第12回 明日の中東のために
- 2005/02/17(木) 07:37:31
最後に、このシリーズをしめくくるにあたって中東での”不幸の連鎖”を終わらせる外交・安保政策を考えてみたい。
それを実現させるカギは、なんといってもパレスチナ問題の解決にあるのは論を待たないだろう。
そのためには
1.イスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区の入植地から完全撤退し、両地区をあわせて東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の建国をもってパレスチナ問題の解決とする。
2.そしてユダヤ人右派もハマスやヒズボラといったイスラム原理主義過激派も含めて双方はそれを認め、相手に対する攻撃をすべて停止する。同時にイスラエルとパレスチナ国境には国連軍がはりつき双方を監視する。
3.ユダヤの聖地・嘆きの壁とイスラムの聖地・岩のドーム、キリスト教の聖地・聖墳墓教会があるエルサレム旧市街は当面、国連もしくはそれに準ずる組織が非武装エリアとして統治し、その警察組織が治安維持に当りイスラム・ユダヤ・キリスト各教徒の聖地への自由なアクセスを保障する。
この3点が重要だろう。
これら政策の実現には多くの困難が伴うだろうが、中東で手を血で汚しておらず、イスラム側ともイスラエル側とも友好関係にある日本の果たせる役割は少なくないはずだ。
また日本が主導となって石油に代わる次世代エネルギー源の開発を世界全体によびかけ、それに成功すれば中東地域のさらなる安定に寄与しよう。
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★関連図書―もっと詳しく知りたい方は...
まんが パレスチナ問題
◆イラストで複雑なパレスチナ問題をわかりやすく解説。
第11回 ”誤爆”とその後始末(その2)
- 2005/02/17(木) 07:24:30
また前述のセム系アラブ人とは別の民族であるイラン系スンニ派のクルド人もフセイン独裁が倒れた事で今回はじめて政治に参加する権利を得た。
クルド人はイラクだけでなく、トルコ・シリア・イランにまたがって住んでおり人口はニ千万人以上といわれる”世界最大の少数民族”である。
彼らの悲願は、各国にまたがるクルド人居住地域をあわせた民族国家”クルディスタン”の建国であり、トルコ東部ではトルコ軍とクルド人ゲリラの抗争が以前から続いていた。
(湾岸戦争でアメリカに協力したトルコが、イラク戦争では逆に反対したのは、フセイン独裁という”フタ”がとれれば箱の中からクルド民族主義が出てくるからであり、それはトルコ国内での独立闘争激化という事態を引き起こすからであった)
今回の選挙で彼らは”クルド同盟”を結成して、当面はクルド人居住区の自治の拡大、そして将来的にはイラクからの分離独立と”クルディスタン”建国を狙う。
おさらいすれば一部過激派を除くシーア派とクルド人は自分達を虐げてきたフセイン政権をアメリカが打倒してくれたことを歓迎し、選挙で政治参加の道を開いてくれた事に感謝さえしているだろう。
(自衛隊がいるサマワはシーア派地域なので比較的治安が良いのである。だからこそアメリカはサマワを自衛隊担当地域に選んだわけだ。)
反対にフセイン政権下で特権を享受してきたスンニ派はそれを恨んだ。
だからアメリカ占領軍やイラク暫定政府に対してテロ攻撃をしていたのは、アメリカに恨みのある旧フセイン政権のスンニ派残党グループ、国外からイラクに紛れ込んだアル・カイダ系原理主義組織、イランとつながりの深いシーア派過激組織のサドル派民兵であり、アメリカにとっては、掃討作戦で市民を巻き添えにして国際的な非難を受けてでも、つぶさなければならない相手だったのだ。
このようにそれぞれのグループが自分達の利益のみを考えて勝手にうごめいているというのが戦後のイラク情勢だった。
そこには決して”単一民族イラク人”など存在しないのだが、日本の一部世論は「弱いイラク人を強いアメリカ人がいじめている」「アメリカは早くイラクから撤退しろ」「でもアメリカはイラクの治安に責任をもて」「アメリカがイラク人を殺しているのはイラク原油が目的」などと単純・幼稚で矛盾した主張をくり返し、アメリカの占領政策に協力した小泉政権を「親米ポチ」とあざ笑って「アメリカの侵略に日本が引きずられる」などと無責任な主張を展開していた。
筆者もイラク戦争はアメリカの誤爆であり、適切では無かったと思うが、このような日本人達のどこにアメリカの中東政策を非難したり、小泉政権を「ポチ」などと言う資格があるのだろうか。
現代日本人が2リッター、3リッターエンジンの自動車を乗り回し、石油を燃やして発電した電気でパソコン、TV、DVD、エアコン、冷蔵庫などを使い、プラスチックやビニールなどの石油製品をポイポイ捨てるようなゼイタクな暮らしができるのも、アメリカの中東政策が日本に石油の安定供給を保証したからではないだろうか。
その意味で言えばアメリカの意図はどうあれ「これまでの日本の繁栄はアメリカの若者が流した血の上に成り立っていた」と言っても過言では無いだろう。
「弱いイラクを強いアメリカがいじめている」「日本は親米ポチ」などと言う議論が、いかに無責任でフェアで無いものかが、おわかりいただけるかと思う。
そういった発言をする者に問いたいのは「じゃあ、明日から車やプラスチックなどの使用を禁止して石油をまったく使わない暮らしができますか?」
あるいは「アメリカに頼らずに日本の消費を全てまかなう量の石油を、日本が独力で確保できる方策が示せますか?」ということだ。
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★関連図書―もっと詳しく知りたい方は...
