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三輪氏に再度反論する
- 2006/05/24(水) 07:21:50
先日の、三輪の何某(名前を間違って覚えていたようで訂正する)に反論するという私の記事に対する、三輪の何某氏の反論が先方のブログにアップされたので、まずはご覧頂こう。
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おかしなトラバが来ていました・・・・。
外交と安全保障をクロフネが考えてみた。 三輪の某に反論する
だそうです・・・。では、その反論に対して更に逐一反論です。
>最近の私の記事、強行採決批判は情けない!に、「三輪の某」という方から、
>>この時点で貴方の底が見えましたね。政治を論じる資格ナッシング。
>というコメントを頂いた。
まずもってこの人は目が悪いか、漢字の学習をまともにやっていなかった人の様だなと。
そういう印象を私は貴方に抱きました。
>それに対して反論のコメントをしておいたのだが、政治を論じる資格が無いとまでタンカを切っておきながら、あっけなくトンズラというのだろうか。
そしてこの人は自分が常に注目されている人だと思っている様だ。
と言う印象も抱きました。
平素、私は貴方のブログにはほとんど目を通していません。
>当ブログの信用にもかかわる問題なので、コメント文をそっくり記事にして再度反論を試みる。
はいはい。
あまりに長文な上に輻射量が凄い電波なので続きは後半で。
>こちらこそ、この時点で貴方の批判の底が見えた気がしますが。
>大方、私が共謀罪新設に賛成しているんだと思って、カーっと頭に血がのぼって脊髄反射で書きこんだんじゃないですかね。よく読んだんですか、私の記事。
いえ、それは深うがちですね。
私は貴方に民主主義を語る資格、あるいは資質がないと言っているだけです。
「日本がどんどんおかしくなってきているのは、言って見れば日本人が民主主義を最低のレベルですら理解できなくなってきているから。
そう言う結論になってしまうのだろうか。」
この後に「そして」と言う言葉を挟んで、日本国民の向かっている危険な方向性について別段として共謀罪を述べるつもりだったんです。
ただ、中座してその後に書き始めたので、「そして」と「そして」の間に本文部分を書いてしまいました。「そして」以下の内容も重複していますしね。
誤解を与えた事にたいしてはお詫びを致します。
>あなたこそ私の記事を論じる資格ナッシングじゃないかと思うんですが。
思うのは勝手です。でも、現実は厳しいですよ。
>まあ、たとえそうじゃなくてもお付き合いしますけどね。他の読者さんにも疑問に思った方がいるかもしれないから。
別に付き合わなくても良いですけどね。
平素から私は貴方のブログをほとんど読んでいませんし、今までも引用すらしていなかった筈です。
無理しなくても良いですよとだけは言っておきます。
>>民主主義とは少数派より多数派の意見の方が常に正しいとする政治体制のことである。
これは動きません。それとも少数派の意見を採用する政治体制のことだとおっしゃりたいのでしょうか。
ストライクアウト!
多数派が正しいと言うのは前提ですか?それならば、その前提はどこから導き出されるのですか?
もしもこの前提が正しくなければ、貴方の出す結論は必ず間違いと言う事になります。
前提と結論の関係は「三段論法」をGOOGLEで検索すれば、日本語を読む能力と高校生程度の学力があれば理解可能かと思われます。
ちなみに、これは動きます。
もしも「多数派が必ず正しい」と言うのが民主主義の前提ならば、「民主主義政体を採用する世界各国において議会で少数派の意見が認められている事実」をどう説明するのでしょうか?
「多数派(与党)」が正しいと言うのが動かない前提ならば、国費を使って開催する議会で「正しくない少数派(野党)」が国費の浪費を伴う質疑を行う事は民主主義に反してはいませんか?
と、この事実の指摘一つで「多数派は必ず正しい」と言う前提が誤りだと証明できます。
>もし私が共謀罪新設に反対だったとしたら自民・公明両党を全力で批判しますけど、与党が考えを変えないまま採決が行われた結果、法案が可決されたら、どんなに私が不満に思ってもその結果は受け入れます。 そのあとにやっぱり与党を批判はしますが。
つまり、事後に文句は言っても、間に合う間に危険な政治の動きをチェックする働きはしないと言う訳ですね?
これは「多数派が必ず正しい」と言う間違った前提に沿った方向性なのでしょうか?
YamaguchiJiro.com 2005年04月07日 05年4月:イギリスに見るチェックアンドバランスの巧みさ
小泉首相の様に結構な権力を振るってきたブレア首相に対して、議会、メディア、そして市民がチェックを行う動きが強まってきたと言う記事です。
成熟した民主主義ではこのチェックと言う行いが重要になります。
それをしない事は「民主主義を理解していない」事であり、チェックを受けない民主主義は独裁者の国の政治と全く変化ありません。
>短期間の観察ではあるが、上院にせよ、メディアにせよ、権力に対するチェックという役割を十分に演じていることに、イギリス政治の奥の深さを感じた。
まあ、この結びだけ見ても、民主主義かくあるべしと言う方向性が象徴的に理解できる所でしょう。
>なぜなら与党が現在の多数派国民の代理者であり、それを受け入れるのが民主主義のルールだから。
>結局のところ、貴方は一方で民主主義を肯定していながら、他方では「共謀罪新設反対という自分の意見は絶対に正しいんだから」という理由をつけて、民主主義のルールを否定することを正当化しているんですよ。
>その矛盾がわかりませんか。
>そして自分を民主主義の擁護者だと”僭称”している。
馬鹿かお前は?(ぷつんと行きました)
民主主義に反する法律を、国民の選んだ代理人が制定する。
(指摘がありましたので加筆します。共謀罪を反民主主義の法律と私が主張するのは以下のエントリーでの記述に拠ります。 2006.05.22 Monday 小泉は絶対権力を求めるのか?)
