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第27回 華夷秩序は復活するか?

  • 2006/07/29(土) 01:23:39

前回、「中国がアメリカやEUの助けを借りなくても、自力で発展できるようになった時、そして中国が政治・軍事・経済で世界一になるようなことがあれば、中国が世界に遠慮する必要はもはやなくなる。 そうなれば中国は自らの国益のためにアメリカやEUさえも力ずくでねじ伏せにかかるだろう」と言った。

 それでは、もし中国が政治・軍事・経済の各分野で世界一になるようなことがあった場合、国際社会はどんな姿になるのであろうか。

その重要な手がかりが、二千年以上に及ぶ東アジアの歴史に残されている。

 現在の国際関係のベースは、17世紀以降の近世ヨーロッパで形作られた。

具体的に言えば、ドイツ三十年戦争(1618~48)の帰結としてのウエストファリア会議の開催以降、経済力や軍事力などを含めた国力の大小はともかく、たてまえとして主権国家同士は対等・平等とされ、条約や国際法が主権国家同士の関係を規定するような国際関係が徐々に形成されていき、二度の世界大戦を経て現在のような姿に発展していった。

帝国主義の時代では、欧米列強による侵略と世界分割が行われ、列強の植民地とされた地域や被保護国には、主権国家としての権利は与えられなかったが、20世紀以降かつての植民地・被保護国のほとんどが独立し、「主権国家同士は平等」という現在のような世界秩序が形成されていった。

ところが、東アジア世界では遠い紀元前の昔から19世紀の終わりまで二千年以上にわたって、現在のような国際関係とは全く違う原理が支配する世界だった。

それが中華思想に基づく華夷秩序である。

 中華思想とは

「中国発祥の儒教文明・礼教文化こそ世界最高のものであり、世界で唯一かつ最高の文明のゆりかごとなった中国こそ、世界の心で、世界で唯一、文明のを咲かせた地である。

よって中国の支配者・皇帝は天下に君臨し、中国の周囲にいる文明さえ知らない野蛮な異民族に、世界最高の中華文明を与えてやる存在であり、文明を与えられる野蛮な異民族は中国皇帝に感謝し、遠くからでも中国皇帝に貢物を持ってやってくるのである」

といった、非常に差別的な思想である。

(歴史上、こういった差別的な思想は、中国以外にも存在していたが)

 この中華思想に基づいて、東アジア特有の国際関係である華夷秩序が形成された。

まず世界の中心には皇帝の居城があり、その周囲に中国の領土・正州がある。

そのまわりを都督府のような統治機関の統括下に異民族が自治を許された羈縻州(きびしゅう)が取り囲む。 代表例は唐時代のベトナム北部や内モンゴルである。

さらにその周囲には、官爵をさずけられ中国皇帝と君臣関係を結んで中国に貢物を奉げる異民族の王が支配する冊封国がある。 

冊封国の支配者は、中国のように皇帝という称号を使用することは許されず”王”を名乗り、臣従の証として中国皇帝から印章と暦を受け取り、自らの国の戸籍を提出した。 朝鮮半島はほとんどの時代、中華王朝の冊封国だった。

華夷秩序のもとでは、一応ここまでが文明が及ぶ世界である。

さらにその周囲には、中国皇帝を慕って貢物を奉げる使者を送ってくる野蛮な異民族の国・朝貢国がある。 日本やカンボジアなどがここに含まれる。

そしてその外側には、中華文明が全く及ばず、中国に敵対する極めて野蛮な異民族が住む対敵国がある。 モンゴル、チベット、大食(イスラム帝国)、ローマ帝国など欧州諸国などがそれである。

これが華夷秩序の支配する世界である。

 華夷秩序というのは、もちろん中国人自身が考え出した世界観であって、必ずしも現実とは一致していなかったし、周囲の異民族もそうした世界観を受け入れるとは限らなかった。

その時代における中国自身の国力の大小によって、同じ国が羈縻州であったり冊封国であったり朝貢国となったりと変化し、冊封国といっても中国皇帝と王の君臣関係は象徴的なもので、中国皇帝の支配力が臣下である王に全く及ばないこともあった。

たとえば朝鮮半島の場合、中国が強大だった紀元前1Cの漢の時代、武帝に征服されて楽浪郡など四郡を置かれたころは羈縻州のようなものであったが、中国が分裂し弱体化した4C後半の広開土王の時代の高句麗は、中国の支配を離れて対敵国となり、13世紀にモンゴル(元)に征服された高麗は冊封国となった。

また、中国自身が衰えれば周辺国に攻め込まれて冊封国や羈縻州を失い、中国本土さえもが異民族に征服されることもあった。

この世界では国家や指導者同士の対等・平等は全く保証されておらず、唯一の文明国である中国とその支配者・皇帝が絶対上位で、その他の国とその支配者・王は絶対下位という極めて不公平な関係が固定化された世界であり、中国以外の国同士の関係では、民族固有の文化を捨てて中国文化を忠実にコピー(徳化)した国ほど上位に来るという世界である。