クルド人もうひとつの中東問題
◆世界最大の少数民族と呼ばれる”クルド人”は、フセイン政権崩壊後に、イラクの将来のカギを握る勢力となった。
国家を持たない民族がいかなる運命をたどったのか、”世界市民””東アジア共同体”などといった空虚な理想に浮かれる日本人への警鐘ともなろう。
イラク戦争と自衛隊派遣
◆安全保障分野の第一人者として定評のある森本氏や、中東問題の専門家である大野氏らによる共著。 イラク戦争をどうみるか専門家の意見も参考にして欲しい。
第10回 ”誤爆”とその後始末(その1)
- 2005/02/17(木) 07:07:29
それでは「もし誤爆だったのならばなぜアメリカはさっさとイラク占領から手を引かないのか?」という疑問を持つ人もいるだろう。
アメリカがイラクからすぐ手を引けない理由は、全ての問題が振り出しに戻ってしまったからだ。
つまりイランとつながりの深い、人口の6割のシーア派アラブ人がイラクを支配すれば、サウジやクウェートなどの産油国がイランからのイスラム原理主義の波の前に丸裸になってしまい、イラクのみならず中東全体の石油が危なくなるという問題だ。
アメリカが目標とするイラクでの選挙が民主的に実施されればされるほど、シーア派が勝利する可能性が高まるというジレンマにアメリカは陥っている。
アフガンでは選挙で民主的に穏健派のカルザイ政権を発足させることに、なんとか成功したアメリカも、イラクではいかに選挙で民主的に、しかも内戦を勃発させずにイランの影響力を排除しながら穏健派の政権を発足させるか、難しい舵取りを強いられるだろう。
フセインを打倒することで、アメリカが開けてしまったパンドラの箱。
そこから出てきた、ちみもうり...失礼、仲間達をざっと紹介しよう。
まず人口の6割を占めるシーア派には世俗勢力と宗教色の強いグループがある。
世俗勢力としてはアラウィ氏がひきいる”イラク国民合意”がある。この政党を中心として”連合会派イラク”を結成してイラク国民議会選挙にたった。
アメリカとしても多数派のシーア派を無視して新生イラクを発足させれば内戦を誘発しかねず、かといってシーア派主導だとイラクがイランの衛星国家となりかねない。
そこで宗教色の薄い、つまりイランとの関係が比較的弱いこの勢力に戦後のイラク政権を担当させたいというのがアメリカのホンネではないだろうか。
ちなみにアラウィ氏は戦争後のイラク暫定政府首相としてアメリカが担ぎ出した人物であり、それを裏付けている。
つぎに宗教色のやや強いシーア派勢力としてはハキム師ひきいる”イスラム革命最高評議会”が代表的である。
この勢力はイラン・イラク戦争当時からイラン・シーア派指導者の親衛隊・イラン革命防衛隊(パスダラン)の援助を受けて反フセイン政権活動を行なっていたのは前述したとおりである。
彼らが中心となって”統一イラク同盟”という会派を結成して選挙に臨んだ。
彼らが今もイランとつながっているかは定かでは無いし、彼らも政治に宗教をリンクさせないと表明しているがどこまで本当かはわからない。(結局選挙の結果、どうやらこのグループが第一党となったようだ。さてアメリカはどうする?)