それこそが「国民に対する裏切り」だろうが?
その事実を指摘する事が「民主主義のルールの否定」か?
お前みたいな馬鹿が居るから、保守勢力の事を「プロ奴隷」と侮蔑する下種なサヨクが出て来るんだよ。
言っておくぞ。
日本国民は小泉に対して「日本のためになる事、日本人のためになる事を行う」その約束で小泉に「権限を委譲した」だけだ。
選挙で選ばれた小泉が日本国民の生殺与奪を握る危険な法律を制定しようとしたら、そんな小泉に「約束違反だ!」と声を上げるのは当然だろう?
と言うか、こんな頭のおかしな事をよくも人前に平気で公表できるな、お前。
真剣、お前ってどうかしてるだろ?
>民主主義とは常に正しい選択がなされるという政治体制のことではありません。
>間違ったら軌道修正が行われる体制のことです。
あのね・・・ちみ・・・。
前段に書いている事と正反対の事を次に書いてるんだけど、その矛盾について説明できる?
>そのメカニズムは以下に書いたとおりです。
以下に書いた?
以下のとおりでしょ?
「以下」ってのはこれから読む文章で、「書いた」と言われても困るんだけど?
日本語きちんと理解できてる?
>>当然、多数派が提出した法案が可決されることとなるが、もしその法案によって取られた多数派与党の政策が失敗だったと国民が判断した場合は、与党は厳しく責任を追及され、少数派野党の主張が国民から見直されることになるだろう。
>>もし、それまでの多数派与党の政策の失敗が国民の許容範囲を越えれば、次の選挙で今まで少数派野党が多数派与党になり、多数派与党が少数派野党に転落して政権交代が実現し、失敗した政策は放棄され国家の針路に変更が加えられる。
>>これが民主主義のメカニズムが正常に機能している状態である。
つまり、もう小泉がどんな悪い事しても手遅れだから、クロフネ流民主主義風味ルールの犠牲になって、皆さん小泉さんに共謀罪でかたはめられなさいと言う事ですか?
>>(多数派の意見が実は間違っていることも充分あり得るが、それは問題にならないと言ったのは、このメカニズムがあるからである)
問題になると思うが?
>多数派の間違った意見が政策として採用され、あとで間違ったと気づいた国民によって政権交代が行われ、政策が修正されるなんて一見ムダなコストに見えますが、それが必要最小限のコストであるのは、少数派による独裁体制のコストと比較すると良くわかります。
ちみの言っている事は、多数派は合法的に独裁ができると言っている訳なのだが?
>もし少数派の意見が正しいとする体制つまり独裁体制で政策の誤りがあった場合、その修正も行われなければ独裁者の責任も問われないということがしばしば起こります。
戦前の治安維持法は三年で刑罰の上限が死刑にまでアップされた。
治安維持法それ自体の修正を阻止する為に・・・。
>なぜなら独裁者が己の非を国民の前で認めることは、しばしば国民による独裁者打倒の動きへとつながるからです。
>だから独裁者は、情報統制やプロパガンダなどで己の失敗を全力で隠そうとします。
小泉がセコウしている理由ですね?
文藝評論家=山崎行太郎のブログ 『毒蛇山荘日記』 - 「まだセコウしてますか?」「2ちゃんねる」が日本を救う。(笑)
>北朝鮮の金氏独裁体制が何十年も国民を苦しめていますが、情報統制と「北朝鮮国民が苦しいのはアメリカと日本のせい」といったプロパガンダで、国民の不満をそらし、なかなか政策の修正も行われなければ、一切の金日成・金正日の責任も問われません。
>その結果、国民は苦しみ続けることになる。 これが独裁体制のコストです。
だから、日本国民も民主主義のチェック制度をきちんと働かせるべきだと私は思うのだけどね。
そうでなかったら、北朝鮮を笑えない方向性に進みかねないから。
>一方、民主主義は国民が政策を決め、その結果起こったことは良いことも悪いことも最終的にかぶるのは、政策を決めた国民自身です。
>その結果に不満だったら国民は、政策を変えるだけです。
>この場合の国民とは、多数派のこと。
>これが民主主義のコストです。
クロフネ流民主主義風味独裁政治については良く理解できた。
ただそれだけだね・・・。
「多数派でない者は国民ではない」と言う様な、やけくその放言にも聞こえる文章で、格調とかは探しても見つけられない所が凄く良い感じだ。
>民主主義体制維持のコストと独裁体制維持のコスト、どちらが高くつくかは一目瞭然でしょう。
>ここに気がつかない貴方は、底が浅いと言わざるを得ません。
>民主主義体制のもとでは、あれこれ理由をつけて民主主義を殺すことを正当化する者が現れますし、そうした自由さえあるのが民主主義です。
>ワイマール共和国から生まれたヒトラーのような極右主義者が代表例ですが、私はあなたに同じニオイを感じました。
はいはいw
民主主義を殺す事を正当化する者ね。
それは一人の独裁者志願の極右主義者では実行は不可能だろうと理解できない所が君の痛い所だね。
ヒトラーは死ぬまでドイツ国民の支持を集めていたのを知らないのかね。
むしろ、民主主義を殺したのは、民主主義を望まなかったドイツ国民全員だと思うよ。
外国からやって来た、内乱や騒擾で何度も逮捕された様な、そんな危険な男に全権を委任した、そんなドイツ国民の総意と、そんな穴にはまり込んでしまった過程こそをしっかりと分析すべきではないかね?
今の小泉内閣と類似の点が多いかも知れないよ。
特に君の様な勘違いした国民達がヒトラーに権力を与えた事も、読解力さえあれば理解できると思うがね。
ただ一人の男が民主主義の国を乗っ取った。悪いのはヒトラーだけだ。
それこそが思考停止だろう?