 それでは華夷秩序という思想の典型的な例をあげてみよう。

以下は、清帝国第六代・乾隆帝からイギリス国王ジョージ三世への国書の一部である。

「汝(ジョージ三世のこと)の大使が自分の目で確かめたように、
朕(乾隆帝)は(この世の)全てを所有して余すところがない。」

「王よ(ジョージ三世のこと)、お前は心から文明を求めているようだ。
お前は使節を送って深く頭を垂れ、朕の誕生日に際して国書を差し出し祝辞を述べた。また、お前の国の産物を献上することで、よく誠意を示してくれた」

 次は中国文明を熱心に模倣し、大中華(中国)に対して小中華を自称した、朝鮮王国における例である。

52ページ 「ヨーロッパは文明の中心地つまり中華帝国からあまりにも遠い。したがってロシア人、イギリス人、フランス人、ドイツ人とベルギー人は人間というよりもずっと鳥や獣のように見える。彼らの言語は鳥がちゅんちゅん鳴くように聞こえる。」
「キリスト教なるものは卑俗、浅薄で間違っている。下劣な野蛮人の慣習の一例である。」
42ページ 「キリスト教はその野蛮な教えで世界を汚染しようと努めてきた。その天国と地獄物語で大衆をだましている。」
50ページ 「中華帝国は、なんと壮大で光栄なことか!中華帝国は世界最大で一番豊かである。世界の最も偉大な人物は全て中華帝国の出身であった。」

(朝鮮王国学部大臣 申箕善編集 「儒教徒の緯度と経度便覧」
1896年 )

 中華思想と華夷秩序のもとで中国は、中華文明とは異質の文化を持つ外国を徹底的に蔑視してきたが、逆に外国の支配者が、中華文明の優越性や自国より中国の方が上位であり中国皇帝に臣下の礼をとることを認めた場合には、非常に寛大な姿勢を示した。

中国の優越性を認めた外国と中国の間の交易では、「世界で唯一かつ最高の文明国の支配者である中国皇帝は、周辺の野蛮な異民族の支配者に寛大なところを見せなければならない」ということになっていたため、中国との交易を望む者は、献上した物より何倍もの価値がある中国皇帝からの返礼品を期待できた。

 このように超大国・中国が絶対上位でその他の国が絶対下位という関係が固定された秩序である、華夷秩序が、二千年以上の長きにわたって東アジアの国際関係を規定してきた。

その華夷秩序に思わぬ挑戦者が現れた。欧米の帝国主義列強である。 彼らのアジア進出によって華夷秩序は大きく揺らいだ。

1876年にコーカンド・ハン国が併合されたのを最後に、清に朝貢していた西トルキスタン諸国をロシアに制圧され、1885年に清仏戦争に敗れて清はベトナムの宗主権を失い、1886年までの3度に及ぶ戦争でイギリスが清の朝貢国ビルマ(ミャンマー)を手中にした。

冊封国・朝鮮は華夷秩序の最後の砦であったが、それにトドメを刺したのは日本だった。

日本はほとんどの時代、中国皇帝の支配下に入ることを潔しとせず、日本の支配者は、中国皇帝の臣下を意味する王ではなく天皇を名乗るなど、日本人は中国からすれば常にナマイキな蛮族だった。

19世紀に産業革命を達成して、日本はアジアで初の近代的な立憲国家となった。

その日本と戦った1894年の日清戦争で清はあっけなく敗北し、華夷秩序の最後の砦・朝鮮の宗主権を失った。

その後の中国は、辛亥革命と国民党政権を含む軍閥割拠の時代、日中戦争、国共内戦、中国共産党独裁体制の成立という流れになるが、清帝国の没落や戦乱・共産主義の誤った政策によって、すっかり国力が衰えてしまった。

 しかし90年代の改革開放政策によって中国は飛躍的に経済力・軍事力を高め、21世紀になり日本と並ぶアジアの大国として蘇りつつある。

これによって中国が100年ぶりに華夷秩序を復活させられる条件がそろったわけだ。

 現在の中国は一見近代国家のようではあるが、北京にいる皇帝(国家主席)が宦官(共産党官僚)の助けを得て、藩鎮(地方勢力)を牽制しながら広大な中国を統治するという具合に、統治システムにおいて、かつての専制王朝と大差ないのが非常に懸念される。

また、ウイグルやチベット・内モンゴル自治区や朝鮮族自治県のような植民地・羈縻州を統治し、北朝鮮やミャンマーといった”属国”を周辺において寛大な条件で援助を与えているし、”中国の偉大さ”に敬意を払う東南アジア諸国や中央アジア諸国にも心の広いところをみせる。