またこのグループの最強硬派としてはサドル師ひきいる”マハディ軍”があるが、彼らはイラク戦争がはじまった2003年から現在もイラン革命防衛隊と密接なつながりがあると言われる。
サドル派はアメリカの占領政策に反対してアメリカ軍を攻撃したが、聖地やモスクを基地代わりとして武装蜂起を行なったため、シーア派最高指導者シスターニ師など他のシーア派グループからは総スカンを食って孤立してしまい現在は力を失っている。
そして少数スンニ派で世俗的な穏健派勢力としては今回の選挙でいえば”イラク人”と”独立民主同盟”がそれにあたる。
特に”イラク人”はアメリカが担ぎ出したヤワル暫定大統領が率いており、シーア派とスンニ派の穏健派世俗勢力が協力して新生イラクを引っ張って欲しいというアメリカのホンネがここでもうかがえる。
しかしスンニ派の主力勢力は選挙に参加しなかった。
彼等はフセイン政権下で支配者層にいた人々が多く、アメリカに特権を奪われた恨みがある上に、選挙に参加すれば数でまさるシーア派に負けるのは確実だからである。
いっぽうスンニ派の過激な宗教勢力は国外からイラクに流れ込んだ原理主義組織が主力とみられ、ムサアブ・ザルカウィが率いる”イラク・アルカイダ聖戦機構”や”アンサール・イスラム”といった組織が代表的なものである。
第9回 結論・イラク戦争とはなんだったのか?(その2)
- 2005/02/17(木) 00:36:41
最後通牒をフセインが無視したことでアメリカは予告通り、2003年3月19日イラクに先制攻撃を加えた。イラク戦争の開始である。
同時にアメリカは安保理を見限り、国際社会からアメリカを支持してくれる有志を募った。
アメリカ単独では”十字軍”というイメージがぬぐえないからだ。これではアラブを含めた国際世論の印象も悪くなってしまう。
これにはイギリス・スペイン・イタリア・日本などの国々が加わった。残された大国ドイツはEUでフランスと外交の共同歩調をとっているため反対にまわった。
イラクに侵入したアメリカ軍は史上最速ともいわれる電撃作戦を展開してバクダッドに迫った。
少数スンニ派のフセイン政権打倒と多数シーア派の台頭は、アメリカが絶対開けてはならないパンドラの箱だったのは前述した通りだが、今回はアメリカもパンドラの箱を開ける覚悟ができていた。
アメリカ自身の安全がかかっている以上、サウジ・クウェートなどGCC諸国とその油田が少々危険になっても、完全にフセイン政権を打倒し大量破壊兵器がアル・カイダの手に渡る前に取り上げねばならない。
そしてアメリカ軍はバクダッドに侵攻し、フセイン政権はとうとう倒れた。
フセイン自身を逮捕するのはそう難しい事ではなかったが、大量破壊兵器は今も見つかっていない。
結局、イラク戦争とはなんだったのか?という問いの答えは、「イラク戦争そのものが誤爆だった」ではないだろうか。
戦争直前にアメリカが「イラクが大量破壊兵器を保有している」とはっきりと断定していたので、”エシュロン”という世界最大規模の諜報網を持つアメリカのことだから、確固とした証拠をつかんで言っているのだろうと筆者も思っていた。
どうやら反フセインのイラク反政府組織のメンバーが「フセインが大量破壊兵器をビン・ラディンに渡そうとしている」という情報をドイツの諜報機関に流し、情報提供を受けたアメリカ首脳陣が、何の疑いも無くそれを鵜呑みにしたというのが真相のようだ。
それはともかく「殺(や)られる前に殺(や)らなければ自分が危ない」というアメリカの恐怖心がイラクへの先制攻撃をひきおこし、大量破壊兵器発見が不可能となった時点で「フセイン独裁打倒とイラクの民主化」という理由を、アメリカは戦争の目的としてあとづけした、今の時点ではそう考えるのが妥当なのではないだろうか。
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エシュロン―アメリカの世界支配と情報戦略
◆アメリカ(いや「アングロ・サクソン文明の」と言った方が適切だろうか?)の情報戦略の一翼を担う”エシュロン”の真相に迫る!