それに加えて、君の中では、ヒトラーと並ぶ程に悪い奴が私か?
ちょっと私に言葉で撫でられた位で大した切れ方だな。凄い凄いw
>最後に余談ですが、そもそも強行採決と言う造語がおかしいと思います。
>最低限、意見の違う者同士がお互いの意見をそれぞれ述べる機会が与えられたら、多数決が取られても問題はないと思います。
>それを少数派がグダグダ言って、多数決を取られるのを拒否するということは、やはり民主主義の否定に他なりません。
>強行採決ではなくて、「少数派が民主主義の否定を強行したのを阻止した」と言い直すべきでしょう。
もう、君の内部世界のローカルルールの精髄と言えるセリフだね。
狭くて歪な世界観がほとばしるような、そんな結びだ。
本当に感心するしかないわ・・・。
立派立派。
本気でここまで話通じないってのは、わざとやってるとしか思えないけどね・・・。
こんな馬鹿な事を恥も感じずに、衆人環視の下で力説できる輩も居るんだなと・・・。
君へのお返事は以上ね。>クロフネ氏
先方のブログ
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一読してみると、民主主義論とは関係の無い、話のすり替えや「馬鹿」「頭のおかしな」といった、あからさまな罵倒の数々。
私はそういった罵倒はしなかった。 相手を罵倒しなくても自分の主張の正しさは論理的に証明できるからだ。
一方三輪氏は、自分の主張の矛盾やほころびを指摘されて狼狽し、精神的余裕を全く失っているのが「馬鹿」「頭のおかしな」といった言葉から手に取るようにわかる。
こちらは罵倒なんかせずに、あくまでも冷静かつ論理的に論破していく。
それから、本題に入る前にこれだけは指摘しておこう。
>そしてこの人は自分が常に注目されている人だと思っている様だ。
と言う印象も抱きました。
>平素から私は貴方のブログをほとんど読んでいませんし、今までも引用すらしていなかった筈です。
私の「強行採決批判は情けない」という記事に対して、最初に捨てゼリフのようなコメントを書きこんだのは君だろう。 だから私はそれに対して反論をした。
その後、君のブログに行って見たら、私の記事の「民主主義とは多数決である」という部分を引用した「民主主義を論じる最低限度の資格」という私への批判記事まで発見したよ。このウソツキ。
「自分が常に注目されている人だと思っている」も何も、そもそも今回の論争のきっかけをつくったのは君なわけで、何をわけのわからないことを言っている?
で、このブログのコメントでは「ごめんごめん、忙しくてね。」なんて言っておきながら、自分のブログに帰ったらとたんに強気になって「この人は自分が常に注目されている人だと思っている。」だの「馬鹿で頭がおかしい」だのと。
君のウソとアンフェアーぶりには全く呆れた。
>誤解を与えた事にたいしてはお詫びを致します。
お詫びをしている割には、その後の罵倒文はいったい何?
全然誠意が見えない。
それでは本題に入る。
>>民主主義とは少数派より多数派の意見の方が常に正しいとする政治体制のことである。
これは動きません。それとも少数派の意見を採用する政治体制のことだとおっしゃりたいのでしょうか。
>ちなみに、これは動きます。
>もしも「多数派が必ず正しい」と言うのが民主主義の前提ならば、「民主主義政体を採用する世界各国において議会で少数派の意見が認められている事実」をどう説明するのでしょうか?
「多数派(与党)」が正しいと言うのが動かない前提ならば、国費を使って開催する議会で「正しくない少数派(野党)」が国費の浪費を伴う質疑を行う事は民主主義に反してはいませんか?
と、この事実の指摘一つで「多数派は必ず正しい」と言う前提が誤りだと証明できます。
これについては、最初の私の記事「強行採決批判は情けない」で書いたとおり。 君に全く読解力がないようなので本当に疲れるが、議論の出発点をもう一度そこから引用する。
民主主義とは少数派より多数派の意見の方が常に正しいとする政治体制のことである。 (本当に正しいかどうかは、この場合問題にならない。 多数派の意見が実は間違っていることも充分あり得る)
「多数派の意見が実は間違っていることも充分あり得る」と書いているのだから、 私が多数派の意見が100%正しいということを言っているのでは無いことは明白。
君、議論の前提が理解できた?
もし多数派の意見が絶対的に正しいのであれば政策にその意見が反映されている限り、経済不況や失業率の上昇・公害問題の発生などといった失政を政府がおかすことは有り得ないということになる。
しかし現実は民主主義国家の政府だっていくらでも失政をおかす。
だって多数派とは言っても国民は聖人君子ではないのだから当たり前。
失政によって多数派国民の支持を失えば、議会などで多数派政党と少数派政党が入れ替わり政権交代が起こる。それによって失政に修正が加えられる。 これが民主主義システム。
君はこれを矛盾していると言ったが全然矛盾していないのは明らか。
で、私が言っているのは多数派と少数派の意見が対立した場合、民主主義はどちらの意見を政策として採用するかということ。 そして採用されるのが正しいのか間違っているのかは関係無く、常に多数派の意見の方だと言っているわけ。
君がここで提起した少数派の意見が採用されるうんぬんは、
もし多数派と少数派の意見が一致した場合、例えば審議を重ねて少数派の意見が多数派の同意を持って取り入れられれば、少数派の意見が政策に採用されることもある。
しかし、これは独裁政治のように少数派が暴力などによって政策をごり押しし、多数派の同意を得ることなく政策実施を強行したのではなくて、あくまでも民主的な話し合いによって多数派の意見を変えさせた、あるいは多数派の同意を持って政策に採用されたということだから、多数派の意見が採用されるという民主主義の原則に反してはいない。
結局最後は、多数派の同意と彼らの票によって少数派の意見が反映された政策が採用されたにすぎなく、少数票が多数票を打ち破ったというわけではない。
そんなことが起こったらそれは民主主義の原則から逸脱している。
よって動きますというあなたの主張は間違い。わかった?