中国は”平等互恵”という言葉を好んで使用するが、この言葉が適用されるのはこうした国々だけで、かつての華夷秩序を彷彿とさせるものだ。 

 そして”中国の偉大さ”に敬意を払わず、従おうともしない日本に対してだけは牙をむき、中国は力ずくで日本をねじ伏せて、華夷秩序に従わせようとしているようにみえる。

日本は100年前に”栄光の華夷秩序”にトドメを刺した張本人であり、19世紀末からの日中間の歴史を思い出しては、中国は日本に深い恨みの眼差しを向ける。

92年の今上陛下の訪中時、中国側は陛下に印鑑を贈ろうとしたことがあったという。 これは外務省関係者のとっさの機転で断ったと聞いたが、受け取っていたら大変なことになっていた。

前述のように華夷秩序においては、中国の都へ行き、中国の支配者から印鑑を下賜されるということは、中国の支配者の臣下になるという意味を持っているからである。

長いこと日本は中国に対する大援助国だったが、中国側は日本からの援助をたいてい合作と呼ぶ。 ”援助”なら文字通り助けてもらうことだが、”合作”だと日本と中国が共同で何かを成し遂げるというニュアンスが強い。

”下位の日本”が”上位の中国”を助けるといった事実を受け入れることは、中国人として絶対に認められないということだろう。

また、近年日中関係の焦点のひとつとなっている靖国問題に代表されるように、中国の指導者はあたかも自らの征服地の住民に接するような態度で、日本に内政干渉を繰り返す。 歴史問題でも「文明国である中国が野蛮で憐れな日本に正しい歴史を教えてやる」といった態度だ。

もしこうしたことがなくなるとすれば、それは日本が”中国の偉大さ”に敬意を払い、中国が絶対上位で日本が下位という国際秩序を受け入れた時か、再び中国の国力が大きく減衰したときだけかもしれない。

 今現在は、日本と中国の力関係は拮抗した状態にあり、それだけに日中間の摩擦は激しいものになっている。

中国が共産党独裁体制つまり北京の”皇帝”や”宦官”たちによる専制政治を維持したまま国力を増大させて、日本や独・仏・英といったEU諸国をはるかに上回るパワーを手に入れ、ついにアメリカと匹敵する大国となるような事態が現実のものになると、将来、深刻な危機が発生する可能性がある。

日本が中国にひれ伏すようなことがあれば、東アジアにおける華夷秩序は100年ぶりに”完全復活”し、中国に逆らえる国はなくなるだろう。

それによって中国は、地域内において外交的フリーハンドを持つアジア一の大国になるという悲願を達成する。 台湾を併呑したり、東・南シナ海を中国の内海とするのも容易になるだろう。

そして中国が世界一の大国となり、華夷秩序をアジアだけでなく欧州やアメリカ大陸といったアジア世界以外に広げることに成功すれば、「主権国家同士は対等・平等の権利を持つ」という現在の国際秩序は破壊されることになる。

日本や欧米の研究者は、二千年以上の歴史を持つ中華思想や華夷秩序について、もっと注目すべきではないだろうか。

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第26回 中国の国家戦略

  • 2006/04/16(日) 04:04:13

 このシリーズの締めとして、これまで中国が取ってきた国家戦略を振り返り、日本や自由世界がどう対応したらよいのかを考えていきたい。

 中国を21世紀に突然現れた、これまでとは全く新しい経済発展モデルのように見ている人もいるかもしれないが、それは正しくない。

 東アジアの経済発展は、近代日本から始まった。

明治新政府には、それまで近代的な産業基盤をほとんど持たなかった日本に、民間企業が自然と育ってくるのを待つ余裕はなかった。

そこで明治政府は、日本に近代産業をおこし経済をテイクオフさせるために、自らの独裁権力を使って、資本・人的物的資源・技術を特定の分野に投入して、民間企業の模範となる官営工場を設立した。(いわゆる殖産興業政策)

この策が見事に当たって産業革命に成功し、日本はアジアで最初の近代国家となったのは、皆さんよくご存知の通りである。

これは”開発独裁”と呼ばれる経済発展モデルであるが、少なくともアジアで最初に、開発独裁を導入して経済発展を遂げたのが日本だったのである。

(もしかしたら、開発独裁を発明したのは日本人かもしれない)

第2次大戦に負けて日本は民主化され開発独裁モデルは放棄されたが、戦後日本の奇跡的な経済成長にもその影響は残った。

 1960年代の後半あたりから70年代はじめにかけて、台湾・香港・シンガポール・韓国のいわゆる”アジアNIES”諸国が経済発展を開始するが、これらの国や地域も輸出主導型の開発独裁モデルを導入することで、経済のテイクオフを成功させた。

90年代からは、タイ・マレーシア・インドネシア・フィリピンなどのASEAN諸国が開発独裁モデルで経済発展を開始し、「これからはアジアの時代」と言われた。

 そして中国である。

中国は1992年から”社会主義市場経済”の名のもとに、天安門事件で一旦ストップした改革開放政策を再スタートさせるが、中国がとった改革開放政策もまた、開発独裁モデルに他ならなかった。

