているから」などといった反対理由をあげるが、果たして本当にそうなのだろうか?

 ところで諸外国に目を移すと、国旗の由来が戦争にまつわるものも少なくない。
たとえばオーストリアの国旗がそうである。

伝説によれば、十字軍遠征に参加したオーストリア大公レオポルド5世は真っ白な軍服を着て出撃したが、イスラム軍との戦闘中に敵を次々と剣で斬りつけて、返り血を浴びて帰還した。

レオポルド5世は敵の血で真っ赤に染まった軍服を脱ぐためにベルトを取ると、ベルトの下だけ白く残っていたという。 これがオーストリアの国旗の由来であるそうだ。

 スウェーデンの国旗は1157年のフィンランドとの戦争においてスウェーデンのエーリック王が青空を金色の十字架が横切るのをみたことに由来する。これによってエーリック王は戦争に勝利した。

 また正式な国旗ではないが北アイルランドの国旗の中央に赤い手があるのが見える。

ある戦いのさいに、軍の隊長が「一番最初に征服地の大地にタッチしたものに、もっとも多くのほうびをやる」と宣言した。 征服軍はなだれをうって上陸を開始し浜辺に殺到した。

この時、上陸に出遅れたある戦士が「このままでは一番のほうびはもらえない」と悟ると、とっさに剣を抜き自分の右手を切り落とし、それを浜辺に投げた。

彼の手は誰よりも早く征服地に”タッチ”したので、彼が一番のほうびをもらったという伝説がかの国にはあり、血で染まった右手が北アイルランドの象徴となったそうである。

 歴史をふまえれば、こうした由来を持つ国旗があることに特別驚きもしないし、またそういう国旗があることに充分理解を持つべきだと思う。

ただ、これら国旗に比べれば、日の丸の由来は随分とおだやかなのではないだろうか。

日の丸を素直に見れば太陽を象徴化したものとしか言いようが無いし、少なくとも日の丸から戦争賛美とか、民主主義の否定といったものを連想するのは相当な無理がある。

そもそも「日の丸はデザインが不適切だから変更しなさい」と外国から抗議を受けたとは聞いた事がない。

古来より農耕民族であった日本人にとって太陽は恵みの象徴であっただろうし、その太陽を国旗に取りいれるのは自然の事だろうと思う。

ちなみに明治時代に日の丸のデザインを売ってくれと申し出てきた外国があったそうである。 またバングラデッシュパラオなど日の丸から影響を受けてできた国旗もある。

よって日本人が日の丸をなんら恥ずかしいと思う必要は無いし、日の丸ほど日本と日本人にとってふさわしい国旗はないのではないかと思われる。

つづく

日の丸・君が代について考える(その1)

  • 2005/04/02(土) 15:51:44

 外交などの国際的でフォーマルな舞台で欠かせないのが国旗・国歌であるが、毎年卒業式のシーズンになると教師や生徒による日の丸ひきずりおろし事件や、君が代演奏拒否、起立拒否事件などが新聞をにぎわせる。

http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20050331-00000228-mailo-l34


そこで今回は外交からちょっと離れて、日の丸・君が代と国旗・国歌について考えてみる。

 日の丸・君が代がからんだ前述の事件の是非を結論から言えば、問題があるのはたいてい教師達の方である。

確かに日の丸・君が代を自分の国の国旗・国歌として認めるかどうかは各人の自由である。 だから「日の丸は国旗ではない」と考える人は心の中でそう思っていればよいし、「君が代を認めない」という人は歌わなければよいだけの話だ。

 しかし、この教師達が問題なのは、国旗・国歌を侮辱したり、君が代を歌わせないよう周囲の人に強要するという点にある。

つまり彼らは日の丸・君が代を国旗・国歌として認め、尊重している人達の心を傷つけ、君が代を歌いたいという人の権利を著しく侵害しているということだ。

たとえば君が代の演奏を拒否する音楽教師が必ずといって良いほど出てくるが、その音楽教師が演奏しなければ君が代を歌いたい人が声を揃えて歌えない。

(「君が代を歌いたい人なんてゼロに決まっている」という見苦しい言い訳は単なる問題のスリカエである。)

とりあえず君が代を演奏して、歌いたい人は歌えば良いし、歌いたくない人は黙っているというのが健全な民主主義である。

しかし、この音楽教師が君が代を歌うかどうかは本人の自由にしても、歌いたい人の自由まで奪うのはファシズムであって教師にそんな権利は無い。

そもそも公立学校の音楽教師は、生徒に国歌を教えるのも重要な仕事のひとつとして市民の税金で養われているのであって、そんなに君が代の演奏がイヤなら、国歌を演奏せずに済む私立学校でもみつけるか、他の職業につくべきである。

たとえるなら鉄道会社の運転士募集広告に応募しておいて、「電車を運転させられたから謝罪と賠償を要求する」とわめくようなものだろう。
お門違いもはなはだしい。

 また日の丸をひきずりおろしたり、破って火をつけたり、君が代の演奏中に起立しなかったりして、国旗・国歌に対して敬意を表さないどころか、侮辱するような行為をはたらく教師も過去に存在したが断じて許されないことだ。

たとえば外国の国旗が掲揚され・国歌が演奏されていたとする。
この教師達の論理からすれば、「自分の国の国旗・国歌ではないから、旗をひきずりおろして火をつけたり、起立を拒否して侮辱してもよい」ということになってしまう。

このような馬鹿げた考え方が許されるはずが無い。

日の丸・君が代についてもこれは同じで、少なからぬ人が日の丸・君が代を大切に思い敬意を表している以上、(サッカーW杯予選の埼玉スタジアムの多くの日の丸、スタジアム全体による君が代合唱を見た方も多いと思う)日の丸を認めないと心の中で思い、君が代を歌わずとも良いから、黙って起立し国旗・国歌に敬意を表するというのが健全な民主主義である。

たとえ教師であっても日の丸・君が代を侮辱して、他人に不愉快な思いをさせる権利までは無い。

これはなにも日の丸、君が代にかぎらない。
どこの国の国旗が掲揚されようと国歌が演奏されようと、起立しつつ静粛にして敬意を表するというのは国際マナー・国際常識である。

 こういう事件をおこす教師達に共通するのは「自分たちは絶対正義だからどんな非人道的な事をしても許される」といった傲慢な姿勢である。

だから他人の自由や権利を侵害し、侮辱行為で人権を損なうようなことをして平気な顔をしているのであろう。

自分の自由・権利だけを主張して、他人の人権を傷つけても何とも思わないような連中、国際化がすすむこの時代に、基本的な国際マナーさえ身についていないような連中が、子供の教育という重責をになっているのかと考えると空恐ろしくなってくる。

教師というのは知識人層であると思っていたが、こういう事件を耳目にするたびに、日本の知識人層の劣化と退廃を感じずにはおられない。

つづく