私が少数派野党の”強行採決”批判、言いかえれば採決拒否を批判しているのは、前述のように民主主義のルールに従って多数派を納得させること無く、採決拒否による審議の時間切れで多数派の主張を廃案に追いこむことを狙い、結果的に少数派の主張を実現しようというものだから。
それは完全に民主主義の原則から逸脱している。
ましてや採決を取ろうとした議長を力ずくで押し倒すなど言語道断だと言っている。
>>もし私が共謀罪新設に反対だったとしたら自民・公明両党を全力で批判しますけど、与党が考えを変えないまま採決が行われた結果、法案が可決されたら、どんなに私が不満に思ってもその結果は受け入れます。 そのあとにやっぱり与党を批判はしますが。
>つまり、事後に文句は言っても、間に合う間に危険な政治の動きをチェックする働きはしないと言う訳ですね?
どうすれば「事後に文句は言っても、間に合う間に危険な政治の動きをチェックする働きはしない」と読めるのか?まさしく読解力ゼロ。
間に合う間、つまり採決の前に「全力で批判しますけど」って書いてあるじゃないか。
何、イギリスの話まで持ち出して、とんちんかんな事を言っているのかね?
こっちは1+1=2って言っているのに、自分のブログでは「クロフネは1+1=3て言っているぞ。あいつは馬鹿だな」と言って、支持者を増やす魂胆か?
新しい戦法だな。こっちのコメントに書きこむのを避けた理由はそれか?
>民主主義に反する法律を、国民の選んだ代理人が制定する。
(指摘がありましたので加筆します。共謀罪を反民主主義の法律と私が主張するのは以下のエントリーでの記述に拠ります。 2006.05.22 Monday 小泉は絶対権力を求めるのか?)
>それこそが「国民に対する裏切り」だろうが?その事実を指摘する事が「民主主義のルールの否定」か?
先ほど、「もし多数派の意見が絶対的に正しいのであれば政策にその意見が反映されている限り、経済不況や失業率の上昇・公害問題の発生などといった失政を政府がおかすことは有り得ないということになる。
しかし現実は民主主義国家の政府だっていくらでも失政をおかす」と言ったが、
多数派国民が選んだリーダーが失政という形で国民を裏切った例は史上いくらだってある。 水俣病や薬害エイズ問題など、国家が国民を裏切って”横暴”を働くようなことはいくらでもあるんだよ。
何度も言うように、代表を選ぶ国民は聖人君子じゃないんだから。
そうした失政のうちで最悪のものは、民主主義のルールに違反するような政策を実施するものだ。
たとえば軍隊や警察の力を背景に、与党以外の政党の解散を命じたり、民主的な憲法を停止または改変するといったような。
つまり最初は合法的に権力の座についた者が民主主義を殺すという実例はいくらでもあるわけ。
そうした実例のひとつとしてヒトラーをあげた。
アジア・アフリカ諸国でも現職大統領が憲法を修正して任期を撤廃し終身大統領、つまり独裁者になることが多々ある。
あんたのブログの読者が日本国憲法は民主主義を否定することを禁じているから独裁政治の出現は有り得ないみたいなことを言っているようだが、「殺人を法で禁じておけば殺人は絶対起こり得ない」と言っているのと同じ机上の空論。
合法的に首相になったものが自衛隊に命令を下し、統合幕僚長など制服組トップがそれに同意すれば軍事独裁を確立できる可能性はゼロではない。
また、悪いのは独裁者個人だけだとは一言も言っていない。
当然、選んだ国民も悪い。
それは「多数派の意見が実は間違っていることも充分あり得る」と私が書いた点からも明らか。
だからマスコミやブログが民主主義の否定者を厳しく批判しなければならないんだよ。そして私は今ここでそうしてるわけ。
あんたに極右のニオイがすると言ったのは、あんたが「民主主義を論じる最低限度の資格」で、
>民主主義国家と名乗る資格のある国家が「国家と国民を害する制度を可能な限り忌避する」と言う特質を備えようとしていた事を理解できる筈だ。
と言っている通り、民主主義国家だっていくらでも失政をおかすという事実を軽んじていること。
これを逆に言えば、国民を害するような政府に民主主義を名乗る資格がないかのような主張をしている。
たとえ多数派の意見を反映していても国民を害するような政府に民主主義を名乗る資格がないと言うのなら、”民主的ではない”多数派の意見を少数派が「こっちの意見の方が正しいのだから」と言って押しきってもよいという主張につながりかねない。
これは民主主義の原則を否定しかねない危険な考えだ。
>>だから独裁者は、情報統制やプロパガンダなどで己の失敗を全力で隠そうとします。
>小泉がセコウしている理由ですね?