中国の工業は、日本が満州(東北地方)に残していった重化学工業を基盤としてスタートし、それらを社会主義計画経済に組みいれて、国有企業中心に経済発展をはかろうとした。

しかし、他の社会主義国と同様に計画経済は失敗。 
中国の国有企業は資本も乏しければ技術でも世界に太刀打ちできず、豊富にあるのは人間だけといった状況であった。

 小平を中心とする中国共産党はこのような事態を打破するために、社会主義計画経済から資本主義経済へと政策を転換した。

そして、金も技術も無いが、人口だけは世界一という唯一の利点を生かし、「十億人の広大な市場」をエサに外国から資本とすぐれた技術を中国に呼び寄せた。

だが「十億人の広大な市場」という看板とは裏腹に、外国企業に対して中国市場を全面的に開放するようなことはせず、

多くの場合、外国資本と中国企業の合弁という形をとって、外資の技術や経営ノウハウによって中国企業の競争力をアップさせ、国内企業が充分育成されてから慎重に市場を外資に開放する一方、こうして力をつけた中国企業が工業製品を世界中に輸出することで持続的な経済発展を可能にする政策を取った。

これが中国の開発独裁モデル・改革開放だった。

 ただ、中国の開発独裁と、台湾や韓国など他のアジア諸国のそれとは、違う点もある。

それは、中国共産党が牛耳る中央・地方政府から権限を委譲された持ち株会社が、大銀行や巨大企業グループの株式を支配し、共産党があたかも一つの巨大な独占金融資本となっていることである。

この意味で、19世紀末から20世紀はじめにかけて出現した帝国主義段階の国にそっくりであり、「中国は100年遅れでやって来た帝国主義国家」と言えるのかもしれない。 

 しかも中国は、日本からASEANに至るまで、経済発展におけるアジアの先輩達をよく観察していた。

日本経済が発展するにつれて、1ドル=360円からスタートした円もどんどん切りあがり、85年のプラザ合意の時に1ドル=約240円、その後も年率20%でドルに対して切りあがっていき、88年には1ドル=約120円となり、円高がピークとなった95年にはとうとう1ドル=79円まで切りあがった。

現在は1ドル=約117円まで戻しているが、バブル経済の崩壊を経てすっかり日本経済は伸び悩むようになった。

また、70年代から80年代にかけて断続的に発生したオイルショックは、しばしば日本の経済成長の足を引っ張った。

97年にはアジア通貨危機が発生し、タイやインドネシア・韓国などアジア新興工業国から資金が急速に海外へ逃げて、各国経済に大打撃を与えた。

 これらのことを教訓として、中国共産党政府は永遠の経済成長を達成するために、中国の輸出競争力を下げる要素は一切排除することを決意した。

それは、通貨の切りあげ・資本の急激な移動・物価上昇・エネルギー供給不安である。


 まず中国政府は、どんなに中国経済が発展しても、あらゆる手段を使って通貨・人民元がドルに対して切りあがるのを防ごうとしている。

最初は人民元をドルに対して固定相場とし、世界からの非難が強まると通貨バスケット制として世界の目をごまかし、ドル買い介入を続けて人民元の対ドル切りあげを遅らせている。

そして人民元と外貨の交換を制限し、資本の自由な出入りを規制して、97年のような通貨危機の発生を防いだ。

中国経済の発展がエネルギーショックで止まらないように、独裁国家として非難されているイランやスーダンを含む世界中から石油や天然ガスをかき集め、
それを国際市場に通さず中国本土へ送り込むことで、国際価格より安く供給することに成功した。

石油や天然ガスのみならず、さまざまな生活必需品を政府が価格統制したり、戸籍制度を利用して労働力の自由な移動を制限することで、物価や人件費の高騰をできるだけ抑えた。

こうした一連の政策によって輸出競争力が減退しないよう中国は必死になっている。

 こうした政策は今のところ成功しているがその代償として、様々なひずみを世界へと輸出しているとも言える。

資源のがぶ飲みは、エネルギー価格を高騰させて世界各国にインフレ圧力と金利上昇懸念を与えているし、物価と人民元の対ドル相場のコントロールは、安価な中国製品を洪水のように世界に輸出する原動力となっている。

「中国が安価な商品を輸出しているおかげで、エネルギー価格の高騰とインフレを相殺しているのだ」という中国政府の主張は、全くの詭弁である。 中国が過剰投資ぎみに大量の工業製品を生産しているから、エネルギー価格が高騰しているのであって、中国の主張は言わばマッチポンプだ。

(これで一番割を食っているのがアメリカ政府だろう。 自動車が不可欠のアメリカで、ガソリン価格が上がったといっては国民の大統領支持率が下がり、中国との貿易赤字が増えたといっては議会や企業から叩かれる。)

 そして中国政府が一番恐れているのが、世界で”中国脅威論”が巻き起こる事である。

中国が経済発展を続けていくためには、外国からの資本と技術の流入、中国製品を売りこむ海外市場が不可欠だ。

もし、”中国脅威論”が巻き起こって、警戒した外国が高度な産業技術や経営ノウハウを中国に渡すのをストップし、外国市場から中国製品が締め出されれば、中国の経済発展は行き詰まる。

だから、アメリカやEUのように、中国が欲しい高度な技術を持ち中国製品の市場となっているような「自分たちより強い国」には、欲しい物が手に入るまで、ひたすら低姿勢を貫いているが、

日本や台湾・ベトナムのように、中国が「互角か自分たちより弱い。」と感じた相手が自分の思い通りにならなければ、力ずくでねじ伏せにかかる。

中国がアメリカやEUの助けを借りなくても、自力で発展できるようになった時、そして中国が政治・軍事・経済で世界一になるようなことがあれば、中国が世界に遠慮する必要はもはやなくなる。 そうなれば中国はアメリカやEUさえも力ずくでねじ伏せにかかるだろう。

その意味で「中国が世界一になるまでは”中国脅威論”が巻き起こるのを細心の注意を払って阻止する」というのが、中国にとってもっとも重要な戦略と言えるのである。

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第25回 東郭先生と中国人

  • 2006/04/14(金) 23:51:00

 皆さんは”東郭先生とオオカミ”という話をご存知だろうか?

中国に古くから伝わる昔話で、中国人によく知られた話なのだそうだ。

この昔話は、中国人の文化的特徴が見事に表されている話なので、皆さんにご紹介したいと思う。 よく知られた話であるせいか、”東郭先生とオオカミ”には、いくつかのバージョンがあるが、だいたいこんな話だ。

 むかしむかし、中国のある所に東郭先生という読書が好きな文人がいました。

ある日、東郭先生がロバに乗って出かけると、突然一匹のオオカミが現れました。

オオカミは、「私は今、猟師に追われています。 もしつかまれば、私は殺されてしまいます。どうか助けてください。」と東郭先生に懇願しました。

東郭先生は、本が入っていた袋にオオカミを入れてやり、袋の口をしばりました。

まもなく猟師がやって来て東郭先生に言いました。「こちらへオオカミが来ませんでしたか?」

「いいえ。こちらには来ませんでした。どこか別の方角へ行ったのでしょう。」と東郭先生は答えました。

猟師は東郭先生の言葉を信じて行ってしまいました。

猟師の姿が見えなくなると、東郭先生はオオカミを袋から出してやりました。

オオカミは「東郭先生は良い人ですね。」と言いました。

オオカミはさらに続けて言いました。「ところで、私は今お腹が減っていて仕方ありません。 東郭先生、あなたは良い人なのだから、食べさせてください。」

東郭先生が「私は善人だからオオカミに食べられた方が良いのだろうか?」と考え込んでしまったその隙に、オオカミが襲いかかってきました。

東郭先生は襲ってきたオオカミに抵抗しつつ、「どうしたらよいか、他の人の意見を聞いてみようじゃないか。」と言うと、とりあえずオオカミは納得しました。

そこへ1人の農民がやってきました。

そこで東郭先生は、これまでのいきさつを農民に話したのですが、オオカミは「東郭先生が私の命を助けたなんてウソだ!」と叫びました。

農民が「本をいれるための袋にオオカミが入れるわけがないじゃないか。」と言うと、オオカミは「そんなの軽い軽い。」と言って、得意になって袋に入ってみせました。

農民はすぐさま袋の口をぎゅっとしばると、持っていたクワでオオカミを叩き殺してしまいました。

びっくりした様子でこれを見ていた東郭先生に農民は言いました。

「性根が腐ったケダモノが心を入れ替えるなんて事は有り得ません。 先生、悪者に情けをかけるなんてバカのする事ですよ。

 この昔話は、中国社会で生きていくための教訓として、「他人を簡単に信じてはいけないし、悪いヤツはやさしくしたり情けをかけたりしても、心を入れ替えて善人になることは絶対に無い。 だから、悪者は絶対に許さずに完全にやっつけなければならない。」といったような事を言っている。

まさに低信頼社会型の人間の考え方である。

 この話の登場人物を東アジアに当てはめると、こうなるだろう。

命の恩人である東郭先生をウソをついてまで食べようとしたオオカミは、中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国。

たとえ相手が悪人でも、簡単に他人を信用して「オオカミに食べられるのが善人だ。」とさえ考えてしまうような、お人好しの東郭先生は日本。

そして、相手が悪人だと思ったら絶対に許さず、情け容赦なく殺してしまい、悪人を信用したり情けをかけたりした東郭先生(日本)をバカ者と考える農民も、中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国である。

 ”東郭先生とオオカミ”の話が教えてくれるように、中国人(韓国人)は自分と同じ民族・中国人(韓国人)を、まずオオカミだと思って疑いの目で見て、実際に悪いやつだと思ったら、一切情けをかけることなく徹底的に叩きつぶそうとするし、そうするのが正しいことだと多くの人が信じて行動している。 

(この場合、相手が本当に悪いかどうかは本人の判断・感情で決定する。中立的な第三者の意見はあまり関係無い。)