>今の小泉内閣と類似の点が多いかも知れないよ。
>特に君の様な勘違いした国民達がヒトラーに権力を与えた事も、読解力さえあれば理解できると思うがね。
三輪氏が、少なくとも民主的なルールに従って日本国民の多数派が国会に送り出した与党自民党の代表・小泉首相を独裁者呼ばわりしているところからも、
あたかも多数派の代表たる小泉首相が悪の独裁者で、それに反対する少数派であるはずの三輪氏の方が正義の民主主義者であるかのような、民主主義の原則を否定した非常に危険な考え方を持っていることがうかがえる。
極右主義者(極左も)は「自分が正しいから」と言って民主主義を否定することを正当化する論法を良く使うのでそうしたニオイがすると言ったまで。
>それは一人の独裁者志願の極右主義者では実行は不可能だろうと理解できない所が君の痛い所だね。
極右を「一人くらいなら大丈夫」と言って見逃して後で大量増殖すると、大変なことになるのでね。厳しく批判しなければならない。
最後にまとめると、私は民主主義の否定者を批判しているのであって、小泉政権や共謀罪の是非を論じているのではない。
君は小泉政権や共謀罪を否定するのと同時に民主主義の原則まで否定してしまっている。
その違いね。
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この記事に対するコメント
多数である事が真理の証明だと主張している訳ではなくて、代議制民主制度の上で擬制として正しいと見なすと言ってるだけなんですけど、理解出来ないんでしょうね。
三輪の何某を筆頭に、政権批判を繰り返す連中に共通の欠点は、人間社会の多様性や複雑さを舐めている事です。
正しい事を唱えているものが政治を行えば正しい政策が行われるなど、発想が単純過ぎです。
結局のところ彼らは、現実という物が自己の認識や知識の遥か外側までも広がっている事と向き合えない、知識人としては救い様の無い卑怯者という事でしょう。
ただ多いんですよね、このタイプは日本人に。
三輪氏は、自分が正しく、違う意見の持ち主を全否定し、しかも排除することを当然と考える方でしょう。彼が攻撃している反日サヨクや、中国などと同じです。同様に、彼は小泉を独裁と批判しますが、自分が独裁的な思考だというのには気付いていない様です。比較的近いであろう右寄りの人のことも、似非保守とレッテルをはって憚りませんし、一言で言うと、単なる独善者に見えますね。
話が前後しましたが、三輪氏は罵倒しているだけで、議論になっていないと思います。相手にしないほうが良いのでは?
>これからは、多数派与党のリーダ
>ーである首相がトップダウンでス
>ピーディーに国家の針路を決断
>し、野党も国民も官僚も取りあえ
>ずそれに従い、成功も失敗も起き
>た結果はすべて首相と多数派与党
>が負うというように、簡潔で明快
>な意思決定プロセスを持たなけれ
>ば、この日本は激動の世界で生き
>残ってはいけないだろう。
これは民主主義ではないでしょう。
特に、野党もとのべているので、国会の運営のことですよね?「多数派のリーダーにとりあえず従う?」
これこそ「独裁」ですね。行政の指揮のことならまだしも、野党となると立法権のことも述べてるのですよね?行政権に国会が服従ですか?
「読みにくい」というのは大きなデメリットでは無いかと思います。
デザインの変更を検討されてはいかがでしょう?
連名で失礼します
サンダー さん
>多数である事が真理の証明だと主張している訳ではなくて、代議制民主制度の上で擬制として正しいと見なすと言ってるだけなんですけど、理解出来ないんでしょうね。
この前提が先方に全く理解できないようで困っています。
crawlerさん
>自分が独裁的な思考だというのには気付いていない様です。比較的近いであろう右寄りの人のことも、似非保守とレッテルをはって憚りませんし、一言で言うと、単なる独善者に見えますね。
自称極右ですし。でもこちらから極右のニオイがするというと激怒するんですよね。ワケわかりません。
>三輪氏は罵倒しているだけで、議論になっていないと思います。相手にしないほうが良いのでは?
了解しました。そろそろ決着をつけます。
名無しさん
>これは民主主義ではないでしょう。
民主主義ですよ。だって首相は多数派国民が選挙によって国会に送り出した多数派与党のリーダーなのですから。
野党を含む少数派は首相の実施する政策を批判はしても、力ずくで阻止するようなことはするなという意味で言いました。
Nanashi さん
検討しておきます
頭スッキリ!
広辞苑で調べたら、大意「民主的」とは「民主主義に基づくこと」で、「民主主義」とは法治主義と多数決原理が主で、その実現が要請されると書いてありました。これで十分だと思うんだけど・・・。三輪案は、「民主的=正しい=普遍的」という定義に基づいていて、「俺は正しい=俺が全体を代表=俺が民主的=でも俺は少数派=何かムカツク」って論理に見える。
今回の件に関連する他2件の記事に同じコメントを重複して送信してしまったようです。ごめんなさい。お手数ですが、重複分はお手数ですが削除お願いします。
さて、三輪氏のことちょっとネットで調べてみたんですけど、なんか保守系ブログの批判をするのがすきなんでしょうかね、過去にもそういうことなさっているようでした。
http://sky.ap.teacup.com/deep/36.html
三輪氏のことは私も忘れます。あそこでコメントされてらっしゃる方々も”常連さん”みたいなんで。この件で三輪氏にクロフネさんの意図を理解していただくのは難しいと思います。
普通に読めばクロフネさんの主張の本質を理解できるんです、普通の読解力を持ってる人には。でも読解力が弱い人には誤読されるような書き方になっていたとも思いますね。でもそこまで気をつかって記事書くのって面倒でしょうから、今のままでいいと思います。
一応私なりに三輪氏のほうにコメント入れておきました。23日の記事に1件、20日のほうには3件、読者コメントに対するコメント2件。こっちに貼ろうかと思ったんですけど、かなりながーいので、リンクだけ貼っておきます。良かったら目を通してみてください。
http://pride.arrow.jp/klingon/log/eid315.html
http://pride.arrow.jp/klingon/log/eid310.html#comments
今回の話についてはここまで。
さて、私自身は共謀罪についての知識が余りありませんのでコレからもじっくり勉強して以降と思います。
とりあえずこの前の日曜日、肯定派の自民党平沢議員と否定はの櫻井良子さんが出ているのを見ました。桜井さん曰く、以前の法案では反対していたが、共謀罪の範囲指定がされつつある修正案はきちんとした運用のできる法律となりえる、みたいなことを言ってましたので、今の私はこの考えが基本になっています。
まぁ、これからより知識をつけてみようかと思います。では。
>野党を含む少数派は首相の実施す
>る政策を批判はしても、力ずくで
>阻止するようなことはするなとい
>う意味で言いました。
批判はしても力ずくで阻止するな?国会議員は政党員であるまえに国民全体の代表。各議員がその信念にしたがって命がけで国民のために議論するんじゃないの?その議論する体制こそ民主主義であり議会政治なんだけどなあ。その議論は単なる批判のための議論ではなく、その議員が国民の総意のためによかれと思う信条をとおすための議論。批判はしても阻止しないんじゃ野党なんて意味ないし議会政治も全く機能不全ってことですよ!?自分のおっしゃってることわかってます?やはり、民主主義語る資格ないと思います。
連名で失礼します
napless さん
>三輪案は、「民主的=正しい=普遍的」という定義に基づいていて、「俺は正しい=俺が全体を代表=俺が民主的=でも俺は少数派=何かムカツク」って論理に見える。
ズバリそうだと思います。
名無し
>その議論は単なる批判のための議論ではなく、その議員が国民の総意のためによかれと思う信条をとおすための議論。
その「よかれ」っていうのは誰が正しいと決めるわけ?