だから、”悪者”はたとえ死んでも許されず、墓をあばいたり、もう死んでいる”悪者”の石像を作ってそれに皆でツバをかける。 ”悪者”本人だけでなく、血のつながった親戚や子供・孫まで処刑しないと気が済まないのが儒教文明の人たちである。

まして”悪者”が外国人なら、不信と報復はいっそう激しくなるだろう。

 しかし、日本人は死んだ人間の魂の善悪など考えず寛大に取り扱い(神道)、「善人に往生をとく、いわんや悪人をや」(善人が極楽浄土へ往生できるのだから、悪人ならなおさらできる。by親鸞聖人)とさえ考えるのが、日本文化というものである。

だから、中国人や韓国人は靖国問題や日本の神道・日本文化の本質が、全く理解できないのである。

 中国人は「日本と中国は文化がよく似た一衣帯水の関係にある。」とよく言うが、完全に間違っている。

独自の文化を持つ日本と中国・韓国・北朝鮮の儒教文明三カ国は、東郭先生とオオカミ・農民ぐらい考え方が違う。文化的に正反対と言っても過言ではない。


 こんどは日本人の視点から見てみるが、同じ民族である中国人(韓国人)同士でさえ、相手をオオカミだと思って信用せず、悪いヤツは絶対に許そうとしないのに、東郭先生(日本人)は、オオカミ(悪い中国人や韓国人)をいとも簡単に信用しがちだ。

もしくは、「オオカミ(悪い中国人や韓国人)になっているのは何か理由があってのことだから、それが解消されたら、オオカミはいつか自分たちと同じ東郭先生に戻るのだ。 だから悪いオオカミをまず許してやることが大事だ。」と固く信じているのである。


 戦後の日本が中国・韓国・北朝鮮にどんなに援助しても、この三カ国は、命の恩人を食おうとしたオオカミのように、ウソをついて援助の事実を国民に隠し、今も日本の主権を侵害し損害を与え続けている。

ガス田問題・竹島問題・拉致事件しかりである。

断っておくが「過去の歴史のせいで中国は一時的にオオカミになったのであって、ちゃんと謝罪すれば東郭先生に戻る。」というのも間違っている。

だったら、過去の歴史など関係の無いベトナムやフィリピンの領土を、なぜ中国はオオカミのように奪ったのか?

 東郭先生の話が教えているように、ケダモノであるオオカミは、どこまで行ってもオオカミなのであって、相手を簡単に信用せず、悪い事をしたら絶対に許さずに、断固とした対応を取ることが重要なのである。

(それで成功したのがシンガポール)

 これまで日本人の多くは、自分と姿かたちが似ているとか隣の国だからといった理由で、中国(韓国・北朝鮮)は東郭先生だと勘違いしていた。

だが、現代の中国(韓国・北朝鮮)で東郭先生や孔子のような”聖人君子”は、ほぼ絶滅したと考えた方が良いだろう。

しかし「中・韓・朝の三カ国は絶対に正しい」と考えがちな、お受験秀才出身の官僚・政治家・外交官の多くは、中国の古典の読みすぎなのか、そうではなかった。

(東大卒の官僚出身で中・韓にひたすら従えと主張する宮澤喜一・元首相は、中国古典の知識では随一と聞く)

こうした人たちが「中・朝・韓は東郭先生だから信じられる。」という妄想を抱き、それが壊れそうになると「中・朝・韓は今はオオカミかもしれないが、いずれ冷静さを取り戻して東郭先生に戻る」とさらにひどい妄想にふけり、

それさえも崩壊すると、あげくの果てに「オオカミに食べられてやるのが善人であり、東郭先生こそが日本がめざす道だ。」と言って外交を主導してきたから、さんざん日本の国益を損ない、日本国民は苦しめられ、現在のようなひどい状況に陥っているのである。

しかし、”東郭先生”の話が教えるように、多くの中国人(韓国人)は、そうした日本人のように「東郭先生を目指そう。」なんてこれっぽっちも考えておらず、抜け目無くオオカミを叩き殺した農民になる方を選ぶ。

むしろ、この話の教訓としては「悪人を簡単に信用したり、情けをかけたりした東郭先生はバカだ。ああなってはいけないよ。」ということを言っているのであり、農民ではなく東郭先生を目指す日本人を見たら、中国人の多くは、心の中でせせら笑う事だろう。

そこに、中国人(韓国人)と、彼らを理想化して疑うことを知らない中国(韓国)大好き日本人との間の、決して越えられない深いミゾがある。

 クロフネは、すべての日本人に”東郭先生とオオカミ”の教訓を知ってもらいたいと考えている。

なぜなら、”東郭先生”の話は、中国人が中国人に教える、中国人とのベストのつきあい方なのだから。

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オオカミがさっそく次の獲物を狙っている?