>批判はしても阻止しないんじゃ野党なんて意味ないし議会政治も全く機能不全ってことですよ!?
少数派の野党がよかれと思ってやったことが大失敗だった場合もあるわけで、その場合誰がどうやって責任を取るわけ?
結局それって少数派が決定権を握る独裁体制であり、あんたは独裁体制の崇拝者なんだよ。
sa さんありがとうございました。
先方のブログでのsaさんのコメントすべて拝見しました。
私の言い足りなかったことがほとんど網羅されておりまして、感謝感激であります。
長文コメントを何度もして頂いて、本当にありがとうございます。
あれで三輪氏が理解できなかったら、どうしようもないですね。
でも、何となく三輪氏は自分の勘違いを理解し始めたようですね。それでも自らの非は意地でも認めたくないようですが。
あと、結果的にsaさんにだいぶストレスを与えることになってしまい、心を痛めております。
重ね重ね感謝しております。
> その「よかれ」っていうのは誰が
> 正しいと決めるわけ?
各議員がその信条に従っておこなっているのです。クロフネさんの理論ではヒトラー正しくなりますね。
>少数派の野党がよかれと思ってや>ったことが大失敗だった場合もあ>るわけで、その場合誰がどうやっ>て責任を取るわけ?
少数派の意見に従って国会が立法してそれが、間違った場合は責任論?? クロフネさん、多数派が決めた場合は国民全体が責任甘受しなければならないっておっしゃってたのでは?? そうやって独裁がおこるんじゃないですか?つまり、独裁者は、多数を独裁者の思うままに動かし、あたかも正当化して政治をコントロールするんだとおもうけどなあ。現代の日本は法治主義ではなく、法の支配の国家であり、憲法では法律の内容の適正まで求めるというのが通説では?
クロフネさんの理論はどうも、明治憲法時代の法律の留保がちらつくんですよ。内容の適正は大事なんです。少数が間違うことも多数が間違うこともあるでしょう。だから単純に多数が正しいということにはならない。内容の適正を信条とし少数派が命かけることもあって当然ですね。言論の自由が侵され、あなたが主張される民主主義のシステムは機能不全におちいったことが過去にあったのでは?
名無しさん
>各議員がその信条に従っておこなっているのです。
その信条が正しいと誰が判断するのですか?
>クロフネさん、多数派が決めた場合は国民全体が責任甘受しなければならないっておっしゃってたのでは??
それは国会の多数派が決定した場合。
採決で少数票の意見が採用されて多数票の意見が無視されるのは民主主義の原則から逸脱していると言っているわけです。
それともあなたは多数決をとって少数票の方を採用しろと。それこそ少数者による独裁だ。
じゃあ逆にお聞きしますけど、
国民の大多数が「共謀罪なんてろくなもんじゃない」と考えて、それを受けた多数派与党から共謀罪廃止案が国会に提出されたとします。
しかし、少数派野党が採決拒否によって国会の会期切れ・廃案に追い込んでしまった場合、当然、国民の大多数が反対しているのに共謀罪は廃止されないことになりました。
あなたは次のどちらを選びますか?
A.採決拒否反対
B.採決拒否賛成
私は一貫して採決拒否に反対している立場なのでAを選びますが、この場合採決拒否反対ということは私は共謀罪に反対していることになる。
あなたや三輪氏は私の採決拒否に反対する立場に再三批判を加えているわけですから、Bということになる。
それは同時に共謀罪に賛成していることになる。
Aを選べば、あなたや三輪氏が私を批判するのは矛盾している。
Bを選べば、あなたや三輪氏は共謀罪に賛成していることになる。
三輪氏の共謀罪に絶対反対という主張と全く矛盾してしまう。
しかも、もし三輪氏の「共謀罪は民主主義を殺す」という主張が正しければ、あなたがたは民主主義を殺すことに賛成し手を貸していることになる。
それでは民主主義の擁護者という主張がウソになる。
さあ、どっちを選びます?