◆東シナ海の中間線の日本側を、中国が掘削計画 

 日本も中国と共同調査なんて、のんきなことを言ってないで、どういう理由であれ中国による中間線の日本側の調査を拒否せよ。

ましてや、日本が建造した地球深部探査船”ちきゅう”を中国に使わせるなんて、もってのほか。

これぞ命の恩人でさえ食おうとするオオカミのやり方ではないか?


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第24回 ”Total Victory”の妄想にとりつかれた中国

  • 2005/12/30(金) 22:41:34

 ”Total Victory”(トータル・ビクトリー)という考え方をご存知だろうか? 

”全面勝利”もしくは”全体勝利”と日本語訳されるが、それは「戦争の勝利者が敗者を、心の内面を含めて全面的に屈服させることは可能である。」とする観念、と定義づけられると思う。

これに、歴史や国際問題すべてを善と悪の関係で見ようとする”道徳家的アプローチ”が結びつくと、以下のような考え方に往々にしておちいりやすい。

「戦争に勝った側は絶対的正義、つまり”神”であり、戦争に負けた方は絶対悪、つまり”悪魔”である。 だから”神”である戦争の勝利者は、”悪魔”である敗者を徹底的に屈服させなければならないのであり、またそうなるのが当然である。」

 アメリカの有名な外交官である、ジョージ・F・ケナンはこの”全面勝利”という考え方を批判してこう言っている。

「私は、過去においてさえ全面勝利は勝利者の立場から見て、一つの幻想ではなかったかと思う。 ある意味では、人の心を征服しない限り、全面勝利というものは、相手国民を全部殺戮する以外にないわけである。

ところが、軍事的な全面勝利が人の心に対する勝利であることは稀にしかない。 そこで我々は、新たな世界戦争において軍事的な全面勝利が可能であるということは非常に疑問であるとの事実に直面するのである。

私はそのような可能性があるとは信じない。 交戦国のいずれか一方の軍事力が非常に弱体化するにしても、一方の側の国民的意思の全般的一律的屈服というようなものがあり得るということは、問題にならないと思う。

しかしながら、かかる実現不可能な目標を達成しようとする試みは、第一次および第二次世界大戦の惹起したと同様の重大な危害を文明に加える事となろう。」
(略)
「私は率直に述べるのだが、全面勝利という観念ほど、危険な妄想は無いのであり、過去においてこれほど大きな害を及ぼしたものはなく、将来においてもこれほどさらに大きな害毒を及ぼす惧れのあるものは無いと思うのである。」

(American Diplomacy 邦題アメリカ外交50年より)

 私はケナンのすべての主張を支持するわけではないのだが、この全面勝利についての彼の批判は的確だと思う。

戦争の勝利者が「敗者の身も心も全て従わせ、自らの完全な支配下に置かなければならない。」とこだわり続けることほど、世界に害を与えるものは無いだろう。

 実は第二次世界大戦勃発の原因のひとつは、第一次大戦に勝利した英・仏などの連合国側がこの全面勝利論と復讐心にとりつかれて、極めてまずい戦後処理を行った事にあった。

第一次大戦は、英・仏・露の三国協商と独・墺・伊の三国同盟の領土・植民地拡張争いから勃発したものであって、どちらかが全面的に正しかったとか間違っていたとかいうことではなかった。

 しかし、戦争に勝利した英・仏は、「第一次世界大戦の戦争責任はすべて戦争に負けたドイツやオーストリアにあるのであって、彼らが全面的に悪い。」という論理によって、ドイツ・オーストリアなど敗戦国を一方的に悪と決めつけ、全面的に従わせようとしたのだった。

戦勝国側は、オーストリア帝国の領土を切り刻んで縮小し、ドイツに対しては領土の縮小のみならず、当時のドイツのGNPの数十年分という過酷な賠償金まで課した。(英・仏が戦争で巨額の債務を抱えていたせいもあるが)

 戦争で経済がメチャメチャになったドイツに、英・仏の課した過酷な賠償金が支払えるはずもなく、支払不履行になるのは時間の問題であった。

そして実際ドイツからの賠償金支払いが滞ると、フランスは借金のカタにドイツの大工業地帯であるルール地方を軍隊で占領して差し押さえをした。

 これでドイツ経済の破滅は決定的となった。

通貨マルクはハイパーインフレに陥り、ドイツ国民は、かばんいっぱいにつめこんだマルク札をかかえて、右往左往しなければならなくなった。

とうとう千億マルク札が発行されたり、カフェでコーヒーを飲んで勘定を済ませようとしたら極度のインフレによって、店に入っていたわずかの間に代金が倍になっていたという逸話さえ残っている。

また、ドイツ国民を悪人とみなし、戦勝国側の国民がドイツ国民に対して優越感にひたるような風潮がヨーロッパの一部に広まり、ケナンによれば第一次大戦が終わっておよそ十年が経ってもなお、スイス・ジュネーブのあるゴルフ場では、「ドイツ人は入るべからず」の看板が立っていたという。