AかBか?簡単なことですよ。たった1文字で答えれば良いのですから。
返答を拒否した場合は、完全論破されたことを認めたとします。
さあ、AかBか答えて下さいね。
クロフネさん、私は、「少数が間違うことも多数が間違うこともあるでしょう」とかいていませんか?そもそも少数だから正しいとか多数だから正しいということではないと思ってますし、そのようなことは述べておりませんよ。
少数が間違ったら責任論となり多数が間違った場合は全体が責任甘受というのは理屈が通っていないということに対する見解がありませんね。
多数が誤ることもあれば、少数が誤ることもあるでしょうと述べたはずです。そこで、「少数が誤った場合はどうなるんじゃ」ということは論点がずれていますので、答えようがないですね。数で正否を問うということではないといっているのです。数は決議要件にすぎませんよね。また正否自体も相対的なものでしょう。ただ、言論の自由が侵される危険がある場合に、多数の意見によりそのような法案が成立してしまうと、法案を通した多数派が誤ったと気づいても手遅れの場合も想定しなければならないと思います。ペンクラブの治安維持法の体験談をきいたことありますか?治安維持法を改良するために集会をひらいただけで、投獄されたという過去があるそうですよ。多数によって誤った法案が通された場合において、その後その多数がそれを是正しようと、是正するための多数を形成しようとする段階で、言論の自由が侵されている場合はそれができないこともありえるわけですよね?もちろんクロフネさんが指摘されるように逆に少数が誤った場合も同様ですよね。また、確か現行の憲法の違憲審査は付随審査権であるため、事がおこってから初めて裁判所による法律の憲法適合性の判断があるわけですよね?そうすると、共謀罪が拡大解釈された場合は、すでに適用された人間は社会的に葬られたあとになってから、初めて法文違憲無効の恩恵に授かれるわけですよね?これでは遅いですよね。このようなことも含め総合的に日弁連はじめ各種団体は心配しており、野党は懸命に阻止しようとしているのではないでしょうか?
そのような意味で、ことに共謀罪を題材とするのであれば、反対する少数が正しいと思います。私は「数が正否を決める」ということは述べておりませんから。
話しがそれましたが、少数が間違えても多数が間違えても責任負担は同じです。少数の意見と多数の意見が納得いくまで話し合い、そこで満場一致までいかぬともよりよい方策が生み出される可能性がある、これが議会制民主主義ではないでしょうか?多数イコール正しいではありませんし、逆に少数イコール正しいとも思っていませんよ。まず、ここが誤解されているように感じます。
もっというならば、昨年の衆議院選挙で実は郵政反対国民のほうが多かった。すなわち、現在の多数は世論を反映していない小選挙区がうみだした産物でしかないわけですよね。そうすると、多数は民意を反映していないなか、共謀罪という2度も廃案になった法律の成立をくわだてている。昨年郵政解散1点に絞っていたにもかかわらずですよ。そうなると野党が言うところの強行採決は多数派による横暴という表現も一理あると思いますよ。
上記の多数と少数が話しあうについてですが、2度も廃案になったものを40時間程度で充分に議論はつくされたとは少数も思っていないから、命がけで阻止されていることでしょう。議論、審議の過程を重視することが民主主義の本質だということを前提としますと、例えば今の少数派が40時間で納得いかず、継続審議を行い、多数派のなかから、反対派に回ることもありえるでしょうし、その逆もありえるということです。
本質的なことに何も答えず、違う論点にすり替えて相手が論破されたことになるというような話はおいておいて、私が少数=正しいなどといっていないということは理解いただけたでしょうか?また、多数がただしいのであれば、ヒトラーは正しくなりますがそこに対する見解もないですね。
また民主主義論の根底に必要かつ重要だと思われる内容の適正についても見解がないですね。そこが欠落するから、多数=正しいということにしかならないのですよ。それで、理屈を本質論からすりかえてそれに答えられなければ論破されたということになってしまうのでは?
名無しさん
>A.採決拒否反対
>B.採決拒否賛成
>さあ、どっちを選びます?
AかBか?簡単なことですよ。たった1文字で答えれば良いのですから。
>返答を拒否した場合は、完全論破されたことを認めたとします。
あなたは返答から逃げましたね。完全論破確定です。
なお私は逃げも隠れもしません、あなたがAかBか選んだら続きはいつでもお相手しますよ。
でも、まだ矛盾にあふれた見苦しい言い訳のような批判を続けているところを見ると、Bということですね。
Bならあなたは共謀罪に賛成する民主主義の破壊者という事だ。
>少数が間違ったら責任論となり多数が間違った場合は全体が責任甘受というのは理屈が通っていないということに対する見解がありませんね。
>多数が誤ることもあれば、少数が誤ることもあるでしょうと述べたはずです。そこで、「少数が誤った場合はどうなるんじゃ」ということは論点がずれていますので、答えようがないですね。
完全論破したのだからもう返答する義務は無いのだけれど大サービスね。
総括より
http://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-306.html
>私の民主主議論の根源をたどると、人間(成人)は自分の将来を自分で決定する権利があり、その決定によって起こったことは良いことも悪いことも、決定した本人がかぶるべきだという、人間が持つ基本的権利の問題に行きつく。
他人が自分の将来を決定するなんて奴隷そのものだし、他人が自分の将来を決定して、その結果起こった悪いことを自分がかぶるなんて理不尽なことを良しとする人は少ないだろう。
(もし良しとする人は選挙を棄権してください)
国家の政策というのは、国民ひとりひとりの将来と深く関わっており、国民はそれぞれ一票ずつだけ、自分の将来を決定する権利を持っているわけだ。
ただ、国民一人一人の選択と国家の選択がすべて一致するということは、まず有り得ない。
国民の誰かが必ず、自分の選択とは違う国家の選択を受け入れなければならない。(つまり死に票)
その場合、国家の選択を国民の多数派の選択にした方が、そうした自分の決定とは不本意な選択を受け入れる人の数が少なくて済む。
そこに「とりあえず多数派の意見を正しいとする」という民主主義システムの正当性があると思う。
>究極の少数派であるたった一人の人間が、戦争や粛清などを実施することによって何千万・何億という人の将来を勝手に決めて、その結果、多数派である国民の何百万が死ぬような事態を引き起こす。
この悪い結果をかぶるのは、将来を決定した少数派の独裁者本人ではなくて、他者に自分の将来を決定された多数派の国民だ。
死ぬのは国民で、将来を決定した独裁者は一切の責任が問われないとは何という理不尽なことだろうか。 人間の基本的権利が全く無視されている。
だから私はどんな理由であれ、「少数派が民主主義の原則を破り、多数派の決定を無視して国家の将来を選択して良い」ということを認めないわけだ。
>もし国民多数派が選択した共謀罪制定が正しい選択だったとしたら、少数派の三輪氏の意見を採用して多数派を無視した結果、共謀罪が制定されなかった事によって発生する不利益は、自業自得で三輪氏もかぶるかもしれないが、正しい判断をして共謀罪制定に賛成していた、何の責任も無い国民の多数派もかぶることになる。
もし三輪氏が究極の少数派で、日本国民でたった一人共謀罪に反対していて、残りの一億三千万人が賛成していた場合、たった一人の判断の間違いが、残りの一億三千万人を苦しめることになる。
これがいかに愚かなことであるかは先ほどの、スターリン、金正日のような個人独裁体制の例で示した通り。
>もし万が一、三輪氏の主張が正しかったのに、一億三千万人の間違った意見を採用して共謀罪が制定され、その結果日本の民主主義が死んだら、自分の決断によって起こった悪い結果をかぶるのがやっぱり多数派の一億三千万人という事実は動かない。
起こった結果は最悪だが、最初に言った民主主義の根源となっている「人間(成人)は自分の将来を自分で決定する権利があり、その決定によって起こったことは良いことも悪いことも、決定した本人がかぶるべきだという、人間が持つ基本的権利」は最低限守られたことになる。
少なくとも一億三千万対一(一は三輪氏のこと)で、多数派である一億三千万の権利は守られるわけだ。
ここにも少数派ではなく、多数派を尊重する民主主義の原則があらわれている。
で、私はこういう民主主義の失敗を喜んで認めているわけではなく、そういうことが起こらないように、必死になって日々ブログで記事をアップし続け、「とりあえず多数派の意見を正しいとして国家の選択とする」という民主主義の原則の否定である、採決拒否(裏返せば強行採決批判)を批判し続けているわけだ。
私の意見を国民の多数派が受け入れてくれる限り、以上のような失敗は起こり得ないから。
>少数が間違えても多数が間違えても責任負担は同じです。
よって責任負担は同じではない。
少数が決めて決定権の無かった多数派に害を及ぼすのが独裁政治。
>国民の大多数が「共謀罪なんてろ>くなもんじゃない」と考えて、そ>れを受けた多数派与党から共謀罪>廃止案が国会に提出されたとしま>す。
>しかし、少数派野党が採決拒否に>よって国会の会期切れ・廃案に追>い込んでしまった場合、当然、国>民の大多数が反対しているのに共>謀罪は廃止されないことになりま>した。
>あなたは次のどちらを選びます>か?
>A.採決拒否反対
>B.採決拒否賛成
論点のすり替えですね。これで私が逃げた?恥ずかしくないですか?
まず、こちらの指摘した点は何も答えずにこのような論点を摩り替える。おかしいですね。
いいですか、前提となっている論点がすりかえられているのに論破はありえません。
何度もいうように、内容の適正を担保するために強行採決を批判し、阻止することは認めてもよいと言っているわけです。内容が適正であれば強行採決までもないでしょう。
そもそも前提がめちゃくちゃですね。他の法案はなぜ強行採決しないのですか?それは強行採決するまでもなく、そもそも反対の議論が無いからでしょう。
だから貴方は民主主義を語る資格がないといっているのです。そこを理解せずに言葉遊びとパズルで論破していると思っている。あなたのような人間が民主主義をつぶすのですよ。
何度も言いますが、少数派の意見を採用するばあいは、少数派の意見を理解する議員が増えてそれが過半数を形成して初めて決議が成立するわけですよね。
あなたはしきりに多数決を無視して少数派の意見が採用さすることが独裁とおっしゃってますが、どの世界に、決議要件満たさない決議がありますか?その点から論点すり替えなんですよ。私の言っていることは、少数派の意見が採用されるという意味は、7対3で決議した場合に3が通るといってるのではないですよ。3の議論を尊重し、議論をつくすなかで、3の意見に賛同し決議要件を満たした場合に決議が成立すると言っているのです、くだらん低次元のすり替えしか出来ないかたには民主主義論じる資格なし!!
内容の適正はどうなのですか?内容の適正を無視したら、それこそナチスの法治国家そのもですよ。民主主義ではありませんね。ここに何も答えもできない。なぜならここが欠落しているから答えられないのですよね?
あなたがくだらんすりかえを行い論破したと豪語する前から、内容の適正と多数とヒトラーについて指摘しておりますが、それから逃げているのはあなたでしょう。
内容の適正という観点がない人にいっても無駄でしょうけどね。
クロフネさんがなぜ多数=正しく、強行採決阻止を否定するのがよくわかりました。
結局、内容の適正という意味すら理解されてない?のかわかりませんが、本質的な議論審議ができないわけですよね。「内容の適正から判断する」と文脈から読めるはずであり、それが理解できない。だから、本質的な議論をさけ、論点すり替え、どちらが勝った負けたということしかないわけですね。それでは「クロフネ流民主主義」はご自身の世界で成り立っても、一般常識に言う議会制民主主義は成り立ちません。
なおさら民主主義が理解できておらず勘違されているということ、が理解できたと同時に、ご自身で立証されましたね。
ご自身の世界で論破=勝利したと思うのは大いに結構なことだと思います。それは、一般常識のとおる世界の日本国憲法解釈においては、何人も踏みにじることの出来ない「内心の自由」の範疇ですから。
初コメント
はじめまして
おしりのプロフィールにびっくりして
ここにおりったってきました
次の休みの日にここのブログ
ずらっと一通り見ますねぇ!
なをきさん
こちらこそ、はじめまして。
以後よろしくどうぞ。