 こうした英・仏の復讐はドイツ国民に当惑と深い恨みを残した。 このドイツ国民の心のスキにつけこんだのがヒトラーとナチスである。 ヒトラーの魔術に魅せられたドイツ国民は、選挙で合法的にナチスに権力を与えてしまったのだった。

 だが、だからといって私は英・仏政府やドイツ国民を責めるつもりはない。
第一次世界大戦という人類史上初の最悪の大戦争をうまく処理できるほど、人類は賢くはなかったのである。

最初の世界大戦のまずい戦後処理が一因となって、ナチスの台頭を許し、それが第二次世界大戦へとつながってしまった。

 そして第二次大戦が終了した時、戦勝国である米・英などは、二度目の世界大戦の原因のひとつとなった全面勝利論の愚かを悟り、世界大戦を三度繰り返さないよう、細心の注意を払って戦後処理を行った。

アメリカを中心とする戦勝国側は、敗戦国である日本やドイツに対しての賠償請求を最小限にとどめ、マーシャル・プランやガリオア・エロアによる援助で日・独の戦後復興を助けた。

はじめは中国も、日本からの支持を得るために国民党の蒋介石・共産党の毛沢東双方ともに、日本への賠償請求を放棄していたのである。

 ところが、歴史の教訓から何も学ばず、全面勝利論の亡霊にとりつかれた者達が出てきた。 それが戦後の中国や韓国・北朝鮮の特定アジア三国である。

 実際のところ中国も含めて、この特定アジア三カ国は厳密な意味での戦勝国ではない。 第二次世界大戦で日本軍を打ち破って東京を占領したのはアメリカである。

日本が戦争に負けた時、中国大陸には兵力100万以上の日本軍が依然存在しており、蒋介石の国民党は内陸深く逃れ、毛沢東の共産党もゲリラ戦で日本軍を悩ますのがせいぜいであった。 日本軍は中国大陸で勝ったわけではなかったが負けたわけでもなかった。

韓国にいたっては、日本と一緒になって戦争を戦っていたのであって、交戦国ですらないのである。

 にもかかわらず中・朝・韓の三カ国は「我々の軍隊は日本軍を打ち破ったのであり、我々ががんばったからアジアは解放されたのである。」といった誇大妄想に基づく歴史教育を洗脳的に自国民に施し、自らを戦勝国であり絶対的正義・歴史上の”神”とし、「中・朝・韓に戦争で負けた日本」を絶対的な悪と一方的に決めつけたのであった。

 こうなると”Total Victory”(全面勝利論)の妄想にとりつかれるのは、いとも簡単な事である。

「悪の敗戦国民である日本人は、絶対正義の戦勝国民である中国・韓国・北朝鮮人の言う事には、身も心も絶対服従しなければならないのであり、またそうしてが当然だ。日本人の口答えさえ許さない。」といった感情的な全面勝利論に基づいて、

中・朝・韓の特定アジア三国は、際限もなく謝罪と賠償金を要求し、愚かにも日本の歴史教育や靖国神社の戦没者慰霊問題といった、日本人の心の内面の服従さえ、しつこく要求し続けているのである。

 また、この問題を一層複雑にしたのは、全面勝利論の妄想にとりつかれた言動を繰り返す中国・韓国らに対して何の疑問も抱かず、

「(全面勝利論に基づいた)中国・韓国の国民感情に配慮し、それをひたすら受け入れなければ日中・日韓関係は絶対にうまくいかないのだ。」と主張して、日本の外交をミスリードしてきた宏池会に代表される”自民党ハト派”の有力者と、外務省の対中・対韓外交政策を立案・実施してきた大物外務官僚たちの存在である。

 確かに、特定アジア三国の理不尽な要求を日本の”ハト派”たちが飲んだ直後は、日中・日韓関係が一時おだやかな状態になるが、中・朝・韓はこれを踏み台・既得権益として、すぐにまた二倍三倍にふくらました理不尽な要求をつきつけて一層激しく日本を攻撃・屈服させようとし、それを日本のハト派が飲むと、再び日中・日韓関係が小康状態となる。

しかしこのようなループに終わりは無く、不毛な関係が現在まで続いてしまっているのである。

 このように、一時の小康状態の獲得を「日本外交の勝利」とする間違った成功体験から、歴史から何も学ばずに妄想にとりつかれた中・朝・韓の全面勝利論を支持する、これら日本国内の愚かなサポーターの存在は、彼らの全面勝利論外交に一層の自信と継続の根拠を与えてしまい、これによって日本の対中・対韓外交は底無し沼の混乱に陥ってしまった。

 私は中国・韓国などの全面勝利論外交ほど危険な妄想はなく、世界に与える損害は計り知れないと思う。

また、日本国内において中・韓などの全面勝利論外交を疑うことなくひたすら受け入れてきた、”自民党ハト派”と一部の外務官僚たちほど、戦後の日本で有害な連中もいなかった。


しかし今のところ中国(韓国)の妄想はとどまるところを知らず、全面勝利論外交をやめる気配は全く無い。


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